アイスクリームで6題
【バニラな君】
「今日から始まります!ルリが注目した選手をお招きして、アイスとともに楽しいおしゃべり!」
大輪の花が花開くような、艶やかな笑顔。
何度も鏡の前で練習した営業用の笑顔は、どんなに不機嫌でも簡単に作ることが出来る。
そしてスポーツニュースの中盤のミニコーナーが始まった。
MC三橋瑠里は何から何まで気に入らなかった。
もっと言えば、怒り狂ってすらいた。
何が「ルリが」だ!
瑠里は自分のことを名前で呼ぶ女が大嫌いで、軽蔑している。
成人を過ぎた大人がすることではない。
そういうのがカワイイと勘違いしているバカ女か、男に媚びることを恥としない女か。
少なくても瑠里の周りでそれをするのは、この2種類のどちらかだ。
まさかそれを自分がしなければならないなんて、これ以上の屈辱はない。
そもそも女子アナなんてなりたくなかった。
このテレビ局の入社試験を受けたのは、ジャーナリストになりたかったから。
希望部署は報道局で、できれば政治部か経済部になりたかった。
それなのに、回されたのは編成製作局アナウンス室。
つまり瑠里の職業は世に言う女子アナウンサー、いわゆる女子アナだ。
わかっている。
志望と違う部署に行かされるなんて、よくある。
嫌な仕事でもしっかりやって、いつか希望の仕事ができるように頑張るしかない。
退職するのは簡単だが、そうするともう報道の仕事はできなくなるかもしれないのだ。
だからこうして無理矢理笑顔を作って、瑠里はカメラの前に立つ。
それにしても考えれば考えるほど腹が立つ。
アイスクリームというキーワードの出所は見当がつく。
局のサイトに公開されたプロフィール上では、瑠里の好きな食べ物はアイスクリームとされているのだ。
だが本当はアイスクリームがそれほど好きと言うわけではない。
出されれば食べるし、嫌いではないが、自分から進んで買うことなどなかった。
好きな食べ物と問われて、最初に瑠里が答えたのは「焼肉」だった。
運動部出身だし、三橋家は食欲の塊みたいな人間が多い。
瑠里も例外ではなかった。
だが焼肉では色気がないから変えろ、何か甘いものとかが可愛らしくていいと言われた。
それならばと次に答えたのは「おはぎ」だった。
学生時代に祖父母と暮らしていた瑠里は、祖母が作る和菓子が好きなのだ。
でも今度は「ババくさい」と言われて、却下された。
ならばもう適当にしてくれと言ったら、アイスクリームになっていたのだ。
他の女子アナとかぶらないようにした結果らしい。
でもなんで「アイスとともに楽しいおしゃべり」をしなくてはいけないのか。
どうして普通にインタビューではダメなのだろう?
そんなモチベーションで「楽しい」はずなどない。
ここまで理不尽な事だらけだと、もう何も反論する気も起きなかった。
さっさと仕事と割り切って、せいぜいカワイイ女子アナを演じるしかない。
瑠里はそんな心のうちを一切出さずに、笑顔を作り続けた。
いつもテレビで見て、私ってこんなにバカっぽかったっけと落ち込む笑顔だけれど。
「本日のメニューはバニラな君、ゲストは埼京彩珠リカオンズの三橋廉投手です~~!」
瑠里が高らかにそう言うと、インストゥルメンタルの「出囃子」と言われる音楽がかかる。
瑠里に言わせると、毒にも薬にもならない軽薄な曲だ。
そして同じ年の従兄弟であり、今はプロ野球選手になっている三橋廉が入場してきた。
キョロキョロと珍しそうにセットを見回している様子は子供の頃のままだ。
廉がこちらに歩いてくる間に、瑠里はスケッチブックに書かれた台詞-カンペを睨む。
バニラな君って。
事前の打ち合わせで散々嫌だと言ったのに、結局言わされた。
一応このコーナーはカフェと設定になっている。
瑠里が店主であり、ゲスト-今日の場合は廉-が客で、店のメニューであるアイスを食べて談笑。
スタッフは廉のイメージでバニラなのだと言っていた。
でも要するに色白で可愛らしいってことだけだと思う。
スポーツ選手と思えないほど色が白いし、髪も茶とも金ともつかない不思議な色だ。
細身だし、顔立ちも童顔だし。
安直だけど、まぁここまではいい。
100歩譲ってこの設定まではいいとして、メニューは「バニラ」まででいいじゃないか。
バニラな君?「君」っていうのは必要なのか。
台詞を考えるヤツはいい。
どんなに恥ずかしい言葉だって、自分で言うのではないのだから。
それを読み上げるこっちの身にもなって欲しい。
スベってるとか、いい歳して何を言ってるとか、バカっぽいとか。
ネットなどに書かれるのは瑠里なのだ。
瑠里が廉を迎え入れる素振りで、カメラに背を向けて、心の中で悪態をついた。
廉がセットの中央に来るまでは、カメラは廉を撮っている。
瑠里はどんなに険しい顔をしていても、放送にのることはない。
わかっている。
すべてはこの従兄弟、廉のおかげなのだ。
大学を卒業して今年アナウンサーになったばかりの瑠里が、番組内でコーナーを持てたのも。
そもそも瑠里がテレビ局に入社できたのだって。
様々な理由でマスコミの取材を嫌う選手は少なくない。
テレビが好きではないとか、練習時間が減るとか、変に注目されて成績不振だったときカッコ悪いとか。
芸能人と違って取材対応は選手の義務ではないから、それもまかり通る。
そんなときにモノをいうのが、同じ学校の野球部出身の先輩という立場の記者だ。
野球選手は皆野球部出身で、先輩後輩の規律は身体に叩き込まれている。
だから気が乗らない取材でも、母校の先輩であるなら笑顔で応じる選手は少なくない。
かの「ハンカチ王子」と呼ばれた投手の取材のために、早稲田出身の記者が動員されたのは有名な話だ。
大手マスコミ各社は、大物選手の取材のためだけにその学校出身の記者を増やすことさえあるのだ。
だがこの規則を当てはめられない選手が三橋廉だ。
高校野球で9分割を投げ分ける奇跡のコントロールと注目され、現在プロ5年目。
昨シーズンはリーグトップの勝ち星と防御率を誇り、絶賛活躍中。
だが廉は西浦高校の硬式野球部発足時のいわば第1期生で、母校の先輩というのがいない。
その上本人が人見知りで、取材などの目立つ行動を嫌っている。
何とか廉の取材をしたいとマスコミ各社が狙っていた。
そんなときに廉の従姉妹である瑠里が、テレビ局の入社試験を受けた。
その結果がこれだ。
瑠里はマスコミ取材に応じない廉の取材要員として採用されたのだ。
正直なところ、廉の従姉妹でなかったらテレビ局に入社など出来なかったと思う。
「ではレンレンの今シーズンの目標は?」
「レンレンって言うな」
瑠里はあくまでも従姉妹の顔で、廉に質問していく。
本当は仕事ならちゃんと話をしたいが、あえて親しい口調で話すようにと指示されている。
「今年も、リーグ最多勝、取りたいです。」
廉はバニラのアイスクリームを食べながら、ボソボソと答える。
吃音こそ少なくなったけど、相変わらず話は上手くない。
そこをうまく聞き出すのが瑠里の腕だ。
「ヒイキでも何でもせいぜい利用してしまえばいいじゃない。」
中学時代に廉が理事の孫だからエースを続けているのだと落ち込んでいた時期、瑠里はそう言って笑った。
事実そう思ったのだ。
手に入れたらこっちのもの、それに見合う実力を身につければいい。
どうしても無理だと思ったら、自分から降りればいい。
最初にそれを手にした方法なんか、たいした問題じゃないと。
だけど今の瑠里は、まさにあの時の廉と同じだ。
廉の力でテレビ局に入社できたけど、それに見合う実力などない。
それでいて手放せないのだ。
いつかジャーナリストになるために、テレビ局の局員という立場は捨てたくない。
グルグルと回る終わりのないジレンマ。
まだ廉と一緒に暮らしていたあの頃、瑠里は廉の本当の苦しみなど少しもわかってなかったのだ。
「ありがとうございました!三橋廉選手でした~!」
ようやく瑠里のコーナーが終わり、放送はCMに切り替わった。
瑠里の顔から拭き取ったように笑みが消える。
廉が心配そうな表情で「大丈夫?」と言ってくれたが、瑠里はため息をつくことしかできなかった。
頑張るしかないことはわかっている。
だけどいつまでこんなことをしなくてはいけないのだろう?
【続く】
「今日から始まります!ルリが注目した選手をお招きして、アイスとともに楽しいおしゃべり!」
大輪の花が花開くような、艶やかな笑顔。
何度も鏡の前で練習した営業用の笑顔は、どんなに不機嫌でも簡単に作ることが出来る。
そしてスポーツニュースの中盤のミニコーナーが始まった。
MC三橋瑠里は何から何まで気に入らなかった。
もっと言えば、怒り狂ってすらいた。
何が「ルリが」だ!
瑠里は自分のことを名前で呼ぶ女が大嫌いで、軽蔑している。
成人を過ぎた大人がすることではない。
そういうのがカワイイと勘違いしているバカ女か、男に媚びることを恥としない女か。
少なくても瑠里の周りでそれをするのは、この2種類のどちらかだ。
まさかそれを自分がしなければならないなんて、これ以上の屈辱はない。
そもそも女子アナなんてなりたくなかった。
このテレビ局の入社試験を受けたのは、ジャーナリストになりたかったから。
希望部署は報道局で、できれば政治部か経済部になりたかった。
それなのに、回されたのは編成製作局アナウンス室。
つまり瑠里の職業は世に言う女子アナウンサー、いわゆる女子アナだ。
わかっている。
志望と違う部署に行かされるなんて、よくある。
嫌な仕事でもしっかりやって、いつか希望の仕事ができるように頑張るしかない。
退職するのは簡単だが、そうするともう報道の仕事はできなくなるかもしれないのだ。
だからこうして無理矢理笑顔を作って、瑠里はカメラの前に立つ。
それにしても考えれば考えるほど腹が立つ。
アイスクリームというキーワードの出所は見当がつく。
局のサイトに公開されたプロフィール上では、瑠里の好きな食べ物はアイスクリームとされているのだ。
だが本当はアイスクリームがそれほど好きと言うわけではない。
出されれば食べるし、嫌いではないが、自分から進んで買うことなどなかった。
好きな食べ物と問われて、最初に瑠里が答えたのは「焼肉」だった。
運動部出身だし、三橋家は食欲の塊みたいな人間が多い。
瑠里も例外ではなかった。
だが焼肉では色気がないから変えろ、何か甘いものとかが可愛らしくていいと言われた。
それならばと次に答えたのは「おはぎ」だった。
学生時代に祖父母と暮らしていた瑠里は、祖母が作る和菓子が好きなのだ。
でも今度は「ババくさい」と言われて、却下された。
ならばもう適当にしてくれと言ったら、アイスクリームになっていたのだ。
他の女子アナとかぶらないようにした結果らしい。
でもなんで「アイスとともに楽しいおしゃべり」をしなくてはいけないのか。
どうして普通にインタビューではダメなのだろう?
そんなモチベーションで「楽しい」はずなどない。
ここまで理不尽な事だらけだと、もう何も反論する気も起きなかった。
さっさと仕事と割り切って、せいぜいカワイイ女子アナを演じるしかない。
瑠里はそんな心のうちを一切出さずに、笑顔を作り続けた。
いつもテレビで見て、私ってこんなにバカっぽかったっけと落ち込む笑顔だけれど。
「本日のメニューはバニラな君、ゲストは埼京彩珠リカオンズの三橋廉投手です~~!」
瑠里が高らかにそう言うと、インストゥルメンタルの「出囃子」と言われる音楽がかかる。
瑠里に言わせると、毒にも薬にもならない軽薄な曲だ。
そして同じ年の従兄弟であり、今はプロ野球選手になっている三橋廉が入場してきた。
キョロキョロと珍しそうにセットを見回している様子は子供の頃のままだ。
廉がこちらに歩いてくる間に、瑠里はスケッチブックに書かれた台詞-カンペを睨む。
バニラな君って。
事前の打ち合わせで散々嫌だと言ったのに、結局言わされた。
一応このコーナーはカフェと設定になっている。
瑠里が店主であり、ゲスト-今日の場合は廉-が客で、店のメニューであるアイスを食べて談笑。
スタッフは廉のイメージでバニラなのだと言っていた。
でも要するに色白で可愛らしいってことだけだと思う。
スポーツ選手と思えないほど色が白いし、髪も茶とも金ともつかない不思議な色だ。
細身だし、顔立ちも童顔だし。
安直だけど、まぁここまではいい。
100歩譲ってこの設定まではいいとして、メニューは「バニラ」まででいいじゃないか。
バニラな君?「君」っていうのは必要なのか。
台詞を考えるヤツはいい。
どんなに恥ずかしい言葉だって、自分で言うのではないのだから。
それを読み上げるこっちの身にもなって欲しい。
スベってるとか、いい歳して何を言ってるとか、バカっぽいとか。
ネットなどに書かれるのは瑠里なのだ。
瑠里が廉を迎え入れる素振りで、カメラに背を向けて、心の中で悪態をついた。
廉がセットの中央に来るまでは、カメラは廉を撮っている。
瑠里はどんなに険しい顔をしていても、放送にのることはない。
わかっている。
すべてはこの従兄弟、廉のおかげなのだ。
大学を卒業して今年アナウンサーになったばかりの瑠里が、番組内でコーナーを持てたのも。
そもそも瑠里がテレビ局に入社できたのだって。
様々な理由でマスコミの取材を嫌う選手は少なくない。
テレビが好きではないとか、練習時間が減るとか、変に注目されて成績不振だったときカッコ悪いとか。
芸能人と違って取材対応は選手の義務ではないから、それもまかり通る。
そんなときにモノをいうのが、同じ学校の野球部出身の先輩という立場の記者だ。
野球選手は皆野球部出身で、先輩後輩の規律は身体に叩き込まれている。
だから気が乗らない取材でも、母校の先輩であるなら笑顔で応じる選手は少なくない。
かの「ハンカチ王子」と呼ばれた投手の取材のために、早稲田出身の記者が動員されたのは有名な話だ。
大手マスコミ各社は、大物選手の取材のためだけにその学校出身の記者を増やすことさえあるのだ。
だがこの規則を当てはめられない選手が三橋廉だ。
高校野球で9分割を投げ分ける奇跡のコントロールと注目され、現在プロ5年目。
昨シーズンはリーグトップの勝ち星と防御率を誇り、絶賛活躍中。
だが廉は西浦高校の硬式野球部発足時のいわば第1期生で、母校の先輩というのがいない。
その上本人が人見知りで、取材などの目立つ行動を嫌っている。
何とか廉の取材をしたいとマスコミ各社が狙っていた。
そんなときに廉の従姉妹である瑠里が、テレビ局の入社試験を受けた。
その結果がこれだ。
瑠里はマスコミ取材に応じない廉の取材要員として採用されたのだ。
正直なところ、廉の従姉妹でなかったらテレビ局に入社など出来なかったと思う。
「ではレンレンの今シーズンの目標は?」
「レンレンって言うな」
瑠里はあくまでも従姉妹の顔で、廉に質問していく。
本当は仕事ならちゃんと話をしたいが、あえて親しい口調で話すようにと指示されている。
「今年も、リーグ最多勝、取りたいです。」
廉はバニラのアイスクリームを食べながら、ボソボソと答える。
吃音こそ少なくなったけど、相変わらず話は上手くない。
そこをうまく聞き出すのが瑠里の腕だ。
「ヒイキでも何でもせいぜい利用してしまえばいいじゃない。」
中学時代に廉が理事の孫だからエースを続けているのだと落ち込んでいた時期、瑠里はそう言って笑った。
事実そう思ったのだ。
手に入れたらこっちのもの、それに見合う実力を身につければいい。
どうしても無理だと思ったら、自分から降りればいい。
最初にそれを手にした方法なんか、たいした問題じゃないと。
だけど今の瑠里は、まさにあの時の廉と同じだ。
廉の力でテレビ局に入社できたけど、それに見合う実力などない。
それでいて手放せないのだ。
いつかジャーナリストになるために、テレビ局の局員という立場は捨てたくない。
グルグルと回る終わりのないジレンマ。
まだ廉と一緒に暮らしていたあの頃、瑠里は廉の本当の苦しみなど少しもわかってなかったのだ。
「ありがとうございました!三橋廉選手でした~!」
ようやく瑠里のコーナーが終わり、放送はCMに切り替わった。
瑠里の顔から拭き取ったように笑みが消える。
廉が心配そうな表情で「大丈夫?」と言ってくれたが、瑠里はため息をつくことしかできなかった。
頑張るしかないことはわかっている。
だけどいつまでこんなことをしなくてはいけないのだろう?
【続く】
1/6ページ