空10題-青空編
【水たまりに映る空】
昨日の雨が嘘のように、今日は朝から綺麗に晴れた。
でもオレはできるなら昨日に戻りたいな、と思う。
単に昨日が日曜日で、今日が月曜日だからってわけじゃない。
いやもちろんそれもあるんだけど、今日はそれだけじゃないんだ。
オレはいつになく早い時間に、学校に向かっていた。
野球部の朝練の手伝いをするためだ。
応援団を発足した頃には、やっぱりこのくらいの時間に朝練に参加していた。
朝一番の瞑想から参加して、応援団に必要なメンタリティを身に付けるためだ。
だが最近は、助っ人が必要な練習に合わせて顔を出す。
オレのバイトの事情なんかを考慮してくれた監督の気遣いだ。
つまり今日、オレがこんなに早い時間に練習に行く理由なんかない。
でも心配だったんだ。三橋が。
阿部や監督に三橋が怒られるようなことになったら。
オレとしては本意ではないし、申し訳ない。
昨日の雨のせいで、グラウンドのあちこちに水たまりが出来ている。
水たまりに映る空がよどんで見えるのは、オレの気持ちが憂鬱だからだろうか?
実は昨日の日曜日、オレは三橋と一緒に出かけた。
ギシギシ荘、もとい山岸荘にいたガキンチョの1人-いわゆる幼馴染みに誘われたのだ。
そいつとはあのガキンチョ野球のメンバーの中でも特に気が合って、未だに付き合いがある。
と言ってもオレが学校とバイトと野球部の手伝いで忙しいので、もっぱら会話はメールだ。
オレは応援団に入ったことや、三橋と再会した事を知らせていた。
そいつからは草野球チームに所属して、野球を続けていると聞いていた。
そして昨日は、そいつのチームの試合の日。
ぜひ三橋も誘って見に来いと言われたその日は、運よく野球部の練習は休みだった。
試合前に再会したそいつと三橋は「懐かしい」とか「デカくなった」などと談笑している。
オレも三橋が楽しそうなのは嬉しい。
高校で再会した三橋は、なんか昔とは少し違っていた。
もともと内気で言葉もスムーズに出る方じゃなかったけど、輪をかけてドモりがひどい。
野球部では田島や泉、栄口なんかにはなついているようだけど、阿部とか花井は苦手そうだ。
阿部と話をしているのを見ると、なんかビクビクしているようにも見える。
オレにもいろいろあったように、三橋にもいろいろあったってことなんだろう。
とにかく昔みたいに屈託なく笑う三橋を見ると、何だかホッとするんだ。
だがヤツは三橋にユニフォームを渡して「今日はよろしく」などと言い出した。
あの桐青高校を破った西浦のエース。
最初から三橋に投げさせるつもりで、わざわざ三橋も一緒になどとメールをよこしたんだ。
ヤツが「頼むよ」とひたすら拝み倒し、驚いた三橋がオタオタタと慌てている。
確か三橋は普段から、投球数を制限されている。
しかも今日は休養日だ。
いくら草野球とはいえ、投げるわけにはいかないだろう。
止めさせようとオレが言葉を発する前に、三橋が大きく息を吸い込んだ。
そして大きな声で「オレ、投げる!」と宣言したのだった。
阿部、君。オレ、昨日、草、野球の、試合で、投げたんだ!
オレがグラウンドに到着したとき、ちょうど三橋の声が聞こえた。
かくしてグラウンドには、阿部と三橋が立っていた。
阿部は練習着に着替えて、トンボを持っている。
三橋は今来たところなのだろう。
Tシャツ姿で、左肩にカバンを提げている。
ゴメン、昨日は、投げちゃ、いけ、なかった、のに。
三橋が真剣な声で、言っている。
阿部は無表情に押し黙ったまま、三橋の話を聞いていた。
オレはその一端しか知らないが、泉や田島から聞く阿部はすごい。
重い物を持つなとか、ノートの端にも気をつけろとか、とにかく三橋に口うるさいらしい。
昨日、三橋はいいペースで投げていた。
だが久々の軟球に違和感があったようだし、雨の中の投球はそれだけで疲れるだろう。
だが三橋は久しぶりに再会した友人の頼みを断れなかったんだと思う。
文句1つ言わずに、よく投げたと思う。
強くなった雨のせいで試合中止になったときには、オレはホッとした。
球数自体はそんなに投げていないし、本人も「大丈夫」と笑っていた。
阿部には内緒にしておくよ、とオレは言った。
だが三橋は「話し、て、あや、まる!」と宣言した。
怒られるぞ?黙ってた方がよくないか?
だが三橋は「黙、て、ても、阿部、君、には、バレちゃう、よ」と笑った。
そんなもんかね?どうせバレるなら、先に白状した方がいいってことか?
とにかく三橋が怒られるようなことになるならフォローしないと。
だからオレはいつになく早い時間に、グラウンドにやって来たのだ。
オレ、どう、しても。昔、の、トモ、ダチと、野球、したか、った、んだ!
三橋はそう言ったとき、阿部の表情がかすかに動いた気がした。
阿部が「んで?何球投げたの?」と聞く。
54球!4回、の、途中で、雨で、中止に、なった、から。
三橋が元気よく答えた。
オレは阿部がいつ怒鳴りだすかと、ヒヤヒヤしながらその様子を見ているしかなかった。
わかった。今日はノースローだな。
練習メニューは後でモモカンと相談する。
あと念のために、シガポに肩を見てもらえ。
阿部はそう言って、トンボを手にグラウンド整備を再開した。
三橋は「わかった、着替えてくる!」と部室に駆け出していく。
一瞬手を止めて、三橋の後ろ姿を見送った阿部が笑った。
笑った?阿部、怒っているわけじゃないのか?
ゴメンな、オレのダチがどうしても三橋に投げて欲しいって聞かなくて。
オレは阿部に小走りで近づくと、そう言って手を合わせて、阿部を拝んだ。
阿部は「別にいーけど」と素っ気なく答えて、トンボを動かす手を休めなかった。
笑顔はどうやら、対三橋限定らしい。
阿部も頭ごなしに怒鳴りつけるわけじゃないんだな。
ちゃんと三橋の言い分を聞いて、その上で世話を焼いてるんだ。
三橋は三橋で、ノースローをあっさりと受け入れてた。
2人が変わったのか、それともオレがちゃんと見ていなかったのか。
とにかくこのバッテリーなりに成長したし、信頼関係ができているんだろう。
せっかく早く来たんだから、オレもトンボを借りてきて手伝うことにしよう。
水たまりに映る空が何だかさっきより綺麗に見えて、均してしまうのがもったいない気もするけど。
【終】
昨日の雨が嘘のように、今日は朝から綺麗に晴れた。
でもオレはできるなら昨日に戻りたいな、と思う。
単に昨日が日曜日で、今日が月曜日だからってわけじゃない。
いやもちろんそれもあるんだけど、今日はそれだけじゃないんだ。
オレはいつになく早い時間に、学校に向かっていた。
野球部の朝練の手伝いをするためだ。
応援団を発足した頃には、やっぱりこのくらいの時間に朝練に参加していた。
朝一番の瞑想から参加して、応援団に必要なメンタリティを身に付けるためだ。
だが最近は、助っ人が必要な練習に合わせて顔を出す。
オレのバイトの事情なんかを考慮してくれた監督の気遣いだ。
つまり今日、オレがこんなに早い時間に練習に行く理由なんかない。
でも心配だったんだ。三橋が。
阿部や監督に三橋が怒られるようなことになったら。
オレとしては本意ではないし、申し訳ない。
昨日の雨のせいで、グラウンドのあちこちに水たまりが出来ている。
水たまりに映る空がよどんで見えるのは、オレの気持ちが憂鬱だからだろうか?
実は昨日の日曜日、オレは三橋と一緒に出かけた。
ギシギシ荘、もとい山岸荘にいたガキンチョの1人-いわゆる幼馴染みに誘われたのだ。
そいつとはあのガキンチョ野球のメンバーの中でも特に気が合って、未だに付き合いがある。
と言ってもオレが学校とバイトと野球部の手伝いで忙しいので、もっぱら会話はメールだ。
オレは応援団に入ったことや、三橋と再会した事を知らせていた。
そいつからは草野球チームに所属して、野球を続けていると聞いていた。
そして昨日は、そいつのチームの試合の日。
ぜひ三橋も誘って見に来いと言われたその日は、運よく野球部の練習は休みだった。
試合前に再会したそいつと三橋は「懐かしい」とか「デカくなった」などと談笑している。
オレも三橋が楽しそうなのは嬉しい。
高校で再会した三橋は、なんか昔とは少し違っていた。
もともと内気で言葉もスムーズに出る方じゃなかったけど、輪をかけてドモりがひどい。
野球部では田島や泉、栄口なんかにはなついているようだけど、阿部とか花井は苦手そうだ。
阿部と話をしているのを見ると、なんかビクビクしているようにも見える。
オレにもいろいろあったように、三橋にもいろいろあったってことなんだろう。
とにかく昔みたいに屈託なく笑う三橋を見ると、何だかホッとするんだ。
だがヤツは三橋にユニフォームを渡して「今日はよろしく」などと言い出した。
あの桐青高校を破った西浦のエース。
最初から三橋に投げさせるつもりで、わざわざ三橋も一緒になどとメールをよこしたんだ。
ヤツが「頼むよ」とひたすら拝み倒し、驚いた三橋がオタオタタと慌てている。
確か三橋は普段から、投球数を制限されている。
しかも今日は休養日だ。
いくら草野球とはいえ、投げるわけにはいかないだろう。
止めさせようとオレが言葉を発する前に、三橋が大きく息を吸い込んだ。
そして大きな声で「オレ、投げる!」と宣言したのだった。
阿部、君。オレ、昨日、草、野球の、試合で、投げたんだ!
オレがグラウンドに到着したとき、ちょうど三橋の声が聞こえた。
かくしてグラウンドには、阿部と三橋が立っていた。
阿部は練習着に着替えて、トンボを持っている。
三橋は今来たところなのだろう。
Tシャツ姿で、左肩にカバンを提げている。
ゴメン、昨日は、投げちゃ、いけ、なかった、のに。
三橋が真剣な声で、言っている。
阿部は無表情に押し黙ったまま、三橋の話を聞いていた。
オレはその一端しか知らないが、泉や田島から聞く阿部はすごい。
重い物を持つなとか、ノートの端にも気をつけろとか、とにかく三橋に口うるさいらしい。
昨日、三橋はいいペースで投げていた。
だが久々の軟球に違和感があったようだし、雨の中の投球はそれだけで疲れるだろう。
だが三橋は久しぶりに再会した友人の頼みを断れなかったんだと思う。
文句1つ言わずに、よく投げたと思う。
強くなった雨のせいで試合中止になったときには、オレはホッとした。
球数自体はそんなに投げていないし、本人も「大丈夫」と笑っていた。
阿部には内緒にしておくよ、とオレは言った。
だが三橋は「話し、て、あや、まる!」と宣言した。
怒られるぞ?黙ってた方がよくないか?
だが三橋は「黙、て、ても、阿部、君、には、バレちゃう、よ」と笑った。
そんなもんかね?どうせバレるなら、先に白状した方がいいってことか?
とにかく三橋が怒られるようなことになるならフォローしないと。
だからオレはいつになく早い時間に、グラウンドにやって来たのだ。
オレ、どう、しても。昔、の、トモ、ダチと、野球、したか、った、んだ!
三橋はそう言ったとき、阿部の表情がかすかに動いた気がした。
阿部が「んで?何球投げたの?」と聞く。
54球!4回、の、途中で、雨で、中止に、なった、から。
三橋が元気よく答えた。
オレは阿部がいつ怒鳴りだすかと、ヒヤヒヤしながらその様子を見ているしかなかった。
わかった。今日はノースローだな。
練習メニューは後でモモカンと相談する。
あと念のために、シガポに肩を見てもらえ。
阿部はそう言って、トンボを手にグラウンド整備を再開した。
三橋は「わかった、着替えてくる!」と部室に駆け出していく。
一瞬手を止めて、三橋の後ろ姿を見送った阿部が笑った。
笑った?阿部、怒っているわけじゃないのか?
ゴメンな、オレのダチがどうしても三橋に投げて欲しいって聞かなくて。
オレは阿部に小走りで近づくと、そう言って手を合わせて、阿部を拝んだ。
阿部は「別にいーけど」と素っ気なく答えて、トンボを動かす手を休めなかった。
笑顔はどうやら、対三橋限定らしい。
阿部も頭ごなしに怒鳴りつけるわけじゃないんだな。
ちゃんと三橋の言い分を聞いて、その上で世話を焼いてるんだ。
三橋は三橋で、ノースローをあっさりと受け入れてた。
2人が変わったのか、それともオレがちゃんと見ていなかったのか。
とにかくこのバッテリーなりに成長したし、信頼関係ができているんだろう。
せっかく早く来たんだから、オレもトンボを借りてきて手伝うことにしよう。
水たまりに映る空が何だかさっきより綺麗に見えて、均してしまうのがもったいない気もするけど。
【終】