退廃5

【鉛色の空で鳴く鴉】

「それにしても久しぶりだよな、阿部」
「ホントだよ。元気にしてた?」
隆也の両横に座り、懐かしそうに話しかけてくるのはかつての主将と副主将。
花井と栄口だ。
隆也も含めて3名、かつての主将トリオが席を並べている。
それ以外のかつての野球部員たちも、廉をのぞいて全員が顔をそろえている。
隆也はかつてのチームメイトたちと「同窓会」と称した飲み会に参加していた。

この飲み会は卒業してからすでに何回も開催されている。
だが隆也が出席するのは初めてのことだ。
今までは時間がないからといって、毎回断っていた。
高校卒業と同時に三橋邸に住み込んでいるから、時間がないのは本当だ。
だが今まで参加しなかった最大の理由はやはり廉だ。

のんびりと大学生活を送るはずだった「三橋」が、不慮の出来事で三橋家の当主「廉」になったこと。
阿部の両親や百枝などが、金の無心に来たことも拍車をかけた。
そのことで廉はもう過去と決別して生きることを決意している。
廉の執事となり、廉と寄り添うことを決意した隆也も廉と同じようにするのは当然と思っていた。

かつての野球部のメンバーもまた、廉についてはもういない人間と考えているようだ。
まるで借金のカタでもあるように隆也を執事にしたこと。
そして百枝や志賀からも悪い評判が伝わっているらしい。
廉は莫大な財産によって高慢な人間になってしまったと思われている。
今回の「同窓会」の連絡も、隆也には来たが、廉には来なかった。

「三橋は元気にしてるのか?」
それでも隆也にそう聞いてきたのは、かつての兄貴分だった田島だ。
そして「三橋」という言葉を聞き取ったらしい泉も、こちらに身を乗り出してくる。
かつてのクラスメイトであるこの2人は、やはり廉のことが気になるらしい。

「元気、だ。」
隆也は短くそう答えた。
あまり多くを語りたくない。
どうしても今は主である廉のことを、チームメイトとして話すことに抵抗があるからだ。


「今月の24日から群馬に泊まる。」
廉が隆也にそう告げたのは「同窓会」の3週間ほど前のことだ。
珍しいことだと隆也は思う。
隆也が執事になってから、廉が今まで外泊をしたことはなかった。
どんなに遅くなっても、時には明け方近くになっても、廉は必ず帰ってきたからだ。
よほど大事な用事なのだろう。

「通いの使用人や業者も休みだ。隆也もその間は休んでいい。」
「え?」
「ここでのんびりしてもいいし、実家に戻ってもいい。」
隆也は廉の言葉に戸惑った。
当然自分も群馬に同行するものだと思っていたのだ。

「一緒に群馬に行ってはいけませんか?」
「駄目だ。」
隆也の申し出を、廉はきっぱりとはねつけた。
廉は三橋家の当主になってから、高校時代と打って変わってはっきりと喋る。
それにしてもこれほどはっきりとした拒絶は珍しかった。

「野球部の同窓会があるだろう。それに出席したらどうだ?」
「それはご命令ですか?」
「そうだ。」
廉はそう言い切ると、手にしていた新聞に目を落とした。
この件はもうこれで終了、これ以上何も言うな。
そういう廉の意思表示だった。

同窓会の日に何かある。
隆也はそう直感した。
その日群馬で、廉は何か大きなことをするつもりなのだ。
隆也には知られたくないこと、つまり裏の力を行使する非合法なことを。


「オレ、そろそろ帰るわ。」
同窓会の開始から、きっかり10分。
隆也は空になったビールのジョッキを置いて、立ち上がった。
全員が隆也の方を見て「え~?」とか「うそぉ!」と声を上げる。
確かにまだ挨拶をして、乾杯をしたばかり。
帰るにはあまりにも早い時間だった。

「もしかして三橋にすぐ帰って来いって命令されてるの?」
水谷が怒りながら、身を乗り出してきた。
勝手に推測して、勝手に結論を出して、こちらの空気を読まない。
高校時代は水谷のこういうところがウザかったな、と隆也は思う。
今となっては懐かしいと思うから不思議だ。

「いや、むしろ出ろって言われた。最初は来ないつもりだったから。」
隆也はそう言いながら、もうカバンを持って立ち上がっていた。
そう、元々出るつもりなどなかった。
出席することが廉の命令だったから来たのだ。
隆也は廉の忠実な執事であるから、言いつけは守る。
だが廉は会の最後までいろとは言っていない。
だから乾杯を済ませて1杯飲めば、命令は果たしたと思う。

「どうしても今日、行かなきゃいけない場所があるんだ。」
「それは三橋のところか?」
隆也に聞き返してきたのは泉だ。
だが隆也はそのまま「じゃあな」と手を振って、店を出た。
多分もう二度とこのメンバーと顔を合わせることはないだろう。


同窓会の居酒屋を出た隆也は、群馬に向かう電車に揺られていた。
もちろん廉に会うためだ。
あまり馴染みのないない4人掛けのボックスシートの一角で、夜景を見ながらの旅。
だがそれを楽しむ余裕など、まったくなかった。

現在廉がいる場所はわからない。
何度も廉の携帯電話をコールしているが、応答はなかった。
休暇中の隆也からの電話には出ないということだろう。
三星学園、今は焼け落ちてしまった三橋本家、そして財産相続の手続き中に滞在していたホテル。
心当たりはその3つしかない。
ひょっとすると隆也には群馬に行くと言っていたが、本当は違うのかもしれない。
だが今はその可能性は考えないようにするしかない。
とにかく廉を見つけなくてはならない。
隆也はジリジリと焦る気持ちを懸命におさえながら、電車に揺られていた。

ようやく電車が群馬県に入ったころ、見るとはなしに窓に目を向けていた隆也は「それ」を見つけた。
窓の外に見える住宅地の一部が、赤く染まっているのを。
赤い色の正体は炎だ。
どうやら火災が発生しているのだ。
隆也以外の乗客もそれに気がついたらしい。
車内のあちこちで「火事だ」「大きいぞ」などと声が上がっている。
確かに遠めに見てもかなり広い範囲が燃えているように見える。

なんの根拠もない。
だが隆也はほとんど直感で廉の仕業だと思った。
火事で全てを失った廉が、別の火事を仕掛けたのだ。
あの炎の場所に、きっと廉がいる。


「あの火事の場所まで、行って下さい。」
隆也はすぐに次の駅で降りてタクシーに乗ると、そう頼んだ。
運転手は隆也の顔を見て、軽蔑したような表情になった。
どうやら野次馬だと思われたのだろう。

「知り合いが、巻き込まれているかもしれないんです!」
隆也がそう叫ぶと、運転手の表情が変わる。
すぐに「わかりました」と言って、車を発進させてくれた。
どうやら人のいい運転手らしい。
しきりに「ご心配ですね」とか「大丈夫ですか」と声をかけてくる。
隆也は曖昧に相槌を打ちながら「急いでください」と頼む。
とにかく火だけを目指して、隆也は土地勘もない夜の街を進み続けた。

ようやく火事の現場にたどりついた隆也は、ハァハァと息を切らしながら廉を捜す。
大きな火事であるので、周辺の道路は交通規制がされてしまい、大渋滞していた。
業を煮やした隆也は途中でタクシーを降り、ここまで走ってきたのだった。

燃えているのは、一般の住宅だった。
ただし三橋本家のように大きな、まるで城のような豪邸だ。
多分地元の有力者の家なのだろう。
火事を取り巻く野次馬の人数も半端な数ではない。
隆也はその野次馬をかき分けるようにしながら、廉を捜した。

本来ならばもう夜の闇が辺りを包んでいる時間帯。
だが広大な炎で照らされ、煙が立ち込めた空は鉛色だ。
どうしても廉を見つけられない隆也は、空を見上げる。
そして鉛色の空の彼方に、黒い影を見つけて愕然とした。

燃えている屋敷を挟んで、隆也の向こう側。
高台のような場所で、火事を見下ろしている3人の人影。
その真ん中に立っているのは、廉だった。
背筋を伸ばし凛とした姿で、挑発的に炎を見下ろしていた。
両横にいるのは叶と織田だ。


「三橋っ!」
隆也は高校時代の懐かしい呼び名で、廉を呼んだ。
声の限りに叫んだけれど、聞こえたとは思えない。
消火活動する消防士、現場を整理する警察、そして野次馬。
辺りはただならぬ喧騒で満ちていたのだから。
だが廉はその瞬間、確かに隆也の方を見た。

廉は隆也を見ながら、何か言っている。
その言葉はさすがに聞き取ることなどできない。
だが廉は次の瞬間、口元を歪めて笑った。
その笑顔には覚えがある。
百枝と志賀が野球部への寄付金を頼みに来たとき。
おかげでもう失うものがなくなった、決心がついたと廉は笑った。
そのときと同じ笑顔だ。
見る者の心を芯から凍らせるような、冷たい凄絶な笑み。
まるで鉛色の空で鳴く鴉のように、禍々しい。

廉はまた炎へと視線を戻した。
そしてもう2度と隆也の方を見ようとはしなかった。
隆也は廉の方に向かって走り出した。

やはりこの火事は、廉が仕組んだものだ。
廉が理由もなしに、こんな大それたことはしないはずだ。
きっと「三橋家の当主」として、やらなければならないことなのだろう。
だが心が痛まないはずがない。
それを一緒に受け止めて、廉を少しでも楽にしたい。

廉の立つ高台は、直線距離ならすぐそこなのに。
燃えている広大な屋敷のせいで、大きく迂回しなければならない。
しかも消防、警察、野次馬がごった返して、なかなか進めない。
ようやく隆也が小高い丘の上にたどり着いたとき、もう廉はいなかった。
隆也は先ほどまで廉がいた場所に立ち、だいぶ勢いが弱くなった炎を見下ろした。


隆也が埼玉の三橋家に戻ったのは、翌日の朝だった。
火事のあったあの場所で廉を見かけたものの、見失ってしまった。
その後、三星学園や廉が定宿にしているホテルなどを夜通し回った。
でも結局廉を発見できずに、始発電車で戻ったのだった。

予定ではまだ廉は群馬にいることになっている。
当然のように、通いの使用人たちは全員休暇だ。
廉も叶も織田もいない早朝の三橋邸は、静まり返っていた。
だが頭は緊張と興奮で高ぶっており、どうにも落ち着かない。

とりあえずコーヒーでも淹れようか。
そう思って何とはなしにテーブルを見た隆也は、一枚の封筒が置かれていることに気づいた。
昨日、隆也がここを出るときにはなかったものだ。
白い封筒を手に取り、隆也は驚き、瞠目した。
宛名には「阿部隆也様」と、裏返した差出人は「三橋廉」と書かれている。
つまりあの火事の後、廉は一度ここに帰ってきたのだ。
そして隆也宛ての手紙を置いて、また出て行ったのだろう。
隆也は震える手で封を切り、中の手紙を取り出した。

-今月いっぱいで、辞めてかまわない。
-給料は払うし、お父さんにお金の請求もしない。
-今後の仕事については、叶に相談してくれ。
-大抵の会社なら紹介できると思う。
-もし大学に行きたいなら学費を出す。
-今までありがとう。

手紙の内容はきわめて事務的で素っ気なかった。
だが高校時代に見慣れた筆跡が、ひどく切ない。
最後の「今までありがとう」だけが廉の気持ちだ。
廉は隆也と苦しみを分かち合うことを選ばなかった。
これから廉が進む荊の道から、隆也だけを逃がそうとしているのだ。

「ここまで来て、引き下がれるかよ。」
阿部はポツリとそう呟いた。
こみ上げてくる涙で、懐かしい筆跡が歪んで見えた。

【続く】
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