甘やか5
【どこまでも二人で】
「それで三橋君は、従姉妹の子供を育ててるのか。」
阿部の父親、阿部隆は感極まった声を上げた。
見た目迫力のある風貌の男は、実は情に熱い。
三橋はそんな男の前で困ったように身を縮こまらせていた。
阿部は三橋を連れて、自分の実家に来ていた。
客間である座敷の上座には、阿部家の主である父が座っている。
阿部と三橋は並んで、阿部の父親と向かい合っていた。
勤めていた店が摘発され、三橋は仕事がなくなってしまった。
幼い娘を養わなければならない三橋は、新しい仕事が必要だった。
だが今の世の中、すぐに見つかる仕事は怪しいものばかりだ。
阿部はもう三橋に、前のような仕事はさせたくない。
そこで会社を営む自分の実家へと連れてきたのだった。
三橋は阿部の父親にありのままを語った。
群馬の祖父に疎まれている小さな娘を育てていること。
結局高校を中退してしまったこともあり、ロクな仕事がないこと。
今までは知らなかったとはいえ、法に触れる違法な店で働いていたこと。
女装して、男性客相手に性的ないかがわしい接客をしていたこと。
そうまでして守ろうとしている少女が三橋の実の娘ではないことも話した。
「これからは娘のために、人に聞かれても答えられる仕事をしたいです。」
「頼むよ。うちで使ってやって欲しいんだ」
三橋は静かにそう締めくくり、阿部が言葉を添えた。
「あのコはいったい誰の子供なんだ?」
三橋のアパートを訪ねた日、阿部は三橋を問いただした。
たまたま来ていた三橋の母親との会話を立ち聞きしてしまったからだ。
阿部の剣幕に驚いた三橋母子は、困ったように顔を見合わせた。
あの小さな少女の父親はいったい誰なのか。
だが残念ながら、その答えを知る者はいないという。
瑠里は頑として、娘の父親の名前を明かさなかったからだ。
その上妊娠した事実も隠し通した。
産むしかないし、父親もわからない。
「最初はジイちゃん、子供が産まれたら養子に出すって言ったんだ。」
立ち聞きされてもう隠せないことを悟った三橋が、観念してポツポツと話し出す。
子供がもう中絶できない時期に入ったため、三橋の祖父は養子に出すことを考えたそうだ。
だがそれを瑠里が嫌がった。
子供と引き離されたら死ぬとまで言い切ったのだ。
だから祖父は、子供の父親役として三橋を呼んだのだ。
「でも瑠里が死んで。ジイちゃん、やっぱり養子に出すって言い出して。」
瑠里がいないなら、もう子供を手元に置く必要もない。
三橋ももう瑠里と結婚する必要はない、自由にしていいと言われた。
だが三橋は、新しい命が疎まれて憎まれるのを見るのが耐えられなかった。
かくして三橋は生まれてきた子供を連れて、三橋家を離れた。
母親と同じ「瑠里」という名をつけて、愛情を注いで育てた。
「もっと早く気付くべきだったよな。」
全てを打ち明けられた阿部は、悔しそうにそう言った。
あの少女が三橋の実の子供ではないことは、よく考えればわかることだった。
なぜならあの高校3年の夏、三橋の従姉妹の瑠里の妊娠が発覚して、三橋は群馬に連行された。
その時にはもう中絶が無理だったというから、逆算すれば妊娠したのはその前の冬だとわかる。
その頃のことを思い出すと、とにかく忙しかった。
練習は夏場ほどハードではなかったが、大学受験の準備も始めていたのだ。
練習のない日は塾に行く者や、集まって勉強する者がほとんどだ。
三橋は確か家庭教師に習っており、その予習復習で一番ワタワタしていた気がする。
つまり群馬の従姉妹と妊娠はおろか、会う時間を作ることさえ出来なかったはずだ。
「っていうか、お前が消える前に教えてほしかったよ。」
さらに阿部は悔しさを込めて、そう白状した。
その当時の三橋家の様子は想像するしかない。
だが高校3年生の男子に、娘は自分で育てると決断させるほど刺々しいものだったのだ。
三橋が1人で苦しんでいたのかと思うと、つらい。
あの時の自分に何ができたかなんてわからない。
だけどどこまでも二人で頑張ろうとしただろう。
「三橋はすぐに使ってやってよ。ちょっとしたらオレも今の会社辞めるから。」
阿部は事も無げにそう付け加えた。
思わず三橋は「うえ?」と声を挙げ、阿部の父親も驚いた表情になった。
阿部の「今の会社」と言うのは、もちろん警察のことだ。
「お前もうちで働くつもりなのか?」
「まぁできれば」
「後を継ぐって意味か?」
「親父がかまわないなら、それもありじゃねーの?かなり先の話だろうけどな。」
「そりゃ願ってもないことではあるが」
阿部の父親は、息子に会社を継がせることにこだわってはいない。
それでもできれば息子のどちらかが継ぐのは、一番嬉しいだろう。
その証拠に阿部が働くと言い出した後、気難しい父の顔に喜びの色が見える。
三橋は父子の会話を不安そうな表情で聞いていた。
阿部はそんな三橋を安心させるように「辞めるのは前から考えてたことなんだ」と言い添えた。
三橋のせいで阿部が警察官を辞めるのだとは思わせたくなかった。
だが阿部が警察官を辞めようと思ったのは、三橋との再会の後だ。
篠岡千代が幼い瑠里を殺そうとしていたのに、阿部は見逃した。
警察官なら婚約者であろうと、人を殺そうとした者は逮捕するべきだ。
そのときから阿部は職業倫理と私情の狭間で悩んだ。
だがそもそも思い起こせば、阿部が警察官になったのは私情だ。
三橋を捜すことができるかもしれないという身勝手な気持ちからだった。
ならばこうして三橋と再会できた今、警察官を続ける理由は何もないように思えた。
「とりあえず三橋君には働いてもらおう。隆也も。だけど後を継ぐ話はシュンも入れて話そう。」
父親の言葉に、阿部が「サンキュ」と応じた。
三橋は畳に額を擦りつける勢いで頭を下げて「よろしくお願いします!」と声を張った。
「高校の頃、三橋はオレのことをどう思ってた?」
阿部はハンドルを握りながら、そう聞いた。
助手席の三橋は「好きだった」と短く答えた。
三橋は阿部の父親の会社への就職を決めた。
阿部も三橋より少々遅れるが、警察官を退職して父親の元で働くことになった。
無事に話がまとまった後、阿部は三橋を送る車中にいた。
あのなつかしい三橋家の実家で、三橋の両親と幼い瑠里が待っている。
「阿部君、最後の試合が終わったら、告白してくれるつもりだったでしょ?」
「気付いてたのか?」
「うん。楽しみにしてたんだよ。だけど、もう」
三橋は寂しげな微笑を浮かべると、言葉を切った。
自分の未来が真っ直ぐな道に見えていたあの頃、将来は輝いて見えた。
だが三橋は急に現れた曲がり角に翻弄されて、数奇な道を歩んだ。
もう頑張れば報われると信じていた高校生には戻れない。
「オレは今でも三橋のことが好きだよ。」
「え?」
「っていうか、今の方がもっと好きだ。お前は?」
「・・・・・・」
阿部は三橋に問いかけたが、三橋は答えない。
だがそれでよかった。
瑠里を立派に育てることが今の三橋の全てなのだ。
阿部のことを受け入れることは選択肢にないだろう。
否定されなかっただけで、充分だ。
「瑠里が成人するか、結婚するかした後、もう1度聞くよ。」
「それって、かなり先だよ?」
「一緒の職場で働いていれば、きっとすぐだよ。」
ちょうどそこで阿部の車が三橋邸に到着した。
三橋は「ありがとう」と礼を言って、車を降りる。
阿部は「またな」と声をかけると、車を発進させた。
どこまでも二人でいればいい。
同じ想いを持ち続けていれば、いつかきっと結ばれるだろう。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
「それで三橋君は、従姉妹の子供を育ててるのか。」
阿部の父親、阿部隆は感極まった声を上げた。
見た目迫力のある風貌の男は、実は情に熱い。
三橋はそんな男の前で困ったように身を縮こまらせていた。
阿部は三橋を連れて、自分の実家に来ていた。
客間である座敷の上座には、阿部家の主である父が座っている。
阿部と三橋は並んで、阿部の父親と向かい合っていた。
勤めていた店が摘発され、三橋は仕事がなくなってしまった。
幼い娘を養わなければならない三橋は、新しい仕事が必要だった。
だが今の世の中、すぐに見つかる仕事は怪しいものばかりだ。
阿部はもう三橋に、前のような仕事はさせたくない。
そこで会社を営む自分の実家へと連れてきたのだった。
三橋は阿部の父親にありのままを語った。
群馬の祖父に疎まれている小さな娘を育てていること。
結局高校を中退してしまったこともあり、ロクな仕事がないこと。
今までは知らなかったとはいえ、法に触れる違法な店で働いていたこと。
女装して、男性客相手に性的ないかがわしい接客をしていたこと。
そうまでして守ろうとしている少女が三橋の実の娘ではないことも話した。
「これからは娘のために、人に聞かれても答えられる仕事をしたいです。」
「頼むよ。うちで使ってやって欲しいんだ」
三橋は静かにそう締めくくり、阿部が言葉を添えた。
「あのコはいったい誰の子供なんだ?」
三橋のアパートを訪ねた日、阿部は三橋を問いただした。
たまたま来ていた三橋の母親との会話を立ち聞きしてしまったからだ。
阿部の剣幕に驚いた三橋母子は、困ったように顔を見合わせた。
あの小さな少女の父親はいったい誰なのか。
だが残念ながら、その答えを知る者はいないという。
瑠里は頑として、娘の父親の名前を明かさなかったからだ。
その上妊娠した事実も隠し通した。
産むしかないし、父親もわからない。
「最初はジイちゃん、子供が産まれたら養子に出すって言ったんだ。」
立ち聞きされてもう隠せないことを悟った三橋が、観念してポツポツと話し出す。
子供がもう中絶できない時期に入ったため、三橋の祖父は養子に出すことを考えたそうだ。
だがそれを瑠里が嫌がった。
子供と引き離されたら死ぬとまで言い切ったのだ。
だから祖父は、子供の父親役として三橋を呼んだのだ。
「でも瑠里が死んで。ジイちゃん、やっぱり養子に出すって言い出して。」
瑠里がいないなら、もう子供を手元に置く必要もない。
三橋ももう瑠里と結婚する必要はない、自由にしていいと言われた。
だが三橋は、新しい命が疎まれて憎まれるのを見るのが耐えられなかった。
かくして三橋は生まれてきた子供を連れて、三橋家を離れた。
母親と同じ「瑠里」という名をつけて、愛情を注いで育てた。
「もっと早く気付くべきだったよな。」
全てを打ち明けられた阿部は、悔しそうにそう言った。
あの少女が三橋の実の子供ではないことは、よく考えればわかることだった。
なぜならあの高校3年の夏、三橋の従姉妹の瑠里の妊娠が発覚して、三橋は群馬に連行された。
その時にはもう中絶が無理だったというから、逆算すれば妊娠したのはその前の冬だとわかる。
その頃のことを思い出すと、とにかく忙しかった。
練習は夏場ほどハードではなかったが、大学受験の準備も始めていたのだ。
練習のない日は塾に行く者や、集まって勉強する者がほとんどだ。
三橋は確か家庭教師に習っており、その予習復習で一番ワタワタしていた気がする。
つまり群馬の従姉妹と妊娠はおろか、会う時間を作ることさえ出来なかったはずだ。
「っていうか、お前が消える前に教えてほしかったよ。」
さらに阿部は悔しさを込めて、そう白状した。
その当時の三橋家の様子は想像するしかない。
だが高校3年生の男子に、娘は自分で育てると決断させるほど刺々しいものだったのだ。
三橋が1人で苦しんでいたのかと思うと、つらい。
あの時の自分に何ができたかなんてわからない。
だけどどこまでも二人で頑張ろうとしただろう。
「三橋はすぐに使ってやってよ。ちょっとしたらオレも今の会社辞めるから。」
阿部は事も無げにそう付け加えた。
思わず三橋は「うえ?」と声を挙げ、阿部の父親も驚いた表情になった。
阿部の「今の会社」と言うのは、もちろん警察のことだ。
「お前もうちで働くつもりなのか?」
「まぁできれば」
「後を継ぐって意味か?」
「親父がかまわないなら、それもありじゃねーの?かなり先の話だろうけどな。」
「そりゃ願ってもないことではあるが」
阿部の父親は、息子に会社を継がせることにこだわってはいない。
それでもできれば息子のどちらかが継ぐのは、一番嬉しいだろう。
その証拠に阿部が働くと言い出した後、気難しい父の顔に喜びの色が見える。
三橋は父子の会話を不安そうな表情で聞いていた。
阿部はそんな三橋を安心させるように「辞めるのは前から考えてたことなんだ」と言い添えた。
三橋のせいで阿部が警察官を辞めるのだとは思わせたくなかった。
だが阿部が警察官を辞めようと思ったのは、三橋との再会の後だ。
篠岡千代が幼い瑠里を殺そうとしていたのに、阿部は見逃した。
警察官なら婚約者であろうと、人を殺そうとした者は逮捕するべきだ。
そのときから阿部は職業倫理と私情の狭間で悩んだ。
だがそもそも思い起こせば、阿部が警察官になったのは私情だ。
三橋を捜すことができるかもしれないという身勝手な気持ちからだった。
ならばこうして三橋と再会できた今、警察官を続ける理由は何もないように思えた。
「とりあえず三橋君には働いてもらおう。隆也も。だけど後を継ぐ話はシュンも入れて話そう。」
父親の言葉に、阿部が「サンキュ」と応じた。
三橋は畳に額を擦りつける勢いで頭を下げて「よろしくお願いします!」と声を張った。
「高校の頃、三橋はオレのことをどう思ってた?」
阿部はハンドルを握りながら、そう聞いた。
助手席の三橋は「好きだった」と短く答えた。
三橋は阿部の父親の会社への就職を決めた。
阿部も三橋より少々遅れるが、警察官を退職して父親の元で働くことになった。
無事に話がまとまった後、阿部は三橋を送る車中にいた。
あのなつかしい三橋家の実家で、三橋の両親と幼い瑠里が待っている。
「阿部君、最後の試合が終わったら、告白してくれるつもりだったでしょ?」
「気付いてたのか?」
「うん。楽しみにしてたんだよ。だけど、もう」
三橋は寂しげな微笑を浮かべると、言葉を切った。
自分の未来が真っ直ぐな道に見えていたあの頃、将来は輝いて見えた。
だが三橋は急に現れた曲がり角に翻弄されて、数奇な道を歩んだ。
もう頑張れば報われると信じていた高校生には戻れない。
「オレは今でも三橋のことが好きだよ。」
「え?」
「っていうか、今の方がもっと好きだ。お前は?」
「・・・・・・」
阿部は三橋に問いかけたが、三橋は答えない。
だがそれでよかった。
瑠里を立派に育てることが今の三橋の全てなのだ。
阿部のことを受け入れることは選択肢にないだろう。
否定されなかっただけで、充分だ。
「瑠里が成人するか、結婚するかした後、もう1度聞くよ。」
「それって、かなり先だよ?」
「一緒の職場で働いていれば、きっとすぐだよ。」
ちょうどそこで阿部の車が三橋邸に到着した。
三橋は「ありがとう」と礼を言って、車を降りる。
阿部は「またな」と声をかけると、車を発進させた。
どこまでも二人でいればいい。
同じ想いを持ち続けていれば、いつかきっと結ばれるだろう。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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