甘やか5

【触れた指先】

「やっぱり三橋だったか」
阿部はため息と共にそう言った。
いくら女のように装っても、姿形が似すぎている。
三橋は「黙ってて、ゴメンね」と悪戯っぽい笑顔で答えてくれた。

阿部が職場の先輩と一緒に訪れた店は、不思議な雰囲気を持っていた。
いわゆるゲイバーというのだろうか。
ホールで接客をするのは女装したホステス(?)で、全員が例外なく美しい。
しかもナンバーワンの「レンちゃん」は、高校の頃に姿を消した三橋にそっくりだった。

「レンちゃんって多分、オレと同じ高校だと思うんですが」
阿部は一緒に来店した先輩に、それを伝えた。
すると先輩はすかさず「レンちゃん」を指名した。
こういう店でナンバーワンを指名したら、料金はいくらになるのだろう?
少々青くなった阿部だったが、先輩は「多分、経費で落とせるさ」と楽観的だ。
確約ではなく「多分」に少々不安を感じたものの、阿部は先輩の厚意に甘えることにした。

「阿部君、指名、ありがとう」
テーブルに現れた「レンちゃん」は、阿部が何か言う前にそう言った。
気をきかせた先輩が、そっと席を立つ。
2人で話したらいいという合図だろう。
阿部は心遣いに感謝しながら、「レンちゃん」こと三橋と並んで座った。

「やっぱり三橋だったか」
阿部はため息と共にそう言った。
いくら女のように装っても、姿形が似すぎている。
三橋は「黙ってて、ゴメンね」と悪戯っぽい笑顔で答えてくれた。

「オレが来ても、驚かないんだな。」
「いろいろなことがありすぎて。もういちいち驚くの、やめちゃった」
阿部が皮肉っぽく言うと、三橋は寂しそうな笑顔で答える。
そして「お酒、作る?」と聞いてきたが、阿部は首を振った。
先輩が戻ってくるまで、さほど時間がないだろう。
飲むより先に聞きたいことがある。


「結婚したって聞いたけど」
「そのはずだったよ」
「高校卒業まであと半年だったのに。何で待てなかったんだ?」
「相手、妊娠してたんだ。」

妊娠。その言葉に阿部は殴られたようなショックを受けた。
あの当時の三橋が女と子供ができるような行為をしていたなんて、信じられない。
だがあの消え方に説明がつくような気はした。
新しい命が誕生しようとしていたから、卒業など待っていられなかったのだろう。

「相手は三星の同窓生?」
「なんで?」
「三橋のオフクロさんに群馬に帰ったって聞いた気がするから」
「イトコだよ」

イトコと言われて、阿部は思い出した。
高校1年の夏大の初戦の桐青戦で、ベンチの裏まで押しかけていた少女。
彼女は三橋の従姉妹だと、後になって聞いた。
栄口が「カワイイ」と連呼していたような気がするが、顔は思い出せない。

「そりゃまた衝撃の事実だな」
「でしょ?」
三橋は悪戯がバレた子供のように笑う。
その笑顔がカワイイと思った阿部だったが、何とか表情には出さずにすんだ。

高校の頃よりも子供っぽく見える笑顔は、店での営業用のものなのかもしれない。
そう言えば高校の頃の三橋は吃音気味だったが、それもなくなっている。
顔も声も驚くほど昔のままだが、変わってしまった部分だって少なくないはずだ。
三橋だけでなく阿部もそうなのだから。


「それにしても何でこんな仕事してるんだ?結婚したんだろ?」
そう聞いてしまってから、阿部は先程の三橋の言葉を思い出す。
結婚という問いかけに、三橋は「そのはずだった」と答えた。
それはつまり結局、結婚はしなかったということなのだろうか?

「結婚する前に、イトコ死んじゃったんだ」
「死んだ?」
「いろいろあって、オレは群馬の家、飛び出した。でも高校中退ってなかなか仕事がないんだ。」
「なるほど」

三橋は結婚せず、家族とも別れて「高校中退」という経歴の傷だけが残った。
細かいことはわからないが、そういうことらしい。
阿部や他の部員たちが普通に暮らしていた時間、三橋は波乱の人生を送っていたということなのだろう。

「連絡をくれればよかったのに。俺でなくても、田島や泉でも」
「嫌だったんだ。」
「え?」
「金に困ってる時に連絡したら『お金貸して』って言っちゃいそうで。綺麗な思い出を汚しちゃう。」
「そんなことを気にしてたのか?」
「うん。でもナンバーワンになって稼げるようになったら、もう連絡しにくくなっちゃってた。」

阿部は切ないような、じれったいような気持ちを持て余していた。
三橋の物憂げな表情や淡々とした言葉に心が痛む。
これはきっと愛しさだ。
心の奥底で燻っていた三橋への想いが、また燃え上がろうとしている。


「お前、今から店を出られないか?」
とにかく今、三橋をこの店に置いておくわけにはいかない。
阿部は声を潜めると、三橋の耳元に口を寄せてそう囁いた。
三橋は阿部の意図がわからずにキョトンとしている。

「この店は今夜で終わりだ。このままここにいたらヤバい。」
阿部はさらに早口でそう囁くと、テーブルの下で三橋の手を握った。
かつて何度も触れた指先。
だがもう指は細くなり、投球のタコも消えてしまっている。

「どういうこと?」
「オレは。。。」
阿部が自分の正体を告げようとした瞬間、阿部の肩に手が置かれる。
驚いて見上げると、席を外していた先輩が戻ってきて、阿部の隣に立っていた。

「阿部。残念だがそれは無理だ。」
「先輩」
「店内をあちこち見てきた。間違いないようだ。」
「そうですか」

阿部はガックリと肩を落とした。
何とか三橋だけは逃がしてやりたかったが、それもかなわない。
三橋がキョトンとした表情のまま「どういうこと?」と聞いた。
だが阿部たちが答える前に、店の正面入口がバンと大きな音を立てて開いた。


「警察だ!全員動くな!」
「裏も固めている!逃げられないぞ!」
怒号のような叫びが響く。
逃げようとする黒服の男や、ドレス姿の美しい青年たちの悲鳴。
混乱する客たちと踏み込んでくる警察官たち。
つい先程まで静かで落ち着いた雰囲気の店内が、一気に喧騒でパニック状態になった。

「ごめんね。レンちゃん。オレも阿部も警察官なんだ。」
阿部の相棒である先輩刑事が、三橋にそう告げた。
三橋は驚いた表情のまま、固まっている。
阿部は三橋の手を握ったまま、ガックリと項垂れた。

現在の阿部の所属は警視庁で、職業は刑事だ。
以前からこの店では、違法な薬物や銃器、時には人間まで売買されている。
そんな情報を得てから、地道に裏付け捜査を続けてきた。
今日、阿部たちがここへ来たのだって仕事の一環。
今夜のうちにこの店を一網打尽にする計画だ。
だがまさか店で三橋が働いているなんて思いもしなかった。。

「阿部君」
三橋は覚悟を決めたような表情で、阿部を呼んだ。
この店の犯罪に三橋がどこまで関わっているのかはわからない。
だがこれから警察へ連行されるのは間違いないし、事情聴取のためしばらくは帰れないだろう。
三橋はそれを理解したのだ。

「頼みがある」
三橋はさらに切羽詰った口調でそう言うと、阿部の手の中から指を引き抜いた。
そして逆に、阿部の手を包むように握ってくる。
さっきまで阿部の手の中にあったはずなのに、触れた指先はひどく冷たかった。

【続く】
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