甘やか5

【こんぺいとう】

店の名前は「こんぺいとう」。
阿部はその名前に、昔チームメイトだった1人の男のことを思い出した。
だがすぐにブンブンと頭を振ると、余計な考えを頭から追い出した。
今は仕事中なのだ。
10年前に姿を消した、そしておそらくもう会うことのない人間のことなど考える余裕はない。

大学を卒業した阿部隆也は、社会人になるのを機に野球をやめた。
学生時代の思い出の野球ばかりなのだが、今はもう球を触らなくなって久しい。
今ではプロ野球選手となった田島などには「もったいない」と言われた。
阿部ならプロでも通用するかもよ?と。

だが阿部としては悔いはなかった。
大学野球ではそこそこの成績を収めた。
何よりも一番その球を受けたい投手は、消息不明になっている。
阿部は大学の卒業と共に、野球からも卒業することにしたのだった。

就職先は東京だった。
人事の希望を聞かれれば「東京か埼玉か群馬」と言い続けた。
その動機は1つしかない。
いなくなってしまった男-高校時代に尽くした投手を捜したいと思ったからだ。
何となく彼は東京にいるような気がした。
また手がかりを掴むには、彼が馴染んでいた土地にいるのがいい。

だが社会人になってすでに5年も経つが、阿部は再会を果たせないでいる。
日々の仕事が忙しくて、とても個人的な人捜しをする余裕などできなかったからだ。
そして阿部自身はもう彼と再び逢うことをもうほとんど諦めていた。


高校3年生の最後の夏の試合は地区大会の決勝まで進んだが、あと1つ及ばず敗れた。
そしてエースである三橋廉は皆の前から消えた。

三橋は試合中も至って普通だったし、試合を終えて「ありがとう」と言った涙声にも違和感はなかった。
ただ三橋の両親が「ちょっと急用が」と言って、球場から三橋を連れ去るようにして帰ったのだ。
誰もが、群馬にいる三橋の祖父か祖母が具合が悪いのではないかと想像した。
きっとそれを試合の間は三橋に隠しており、試合が終わったので群馬にかけつけるのかと。
三橋自身は両親の剣幕にただ困惑しながら、ユニフォームのまま車に押し込まれていた。
そして車の後部座席から、窓越しに阿部や他の部員たちに手を振っていた。
それが阿部たちが三橋を見た最後だった。

夏休みの間中、三橋とは連絡が取れなかった。
携帯電話に電話をしても、メールを送っても返事がない。
阿部だけでなく誰もが同じだったようで、それほど三橋の祖父か祖母は具合が悪いのだろうかと思った。
3年生はもう引退だから不都合はないが、応答がないのは心配だった。

そして夏休み明けの学校で、部員たちは驚愕することになった。
三橋は西浦高校を退学していたのだ。
教室も部室も、三橋の荷物は綺麗に片付けられていた。
始業式で校長が、野球部の夏の大会の戦績を誇らしげに語る。
部員たちは壇上に上がって、全校生徒から喝采の拍手を受けたが、そこにエースの姿はなかった。

相変わらず電話は通じない。
阿部たちはもうすっかりお馴染みになった三橋の自宅に向かった。
だが三橋本人はおらず、母親が応対してくれた。
三橋の母親は、突然来訪した部員たちに驚きながらも歓待してくれた。
そして部員たちはもう1度、驚愕することになる。
三橋の母親は、三橋は結婚して群馬で暮らすことになったと告げたのだった。


高校時代、阿部は三橋のことが好きだった。
チームメイトとか友人としてではなく、恋愛の対象としての「好き」だ。
生まれて初めての恋の相手が男であり、しかも大事なエースであることにひどく悩んだ。
だがその前に、阿部と三橋は野球部の要であるバッテリーなのだ。
とりあえず引退するまでは、この気持ちを隠し通す。
愛だ恋だという個人的な話はその後だと言い聞かせていた。
だがそんな阿部の葛藤を嘲笑うかのように、三橋は消えてしまったのだ。

篠岡千代に告白されたのは、進学先が決まった後のことだ。
阿部と同じ大学に進学が決まった篠岡は「ずっと好きだった」と告げた。
篠岡をそういう目で見たことがなかった阿部は、困惑した。
そして次の瞬間には、悲しい想像が頭を過ぎる。
もしかして三橋も、阿部の恋心に気づいていて、困惑しただろうか?
まさか阿部の告白を恐れて、その前に姿を消したとか?
阿部は迷った挙句、篠岡の告白を受け入れた。

今にして思えば、と阿部は時々当時のことを思い起こす。
もし三橋が消えなかったら、三橋に想いを告げたかどうかは疑問だ。
卒業まで悶々と三橋のことを思い続けていたかもしれない。
それでも三橋への想いに何らかの決着をつけることはできただろう。
こんなに後味の悪い気持ちには、なっていなかったはずだ。
そして阿部は三橋への微妙な想いを心の中に燻らせながら、今も篠岡と交際を続けている。

今では阿部も、篠岡のことが好きだと思う。
恋人になって、マネージャー以外の表情を知った。
すでに何度も身体を重ねている関係だ。
だけど高校時代に三橋に抱いていたようなものとは違う。
まるで熱に浮かされるように、身も心も欲しいと思ったあの感情。
阿部は篠岡に聞きたいと思いつつ、口に出せないことがあった。

彼女は気づいているのだろうか?
阿部はかつて三橋を愛していたのだということを。
そして未だに心のどこかで、三橋のことをふっきれずにいることを。


店の名前は「こんぺいとう」。
この辺りはゲイバーやオカマバーなどの店が多いことでも有名な界隈だ。
その中でもここは「かなりクオリティが高い」と秘かに評判の店だった。
そこらの女子よりもはるかにかわいい店員は、みな男だという。

だが阿部にとってはどうでもいい情報だった。
そもそも普通に女性が接客してくれるガールズバーやらキャバクラにも興味がない。
阿部にしてみれば仕事の一環だ。
いつも組んで仕事をする先輩の命令でなければ、絶対に来ない。
それよりもつい心に浮かんでしまうのは懐かしい思い出だ。
こんぺいとうは高校時代に三橋が「好きだ」と言っていた菓子だった。

「こんぺい、とう、って。甘いし、きれいで、おいしくて、好きだ!」
高校時代の部活帰り、三橋はそう言ってコンビニで金平糖を買っていた。
三橋は部員の中では、いつも一番財布の中身には余裕があった気がする。
他の部員たちは、貴重なこづかいでどれを買おうかといつも迷っていた。
だが三橋は「これとこれ」などと無造作に買っていた。
その中に手のひらに乗るほどの金平糖が登場した日も少なくなかったと思う。

「大きな、こんぺいとう、って。いいね!」
そう言って、三橋は笑う。
聞けば三橋は中学時代には、コンビニの食べ物は禁止されていたという。
食事もおやつも、自然の素材にこだわった手作りのものが多かったらしい。
「家政婦、さんが、用意して、くれた。」
そう言う三橋は、どこか少し寂しそうだった。

「うちの、こんぺい、とうは。もっと、ずっと、小さかった。」
三橋はそう言って、不満そうに口を尖らせていた。
さすがに金平糖は手作りしていなくて、贔屓にしている和菓子屋のものだとも。
きっと上質な砂糖から作られた高級品なのだろう。
それよりもコンビニにある安価な金平糖の方が、大きくて美味いのだと三橋は笑っていた。

「よし、行くぞ!」
先輩に威勢よく声をかけられて、阿部は我に返った。
感傷に浸っている場合ではなく、これは仕事だ。
阿部はスッと息を吸い込むと、先輩の後に続いた。


「こんぺいとう」はやはり客が多かったが、予約なしでもどうにか2名分の席は確保できた。
テーブルに座った阿部は、渡されたメニューに料金がしっかりと書かれているのを見てホッとする。
いわゆるボッたくる店ではなくて、一応明朗な会計をしてくれそうだからだ。
2人分の飲み物と軽いつまみを注文して「ご指名は?」という問いには「特にない」と答えた。

そして店内を見回す。
店内はそこそこ広く、多分テーブルは20くらいだ。
いずれも数人座れるから、おそらく100名程度は収容できるだろう。
どう見ても女性にしか見えない従業員は、全員細身で綺麗な身体の線を露出させたドレスを着ている。
先輩は目を驚きに見開き「かわいい」を連発した。
阿部たちのテーブルにも、可愛らしいホステスが1人ついた。
話し上手な彼女(?)は飲み物を作ったり、話を盛り上げたりと如才ない。

阿部たちの隣のテーブルは、阿部たちより後に入店した年配の2人組の客がいた。
どうやら指名した店員がなかなか来ないようだ。
阿部たちのテーブルにいる店員に、何度も声をかけてくる。
そのたびに彼女は「あのコは人気があるから。ゴメンナサイね」と笑った。

「お隣さんのご指名のコは、可愛いの?」
「うん、レンちゃんはうちのナンバーワンだよ。」
先輩がそう聞くと、彼女は笑って頷いた。
阿部はそれを聞いて、今日何度目かわからない苦笑をもらした。
こんぺいとう。レンちゃん。今日は徹底して三橋を思い出す日のようだ。

「お待たせしました。レンです。」
隣のテーブルの前で、水色のドレスの店員が深々と頭を下げた。
阿部はナンバーワンの「レンちゃん」を一目見ようと、そちらに視線を向けた。
そして今日一番の衝撃を、ここで受けることになった。

キャラメル色のフワフワした髪、大きな瞳、白い肌、細い身体。
うっすらと化粧もしているが、見間違えようがない。
そこにいたのは、あの夏の日に見事に消えてしまった少年。
噂の「レンちゃん」は阿部が高校時代に恋焦がれたエースである三橋廉と瓜2つだった。

だが「レンちゃん」は阿部たちの視線に気づくと、ニッコリと笑った。
それは完璧に営業用の笑顔だ。
そしてすぐに自分のテーブルの客に「お待たせしてごめんなさい」とまた笑う。

そして人気ナンバーワンの魅力は、破壊力満点だ。
高校時代には見たことがない大輪の花が咲くような笑顔。
露出が多い身体は筋肉などなく、抱きつぶしたくなるほど華奢だ。

なぜ結婚すると言って消えた三橋がここにいる?
しかもどうして阿部を見て、まったく知らない者のように笑う?
まさか別人なのだるか?
いや顔も声も、こんなにもそっくりな他人などありえない。
阿部は言葉もなく、艶やかに笑う「レンちゃん」こと三橋の横顔を、じっと見ていた。

【続く】
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