恋の歌10

【だいすきっ!】

「おめでとう~♪」
「篠岡、綺麗だなぁ!」
「水谷にはもったいない。止めるなら今だぞ!」
店内にかつてのチームメイトたちの明るい声が響いた。

今日、阿部と三橋のカフェで、水谷文貴と篠岡千代の結婚式が行なわれた。
参列するのは、新郎新婦の親族と三橋たちの学年の元野球部員、そして百枝と浜田だ。
料理やウエディングケーキはすべて三橋と阿部が用意した。
式次第は花井たち元部員が企画し、進行する。

篠岡が着ているウエディングドレスは浜田の手製だ。
ドレスと言っても、一般的なものよりかなり簡素で、むしろワンピースに近い。
ブーケは田島の実家の畑の空いたスペースで育てている季節の花々だ。
普段は野菜同様、カフェで店内装飾用に譲り受けている。
昨日篠岡本人が田島の実家に出向き、手ずから集めて作ったブーケだ。
水谷の姉が、篠岡にメイクを施した。
何もかも手作りだが、心がこもった式だ。

設えられた新郎新婦の席で、水谷が篠岡の入場を待つ。
父親を腕を組んで進む篠岡を見て、水谷は涙ぐんでいた。
結婚式の極意は、新郎新婦の両親を感動させること。
式のプログラムを作る係のメンバーたちは、ネット等でいろいろ調べたそんな文章を見た。
だからターゲットは両親だ、と思っていたのに。
誰よりも先に感極まって「千代!だいすきっ!」と口走る水谷に、部員たちは苦笑した。


手作りの式が終わり、そのまま披露宴に突入すると、阿部と三橋の出番だ。
スーツを脱ぎ捨て、すばやくカフェのユニフォームに着替える。
すでに下準備は済ませている。
三橋はコンロに火を入れて調理を開始し、出来上がった料理を阿部が運ぶ。
阿部がキッチンに戻ると、間髪入れずに出来立ての料理が出される。
かつてのバッテリーは、見事なコンビネーションだ。

「三橋もすっかりシェフだし、阿部もギャルソンが板についたね。」
キッチンに近い席だった栄口が、感嘆と共に言った。
隣に座る巣山が「そうだな」と同意した。
「次は巣山じゃないの?」
栄口が茶化すように、冗談めかして言った。
かつて惹かれていた時期もあったし、今にして思えばまだわだかまっていた。
だから栄口はこのカフェに顔を出すことはあっても、同窓会の類はすべて欠席だ。
近況は他の部員たちに聞くこともあるが、面と向かい合うのは久しぶりだった。

「別れたんだ。だから次はオレじゃないな。」
「え?いつ?」
「先週。」
結婚式の席ではあまりにふさわしくない話題だった。
栄口は言うべき言葉が見つからず、黙り込む。
「フラれたんだ。何か見透かされちゃって。本当は誰が好きなの?って責められた。」
「え?」
驚いて巣山の顔を見た栄口は、真っ直ぐに自分を見ているその視線に狼狽する。
今日から始まる新しい物語の予感が、2人の胸を熱くした。


「いろいろありがとうね。」
「あ、いいえ。」
百枝が隣に座る男に礼を言った。
自分の結婚披露パーティの幹事だった花井への感謝の言葉だ。

「その後、新婚生活はどうですか?」
「うん、良好だよ。」
先日はゆるく垂らしていた髪を、今日は後ろで束ねている。
それ以外は何も変わることがない百枝だった。
着ている薄いピンクのスーツまで同じだ。
「スーツなんてめったに着ないから、何着も買うのもったいなくて。」
そう言って笑う豪快さも、美しさも、花井を惹きつけてやまない。

「もしご主人と別れるようなことがあったら、連絡くれませんか?」
「え?」
「その時、オレがまだ今と同じ気持ちだったら、オレは。」
花井が切り出した、可能性のほとんどない未来の約束。
百枝には伝わったようだ。

「多分来ないよ。そんなの。」
「ですよね。」
「でももし万一あったら、絶対に連絡する。」
百枝がそう言って、艶やかに笑う。
花井はようやく伝えることが出来た想いに、区切りを付けられたような気がした。


「三橋君、これ。」
結婚式兼披露宴が無事に終わった後、篠岡が三橋に差し出したのは手作りのブーケだった。
教会や結婚式場であげる式なら、ブーケトスというセレモニーがあるのだろう。
だが狭い店内であるし、そもそも出席する女性は百枝や水谷の姉も含めて、全員既婚者だ。
だからブーケは、カウンターにずっと飾られていたのだ。
せっかくの記念だし、篠岡が持って帰るものだと思っていたのに。

「花嫁のブーケは、もらった人が次に幸せになるんだよ。」
そう言って、篠岡は三橋の手にブーケを押し付けた。
「え、でも、それなら」
それならなおのこと、もらえない。
慌てて篠岡にブーケを返そうとした。

「三橋君にもらってほしいの。」
篠岡はそう言って、ほんのりと笑う。
「いろいろあって、この先も大変だと思うけど。でも幸せになってほしい。」
「あ、あり、がと。」
篠岡の言葉が、温かく心に沁みる。
この先苦難も波乱も多かろう阿部と三橋の恋に幸あれと祈ってくれるのだ。

三橋がブーケを腕に抱き、涙を浮かべながら微笑んだ瞬間。
一斉に携帯電話のカメラのフラッシュが光り、シャッター音が響いた。
事の成り行きを見守っていた部員たちが、泣き笑いの三橋をカメラに収めたのだ。

「勝手に撮るな!消せ!」
「やだね!三橋、可愛いんだもん。」
阿部と部員たちの掛け合いを最後に、幸せな結婚式は幕を下ろした。


「もう一度、両方の実家に挨拶に行かないか?」
片付けも終わって、掃除や翌日の営業の準備も終わったカフェ。
阿部と三橋は窓際の席に向かい合って、寛いでいた。
阿部はノンカフェインのコーヒー、三橋はホットミルクを飲んでいる。
静かな夜の甘いひととき、阿部はおもむろに口を開いたのだった。

「あいさつ」
「そう。ちゃんと最初から話をするんだ。わかってもらえるかどうかはわかんないけど。」
阿部は穏やかに話し続ける。
最初は誰も認めてくれない恋だった。
でも1人、また1人と部員たちは理解してくれて、今は同じ学年の全員が許してくれる。
親たちだって、そうだ。
最初は田島の両親や祖父母が、野菜を分けてくれた。
今日も水谷や篠岡の親族は屈託のない笑顔で、今日の挙式の礼を言ってくれた。
こうやって、少しずつ、少しずつ、わかってもらおう。

「阿部、君。だいすきっ!」
三橋は喜びのあまり、そう叫んでいた。
問題はたくさんある。
親のこと、シュンの結婚のこと、ネットの書き込みだってまだ完全に沈静化していない。
でも2人で一緒に乗り越えていこう。

「オレも大好きだよ、三橋。」
阿部と三橋は、顔を見合わせて笑う。
そして飲み終えたカップを片付けると、2階の居室へと向かった。
2人で抱き合って、眠るために。

【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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