恋の歌10
【ずぅっと一緒】
ただ三橋とずぅっと一緒にいたいだけ。
それだけのことが、どうして伝わらないのだろう。
阿部は泣きたいような気持ちを押し隠しながら、歩き続けた。
阿部は久しぶりに、実家に帰って来た。
最後に帰ったのは、もう何年も前のことだ。
花井と巣山と栄口、いつもより多い人数がカフェに助っ人に来られる日。
その日を狙って、休みを取ったのだ。
事前に連絡して「話があるから」とだけ伝えてある。
実家では阿部の両親、弟、そして弟の婚約者である女性が待っていた。
和室の客間には、座卓が出されていた。
阿部は、上座にどっかりと腰を下ろした父親の正面に座る。
勝手知ったる実家が、ひどくよそよそしい感じがする。
生まれ育った家であり、特に何も変わったこともない実家なのに。
まるで道ならぬ恋に落ちた阿部を拒絶しているようだ。
母親が人数分の茶を盆に載せて、客間に入っていた。
それに続いて入って来たのは、シュンとその婚約者だ。
2人が並んで、座卓の空いている一辺に寄り添って座る。
母は茶を配り終わると、父の隣に腰を下ろした。
「オレ、籍を抜くことにしたから」
阿部は前置きもなく、単刀直入に切り出した。
シュンが「え?」と小さく呟き、母は「どうして」と声を荒げた。
父親だけが腕組みをして、じっと阿部を見据えている。
「籍を抜いて、縁を切って、2度とここにも来ないし、もう会わない。」
阿部は感情のこもらない声で、そう言った。
阿部だって、生んで育ててくれた両親には感謝している。
いつかは三橋とのことを認めてもらって和解したいと思っていた。
だがそうやって中途半端に先延ばししたせいで、三橋を傷つけた。
シュンの結婚はいい機会だ。
阿部は三橋と生きるために、家を捨てる覚悟だった。
「で、三橋君とずぅっと一緒にいるつもりか。」
ようやく父親が口を開いた。
阿部は「そうだよ」と短く答えた。
「籍を抜いて、家から逃げるつもりか。」
父親の目は、阿部を責めている。
昔からこの父はそうだった。
何かを阿部に教えるとき、直接答えを教えず、わざと怒らせるようなことを言う。
「どう思ってくれてもいい。とにかく決めたことだ。」
「そうやって逃げるんだな。お前は相変わらずだ。」
言うべきことは言ったし、阿部はさっさと帰ろうと腰を浮かせていた。
だが父親の言葉に、もう一度座り直す。
「三橋とのことは何度も話したよな。だけどわかってくれないじゃないか。」
阿部は声を荒げそうになるのを、懸命に抑えた。
ここへ来るのも、親に会うのも最後のつもりだから、喧嘩で終わりたくない。
「どうして三橋君なの?普通のお嬢さんと普通に恋愛して、結婚できないの?」
今度は母親が、身を乗り出して訴える。
母親のこの言葉も何度聞いたかわからない。
そして阿部が「普通って何なんだよ」と言い返すのも、常だった。
「何度言われても、オレは三橋と離れた人生なんて考えられない。」
「そんなの最初のうちだけよ。少し我慢すれば忘れられるわ。」
母親の声が涙を含んでいる。
ここでせめて「ごめんなさい」とでも言えれば、まだいいのかもしれない。
だが言ってしまえば、三橋との恋愛が悪いことになってしまう気がするのだ。
だから阿部は、どうしても謝罪する言葉を言うことが出来ないでいた。
「そうやってみんなを傷つける。お前のせいでシュンの縁談だって」
父親がそう言うのを聞いて、阿部は「だから」と口を挟んだ。
シュンの話になったら、怒りを爆発させてしまいそうだからだ。
「だから戸籍を抜く。シュンの結婚は邪魔しないよ。」
阿部はそう言って、今度こそ立ち上がろうとした。
だが父親と弟が、容赦なく追い討ちをかける。
「普通の恋愛も出来ないし、家族ともうまくいかない。お前は本当にダメだな。」
「そうやって兄さんのとばっちりは、いつもオレだ。」
その言葉についに阿部は切れた。
「お前、三橋に会って別れてくれって言ったろ?」
急に怒りの口調に変わった兄に、弟が一瞬驚いた表情になった。
「オレは言いくるめられないけど、気の弱そうな三橋なら大丈夫と思った?」
「それは」
「お前はいつもそういう姑息なことばっかりしてたよ。」
阿部はそう言いながら、鞄から1枚の紙片を取り出した。
いつか栄口が持ってきてくれたネットの書き込みだ。
「オレの店の悪口をネットに書き込んだヤツがいる。売り上げダウン。業務妨害だ。」
これ以上は言ってはいけない、と阿部の心の冷静な部分が警告している。
だが止まらなかった。
「警察に届けるつもりだ。IPアドレスを特定すれば、書き込んだ犯人は逮捕されるだろう。」
これはハッタリだった。
この程度のことで警察が動いてくれないと思うし、そもそも届けるつもりもない。
だがシュンの隣にすわる女性が、目に見えて狼狽している。
そしてシュンはその彼女を驚いた様子で見ていた。
これでわかった。
書き込みの犯人は彼女であり、シュンは知らなかったのだろう。
「オレは周りを巻き込んでいるけど、陥れるようなことはしてない。」
阿部は決然とした口調で、そう言った。
「この2人が普通だというなら、オレは普通の恋愛なんかしたくもないよ。」
阿部は最後にそう言い捨てると、今度こそ席を立ち、実家を出た。
阿部は重い足取りで、店に戻ろうとしていた。
楽しい会見になるとは思っていなかったが、言わなくてもいいことまで言ってしまった。
しかもこれから結婚しようというシュンと彼女に、呪詛のような言葉を。
何を言われても、聞き流していればよかったのに。
今さら腹を立てて切れるなんて、まるで子供だ。
大人になれていないのだ。
阿部は歩きながら、携帯電話を取り出した。
シュンに一言フォローを入れておこうと思ったのだ。
だがメールの画面を開いたものの、打つべき言葉が思いつかない。
結局諦めて、携帯電話を閉じた。
ただ三橋とずぅっと一緒にいたいだけ。
それだけのことが、どうして伝わらないのだろう。
好きで好きで一生一緒にいたいと思った相手が、たまたま同じ男だった。
それはここまで責められなければいけないことなのだろうか。
阿部は泣きたいような気持ちを押し隠しながら、歩き続けた。
何があっても三橋を愛して、守る。
そのためなら、親や弟を傷つけることも辞さない。
阿部は歩くスピードをかすかに速めた。
カフェに戻って、早く三橋の笑顔を見たい。
きっとこんなに悲しい気分を、吹き飛ばしてくれるはずだ。
【続く】
ただ三橋とずぅっと一緒にいたいだけ。
それだけのことが、どうして伝わらないのだろう。
阿部は泣きたいような気持ちを押し隠しながら、歩き続けた。
阿部は久しぶりに、実家に帰って来た。
最後に帰ったのは、もう何年も前のことだ。
花井と巣山と栄口、いつもより多い人数がカフェに助っ人に来られる日。
その日を狙って、休みを取ったのだ。
事前に連絡して「話があるから」とだけ伝えてある。
実家では阿部の両親、弟、そして弟の婚約者である女性が待っていた。
和室の客間には、座卓が出されていた。
阿部は、上座にどっかりと腰を下ろした父親の正面に座る。
勝手知ったる実家が、ひどくよそよそしい感じがする。
生まれ育った家であり、特に何も変わったこともない実家なのに。
まるで道ならぬ恋に落ちた阿部を拒絶しているようだ。
母親が人数分の茶を盆に載せて、客間に入っていた。
それに続いて入って来たのは、シュンとその婚約者だ。
2人が並んで、座卓の空いている一辺に寄り添って座る。
母は茶を配り終わると、父の隣に腰を下ろした。
「オレ、籍を抜くことにしたから」
阿部は前置きもなく、単刀直入に切り出した。
シュンが「え?」と小さく呟き、母は「どうして」と声を荒げた。
父親だけが腕組みをして、じっと阿部を見据えている。
「籍を抜いて、縁を切って、2度とここにも来ないし、もう会わない。」
阿部は感情のこもらない声で、そう言った。
阿部だって、生んで育ててくれた両親には感謝している。
いつかは三橋とのことを認めてもらって和解したいと思っていた。
だがそうやって中途半端に先延ばししたせいで、三橋を傷つけた。
シュンの結婚はいい機会だ。
阿部は三橋と生きるために、家を捨てる覚悟だった。
「で、三橋君とずぅっと一緒にいるつもりか。」
ようやく父親が口を開いた。
阿部は「そうだよ」と短く答えた。
「籍を抜いて、家から逃げるつもりか。」
父親の目は、阿部を責めている。
昔からこの父はそうだった。
何かを阿部に教えるとき、直接答えを教えず、わざと怒らせるようなことを言う。
「どう思ってくれてもいい。とにかく決めたことだ。」
「そうやって逃げるんだな。お前は相変わらずだ。」
言うべきことは言ったし、阿部はさっさと帰ろうと腰を浮かせていた。
だが父親の言葉に、もう一度座り直す。
「三橋とのことは何度も話したよな。だけどわかってくれないじゃないか。」
阿部は声を荒げそうになるのを、懸命に抑えた。
ここへ来るのも、親に会うのも最後のつもりだから、喧嘩で終わりたくない。
「どうして三橋君なの?普通のお嬢さんと普通に恋愛して、結婚できないの?」
今度は母親が、身を乗り出して訴える。
母親のこの言葉も何度聞いたかわからない。
そして阿部が「普通って何なんだよ」と言い返すのも、常だった。
「何度言われても、オレは三橋と離れた人生なんて考えられない。」
「そんなの最初のうちだけよ。少し我慢すれば忘れられるわ。」
母親の声が涙を含んでいる。
ここでせめて「ごめんなさい」とでも言えれば、まだいいのかもしれない。
だが言ってしまえば、三橋との恋愛が悪いことになってしまう気がするのだ。
だから阿部は、どうしても謝罪する言葉を言うことが出来ないでいた。
「そうやってみんなを傷つける。お前のせいでシュンの縁談だって」
父親がそう言うのを聞いて、阿部は「だから」と口を挟んだ。
シュンの話になったら、怒りを爆発させてしまいそうだからだ。
「だから戸籍を抜く。シュンの結婚は邪魔しないよ。」
阿部はそう言って、今度こそ立ち上がろうとした。
だが父親と弟が、容赦なく追い討ちをかける。
「普通の恋愛も出来ないし、家族ともうまくいかない。お前は本当にダメだな。」
「そうやって兄さんのとばっちりは、いつもオレだ。」
その言葉についに阿部は切れた。
「お前、三橋に会って別れてくれって言ったろ?」
急に怒りの口調に変わった兄に、弟が一瞬驚いた表情になった。
「オレは言いくるめられないけど、気の弱そうな三橋なら大丈夫と思った?」
「それは」
「お前はいつもそういう姑息なことばっかりしてたよ。」
阿部はそう言いながら、鞄から1枚の紙片を取り出した。
いつか栄口が持ってきてくれたネットの書き込みだ。
「オレの店の悪口をネットに書き込んだヤツがいる。売り上げダウン。業務妨害だ。」
これ以上は言ってはいけない、と阿部の心の冷静な部分が警告している。
だが止まらなかった。
「警察に届けるつもりだ。IPアドレスを特定すれば、書き込んだ犯人は逮捕されるだろう。」
これはハッタリだった。
この程度のことで警察が動いてくれないと思うし、そもそも届けるつもりもない。
だがシュンの隣にすわる女性が、目に見えて狼狽している。
そしてシュンはその彼女を驚いた様子で見ていた。
これでわかった。
書き込みの犯人は彼女であり、シュンは知らなかったのだろう。
「オレは周りを巻き込んでいるけど、陥れるようなことはしてない。」
阿部は決然とした口調で、そう言った。
「この2人が普通だというなら、オレは普通の恋愛なんかしたくもないよ。」
阿部は最後にそう言い捨てると、今度こそ席を立ち、実家を出た。
阿部は重い足取りで、店に戻ろうとしていた。
楽しい会見になるとは思っていなかったが、言わなくてもいいことまで言ってしまった。
しかもこれから結婚しようというシュンと彼女に、呪詛のような言葉を。
何を言われても、聞き流していればよかったのに。
今さら腹を立てて切れるなんて、まるで子供だ。
大人になれていないのだ。
阿部は歩きながら、携帯電話を取り出した。
シュンに一言フォローを入れておこうと思ったのだ。
だがメールの画面を開いたものの、打つべき言葉が思いつかない。
結局諦めて、携帯電話を閉じた。
ただ三橋とずぅっと一緒にいたいだけ。
それだけのことが、どうして伝わらないのだろう。
好きで好きで一生一緒にいたいと思った相手が、たまたま同じ男だった。
それはここまで責められなければいけないことなのだろうか。
阿部は泣きたいような気持ちを押し隠しながら、歩き続けた。
何があっても三橋を愛して、守る。
そのためなら、親や弟を傷つけることも辞さない。
阿部は歩くスピードをかすかに速めた。
カフェに戻って、早く三橋の笑顔を見たい。
きっとこんなに悲しい気分を、吹き飛ばしてくれるはずだ。
【続く】