恋の歌10

【泣きたいくらいの優しさ】

「レンレン!」
ほとんど叫ぶような声と共に、店の扉が乱暴に開かれた。
阿部はそのタイミングの悪さに、思い切り顔を顰めてしまった。

カフェはちょうど午後のランチタイムの時間だった。
店内は満席で、店の前には並んで待っている客もいる。
しかもこの時間、三橋は仮眠を取っていた。
顔色が悪く、足元がフラついていたので、少し眠るようにと阿部が命じたのだ。

三橋の体調不良の理由は、明白だった。
水谷と篠岡の結婚式と、百枝の結婚祝いのパーティのためだ。
この店のメニュー担当である三橋は、連日閉店後にパーティメニューの準備をしている。
美味いだけでは駄目だ。
新しい人生の門出になるのだから、華やかさやインパクトが必要だ。
三橋は毎日試行錯誤しながら、メニューを考え、試作する。

深夜まで営業する店であるから、閉店後の作業は明け方までかかってしまう。
それでも三橋は、まるで取り憑かれたようにメニュー作りを止めない。
本当は阿部も手伝いたいところだが、何と言ってもカフェは客商売なのだ。
この店に足を運ぶ客のためにも、2人して倒れるわけにはいかない。
だから今日はアルバイトの人数を増やした。
そしてランチの仕込みを終えた三橋を、居室に追いやったのだ。


「レンレン、どこなの?」
鬼の形相で店の扉を開けた人物は、客席からズカズカとキッチンまで足を踏み入れた。
そして阿部を見つけると「廉は?」と責めるように聞いてくる。
夜の営業まで、三橋をゆっくり休ませてやりたかったのに。
でも彼女-瑠里の様子を見る限り、それは無理のようだ。

「その辺に座ってて。ランチタイムが終わったら起こすよ。」
「寝てるの?」
「体調悪いんだよ。さっき休んだばかりでさ。」
「いい。起こす。」
「それ以上勝手なことすると、つまみ出すぞ。」
阿部は低いけど、はっきりと言った。
ランチタイムの店で騒動を起こし、キッチンにさえ押し入ってきた。
そんな無礼を許すのは、彼女が三橋の従姉妹だからだ。
口調こそ穏やかだが、阿部が怒っているのが伝わったのだろう。
瑠里は黙って、キッチンの端に立てかけてあったパイプ椅子を広げて、腰掛けた。

阿部は黙って注文の料理を作り上げていく。
アルバイト店員が、テキパキとそれらを運んでおり、店内は平静を取り戻した。
それにしても、彼女はどうして三橋に腹を立てているのだろう?
阿部もそうだが、三橋も同性同士の恋愛が知られた時点で、もう身内からは勘当状態だ。
最近瑠里と直接会うような時間もなかっただろうに。

阿部は慌てて首を左右に振ると、料理に集中することにした。
包丁や火を使っているのだし、真剣に集中しないと味に影響する。
それは阿部や三橋がアルバイト時代、料理を教えてくれた前任の担当者の教えだ。


「で?これはどういうことなの?」
カフェの店舗の2階の三橋の部屋。
仮眠から起こされたばかりの三橋は、もう露骨に寝起き、まだ半分呆けている状態だった。
元々癖のある髪は跳ねまくっているし、目は焦点が合わないどころか、開いてもいない。
そんな状態でベットに腰掛けている三橋の前に、瑠里が椅子を持ってきて、向かい合って座った。

瑠里はそれでも構わずに、持っていたトートバックから1枚の紙片を取り出した。
それは結婚披露宴の出欠を知らせるハガキだった。
水谷や百枝と同じく、もうすぐ瑠里も結婚する。
三橋も披露宴の招待状をもらったのだが、三橋は出席しないと返事をしたのだった。

「何で欠席なのよ!いくらお店が忙しいにしても1日くらい!」
「ち、がう。」
瑠里の剣幕に覚醒した三橋が言った。

子供の頃から、瑠里はいつも怒っていると三橋は思う。
瑠里との思い出を辿ると、心に浮かぶのはいつも怒り顔だ。
幼少のころは、それが怖くもあり、鬱陶しくもあった。
だが今ならわかる。
瑠里の怒りは、三橋への親愛の裏返し。
隠すことなく感情をぶつけるのは、三橋を信頼して、甘えているからだ。

どんなときでもありのままの感情を隠さず、本音で接してくれる。
今の三橋にとっては、泣きたいくらいの優しさだ。


「この前、阿部君の弟に、会ったんだ。」
誰にも内緒で、と前置きして、三橋は話し始めた。

阿部の弟、シュンに会ったこと。
シュンが結婚する相手の両親が、身内に同性愛者がいることでその結婚に反対していること。
三橋に阿部と別れてほしいと告げたことを。
でも誰に恨まれても、敵に回しても、絶対に別れられないことを。
瑠里は驚きのあまり、言葉も出ない様子だった。

「だから、瑠里の、結婚披露宴、には、出ない。」
「叶は、阿部君の弟さんとは違うわ。」
瑠里は婚約者の名を上げて、反論する。
だが三橋は静かに首を振った。

「叶君は、よく、ても。叶君の、親とか、親戚、友だち。全員、違う、って、言える?」
「それは。。。わからない。」
「だから、行けない。ごめん、ね。瑠里」
「レンレン」
「でも。行けなく、ても。瑠里と、叶君、の幸せ、祈ってる。」
そこまで言ったところで、瑠里が三橋に抱きついた。
瑠里はポロポロと涙をこぼしながら、声を上げて泣いている。
三橋は瑠里の背中をあやすように、ポンポンと叩いた。
そして「レンレン、って、言うな」と涙声で呟いた。


三橋の部屋の前で息を潜めて立っていた阿部もまた、涙をこぼしていた。
数日前から、三橋が何となく元気がないとは思っていた。
さりげなく「何かあったか?」と聞いたりもしたが、三橋は何も言わない。
そういうときの三橋は、思いのほか頑固なのだ。
言わないと決めたら、どうでも口を割らないだろう
そんなときに現れた三橋の従姉妹、瑠里。
ひょっとして彼女相手なら、何か言うのかもしれない。
だからこっそりと、2人が話す部屋の外で、立ち聞きしていたのだ。

シュンが三橋に「別れろ」と言ったのは、初耳だ。
実家とはすっかり疎遠だが、結婚するという話は聞いていた。
だが相手の親云々という話は、知らなかった。
それより驚いたのは、三橋がそれを拒否したという事実だ。
誰に恨まれても、敵に回しても、絶対に別れられない。
三橋は、はっきりとそう言った。
それほどの覚悟で、阿部と生きることを選んでくれたのだ。

それなのに、何も言わずに1人で泣いている。
阿部を悲しませないように、つらいことを見せないように。
それが阿部が愛した恋人、三橋廉の愛情。
泣きたいくらいの優しさだ。

阿部はそっと涙を拭うと、足音を忍ばせて部屋から離れた。
今は幼馴染と従姉妹の幸せを祈る三橋の邪魔をしないためだ。

【続く】
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