始まり終わりの7題
【え…?なんで…?】
今日は百枝の都合で、練習が休みだった。
そして三橋の通院日でもある。
記憶障害の治療のために、今も三橋は定期的に心療内科の診察を受けている。
おそらくは通院日を練習休みの日に合わせたのだろう。
そして阿部は今、群馬へ向かう電車に揺られている。
最近の三橋は、随分落ち着いている。
阿部や他の部員たちが、辛抱強く接した成果の賜物だろう
三橋は正真正銘のエースで、大事な友人であると、事あるごとに言い続けた。
三橋ももうあの「スイッチ」を使うことはなくなった。
傍から見れば、もう完全に三橋は記憶を失う前の状態に見えているかもしれない。
だが部員たちは、そうは思っていなかった。
三橋は記憶を失ってから、もうずっと笑っていないからだ。
ボールを投げていても、部員たちと話をしていても、その顔に笑みはない。
部活の時には指示をよく聞いて、投球の調子は少しずつだが上向いている。
教室でもちゃんと話は聞いているし、話を振れば一生懸命に言葉を紡ぐ。
だが口元に懸命に笑みを浮かべようとはしているが、目は笑っていないのだ。
あの大きな瞳は、いつも迷子のような不安げな色を浮かべて揺れている。
いつになったら三橋の記憶は戻るのだろう?
部員たちの誰もがそう思っている。
阿部ももちろん、早く三橋の記憶が戻ればいいと思う。
三橋は勇気を振り絞って、三星を出て、西浦で頑張っている。
そんな大事な記憶が三橋から抜け落ちてしまったままなんて、悲しすぎる。
少しでも何かの手がかりになるかもしれない。
考えた阿部は、中学時代の三橋を知る人物に会いに行くことにしたのだった。
「よぉ、遠かったろ?」
阿部が駅を降りて指定された改札口を出ると、背後から声をかけられた。
声をかけたのは、三橋の幼馴染にして三星の投手である叶。
そしてその横には、三星の捕手であり、阿部が一番話を聞きたい相手である畠が立っていた。
「悪いな、いきなり連絡して、無理言って」
阿部はこっそりと三橋の携帯電話を拝借して、叶の携帯番号を調べた。
そして叶に電話をかけて、畠を含めた3人で話をしたいと告げたのだ。
3人で駅前にあるチェーン店のファミリーレストランに入った。
ボックス型のシートに叶と畠が並び、その正面に阿部が座る。
そして注文もそこそこに、阿部は話を切り出した。
練習試合の帰り道のバスで事故があり、頭を打った三橋の記憶の一部が消えてしまったこと。
消えてしまったのは、三橋らが中学2年のときの三星野球部のバス事故以降であるということ。
叶と畠は驚いた表情で、阿部の話を聞いていた。
「オレらの中学ん時の事故は、学校のバスでさ。確か子供が飛び出してきたんだったかな?」
叶の言葉に畠が「ああ」と頷く。
「バスは急ブレーキをかけて、でもたまたま何人かが席を立っててさ、倒れたんだ。」
「その時に、三橋はどうしてた?」
なおも言葉を続ける叶に、阿部は身を乗り出すようにして問いかける。
「三橋?どうだったかな?怪我はしてなかったはずだ。そもそも事故ってほどの話じゃねぇし。」
「だけど今の三橋は、どうもその事故を引きずってる気がすんだよ。」
そう言って、阿部はまだほとんど言葉を発していない畠を見た。
「多分、オレのせいだ。」
阿部の視線を受けた畠が、ようやく口を開いた。
そのとき三橋も叶も畠も中学生だった。
試合の帰り道のバスの中。
三橋は一番後ろの席に、ポツンと座っていた。
そこは何となく三橋の指定席になっており、その横はいつも空席だった。
叶は前の方の席で、隣に座った別の部員と、話をしていた。
畠は別の部員たちと、野球雑誌を回し読みしていた。
そして畠が読みたい記事を読み終わり「次、貸して」と手を上げた部員がいて。
2人は雑誌を受け渡ししようと、席を立った。
三橋はその時、たまたまいつも持っているボールをいじっていた。
それが手からこぼれてしまい、通路に転がったので、拾おうとして立ち上がった。
その瞬間、バスは急停車したのだった。
ふらついた畠は、三橋にぶつかり折り重なるようにして倒れた。
もう1人、雑誌を受け取ろうとしていた部員は座席の肘掛に腕をぶつけて「痛ぇ!」と声を上げた。
バスに乗っていたほとんどの者は、何が起きたかと前方を見た。
あるいは「痛ぇ!」と叫んだ部員に「大丈夫か」と声をかけた。
畠はすぐに立ち上がって「オレ平気」と言ったし、部員たちは三橋のことなど注目しなかった。
立ち上がった三橋は、自分の右腕を覗き込むようにしていた。
嫌っているとはいえ、三橋をクッション代わりにしてしまった。
畠はさすがに気が咎めて、横目で三橋の様子を見ていた。
だがどうやら腕を擦りむいただけのようだった。
畠はほっとしたが、次の瞬間には怒りがこみ上げてきた。
もし三橋がここで大きな怪我をしていたら、叶が投げられるのに。
どうして擦りむいただけなんだ。
さすがにバス事故まで三橋のせいだなどというつもりはない。
だがほとんど無傷の三橋に、理不尽な怒りが湧いたのだ。
その怒りを自覚した瞬間、畠は腕を伸ばして、三橋の手首を掴んでいた。
「はた、け、くん?」
三橋は手首を掴まれた瞬間、ビクリと身体を震わせた。
そして畠をじっと見ている。
小心な三橋は、畠に腕を掴む理由を聞くことも、振り払うこともできなかった。
「折れてりゃよかったのに。」
畠は三橋にだけ聞こえるような小声で、はき捨てるように言った。
「お前さえいなければ。」
三橋の目が、驚きで大きく見開かれた。
「このまま折っちまうか?」
畠は本気でそう思った。
それを声に出して言ったかどうか、畠自身は憶えていない。
だが三橋には、腕を追ってしまおうかと畠が本気で考えていることが伝わったと思う。
「三橋、畠、どうした?」
バスの後ろの2人に気づいた引率の教師が、声をかけてきて、畠は慌てて手を放した。
「三橋、手を擦りむいたみたいっす。」
畠は無愛想にそう言って、自分の席へと戻る。
2人の間に走った一瞬の緊張は、誰に知られることもなく消えた。
「何で、そんなこと」
畠の話を聞き終えた阿部は、怒りに声を震わせていた。
テーブルをはさんでいなかったら、掴みかかっていたかもしれない。
畠の横に座る叶は「知らなかった」と呆然とした表情だ。
「誰も気づかなかったし、三橋も誰にも言ってないみたいだからな。」
眉根を寄せた畠が、搾り出すようにそう言った。
「三橋は叶にだって負けない、いい投手なんだ。お前ら何で認めてやらなかったんだよ!」
阿部は声を荒げて、テーブルを叩いた。
声の大きさと音に、周囲の客がこちらを見ている。
阿部はその視線に気づき、俯いて深呼吸をした。
落ち着かなくてはいけない。
ここへ来たのは、三橋の中学時代の「あん時」を知るためだ。
今さら畠や叶や、三星の部員たちを糾弾したところで、三橋の過去の傷が癒えるわけではない。
「今ならオレだってわかるよ。三橋のよさ。あのコントロールがどれほどすごいものなのか。」
畠は俯いたまま、ポツポツと話し始めた。
「あの時はわかんなかったんだ。」
「それにしたって、投手の腕を折るなんて!」
「あの時はそれしか、考えられなかったんだ!今になって三橋が苦しむなんて。。。」
やはり語気が荒くなってしまった阿部に、畠が呻くようにに答える。
畠の表情もまた苦痛に満ちていた。
「あの練習試合で三星の部員は三橋の力を認めた。そのことをわからせてやればいいんじゃないか?」
黙り込んでしまった阿部と畠に、叶が考え込むような表情で言った。
その意味がわからず、無言で問いかけるような表情になった阿部に叶が続ける。
「オレたち三星の部員が直接、三橋に言うんだ。三橋はいい投手で、オレたちは和解したんだって。」
「うーん。。。」
阿部は否定とも肯定ともつかない唸るような声を上げながら、叶の提案について考えた。
三橋と畠の「あん時」についてはわかった。
とりあえず誰も三橋の腕を折ったりなどしないと根気よく言い聞かせて、気を配ってやろうと思う。
記憶を戻してやることなど到底できない。
だからせめて不安や恐怖を少しでも和らげてやれればといい。
畠の話を聞いた阿部は、焦らず気長に三橋に接してやろうと思っていたのだ。
だが思いがけない叶の提案に、思案した。
確かに当時を知らない阿部が何を言うより、当事者の三星の部員たちが言う方が説得力はあるだろう。
三橋の心の負担は軽くなるかもしれない。
だが捕手の防具を見ただけで、過呼吸の発作を起こしてしまう三橋なのだ。
畠や叶と会うことでパニックになってしまうこともありうる。
「悪いけど、すぐには答えらんねぇ。医者とか三橋の親とかに相談してからじゃねぇと。」
「そっか。それもそうだな。」
考えあぐねた挙句に阿部はそう答え、叶も同意した。
「阿部、三橋を頼む。支えてやってくれよ。」
別れ際に、叶は阿部にそう言った。
阿部は何かあったらまた連絡すると言って、その場を後にした。
「え…?なんで…?」
それから数日後の放課後、三橋は泉と田島と一緒に部活に向かう。
そして校舎を出てグラウンドに行く途中で待っていた2人の人物を見て、立ち竦んだ。
「三橋」
待っていた2人のうちの1人、幼馴染の元チームメイトである叶が三橋の名を呼ぶ。
そしてその背後に立つ畠が、じっと三橋を見据えていた。
「どう、して。ここ、に。」
叶と畠がここにいる理由がわからない。
三橋は驚き、混乱しながら、近づいてくる2人になす術もない。
田島と泉も驚いているようで、それでも三橋をかばうように叶と畠の前に立った。
「何だよ。お前ら、いきなり。」
泉がそう言って、さらにもう一歩前に出る。
田島は三橋を背後に隠すようにして、その場に立ちはだかっている。
「三橋と話をさせてくれないか?」
叶が泉にそう告げている。
田島が小声で、「大丈夫だ」と三橋に言った。
だが畠が「三橋!」と叫んだ途端、三橋の喉がヒュウと嫌な音を立てた。
息が苦しい。
三橋は酸素を求めて、ゼェゼェと荒い呼吸をしながら、懸命に立っていようとする。
だが徐々に目がかすみ、意識が遠のいていくのをどうすることもできなかった。
三橋は胸をかきむしりながら崩れ落ち、そのまま倒れた。
この苦しさは罰だ。三星の部員たちは逃げたお前を許してなどいない。
どこからかそんな声が聞こえる。
きっと失った記憶がそう言っているのだ。
三橋は薄れていく意識の中で、そう思った。
【続く】
今日は百枝の都合で、練習が休みだった。
そして三橋の通院日でもある。
記憶障害の治療のために、今も三橋は定期的に心療内科の診察を受けている。
おそらくは通院日を練習休みの日に合わせたのだろう。
そして阿部は今、群馬へ向かう電車に揺られている。
最近の三橋は、随分落ち着いている。
阿部や他の部員たちが、辛抱強く接した成果の賜物だろう
三橋は正真正銘のエースで、大事な友人であると、事あるごとに言い続けた。
三橋ももうあの「スイッチ」を使うことはなくなった。
傍から見れば、もう完全に三橋は記憶を失う前の状態に見えているかもしれない。
だが部員たちは、そうは思っていなかった。
三橋は記憶を失ってから、もうずっと笑っていないからだ。
ボールを投げていても、部員たちと話をしていても、その顔に笑みはない。
部活の時には指示をよく聞いて、投球の調子は少しずつだが上向いている。
教室でもちゃんと話は聞いているし、話を振れば一生懸命に言葉を紡ぐ。
だが口元に懸命に笑みを浮かべようとはしているが、目は笑っていないのだ。
あの大きな瞳は、いつも迷子のような不安げな色を浮かべて揺れている。
いつになったら三橋の記憶は戻るのだろう?
部員たちの誰もがそう思っている。
阿部ももちろん、早く三橋の記憶が戻ればいいと思う。
三橋は勇気を振り絞って、三星を出て、西浦で頑張っている。
そんな大事な記憶が三橋から抜け落ちてしまったままなんて、悲しすぎる。
少しでも何かの手がかりになるかもしれない。
考えた阿部は、中学時代の三橋を知る人物に会いに行くことにしたのだった。
「よぉ、遠かったろ?」
阿部が駅を降りて指定された改札口を出ると、背後から声をかけられた。
声をかけたのは、三橋の幼馴染にして三星の投手である叶。
そしてその横には、三星の捕手であり、阿部が一番話を聞きたい相手である畠が立っていた。
「悪いな、いきなり連絡して、無理言って」
阿部はこっそりと三橋の携帯電話を拝借して、叶の携帯番号を調べた。
そして叶に電話をかけて、畠を含めた3人で話をしたいと告げたのだ。
3人で駅前にあるチェーン店のファミリーレストランに入った。
ボックス型のシートに叶と畠が並び、その正面に阿部が座る。
そして注文もそこそこに、阿部は話を切り出した。
練習試合の帰り道のバスで事故があり、頭を打った三橋の記憶の一部が消えてしまったこと。
消えてしまったのは、三橋らが中学2年のときの三星野球部のバス事故以降であるということ。
叶と畠は驚いた表情で、阿部の話を聞いていた。
「オレらの中学ん時の事故は、学校のバスでさ。確か子供が飛び出してきたんだったかな?」
叶の言葉に畠が「ああ」と頷く。
「バスは急ブレーキをかけて、でもたまたま何人かが席を立っててさ、倒れたんだ。」
「その時に、三橋はどうしてた?」
なおも言葉を続ける叶に、阿部は身を乗り出すようにして問いかける。
「三橋?どうだったかな?怪我はしてなかったはずだ。そもそも事故ってほどの話じゃねぇし。」
「だけど今の三橋は、どうもその事故を引きずってる気がすんだよ。」
そう言って、阿部はまだほとんど言葉を発していない畠を見た。
「多分、オレのせいだ。」
阿部の視線を受けた畠が、ようやく口を開いた。
そのとき三橋も叶も畠も中学生だった。
試合の帰り道のバスの中。
三橋は一番後ろの席に、ポツンと座っていた。
そこは何となく三橋の指定席になっており、その横はいつも空席だった。
叶は前の方の席で、隣に座った別の部員と、話をしていた。
畠は別の部員たちと、野球雑誌を回し読みしていた。
そして畠が読みたい記事を読み終わり「次、貸して」と手を上げた部員がいて。
2人は雑誌を受け渡ししようと、席を立った。
三橋はその時、たまたまいつも持っているボールをいじっていた。
それが手からこぼれてしまい、通路に転がったので、拾おうとして立ち上がった。
その瞬間、バスは急停車したのだった。
ふらついた畠は、三橋にぶつかり折り重なるようにして倒れた。
もう1人、雑誌を受け取ろうとしていた部員は座席の肘掛に腕をぶつけて「痛ぇ!」と声を上げた。
バスに乗っていたほとんどの者は、何が起きたかと前方を見た。
あるいは「痛ぇ!」と叫んだ部員に「大丈夫か」と声をかけた。
畠はすぐに立ち上がって「オレ平気」と言ったし、部員たちは三橋のことなど注目しなかった。
立ち上がった三橋は、自分の右腕を覗き込むようにしていた。
嫌っているとはいえ、三橋をクッション代わりにしてしまった。
畠はさすがに気が咎めて、横目で三橋の様子を見ていた。
だがどうやら腕を擦りむいただけのようだった。
畠はほっとしたが、次の瞬間には怒りがこみ上げてきた。
もし三橋がここで大きな怪我をしていたら、叶が投げられるのに。
どうして擦りむいただけなんだ。
さすがにバス事故まで三橋のせいだなどというつもりはない。
だがほとんど無傷の三橋に、理不尽な怒りが湧いたのだ。
その怒りを自覚した瞬間、畠は腕を伸ばして、三橋の手首を掴んでいた。
「はた、け、くん?」
三橋は手首を掴まれた瞬間、ビクリと身体を震わせた。
そして畠をじっと見ている。
小心な三橋は、畠に腕を掴む理由を聞くことも、振り払うこともできなかった。
「折れてりゃよかったのに。」
畠は三橋にだけ聞こえるような小声で、はき捨てるように言った。
「お前さえいなければ。」
三橋の目が、驚きで大きく見開かれた。
「このまま折っちまうか?」
畠は本気でそう思った。
それを声に出して言ったかどうか、畠自身は憶えていない。
だが三橋には、腕を追ってしまおうかと畠が本気で考えていることが伝わったと思う。
「三橋、畠、どうした?」
バスの後ろの2人に気づいた引率の教師が、声をかけてきて、畠は慌てて手を放した。
「三橋、手を擦りむいたみたいっす。」
畠は無愛想にそう言って、自分の席へと戻る。
2人の間に走った一瞬の緊張は、誰に知られることもなく消えた。
「何で、そんなこと」
畠の話を聞き終えた阿部は、怒りに声を震わせていた。
テーブルをはさんでいなかったら、掴みかかっていたかもしれない。
畠の横に座る叶は「知らなかった」と呆然とした表情だ。
「誰も気づかなかったし、三橋も誰にも言ってないみたいだからな。」
眉根を寄せた畠が、搾り出すようにそう言った。
「三橋は叶にだって負けない、いい投手なんだ。お前ら何で認めてやらなかったんだよ!」
阿部は声を荒げて、テーブルを叩いた。
声の大きさと音に、周囲の客がこちらを見ている。
阿部はその視線に気づき、俯いて深呼吸をした。
落ち着かなくてはいけない。
ここへ来たのは、三橋の中学時代の「あん時」を知るためだ。
今さら畠や叶や、三星の部員たちを糾弾したところで、三橋の過去の傷が癒えるわけではない。
「今ならオレだってわかるよ。三橋のよさ。あのコントロールがどれほどすごいものなのか。」
畠は俯いたまま、ポツポツと話し始めた。
「あの時はわかんなかったんだ。」
「それにしたって、投手の腕を折るなんて!」
「あの時はそれしか、考えられなかったんだ!今になって三橋が苦しむなんて。。。」
やはり語気が荒くなってしまった阿部に、畠が呻くようにに答える。
畠の表情もまた苦痛に満ちていた。
「あの練習試合で三星の部員は三橋の力を認めた。そのことをわからせてやればいいんじゃないか?」
黙り込んでしまった阿部と畠に、叶が考え込むような表情で言った。
その意味がわからず、無言で問いかけるような表情になった阿部に叶が続ける。
「オレたち三星の部員が直接、三橋に言うんだ。三橋はいい投手で、オレたちは和解したんだって。」
「うーん。。。」
阿部は否定とも肯定ともつかない唸るような声を上げながら、叶の提案について考えた。
三橋と畠の「あん時」についてはわかった。
とりあえず誰も三橋の腕を折ったりなどしないと根気よく言い聞かせて、気を配ってやろうと思う。
記憶を戻してやることなど到底できない。
だからせめて不安や恐怖を少しでも和らげてやれればといい。
畠の話を聞いた阿部は、焦らず気長に三橋に接してやろうと思っていたのだ。
だが思いがけない叶の提案に、思案した。
確かに当時を知らない阿部が何を言うより、当事者の三星の部員たちが言う方が説得力はあるだろう。
三橋の心の負担は軽くなるかもしれない。
だが捕手の防具を見ただけで、過呼吸の発作を起こしてしまう三橋なのだ。
畠や叶と会うことでパニックになってしまうこともありうる。
「悪いけど、すぐには答えらんねぇ。医者とか三橋の親とかに相談してからじゃねぇと。」
「そっか。それもそうだな。」
考えあぐねた挙句に阿部はそう答え、叶も同意した。
「阿部、三橋を頼む。支えてやってくれよ。」
別れ際に、叶は阿部にそう言った。
阿部は何かあったらまた連絡すると言って、その場を後にした。
「え…?なんで…?」
それから数日後の放課後、三橋は泉と田島と一緒に部活に向かう。
そして校舎を出てグラウンドに行く途中で待っていた2人の人物を見て、立ち竦んだ。
「三橋」
待っていた2人のうちの1人、幼馴染の元チームメイトである叶が三橋の名を呼ぶ。
そしてその背後に立つ畠が、じっと三橋を見据えていた。
「どう、して。ここ、に。」
叶と畠がここにいる理由がわからない。
三橋は驚き、混乱しながら、近づいてくる2人になす術もない。
田島と泉も驚いているようで、それでも三橋をかばうように叶と畠の前に立った。
「何だよ。お前ら、いきなり。」
泉がそう言って、さらにもう一歩前に出る。
田島は三橋を背後に隠すようにして、その場に立ちはだかっている。
「三橋と話をさせてくれないか?」
叶が泉にそう告げている。
田島が小声で、「大丈夫だ」と三橋に言った。
だが畠が「三橋!」と叫んだ途端、三橋の喉がヒュウと嫌な音を立てた。
息が苦しい。
三橋は酸素を求めて、ゼェゼェと荒い呼吸をしながら、懸命に立っていようとする。
だが徐々に目がかすみ、意識が遠のいていくのをどうすることもできなかった。
三橋は胸をかきむしりながら崩れ落ち、そのまま倒れた。
この苦しさは罰だ。三星の部員たちは逃げたお前を許してなどいない。
どこからかそんな声が聞こえる。
きっと失った記憶がそう言っているのだ。
三橋は薄れていく意識の中で、そう思った。
【続く】