痛3題
【狂想】
迷子になってしまったシュンを阿部家まで送り届けた。
そして三橋は、またゆっくりと夜の闇の中を歩いていた。
きっかけは確か、群馬の祖父が具合が悪くなったと聞いて部活を休んだ日だ。
授業が終わるや否や、すっ飛んでいった。
だが駆けつけてみると、祖父は元気だった。
早とちりの母親が、大袈裟に騒いだだけだったのだ。
仕事の都合をつけた両親は、そのまま群馬に泊まるという。
だが練習を休んでしまった三橋は、翌日の朝練に間に合うように帰りたかった。
だから「どうしても」と訴えて、三橋は1人だけ先に帰宅した。
時間は遅く、すでに最終電車の時間だった。
しかも最寄駅の2つ手前の駅までしか行かない。
母親はそこからタクシーに乗るようにと、お金をくれた。
そして終電を降りた三橋は、馴染みのない駅前に立った。
もう日付が変わっている。
そんな時間に見知らぬ駅にいるなどという経験は初めてだった。
会社員風のスーツ姿の人たち、学生風の若い人たち、疲れた人たち、酔っ払い。
終電が到着したばかりの駅は思わぬ喧騒に包まれていた。
皆が自分とは関係なく、足早に歩いていく。
その様子に三橋は不意に泣きたくなるような寂しさを感じた。
西浦高校野球部は皆優しくて、三橋を大事にしてくれる。
三星学園の野球部では、三橋を嫌う部員たちに無視されていた。
この状態はそのどちらでもない。
三橋のことなど気にも留めない人々が足早に家路を急ぐ。
勝手がわからず、おろおろする三橋はひどく場違いだった。
どこでタクシーに乗ったらいいのかわからなかった。
三橋は結局2時間ほどかけて、歩いて帰宅した。
夜のピクニック。
三橋は深夜に散歩に出ることを密かにそう呼んだ。
偶然にも群馬行きの後、三橋の両親は仕事の都合で夜に帰宅しない日が増えた。
広い家に1人の夜、三橋は得体の知れない想いに捕らわれる。
寂しさと不安と恐怖が入り混じった、叫びだしたくなるような狂想。
そんな心を持て余して、三橋は闇の中へ足を踏み出す。
駅前の喧騒。静かな住宅街。別世界のような畑の中の道。
その中を何も考えずに、無心で歩く。
それはまるで心の中の芯の部分が研ぎ澄まされるような感覚だった。
時々現れるコンビニの明かりに暫しホッと息をつき、また歩く。
三星では気配を殺して息を詰めていた。
西浦では皆に嫌われないようにと常に怯えている。
無人の世界で、気を使わずに呼吸し、進むことができる。
それはひどく自然なことに思えた。
誰もいないのだから、全ては自由だ。
さすがに住宅街ではただ歩くだけだが、畑の中では声を上げた。
笑ったり、歌ったり、時には泣いたりした。
今日も同じだった。
鼻歌を歌いながら、歩いていたその時に。
三橋は闇の中で、シュンの途方にくれたような後姿を見つけたのだった。
まったく兄ちゃんは酷いんですよ。
父さんも母さんも兄ちゃんには何も言わないし。
シュンは並んで歩きながら、三橋に愚痴った。
三橋はシュンを送り届けながら、黙って話を聞いていた。
羨ましいな、と三橋は思う。
阿部みたいな兄がいたら、もっと自分も違っていたのだろうか。
野球を教えてもらって。もっと皆に好かれる人間になって。
中学でもホントのエースになれていただろうか。
シュンを見ていると、答えの見えないそんな問いが心に浮かんだ。
自分は結局どこにいても場違いな人間なのだと思い知らされる。
阿部の家の前で。
三橋はシュンを心配する阿部と母親の声が聞いた
不意に1人であることが寂しくてたまらなくなった。
家に寄ってくれというシュンの申し出を断って。
三橋は再び闇夜に足を踏み出した。
三橋は家に帰る気にもなれずに、再び当てもなく夜を歩く。
シュンに会ったことで、阿部の声を聞いたことで、何だか切ない。
その理由がわからずに、三橋は歩き続ける。
三橋---!
ふいに背後から呼ばれて、三橋は振り返った。
そして驚きに足を止めた。
自転車を駆った阿部がものすごいスピードで三橋に近づいてきた。
何やってんだ、こんな夜中に!
ブレーキ音を軋ませて、自転車を停めた阿部が怒鳴る。
そして自転車から降りて、スタンドを立てて。
阿部が三橋の前に立ちはだかった。
何で、どうして。1人で歩いてんだよ。
驚いて言葉も出ない三橋に、阿部は尚も詰め寄ってきた。
ああ、そうか。シュンが話してしまったのか。
三橋は阿部が追いかけてきた理由を理解した。
そして改めて阿部の顔を見て、絶句する。
阿部は今にも泣きそうな顔をしていた。
その表情は怒り。そして悲しみ。
見ている三橋が切なくなるほど顔を歪めて、阿部は三橋を真っ直ぐに見ていた。
【続く】
迷子になってしまったシュンを阿部家まで送り届けた。
そして三橋は、またゆっくりと夜の闇の中を歩いていた。
きっかけは確か、群馬の祖父が具合が悪くなったと聞いて部活を休んだ日だ。
授業が終わるや否や、すっ飛んでいった。
だが駆けつけてみると、祖父は元気だった。
早とちりの母親が、大袈裟に騒いだだけだったのだ。
仕事の都合をつけた両親は、そのまま群馬に泊まるという。
だが練習を休んでしまった三橋は、翌日の朝練に間に合うように帰りたかった。
だから「どうしても」と訴えて、三橋は1人だけ先に帰宅した。
時間は遅く、すでに最終電車の時間だった。
しかも最寄駅の2つ手前の駅までしか行かない。
母親はそこからタクシーに乗るようにと、お金をくれた。
そして終電を降りた三橋は、馴染みのない駅前に立った。
もう日付が変わっている。
そんな時間に見知らぬ駅にいるなどという経験は初めてだった。
会社員風のスーツ姿の人たち、学生風の若い人たち、疲れた人たち、酔っ払い。
終電が到着したばかりの駅は思わぬ喧騒に包まれていた。
皆が自分とは関係なく、足早に歩いていく。
その様子に三橋は不意に泣きたくなるような寂しさを感じた。
西浦高校野球部は皆優しくて、三橋を大事にしてくれる。
三星学園の野球部では、三橋を嫌う部員たちに無視されていた。
この状態はそのどちらでもない。
三橋のことなど気にも留めない人々が足早に家路を急ぐ。
勝手がわからず、おろおろする三橋はひどく場違いだった。
どこでタクシーに乗ったらいいのかわからなかった。
三橋は結局2時間ほどかけて、歩いて帰宅した。
夜のピクニック。
三橋は深夜に散歩に出ることを密かにそう呼んだ。
偶然にも群馬行きの後、三橋の両親は仕事の都合で夜に帰宅しない日が増えた。
広い家に1人の夜、三橋は得体の知れない想いに捕らわれる。
寂しさと不安と恐怖が入り混じった、叫びだしたくなるような狂想。
そんな心を持て余して、三橋は闇の中へ足を踏み出す。
駅前の喧騒。静かな住宅街。別世界のような畑の中の道。
その中を何も考えずに、無心で歩く。
それはまるで心の中の芯の部分が研ぎ澄まされるような感覚だった。
時々現れるコンビニの明かりに暫しホッと息をつき、また歩く。
三星では気配を殺して息を詰めていた。
西浦では皆に嫌われないようにと常に怯えている。
無人の世界で、気を使わずに呼吸し、進むことができる。
それはひどく自然なことに思えた。
誰もいないのだから、全ては自由だ。
さすがに住宅街ではただ歩くだけだが、畑の中では声を上げた。
笑ったり、歌ったり、時には泣いたりした。
今日も同じだった。
鼻歌を歌いながら、歩いていたその時に。
三橋は闇の中で、シュンの途方にくれたような後姿を見つけたのだった。
まったく兄ちゃんは酷いんですよ。
父さんも母さんも兄ちゃんには何も言わないし。
シュンは並んで歩きながら、三橋に愚痴った。
三橋はシュンを送り届けながら、黙って話を聞いていた。
羨ましいな、と三橋は思う。
阿部みたいな兄がいたら、もっと自分も違っていたのだろうか。
野球を教えてもらって。もっと皆に好かれる人間になって。
中学でもホントのエースになれていただろうか。
シュンを見ていると、答えの見えないそんな問いが心に浮かんだ。
自分は結局どこにいても場違いな人間なのだと思い知らされる。
阿部の家の前で。
三橋はシュンを心配する阿部と母親の声が聞いた
不意に1人であることが寂しくてたまらなくなった。
家に寄ってくれというシュンの申し出を断って。
三橋は再び闇夜に足を踏み出した。
三橋は家に帰る気にもなれずに、再び当てもなく夜を歩く。
シュンに会ったことで、阿部の声を聞いたことで、何だか切ない。
その理由がわからずに、三橋は歩き続ける。
三橋---!
ふいに背後から呼ばれて、三橋は振り返った。
そして驚きに足を止めた。
自転車を駆った阿部がものすごいスピードで三橋に近づいてきた。
何やってんだ、こんな夜中に!
ブレーキ音を軋ませて、自転車を停めた阿部が怒鳴る。
そして自転車から降りて、スタンドを立てて。
阿部が三橋の前に立ちはだかった。
何で、どうして。1人で歩いてんだよ。
驚いて言葉も出ない三橋に、阿部は尚も詰め寄ってきた。
ああ、そうか。シュンが話してしまったのか。
三橋は阿部が追いかけてきた理由を理解した。
そして改めて阿部の顔を見て、絶句する。
阿部は今にも泣きそうな顔をしていた。
その表情は怒り。そして悲しみ。
見ている三橋が切なくなるほど顔を歪めて、阿部は三橋を真っ直ぐに見ていた。
【続く】