空10題-曇・雨編

【頬伝うは】

「手伝おうか?」
水谷は、こちらに背を向けてしゃがんでいる篠岡に声をかける。
その声に驚いた篠岡は驚いてこちらを見上げる。
たがすぐに笑顔になって「1人で大丈夫だよ」と答えた。

水谷文貴は、納得いかなかった。
三橋の処遇についてだ。
先日、部室の前で阿部と三橋の会話を立ち聞きした。
それで三橋が心ならずも持ってしまった力で苦悩していることを知った。

三橋のつらい気持ちは理解できる。
自分の能力を「ズル」だとして、野球をしていけないと思うのは潔いと思う。
何より自分の中に制御できない力があるなんて、怖いだろう。

部員たちの三橋への思いも、理解できる。
チームのエースを気遣い、何かしてやりたい気持ちは水谷にだってある。
だけどみんな、肝心なことを忘れている。

三橋本人が「病気」と称するその力の暴発は、部員たちが知る限り3回。
三橋の主治医だという男が投げ飛ばした件。
部室でボールを入れたバスケットが落下した件。
そして自転車置き場で、篠岡が足を挟まれた件だ。

三橋の主治医のことは知らない。
だが残りの2件は、いずれも篠岡がからんでいる。
バスケットは篠岡と阿部が、偶然抱きつくような格好になった時に落ちた。
そして自転車は阿部の自転車のサドルの汚れを見つけて、タオルで拭いたときに倒れた。
つまり篠岡が阿部に何かしたときに起きた事なのだ。

三橋は篠岡に負の感情を持っていると、水谷は確信している。
それは何から来るものなのか、水谷にもわかった。
その正体は水谷も心に持っている感情-嫉妬だからだ。


「ありがとう。でも本当に大丈夫。体力は練習で使ってよ。」
篠岡はなおも笑顔で、水谷の申し出をことわった。
昼休みのグラウンドで、篠岡は草むしりをしていた。
水谷はその手伝いを申し出たのだ。

「手伝わせてよ。教室にいても、することないし。」
水谷は少し拗ねたようにそう言って、食い下がった。
篠岡はこういう物言いより、阿部のようにきっぱりした態度が好きなのだとわかっている。
だがこれが水谷のパーソナリティであり、変えることはできない。

「じゃあお願い。でも無理しない程度にね。」
「うん。じゃあ」
ようやく篠岡の同意を取り付け、並んで草むしりをする。
地味だが意外に足腰に堪える作業だ。
たった1人でこんな作業をしている篠岡はマネージャーの鏡だ。
そして女の子らしく細やかに尽くす姿はかわいいし、好きだと思う。

だからこそ許せないのだ。
こんなにみんなのために頑張っている篠岡は、もっと大事にされるべきだ。
三橋の力のせいで、篠岡は危険な目に遭った。
下手をすれば、大きな怪我をしていたかもしれない。
なのに部員たちは三橋の心配ばかりしている。

おそらく三橋は阿部のことが好きなのだ。
いわゆる捕手への尊敬なのか、友情か、はたまた恋愛なのかは知ったことではないが。
とにかく篠岡が必要以上に阿部の近くにいることが嫌なのだろう。
それは水谷の中にもある感情だ。
他のクラスメイトや野球部員の誰かが、篠岡と親しげにしているのは嫌だ。
それくらいのことは誰にでもあるだろう。
だがそれで相手に危害を加えるとなれば、話は別だ。


「でもいいの?花井君たちの手伝い、しなくて」
篠岡は器用に雑草をむしりながら、聞いてきた。
水谷は「別にいいよ」と答えた。

三橋のために、と一致団結した部員たちは、動き出した。
まずは勉強と、超能力関係の本やサイトの情報を集めている。
三橋の能力がどういうものなのか分析し、正しい訓練をする。
そうして三橋が能力を制御できるようになれば問題解決。
そんな風に考えているようだ。
今も7組の教室では花井と阿部がその話をしている。
水谷はそれが妙に勘にさわって、教室を出てここに来たのだ。


「私、きっと三橋君に嫌われていると思う。」
不意に篠岡がポツリとそう呟いた。
驚いた水谷が言葉に詰まっている間も、手は止めない。
こうして並んで作業をすると、篠岡の手際のよさがよくわかる。
水谷が1本抜く間に2、3本、根も残さず、綺麗に抜いていく。

「篠岡、そんなことないよ。」
「ううん、いいの。わかってるから。」
篠岡は寂しそうに笑うと、休むことなく草を取り続ける。
淡々と、だがまるで雑草が宿敵ででもあるかのように容赦なく。

あのとき立ち聞きした部員たちの中には、篠岡はいない。
だが花井と阿部はだいたいの事情を教えたそうだ。
そこで勘のいい篠岡は気がついたのだろう。
制御できない三橋の力が、自分に向いていることに。

うまくフォローできない。
水谷もまた悔しい気持ちを雑草にぶつけた。
草むしりは意外とストレス解消に向いているようだ。

「あれ、雨?」
不意に顔に水滴が当たることに気付いた水谷は、天を見上げた。
つられるように篠岡も空を見る。
泣き出しそうな表情の、その頬伝うは雨か、それとも涙なのか。

こんなに、いいコなのに。
水谷はやりきれない気持ちを持て余す。
この拳はいったいどこに振り下ろしたらいいのだろう。


意外と、上手くいく。
三橋は思いもよらない結果に驚いていた。

部室で阿部や部員たちと話をした翌日から、三橋は奇妙な日々を送っている。
部員たちは、超能力関係のサイトや書籍などを手分けしてチェックしたそうだ。
そしてメニューが組まれて、謎のトレーニング(?)が始まったのだ。

サイコロを振って6を出せとか。
目の前のペンや消しゴムを手を使わずに浮かせろとか。
放課後の部活の時のモモカンのジャージの色を当ててみろとか。
とにかく無茶苦茶なことを言われる。

泉に裏返したトランプのマークと数字を当ててみろと言われた。
一応やってはみたが、ぜんぜんわからない。
当たり前だ。三橋の能力は透視ではない。

田島にまずはスプーン曲げでしょと言われた。
意味がわからない。
消しゴムを1ミリ動かすのもままならないのに、できるわけない。

正直、馬鹿馬鹿しいと思った。
だが真剣に三橋を思ってくれる部員たちの気持ちを考えるとことわれない。
それにこれはこれで、割り切ってしまえば苦にならないものだ。
遊びの一環と思えば面白いし、集中力のトレーニングにもなっている気がする。

昼休みに雨が降り出したのを見て、部員たちは部室に集まった。
その中心にいるのは、もちろん三橋だ。
三橋の前にはティッシュペーパー。
能力が最大限に発揮されるはずの天候下で、手近にある軽い物を飛ばす実験だ。
全員がシンと静まり返って、三橋に注目している。

「じゃ、やる、よ!」
三橋は意識を集中させると、飛べと念じた。
沈黙することしばし、薄いティッシュペーパーがヒラリと宙に舞った。


「すげー!浮いた!」
田島が大声で叫ぶと、緊張が破れた。
まるで試合に勝ったかのように、歓声が起こる。

「いや、待て待て。だれか息を吹きかけて、飛ばしてないか?」
ふと我に返った花井が、冷静な声を出す。
田島がすかさず「そんなの、しねーよ!」と文句を言う。
だが「知らないうちにしてるかもしれねーだろ?」と泉が混ぜ返した。
もっともな意見に、微妙な沈黙が漂う。

「多分、オレ、飛ばせた、と思う。」
三橋は静かにそう告げ、沈黙を破った。
居合わせた全員が、三橋を見る。
全員が無言、目だけで「本当か?」と聞いている。
三橋は何度もコクコクと首を縦に振った。

実際に念で物を飛ばすと、わかるのだ。
眠いような、頭に霞がかかったような独特の感覚があるのだ。
身体もだるく、消耗した感じになる。
だから自分が飛ばした時には、絶対にわかる。
現に今だって、頬伝うは汗。
集中して念を高めたせいで、全身が熱い。

意外と、上手くいく。
部員たちがはしゃぐ声を聞きながら、三橋は思いもよらない結果に驚いていた。
スプーンを曲げろと言われたときには、どうなるかと思った。
だけど三橋の「病気」は「能力」に変化しつつある。

そう言えば。
三橋は嬉しそうな部員たちを見渡しながら、ふと気付いた。
全員揃ってると思っていたのに、1人足りない。
なぜか水谷だけ、この場にはいなかった。

【続く】
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