空10題-曇・雨編
【雨空の詩を】
雨空の詩を聴いてごらん。
確かじぃちゃんはそう言っていた。
三橋は今にも雨が降り出しそうな空を見ながら、思い出していた。
あれは確か、小学校の頃。
群馬の三橋本家に行ったときのことだ。
三橋は従兄弟の瑠里と琉と共に、祖父の部屋に呼ばれた。
祖父の部屋に呼ばれるなんて、後にも先にもその1回だけだ。
それにその時の祖父はいつになく真剣な顔をしていて、とても重い雰囲気だった。
幼い3人は、緊張しながら祖父の話を聞いた。
お前たちの身体は、雨と共鳴して高揚する。
これはじぃちゃんから、お前たち、そしてお前たちの孫。
一代おきに遺伝するんだ。
祖父の言葉に、三橋も瑠里も琉もキョトンとしていたと思う。
共鳴とか高揚などと言われても、よくわからなかったのだ。
祖父にもそれはわかっていたと思う。
なのに話はまだ終わらなかった。
雨の日になると身体が熱くなって、落ち着かなくなる。
そういう体質なんだが、それだけなら別に問題ない。
どうしてもつらい時は、雨空の詩を聴いてごらん。
だけどその中でもごく稀に、特別な力が覚醒する場合がある。
だから変だと思ったら、すぐに言いなさい。
祖父はそう言って、3人の孫の頭を順になでてくれた。
やはり祖父の言ったことはよくわからなかったが、なでてもらって妙に安心した。
あの日の記憶は少しボンヤリしているけど、それはよく覚えている。
「三橋?大丈夫か?」
田島と泉が三橋の両横に陣取り、声をかけてくれる。
思い出に沈み込んでいた三橋は慌てて「へーき!」と答えた。
西浦高校野球部の面々は、コンビニの前にいた。
放課後の部活の後、部員たちは100円程度の夜食を胃に放り込んでいた。
今日は珍しく、阿部が部活を休んでいる。
だから今日は9人で、コンビニ前を賑わしていた。
「また雨か。」
泉がウンザリしたようにそう言った。
田島も心配そうな表情で、空を見上げる。
空はどんより暗く、予報によれば夜には雨が降るようだ。
三橋は返事に困って、持っていた肉まんを齧った。
田島と泉が三橋とどう接していいかわからなくて、戸惑っているのはわかっている。
雨の日はどうしても気分が落ち着かないのだ。
昔の祖父の教えに従って雨空の詩を聴き、心を鎮めようと努力はしているのだが。
自分でもまるで自分じゃないみたいに気持ちが高揚する。
三橋本人ですら自分を持て余している、自分の言動。
それを異様だと思うのは当たり前だ。
それなのに普段と変わらないように気をつかってくれる彼らには感謝している。
だから今は言えないのだ。
祖父は「変だと思ったら、すぐに言いなさい」と言ったけど、今はダメだ。
みんなのために三橋ができるのは、投げることだけだ。
そのときコンビニの前を1台の車が通り過ぎた。
見慣れた車種と運転者の顔を見て、三橋は「あ」と声を上げる。
手を振ろうとしたが、同乗者の顔を見て動きが止まった。
声を上げた三橋に、泉と田島が「どうした?」と声をかけてくれる。
だが三橋は「何、でも、ないよ」と首を振った。
三橋の望まない方向に事態が動いている。
だけどできるだけいつもと同じ事をしていたかった。
「すみません。その、無理を言って。」
「いいのよ。」
阿部が詫びると、笑顔で答えてくれる。
その表情は三橋とよく似ていて、さすがに親子だなと思った。
阿部は三橋の母と話をするために、部活を休んだ。
もちろんすごく悩んだ上でのことだ。
もっと三橋のことを理解したいと思う。
するとどうしても三橋の身体のことを知らなければならないという結論に行き着いてしまう。
三橋本人が語らないなら、三橋の親に聞くしかない。
話を聞かせて欲しいと頼んだら、三橋の母、尚江はあっさりと同意してくれた。
かくして阿部は、尚江が運転する車の助手席に座っていた。
誰にも話を聞かれたくない場所がいいと言ったら、じゃあ車内でということになった。
確かに走行する車は、完全な密室だ。
「廉の。。。身体のこと?」
挨拶もそこそこに、尚江はそう聞いてきた。
どうやら阿部の用件を察してくれていたようだ。
それならばこちらも話が早くて、ありがたい。
「みは。。。廉君は、雨の日に精神的に昂ぶってしまう病気って聞いてます。」
阿部は慎重に言葉を捜しながら、そう言った。
尚江はハンドルを操作しながら、ときどき阿部の方を見て頷いてくれる。
車は特に行き先もなく、西浦高校の周辺をグルグルと周回していた。
「でもそれだけじゃないっていうか。。。雨の日に身の回りに不思議な事が多くて。」
阿部は自分の膝に目を落としながら、また言葉を選ぶ。
だけどそれ以上、言葉は出なかった。
本当は三橋には何か人ならざる力があるのではないかと聞きたい。
だけど何だかひどく的外れなことをしているような気もするのだ。
そもそも三橋のことを「廉君」などと呼ぶことさえ、現実離れしている。
阿部は黙ったまま尚江の横顔に視線を向けて、息を飲んだ。
じっと前を見ながら運転する尚江の表情がひどく強張っていたからだ。
「廉の祖父が経営している学校、三星学園っていうんだけど。」
「知ってます。み。。。廉君はそこの中等部出身ですよね。」
尚江は思い切ったように息をつくと、話し始めた。
阿部は急な話題転換に戸惑いながらも、その理由は聞かない。
「三星はそもそもあの地方の神様の名前なの。」
「神様?」
「ええ。雨を降らせる神様。三橋家はその末裔って言われてるの。」
「なんかすごい、ですね。」
「三星が訛って三橋になったって説もあるのよ。」
壮大な話の展開に、阿部は驚いていた。
まるで御伽噺のようで、阿部はこの手の話は信じない方だ。
だがこの状況では、不思議な説得力があるのは否定できない。
「三橋家の者が雨で影響を受けるのは、そのせいって言われてるの。」
そこまで話したところで、ちょうど赤信号だ。
ブレーキを踏んで停車したところで、尚江は大きくため息をつく。
そして「どうして隔世遺伝なのかは謎らしいけど」と付け加えた。
神の力。
そう言われれば、全てに説明がつけられるのかもしれない。
だが三橋が神様だと言われても、どうにもしっくりこない。
どこか子供っぽくて、みんなの弟分的な存在の三橋が神様だなんて。
阿部がそんなことを思っている間に信号が変わり、車はまた走り出した。
「ごく稀に不思議な力を持つ者が現れることもあるって聞いたわ。」
「不思議な力、ですか?」
「人の心を読むとか、念だけで物を動かすとか、超能力みたいなものみたい。」
「念だけで物を動かす。。。」
「言い伝えよ。廉の祖父は違うし、誰も実際にそんな人を見たことがないから。」
まさかと思い、でもそうかもしれないと思う。
念だけで物を動かすという力には、大いに思い当たることがあるのだ。
多分尚江も同じようなことを思っているのかもしれない。
三橋がまさにその「不思議な力を持つ者」ではないだろうかと。
「私はその話を聞いて怖くて。廉が生まれた後、三橋の家とは距離を置いてたの。」
「どうして、ですか?」
「どうも力の源は土地にあるって言われてるの。だから離れていたかった。」
「それってもしかして『駆け落ち』ですか?」
「嫌だ!廉が話したの?」
尚江が小さく笑い声を立てて、車内の重い空気がすこし和らいだ。
そして車は周回を止めて、細い道に進む。
話せることは全て話してくれたのだろう。
どうやら阿部家の方へ向かっている。
「適当な場所で、降ろしてください。」
阿部はそう言いながら、大きく息を吐いた。
どうやら思ったよりも緊張していたらしい。
結局尚江は家の前まで送ってくれた。
車を降りた瞬間、強張っていた筋肉が解れていくような気がした。
「廉のこと、よろしくお願いします。」
別れ際に尚江はそう言った。
だが阿部は明るい気分にはなれなかった。
三橋のためにできることは何でもやるつもりはある。
だが何をどうしたらいいのか、見当もつかないのだ。
尚江の車を見送った阿部は、頬に雨が当たり始めたのを感じて、急いで家の中に入った。
すぐに自分の部屋に戻ると、ポケットから携帯電話を取り出す。
マナーモードにしていた携帯電話は、着信を知らせるように点滅している。
確認し、受信メールを開いた阿部は「は?」と声を上げた。
オレのおかあさんとはなしをしましたか?
そんな短いメールの送信者は三橋だった。
おそらく車に乗って話しているのを見られたのだろう。
どうやら三橋とも話をした方がよさそうな展開だ。
阿部は一瞬憂鬱になったが、すぐに首を振った。
何をどうしていいかわからないより、とりあえず次に何をするか決まってた方がいい。
そんな風に考えることにした。
前向きな思考を指示するように、夜は雨空の歌を響かせている。
【続く】
雨空の詩を聴いてごらん。
確かじぃちゃんはそう言っていた。
三橋は今にも雨が降り出しそうな空を見ながら、思い出していた。
あれは確か、小学校の頃。
群馬の三橋本家に行ったときのことだ。
三橋は従兄弟の瑠里と琉と共に、祖父の部屋に呼ばれた。
祖父の部屋に呼ばれるなんて、後にも先にもその1回だけだ。
それにその時の祖父はいつになく真剣な顔をしていて、とても重い雰囲気だった。
幼い3人は、緊張しながら祖父の話を聞いた。
お前たちの身体は、雨と共鳴して高揚する。
これはじぃちゃんから、お前たち、そしてお前たちの孫。
一代おきに遺伝するんだ。
祖父の言葉に、三橋も瑠里も琉もキョトンとしていたと思う。
共鳴とか高揚などと言われても、よくわからなかったのだ。
祖父にもそれはわかっていたと思う。
なのに話はまだ終わらなかった。
雨の日になると身体が熱くなって、落ち着かなくなる。
そういう体質なんだが、それだけなら別に問題ない。
どうしてもつらい時は、雨空の詩を聴いてごらん。
だけどその中でもごく稀に、特別な力が覚醒する場合がある。
だから変だと思ったら、すぐに言いなさい。
祖父はそう言って、3人の孫の頭を順になでてくれた。
やはり祖父の言ったことはよくわからなかったが、なでてもらって妙に安心した。
あの日の記憶は少しボンヤリしているけど、それはよく覚えている。
「三橋?大丈夫か?」
田島と泉が三橋の両横に陣取り、声をかけてくれる。
思い出に沈み込んでいた三橋は慌てて「へーき!」と答えた。
西浦高校野球部の面々は、コンビニの前にいた。
放課後の部活の後、部員たちは100円程度の夜食を胃に放り込んでいた。
今日は珍しく、阿部が部活を休んでいる。
だから今日は9人で、コンビニ前を賑わしていた。
「また雨か。」
泉がウンザリしたようにそう言った。
田島も心配そうな表情で、空を見上げる。
空はどんより暗く、予報によれば夜には雨が降るようだ。
三橋は返事に困って、持っていた肉まんを齧った。
田島と泉が三橋とどう接していいかわからなくて、戸惑っているのはわかっている。
雨の日はどうしても気分が落ち着かないのだ。
昔の祖父の教えに従って雨空の詩を聴き、心を鎮めようと努力はしているのだが。
自分でもまるで自分じゃないみたいに気持ちが高揚する。
三橋本人ですら自分を持て余している、自分の言動。
それを異様だと思うのは当たり前だ。
それなのに普段と変わらないように気をつかってくれる彼らには感謝している。
だから今は言えないのだ。
祖父は「変だと思ったら、すぐに言いなさい」と言ったけど、今はダメだ。
みんなのために三橋ができるのは、投げることだけだ。
そのときコンビニの前を1台の車が通り過ぎた。
見慣れた車種と運転者の顔を見て、三橋は「あ」と声を上げる。
手を振ろうとしたが、同乗者の顔を見て動きが止まった。
声を上げた三橋に、泉と田島が「どうした?」と声をかけてくれる。
だが三橋は「何、でも、ないよ」と首を振った。
三橋の望まない方向に事態が動いている。
だけどできるだけいつもと同じ事をしていたかった。
「すみません。その、無理を言って。」
「いいのよ。」
阿部が詫びると、笑顔で答えてくれる。
その表情は三橋とよく似ていて、さすがに親子だなと思った。
阿部は三橋の母と話をするために、部活を休んだ。
もちろんすごく悩んだ上でのことだ。
もっと三橋のことを理解したいと思う。
するとどうしても三橋の身体のことを知らなければならないという結論に行き着いてしまう。
三橋本人が語らないなら、三橋の親に聞くしかない。
話を聞かせて欲しいと頼んだら、三橋の母、尚江はあっさりと同意してくれた。
かくして阿部は、尚江が運転する車の助手席に座っていた。
誰にも話を聞かれたくない場所がいいと言ったら、じゃあ車内でということになった。
確かに走行する車は、完全な密室だ。
「廉の。。。身体のこと?」
挨拶もそこそこに、尚江はそう聞いてきた。
どうやら阿部の用件を察してくれていたようだ。
それならばこちらも話が早くて、ありがたい。
「みは。。。廉君は、雨の日に精神的に昂ぶってしまう病気って聞いてます。」
阿部は慎重に言葉を捜しながら、そう言った。
尚江はハンドルを操作しながら、ときどき阿部の方を見て頷いてくれる。
車は特に行き先もなく、西浦高校の周辺をグルグルと周回していた。
「でもそれだけじゃないっていうか。。。雨の日に身の回りに不思議な事が多くて。」
阿部は自分の膝に目を落としながら、また言葉を選ぶ。
だけどそれ以上、言葉は出なかった。
本当は三橋には何か人ならざる力があるのではないかと聞きたい。
だけど何だかひどく的外れなことをしているような気もするのだ。
そもそも三橋のことを「廉君」などと呼ぶことさえ、現実離れしている。
阿部は黙ったまま尚江の横顔に視線を向けて、息を飲んだ。
じっと前を見ながら運転する尚江の表情がひどく強張っていたからだ。
「廉の祖父が経営している学校、三星学園っていうんだけど。」
「知ってます。み。。。廉君はそこの中等部出身ですよね。」
尚江は思い切ったように息をつくと、話し始めた。
阿部は急な話題転換に戸惑いながらも、その理由は聞かない。
「三星はそもそもあの地方の神様の名前なの。」
「神様?」
「ええ。雨を降らせる神様。三橋家はその末裔って言われてるの。」
「なんかすごい、ですね。」
「三星が訛って三橋になったって説もあるのよ。」
壮大な話の展開に、阿部は驚いていた。
まるで御伽噺のようで、阿部はこの手の話は信じない方だ。
だがこの状況では、不思議な説得力があるのは否定できない。
「三橋家の者が雨で影響を受けるのは、そのせいって言われてるの。」
そこまで話したところで、ちょうど赤信号だ。
ブレーキを踏んで停車したところで、尚江は大きくため息をつく。
そして「どうして隔世遺伝なのかは謎らしいけど」と付け加えた。
神の力。
そう言われれば、全てに説明がつけられるのかもしれない。
だが三橋が神様だと言われても、どうにもしっくりこない。
どこか子供っぽくて、みんなの弟分的な存在の三橋が神様だなんて。
阿部がそんなことを思っている間に信号が変わり、車はまた走り出した。
「ごく稀に不思議な力を持つ者が現れることもあるって聞いたわ。」
「不思議な力、ですか?」
「人の心を読むとか、念だけで物を動かすとか、超能力みたいなものみたい。」
「念だけで物を動かす。。。」
「言い伝えよ。廉の祖父は違うし、誰も実際にそんな人を見たことがないから。」
まさかと思い、でもそうかもしれないと思う。
念だけで物を動かすという力には、大いに思い当たることがあるのだ。
多分尚江も同じようなことを思っているのかもしれない。
三橋がまさにその「不思議な力を持つ者」ではないだろうかと。
「私はその話を聞いて怖くて。廉が生まれた後、三橋の家とは距離を置いてたの。」
「どうして、ですか?」
「どうも力の源は土地にあるって言われてるの。だから離れていたかった。」
「それってもしかして『駆け落ち』ですか?」
「嫌だ!廉が話したの?」
尚江が小さく笑い声を立てて、車内の重い空気がすこし和らいだ。
そして車は周回を止めて、細い道に進む。
話せることは全て話してくれたのだろう。
どうやら阿部家の方へ向かっている。
「適当な場所で、降ろしてください。」
阿部はそう言いながら、大きく息を吐いた。
どうやら思ったよりも緊張していたらしい。
結局尚江は家の前まで送ってくれた。
車を降りた瞬間、強張っていた筋肉が解れていくような気がした。
「廉のこと、よろしくお願いします。」
別れ際に尚江はそう言った。
だが阿部は明るい気分にはなれなかった。
三橋のためにできることは何でもやるつもりはある。
だが何をどうしたらいいのか、見当もつかないのだ。
尚江の車を見送った阿部は、頬に雨が当たり始めたのを感じて、急いで家の中に入った。
すぐに自分の部屋に戻ると、ポケットから携帯電話を取り出す。
マナーモードにしていた携帯電話は、着信を知らせるように点滅している。
確認し、受信メールを開いた阿部は「は?」と声を上げた。
オレのおかあさんとはなしをしましたか?
そんな短いメールの送信者は三橋だった。
おそらく車に乗って話しているのを見られたのだろう。
どうやら三橋とも話をした方がよさそうな展開だ。
阿部は一瞬憂鬱になったが、すぐに首を振った。
何をどうしていいかわからないより、とりあえず次に何をするか決まってた方がいい。
そんな風に考えることにした。
前向きな思考を指示するように、夜は雨空の歌を響かせている。
【続く】