空10題-曇・雨編
【気が重くなりそう】
「まずい、かな。」
三橋はどんより曇った空を見上げながら、そう呟いた。
すごく嫌な予感がするのだが、なす術はない。
朝、目を覚ました三橋は、まず窓の外を見た。
空は気が重くなりそうなほど黒い雲におおわれている。
おそらくもうすぐ雨が降り出すだろう。
「まずい、よな。」
三橋はもう1度呟いた。
わざわざ空を見上げなくても、わかっていたことだ。
寝つきはいいのに、寝起きは極めて悪い三橋が、母に起こされる前に目を覚ます。
これは雨の日-しかも荒れ模様の天気の日にしかないことなのだ。
「やだ、な。」
三橋はまた呟きながら、どうしようかと考える。
微熱があるようだ。
今体温を測れば、きっと37度を超えている。
母に言えば、学校を休むことも可能だろう。
何よりこんな天気の日、三橋が外に出てもロクなことはない。
だが三橋は「よし!」と小さく気合いを入れると、登校の準備を始めた。
熱があっても、不吉な予感がしても、いつもと同じがいい。
そうすることで自分が普通であることを確認したいのだ。
「これもゲリラ豪雨ってヤツ?」
「ああ、最近多いな。」
田島と泉は顔を見合わせると、重いため息をついた。
ここ最近、天候は不安定だった。
さっきまで晴れていたと思ったら、急に空が暗くなって、激しい雨になる。
だが1時間も降らないうちに雲が消えて、嘘のように晴れるのだ。
今も授業が始まって少し経ってから降り始めた豪雨が、休み時間には止んでいる。
「止んだから、練習できるよな?」
「でもきっとグラウンド、悲惨なことになってるんじゃねーの?」
休み時間、田島と泉は窓際に立って、空を確認する。
西浦高校野球部において、雨は深刻な問題だ。
練習に影響があるのはもちろん、試合の日程さえ変わることがあるのだ。
「じぃちゃんもすげー嘆いてた。これじゃ野菜の質が悪くなるって。」
「そっか。農家は大変だよな。」
2人は並んで空を見上げたまま、たわいもない話を続ける。
ニュースなどでゲリラ豪雨の被害などを報じており、大変だとは思う。
だが高校生の彼らにとって、それは遠い出来事だ。
本当はもっと差し迫った問題があったが、2人はどうしていいかわからずにいた。
「なぁ三橋って、大丈夫なのか?」
不意に耳元で声をかけられて、田島と泉は慌てて振り返る。
声の主は、頼もしい応援団長にしてクラスメイトの浜田だ。
話の内容が内容なので、そっと近づいてきて小声で話しかけてきた。
おかげで田島も泉も飛び上がるほど驚いた。
「脅かすな、浜田!」
泉が文句を言いながら、そっと振り返る。
視線の先では、席に座った三橋がクラスメイトと何か話し込んでいる。
普通に考えれば、別に大した光景ではない。
だが三橋に限定すれば、それは奇妙なことだった。
吃音気味で人と付き合うことが苦手な三橋は、野球部員以外とは積極的に話さない。
話しかけられれば答えるが、長々と話し込んだりはしないのだ。
「雨の日は異常にテンション高いったって、違いすぎだろ。」
浜田は小声のまま、そう言った。
野球部関係者以外で、三橋の病気を知るのはこの浜田だけだ。
そして部員たち同様、ここ最近の三橋の異常な言動に困惑していた。
「それに、最近。。。」
「それ以上言うな。」
泉が浜田の言葉を遮った。
ここ最近、田島も泉ももしやと思い、どうしていいかわからずにいたこと。
浜田がそれを言おうとしていることがわかったからだ。
「とにかく今は言わないでくれ」
泉がいつになく真剣な口調で、そう言った。
浜田は「ゴメン」と言い残して、席に戻る。
田島と泉はどちらからともなく、ため息をついた。
問題を先送りしただけとわかっているが、今は何も考えたくなかった。
「なぁ、信じるか?」
花井が困ったようにそう切り出す。
栄口は答えに詰まり、阿部は「バカバカしい」と吐き捨てた。
放課後は雷雨のために、練習が中止になった。
他の部員たちは各々帰宅していることだろう。
だが主将の花井と、副主将の栄口、阿部は部室にいた。
話題は、三橋のことだ。
考えあぐねた泉と田島が、こっそりと花井に相談してきたのだった。
三橋は精神的な振り幅がすごく大きいという。
雨の日のハイテンションがますます激しくなり、普段との落差が目立つ。
最近のゲリラ豪雨が拍車をかけているのだろう。
部活だけでもそれを感じるから、普段一緒にいる彼らはそれを痛感しているはずだ。
さらに泉たちは、最近9組では事故が多いと言った。
事故と言っても、些細なものだ。
いきなり誰も触れていないのにロッカーが開いたとか、机の上のものが落ちたとか。
1つ1つは「不注意だろ」と笑い飛ばしてしまえるような感じのことだ。
だけどそれが起こるのは決まって雨の日。
そして三橋はそのときだけはハイテンションではないのだという。
「偶然だろ。さもなきゃ泉たちの考えすぎ。」
阿部はバッサリと言い切った。
それでは念力とか超能力とか、まるでSFではないか。
だが栄口が「そう言えば、この前のボール」と反論する。
先日部室でミーティングのとき、ボールを入れたバスケットが棚から落ちたことがあった。
3人は顔を見合わせると「う~ん」と唸った。
偶然にしては多いが、話が荒唐無稽すぎる。
そもそも話し合いで解決するような問題ではなかった。
「野球部、誰かいるか!?」
大声とドンドンとドアを叩く音に、気が重くなりそうな沈黙が破れた。
花井が立ち上がってドアを開けると、顔見知りの男子生徒が2人立っている。
元浜田の同級生で、応援団の梅原と梶山だ。
どうやら走ってきたようで、2人ともゼイゼイと肩で息をしていた。
「大変だ。野球部のマネジの女の子・・・」
「自転車、置き場で、怪我・・・」
2人は完全に息が上がっていて、喋るのがやっとのようだ。
それでも交互に話す内容に、花井は「どうも!」と叫んで、部室を飛び出した。
阿部と栄口も立ち上がると、その後に続く。
どうやら篠岡の身に何かがあったらしい。
自転車置き場は大変な騒ぎになっていた。
こんな雨続きなので自転車の数は少ないが、その全てが倒れて散乱していた。
篠岡は同じクラスの女子生徒に肩を貸してもらって、立っている。
おそらく足を負傷したのだろう。
野次馬の生徒たちが「いきなり自転車が倒れた」とか「足を挟まれた」と喋っている。
阿部はその瞬間に見た。
野次馬の人垣の外側で、傘を差しながら立っている三橋を。
唇をかすかに歪めているのに、目は冷たく光らせて。
普段とも雨の日のハイテンションとも違う異様な気配を漂わせて。
三橋はじっと篠岡を見ていた。
まさかと思いながら、心のどこかでやはりと思った。
雨の日に三橋の身に何かが起きている。
ハイテンションなんて言葉では片付けられない何か。
そのとき視線に気付いた三橋が、阿部を見た。
冷たい表情が一転して、泣きそうに歪む。
そしてすぐにクルリと踵を返すと、校舎の方へと戻ってしまった。
阿部は慌てて追いかけようとしたが、集まってきた野次馬にまぎれて見失ってしまった。
【続く】
「まずい、かな。」
三橋はどんより曇った空を見上げながら、そう呟いた。
すごく嫌な予感がするのだが、なす術はない。
朝、目を覚ました三橋は、まず窓の外を見た。
空は気が重くなりそうなほど黒い雲におおわれている。
おそらくもうすぐ雨が降り出すだろう。
「まずい、よな。」
三橋はもう1度呟いた。
わざわざ空を見上げなくても、わかっていたことだ。
寝つきはいいのに、寝起きは極めて悪い三橋が、母に起こされる前に目を覚ます。
これは雨の日-しかも荒れ模様の天気の日にしかないことなのだ。
「やだ、な。」
三橋はまた呟きながら、どうしようかと考える。
微熱があるようだ。
今体温を測れば、きっと37度を超えている。
母に言えば、学校を休むことも可能だろう。
何よりこんな天気の日、三橋が外に出てもロクなことはない。
だが三橋は「よし!」と小さく気合いを入れると、登校の準備を始めた。
熱があっても、不吉な予感がしても、いつもと同じがいい。
そうすることで自分が普通であることを確認したいのだ。
「これもゲリラ豪雨ってヤツ?」
「ああ、最近多いな。」
田島と泉は顔を見合わせると、重いため息をついた。
ここ最近、天候は不安定だった。
さっきまで晴れていたと思ったら、急に空が暗くなって、激しい雨になる。
だが1時間も降らないうちに雲が消えて、嘘のように晴れるのだ。
今も授業が始まって少し経ってから降り始めた豪雨が、休み時間には止んでいる。
「止んだから、練習できるよな?」
「でもきっとグラウンド、悲惨なことになってるんじゃねーの?」
休み時間、田島と泉は窓際に立って、空を確認する。
西浦高校野球部において、雨は深刻な問題だ。
練習に影響があるのはもちろん、試合の日程さえ変わることがあるのだ。
「じぃちゃんもすげー嘆いてた。これじゃ野菜の質が悪くなるって。」
「そっか。農家は大変だよな。」
2人は並んで空を見上げたまま、たわいもない話を続ける。
ニュースなどでゲリラ豪雨の被害などを報じており、大変だとは思う。
だが高校生の彼らにとって、それは遠い出来事だ。
本当はもっと差し迫った問題があったが、2人はどうしていいかわからずにいた。
「なぁ三橋って、大丈夫なのか?」
不意に耳元で声をかけられて、田島と泉は慌てて振り返る。
声の主は、頼もしい応援団長にしてクラスメイトの浜田だ。
話の内容が内容なので、そっと近づいてきて小声で話しかけてきた。
おかげで田島も泉も飛び上がるほど驚いた。
「脅かすな、浜田!」
泉が文句を言いながら、そっと振り返る。
視線の先では、席に座った三橋がクラスメイトと何か話し込んでいる。
普通に考えれば、別に大した光景ではない。
だが三橋に限定すれば、それは奇妙なことだった。
吃音気味で人と付き合うことが苦手な三橋は、野球部員以外とは積極的に話さない。
話しかけられれば答えるが、長々と話し込んだりはしないのだ。
「雨の日は異常にテンション高いったって、違いすぎだろ。」
浜田は小声のまま、そう言った。
野球部関係者以外で、三橋の病気を知るのはこの浜田だけだ。
そして部員たち同様、ここ最近の三橋の異常な言動に困惑していた。
「それに、最近。。。」
「それ以上言うな。」
泉が浜田の言葉を遮った。
ここ最近、田島も泉ももしやと思い、どうしていいかわからずにいたこと。
浜田がそれを言おうとしていることがわかったからだ。
「とにかく今は言わないでくれ」
泉がいつになく真剣な口調で、そう言った。
浜田は「ゴメン」と言い残して、席に戻る。
田島と泉はどちらからともなく、ため息をついた。
問題を先送りしただけとわかっているが、今は何も考えたくなかった。
「なぁ、信じるか?」
花井が困ったようにそう切り出す。
栄口は答えに詰まり、阿部は「バカバカしい」と吐き捨てた。
放課後は雷雨のために、練習が中止になった。
他の部員たちは各々帰宅していることだろう。
だが主将の花井と、副主将の栄口、阿部は部室にいた。
話題は、三橋のことだ。
考えあぐねた泉と田島が、こっそりと花井に相談してきたのだった。
三橋は精神的な振り幅がすごく大きいという。
雨の日のハイテンションがますます激しくなり、普段との落差が目立つ。
最近のゲリラ豪雨が拍車をかけているのだろう。
部活だけでもそれを感じるから、普段一緒にいる彼らはそれを痛感しているはずだ。
さらに泉たちは、最近9組では事故が多いと言った。
事故と言っても、些細なものだ。
いきなり誰も触れていないのにロッカーが開いたとか、机の上のものが落ちたとか。
1つ1つは「不注意だろ」と笑い飛ばしてしまえるような感じのことだ。
だけどそれが起こるのは決まって雨の日。
そして三橋はそのときだけはハイテンションではないのだという。
「偶然だろ。さもなきゃ泉たちの考えすぎ。」
阿部はバッサリと言い切った。
それでは念力とか超能力とか、まるでSFではないか。
だが栄口が「そう言えば、この前のボール」と反論する。
先日部室でミーティングのとき、ボールを入れたバスケットが棚から落ちたことがあった。
3人は顔を見合わせると「う~ん」と唸った。
偶然にしては多いが、話が荒唐無稽すぎる。
そもそも話し合いで解決するような問題ではなかった。
「野球部、誰かいるか!?」
大声とドンドンとドアを叩く音に、気が重くなりそうな沈黙が破れた。
花井が立ち上がってドアを開けると、顔見知りの男子生徒が2人立っている。
元浜田の同級生で、応援団の梅原と梶山だ。
どうやら走ってきたようで、2人ともゼイゼイと肩で息をしていた。
「大変だ。野球部のマネジの女の子・・・」
「自転車、置き場で、怪我・・・」
2人は完全に息が上がっていて、喋るのがやっとのようだ。
それでも交互に話す内容に、花井は「どうも!」と叫んで、部室を飛び出した。
阿部と栄口も立ち上がると、その後に続く。
どうやら篠岡の身に何かがあったらしい。
自転車置き場は大変な騒ぎになっていた。
こんな雨続きなので自転車の数は少ないが、その全てが倒れて散乱していた。
篠岡は同じクラスの女子生徒に肩を貸してもらって、立っている。
おそらく足を負傷したのだろう。
野次馬の生徒たちが「いきなり自転車が倒れた」とか「足を挟まれた」と喋っている。
阿部はその瞬間に見た。
野次馬の人垣の外側で、傘を差しながら立っている三橋を。
唇をかすかに歪めているのに、目は冷たく光らせて。
普段とも雨の日のハイテンションとも違う異様な気配を漂わせて。
三橋はじっと篠岡を見ていた。
まさかと思いながら、心のどこかでやはりと思った。
雨の日に三橋の身に何かが起きている。
ハイテンションなんて言葉では片付けられない何か。
そのとき視線に気付いた三橋が、阿部を見た。
冷たい表情が一転して、泣きそうに歪む。
そしてすぐにクルリと踵を返すと、校舎の方へと戻ってしまった。
阿部は慌てて追いかけようとしたが、集まってきた野次馬にまぎれて見失ってしまった。
【続く】