空10題-曇・雨編

【今にも泣き出しそうな】

「本当に大丈夫なんだな?」
阿部はマウンド上の三橋に念を押した。
三橋は「だいじょ、ぶ!」と大きな声で答える。
空は黒い雲に覆われていて、今にも泣き出しそうな天気だった。

今にして思えば、発端は初めての公式戦。
桐青高校との試合だったと思う。
あの日は天気が悪かった。
試合途中から雨が降り始め、あわや雨天コールドになりかけた。
三橋はと言えばすごいハイテンションで、投球内容はすごくよかった。
ただし途中で鼻血を出し、発熱した。
その上ペース配分が上手くできず、途中電池切れになるのではないかとヒヤヒヤした。
そして試合が終わった後は爆睡モードに突入し、試合後のダウンもできない状態だった。

志賀と百枝は「遠足の日に熱を出しちゃうアレかな」などと話していた。
部員たちも、阿部もそう思った。
三橋は翌日1日ゆっくり休んで、熱もすぐに引いた。
だがそれ以降は至って元気で、その日の疲れを引きずる素振りはまったくない。

だからそれ以降は誰も気にしなかった。
たまに誰かが「よく勝てたよな、あの試合!」と言うことはある。
そして話の流れ的に倒れるまで投げた三橋が引き合いに出される。
もちろん武勇伝として、褒め言葉だ。
それなのによく言えば天真爛漫、悪く言えば天然でいつも笑顔の三橋の表情が、少しだけ曇る。
そのことに覚えたかすかな違和感を、阿部は今さらのように思い出す。


「お前、雨の日になると体調くずすよな?」
阿部はあるとき、三橋にそう聞いた。
三橋はビクリと身体を震わせると、ブンブンと首が取れそうな勢いで横に振った。

少しずつ大きくなった阿部の疑念は、夏が終わる頃には確信に変わった。
三橋は雨の日になると、調子が悪くなる。
いや、むしろ逆なのかもしれない。
雨の日になると、いつもより余計な力が出てしまって、セーブできない感じなのだ。
その結果無駄に疲れて消耗しているようだ。
さすがに桐青戦のときのように、寝込むとか熱を出すまでには至らないようだが。

まず阿部がしたことは、パソコン検索だった。
雨の日になると体調が狂うなんて病気があるのか、調べようと思ったのだ。
引っかかった言葉は「気象病」。
天候の変化などにより体調異常を起こすと書かれている。

これだと思って読み進めたが、読んでいくうちに「あれ?」と思う。
天気が悪いと頭痛がするとか、古傷がうずくなどと書かれたからだ。
微妙に三橋の症状(?)とは、違うような気がしたからだ。

素人が簡単に判断するのは、無理そうだ。
とにかく三橋を病院に行かせた方がいい。
そう結論付けた阿部は、投球練習の合間の休憩の時に、三橋に切り出したのだった。

「オレ、へーき!」
ついに体調のことを切り出した阿部に、三橋は元気よくそう言った。
だが声は震えているし、表情はぎこちない。
先程のギクリとした様子といい、嘘をついているのは明らかだ。


「三橋もわかってんだな。雨の日は調子が悪いって。」
「そんな、こと、ない!」
「そんなに動揺してたら、ごまかしようがねーし。」
「うう。。。」

今までの阿部だったら、追及の手を緩めないだろう。
怒鳴ってでも白状させていただろう。
三橋は西浦のエースなのだ。
体調管理は何より最優先しなければならない重要なことだ。
それでも阿部が問い詰めることができなかったのは、三橋の目を見たからだ。
今にも泣き出しそうな目がまるで「言わないで」と訴えているようだった。

「昔から、こうなんだ。病気、じゃない。」
「病気じゃないって、お前」
「遺伝、だ。三橋家、ときどき、こういう人、いるんだ。」
「本当か?」
「ホント。だからみんなに、言わないで。メーワク、かけたくない!」

結局必死に言い募る三橋に、阿部は折れた。
それに遺伝という言葉にホッとしたのだ。
それなら当然三橋の両親だって知っているのだろうし、対処法もわかっているのだろう。
阿部がとやかく口出しするような話ではないのかもしれない。

「そのかわりお前の雨の日の練習メニュー、少し軽くするからな」
阿部が交換条件を出すと、三橋は笑顔で「うん!」と答えた。
そしてそれ以降は何とかうまく練習メニューを調整しながら、切り抜けてきたのだ。
だが今日は秋の大会の正念場、強豪との対戦。
しかも天気予報によると、試合の中盤から雨だ。


「三橋、大丈夫か?」
「無理するな。楽に行けよ。」
「打たせていけよ。捕ってやるから。」

チームメイトたちがマウンドに向かって声をかける。
4回から降り出した雨は、どんどん強くなってきた。
そして三橋の調子も、悪い。
それはまるで桐青戦の再現を見るようだった。
三橋はペース配分がうまくできず、ハイテンションで投げ続ける。
強豪相手によく投げ、西浦リードで試合終盤。
だがもう三橋はスタミナ切れで、今にも倒れそうだ。

阿部も必死だった。
とにかくなるべく球数を少なく、この場を切り抜けなければならない。
打者を見て、頭の中で配球を組み立てる。
三橋にはサインに首を振る余力も残っていない。
つまり阿部1人で単調にならず、三橋に負担が少ないリードをしなくてはいけない。

やはりちゃんと三橋の体調を、志賀や百枝に報告するべきだったかもしれない。
チラリとそう考えた阿部だったが、すぐにその考えを頭から追い出した。
後悔するのは試合が終わってからでもできる。
ここまで三橋が頑張っているのに、負け試合になどしない。
だけど少しでも手を抜けば、一瞬で逆転だ。


「ありがとうございました!」
試合後、一段と雨が強くなったグラウンドに両校が整列する。
どうにか1点差のリードを守って、西浦が勝った。
夏の桐青戦同様、部員10名1年生ばかりの西浦高校は、またしても強豪を破る金星を上げたのだ。

「大丈夫か?三橋」
試合後に球場の外に出ると、阿部は三橋に声をかけた。
三橋はコクリと頷くと、ぼんやりと阿部の顔を見上げた。
まさに眠る一歩寸前のトロンとした表情だ。
これは桐青戦のときよりもはるかに消耗しているようだ。

次の瞬間、三橋の身体がぐらりと揺れて、一気に阿部の方に倒れかかってきた。
阿部は「うわ!」と声を上げると、慌てて三橋の身体を抱き止めた。
他の部員たちが阿部の声に驚き、集まってくる。
だが三橋は阿部に体重を預けたまま、グーグーと寝息を立てていた。

「立ったまま爆睡してる。スゲー技だな。」
田島が揺すってもつついても起きない三橋に、感嘆の声を上げた。
すぐに花井が「運ぶぞ」と声をかけ、阿部と2人がかりで三橋の身体を抱えて駐車場まで運ぶ。
そして三橋母の車に荷物のように積み込まれて、帰って行った。

「まるで桐青戦と同じじゃん。」
泉がポツリとそう言うと、全員が頷く。
チームは重い雰囲気だった。
勝ったという喜びよりも、また三橋を酷使してしまった罪悪感の方が大きいからだ。

やっぱりこのままじゃダメだ。
阿部は遠ざかっていく車のテールランプを見ながら、そう思った。

【続く】
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