空10題-青空編
【透明な】
あれ?
オレはファーストゴロを捕ってベースを踏む三橋を見て、小さく呟いた。
1年生ばかり10人しかいない野球部は、1人でいくつものポジションをこなさなくてはならない。
それはエースである三橋も例外ではない。
三橋の2つめのポジションは、ファースト。
つまりオレと三橋は、2つともポジションがかぶっていることになる。
あまり目立たないが、三橋は守備も上手いと思う。
考えてみれば、当たり前かもしれない。
他の野手はボールが飛んでくるのを構えて待てるが、投手はまず投げてから捕球体勢になる。
そして捕手を除けば、誰よりも打者が近い。
つまり他の野手よりも捕球の準備が遅くなるんだ。
そのうえ飛んで来る球は距離が短い分、ゴロでもフライでも概ね一塁よりも強かったりする。
やっぱり投手は大変だ。
もし投げるのを差し引いて守備だけ取ったとしても、オレは一塁の方がいい。
今日の午後は、守備の強化。
外野のメンバーは、モモカンが打ち上げるフライを捕球し、ランナーがいる想定で返球する練習。
その間、内野では守備連携の練習だ。
ノッカーは浜田で、残りの応援団の2人が仮想ランナー。
シチュエーションを設定して、捕球し、送球する。
一通り練習したオレは、ひと休み。
入れ替わりに三橋が一塁の守備についた。
汗を拭き、水分を補給しながら、三橋の守備をしばらく見ていたオレは違和感の正体に気がついた。
オレが言っていいのかな?
モモカンが何も言わないんだから、必要ないことなんじゃないかな。
モモカンじゃなくても、副主将で内野の要の栄口とか、オレより上手い田島や巣山とか。
オレが言うのは、余計なお世話なんじゃないかな。
そもそも的外れなことかもしれないし、黙ってた方がいいんじゃないかな。
迷っているうちに「休憩」と、監督の声が響いた。
部員たちが一斉にベンチに引き上げてきて、ドリンクやタオルを手に取る。
だがその中に三橋はいなかった。
あれ?と思ってグラウンドを見回すと、三橋は一塁の位置にまだ立っていた。
ベースをじっと見下ろしていた三橋は、ベースの場所にしゃがみ込む。
そして練習着の袖で一塁のベースを拭い始めた。
多分土を跳ね上げてしまったんだろう。
ベースなんてどうせまたすぐ汚れてしまうものなのに。
オレは三橋のタオルとドリンクを持って、一塁まで歩いていった。
そしてベースを拭き終えて立ち上がった三橋に、それらを差し出す。
一瞬驚いた顔になった三橋がすぐに「あり、がと」と言って笑った。
その笑顔はなんて言ったら、いいんだろう。
邪気のない、透明な笑顔だ。
何でベースを拭いてたの?とオレは聞いてみた。
三橋はオドオドと目を泳がせる。
オレは慌てて「怒ってないから!」と言って、笑顔を作った。
引き攣っていない自信はなかったけど。
お、いの、り。もっと、ファースト、上手く、なる、ように。
三橋がいつものようにドモりながら、言った。
お祈り?と聞き返したオレに、三橋がおずおずと笑った。
沖、く、左、利き。投手も、ファーストも、有利。
でも、オレ、も。どっちも、負けたく、なくて。
三橋の言葉に、オレは驚いた。
投げるの大好き、投球中毒の三橋。
マウンドを譲りたくなくて、投手として花井やオレに負けたくないと思っているのは知ってる。
だけどファーストも負けたくないと思っているなんて、考えてもみなかった。
ごめ、その。オレ、自分、ダメ、なの、わかって、る、から。
オレの驚いた顔に、三橋はビビッてしまったらしい。
オドオドと言葉を紡ぐ三橋は、何だか涙目だ。
三橋さ、ボールを捕るとき、ベースを意識しすぎじゃないかな。
もっと捕りやすい体勢になった方がいいよ。
捕球のときも、かなりきわどい時以外は無理して身体を伸ばさなくていいし。
もっと力を抜いた方がいい。
無理して怪我したら、もったいないよ。
オレは先程言おうか、言うまいかと迷ったことを言った。
三橋は絶対にアウトにしようという気が、勝ちすぎているのだと思う。
守備のときは極力ベースから離れないようにしているし、捕球のときはせいいっぱい身体を伸ばす。
だからよくよく見ると、微妙にバランスが悪い気がするんだ。
ほんとに注意しなければわからない程度ではあるんだけど。
三橋がもし本気でファーストを目指したら。
考えると、ちょっと怖いと思う。
三橋は身体がやわらかいから、捕球のときにはめいっぱい身体を伸ばすことができる。
それにコントロールがいいから、三橋からの送球はいつでも捕りやすい位置に飛んでくる。
オレが左利きであることを合わせても、三橋の方が優れている部分はたくさんある。
本当に三橋には、本当に頭が下がる。
邪気のない笑顔で、上手くなりたい、負けたくないと言って憚らない。
笑顔同様、その野心も純粋で透明なものだ。
力を、抜く。沖君、ありがとぉ!オレ、頑張る!
三橋が涙が残る目で笑う。
オレも頑張るよ、とオレは答えた。
上手くなりたいし、負けたくないのは、オレも同じだからな。
【終】
あれ?
オレはファーストゴロを捕ってベースを踏む三橋を見て、小さく呟いた。
1年生ばかり10人しかいない野球部は、1人でいくつものポジションをこなさなくてはならない。
それはエースである三橋も例外ではない。
三橋の2つめのポジションは、ファースト。
つまりオレと三橋は、2つともポジションがかぶっていることになる。
あまり目立たないが、三橋は守備も上手いと思う。
考えてみれば、当たり前かもしれない。
他の野手はボールが飛んでくるのを構えて待てるが、投手はまず投げてから捕球体勢になる。
そして捕手を除けば、誰よりも打者が近い。
つまり他の野手よりも捕球の準備が遅くなるんだ。
そのうえ飛んで来る球は距離が短い分、ゴロでもフライでも概ね一塁よりも強かったりする。
やっぱり投手は大変だ。
もし投げるのを差し引いて守備だけ取ったとしても、オレは一塁の方がいい。
今日の午後は、守備の強化。
外野のメンバーは、モモカンが打ち上げるフライを捕球し、ランナーがいる想定で返球する練習。
その間、内野では守備連携の練習だ。
ノッカーは浜田で、残りの応援団の2人が仮想ランナー。
シチュエーションを設定して、捕球し、送球する。
一通り練習したオレは、ひと休み。
入れ替わりに三橋が一塁の守備についた。
汗を拭き、水分を補給しながら、三橋の守備をしばらく見ていたオレは違和感の正体に気がついた。
オレが言っていいのかな?
モモカンが何も言わないんだから、必要ないことなんじゃないかな。
モモカンじゃなくても、副主将で内野の要の栄口とか、オレより上手い田島や巣山とか。
オレが言うのは、余計なお世話なんじゃないかな。
そもそも的外れなことかもしれないし、黙ってた方がいいんじゃないかな。
迷っているうちに「休憩」と、監督の声が響いた。
部員たちが一斉にベンチに引き上げてきて、ドリンクやタオルを手に取る。
だがその中に三橋はいなかった。
あれ?と思ってグラウンドを見回すと、三橋は一塁の位置にまだ立っていた。
ベースをじっと見下ろしていた三橋は、ベースの場所にしゃがみ込む。
そして練習着の袖で一塁のベースを拭い始めた。
多分土を跳ね上げてしまったんだろう。
ベースなんてどうせまたすぐ汚れてしまうものなのに。
オレは三橋のタオルとドリンクを持って、一塁まで歩いていった。
そしてベースを拭き終えて立ち上がった三橋に、それらを差し出す。
一瞬驚いた顔になった三橋がすぐに「あり、がと」と言って笑った。
その笑顔はなんて言ったら、いいんだろう。
邪気のない、透明な笑顔だ。
何でベースを拭いてたの?とオレは聞いてみた。
三橋はオドオドと目を泳がせる。
オレは慌てて「怒ってないから!」と言って、笑顔を作った。
引き攣っていない自信はなかったけど。
お、いの、り。もっと、ファースト、上手く、なる、ように。
三橋がいつものようにドモりながら、言った。
お祈り?と聞き返したオレに、三橋がおずおずと笑った。
沖、く、左、利き。投手も、ファーストも、有利。
でも、オレ、も。どっちも、負けたく、なくて。
三橋の言葉に、オレは驚いた。
投げるの大好き、投球中毒の三橋。
マウンドを譲りたくなくて、投手として花井やオレに負けたくないと思っているのは知ってる。
だけどファーストも負けたくないと思っているなんて、考えてもみなかった。
ごめ、その。オレ、自分、ダメ、なの、わかって、る、から。
オレの驚いた顔に、三橋はビビッてしまったらしい。
オドオドと言葉を紡ぐ三橋は、何だか涙目だ。
三橋さ、ボールを捕るとき、ベースを意識しすぎじゃないかな。
もっと捕りやすい体勢になった方がいいよ。
捕球のときも、かなりきわどい時以外は無理して身体を伸ばさなくていいし。
もっと力を抜いた方がいい。
無理して怪我したら、もったいないよ。
オレは先程言おうか、言うまいかと迷ったことを言った。
三橋は絶対にアウトにしようという気が、勝ちすぎているのだと思う。
守備のときは極力ベースから離れないようにしているし、捕球のときはせいいっぱい身体を伸ばす。
だからよくよく見ると、微妙にバランスが悪い気がするんだ。
ほんとに注意しなければわからない程度ではあるんだけど。
三橋がもし本気でファーストを目指したら。
考えると、ちょっと怖いと思う。
三橋は身体がやわらかいから、捕球のときにはめいっぱい身体を伸ばすことができる。
それにコントロールがいいから、三橋からの送球はいつでも捕りやすい位置に飛んでくる。
オレが左利きであることを合わせても、三橋の方が優れている部分はたくさんある。
本当に三橋には、本当に頭が下がる。
邪気のない笑顔で、上手くなりたい、負けたくないと言って憚らない。
笑顔同様、その野心も純粋で透明なものだ。
力を、抜く。沖君、ありがとぉ!オレ、頑張る!
三橋が涙が残る目で笑う。
オレも頑張るよ、とオレは答えた。
上手くなりたいし、負けたくないのは、オレも同じだからな。
【終】