空10題-夜空編

【流星群】

終わった。
全力で1塁に走る最後の打者が「アウト」のコールを受けたとき、オレは目を閉じた。
3年間の高校野球が終わった瞬間だった。

甲子園で負けた後って、本当にいろいろな感情が浮かんでくるもんなんだな。
もちろん一番大きいのは、優勝できなかった悔しさ。
でも甲子園っていう舞台に立てた喜び。
最後まで全力で頑張れた充実感。
応援団やブラバン、監督や親など、応援して協力してくれた人たちへの感謝。
終わってしまった、もうこのメンバーで野球ができない寂しさ。

普通に考えれば、オレたちは劇的なハッピーエンドを迎えたと言っていいだろう。
何しろ何もないところからスタートしたんだ。
ただの空き地のようなグラウンドを野球ができるように整備して、マウンドを作った。
頼れる先輩もいなくて、何でも自分たちで決めていかなければならなかった。
県立高校だから、私立のように潤沢な資金があるわけでもない。
そんな中で最後の夏、甲子園の舞台に立って勝利も経験できたんだから。

それにオレにはもう1つ、感謝すべきことがある。
それは三橋という投手が西浦に来てくれたことだ。
あのコントロールと投球へのひたむきさは、オレを惹きつけた。
オレはチームが勝ち進むと同じくらい、三橋を有名にしたいと思ったんだ。
ここまで惚れ込める投手に逢えたオレは、捕手としてはかなり幸運なんだと思う。

とにかく終わったんだ。
オレたち3年生は引退して、野球部の未来は後輩に託す。
それぞれの進路に向かって歩き出し、後はもう関係ない。
そう思っていた。

だけどそれが違うと知った。
きっかけは三橋が言い出したちょっとした「お願い」だった。


引退式、の、後。話を、して、くれ。
三橋は最後の試合の後、甲子園球場から宿へ向かうバスの中でそう言った。
オレは「今、言えよ」と答えた。
話をする相手がてっきり三橋だと思ったからだ。
だが三橋はブンブンと首を振ると、ある後輩の名前を言った。

2年生の捕手は2人いる。
1人はオレの控え捕手としてベンチ入りしていた。
三橋が名前を挙げたのは、ベンチに入れなかったもう1人の捕手の方だった。

正直言って、頭の中は「???」だった。
なんで三橋の口からヤツの名前が出てくるんだ?
アイツも捕手だし、練習で三橋の球を捕ったことはあったはずだ。
だけど三橋とアイツが2人きりで喋ったりしている記憶はない。
むしろ同じ捕手であるオレの方が、アイツと接する機会は多かったはずだ。

話すって、何を話せばいいんだ?
オレは三橋にそう聞いた。
聞いて当然だろ?
何が何だかわからないのに、話せって言うんだから。
だけど三橋はあろうことか「何でも、いいんだ」と言いやがった!

何なんだろう。この焦りみたいな胸の痛さ。
いくらバッテリーを組んでいても、三橋の全部をわかっているわけじゃない。
特に野球以外のところでは。
三橋にオレの知らない友人がいたり、知らないことをしていても不思議じゃない。
だけど相手は野球部の中で、しかも同じ捕手。
こんなほとんどオレの目の前とも言えるところで、三橋はオレの知らない何かをしたんだ。

そのことにショックを受けて、ショックを受ける自分にまたショックを受けた。
最後の大会と共に、もうバッテリーとしての関係は終わったはずなのに。
オレは単なる投手としてではなく、三橋本人に執着しているらしい。
まだまだ三橋の球を捕りたいけど、それ以上に三橋の全部が知りたいと思ってる。
この気持ちっていったい何だ?

よくわからないまま、引退式の日が来た。
式の後、ロッカーを片付けたオレは、2年生の教室に向かった。
ヤツはすでに来ていて、オレの姿を見たらなぜか驚いたみたいだった。


三橋にお前と話せって言われたんだ。何かよくわかんないけど。
お前と話すって言ったら、やっぱり捕手ってことだよな?

オレがそう切り出すと、ヤツは曖昧に頷いた。
三橋、もしかしてコイツにもただ「話せ」としか言ってないとか?
そもそもオレが現れるってことすら知らなかったみたいなんだけど。
何だかもう帰りたくなってきた。

それでもオレは話をすることにした。
一応先輩だし、カッコ悪く逃げ帰るのもみっともないと思ったからだ。
この状態でコイツがオレから聞きたい話と考えると、思い当たる答えは1つしかない。
どうしてベンチ入りできなかったのかだ。

モモカンとオレは2人の2年生捕手について、何度も話をした。
コイツは投手は投げる人、捕手は捕る人だと単純に考えているんだと思う。
投球に一番大事なのは投手の能力で、捕手はその邪魔をしないことだと。
対してもう1人の捕手は、どうしたら投手の能力を最大限に引き出せるか、さらに伸ばせるかと考えている。
この意識の違いは大きい。
しかも技術などとは違って、覚えるようなもんじゃないからむずかしいんだ。
そしてこの差がベンチに入れるかどうかの明暗を分けた。

お前を見てると、三橋が中学時代に組んでた捕手を思い出すよ。
オレはかつて三橋と組んでいた三星の畠を例に出した。
叶の決め球がフォークだったから、ストレートで2ストライク取って、最後にフォーク。
本当にわかりやすいリードだった。
あ、畠の名誉のために言うけど、今はもうそんなリードしてねーぞ。
三星は三橋の出身校だし、最初の試合相手だから、気になって試合はチェックしてるんだ。

データをきちんと分析して、頭を使ってリードするの面倒だと思ってるだろ?
キャッチングとかフィールディング能力はお前の方が上なのに、すげぇもったいない。
多分モモカンもそう思ってると思うぜ。

真剣に取り組んだら、正捕手はそんなに遠い夢じゃない。
それを教えてやったつもりだった。
顔を輝かせているコイツを見て、オレは引退してもまだできることがあるんだと思った。
それはきっと見守ってやることだ
そしてこうして悩んで足掻いてるヤツに、道を示してやる。
それはきっと先輩としての義務ってことなんだろう。

ありがとうございました!
ヤツの声に見送られながら、オレは教室を出た。
三橋の意図したことは結局わからなかったけど、オレなりにヤツの役には立てたような気がする。


8月下旬、もうすぐ夏休みが終わろうとしている頃。
引退式の後、意外にも早く野球部のメンバーと会う機会が出来た。
野球部の全員で、ナントカ流星群っていうのを見に行くことになったんだ。
1、2年生は練習の息抜き、3年生は受験勉強と進路に悩む頭を一休みという趣向らしい。
場所は学校からさほど遠くないオフィスビルの屋上。
モモカンが窓拭きのバイトをしている会社に話をつけてくれて、オレたちの貸切状態になっていた。

何だかんだでみんなノリノリのようだ。
部の備品である偵察用のビデオカメラも持ち込まれていて、すでに三脚で固定されている。
コンビニで買ってきたパンだとか、菓子などを広げている者が多かった。
三橋は母親特製だという顔よりデカイおにぎりを食べ始めて、周囲の度肝を抜いた。
水谷が金環日食で使ったという日食グラスを持って来ていて、みんなに「お前バカだろ」と言われていた。
苦労性の花井はもう主将でもないのに「静かにしろ!」と声を張り上げていた。
圧巻は田島が持ち込んだ大家族仕様のビニールシートだ。
さすがに部員全員は無理だが、3年生全員は余裕で座れる。
おかげで何も装備してこなかったオレもおこぼれに預かって座ることができた。

ふと見ると、三橋とアイツが並んで話をしていた。
引退式の後、三橋に頼まれて話をしたあの後輩だ。
2人は他の部員たちと少し離れたところに立って、親密そうな雰囲気で話し込んでいる。
何を話してるんだ?
そういえば、とふと思い出す。

三橋先輩、中学時代は部で孤立してたんでしたね。
オレが畠を例に出そうとした時、アイツは確かにそう言った。
三橋が中学時代に他の部員たちから嫌われた話は、3年生しか知らないはずだ。
オレの知らないところで、あの2人に何があったんだ?
何だかゾワゾワと落ち着かない気持ちになった。

だが2人は長い時間話すこともなく、すぐに離れた。
アイツは他の2年生が溜まっている場所に腰を下ろす。
三橋はオレの方へとやって来ると「隣、いい?」と聞いてきた。
オレが何も気にしてない振りをしながら頷くと、三橋はオレの隣に腰を下ろした。


お前、アイツと何があったの?
オレは思い切ってそう聞いた。
三橋はしばらく考えている。
もしかして長い話を聞かされるのかと身構えた。
だけど三橋の答えは簡潔なものだった。

迷ってた。だから、教えて、あげた、かった。
オレは思わず「教える?何を?」と聞き返す。
三橋は「野球、楽しい、ってこと!」と元気に言い切った。
オレだったら気恥ずかしくて、今さら言えないセリフだ。

だが三橋は照れた様子もなく「ウヒ」と笑った。
顔立ちも身体も大人っぽくなった三橋だけど、この笑い方は変わらない。
その表情から、オレは的外れな邪推をしていることを悟った。

2人の間に何かあったのは間違いない。
だけどそれは野球に関わることで、それ以外にはきっと何もない。
三橋は困っていたアイツに純粋な気持ちで手を差し伸べたんだろう。
気にならないわけじゃないけど、三橋が話さないならあえて聞くこともないと思う。

見えたぞ!ペルセウス座流星群だ!
誰かが叫んだのを聞いて、オレも三橋も空を見上げた。
正直言って思ってたほど派手じゃない。
流れ星の雨あられを勝手に連想してたけど、実際は2、3分に1回星が流れるだけだ。
だけど三橋は口をひし形に開いて驚いている。

三橋、大学に行ってもオレとバッテリーを組むつもりないか?
するりと自分の口から出た言葉に、オレ自身が驚いた。
こんなこと言おうと思っていなかったし、そもそも考えていたわけでもない。
だけど無防備な状態で自然に出て来た言葉は、きっとオレの本音なんだろう。
三橋は口をひし形に開いたまま少しの間沈黙したけど、すぐに「組み、たい!」と答えてくれた。

さすがナントカ流星群。
オレの願いは一瞬にしてかなえられたみたいだ。

【続く】
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