空10題-夜空編

【三日月】

なぁ、知ってるか?
夏の高校球児には、試合と練習以外にもいろいろなドラマがあるってことを。

まず多いのは夏休み前。
最後の夏の大会で背番号をもらえなかった3年生は、夏大を待たずに部を去る者も少なくない。
スタンドで応援するためだけに部に残るなんて虚しいもんな。
それならさっさと部を去って、受験勉強とか就職の準備とかしたくなるよな。
部に残った部員たちと、去った部員との間にはわだかまりができたりするらしい。

そして次に多いのは夏大終了後。
これはチームによって時期は凄く異なる。
地区予選の1回戦で負けてしまえば7月中旬だし、甲子園で勝ち進めば8月までずれ込む。
とにかく3年生が引退して、新チームを作る時だ。
秋大で背番号をもらえなかった2年生は迷うんだ。
頑張って来年の春か夏に背番号をもらおう!って思えるヤツはいい。
だけど可能性は微妙だろ?
選ばれたレギュラーを押しのけて背番号を勝ち取るのは、至難の業だ。
そのうえ4月には、新しい1年生が入ってくる。
自分と同じポジションに有望株がいたりしたら、それでアウトなんだ。
引退なんか待たずに野球を終わりにするっていう選択肢は、決して責められないものだと思う。

それでも部をやめて、高校生活の別の目的を捜すって思うのは実にまともな考え方だ。
中にはヤケになって、違法行為に走る者もいたりする。
一番多いのは、飲酒と喫煙かな。
時にはもっと危険な犯罪にまで走るヤツもいる。
今年は確か、甲子園出場を決めたとある高校の野球部員が婦女暴行ってニュースを見たな。
確かレギュラーになれずに退部した3年生だった。

昔はこういうのって連帯責任で学校ごとが出場辞退になってたらしい。
だから「オレを出さないなら、出場させないぞ」とばかりに犯罪に走るバカもいたって。
迷惑な話だよな。

でもオレにはわかる気がする。
試合に出たいって思いで必死に頑張って、でも出られなくて絶望してヤケになる気持ち。
かく言うオレも、あのとき三橋先輩が来なければ部室荒らしをしてたもんな。


甲子園の第2試合が終わった後、オレたちは埼玉に戻った。
そして応援の練習に明け暮れている。
本当は野球の練習がしたいんだけど、本格的な練習はできない。
責任教師と監督が甲子園に行ってしまってるからだ。

こういう状態ではどうしても気持ちが腐る。
話す内容は必然的にネガティブになる。
そして2年生たちの間では「新チームで背番号がもらえなかったら」という話題が多くなった。

今2年生の部員は19人いる。
それで今ベンチに入っているのは8人だ。
この8人は1歩リードって言えるだろう。
さらにその中でいつも試合に出ているのはファーストとレフトの2人。
それと時々出てくるのは右と左の投手2人だ。
試合に出てる4人はその中でもまぁ安泰だろうな。
問題は残りのメンバーのうち、何人がベンチに入れるかってことだ。
甲子園で背番号がもらえるのは18人。
単純に全員2年生にしたって、1人余るんだよな。

他人事みたいに言ってるけど、オレも憂鬱だ。
2年生には捕手が2人いるけど、ベンチ入りしたのはオレじゃないんだから。
普通に考えたら、今ベンチに入っている方が次の正捕手だよな。
控え捕手は将来のことを考えて1年生から選ぶなんて、モモカンはやりそうだ。


今日も応援団やチアと一緒に、たっぷりと応援の練習をした。
その後ランニングとボールを使わない簡単なトレーニングをして、明日の準備だ。
明後日が第3試合なので、明日はまた夜行バスでの移動だ。
今度勝つともう甲子園に泊り込みになるから、宿泊の準備もしなくてはいけない。

練習が終わるとすっかり夜で、空には三日月が浮かんでいる。
帰り際の自転車置き場で、同じ2年生の野球部員に声をかけられた。
コイツはオレとは同じクラスで、投手。
野球部の中では一番仲が良くて、2人でバッテリー組みたいなんてよく話す。

そんなコイツがいつになく深刻な顔で話しかけてきた。
何だか嫌な予感がする。
っていうか言いたいことは、だいたい予想がついた。
聞きたくないって思ったけど、逃げるわけにもいかない。

お前、秋以降も続ける?
案の定というか、予想通りというか。
オレに告げられたのは、悲観的な現実への疑問符。
コイツはもう自分が背番号をもらえるチャンスはないって思ってるんだろう。

オレたちは自転車置き場で無言のまま、じっと相手を見ていた。
他の部員たちが「コンビニ行かねーの?」と言いながら、自転車を漕ぎ出していく。
オレは「後から行くよ!」と答えながら、部員が全員出て行ってしまうのを待った。
そして2人きりになったのを見計らって、オレは口を開いた。

秋大のメンバー発表を聞くまでは、やるつもりだけど。
そこでダメならポジション変更も考えるし。
オレがそう答えると「はぁぁ?」と強い口調の返事が返ってきた。
そのうえ信じられないって顔でガン見されてしまって、何とも居心地が悪い。


秋大のメンバー発表の後なんて、間に合うわけないだろ?
2年生の投手は、ほとんど退部かポジション変更考えてるぞ。
そう言われて、オレは「そうかもな」と呟いた。

ちなみに今の2年生は投手経験者が結構多かったんだ。
理由は三橋先輩のあの遅い球だ。
これならエースのポジションを取れるって思って入学したヤツが多い。
だけど入学して、実際に三橋先輩のコントロールを見て、その凄さを思い知ったってわけだ。
部を辞めたヤツも、すでにポジションを変えたヤツもいる。
確かに秋大のメンバー発表の後じゃ、もう空いてるポジションなんてないだろうな。

ちなみにオレとコイツは、春頃には2人で内野手になろうかって話をしたことがある。
狙うのはショートとセカンド。
今巣山先輩と栄口先輩が守っているところだ。
この2人の先輩はずっと同じクラスで、3年生の中でも仲がいい。
栄口先輩は巣山先輩に「できっぞ!」って言われると、何でもできる気がするって言ってたっけ。
そんな信頼関係のせいもあると思うけど、2人の連係プレーは流れるように綺麗で危なげがない。
オレたちも2年の中では仲がいい方だと思うし、この2人を目指すのも悪くないかもって思った。
でも同じことを考えてるヤツだって、きっといるはずだ。

何だか思ってたのと違うって気がするんだ。
オレたち野球がしたいだけなのに、いつの間にかベンチに入ることばかり考えててさ。
プレーのことなんかそっちのけじゃん。
改めてそう言われて、確かにその通りだって思った。
オレは何て言っていいかわからず、ぼんやりと三日月を見上げていた。

わからない。続けるべきなのか?捕手を。野球を。
オレはその夜、初めて三橋先輩にメールを送った。
今の迷いをありのままに綴ったメールだ。
阿部君、を、見て。それ、で、学んで。
真っ直ぐな目でオレを見てそう言ったあの人に聞いて欲しくなったんだ。


キャッチャーやめたら、後悔しない?
オレは投手ができなかったら野球しない。
でも投手ができるチャンスがあるならぜったいあきらめない。

家に帰ったオレは、たった3行の短いメールを受信した。
オレは随分長いメールを送ってしまったので、三橋先輩はきっと読むのに疲れただろう。
そもそもオレたちは実はほとんど話したことがないわけで、さぞかし迷惑だっただろう。

それでもその3行には、三橋先輩の思いが全部入っているような気がした。
自分だったらあくまで希望のポジションで、ベンチ入りを目指す。
それだけでオレにどうしろとは一言もない。
後悔しないように自分でよく考えて決めなければいけないって言ってるんだ。

だけどすんなり受け入れられたわけでもない。
1年生からずっとマウンドを守っているエース。
中学のときはヒイキでやっぱりずっとマウンドにいたって言ってたっけ。
そんな人にポジションを変えてでも試合に出たいって気持ちは理解できないだろう。
上から目線で気楽なことを言ってると、意地悪な気分になる。

それでも「キャッチャーやめたら、後悔しない?」って問いかけにはグッときた。
きっとオレは後悔する。
内野手に転向して背番号が取れなかったら、何のために捕手をやめたんだって思うだろう。
それで背番号が取れたとしても、もっと頑張って捕手で取ればよかったって考えると思う。
退部したらきっと野球をやりたいって思う。
やっぱりまだ諦めたくないんだ。野球を。捕手を。

参考になりました。ありがとうございました。
オレは三橋先輩に短いお礼のメールを返した。
すると三橋先輩はすぐに「おやすみなさい」と返信してきた。
なんていうか素直でかわいい人だよな。

オレは部屋の窓から三日月を見上げた。
この三日月は三橋先輩からも見えているだろうか。
ふとそんなロマンチックなことを考え付いたオレは思わず苦笑した。

【続く】
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