空10題-夜空編

【暗闇】

おめでとう!
色々な人からそう言われる。
家族や親戚だけでなく、クラスメイトとか近所の人とかね。
中学や小学校の時に仲が良かったヤツらはメールをくれた。
だけどちっともめでたくなんかない。
少なくてもオレにとっては、ね。

西浦高校硬式野球部が、夏の甲子園出場を決めた。
オレは西浦高校の2年生で、野球部員。
みんなが「おめでとう!」って言ってくれるのは、そういう理由だからだ。

学校中が盛り上がっている。
元々硬式野球部は廃部状態だったらしいんだけど、復活してわずか3年目の快挙のせいだ。
しかも元々1年生だけでスタートした野球部。
その1年が3年になったときに夢を実現させたという劇的なエピソード付きだ。
野球部員だけでなく一般生徒も、いや教師までテンションが上がってるようだ。

そりゃそうだよな。
県立高校は私立の強豪に比べると、練習環境は悪い。
例えば甲子園常連校は、専用グラウンドなんて当たり前に持っている。
中にはわざわざ甲子園と同じレイアウトで練習グラウンドを作った学校もあるくらいだ。
だけどうちは専用なんてないどころか、グラウンドを他の部と半々で使うことも珍しくない。
部員だって特待生をスカウトしたりせず、一般生だけで構成されている。
監督が若い女性だってことも変わってる。

そんな高校が勝ち上がったことで、世間の注目度も高いんだ。
毎日校門の前には取材が押し寄せ、テレビなどのメディアで学校の名前が連呼される。
浮かれるなって方が、無理な話だよな。


オレは2年生で、野球部再創設メンバーの1つ後輩に当たる。
つまりオレが入部したとき3年生はおらず、先輩は2年生だけだった。
オレが西浦高校を選んだ理由も、まさにそこだった。

だって1年生ばっかりで10名の野球部だぜ?
しかも特待生を入れたりしない学校なんだ。
レギュラーを取りやすいと思うじゃないか。
その上、創部したばかりであの桐青高校に勝ってる。
決して弱小じゃなくて、むしろそこそこ強いってことだ。
強豪校からスカウトが来るほど野球が上手いわけではないオレみたいなヤツでも甲子園に行けるかも。
そんな期待を持っちゃってもおかしくないだろう?

だけど世の中、そんなに甘くない。
オレが考えるってことは、みんな考えるんだよ。
同じ目的で西浦に来たヤツは、かなりいた。
しかも中学野球やシニアなんかでそこそこ有名なヤツまでいたりした。
強豪校でもレギュラーを狙えるようなヤツは、こんな学校に来るなよ!

結局オレは、入学してからまだ1度も背番号をもらえずにいた。
公式戦ではいつもベンチに入れず、スタンドで応援。
それは今回の甲子園だって、同じだ。
夏の大会が始まってからは、もうほとんどまともな野球の練習をしていない。
グラウンドはレギュラー選手が、次の対戦相手に的を絞った練習をするために割り当てられる。
オレたちはそのサポートと応援の練習ばかりだった。

いくら甲子園に行けたって、ベンチにも入れない補欠にとっては地獄でしかない。
3年生はともかく同学年や後輩のレギュラー部員たちは、甲子園で試合を重ねてレベルアップしていく。
なのにオレらは、ずっと応援とサポートを繰り返さなきゃいけないんだから。
同じ県の他の学校はもう3年生は引退して、新チームが始動してるっていうのに。
練習さえ満足にできずに、夏を過ごさなきゃいけないんだ。

とにかくオレは焦っていたんだ。
今夜とんでもないことをしでかそうとしていたのも、そのせいだ。


その夜、オレはたった1人で夜の学校にいた。
正確には部活が終わった後、戻って来たんだ。
学校はもう夏休みで、部活に来ている生徒たちも帰ってしまっている。
誰もいない学校は、昼間とは打って変わって暗くて不気味だった。

オレが向かったのは部室だった。
部室の鍵は、交代で回ってくる鍵当番の時にこっそり合鍵を作ってある。
なるべく音がしないように、そっとダイヤル式南京錠を外して、ドアの鍵も開けた。
そしてこれまたそっとドアを開けて、部室の中に入る。
ドアを閉めると、部室の中は完全な暗闇だった。

オレはポケットから携帯電話を取り出すと、その明かりで部室の中を照らした。
いつもはガランとした部室だけど、今日は違う。
いわゆる背番号組、レギュラーメンバーは明日甲子園に向けて出発する。
だから部室には甲子園に持っていく道具などが、ダンボールなどに梱包されていた。
これらは背番号組とは別便で発送される。
ちなみにその梱包をしたのも、オレたちだ。
背番号組は今日も1日、練習だけに専念していた。

オレは肩にかけていた鞄を開けると、中から大型のカッターナイフを取り出した。
そして目印をつけておいたダンボールを開ける。
それから今回持っていく荷物の中のバットケースを開けると、金属バットを取り出した。

そう。オレは明日甲子園に発送する用具類をこっそり壊すつもりだった。
こんなことするのは、卑劣なことだとよくわかっている。
だけどもう応援もサポートも嫌なんだ。
早く3年生に引退してもらって、新チームでやりたい。
そして今度こそ、何としても背番号組に入りたいんだ。
そのためには少しでも早く負けてもらいたい。
さすがに道具がないから試合に出られないってことにはならないだろう。
でも背番号組の気持ちを乱して、調子を崩すくらいはできるかもしれない。


オレは「よし」と小さく声をあげると金属バットを振り上げた。
まず壊すのは、キャッチャーの防具。
阿部先輩が使っているマスクとプロテクターとレガースだ。

オレのポジションは捕手なんだ。
正直言って西浦に入るまでは、オレは阿部先輩のすごさがわからなかった。
球場で見た送球やキャッチング、フィールディングや肩の強さなんかはごくごく普通だと思った。
盗塁阻止率とか被盗塁数比較みたいな数字に現れるデータも平均並みだ。
正直言ってこの人相手ならレギュラーを取れると思った。
だから西浦に入った。

だが入学して入部してから知った、阿部先輩の捕手としての力量。
データ分析力と配球のセンスのよさが、この人の最大の武器だ。
ましてや投手があの正確なコントロールを誇る三橋先輩。
阿部先輩にとっては、鬼に金棒ってとこだろう。

阿部先輩の影響もあるんだろうけど、控えの2年生捕手は阿部先輩タイプだ。
つまり身体能力の高さよりも頭脳が重視されている。
配球に今1つ自信がないオレには、厳しい現実だった。

まずオレがキャッチャーの防具を壊そうとしたのは、そんな現実への反抗だ。
まぁどの道、甲子園行きの荷物は全部破壊するつもりだから、順番は関係ないんだけど。
とにかく壊すんだ。
阿部先輩の捕手としての必需品も、西浦の甲子園への夢も、この手で壊したい。


だが次の瞬間、部室のドアが開いた。
オレは驚いて、金属バットを振り上げたままドアの方を見た。
こんな時間に誰かが部室に来るなんて、まったく予想外だ!

暗闇に差し込む光の中、1人の人影が浮かび上がった。
その人物は上機嫌なようで「ムッフ、フ~ン」と変な鼻歌を歌っている。
オレがいることにはまったく気付いていない様子で、壁にある照明のスイッチに手を伸ばした。
そしてオレはどうしていいかわからず、バットを振り上げたまま固まっていた。

明かりがついた瞬間、鼻歌の主である三橋先輩がオレに気付いて「うぉ!」と声を上げた。
大きなつり目がさらに大きく見開かれて、口がひし形に開いている。
だがすぐにキョドキョドと視線を泳がせながら「わ、忘れ物、して」と言った。

三橋先輩は慌てて自分のロッカーに走り寄ると、中から黒い布の塊みたいなものを取り出した。
どうやら丸めたアンダーシャツだ。
それをバックに放り込むと、三橋先輩はふと気付いたようにオレを見た。

こんな、時間、に、何、してるんだ?
この時になって、ようやく三橋先輩はこの状況の異常さに気付いたようだ。
さすがに振り上げた腕は下ろしたけど、右手に金属バット、左手に大型カッターを持ったオレ。
しかも荷造りしたのに再び開けられた、阿部先輩の防具が入ったダンボールの前に立っている。
何よりも三橋先輩が明かりをつけるまで、オレは暗闇の中にいたわけで。
つまり言い逃れなどできる状況ではない。

あの、実は。
オレは覚悟を決めて、口を開いた。
ひょっとしたら三橋先輩の口から、百枝監督や志賀先生に報告されてしまうかもしれない。
だけど観念したオレは、ただ淡々と思っていることと今やろうとしていたことをありのままに話した。

最後までオレの話を聞き終えた三橋先輩は「そっか」と短く言った。
そして三橋先輩はオレに「ウヒ」と笑いかける。
思いがけない笑顔に呆然とするオレに、さらに三橋先輩は「あること」を話してくれた。

暗闇の中に光が見える。
このときオレは確かにそう思った。

【続く】
1/10ページ