空10題-青空編

【反射する湖面】

まだ小さい頃、家族で旅行したときだったと思う。
場所はどこかの湖だ。
湖面に夕陽が反射して、キラキラと輝いていたのを憶えている。
風に揺れる水面に映る不規則な光の模様が、すごく綺麗だった。
姉貴が「ランハンシャ」だと教えてくれたっけ。
正確な時期も場所もうろ覚えなのに、あの時の情景と「乱反射」という言葉だけはよく憶えている。
だがそれも年を重ねるごとに、思い出すこともなくなった。
思い出したのは、本当に偶然だった。

誰かの携帯電話の音が鳴り響いたのは、部活の前。
掃除当番で遅れている阿部以外のメンバーが、いつもの通りに着替えているときだ。
三橋が「オレ、だ!」と慌てた声を出して、ワタワタと鞄をかき回している。
そんなに焦る必要なんかないのに、と思いながら、何とはなしに三橋を見ていた。
そのときだ。
部室の窓から差し込む夕陽に、三橋の携帯電話がキラキラと光った。
しかもその光り方は、なんだか妙だ。
まるで光が反射する湖面のような。そうだ。乱反射。

その原因はすぐにわかった。
三橋の携帯電話は傷が多いからだ。
今も慌てて取り出した携帯電話を、ゴトンと床に落としている。
なるほど。こんなこと繰り返してたら傷だらけになるよな。

どうやらメールだったらしい。
三橋が画面の文字を読んでいる。
おれはその後ろ姿に向かって、声をかけた。


ねぇ、そんなに焦んなくてもいいんじゃない?
三橋のケータイ、傷だらけじゃん。
オレがそう言うと、三橋はキョドキョドと落ち着かなくなった。

でも、すぐ、出る、出ない、確認、だって、中学、決まりで、すぐ、切れて、だけど、出ると、迷惑。
三橋、オレが話しかけたことに答えてくれてるんだよね?
そう確認したくなるくらい、三橋の答えは支離滅裂だった。
オレはよくKYとか言われるけど(不本意だ!)こういうのが理解できないせい?
だけどどうやらほぼ全員が、三橋が何を言っているかよくわからなかったらしい。
あのスーパー通訳、田島が、聞き返しているもんね。
オレだけがわからないんじゃなくてよかったと、少しホッとした。

田島の通訳によると。
三橋の中学では、野球部の時間等の連絡は必ずメールでなく、電話でするように決まっていたらしい。
おそらくメールで連絡して読んでいなかったとか、そういうトラブルをなくすためだろう。
三橋を嫌い、さけていた部員たちは、三橋への連絡はワン切りしていた。
そして電話したけど出なかったという形にして、メールを送っていたのだ。
あからさまに必要事項を連絡しないなどということはせず、でも直接話をしたくない。
なんとも巧妙で、陰湿な嫌がらせだった。
最初そのことに気付かなかった三橋は、何度もワン切り電話に出ようとしたのだ。
それで焦って、電話を落とすこともたびたびあったということらしい。
なるほど、だから電話が傷だらけなんだ。あれ?でもそれなら。


でもそれは中学の話でしょ、今は焦んなくても。。。。。。
オレは途中で言葉を切った。
高校に来て、焦って電話に出る理由。
それはあの短気な正捕手のせいだ。
全員同じことに思い当たったんだろう。
誰からともなく「阿部か」とため息や苦笑がこぼれた。

見たら返信。
前にたまたま見た阿部から三橋へのメールの件名がそうだった。
桐青戦の後、寝込んでる三橋にメールに返信しなかったからって怒ったらしいし。
それに今覗き見した三橋へのメールはやはり阿部からだ。
15分ほど遅れる。その間にアップしておけ。勝手に投げるな。
当たり前のことをひどく高飛車に伝える、オレ様捕手。

そういえば以前、姉貴が言ってた。
ダイアモンドは傷がつくと、その値打ちは下がる。
だけど逆にそれを好む人がいるという。
傷に反射する光が人間の計算では作れない不思議な模様を作り出すからだって。

三橋の携帯電話の傷は、中学時代の心の傷って言えるかもしれない。
でもその傷に乱反射する光には、なんか不思議な魅力があると思う。
そしてそれは三橋自身にも言えることだと思うよ。
だって阿部の理不尽なメールを読んでいる三橋は、嬉しそうに笑っていたから。
いつか見た光が反射する湖面みたいだ。
いびつだけど、綺麗で面白くて、目が離せない。

【終】
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