空10題-朝・夕編
【一番星】
「桐青ともあろうモンが、随分セコいマネするもんだな。」
泉の言葉は、その文章だけ見てみれば独白のようだ。
だが独り言でも、内輪話でもなかった。
声を張って、周りの者たちにはっきりと聞こえる大きさとトーン。
つまり桐青の部員たちにアピールする意図で、言っているのだった。
桐青の文化祭に来た三橋、田島、泉。
校庭で野球部の応援パフォーマンスを見た後、練習グラウンドに案内された。
そこにあったのは、的当てのゲームだった。
とりまく部員たちの何人かがビデオカメラを持っている。
何よりも的が透明の板で、その向こう側には三脚で固定されたカメラがある。
その横には野球部のユニフォーム姿の生徒が2人、待機している。
「ほら、ゲームだからさ。記念用の撮影なんだよ。」
利央が取り成すように、そう言った。
何が記念用だ、と言い返そうとした泉だったが、何も言わなかった。
利央は先輩に言いつけられた通りに、自分たちを呼んだに過ぎないのだろう。
申し訳なさそうな顔の利央に文句を言っても、仕方がない。
夏の試合のとき、西浦だけうちのデータを持っていたのに。
とりまく部員たちの中から、そんなささやきが聞こえてくる。
単に三橋がマークされただけでなく、負けた恨みのようなものもあるのかもしれない。
もし投げないと断ったら、ヤジでも飛んできそうな雰囲気だ。
どうしたらこの場を切り抜けられるのか?
泉は懸命に考えをめぐらせていた。
「オレ、投げる。」
三橋がそう言うと、ザワザワと騒がしかった部員たちが一気に静まり返った。
こんなにあっさりと投げると言うとは、思わなかったのだろう。
「今、の、データ、関係、ない、し。。。」
一気に注目が集まってしまった三橋は、いつも以上にドモってしまう。
声も震えており、緊張してしまっているのがわかる。
助け舟を出そうと一歩踏み出した泉の肘を、田島が掴んだ。
三橋は自分でちゃんと話す。だからもう少し待とう。
そんな田島の無言のコンタクトだ。
「オレ、もっと、強く、なる。」
「だから、今の、データ、は、関係、ない。」
「今日、の、データ、で、作戦、立てて、くれれば、オレ、ラッキー、だ、から」
「だから、投げても、問題、ない。」
三橋がたどたどしく言葉を紡ぐ。
いつもより吃音が酷く、大勢の前なので緊張に震える声だ。
だけど足を踏ん張って懸命に話す姿が、泉と田島には誇らしく見えた。
一番星だ。泉はふとそう思った。
小学生の頃、一番星とは何か特定の星のことだと思っていた。
だけど違うと教えてくれたのは、兄だ。
黄昏時、いくつか見え始めた星を見上げて、一番星はどれ?と兄に聞いた。
すると兄は、お前が初めに見つけた星が一番星なんだよと教えてくれたのだ。
もしも投手を星に例えるなら。
今この場には高瀬という桐青のエース-明るい星がいる。
だが泉たちにとっての一番星、一番目を引く光は間違いなく三橋だ。
「そうだよな!三橋はもっとすごい投手になるから、今のデータは関係ねーよな!」
黙って様子を見守っていた田島が、前に出た。
三橋の背中をバンバンと叩きながら、豪快に言い放つ。
いきなり背中を叩かれて一瞬むせてしまった三橋だが、すぐに「そうだね!」と笑う。
今のデータなんか取っても関係ない。
そう言って笑う2人に、桐青の部員たちは困惑した表情になった。
「三橋が投げるかわりに、頼みがあるんですけど。」
田島がさらに一歩前に出て、そこにいる部員たちを見回した。
そして目的の人物を見つけると、ニヤっと笑う。
確か高瀬の投球のクセを見破ったときも、コイツはこんな笑顔だった。
泉はあの夏の試合のことを思い出す。
「高瀬さんも投げて下さい。そんでオレ、あそこで構えたいんでバット貸して下さい。」
田島が指差したのは、的となっているプレート。
そして田島の視線は、しっかりと高瀬を捕らえていた。
桐青の部員たちがどよめき、泉も唖然とした。
三橋が投げるかわりに、と出した田島の要求は、実にあざといものだ。
同じ的当てをした場合、当然高瀬と三橋は比較される。
ここは桐青高校であり、桐青の生徒や他校の生徒がたくさんいる。
高瀬が負けた場合、恥をかいてしまうことになるだろう。
ましてこの種目は、三橋にとって断然有利だ。
なにしろ三橋の投手としての生命線は、制球力なのだから。
三橋のコントロールがすごくいいことは、桐青サイドも承知している。
それに田島は高瀬の球を、打席の位置で見たいという。
高瀬の決め球、シンカーを打って決勝打を放った田島。
その田島に、高瀬の球筋を見られてしまうことになる。
万が一にも高瀬の球を打ってしまったら。
それはもう高瀬だけでなく、桐青にとっての汚点となってしまう。
ここで三橋を投げさせてデータを取ることは、桐青にとっては仕返しの意味合いが強い。
実践用のデータなら、試合のものがすでにあるからだ。
だが仕掛けたつもりの桐青が、逆に攻め込まれている。
まるであの夏の日の試合のように。
「それはカンベンしてほしいなぁ。」
一気に緊張して静まり返っていたその場に、のんびりした声が響く。
声と共に一歩進み出たのは、引退したばかりの主将、河合だ。
横には島崎と前川もいた。
ユニフォーム姿の部員たちが一斉にそちらに注目し「ちわっす」と頭を下げる。
河合はゆっくりと手を上げて、挨拶し続ける部員たちを制した。
「ごめんな。この件はオレが悪いんだ。」
河合は三橋たちの方を向いて、苦笑しながらそう言った。
力が抜けた様子であるのに、どこか威厳がある。
花井にはまだまだ出せない雰囲気だなと泉は内心苦笑した。
「オレは君たちに負けただろ?」
オレが負けたという河合の言葉に、桐青の部員たちは河合の思いを感じる。
オレたちともウチのチームとも言わない。
自分のせいで負けたのだと言いたいのだろう。
「新設の1年生だけのチームに負けるとは思わなかった。だからまだ受け止め切れてないんだ。」
河合の言葉に、三橋も田島も泉も頷いた。
抽選会で初戦の相手が桐青高校だとわかったとき、部員の多くが今年は終わったと思った。
西浦の部員たちですら、勝てないと思ったのだ。
「だから利央が西浦を呼ぶって聞いたとき、君の投球を見たいと思った。」
河合に真っ直ぐに見られた三橋は「オレ?」と声を上げた。
「そう。最後に君が投げるのを見て、吹っ切ろうと思ったんだ。」
「だったらビデオに撮ろうと言い出したのは、オレだけどな。」
河合の横から口を挟んだのは島崎だ。
桐青がまた随分と露骨な嫌がらせをすると思っていた泉は納得がいった。
最後の夏が不本意な形で終わってしまった3年生のちょっとした企みだったのだ。
「じゃあビデオ撮影なしで三橋だけ投げる。それでどうですか?」
黙って河合たちの話を聞いていた田島が、そう言った。
その言葉にその場にいた全員が、驚いた。
桐青の部員たちだけでなく、泉も三橋もだ。
こんな流れになったからには、もう的当てはしないものと思ったのだ。
「だって三橋、投げたいだろ?」
「う、オレ、投げ、たい!」
三橋の元気なお返事に、泉は苦笑した。
そこにボールがあり、投げられる場所があるなら、とにかく投げたい。
それが三橋なのだ。
「9箇所全部に当てられたら、景品があるよ。」
「景品?何?」
利央の言葉に、田島が反応する。
一気に楽しげな雰囲気に変わったことで、利央がホッとしているのがわかる。
「確か焼き菓子の詰め合わせ。クッキーとかケーキとか。」
「ク、クッキー!」
三橋のテンションが一気に上がり、目をキラキラと輝かせている。
西浦の一番星は、こんな騒ぎの後でも子供のように無邪気だ。
「三橋、今日のおやつはお前にかかってるぞ。」
「絶対に取れよ!」
泉と田島の言葉に、三橋は力強く「うん!」と頷く。
そして的から18.44メートル先のマウンドに向かって歩き出した。
【続く】
「桐青ともあろうモンが、随分セコいマネするもんだな。」
泉の言葉は、その文章だけ見てみれば独白のようだ。
だが独り言でも、内輪話でもなかった。
声を張って、周りの者たちにはっきりと聞こえる大きさとトーン。
つまり桐青の部員たちにアピールする意図で、言っているのだった。
桐青の文化祭に来た三橋、田島、泉。
校庭で野球部の応援パフォーマンスを見た後、練習グラウンドに案内された。
そこにあったのは、的当てのゲームだった。
とりまく部員たちの何人かがビデオカメラを持っている。
何よりも的が透明の板で、その向こう側には三脚で固定されたカメラがある。
その横には野球部のユニフォーム姿の生徒が2人、待機している。
「ほら、ゲームだからさ。記念用の撮影なんだよ。」
利央が取り成すように、そう言った。
何が記念用だ、と言い返そうとした泉だったが、何も言わなかった。
利央は先輩に言いつけられた通りに、自分たちを呼んだに過ぎないのだろう。
申し訳なさそうな顔の利央に文句を言っても、仕方がない。
夏の試合のとき、西浦だけうちのデータを持っていたのに。
とりまく部員たちの中から、そんなささやきが聞こえてくる。
単に三橋がマークされただけでなく、負けた恨みのようなものもあるのかもしれない。
もし投げないと断ったら、ヤジでも飛んできそうな雰囲気だ。
どうしたらこの場を切り抜けられるのか?
泉は懸命に考えをめぐらせていた。
「オレ、投げる。」
三橋がそう言うと、ザワザワと騒がしかった部員たちが一気に静まり返った。
こんなにあっさりと投げると言うとは、思わなかったのだろう。
「今、の、データ、関係、ない、し。。。」
一気に注目が集まってしまった三橋は、いつも以上にドモってしまう。
声も震えており、緊張してしまっているのがわかる。
助け舟を出そうと一歩踏み出した泉の肘を、田島が掴んだ。
三橋は自分でちゃんと話す。だからもう少し待とう。
そんな田島の無言のコンタクトだ。
「オレ、もっと、強く、なる。」
「だから、今の、データ、は、関係、ない。」
「今日、の、データ、で、作戦、立てて、くれれば、オレ、ラッキー、だ、から」
「だから、投げても、問題、ない。」
三橋がたどたどしく言葉を紡ぐ。
いつもより吃音が酷く、大勢の前なので緊張に震える声だ。
だけど足を踏ん張って懸命に話す姿が、泉と田島には誇らしく見えた。
一番星だ。泉はふとそう思った。
小学生の頃、一番星とは何か特定の星のことだと思っていた。
だけど違うと教えてくれたのは、兄だ。
黄昏時、いくつか見え始めた星を見上げて、一番星はどれ?と兄に聞いた。
すると兄は、お前が初めに見つけた星が一番星なんだよと教えてくれたのだ。
もしも投手を星に例えるなら。
今この場には高瀬という桐青のエース-明るい星がいる。
だが泉たちにとっての一番星、一番目を引く光は間違いなく三橋だ。
「そうだよな!三橋はもっとすごい投手になるから、今のデータは関係ねーよな!」
黙って様子を見守っていた田島が、前に出た。
三橋の背中をバンバンと叩きながら、豪快に言い放つ。
いきなり背中を叩かれて一瞬むせてしまった三橋だが、すぐに「そうだね!」と笑う。
今のデータなんか取っても関係ない。
そう言って笑う2人に、桐青の部員たちは困惑した表情になった。
「三橋が投げるかわりに、頼みがあるんですけど。」
田島がさらに一歩前に出て、そこにいる部員たちを見回した。
そして目的の人物を見つけると、ニヤっと笑う。
確か高瀬の投球のクセを見破ったときも、コイツはこんな笑顔だった。
泉はあの夏の試合のことを思い出す。
「高瀬さんも投げて下さい。そんでオレ、あそこで構えたいんでバット貸して下さい。」
田島が指差したのは、的となっているプレート。
そして田島の視線は、しっかりと高瀬を捕らえていた。
桐青の部員たちがどよめき、泉も唖然とした。
三橋が投げるかわりに、と出した田島の要求は、実にあざといものだ。
同じ的当てをした場合、当然高瀬と三橋は比較される。
ここは桐青高校であり、桐青の生徒や他校の生徒がたくさんいる。
高瀬が負けた場合、恥をかいてしまうことになるだろう。
ましてこの種目は、三橋にとって断然有利だ。
なにしろ三橋の投手としての生命線は、制球力なのだから。
三橋のコントロールがすごくいいことは、桐青サイドも承知している。
それに田島は高瀬の球を、打席の位置で見たいという。
高瀬の決め球、シンカーを打って決勝打を放った田島。
その田島に、高瀬の球筋を見られてしまうことになる。
万が一にも高瀬の球を打ってしまったら。
それはもう高瀬だけでなく、桐青にとっての汚点となってしまう。
ここで三橋を投げさせてデータを取ることは、桐青にとっては仕返しの意味合いが強い。
実践用のデータなら、試合のものがすでにあるからだ。
だが仕掛けたつもりの桐青が、逆に攻め込まれている。
まるであの夏の日の試合のように。
「それはカンベンしてほしいなぁ。」
一気に緊張して静まり返っていたその場に、のんびりした声が響く。
声と共に一歩進み出たのは、引退したばかりの主将、河合だ。
横には島崎と前川もいた。
ユニフォーム姿の部員たちが一斉にそちらに注目し「ちわっす」と頭を下げる。
河合はゆっくりと手を上げて、挨拶し続ける部員たちを制した。
「ごめんな。この件はオレが悪いんだ。」
河合は三橋たちの方を向いて、苦笑しながらそう言った。
力が抜けた様子であるのに、どこか威厳がある。
花井にはまだまだ出せない雰囲気だなと泉は内心苦笑した。
「オレは君たちに負けただろ?」
オレが負けたという河合の言葉に、桐青の部員たちは河合の思いを感じる。
オレたちともウチのチームとも言わない。
自分のせいで負けたのだと言いたいのだろう。
「新設の1年生だけのチームに負けるとは思わなかった。だからまだ受け止め切れてないんだ。」
河合の言葉に、三橋も田島も泉も頷いた。
抽選会で初戦の相手が桐青高校だとわかったとき、部員の多くが今年は終わったと思った。
西浦の部員たちですら、勝てないと思ったのだ。
「だから利央が西浦を呼ぶって聞いたとき、君の投球を見たいと思った。」
河合に真っ直ぐに見られた三橋は「オレ?」と声を上げた。
「そう。最後に君が投げるのを見て、吹っ切ろうと思ったんだ。」
「だったらビデオに撮ろうと言い出したのは、オレだけどな。」
河合の横から口を挟んだのは島崎だ。
桐青がまた随分と露骨な嫌がらせをすると思っていた泉は納得がいった。
最後の夏が不本意な形で終わってしまった3年生のちょっとした企みだったのだ。
「じゃあビデオ撮影なしで三橋だけ投げる。それでどうですか?」
黙って河合たちの話を聞いていた田島が、そう言った。
その言葉にその場にいた全員が、驚いた。
桐青の部員たちだけでなく、泉も三橋もだ。
こんな流れになったからには、もう的当てはしないものと思ったのだ。
「だって三橋、投げたいだろ?」
「う、オレ、投げ、たい!」
三橋の元気なお返事に、泉は苦笑した。
そこにボールがあり、投げられる場所があるなら、とにかく投げたい。
それが三橋なのだ。
「9箇所全部に当てられたら、景品があるよ。」
「景品?何?」
利央の言葉に、田島が反応する。
一気に楽しげな雰囲気に変わったことで、利央がホッとしているのがわかる。
「確か焼き菓子の詰め合わせ。クッキーとかケーキとか。」
「ク、クッキー!」
三橋のテンションが一気に上がり、目をキラキラと輝かせている。
西浦の一番星は、こんな騒ぎの後でも子供のように無邪気だ。
「三橋、今日のおやつはお前にかかってるぞ。」
「絶対に取れよ!」
泉と田島の言葉に、三橋は力強く「うん!」と頷く。
そして的から18.44メートル先のマウンドに向かって歩き出した。
【続く】