空10題-朝・夕編
【冷えた空気】
「いいよなぁ、1年生ばっかり部員が10名って。」
「それならほぼ試合に出られるもんなー!」
「オレらも西浦に行けばよかったかなぁ?」
聞こえよがしの声が聞こえる。
雑談の形を取りながら、明らかに三橋たちに聞こえるような声だ。
三橋も田島も泉も、声の方向に視線を向ける。
そこにいたのは予想通り、桐青の野球部のユニフォームを着た男子生徒が3人だ。
「1年生の部員たちなんだ。ベンチ入りしてないヤツらで。」
利央が彼らには聞こえないような小さな声で耳打ちする。
田島と泉は顔を見合わせて「なるほど」という表情になる。
三橋はキョドキョドと挙動不審気味に視線を泳がせていた。
こんな風に棘のある言葉を投げつけられるのは、初めてではない。
特に強豪である桐青高校に勝ってからは度々あったりする。
言ってくるのは主に西浦の他の運動部の生徒だ。
発足したばかりなのに、注目が集まる野球部がどうも面白くないらしい。
朝や放課後の練習ですれ違うときに、チラホラと嫌味のような台詞を吐かれる。
田島も泉も高校に入る前から、そういう状況には慣れている。
2人とも先輩を差し置いてレギュラーになり、試合に出た経験があるからだ。
自分の力のなさを棚に上げて、悔しさを変な風に発揮するヤツはどこにでもいる。
そして三橋は別の意味で、中傷されることには慣れていた。
だから今さらこの手のことで顔色を変えるようなことはない。
だがやはりいい気分はしない。
田島や泉が腹立たしく思うのは、三橋といるときによくそういう悪口はを言われることだった。
長身で坊主頭の主将や、タレ目のくせに目付きが悪い副主将といるときには聞かない。
つまり言う方は、相手を見ているのだ。
もちろん投手である三橋は、他の部員より目立つせいもある。
だがそれ以上におとなしそうで身体も細い三橋は、狙いやすい相手なのだろう。
だから基本的には相手にしないことにしている田島と泉だが「例外」を決めている。
三橋をターゲットにして、しかも内容が悪質である場合だ。
これは「例外」と判断したときには、ゲンミツに戦うことにしているのだ。
もちろんこれは田島と泉、2人の間でだけ取り決めた秘密のルールだ。
もし周囲に明かしたら、常識人の花井などは胃をおさえて蹲ってしまうかもしれない。
さてこのケースは「例外」にあてはまるだろうか?
田島と泉は顔を見合わせて、言葉もなく目だけで相談する。
まだ特に三橋だけを狙っている風ではないし、何より今日は利央に招かれて桐青に来ている。
変にケンカ腰になったら、利央が気まずい思いをしてしまう。
まずは様子を見るべきだろう。
「そういうの、やめようよ。」
利央が3人をかばうように前に進み出て、彼らと向き合った。
田島と泉はその後ろで、三橋をかばうように両側を固めた。
三橋は不安そうな表情で、じっと利央の背中を見ている。
「お前はいいよな。」
「兄貴が野球部OBだから、先輩たちにすぐ覚えてもらえて。」
「捕手だから、ベンチ入りも出来たし。」
三橋たちをかばったのが、不興を買ったのだろう。
河合たちの2つ上の代の卒業生に兄である仲沢呂佳がいること。
2年生の捕手が故障していたことが、夏ベンチ入りした理由ではないかということ。
3人の1年生部員たちはそんなことを槍玉に挙げて、攻撃の矛先を利央に向けた。
「お前ら。。。」
利央は何も言わずに、黙っていた。
三橋たちもいるし、そもそも文化祭で生徒が大勢集まっている。
だから下手な騒ぎを起こしたくないのだろう。
だが田島も泉も三橋も、利央の握った両方の拳が震えているのを見逃さなかった。
利央が心底怒っていることが、その後ろ姿から伝わってくる。
「お前はもうレギュラー安泰だし。」
「次の正捕手、多分お前だもんなー」
「試合で負けた相手を文化祭に呼ぶって、そういう余裕なのかね?」
3人の攻撃は止まらない。
先程までとても楽しかったのに、空気が一気に冷えてしまった。
さてどうしたものかと、田島と泉はまた顔を見合わせた。
友人である利央が悪く言われるのは、正直言って不愉快だ。
ただ桐青の人間関係に首を突っ込むのも、無礼であるような気がする。
「桐青、は、お兄さん、OBだと、レギュラーになれる、のか?」
冷えた空気の中、口を開いたのは意外にも三橋だった。
怒りでもからかいでもなく、本当に他意のない疑問の口調だ。
利央にからんでいた1年生の1人が「そんなワケねーだろ!」と怒鳴った。
どうやら馬鹿にされたと思ったのだろう。
だが三橋は、それを聞いて「よかった」と笑った。
この場の雰囲気にあまりにも不釣合いな笑顔。
利央も含めて桐青の1年生たちが怪訝な表情になった。
「オレの中学、経営者の、身内、ヒイキ、されるんだ。実力、ないのに、レギュラー、は、つらい。」
「オレは、それでもレギュラーになりたいけどな。」
3人の中で一番身長の高い部員がそう言った。
利央が三橋たちを振り返って「コイツ投手なんだ」と小さく言った。
「オレも、最初、そう、だった、よ。マウンド、誰、にも、渡したくなくて。」
「お前がヒイキされてたのか?」
「うん。でも、つらい。もっと、上手い、人、いるのに。」
「・・・・・・」
「利央、君は、違う。ちゃんと、実力で、ベンチ入り、でしょ?」
田島も泉も利央も、戸惑いながらその会話を聞いていた。
何だか全然予想外の展開になってきたが、悪い雰囲気ではないと思う。
彼らも基本的には野球が大好きな高校球児であり、根っから悪い人間ではない。
嫌味も悪口も、野球が好きで、試合に出たいからこそのもの。
野球の話になれば、通じ合う部分もあるのだ。
「あの、試合は、オレ、たち、勝った。」
何となく緩んだ雰囲気の中、三橋は控えめに言った。
田島と泉はまた顔を見合わせると、頷きあう。
三橋が突破口を開いた。動くのは今だ。
「桐青のレギュラーと試合して、オレらが勝ったんだぜ。」
「つまり桐青のレギュラーより、オレらが強いってことだ。」
「西浦の方が強いんだから。」
「桐青のレギュラーになれねーのに、西浦のレギュラーにはなれねーよ。」
田島の言葉を泉が引き取り、補足しながら語りかける。
3人の顔がまた少し険しくなったが、このぐらいのことを言ってもいいだろう。
何しろ最初は売られたケンカなのだ。
「でも、また、試合したら、負ける、かも。」
「まぁそうだろうなぁ。何回も試合したら負け越すかも。今はまだ、な。」
「でもまだまだオレら、強くなるしー」
再び緊張しかけた雰囲気を、またも一気にやわらかくしたのは三橋だった。
泉と田島が横からフォローすれば、もういつもの「9組」の雰囲気だ。
やっぱり三橋はエースなんだな。
利央は賑やかに笑う三橋たちを見て、そう思う。
いつでもみんなの中心にいる存在。
雰囲気が悪くなっても、その一声でチームがまとまる。
冷えた空気だって、一瞬で熱くしてしまうのだから。
ちょうどそのとき「野球部、集合!」と声がかかった。
そろそろ野球部による出し物が始まる時間だ。
1年生3人組が軽く目を伏せながら、声の方へと走り出した。
利央も「また後でな」と三橋たちに声をかけると、3人に続いて走った。
【続く】
「いいよなぁ、1年生ばっかり部員が10名って。」
「それならほぼ試合に出られるもんなー!」
「オレらも西浦に行けばよかったかなぁ?」
聞こえよがしの声が聞こえる。
雑談の形を取りながら、明らかに三橋たちに聞こえるような声だ。
三橋も田島も泉も、声の方向に視線を向ける。
そこにいたのは予想通り、桐青の野球部のユニフォームを着た男子生徒が3人だ。
「1年生の部員たちなんだ。ベンチ入りしてないヤツらで。」
利央が彼らには聞こえないような小さな声で耳打ちする。
田島と泉は顔を見合わせて「なるほど」という表情になる。
三橋はキョドキョドと挙動不審気味に視線を泳がせていた。
こんな風に棘のある言葉を投げつけられるのは、初めてではない。
特に強豪である桐青高校に勝ってからは度々あったりする。
言ってくるのは主に西浦の他の運動部の生徒だ。
発足したばかりなのに、注目が集まる野球部がどうも面白くないらしい。
朝や放課後の練習ですれ違うときに、チラホラと嫌味のような台詞を吐かれる。
田島も泉も高校に入る前から、そういう状況には慣れている。
2人とも先輩を差し置いてレギュラーになり、試合に出た経験があるからだ。
自分の力のなさを棚に上げて、悔しさを変な風に発揮するヤツはどこにでもいる。
そして三橋は別の意味で、中傷されることには慣れていた。
だから今さらこの手のことで顔色を変えるようなことはない。
だがやはりいい気分はしない。
田島や泉が腹立たしく思うのは、三橋といるときによくそういう悪口はを言われることだった。
長身で坊主頭の主将や、タレ目のくせに目付きが悪い副主将といるときには聞かない。
つまり言う方は、相手を見ているのだ。
もちろん投手である三橋は、他の部員より目立つせいもある。
だがそれ以上におとなしそうで身体も細い三橋は、狙いやすい相手なのだろう。
だから基本的には相手にしないことにしている田島と泉だが「例外」を決めている。
三橋をターゲットにして、しかも内容が悪質である場合だ。
これは「例外」と判断したときには、ゲンミツに戦うことにしているのだ。
もちろんこれは田島と泉、2人の間でだけ取り決めた秘密のルールだ。
もし周囲に明かしたら、常識人の花井などは胃をおさえて蹲ってしまうかもしれない。
さてこのケースは「例外」にあてはまるだろうか?
田島と泉は顔を見合わせて、言葉もなく目だけで相談する。
まだ特に三橋だけを狙っている風ではないし、何より今日は利央に招かれて桐青に来ている。
変にケンカ腰になったら、利央が気まずい思いをしてしまう。
まずは様子を見るべきだろう。
「そういうの、やめようよ。」
利央が3人をかばうように前に進み出て、彼らと向き合った。
田島と泉はその後ろで、三橋をかばうように両側を固めた。
三橋は不安そうな表情で、じっと利央の背中を見ている。
「お前はいいよな。」
「兄貴が野球部OBだから、先輩たちにすぐ覚えてもらえて。」
「捕手だから、ベンチ入りも出来たし。」
三橋たちをかばったのが、不興を買ったのだろう。
河合たちの2つ上の代の卒業生に兄である仲沢呂佳がいること。
2年生の捕手が故障していたことが、夏ベンチ入りした理由ではないかということ。
3人の1年生部員たちはそんなことを槍玉に挙げて、攻撃の矛先を利央に向けた。
「お前ら。。。」
利央は何も言わずに、黙っていた。
三橋たちもいるし、そもそも文化祭で生徒が大勢集まっている。
だから下手な騒ぎを起こしたくないのだろう。
だが田島も泉も三橋も、利央の握った両方の拳が震えているのを見逃さなかった。
利央が心底怒っていることが、その後ろ姿から伝わってくる。
「お前はもうレギュラー安泰だし。」
「次の正捕手、多分お前だもんなー」
「試合で負けた相手を文化祭に呼ぶって、そういう余裕なのかね?」
3人の攻撃は止まらない。
先程までとても楽しかったのに、空気が一気に冷えてしまった。
さてどうしたものかと、田島と泉はまた顔を見合わせた。
友人である利央が悪く言われるのは、正直言って不愉快だ。
ただ桐青の人間関係に首を突っ込むのも、無礼であるような気がする。
「桐青、は、お兄さん、OBだと、レギュラーになれる、のか?」
冷えた空気の中、口を開いたのは意外にも三橋だった。
怒りでもからかいでもなく、本当に他意のない疑問の口調だ。
利央にからんでいた1年生の1人が「そんなワケねーだろ!」と怒鳴った。
どうやら馬鹿にされたと思ったのだろう。
だが三橋は、それを聞いて「よかった」と笑った。
この場の雰囲気にあまりにも不釣合いな笑顔。
利央も含めて桐青の1年生たちが怪訝な表情になった。
「オレの中学、経営者の、身内、ヒイキ、されるんだ。実力、ないのに、レギュラー、は、つらい。」
「オレは、それでもレギュラーになりたいけどな。」
3人の中で一番身長の高い部員がそう言った。
利央が三橋たちを振り返って「コイツ投手なんだ」と小さく言った。
「オレも、最初、そう、だった、よ。マウンド、誰、にも、渡したくなくて。」
「お前がヒイキされてたのか?」
「うん。でも、つらい。もっと、上手い、人、いるのに。」
「・・・・・・」
「利央、君は、違う。ちゃんと、実力で、ベンチ入り、でしょ?」
田島も泉も利央も、戸惑いながらその会話を聞いていた。
何だか全然予想外の展開になってきたが、悪い雰囲気ではないと思う。
彼らも基本的には野球が大好きな高校球児であり、根っから悪い人間ではない。
嫌味も悪口も、野球が好きで、試合に出たいからこそのもの。
野球の話になれば、通じ合う部分もあるのだ。
「あの、試合は、オレ、たち、勝った。」
何となく緩んだ雰囲気の中、三橋は控えめに言った。
田島と泉はまた顔を見合わせると、頷きあう。
三橋が突破口を開いた。動くのは今だ。
「桐青のレギュラーと試合して、オレらが勝ったんだぜ。」
「つまり桐青のレギュラーより、オレらが強いってことだ。」
「西浦の方が強いんだから。」
「桐青のレギュラーになれねーのに、西浦のレギュラーにはなれねーよ。」
田島の言葉を泉が引き取り、補足しながら語りかける。
3人の顔がまた少し険しくなったが、このぐらいのことを言ってもいいだろう。
何しろ最初は売られたケンカなのだ。
「でも、また、試合したら、負ける、かも。」
「まぁそうだろうなぁ。何回も試合したら負け越すかも。今はまだ、な。」
「でもまだまだオレら、強くなるしー」
再び緊張しかけた雰囲気を、またも一気にやわらかくしたのは三橋だった。
泉と田島が横からフォローすれば、もういつもの「9組」の雰囲気だ。
やっぱり三橋はエースなんだな。
利央は賑やかに笑う三橋たちを見て、そう思う。
いつでもみんなの中心にいる存在。
雰囲気が悪くなっても、その一声でチームがまとまる。
冷えた空気だって、一瞬で熱くしてしまうのだから。
ちょうどそのとき「野球部、集合!」と声がかかった。
そろそろ野球部による出し物が始まる時間だ。
1年生3人組が軽く目を伏せながら、声の方へと走り出した。
利央も「また後でな」と三橋たちに声をかけると、3人に続いて走った。
【続く】