空10題-朝・夕編
【眠りにつく星々】
「あれ?あの、人」
三橋が小首を傾げながら、小さく呟いた。
その視線を追った利央が「ちわっす!」と頭を下げる。
一拍遅れて泉と田島が、さらにもう一拍遅れて三橋が「ちわ」と挨拶した。
野球部の出し物を見るためにやって来たのは、校庭。
野球部のユニフォーム姿の生徒たちから少し離れた場所にいたのは3年生の野球部員。
河合和己と島崎慎吾、前川俊彦の3人だった。
「西浦のチビッ子ども、元気そうだな?」
「練習してるかぁ?」
島崎と前川が、ニヤニヤ笑いながらそう言った。
別に敵意や威嚇が含まれているわけではない。
試合中は敵同士でも、終われば同じ高校球児。
まるで自分の後輩をからかうような、親しげな口調だ。
「なんだよ。試合した相手の顔、忘れちゃったの?」
三橋がポカンとした表情をしているのを見て、利央が聞いた。
だが三橋は「せいふ、あ、わ」と意味不明の言葉を連呼する。
すかさず三橋の前に田島が進み出て「どーした?」と聞いた。
三橋は身振り手振りを交えながら、意味不明な単語を繰り返す。
田島はそれに「うん、うん」と頷きながら聞いていた。
「なぁ田島はあれだけで、三橋の言いたいことがわかるのか?」
「ああ。」
利央が泉に声をかけると、泉が事も無げに頷いた。
河合も島崎も前川も興味津々の様子で、三橋と田島のやり取りを見ていた。
「そっか。顔はわかったけど、制服だったから迷ったのか。」
「それで、お礼を言うタイミングが取れなくて焦った?お礼って何の?」
「ああ。試合のとき、転びそうになったアレか。」
田島は三橋の切れ端のような言葉と身振り手振りを理解して、言葉にしていく。
どうやら三橋は、河合たちの顔はわかったものの彼らの服装に戸惑ったらしい。
野球部の生徒たちは皆ユニフォーム姿なのに、河合たちは制服だったからだ。
三橋は桐青高校との試合のとき、転倒しそうになったのを河合に助けてもらった。
ユニフォームをつかんで支えてもらったので、転ばずにすんだのだ。
あの時はテンションも上がっていたせいで「いい人!」と叫んでしまった。
後で思い返して、ちゃんとお礼を言っていなかったことに気付いたのだ。
だから河合に会ったら、きちんとお礼を言わなければと思っていた。
そんなとき見かけた河合が、ユニフォームではなく制服だった。
野球部員だから河合もユニフォーム姿だと思っていた三橋は焦った。
本人なのか人違いかと考え込んでいるうちに、挨拶から雑談になってしまった。
完全にお礼のタイミングを逸してしまい、オロオロしてしまったのだった。
「そうだな。ちゃんとお礼は言っといた方がいいぞ。」
通訳を終えた田島が、兄ちゃんよろしく三橋に言った。
ミハシ「うん!」といいお返事を発すると、河合の方に向き直った。
事の成り行きを見守っていた河合は、三橋がこちらを向いたのを見て思わず身構える。
「試合、の、時。転びそう、だった、のを、助けて、くれて、あ、ありがと、ございます!」
「いいって。そんな大袈裟な。」
深々と頭を下げる三橋に、河合は一瞬照れてしまう。
だが三橋のどこかコミカルな動きに思わず笑いそうになり、慌てて顔を引き締めた。
この動きが笑いのツボだという高瀬の気持ちがわかったような気がする。
「もう引退したから、3年生は出し物には出ないんだ。」
笑いそうになってしまったことを誤魔化すように、河合は話を続けた。
「そうそう。だからお客さんとして見に来たんだ。」
「変なモン見せたら、容赦なくヤジってやろうと思ってさー」
前川と島崎も同意しながら利央を見て、ニヤニヤ笑った。
利央が「マジ、カンベンしてくださいよ」と拝むような仕草をした。
「セン、パイ。。。」
「いいよな、センパイって」
三橋がまだ短く言うと、田島がまた三橋の言いたいことを拾ってそう答える。
1年生ばかりの西浦高校には、先輩はいない。
この先後輩が増えることはあっても、先輩ができることはないだろう。
まして三橋は、中学時代には「ヒイキ」と言われており、チームから浮いた存在だった。
先輩だの後輩だのといういわゆる普通のチームメイトの関係というものを知らない。
だからこういう先輩後輩のじゃれ合いを見ると、羨ましいと思ってしまうのだ。
「田島ってテレパシーでも使えるのか?」
「さぁな。でも三橋のことはよくわかるらしい。」
「何かすげーな。」
「オレはもう慣れたけど。」
またしても利央が話しかけ、泉が答える。
利央には、田島と三橋の関係が不思議で仕方がないらしい。
泉にはその気持ちがよくわかった。
桐青くらいの強豪校では、1年生だけでも何チームができるほど部員がいる。
ベンチ入り、そしてレギュラーを勝ち取るためには、同じ学年の部員は皆ライバルなのだ。
だから完全に無防備な三橋と、兄のように世話を焼く田島の関係に違和感を感じるのだろう。
中学でも野球をしており、レギュラー争いを経験したことのある泉にはよくわかる。
「じゃあ、また後でな。オレたちは向こうで見てるから。」
「一緒、に、見ない、ですか?」
立ち去ろうとした河合の背中に、三橋が声をかける。
河合は振り返ると「引退したからな」と少し寂しそうに笑った。
そして前川、島崎とともに、野球部のユニフォームの一団から離れていく。
「眠りにつく星々は、無駄に光り輝いちゃいけないんだって。」
3人の後ろ姿を見送りながら、利央がそう言った。
「眠りにつく星々?引退した3年生って意味?」
「うん。昔卒業したOBの言葉だって。引退したらあまり目立つなっていう教えらしい。」
「なん、か、カッコ、いい!」
「でもちょっと寂しいな。」
泉の問いに利央が答えると、三橋と田島が素直な感想を言った。
引退した3年生でも、野球部との距離の取り方はさまざまだ。
後輩たちに適度によいアドバイスをしながら、でもあまり干渉し過ぎないのが一番いい。
だかそのバランスは難しいものだ。
まったく顔を出さない者もいれば、口うるさくからんでくる者もいる。
一番やっかいなのは、ベンチ入り出来なかった3年生の過度な干渉だ。
高校野球生活で残した悔いを、半ば因縁のようにぶつけてくる。
逆に河合たちのようにある程度やり切った者たちは、あまり意見を言わない。
次はお前たちの時代だなどと言って、見守っていたりする。
後輩からすれば、本当はレギュラー入りしていた先輩からのアドバイスの方が欲しいのだが。
利央がそんな話をすると、三橋も田島も泉も興味深そうに聞いていた。
「オレ、たちも、いつか、引退、する、だね。」
三橋がそう言うと、田島も泉も頷いた。
甲子園優勝を目標に掲げて、それは果てしなく長い道のりに思える。
だがそのための時間は、あと2年しかない。
そのときまでに悔いを残さず、やり切ることができるのか。
そして西浦高校野球部では、三橋たちの代が最初の「引退する3年生」になる。
そのとき潔く「眠りにつく星々」になれるのだろうか。
後輩たちの邪魔をせず、でも的確に道を示してやれる存在に。
「まずは精一杯、野球をすることだな!」
田島が元気よく、そう宣言した。
確かにその通り、今の彼らに出来ることはそれしかない。
4人の1年生たちは顔を見合わせて笑った。
河合はそんな彼らを少し離れた場所から、見ていた。
もうすぐ野球部の出し物が始まるので、校庭には人が集まり始めている。
河合たちは部員たちから目立たない場所に陣取りながら、目を離さない。
西浦は1年生部員だけなのだから、いろいろ苦労もあるだろう。
だから少なくても、桐青の1年生よりはしっかりしているのだろうと思っていた。
だが彼らは、特に三橋は呆れるくらい無防備な子供だと思う。
その三橋がどんな力を秘めているのかが知りたくて、利央に言ったのだ。
田島が来るのであれば、三橋も一緒に呼び出してくれと。
あの子供の何に負けたのか、見極めたい。
河合は無邪気な表情で笑う三橋の横顔を、じっと見ていた。
【続く】
「あれ?あの、人」
三橋が小首を傾げながら、小さく呟いた。
その視線を追った利央が「ちわっす!」と頭を下げる。
一拍遅れて泉と田島が、さらにもう一拍遅れて三橋が「ちわ」と挨拶した。
野球部の出し物を見るためにやって来たのは、校庭。
野球部のユニフォーム姿の生徒たちから少し離れた場所にいたのは3年生の野球部員。
河合和己と島崎慎吾、前川俊彦の3人だった。
「西浦のチビッ子ども、元気そうだな?」
「練習してるかぁ?」
島崎と前川が、ニヤニヤ笑いながらそう言った。
別に敵意や威嚇が含まれているわけではない。
試合中は敵同士でも、終われば同じ高校球児。
まるで自分の後輩をからかうような、親しげな口調だ。
「なんだよ。試合した相手の顔、忘れちゃったの?」
三橋がポカンとした表情をしているのを見て、利央が聞いた。
だが三橋は「せいふ、あ、わ」と意味不明の言葉を連呼する。
すかさず三橋の前に田島が進み出て「どーした?」と聞いた。
三橋は身振り手振りを交えながら、意味不明な単語を繰り返す。
田島はそれに「うん、うん」と頷きながら聞いていた。
「なぁ田島はあれだけで、三橋の言いたいことがわかるのか?」
「ああ。」
利央が泉に声をかけると、泉が事も無げに頷いた。
河合も島崎も前川も興味津々の様子で、三橋と田島のやり取りを見ていた。
「そっか。顔はわかったけど、制服だったから迷ったのか。」
「それで、お礼を言うタイミングが取れなくて焦った?お礼って何の?」
「ああ。試合のとき、転びそうになったアレか。」
田島は三橋の切れ端のような言葉と身振り手振りを理解して、言葉にしていく。
どうやら三橋は、河合たちの顔はわかったものの彼らの服装に戸惑ったらしい。
野球部の生徒たちは皆ユニフォーム姿なのに、河合たちは制服だったからだ。
三橋は桐青高校との試合のとき、転倒しそうになったのを河合に助けてもらった。
ユニフォームをつかんで支えてもらったので、転ばずにすんだのだ。
あの時はテンションも上がっていたせいで「いい人!」と叫んでしまった。
後で思い返して、ちゃんとお礼を言っていなかったことに気付いたのだ。
だから河合に会ったら、きちんとお礼を言わなければと思っていた。
そんなとき見かけた河合が、ユニフォームではなく制服だった。
野球部員だから河合もユニフォーム姿だと思っていた三橋は焦った。
本人なのか人違いかと考え込んでいるうちに、挨拶から雑談になってしまった。
完全にお礼のタイミングを逸してしまい、オロオロしてしまったのだった。
「そうだな。ちゃんとお礼は言っといた方がいいぞ。」
通訳を終えた田島が、兄ちゃんよろしく三橋に言った。
ミハシ「うん!」といいお返事を発すると、河合の方に向き直った。
事の成り行きを見守っていた河合は、三橋がこちらを向いたのを見て思わず身構える。
「試合、の、時。転びそう、だった、のを、助けて、くれて、あ、ありがと、ございます!」
「いいって。そんな大袈裟な。」
深々と頭を下げる三橋に、河合は一瞬照れてしまう。
だが三橋のどこかコミカルな動きに思わず笑いそうになり、慌てて顔を引き締めた。
この動きが笑いのツボだという高瀬の気持ちがわかったような気がする。
「もう引退したから、3年生は出し物には出ないんだ。」
笑いそうになってしまったことを誤魔化すように、河合は話を続けた。
「そうそう。だからお客さんとして見に来たんだ。」
「変なモン見せたら、容赦なくヤジってやろうと思ってさー」
前川と島崎も同意しながら利央を見て、ニヤニヤ笑った。
利央が「マジ、カンベンしてくださいよ」と拝むような仕草をした。
「セン、パイ。。。」
「いいよな、センパイって」
三橋がまだ短く言うと、田島がまた三橋の言いたいことを拾ってそう答える。
1年生ばかりの西浦高校には、先輩はいない。
この先後輩が増えることはあっても、先輩ができることはないだろう。
まして三橋は、中学時代には「ヒイキ」と言われており、チームから浮いた存在だった。
先輩だの後輩だのといういわゆる普通のチームメイトの関係というものを知らない。
だからこういう先輩後輩のじゃれ合いを見ると、羨ましいと思ってしまうのだ。
「田島ってテレパシーでも使えるのか?」
「さぁな。でも三橋のことはよくわかるらしい。」
「何かすげーな。」
「オレはもう慣れたけど。」
またしても利央が話しかけ、泉が答える。
利央には、田島と三橋の関係が不思議で仕方がないらしい。
泉にはその気持ちがよくわかった。
桐青くらいの強豪校では、1年生だけでも何チームができるほど部員がいる。
ベンチ入り、そしてレギュラーを勝ち取るためには、同じ学年の部員は皆ライバルなのだ。
だから完全に無防備な三橋と、兄のように世話を焼く田島の関係に違和感を感じるのだろう。
中学でも野球をしており、レギュラー争いを経験したことのある泉にはよくわかる。
「じゃあ、また後でな。オレたちは向こうで見てるから。」
「一緒、に、見ない、ですか?」
立ち去ろうとした河合の背中に、三橋が声をかける。
河合は振り返ると「引退したからな」と少し寂しそうに笑った。
そして前川、島崎とともに、野球部のユニフォームの一団から離れていく。
「眠りにつく星々は、無駄に光り輝いちゃいけないんだって。」
3人の後ろ姿を見送りながら、利央がそう言った。
「眠りにつく星々?引退した3年生って意味?」
「うん。昔卒業したOBの言葉だって。引退したらあまり目立つなっていう教えらしい。」
「なん、か、カッコ、いい!」
「でもちょっと寂しいな。」
泉の問いに利央が答えると、三橋と田島が素直な感想を言った。
引退した3年生でも、野球部との距離の取り方はさまざまだ。
後輩たちに適度によいアドバイスをしながら、でもあまり干渉し過ぎないのが一番いい。
だかそのバランスは難しいものだ。
まったく顔を出さない者もいれば、口うるさくからんでくる者もいる。
一番やっかいなのは、ベンチ入り出来なかった3年生の過度な干渉だ。
高校野球生活で残した悔いを、半ば因縁のようにぶつけてくる。
逆に河合たちのようにある程度やり切った者たちは、あまり意見を言わない。
次はお前たちの時代だなどと言って、見守っていたりする。
後輩からすれば、本当はレギュラー入りしていた先輩からのアドバイスの方が欲しいのだが。
利央がそんな話をすると、三橋も田島も泉も興味深そうに聞いていた。
「オレ、たちも、いつか、引退、する、だね。」
三橋がそう言うと、田島も泉も頷いた。
甲子園優勝を目標に掲げて、それは果てしなく長い道のりに思える。
だがそのための時間は、あと2年しかない。
そのときまでに悔いを残さず、やり切ることができるのか。
そして西浦高校野球部では、三橋たちの代が最初の「引退する3年生」になる。
そのとき潔く「眠りにつく星々」になれるのだろうか。
後輩たちの邪魔をせず、でも的確に道を示してやれる存在に。
「まずは精一杯、野球をすることだな!」
田島が元気よく、そう宣言した。
確かにその通り、今の彼らに出来ることはそれしかない。
4人の1年生たちは顔を見合わせて笑った。
河合はそんな彼らを少し離れた場所から、見ていた。
もうすぐ野球部の出し物が始まるので、校庭には人が集まり始めている。
河合たちは部員たちから目立たない場所に陣取りながら、目を離さない。
西浦は1年生部員だけなのだから、いろいろ苦労もあるだろう。
だから少なくても、桐青の1年生よりはしっかりしているのだろうと思っていた。
だが彼らは、特に三橋は呆れるくらい無防備な子供だと思う。
その三橋がどんな力を秘めているのかが知りたくて、利央に言ったのだ。
田島が来るのであれば、三橋も一緒に呼び出してくれと。
あの子供の何に負けたのか、見極めたい。
河合は無邪気な表情で笑う三橋の横顔を、じっと見ていた。
【続く】