空10題-朝・夕編
【ドキドキする】
「おー!来たか。西浦の」
そう声をかけられて、三橋は「はい!」と答える声が裏返った。
阿部のシニアの先輩である榛名元希や幼馴染の元チームメイトの叶修悟。
目の前の人物は、三橋の中ではその2人と同じ場所に位置づけられている。
その位置づけの名前は「スゴイ投手」だ。
利央と一緒に校内を移動していた三橋たちは、桐青のエース高瀬準太に声を掛けられた。
「田島と、泉と、三橋。だよな?」
利央と同様、ユニフォーム姿の高瀬が確認するようにそう聞いてきた。
田島と泉が元気よく「ちわっす!」と頭を下げた。
その横で三橋が「ち、ちわ」と一泊遅れでオドオドと頭を下げる。
三橋はドキドキする胸を押さえながら、呼吸を整えた。
三星時代にはチームから浮いていたし、西浦には1年生しかいない。
ただでさえ先輩との接し方に慣れていないのだ。
その上相手は「スゴイ投手」ときている。
三橋の緊張は否が応にも高まると言うものだが。
「ぶっ!やっぱり顔がおかしいっ!」
高瀬は三橋の顔を見ると、堪えきれないという感じで笑い出した。
以前、甲子園観戦で出会ったときも、高瀬はこうだった。
思い出し笑いだと言いながら、三橋を見ると、ケラケラと笑う。
三橋からすれば失礼極まりない。
だが残念ながら、そこをツッコむスキルは三橋にはなかった。
「お前、やっぱりオレのクセ見て、盗塁指示出してたよな?」
高瀬は今度は田島に向かって、そう言った。
田島はすました顔で「どうでしょう?」と答えている。
実はこのやり取りは初めてではない。
甲子園遠征のとき、たまたま出会った2人は同じやり取りをしている。
お互い本音を言わないことはわかっており、挨拶代わりのようなものだ。
だがその言葉を耳にして、辺りにいるユニフォーム姿の部員たちの気配が変わった。
もうすぐこの校庭では、野球部による出し物が披露される。
そのために部員たちはユニフォーム姿で、同じ場所に向かい始めているのだった。
その部員たちが、高瀬の言葉にハッとし、一様に押し黙った。
今まで響き渡っていた賑やかな笑い声が、ヒソヒソ声に変わる。
そしてほぼ全員が、ソロソロと高瀬と三橋たちの会話が聞き取れる範囲に移動する。
さり気ないつもりなのだろうが、全員が興味しんしんであることは明白だった。
「た、田島、く」
三橋は一気に緊張が高まったこの場の雰囲気に困惑しながら、田島を見た。
桐青高校との試合で、確かに田島は高瀬のモーションを盗んだ。
セットポジションのときの背番号10のシワのより方で、投球か牽制かがわかったという。
三橋はいくら説明されても、試合後にビデオで解説されてもわからなかった。
教えてあげてもいいのに、と三橋はそう思った。
春合宿の三星との練習試合の後、畠は三橋にストレートのクセが出ていたと教えてくれたからだ。
でもあれは中学のときからわかっていたものが、無意識に出たものだ。
それに公式戦で三星と西浦が当たることはまずないのだから、畠も軽い気持ちだっただろう。
同じ地区にあり、県予選を勝ち抜いていけば、再び当たる可能性もある桐青高校。
やはりそのエースのモーションのくせは教えない方がいいのか?
いやそもそも、また同じクセは見つかるのだろうか?
次の試合の高瀬の背番号はたぶん「1」だ。
「いいから黙っとけ。」
泉がすかさず三橋の耳元に口を寄せて、そう囁いた。
考え込んでいる様子の三橋を目に留めたからだろう。
三橋にだけ聞こえる声、いわゆる耳打ち、内緒話だ。
うお!仲のいい友達みたいだ!
三橋の中で一気にテンションが上がった。
中学まで友達らしい友達がほとんどいなかった三橋には、耳打ちされるという経験はなかった。
高校に入って、野球部やクラスメイトと仲良くなったが、それでもない。
一番親しい友人が、女子の前でも大きな声で下ネタを話す田島なのだ。
内緒話なんて存在しない。
強いてあげれば試合中には阿部から指示などを耳打ちされることはあった。
だがそれとは明らかに違う。
親しい友達から内緒の話をされるという状況が嬉しくて、ドキドキする。
次の瞬間、三橋の顔が大きく笑み崩れた。
「!!」
高瀬も利央もその場にいた桐青の部員たちも、田島と泉でさえ驚いた。
あのマウンドで見せるニヤケ顔ではない、花が咲くような綺麗な三橋の笑顔に。
あまりにも場違いな満面の笑みに、場の雰囲気がまた変わる。
緊張していた一同は毒気を抜かれ、ポカンとした表情になった。
「やっぱりお前の顔、おもしれーな。」
微妙な沈黙を破ったのは高瀬で、またしてもケラケラと笑う。
高瀬にポンと肩をたたかれた三橋の身体がピクンと震えた。
怯える小動物のような動きに、高瀬がまた笑う。
三橋の言動は、高瀬の笑いのツボを刺激して止まない。
「お前ら、うちに来てたら面白かったかもな。」
ようやく笑いがおさまった高瀬が、ヒィヒィと息を整えながら言った。
西浦との試合の後、高瀬はどこにクセがあるのかと徹底的に調べた。
監督や他の部員たちに色々な角度から見てもらったし、ビデオを撮ってもらって自分でも見た。
だがどうしてもどこにクセがあるのかわからなかったのだ。
高瀬は知らないことだが、それは無理もないことだった。
試合後に確認したときには、高瀬は背番号のない練習着だったのだから。
田島にしかついに見分けられなかった背番号のシワのより方。
その田島ももっとわかりやすく皆が見分けられるようなクセはないかと、何度も高瀬の投球を見た。
だが10番のシワ以外のクセは、ついに見つけられなかったのだ。
とにかくそんなちょっとしたクセを見破った。
そして高瀬の決め球のシンカーを打って、決勝点を入れた田島。
泉だって、守備も打撃も悪くなかった。
西浦の選手の名前を全員など記憶していないが、泉の名は覚えているほどだ。
そして三橋。
あの遅い球速で、桐青に投げ勝ってしまった妙なクセ球。
何よりも尊敬する捕手、河合和己が興味を示す投手なのだ。
正直なところ、そんな三橋にちょっと嫉妬めいた気持ちも感じる。
それと同時に、同じ学校の後輩だったら面白かっただろうにとも思う。
「今日は楽しみだな。」
高瀬はそう言って、三橋の肩に置いていた手を離した。
その言葉にキョトンとした三橋が「楽、しみ?」と聞き返す。
だが答える前に、高瀬は手を振りながらさっさと歩き出した。
「コイツらがうちに来てたら、利央も迅もベンチ入り出来なかったかもなー!」
「準さん!」
数歩ほど足を進めた高瀬が振り返ってそう叫ぶと、利央が悲鳴のように叫んだ。
だが高瀬は動じることもなく「ははは」と笑いながら、行ってしまった。
「高瀬、さん、カッコ、いい!」
「そうかぁ?」
三橋は顔を赤くして、シュポーと湯気を噴き出す勢いで高瀬の後ろ姿を見ている。
だが利央はウンザリした様子だった。
河合などの先輩には、実に素直なかわいい後輩を演じるくせに。
利央たち後輩には、本当に意地悪で容赦がないのだ。
「やっぱり、三橋狙いみたいだな。」
高瀬を見送る三橋と利央を見ながら、泉が田島に耳打ちする。
田島は黙って頷くと、20センチ上にある利央の横顔を見た。
先程の三橋の笑顔。
まったく予想外ではあったが、高瀬のクセ云々の話をうまく断ち切って誤魔化せたと思う。
高瀬本人は、別に気にしてもいないだろう。
だがあの場には、ユニフォーム姿の部員たちが何人もいた。
どうやら田島たちが来ることは知れ渡っていたようだ。
あの笑顔を「宣戦布告」と捉えた人間もいるかもしれない。
「面白くなってきたな。ドキドキする。」
「ホントにお前、羨ましい性格だよな。」
何とも不穏な状況ですら楽しむ田島に、泉は苦笑する。
だが共通する思いは1つだ。
三橋に何か危機が訪れるなら、守らなくてはならない。
「でも、利央、く、も、カッコ、いい!背、高くて、顔も!」
「そ、それはどうも。」
闘志を燃やす田島と泉の視線の先。
無邪気に利央に賛辞を送る三橋と、照れている利央が笑っている。
【続く】
「おー!来たか。西浦の」
そう声をかけられて、三橋は「はい!」と答える声が裏返った。
阿部のシニアの先輩である榛名元希や幼馴染の元チームメイトの叶修悟。
目の前の人物は、三橋の中ではその2人と同じ場所に位置づけられている。
その位置づけの名前は「スゴイ投手」だ。
利央と一緒に校内を移動していた三橋たちは、桐青のエース高瀬準太に声を掛けられた。
「田島と、泉と、三橋。だよな?」
利央と同様、ユニフォーム姿の高瀬が確認するようにそう聞いてきた。
田島と泉が元気よく「ちわっす!」と頭を下げた。
その横で三橋が「ち、ちわ」と一泊遅れでオドオドと頭を下げる。
三橋はドキドキする胸を押さえながら、呼吸を整えた。
三星時代にはチームから浮いていたし、西浦には1年生しかいない。
ただでさえ先輩との接し方に慣れていないのだ。
その上相手は「スゴイ投手」ときている。
三橋の緊張は否が応にも高まると言うものだが。
「ぶっ!やっぱり顔がおかしいっ!」
高瀬は三橋の顔を見ると、堪えきれないという感じで笑い出した。
以前、甲子園観戦で出会ったときも、高瀬はこうだった。
思い出し笑いだと言いながら、三橋を見ると、ケラケラと笑う。
三橋からすれば失礼極まりない。
だが残念ながら、そこをツッコむスキルは三橋にはなかった。
「お前、やっぱりオレのクセ見て、盗塁指示出してたよな?」
高瀬は今度は田島に向かって、そう言った。
田島はすました顔で「どうでしょう?」と答えている。
実はこのやり取りは初めてではない。
甲子園遠征のとき、たまたま出会った2人は同じやり取りをしている。
お互い本音を言わないことはわかっており、挨拶代わりのようなものだ。
だがその言葉を耳にして、辺りにいるユニフォーム姿の部員たちの気配が変わった。
もうすぐこの校庭では、野球部による出し物が披露される。
そのために部員たちはユニフォーム姿で、同じ場所に向かい始めているのだった。
その部員たちが、高瀬の言葉にハッとし、一様に押し黙った。
今まで響き渡っていた賑やかな笑い声が、ヒソヒソ声に変わる。
そしてほぼ全員が、ソロソロと高瀬と三橋たちの会話が聞き取れる範囲に移動する。
さり気ないつもりなのだろうが、全員が興味しんしんであることは明白だった。
「た、田島、く」
三橋は一気に緊張が高まったこの場の雰囲気に困惑しながら、田島を見た。
桐青高校との試合で、確かに田島は高瀬のモーションを盗んだ。
セットポジションのときの背番号10のシワのより方で、投球か牽制かがわかったという。
三橋はいくら説明されても、試合後にビデオで解説されてもわからなかった。
教えてあげてもいいのに、と三橋はそう思った。
春合宿の三星との練習試合の後、畠は三橋にストレートのクセが出ていたと教えてくれたからだ。
でもあれは中学のときからわかっていたものが、無意識に出たものだ。
それに公式戦で三星と西浦が当たることはまずないのだから、畠も軽い気持ちだっただろう。
同じ地区にあり、県予選を勝ち抜いていけば、再び当たる可能性もある桐青高校。
やはりそのエースのモーションのくせは教えない方がいいのか?
いやそもそも、また同じクセは見つかるのだろうか?
次の試合の高瀬の背番号はたぶん「1」だ。
「いいから黙っとけ。」
泉がすかさず三橋の耳元に口を寄せて、そう囁いた。
考え込んでいる様子の三橋を目に留めたからだろう。
三橋にだけ聞こえる声、いわゆる耳打ち、内緒話だ。
うお!仲のいい友達みたいだ!
三橋の中で一気にテンションが上がった。
中学まで友達らしい友達がほとんどいなかった三橋には、耳打ちされるという経験はなかった。
高校に入って、野球部やクラスメイトと仲良くなったが、それでもない。
一番親しい友人が、女子の前でも大きな声で下ネタを話す田島なのだ。
内緒話なんて存在しない。
強いてあげれば試合中には阿部から指示などを耳打ちされることはあった。
だがそれとは明らかに違う。
親しい友達から内緒の話をされるという状況が嬉しくて、ドキドキする。
次の瞬間、三橋の顔が大きく笑み崩れた。
「!!」
高瀬も利央もその場にいた桐青の部員たちも、田島と泉でさえ驚いた。
あのマウンドで見せるニヤケ顔ではない、花が咲くような綺麗な三橋の笑顔に。
あまりにも場違いな満面の笑みに、場の雰囲気がまた変わる。
緊張していた一同は毒気を抜かれ、ポカンとした表情になった。
「やっぱりお前の顔、おもしれーな。」
微妙な沈黙を破ったのは高瀬で、またしてもケラケラと笑う。
高瀬にポンと肩をたたかれた三橋の身体がピクンと震えた。
怯える小動物のような動きに、高瀬がまた笑う。
三橋の言動は、高瀬の笑いのツボを刺激して止まない。
「お前ら、うちに来てたら面白かったかもな。」
ようやく笑いがおさまった高瀬が、ヒィヒィと息を整えながら言った。
西浦との試合の後、高瀬はどこにクセがあるのかと徹底的に調べた。
監督や他の部員たちに色々な角度から見てもらったし、ビデオを撮ってもらって自分でも見た。
だがどうしてもどこにクセがあるのかわからなかったのだ。
高瀬は知らないことだが、それは無理もないことだった。
試合後に確認したときには、高瀬は背番号のない練習着だったのだから。
田島にしかついに見分けられなかった背番号のシワのより方。
その田島ももっとわかりやすく皆が見分けられるようなクセはないかと、何度も高瀬の投球を見た。
だが10番のシワ以外のクセは、ついに見つけられなかったのだ。
とにかくそんなちょっとしたクセを見破った。
そして高瀬の決め球のシンカーを打って、決勝点を入れた田島。
泉だって、守備も打撃も悪くなかった。
西浦の選手の名前を全員など記憶していないが、泉の名は覚えているほどだ。
そして三橋。
あの遅い球速で、桐青に投げ勝ってしまった妙なクセ球。
何よりも尊敬する捕手、河合和己が興味を示す投手なのだ。
正直なところ、そんな三橋にちょっと嫉妬めいた気持ちも感じる。
それと同時に、同じ学校の後輩だったら面白かっただろうにとも思う。
「今日は楽しみだな。」
高瀬はそう言って、三橋の肩に置いていた手を離した。
その言葉にキョトンとした三橋が「楽、しみ?」と聞き返す。
だが答える前に、高瀬は手を振りながらさっさと歩き出した。
「コイツらがうちに来てたら、利央も迅もベンチ入り出来なかったかもなー!」
「準さん!」
数歩ほど足を進めた高瀬が振り返ってそう叫ぶと、利央が悲鳴のように叫んだ。
だが高瀬は動じることもなく「ははは」と笑いながら、行ってしまった。
「高瀬、さん、カッコ、いい!」
「そうかぁ?」
三橋は顔を赤くして、シュポーと湯気を噴き出す勢いで高瀬の後ろ姿を見ている。
だが利央はウンザリした様子だった。
河合などの先輩には、実に素直なかわいい後輩を演じるくせに。
利央たち後輩には、本当に意地悪で容赦がないのだ。
「やっぱり、三橋狙いみたいだな。」
高瀬を見送る三橋と利央を見ながら、泉が田島に耳打ちする。
田島は黙って頷くと、20センチ上にある利央の横顔を見た。
先程の三橋の笑顔。
まったく予想外ではあったが、高瀬のクセ云々の話をうまく断ち切って誤魔化せたと思う。
高瀬本人は、別に気にしてもいないだろう。
だがあの場には、ユニフォーム姿の部員たちが何人もいた。
どうやら田島たちが来ることは知れ渡っていたようだ。
あの笑顔を「宣戦布告」と捉えた人間もいるかもしれない。
「面白くなってきたな。ドキドキする。」
「ホントにお前、羨ましい性格だよな。」
何とも不穏な状況ですら楽しむ田島に、泉は苦笑する。
だが共通する思いは1つだ。
三橋に何か危機が訪れるなら、守らなくてはならない。
「でも、利央、く、も、カッコ、いい!背、高くて、顔も!」
「そ、それはどうも。」
闘志を燃やす田島と泉の視線の先。
無邪気に利央に賛辞を送る三橋と、照れている利央が笑っている。
【続く】