空10題-朝・夕編

【薄青の空の端】

「田島!こっちこっち!」
辺りをキョロキョロと見回していた田島と三橋、泉は、その声に振り向いた。
勝手がわからない他校の敷地であり、しかも今日は文化祭とあって人が多い。
ようやく待ち合わせ場所である野球部の部室を見つけた3人は、秋だと言うのに少し汗をかいていた。

「おー!利央!」
田島は小さな身体をピョンピョンと飛び跳ねさせながら、大きく手を振った。
泉も小さく手を振り、三橋は2人の後ろからおずおずと頭を下げる。
3人の視線の先にはいるのは、同じ1年生なのに身長差20センチもある大きな少年。
桐青高校で1年にしてベンチ入りを果たした仲沢利央だ。

夏の大会の初戦で試合をしたことが縁で、田島と利央はメル友になった。
お互いに甲子園を目指す高校球児であり、練習に明け暮れる日々なので、メールの頻度は多くない。
それでも野球を話題にすれば、会話には事欠かない。
時に相手の高校の情報を聞き出そうとしたり、その前にそちらの手の内を明かせなどと応酬になったりする。
そんな駆け引きすら楽しみながら、田島と利央の友情は続いていた。

そして今週末は、桐青高校の文化祭だ。
その最終日が西浦高校野球部の貴重な練習休みと重なった。
田島の「野球部で遊びに行っていい?」というメールに返ってきた返事はこうだ。
さすがに野球部として来られたら、偵察だとかいろいろ勘ぐる人間も出て来る。
でも2、3人なら、事前に話をしておくし、問題ないと思う。
できれば桐青に投げ勝った投手と話したいから、彼を含めたメンバーで来られないかというものだった。

田島としては、特に異論もない。
可愛い弟分である三橋と遊びに出かけるのは、田島としても望むところだ。
かくして田島は同じクラスの三橋と泉を誘って、桐青高校へとやって来たのだった。


「よぉ、来たぜ!」
「おう、待ってたよ。」
田島が大きな声で笑うと、利央が楽しそうに応じる。
「えっと三橋と泉だよな。」
「おう。」
改まって自己紹介などしたことはないが、お互いに顔と名前は知っている。
利央が確認するように問いかけると、泉が軽く相槌を打った。

「なか、ざわ、くん」
「利央でいいって。うちじゃ誰もオレのこと、苗字じゃ呼ばないし。」
「よ、よろしく、利央君」
「今日は楽しんでくれよ。西浦のエース!」
今度は三橋の問いかけに、利央が気さくに応じた。
さすがメル友と言うべきか、利央の持つ雰囲気は田島と似ている。
屈託のない笑顔、何よりも三橋をすんなりと「エース」と呼んだことが三橋の緊張を和らげた。
三橋の中の利央の「イイ人メーター」が急激に上がっていった。

「ねぇねぇ、グラウンドどこ?やっぱり広いんだろ?」
田島が腕を回して、三橋の肩を抱き寄せるようにしながら言う。
「あとで案内するよ。野球部も出し物があるからさ、まずはそれを見てからでいい?」
利央がニコニコと笑いながら言うと、田島も「わかった!」と笑顔で応じる。
「だか、ら。ユニ、フォーム?」
三橋がたどたどしく聞いてみると、利央は「そうなんだ」と言ってまた笑った。
利央は見覚えのある桐青のユニフォーム姿だったのだ。

「田島たちが来ることを話したら、センパイたちも会いたいって言ってさ。」
そう言いながら、利央は先に立って歩き出した。


前を歩くのは案内役の利央と田島。
三橋は泉と並んで続きながら、辺りをキョロキョロと見回した。
友だちと他の学校の文化祭に来るなど、三橋には初めてのことだ。
人が多くて賑やかな、知らない学校。
それは三橋をひどく落ち着かない気分にさせた。

おまけに「センパイ」たちも会いたがっていると、利央は言っていた。
桐青高校の他の選手は、あの夏の試合のときに会っただけだ。
2、3年生が主体のチームは、たった1、2歳しか離れていないとは思えないほど大人の集団に見えた。
そして三橋は打たれて、点も取られた。
チームの他のメンバーに助けてもらって、ようやく勝てたと思っている。
だから「センパイ」という言葉に、それまでは緊張しつつも楽しい気分だった三橋はひどく萎縮していた。

「あ、利央、ちょっといい?」
不意に背後から利央と同じ野球部のユニフォーム姿の生徒が声をかけてきた。
そして利央に向かって、指でちょいちょいと手招きするような仕草をする。
利央は「はい!」と大きな声で答えると、田島の方に向き直る。
「ごめん、ちょっと待ってて」
申し訳なさそうな顔でそういう利央に、田島は「おー」と返した。

「三橋、気をつけろよ」
足早に離れていく利央の後姿を見ながら、田島が三橋の耳元で小さく言った。
勘の鋭い田島は、利央が三橋を指名した時点で何かの意図があることを感じていた。
だが三橋はわかっていない様子で、クエスチョンマークを飛ばしながら小首をかしげる。

「どうやら狙いは三橋って気がする。」
少し離れたところで何やら話をしている利央ともう1人の部員が、こちらを見た。
田島は笑顔で利央たちに手を振りながら、その表情に不似合いな口調で声を潜めた。
泉も「三橋はご指名だったらしいしな」と言いながら、頷いている。


「あれが和さんが気にしてた西浦の投手?」
利央はそう問われて「そうです」と頷いた。
視線の先、少し離れたところでは高校球児らしからぬフワフワした茶色の髪が揺れている。

最初は軽い気持ちだったのだ。
たまたま文化祭の期間中に、西浦の野球部の練習が休みの日があった。
田島とはいい友だちで、いいライバルだと思っている。
だが普段はお互い練習が忙しくて、せいぜいメールで話をするくらいしかできない。
だから時には一緒に遊ぶのもいいと思っただけだった。

万が一にも偵察だなどと勘ぐられたら、田島も不愉快だろう。
だから一応念のためにと、監督や顧問、主将らに事前に話をしておいた。
練習の見学ではなく、文化祭や練習設備を見るくらいなら問題ない。
監督らは特に異議を唱えることなく、了承してくれた。
だが程なくして、その話を聞きつけた河合ら3年生が色めき立った。
あの不思議な球を投げる投手を呼び出して、その投球の秘密を探りたいと。

利央としては、大いに迷った。
河合たちの要望にあわせて三橋を呼ぶことは、田島との友情を裏切る行為ではないかと。
だが利央としても、興味はあったのだ。
自分たちを打ち破ったあの試合後に、爆睡していた華奢な投手。
彼がどういう投手なのか、対戦相手としても、捕手としても、興味があった。
だから田島に頼んで、三橋を連れてきてもらうことにしたのだった。

そして実際に三橋を目の前にして、利央は困惑していた。
今までに利央が知る投手は、高瀬などもそうだが強気な人間が多い。
それなのに三橋ときたらひどく吃音気味で、どこか怯える小動物のようだ。
オレたちは本当にあいつに負けたのか?
今さらのように、そんな事実を疑ってしまうほどだ。


「あ!」
三橋は小さく声を上げた。
秋晴れの綺麗な空の端に、黒い点が見えたのだ。
程なくカァカァと泣き声がして、それがカラスなのだとわかった。

三橋にとって桐青高校のイメージは「青」だった。
校名に「青」が入っているという事実もあるが、ユニフォームの文字や帽子の色からの単純な発想だ。
だから今日の綺麗に晴れた空は、まさに桐青にふさわしいものだと思っていた。

その桐青の文化祭を楽しむつもりでいたのに、田島は「気をつけろ」という。
田島だって純然と楽しむつもりでここへ来たはずだし、だからこそ三橋を誘ってくれたのだ。
だがその田島は、何か不穏なものを感じ取っている。
まるで青い空の彼方を飛ぶ、あのカラスのような。
説明は出来ないけど、何となく居心地の悪い気分にさせる何かがあるのだ。

「まぁせっかく来たんだから、楽しもうぜ!」
田島が豪快に笑うと、三橋の背中をバンバンと叩いた。
「逆に偵察してやろうぜ。ゲンミツに!」
「そうそう。俺たちがついてるから心配すんな。」
田島と泉の言葉と自信に満ちた笑顔に、三橋も「ウヒ」と笑いをもらした。

三橋はもう一度、空を見上げた。
薄青の空の端に、もう黒い点は見えない。
澄んだ青い空と秋特有のいわし雲が、三橋と田島と泉を見下ろしている。

【続く】
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