狂った微笑み

【真赤なキスをしながら】

「最後のカップルは、阿部と水谷だってよ。」
田島は隣で寝ている花井に、身体を絡ませながらそう言った。
「水谷?三橋じゃなくて?」
花井は驚いたように、そう問い返した。

もう朝だ。
花井と田島は「部室」で、何も一糸纏わぬ姿で横たわっている。
この島は暑いから、早朝でも太陽が昇る頃には、どうしても目が覚める。
そして朝日を浴びた相手の裸身が、朝一番に見るものだった。

「三橋は大丈夫なのか?」
花井は田島にまた聞いた。
野球をしていた日々が、今では遥か遠い日のような気がする。
だが確かに存在したその日々に、田島は三橋を実の弟のように可愛がっていた。
皆がカップルになり、1人残された三橋は、今頃孤独な朝を迎えているはずだ。

花井は「オレが言えねぇか」と小声で呟くと、首を振った。
あのチームワークを誇った西浦高校野球部は、いまやボロボロだ。
ここまで気持ちが離れてしまっては、たとえ帰れたとしても同じチームでプレイなど出来ないだろう。
それはひとえに自分の責任だと、花井は思っている。
主将なのに、一番しっかりしなくてはいけないのに、このチームを守れなかった。
聞きようによっては、三橋を1人にしている田島を責めるようにさえ聞こえる台詞。
今更口に出して言えるものではないだろう。

「他のヤツのことなんか、今はいいよ。」
先に三橋の話をしたのは田島だったが、考え込んでしまった花井が癪にさわったのだろう。
田島はそう言うと、花井の首を抱き寄せて、唇を重ねた。


「これから夜の火の番は、毎日三橋が1人でするって。」
栄口はため息と共に、そう言った。
あまりにも浮かない口調に、巣山は三橋よりも栄口の方が心配だと思った。

三橋以外の全員がカップルとなり、島のあちこちに簡易ながらも、自分たちの居を構えた。
栄口と巣山にとっては、ここ「1組」だ。
もう完全にバラバラになったチームだが、それでも毎日朝と夕方には食事をしながらミーティングをする。
そして今日の夕食の時間に、三橋本人が言い出したのだった。

「みんなせっかくカップルになったんだから、夜は一緒にいたいでしょ?」
そう言って、三橋は薄く笑っていた。
栄口はその時の三橋の不気味な笑顔を思い出して、身体をゾクリと震わせた。
巣山は向かい合って座る栄口の身体を引き寄せて、その腕に閉じ込めた。

「そう言えば、最近の三橋って、なんか全然ドモってないよなぁ」
栄口を抱きしめたまま、巣山がポツリと言った。
今日の夕刻の食事時には、巣山が火の当番だったから、三橋のその発言は聞かなかった。
だが何となく、三橋の様子が他の部員たちと違うことには気がついていた。
三橋は元々前に出る性格ではなかったが、この島へ来てからますます口数は減った。
それなのにキョドったり、ドモったりするのを見ることはなくなった。
希望が見えない日々で、皆の心が離れていく。
だが三橋だけが、違う変貌を見せている気がする。

巣山は、栄口は感受性が豊かな人間だと思う。
部活でだって、とにかく他のチームメイトに目を配っていたし、特に三橋をよく見ていた。
三橋の中学時代の境遇を、ただ同情するだけではなく、理解して優しく接していた。
本当は栄口は三橋とカップルになりたかったのではないか。
でも多分、三橋は阿部と組むだろうと思っていたから、巣山の申し出を受けたのではないか。
密かにそんな疑心を抱く巣山は、三橋の変貌に驚いても、同情する気にはなれなかった。

「もう遅い。寝よう。」
巣山は疑心を押し隠すようにそう言って、腕の中の栄口に唇を寄せた。


「三橋には、驚くよな。」
浜田はそう言って、大袈裟に肩を竦めた。
泉はその言葉に何も答えなかったが、内心は激しく同意していた。

阿部と水谷がカップルになって、三橋が毎晩火の番をするようになった。
皆が三橋のことを何となく気にしながら、何も出来ずに日々が過ぎた。
以前、脱出用の筏を作るか、食料調達をするかと揉めた話は、何とか決着している。
部員たちは「筏班」と「食料班」の2つに別れて、作業することになった。
作業に不公平が出ないように、どちらかの作業に固定せず、班は定期的に入れ替えるようにしていた。

今日は浜田も泉も「食料班」だった。
動物を捕獲する自信などない部員たちは、魚を捕る方が楽ではないかと考えた。
そして木の枝で釣竿を作り、蔦を釣り糸代わりにして、餌になるミミズでもないかと地面を掘っていた。
そこへ野生の豚のような動物の死骸を抱えた三橋が現れたのだった。

三橋は夜に火の番をしているから、昼に睡眠を捕る。
作業への参加は、他の部員より遅く午後からだ。
三橋によると、たまたまそれを見かけたので、石を投げてぶつけたのだと言う。
18.44メートル先の的まで、正確に投げられる三橋ならではの狩りの方法だった。
獣のさばき方などわからないし、そもそも刃物など持っていない。
野豚らしき生き物は、そのまま火に放り込まれた。
そして部員たちは、久々の動物性タンパク質を摂取することが出来たのだった。

浜田は、三橋を心の底から怖いと思った。
今の三橋は、ギシギシ荘にいたあのチビッこいミハシではない。
マウンドで凛として、阿部のミットに投げ込んでいた三橋でもない。
笑顔で豚を殺す、浜田が知らない少年だ。

「この環境に一番順応したのは、三橋ってことなんじゃねぇの?」
泉はそう言って、挑発するような視線で浜田を見据えた。
三橋はしたたかに生きているのだから、自分たちもそうするべきだと言外に伝えたつもりだった。
そして泉は、自分を押し倒すであろう男の唇を待った。


「はないちもんめ」
沖はポツリとそう言った。
西広は小首を傾げて、沖の次の言葉を待った。

「夕方はオレが火の当番でさ、さっき夜の番の三橋と交代したんだけど。」
沖はポツポツと言葉を選びながら、言う。
「その時に聞いたんだ。1人で寂しくないの?って」
西広は、沖のその言葉に少しだけ驚いていた。
カップルからあぶれて、1人夜の火の番をする三橋は寂しくないのだろうか。
確かに全員が気にしていることで、誰もが聞けないでいたことだ。
それをまさか、どちらかといえば気弱な性格の沖が聞くとは。

「子供の頃『はないちもんめ』って遊びしたことある?」
三橋の言葉に、沖は「ああ、小さい頃に。懐かしいな」と答える。
「オレはいつも最後の1人になってたんだ。」
昔を懐かしむ表情の沖に冷水を浴びせるように、三橋はそう言った。
「だからオレは平気。1人は慣れてる。」
三橋はそう言って、笑った。
最近三橋が時折見せるこの薄笑いは、沖の心を芯から凍りつかせたのだった。

「三橋はオレたちを軽蔑してるんじゃないかな?」
考え込むような表情をしながら、西広が言う。
出来上がった5組のカップルを見回すと、どうしても自分たちは不自然だと、西広は思う。
花井と田島、浜田と泉、巣山と栄口、阿部と水谷。
どのカップルも、気心が知れあっているし、その2人だけが醸し出す独特の雰囲気がある。
だが西広にとっての沖は、クラスが同じで他の人間よりは話しやすいというだけの関係だ。
沖にとっての西広もそれと同じであることはわかっている。
周りがカップルだらけになって、孤立を恐れた2人は一番近い友人に手を伸ばしたのだ。
三橋はそんな偽装カップルとも言える自分たちを、三橋は見抜いているのではないか。

西広と沖は、どちらからともなく抱き合い、唇を重ねた。
罪悪感を振り払い、ここにいもしない三橋に言い訳するようなキスだ。


「本当は三橋とこうなりたかったでしょ?」
水谷は隣に横たわる阿部に、皮肉な口調で言った。
阿部はゴロリと寝返りを打つと、水谷に背を向けた。
わかっているなら聞くなと言わんばかりの態度だ。

「それにしても意外だよなぁ。三橋と阿部がカップルじゃないなんて。」
水谷は挑発するようにそう言った。
三橋が阿部の告白を断ったことを、阿部も水谷も誰にも話していない。
誰も他の部員たちは知らないようだから、三橋も話していないのだろう。
そんな2人であるから、当然会話が弾むわけもない。

「阿部の告白を三橋が断ったなんて、みんなが知ったらきっと驚くね。」
水谷は動こうとしない阿部の背中に、さらに言う。
「うっせえな、このクソレフト!」
そう叫んで、またこちらへとゴロンと寝転んだ阿部に、水谷はのしかかった。
阿部に馬乗りになった形の水谷が「クソレフトって。懐かしいな」と笑う。
だがその笑みは、ひどく悲しげなものだった。
阿部がその水谷を見上げて「何かしたいんだよ」と顔を顰める。

「ちゃんとカップルになりたいんだよ。阿部にとってオレとは不本意だろうけど。」
水谷は相変わらず悲しそうな顔で、そう言った。
「寂しさをまぎらわすためにカップルになって、余計に寂しいなんて、皮肉すぎる。」
そう言いながら、水谷が阿部に向かって、両手を伸ばす。
落ちてくる唇を、阿部は拒まなかった。

こんな場所で死にたくない。生きていたい。
そのための寂しさをまぎらわすためのカップルでいい。
水谷だってそれでいいと言っているのだし、阿部が一番欲しい三橋はそれを拒絶したのだから。

そして今日も夜が明ける。
朝日の中で、真赤なキスをしながら、阿部は諦めたように目を閉じた。

【続く】
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