狂った微笑み
【抑揚の無い声で】
水谷はひたすら焦っていた。
このままでは、この無人島で1人孤立することになってしまう。
どうするんだ。どうしたらいいんだ。
伸び放題の髪、ボロボロの服、目を血走らせて。
うっそうと茂る木や草の間を歩く姿は、かなり怪しい状態だった。
今西浦高校野球部は、小さなグループに分裂した状態になっている。
救助がいつくるかわからない、先が見えない日々。
そしてそう遠からず食糧不足が深刻な事態になることはわかりきっていた。
最初のうちは無造作に、自生している果物を食べていた。
都会の果物店で売っている果物に比べたら、青臭いし、果肉も果汁も少ない。
それでも育ち盛りの少年たちは、食べずにはいられなかった。
食欲に任せてそれらを食べるうちに、その数はどんどん減っていった。
手が届く範囲に生っている実は大方食べつくして、今は木に登ってそれらを取っている。
このままのペースで食べ続ければ、そう遠からず自生の果物はなくなるだろう。
次の食料源を確保しなければ、そう遠からず全員飢えてしまう。
考えられるのは、海で魚を釣るか、時折見かける島の生き物を捕獲することだ。
だが現代っ子の部員たちは、狩りも漁もできなかった。
いよいよとなればやるしかないのだが、できれば避けたい。
動物や魚を捕まえてさばくなど、とてもできそうな気がしないのだ。
だから「早く救助が来ないかな」などと言いながら、誰もそれをしようとしなかった。
部員たちの心は次第に荒み、笑いは消え、小さなことでも苛つくようになっていった。
小さな諍いは次第に増えていき、それでも最後は「ゴメン」と詫びて、何とか平静を保っていた。
決定的な亀裂が起きたのは「ミーティング」と称して、今後のことを話し始めたときだ。
自力での脱出を考えようと言った浜田と、ここで新たな食料調達の道を考えようと言った花井。
この2人が声を荒げて口論となったのが、決定的なきっかけだと水谷は思っている。
ここまでたどり着いたゴムボートは底に穴が開いてしまって、もう海には出せない。
だから木を集めて脱出用の筏を作ろうと、浜田は言った。
花井は「オレだってそれが出来ればいいとは思うけど」と前置きをしてから言った。
だが長い航海に耐えられる筏など、このメンバーで作れるとは思えない。
動物を捕るなり、魚を釣るなり、何か食料源を確保して、それを安定させて。
まずは確実に生き抜くのが先決、その上で救助を待つべきだ。
だが今まで来ない救助が、この先来るとは思えない。
浜田と花井の発言は、口論に変わった。
では筏班と食料班に分けたらどうだ?
いや作業が全然違うから、不公平が出る。ますます諍いの元になる。
他の部員たちも声を荒げて、自分の考えをぶつけ合う。
そんなやりとりの後、この案はいったん保留とした。
だが部員たち、特に浜田と花井の対立は決定的なものとなった。
何よりもまずかったのは、ほぼ全員が声を荒げて、主張したことだ。
こんな場所でこんな目に合っている、やり場のない怒りをぶちまけた。
部活でなら、意見を口にすれば皆でそれを共有し、一緒に考えていた。
どうしても手に余る問題には、監督の百枝がさり気なく手を貸してくれたりもした。
だがここは無人島。正解もないし、百枝もいない。
今のところは、何の希望も見えない。
当初、部員たちは一緒の場所で寝泊りしていた。
島のほぼ中央に当る場所に、流木や落ちていた木の枝を地面に突き刺して、壁を作る。
そして航海の途中で破損したゴムボートを逆さにして乗せ、屋根にした。
床は石などを取り除き、肌触りのよい植物の葉を集めて敷いた。
彼らはそこを「部室」と呼んで、合宿さながらにゴロ寝していた。
だが花井とひどくやりあった後、まず浜田が泉と共に「部室」を出た。
島の北端に、大きなバナナの木が密生している場所を陣取る。
今はその場所は「9組」と呼ばれている。
元々高校入学前から先輩後輩の間柄である浜田と泉。
2人が恋人同士になるのにさして時間はかからなかった。
浜田と泉はあからさまに皆と別行動をとる様になり、過剰にスキンシップを繰り返す。
普段なら浜田はともかく、泉が人目を憚らず誰かとイチャつくなど考えられない。
だが場所も状況も異常すぎた。
そしてその2人に触発されるように、カップルが増殖した。
浜田と泉の後、すぐにカップルになったのは花井と田島だ。
そして次に巣山と栄口が、沖と西広がカップルになった。
巣山と栄口は島の東側の「1組」に移り、沖と西広は島の西側の「3組」に移った。
人が減った「部室」では花井と田島が公然とじゃれあいを展開する。
阿部と水谷はたまらずに「部室」を出て、島の南側に移動し「7組」を作った。
水谷は崖の上に向かって、走っていた。
今は三橋が火の番をしていて、阿部が交代に向かった。
このところ阿部はいつも思いつめたような目をしていた。
阿部は三橋に「カップルになろう」と誘うのではないだろうか。
そうしたら自分は1人だけ、この島であぶれてしまうのだ。
皆が言い争っているときも、次々とカップルの相手を決めていくときも、三橋の行動だけは謎だった。
何か意見を求められると、抑揚の無い声で「オレはわかんないよ」と答えた。
それ以外で何を発言することもないし、ただ黙々と火の番をし、果物を集めている。
何よりもこの状況下で、阿部と三橋がカップルになっていないことはおかしい。
学校では、阿部は何よりも三橋の世話を焼き、三橋はそのウザいほどの過保護を甘受していた。
普段だったら、様子がおかしい三橋に誰かが必ず手を差し伸べるであろうが、今は誰も余裕がない。
そういえば三橋は今どこに寝泊りしているのだろう?
水谷はふと思った新たな疑問に、足を止めて、首を傾げる。
「部室」「9組」「3組」「1組」そして「7組」。
そのどこにも三橋はいないはずだ。
そんなことはどうでもいい。あの2人がカップルになるのは困る。
水谷はまた崖に向かって、走り始めた。
仮に阿部と三橋が結ばれようとしていたとして、そこで何をすればいいのかなどわからない。
だがとにかく水谷は、この状況で1人だけあぶれてしまうことだけは、何としても嫌だった。
ほとんどパニックの発作のように、水谷は走り続けた。
「オレと付き合わねぇ?」
ようやく崖の頂上にたどり着いた水谷が、ゼイゼイと息を切らしながら、阿部の声を聞き取った。
水谷の視線の先には、こちらに背を向けた阿部。
そして阿部と向かい合って対峙している三橋だ。
こちらを向いている三橋は水谷に気がついて、微かに驚いたような表情を見せた。
水谷は、三橋だけはこの無人島でも変わらないことを不思議に思う。
陽を浴びてもあまり焼けないし、特にケアしていないのに髭も体毛も生えない。
未だ部員の中でも一番華奢で細身の身体は、白くて綺麗な肌だ。
かろうじて髪だけは、他の部員と同じように伸びている。
だがやわらかそうで色味が薄い三橋の髪は、太陽の光を集めて美しく輝いている。
「ゴメンね。気持ちは嬉しいけど。」
微かに顔を顰めた三橋の声は、相変わらず抑揚が無い。
「オレじゃ、ダメ?」
阿部が縋るような口調で、三橋に詰め寄った。
捕手・阿部からは考えられないような、弱々しい声。
もし教室で聞いたなら、水谷は茶化して、笑い飛ばしただろう。
「オレは誰とも付き合わない。だから安心していいよ。水谷君。」
三橋が阿部の肩越しに、水谷を見て薄く笑った。
恐れていたことを避けられた水谷だったが、喜ぶ余裕はなかった。
ただただ三橋の笑顔の不気味さに、圧倒されていた。
【続く】
水谷はひたすら焦っていた。
このままでは、この無人島で1人孤立することになってしまう。
どうするんだ。どうしたらいいんだ。
伸び放題の髪、ボロボロの服、目を血走らせて。
うっそうと茂る木や草の間を歩く姿は、かなり怪しい状態だった。
今西浦高校野球部は、小さなグループに分裂した状態になっている。
救助がいつくるかわからない、先が見えない日々。
そしてそう遠からず食糧不足が深刻な事態になることはわかりきっていた。
最初のうちは無造作に、自生している果物を食べていた。
都会の果物店で売っている果物に比べたら、青臭いし、果肉も果汁も少ない。
それでも育ち盛りの少年たちは、食べずにはいられなかった。
食欲に任せてそれらを食べるうちに、その数はどんどん減っていった。
手が届く範囲に生っている実は大方食べつくして、今は木に登ってそれらを取っている。
このままのペースで食べ続ければ、そう遠からず自生の果物はなくなるだろう。
次の食料源を確保しなければ、そう遠からず全員飢えてしまう。
考えられるのは、海で魚を釣るか、時折見かける島の生き物を捕獲することだ。
だが現代っ子の部員たちは、狩りも漁もできなかった。
いよいよとなればやるしかないのだが、できれば避けたい。
動物や魚を捕まえてさばくなど、とてもできそうな気がしないのだ。
だから「早く救助が来ないかな」などと言いながら、誰もそれをしようとしなかった。
部員たちの心は次第に荒み、笑いは消え、小さなことでも苛つくようになっていった。
小さな諍いは次第に増えていき、それでも最後は「ゴメン」と詫びて、何とか平静を保っていた。
決定的な亀裂が起きたのは「ミーティング」と称して、今後のことを話し始めたときだ。
自力での脱出を考えようと言った浜田と、ここで新たな食料調達の道を考えようと言った花井。
この2人が声を荒げて口論となったのが、決定的なきっかけだと水谷は思っている。
ここまでたどり着いたゴムボートは底に穴が開いてしまって、もう海には出せない。
だから木を集めて脱出用の筏を作ろうと、浜田は言った。
花井は「オレだってそれが出来ればいいとは思うけど」と前置きをしてから言った。
だが長い航海に耐えられる筏など、このメンバーで作れるとは思えない。
動物を捕るなり、魚を釣るなり、何か食料源を確保して、それを安定させて。
まずは確実に生き抜くのが先決、その上で救助を待つべきだ。
だが今まで来ない救助が、この先来るとは思えない。
浜田と花井の発言は、口論に変わった。
では筏班と食料班に分けたらどうだ?
いや作業が全然違うから、不公平が出る。ますます諍いの元になる。
他の部員たちも声を荒げて、自分の考えをぶつけ合う。
そんなやりとりの後、この案はいったん保留とした。
だが部員たち、特に浜田と花井の対立は決定的なものとなった。
何よりもまずかったのは、ほぼ全員が声を荒げて、主張したことだ。
こんな場所でこんな目に合っている、やり場のない怒りをぶちまけた。
部活でなら、意見を口にすれば皆でそれを共有し、一緒に考えていた。
どうしても手に余る問題には、監督の百枝がさり気なく手を貸してくれたりもした。
だがここは無人島。正解もないし、百枝もいない。
今のところは、何の希望も見えない。
当初、部員たちは一緒の場所で寝泊りしていた。
島のほぼ中央に当る場所に、流木や落ちていた木の枝を地面に突き刺して、壁を作る。
そして航海の途中で破損したゴムボートを逆さにして乗せ、屋根にした。
床は石などを取り除き、肌触りのよい植物の葉を集めて敷いた。
彼らはそこを「部室」と呼んで、合宿さながらにゴロ寝していた。
だが花井とひどくやりあった後、まず浜田が泉と共に「部室」を出た。
島の北端に、大きなバナナの木が密生している場所を陣取る。
今はその場所は「9組」と呼ばれている。
元々高校入学前から先輩後輩の間柄である浜田と泉。
2人が恋人同士になるのにさして時間はかからなかった。
浜田と泉はあからさまに皆と別行動をとる様になり、過剰にスキンシップを繰り返す。
普段なら浜田はともかく、泉が人目を憚らず誰かとイチャつくなど考えられない。
だが場所も状況も異常すぎた。
そしてその2人に触発されるように、カップルが増殖した。
浜田と泉の後、すぐにカップルになったのは花井と田島だ。
そして次に巣山と栄口が、沖と西広がカップルになった。
巣山と栄口は島の東側の「1組」に移り、沖と西広は島の西側の「3組」に移った。
人が減った「部室」では花井と田島が公然とじゃれあいを展開する。
阿部と水谷はたまらずに「部室」を出て、島の南側に移動し「7組」を作った。
水谷は崖の上に向かって、走っていた。
今は三橋が火の番をしていて、阿部が交代に向かった。
このところ阿部はいつも思いつめたような目をしていた。
阿部は三橋に「カップルになろう」と誘うのではないだろうか。
そうしたら自分は1人だけ、この島であぶれてしまうのだ。
皆が言い争っているときも、次々とカップルの相手を決めていくときも、三橋の行動だけは謎だった。
何か意見を求められると、抑揚の無い声で「オレはわかんないよ」と答えた。
それ以外で何を発言することもないし、ただ黙々と火の番をし、果物を集めている。
何よりもこの状況下で、阿部と三橋がカップルになっていないことはおかしい。
学校では、阿部は何よりも三橋の世話を焼き、三橋はそのウザいほどの過保護を甘受していた。
普段だったら、様子がおかしい三橋に誰かが必ず手を差し伸べるであろうが、今は誰も余裕がない。
そういえば三橋は今どこに寝泊りしているのだろう?
水谷はふと思った新たな疑問に、足を止めて、首を傾げる。
「部室」「9組」「3組」「1組」そして「7組」。
そのどこにも三橋はいないはずだ。
そんなことはどうでもいい。あの2人がカップルになるのは困る。
水谷はまた崖に向かって、走り始めた。
仮に阿部と三橋が結ばれようとしていたとして、そこで何をすればいいのかなどわからない。
だがとにかく水谷は、この状況で1人だけあぶれてしまうことだけは、何としても嫌だった。
ほとんどパニックの発作のように、水谷は走り続けた。
「オレと付き合わねぇ?」
ようやく崖の頂上にたどり着いた水谷が、ゼイゼイと息を切らしながら、阿部の声を聞き取った。
水谷の視線の先には、こちらに背を向けた阿部。
そして阿部と向かい合って対峙している三橋だ。
こちらを向いている三橋は水谷に気がついて、微かに驚いたような表情を見せた。
水谷は、三橋だけはこの無人島でも変わらないことを不思議に思う。
陽を浴びてもあまり焼けないし、特にケアしていないのに髭も体毛も生えない。
未だ部員の中でも一番華奢で細身の身体は、白くて綺麗な肌だ。
かろうじて髪だけは、他の部員と同じように伸びている。
だがやわらかそうで色味が薄い三橋の髪は、太陽の光を集めて美しく輝いている。
「ゴメンね。気持ちは嬉しいけど。」
微かに顔を顰めた三橋の声は、相変わらず抑揚が無い。
「オレじゃ、ダメ?」
阿部が縋るような口調で、三橋に詰め寄った。
捕手・阿部からは考えられないような、弱々しい声。
もし教室で聞いたなら、水谷は茶化して、笑い飛ばしただろう。
「オレは誰とも付き合わない。だから安心していいよ。水谷君。」
三橋が阿部の肩越しに、水谷を見て薄く笑った。
恐れていたことを避けられた水谷だったが、喜ぶ余裕はなかった。
ただただ三橋の笑顔の不気味さに、圧倒されていた。
【続く】