アイシ×おお振り【お題:思い出15】
【怖い思い出】
十文字一輝は閉店した「カフェ・デビルバッツ」の扉を開けた。
営業時間は少し過ぎてしまったが、顔なじみのよしみで何か食べさせてもらえるだろう。
そして店内に入り、その微妙な空気に首を傾げた。
店にいたのは、かつてのマネージャーまもりと夏休みのアルバイトの三橋だ。
まもりの表情は冴えず、どこか俯き加減だ。
三橋に至っては、ビクビクと怯えた表情をしている。
2人はテーブル席に座り、ぼんやりしていた。
十文字には、どこか途方にくれているように見えた。
それでも十文字が来店したのを見ると、笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい、十文字くん。何か食べる?」
「あ~、何かテキトーに残りモンでいいんで。」
まもりが「わかったわ」と笑い、厨房に入っていった。
十文字は今までまもりが座っていた席に腰を下ろした。
「こんばんは、十文字さん」
三橋が水の入ったグラスを十文字の前に置いた。
十文字は指でちょいちょいと手招きをして、三橋に座るように促した。
三橋は素直に、十文字の向かいの席にちょこんと座った。
*****
「レン、何か雰囲気おかしくねぇ?」
「う?」
「何かあった?セナとヒル魔は?」
「なんか、ケンカ、してます。。。」
三橋は十文字の問いにおずおずと答えると、天井を指差した。
どうやらヒル魔とセナは2階で、喧嘩中らしい。
なるほど十文字が耳を澄ますと、微かに声が聞こえる。
「。。。っつってんだろ!」「イヤです!」と何か言い争っているようだ。
「何が今さらケンカだよ。」
十文字は呆れたように呟いた。
2人が付き合い始めたのは、セナや十文字が高校1年生の冬。
クリスマスボウルが終わってからだ。
でもその前に2人がお互いに好意を持っていたことを気付いていた者も多い。
高校時代こそこっそりと付き合っていたものの、大学に入ってからはもう隠していない。
周囲が「ごめんなさい、もうカンベンしてください」と土下座したくなるほどのデレデレぶり。
今やすでに夫婦の域だ。
一緒に暮らして、店を切り盛りして、お互いの長所も短所もすべて心得ている。
そんな2人が何を今さら、そんなに喧嘩することなどあるのだろう。
「NFLのテスト。。。」
三橋がおずおずと十文字に告げる。
「今日、結果が来たって。セナ、さん。合格したんだって。」
「お!この前アメリカに受けに行ったヤツ?」
十文字も、セナがNFLのテストを受けに行ったことは聞いていた。
かつてのエースが最高峰のステージに進む。それは純粋に嬉しい。
「はい。で、行くか、行かないか、でケンカして。」
「はぁぁ?何でわざわざテストを受けに行っといて、行く、行かないで揉めんだよ!」
十文字の大声に、三橋の身体がビクリと震えた。
*****
セナとヒル魔は「カフェ・デビルバッツ」の2階のヒル魔の部屋にいた。
一応その隣がセナの部屋だが、セナはヒル魔の部屋にいることが多い。
その他に部屋は3つあり、三橋の部屋と従業員休憩室。
もう1つはヒル魔の武器倉庫だ。
ちなみに三橋はこの武器倉庫の存在を知らず、単に物置だから入らないようにと言われている。
そのヒル魔の部屋で。
ヒル魔はベットに腰掛けていて、セナはその真正面に立っている。
先程からもうかなり長い時間、同じことを言い争っていた。
「だから、行けっつってんだろ!」
「イヤです!」
ヒル魔もセナも声を荒げて怒鳴りあっているせいで、息が切れてしまっている。
それでもお互いにその主張を変える気はなかった。
真っ直ぐに相手の目を見て、まったく怯まない。
先日セナはNFLのテストを受けるために渡米した。
その結果がつい先程、届いたのだった。
結果は合格。ただし条件がついていた。
なるべく早い時期に渡米して、チームの指示するメニューを元に基礎体力作りをすること。
またシーズン後もアメリカに留まり、同様に身体作りをすることだった。
チームはセナの実績や今の実力については、高く評価している。
ただ1つのネックは小柄な身体だった。
それを補うために、チームが指示するトレーニングを積むことが条件だったのだ。
セナにとって、その条件は予想外だった。
シーズン中だけ渡米すればいいと思っていた。
それ以外の期間は、日本で、ヒル魔の傍で過ごすつもりだった。
だが採用の条件を見る限りでは、それは叶わない。
チームの要求はほぼアメリカへの移住だった。
そこでヒル魔と「行け!」「行かない!」の言い争いになったのだった。
*****
「なぁ、よく考えろ。スゲー大きなチャンスなんだぞ。」
ヒル魔は口調を和らげて、諭すように言った。
「テメーだけの夢じゃねぇんだ。」
「わかって。。。ます。。。」
セナの声が震えているのを聞いて、ヒル魔は顔を顰めた。
セナが懸命に泣くのを堪えているのがわかったからだ。
ヒル魔はすっと立ち上がって、そっとセナの両肩に手を置いた。
「泣くなって」
「だって!ヒル魔さんとずっと一緒に、いたいんです!」
セナは涙に濡れた目でヒル魔を見上げた。
ヒル魔はそのままセナを引き寄せ、抱きしめた。
「俺だって、一緒にいたい」
「ヒル魔さん?」
「ずっと一緒にいたいけど、それは無理なんだ。」
セナにはわかった。ヒル魔もつらいのだ。
涙こそ流さないけれど、ヒル魔も泣いている。
泣き顔を見られないように、セナの顔を自分の胸に押し付けて隠している。
ヒル魔には「ある事情」があった。
その事実を知ったことは、セナにとって最も怖い思い出だった。
それこそがセナが渡米を躊躇う原因であり、ヒル魔とセナだけの秘密だ。
その「事情」のために、ヒル魔は一緒に渡米することは難しい。
その「事情」を抱えたヒル魔を1人にすることになってしまう。
でも一番つらいヒル魔が優しく笑って、セナに行けと言っている。
「うわぁぁぁ!!!!」
もう我慢することは出来なかった。
セナは叫ぶように大きな声を上げて、泣き出した。
ヒル魔の胸に顔を埋めて、ヒル魔のシャツを握り締めて、号泣した。
*****
食後のコーヒーを飲んでいた十文字は顔を顰めた。
2階から微かに聞こえる叫び声。セナが泣いている声だ。
今までセナが泣いている場面は何度も見たことがある。
でもこんな激しい泣き声を聞いたのは初めてだ。
まもりも顔を曇らせているし、三橋はガタガタと震えている。
何があった?と思う。2階へ行って聞いてみたい気もする。
だがすぐ傍にヒル魔もいるのだ。
おそらく口を出さない方がいいのだろう。
「レン、まだ片付けあんだろ?俺、手伝うわ」
飲み終わったコーヒーのカップを手に、十文字は立ち上がった。
「悪いわね、十文字くん」
まもりが笑いかける。
「まぁメシ代にもなんねぇけど」
十文字が応じた。
三橋も十文字に「ありがとうございます」と笑って言った。
初めて見たときには、顔に十字傷がある金髪のこの男が怖かった。
でもその凄みのある風貌に関わらず、優しい人物であることがわかった。
十文字がセナのことを好きなことも気がついた。
そのセナの幸せのために、じっとヒル魔とセナを見守っていることも。
この人も幸せになればいいと、三橋はいつも思っている。
後に三橋は、ヒル魔の「ある事情」を知ることになる。
そして今は意味がわからないこの夜のことを、何度も何度も思い出す。
セナの身を切るように泣き叫んだ声。
それは三橋にとって、最も怖い思い出となった。
【続く】
十文字一輝は閉店した「カフェ・デビルバッツ」の扉を開けた。
営業時間は少し過ぎてしまったが、顔なじみのよしみで何か食べさせてもらえるだろう。
そして店内に入り、その微妙な空気に首を傾げた。
店にいたのは、かつてのマネージャーまもりと夏休みのアルバイトの三橋だ。
まもりの表情は冴えず、どこか俯き加減だ。
三橋に至っては、ビクビクと怯えた表情をしている。
2人はテーブル席に座り、ぼんやりしていた。
十文字には、どこか途方にくれているように見えた。
それでも十文字が来店したのを見ると、笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい、十文字くん。何か食べる?」
「あ~、何かテキトーに残りモンでいいんで。」
まもりが「わかったわ」と笑い、厨房に入っていった。
十文字は今までまもりが座っていた席に腰を下ろした。
「こんばんは、十文字さん」
三橋が水の入ったグラスを十文字の前に置いた。
十文字は指でちょいちょいと手招きをして、三橋に座るように促した。
三橋は素直に、十文字の向かいの席にちょこんと座った。
*****
「レン、何か雰囲気おかしくねぇ?」
「う?」
「何かあった?セナとヒル魔は?」
「なんか、ケンカ、してます。。。」
三橋は十文字の問いにおずおずと答えると、天井を指差した。
どうやらヒル魔とセナは2階で、喧嘩中らしい。
なるほど十文字が耳を澄ますと、微かに声が聞こえる。
「。。。っつってんだろ!」「イヤです!」と何か言い争っているようだ。
「何が今さらケンカだよ。」
十文字は呆れたように呟いた。
2人が付き合い始めたのは、セナや十文字が高校1年生の冬。
クリスマスボウルが終わってからだ。
でもその前に2人がお互いに好意を持っていたことを気付いていた者も多い。
高校時代こそこっそりと付き合っていたものの、大学に入ってからはもう隠していない。
周囲が「ごめんなさい、もうカンベンしてください」と土下座したくなるほどのデレデレぶり。
今やすでに夫婦の域だ。
一緒に暮らして、店を切り盛りして、お互いの長所も短所もすべて心得ている。
そんな2人が何を今さら、そんなに喧嘩することなどあるのだろう。
「NFLのテスト。。。」
三橋がおずおずと十文字に告げる。
「今日、結果が来たって。セナ、さん。合格したんだって。」
「お!この前アメリカに受けに行ったヤツ?」
十文字も、セナがNFLのテストを受けに行ったことは聞いていた。
かつてのエースが最高峰のステージに進む。それは純粋に嬉しい。
「はい。で、行くか、行かないか、でケンカして。」
「はぁぁ?何でわざわざテストを受けに行っといて、行く、行かないで揉めんだよ!」
十文字の大声に、三橋の身体がビクリと震えた。
*****
セナとヒル魔は「カフェ・デビルバッツ」の2階のヒル魔の部屋にいた。
一応その隣がセナの部屋だが、セナはヒル魔の部屋にいることが多い。
その他に部屋は3つあり、三橋の部屋と従業員休憩室。
もう1つはヒル魔の武器倉庫だ。
ちなみに三橋はこの武器倉庫の存在を知らず、単に物置だから入らないようにと言われている。
そのヒル魔の部屋で。
ヒル魔はベットに腰掛けていて、セナはその真正面に立っている。
先程からもうかなり長い時間、同じことを言い争っていた。
「だから、行けっつってんだろ!」
「イヤです!」
ヒル魔もセナも声を荒げて怒鳴りあっているせいで、息が切れてしまっている。
それでもお互いにその主張を変える気はなかった。
真っ直ぐに相手の目を見て、まったく怯まない。
先日セナはNFLのテストを受けるために渡米した。
その結果がつい先程、届いたのだった。
結果は合格。ただし条件がついていた。
なるべく早い時期に渡米して、チームの指示するメニューを元に基礎体力作りをすること。
またシーズン後もアメリカに留まり、同様に身体作りをすることだった。
チームはセナの実績や今の実力については、高く評価している。
ただ1つのネックは小柄な身体だった。
それを補うために、チームが指示するトレーニングを積むことが条件だったのだ。
セナにとって、その条件は予想外だった。
シーズン中だけ渡米すればいいと思っていた。
それ以外の期間は、日本で、ヒル魔の傍で過ごすつもりだった。
だが採用の条件を見る限りでは、それは叶わない。
チームの要求はほぼアメリカへの移住だった。
そこでヒル魔と「行け!」「行かない!」の言い争いになったのだった。
*****
「なぁ、よく考えろ。スゲー大きなチャンスなんだぞ。」
ヒル魔は口調を和らげて、諭すように言った。
「テメーだけの夢じゃねぇんだ。」
「わかって。。。ます。。。」
セナの声が震えているのを聞いて、ヒル魔は顔を顰めた。
セナが懸命に泣くのを堪えているのがわかったからだ。
ヒル魔はすっと立ち上がって、そっとセナの両肩に手を置いた。
「泣くなって」
「だって!ヒル魔さんとずっと一緒に、いたいんです!」
セナは涙に濡れた目でヒル魔を見上げた。
ヒル魔はそのままセナを引き寄せ、抱きしめた。
「俺だって、一緒にいたい」
「ヒル魔さん?」
「ずっと一緒にいたいけど、それは無理なんだ。」
セナにはわかった。ヒル魔もつらいのだ。
涙こそ流さないけれど、ヒル魔も泣いている。
泣き顔を見られないように、セナの顔を自分の胸に押し付けて隠している。
ヒル魔には「ある事情」があった。
その事実を知ったことは、セナにとって最も怖い思い出だった。
それこそがセナが渡米を躊躇う原因であり、ヒル魔とセナだけの秘密だ。
その「事情」のために、ヒル魔は一緒に渡米することは難しい。
その「事情」を抱えたヒル魔を1人にすることになってしまう。
でも一番つらいヒル魔が優しく笑って、セナに行けと言っている。
「うわぁぁぁ!!!!」
もう我慢することは出来なかった。
セナは叫ぶように大きな声を上げて、泣き出した。
ヒル魔の胸に顔を埋めて、ヒル魔のシャツを握り締めて、号泣した。
*****
食後のコーヒーを飲んでいた十文字は顔を顰めた。
2階から微かに聞こえる叫び声。セナが泣いている声だ。
今までセナが泣いている場面は何度も見たことがある。
でもこんな激しい泣き声を聞いたのは初めてだ。
まもりも顔を曇らせているし、三橋はガタガタと震えている。
何があった?と思う。2階へ行って聞いてみたい気もする。
だがすぐ傍にヒル魔もいるのだ。
おそらく口を出さない方がいいのだろう。
「レン、まだ片付けあんだろ?俺、手伝うわ」
飲み終わったコーヒーのカップを手に、十文字は立ち上がった。
「悪いわね、十文字くん」
まもりが笑いかける。
「まぁメシ代にもなんねぇけど」
十文字が応じた。
三橋も十文字に「ありがとうございます」と笑って言った。
初めて見たときには、顔に十字傷がある金髪のこの男が怖かった。
でもその凄みのある風貌に関わらず、優しい人物であることがわかった。
十文字がセナのことを好きなことも気がついた。
そのセナの幸せのために、じっとヒル魔とセナを見守っていることも。
この人も幸せになればいいと、三橋はいつも思っている。
後に三橋は、ヒル魔の「ある事情」を知ることになる。
そして今は意味がわからないこの夜のことを、何度も何度も思い出す。
セナの身を切るように泣き叫んだ声。
それは三橋にとって、最も怖い思い出となった。
【続く】