アイシ×おお振り【お題:思い出15】

【幸せな思い出】

田島悠一郎が「カフェ・デビルバッツ」にやって来たのは、花井と栄口が来た日の数日後。
そろそろ夜の部の営業が始まる、という時間だった。
準備中の札を営業中に変えるために、ちょうど店の外に出た三橋の背後。
田島は生来の大きくて伸びのある声で「よぉ!みっはしぃ!」と肩を叩いた。
一瞬ビクリと驚いた三橋は、振り返って田島の顔を見た途端に嬉しそうに笑った。

「レンくんの友だちなら、何でも好きなもの奢るよ。」
窓際のテーブルに座った田島に、先日の食事会で見かけた店員が笑顔で言う。
「ありがとうございます!」
田島は体育会系のノリそのままに元気よく答える。
程なく三橋が運んできた料理を、田島は勢いよく食べ始めた。

「田島、くん。座っていい?」
食後のコーヒーを運んできた三橋が、声をかけてきた。
しっかりお替りをして、幸せな気分の田島が「座れ、座れ」と笑う。
「お店混むまでは、話をしてて、いいって」
そう言って、三橋は田島の向かいの席に腰を下ろした。

*****

「花井と栄口が奢ってもらったって聞いたから、俺も来ちゃった!」
身長は完全に三橋を追い越してしまったし、顔つきも大人っぽくなった。
それでも田島の笑顔の人懐っこさは、昔のままだ。
「遠い、のに、ありがと」
三橋はその笑顔と懐かしさに、幸せな気分になりながら答えた。

「俺、高校卒業したら、プロになるんだ」
田島が高らかに宣言した。
「プロ、野球?」
「そう。プロのスカウトからうちに連絡があった。多分ドラフトで指名される。」
「す、すごい!」
「そうか、すごいか!」
田島の勢いに、三橋のテンションも重なった。
他愛もないやりとりに笑い合うと、まるで昔に戻ったような錯覚に陥る。
野球部時代の幸せな思い出。あの日々のように。

「他の皆はほぼ全員、大学に行くみてぇだ。野球続けるヤツも多いよ」
田島がサラリと言った。そしてさりげなく「三橋は?」と付け加える。
「まだ。わかん、ない」
「大学とかは?」
「アタマ、悪い、し」
「そっか」
田島がたっぷりとミルクと砂糖を入れたコーヒーを口に運びながら、三橋を見た。

*****

「俺、三橋のこと、恨んでる」
田島はいよいよ本題というように口調を変えた。
「三橋がいれば、今頃は甲子園だぜ。優勝してたかも。」
「そ、んなこと」
「あるって!」

最初の夏は、部員は1年生10人だけで5回戦まで行けた。
その次の夏は甲子園だ。
今年はもっともっと上を狙えたはずだったと田島は思う。
正直言って、三橋と阿部の恋愛など田島にとっては大した問題ではなかった。
好きなら付き合うなり、なんなりすればいい。
その上で三橋が、ついでに阿部が幸せならさらにいい。
他の部員たちが「男同士なのに」とか「部のことを考えろ」というのがわからなかった。
引退するまで待とうと言った阿部も、翌日退部届を出した三橋も理解できなかった。

野球部を辞めた途端に、三橋は野球部員たちの輪から離れた。
教室でも、学校外でも、三橋はいつもポツンと1人でいた。
また野球部員たちも、そんな三橋に話しかけるようなこともなくなった。
まるで最初からいなかったかのように、三橋の話題はタブーとなった。

それ以上に驚き、腹を立てたのは、その後だ。
9分割のコントロールを持つ、奇跡のような投手。
そんな投手がいることが当たり前だと、皆思ってしまっていた。
失ってから、部員たちは改めてその凄さを知った。
1年かかってもその穴を埋められなかったのだ。

だから田島は、三橋が許せなかった。
夢を見させておいて、途中で消えるなんて。
それならばいっそ最初からいない方がよかった。
最後の大会であっけなく敗退したことでその思いが強くなった。

*****

「俺、も。田島、くんのこと、恨んで、るよ」
三橋は田島の視線をしっかりと受け止めて、見返してきた。
「あのとき、田島、くんは言った。」

ちゃんと野球ができれば、俺はいいと思うけど。
部員のほとんどが三橋と阿部の関係を否定した。
田島だけが、そう言ったのだ。
三橋の心にとどめを刺したのはまさにこの言葉だった。

野球部でだいぶ変わったとはいえ、基本は弱気でネガティブな三橋だ。
悩んだり、落ち込んだり、誤解したり。
恋に落ちれば、ますますくよくよと考え込むだろう。
不器用だから、そういう迷いは投球に影響すると思う。
それにきっと隠すこともうまくできないだろう。
周囲の人間にバレてしまうのも、時間の問題だ。
部員たち、そして何より阿部を振り回して、迷惑をかけるだろう。
多分「ちゃんと野球」などできないかもしれない。

「田島くんの、あの一言がなかったら。多分辞めなかった。」
三橋の言葉に、田島が目を見開いた。
「せめて、野球部に、いたことを、幸せな思い出に、したいから。今ここにいる」
三橋はそう言って「フヒ」と笑った。

「お互い様かぁ!」
田島は大きな声でそう言った。
「そう。おたがい、様!」
三橋もまた田島に負けない声で答える。
田島と三橋は顔を見合わせて、笑った。

*****

「今日来た田島くんって人は、何だかモン太に似てるな」
田島が帰った後、セナは三橋にそう言った。
「俺も、そう思ってて。セナさん、すごい!」
それは三橋も思っていたことだった。
同じ意見を聞いた三橋は、喜んだ。
「なんかいつも前向きで、元気をもらえる感じだよね」
セナが笑いながら、付け加えた。

顔や姿形が似ているわけではない。
持っている雰囲気が似ているのだ。
明るくて、ポジティブで、いつも優しい。
時には言いにくいであろう厳しいことも遠慮なく言う。
そうやって心をさらけ出して接してくれる頼もしい友人だ。

「僕が辛いとき、いつもモン太に励まされてたよ。」
「田島、くんは、俺の、兄ちゃんみたい、なんだ。」
そっかぁ、とセナと三橋はもう一度、顔を見合わせて笑った。

三橋は田島のことを思って、また感謝した。
たとえ恨むことがあっても、遠く離れてしまっても。
幸せな思い出をくれたのは、間違いないのだから。

【続く】
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