アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-2】

【きょうき(漢字変換自由】

「今日から復帰します!」
郁は元気よく宣言すると、綺麗な敬礼をした。
ヒル魔は苦笑しながら「よろしく頼む」と答えた。

郁が無事に出産し、母になってから早3年。
子供が生まれた時には堂上と郁だけでなく、図書隊関係者も狂喜した。
除隊してなお、隊の象徴的な存在である堂上と郁なのだ。
子供はもうほとんど自分たちの親族のような扱いである。

郁の出産直後、堂上夫妻は3号店の3階を出て警備会社の社宅に引っ越した。
同時に郁は「カフェ・デビルバッツ」の辞めて、専業主婦になった。
その決断には、さすがのヒル魔も驚いたのだ。
郁のことだから、ここを辞めて堂上と同じ警備会社に行くつもりかと思っていた。
だが郁はどこにも就職しない道を選んだのだった。

「あたしはあまり器用じゃないから。当面は子育てに専念します。」
それが郁の退職の弁だ。
子供はできないと医師から宣告されたところへ、ようやく授かった子供。
おそらく最初で最後の子供が小さいうちは、郁は子育てに集中することにしたのだろう。
郁の母としての決意は、尊いものだと思う。

そしてそれから3年。
「カフェ・デビルバッツ」は順調に営業を続けていた。
三橋がキッチンで腕を振るい、セナと阿部が笑顔で客を迎える。
その3人を中心に、メインダイニングには明るい笑いが絶えない。
2号店のスイーツ店は、水谷夫妻が頑張って盛り立てている。
3号店のコインランドリーは黒子が仕切り、こちらもなかなかの繁盛っぷりだ。

そんな中、一番の変化はヒル魔だった。
体調は少しずつ悪くなり、店に出てくることはほとんどなくなった。
食もますます細くなり、痩せて、今ではもうほとんどベットで過ごしている。
トレードマークだった逆立てた金髪も、もう染める余裕もない。
黒髪を長く伸ばして、後ろで無造作に束ねているだけだ。

郁はそのヒル魔の居室を訪れて、近況報告をしていた。
店を辞めても、食事に来ることは度々あった。
だが店に出て来ないヒル魔と会うのは久しぶりだったのだ。

「子供の保育園が決まりました!手塚ントコの子と同じところで!」
「そりゃよかったな。」
「ええ!だからランチタイムだけバイトさせてもらえませんか?」
「・・・貧乏性だな。楽すりゃいいだろ。」

郁はヒル魔のベットの横の椅子に腰かけ、話をしていた。
病人がずっと寝たきりだというのに、病院のようなにおいはなく清潔な部屋だ。
まめに洗濯や掃除をして、空気を入れ替えて、気を配っている。
つまりセナのヒル魔への愛情で保たれた快適さだった。

「バイトに来るのはありがたい。うちは慢性的に人手が足りないからな。」
「よかったぁぁ!」
「だけどいいのか?堂上嫁はダンナと同じ職場希望かと思っていたが。」
「あ。するどいですね。」

郁は思わず苦笑していた。
実は郁も堂上と同じ職場で働きたいという気持ちがないではなかった。
堂上に続いて、小牧と手塚も警備会社で勤務している。
今は同じ社宅に3組の夫婦は住んでいるので、様子はすぐわかるのだ。
彼らが図書特殊部隊での経験を活かし、生き生きと働いているのを見ると心は疼いた。

もし仮に郁が警備会社に就職を希望したら、無条件に採用されるだろう。
何しろ図書特殊部隊唯一の女性隊員だったのだ。
能力は折り紙付きだし、使い勝手は良いはずだ。
だが郁は警備会社には行かないと決めた。
図書特殊部隊同様、危険の多い職場なのだ。
堂上だけでなく自分までもしものことがあれば、子供が1人ぼっちになってしまう。

「あたしは夫と子供のために生きます!」
「悔いがないならいい。シフトなんかはセナと相談してくれ。」
「ありがとうございます。さっそく今日から復帰します!」

郁は元気よく宣言すると、綺麗な敬礼をした。
ヒル魔は苦笑しながら「よろしく頼む」と答える。
また楽しくなりそうだ。
ヒル魔は嬉しい気持ちを隠すように「ここで敬礼はやめろ」と顔をしかめた。

*****

「ついに赤司君が結婚するそうです。」
黒子はいつもの通りの平坦な口調でそう言った。
ヒル魔は「狂気の沙汰って噂だな」と答えながら、黒子はどうやら驚いているのだと察した。

黒子はすっかり3号店、コインランドリーの主となっていた。
黙々と機材をチェックし、店内を清掃し、時にカジノで客を楽しませる。
この風変わりなコインランドリーは、ヒル魔の予想以上に繁盛していた。
単純に売り上げを見るなら、メインダイニングの方が上だ。
だが純利益、食材費やスタッフの人件費やらの経費を差し引いて算出した利益は3号店が上回った。
つまりコスパが良いのである。

そして堂上夫妻が社宅に移った後、黒子は火神と共に3号店の3階に住んでいる。
それから黒子と火神の関係は、微妙に変わった。
火神は妙に肌艶が良く、黒子はなんだか疲れ切ったように見える。
おそらくメインダイニングの2階に同居していた頃は、何となく遠慮していたのだろう。
だが3号店に住まいを移して、火神はリミッターを解除したらしい。
男同士のカップル集団の「カフェ・デビルバッツ」の面々は、そう理解した。
セナは「いつまでも若いなぁ」などと、歳の変わらない彼らに感心している。
阿部は「ヤリ過ぎ」と品のない評価をして、三橋は赤面するのみだ。
それでも彼らなりに、黒子と火神を暖かく見守っていた。

「ヒル魔さん、失礼します。」
黒子は決まった時間に、ヒル魔とセナの居室に現れる。
そして日に一度、シーツや毛布などの寝具を一式交換していくのだ。
そのままコインランドリーで全て洗濯してくれる。

「毎日交換するのは大変だろう」
ヒル魔は最初のうちはそう言って、やんわりとことわっていた。
はっきり言って黒子の仕事の範囲外だし、さすがに申し訳ないと思う。
だが黒子は無表情のまま「サービスです」と譲らなかった。
わかりにくいけれど、黒子なりの親切なのだ。
おかげでヒル魔はいつも心地よい環境で過ごせている。
シャワーを浴びることさえままならない日も増えてきたのだ。
寝具がいつも清潔なのは、ありがたいことだった。

「ついに赤司君が結婚するそうです。」
黒子はヒル魔の寝具を交換しながら、いつもの通りの平坦な口調でそう言った。
不愛想で無口な黒子だが、毎回何かしらのネタを提供してくれる。
概ね「キセキの世代」関係のネタが多い。
事業で成功している赤司、緑間、紫原と人気タレントになった黄瀬。
そして青峰と火神は現役を退いたものの、今はコーチとしてバスケに関わっている。
そんな彼らの近況は、なかなか聞いていて面白いのだが。

「狂気の沙汰って噂だな。」
ヒル魔は赤司の結婚についての世間の評価を口にした。
「キセキの世代」の他の面々は、年齢なりに順当な結婚をしていた。
そして赤司は黒子を除けば、最後の独身者だったのだ。

「ええ。一応体裁はわかりやすくお見合い結婚ですから。」
「赤司財閥の後継者なら、家柄も大事だろう。」
「でも奥さんになる人、実は中学時代マネージャーだった人なんですよ。」
「マネージャーって、桃井じゃないのか?」
「後輩ですよ。桃井さんほど目立たないけど気配りのできる可愛い人です。」
「で、見合い?」
「そんな形にしないと、周りがうるさいからですよ。彼女を気遣ったんです。」
「つまり普通に恋愛か。」
「そう思います。ヒル魔さん、セッティングできたんでベットへどうぞ。」

寝具交換の間、ソファに座っていたヒル魔は黒子の手を借りてベットに戻った。
身長は変わらないのに、ヒル魔は細身の黒子よりさらに軽い。
黒子はそのことを悲しいと思うが、持ち前のポーカーフェイスでその気持ちを押し隠した。

「赤司君が独身のうちに、また集まって試合をする予定です。」
「何だ?またバスケを盛り上げるイベントか?」
「らしいです。みんな面倒だなんて文句を言っていますが」
「結局、やるんだろ?」
「ええ。何だかんだでみんなバスケが好きですから。」

黒子は交換した寝具類をかき集めて、大きなランドリー袋に押し込んだ。
そして「では失礼します」と一礼して部屋を出て行った。
入れ替わるようにセナが「スープ、いかがですか?」と現れるのは、いつものルーティーンだ。
野菜を中心に多くの食材をふんだんに使い、ヒル魔が飲みやすいようにあっさりと仕上げたスープ。
食が細いヒル魔が少しでも栄養を取れるように、三橋が配慮して作った逸品だ。

「ああ。もらう」
ヒル魔はセナにそう答えると、何とか自力で身体を起こした。
正直なところ、食欲はまったくない。
だが1日でも長く生きて、心優しい仲間たちとの時間を大切にしたかった。

*****

「今日はトコトン飲む~!!」
律は乾杯の前から、テンション高く叫んだ。
高野はウンザリした顔で「絶対にからむな。そしてグチるな」と釘を刺した。

この夜「カフェ・デビルバッツ」では、懐かしい面々が集まっていた。
元エメラルド編集部の高野、羽鳥、木佐、美濃、そして律。
さらに吉野と雪名、桐嶋と横澤も参加している。
律がついに小野寺出版の取締役の末席に、その名を連ねた。
その祝いの宴なのである。

「やったねぇ。律っちゃん!」
さっそくシャンパンで乾杯の後、口火を切ったのは木佐だった。
律は「ありがとうございます!」とのっけからテンションが高い。
だが今夜の主賓である律には、大抵のことは許される。
実際、一同は笑顔ではしゃぐ律を見ていた。

年若い律が取締役になったのは、いかに同族企業と言えども異例の抜擢である。
だが批判が起こらなかったのは、律がそれにふさわしい実績を上げたからだ。
検閲撤廃に伴い、大幅に書籍の価格を下げたのだ。
当初反発は大きかった。
検閲のおかげで出版業界は冷え込んでおり、撤廃後には大きな利益が期待されていた。
ここで儲けなくてどうするという意見が主流だったのだ。

だが律は今こそ本を売る時だと力説し、同志を募って戦った。
誰もが気楽に本を手に取れる時代を作るのだと訴え、決して折れなかった。
まだ若い律には社内の派閥やしがらみもなく、だからこそできたとも言える。
とにかく反対意見を押し切り断行して、数年。
本の売り上げは増大し、価格を下げてなお余りある収益を上げている。
そこを評価されての、取締役就任となったのだった。

「何だかんだで、出世頭ですよね?」
「何言ってるんですかぁ!天下の画家、雪名皇先生が!」
「先生って恥ずかしいですよ。3年前の個展以降は細々とやってますから。」
「え~?俺だって、まだまだだしぃ」

雪名と律が褒め合うさまも、普通なら嫌みに見えるかもしれない。
だがここまで美人な2人だと、そんな気にもならない。
彼らを取り巻く者も含めて、アラフォーとは思えない美しさなのだ。
柴崎こと手塚麻子がここにいたら「ウォッチング物件」と言うだろう。
とにかく華やかなオーラをまき散らしながら、一同は酒と料理を楽しんでいたのだが。

「よぉ。取締役。」
軽い足取りで一同の前に現れたのは「カフェ・デビルバッツ」のオーナーのヒル魔だった。
その傍らにはセナが、氷バケツを載せたワゴンを押していた。

「ヒル魔さん!黒髪もカッコいい~!」
「っていうか、起きて大丈夫なんですか?」
そろそろ酒が回り始めた律とそれを見守っていた高野が声をかける。
セナが先んじて「大丈夫ですよ」と答え、ヒル魔は「ケケケ」と高らかに笑った。

「このお坊ちゃまが取締役だろ?祝いの席に顔くらい出させろ」
「ヒル魔さん!言い方!」
店員とは思えないヒル魔の不遜な態度に、セナが慌てて嗜める。
だが律も高野も他の面々も、ニコニコ笑顔だ。
ヒル魔のこのキャラクターも込みで、彼らはこの店が好きなのだ。

「祝いに楽しく飲んでくれ。」
ヒル魔が指さしたワゴンには、ワインが2本刺さった氷バケツが載っている。
律が「え?2本」と首を傾げる。
するとヒル魔は「1本は店から。もう1本はオレからだ!」と高らかに宣言した。

「ヒル魔さん、ますますカッコいい~!」
ほろ酔いの律の歓声に、高野が慌てて「バカ」と頭を小突く。
そして「ありがとうございます!」と丁寧に頭を下げた。
残りの面々は体育会系のように「あざぁっす!」「どうも!」と声を上げる。
そのざわめきが途切れたところで、桐嶋が「もうすぐ孫が生まれます」と告げた。
いろいろあった日和と大河も結婚し、日和はもう臨月だった。

「おめでとうございます!」
「そりゃあ良い。じゃあ今夜は楽しんでくれ!」
セナとヒル魔は優雅に一礼すると、踵を返した。
長居は無用、祝いの喜びを共有させてもらうだけで充分だ。

「ワイン、ありがたくいただきましょう!」
「そりゃいいが、ペースを落とせ!お前のからみとグチは凶器なんだからな!」
からみ酒グチ派の律がはしゃぎ、高野が窘める声を聞きながら、ヒル魔とセナは2階に上がった。
そして居室に戻るなり、ヒル魔はベットに倒れ込んだ。

「律が社長になるとき、オレはこの世にいるかな?」
「そんな素晴らしい瞬間にもしいなかったら、悔しいでしょ?」
ポツリと漏らしたヒル魔の弱音に、セナは強気で応じた。
気休めもなぐさめもしないのは、セナが受け継いだヒル魔の流儀だった。

*****

「うまそぉ!」
主将、花井の号令に、一同が「うまそぉ!」と声を合わせた。
それは懐かしい西浦高校野球部の食事の作法だ。

閉店後の「カフェ・デビルバッツ」2号店。
そこには阿部や三橋の野球部時代の同期メンバーが集まっていた。
2号店は夜になれば、その日に作ったスイーツをテイクアウトのみで販売する。
そして空いた客席は、しばしば飲み会や会合に使われることもあった。
それが今夜は野球部の同窓会となったのだった。

「それにしてもすごいな。甲子園か。」
「ホント、ホント!」
乾杯の後、話題はさっそく母校の話となった。
田島が監督、阿部と三橋がコーチに就任した野球部は甲子園出場を決めた。
最初から特待生を集め、施設も整った私立強豪校と違い、公立の西浦で甲子園出場はかなりの快挙だ。

「まぁ組み合わせも良かったんだけどな。」
阿部はビールをグイグイ飲みながら、身も蓋もないことを言った。
泉が「素直に喜べよ」とツッコめば、栄口が「まぁまぁ」と諌める。
確かに強豪校はみな違うブロックになり、こと組み合わせに関しては奇跡的な幸運だった。
そのせいで勝てた要素は多分にあるが、それでもやはり勝ちは勝ちだ。

「それにしても、阿部はもっと太ると思ってたよ。」
浜田が誰よりも早いペースで、ビールを飲む阿部にそう言った。
集まった面々は、皆一様に頷いている。
阿部の父親の恰幅の良さを覚えており、全員が秘かにあれが未来の阿部だと思っていたのだ。
もちろんそれは「カフェ・デビルバッツ」の健康的な賄い飯によるところが大きい。
つまり深夜に食べても太らないメニューを追求した三橋の努力の賜物だ。

懐かしい顔ぶれは、総勢12名。
阿部と三橋、花井、田島、泉、巣山と栄口、沖と西広、そして水谷。
さらにマネージャーだった篠岡こと水谷千代と、応援団長だった浜田が加わった。
幸運なことに劇的に容貌が変化した者はおらず、皆順当に年を重ねている。
唯一三橋だけが「お前、妖怪?」とツッコまれるほど、年齢を感じさせない若さを保っていた。

「お邪魔しま~す!」
程良く酒が回り、盛り上がり始めた頃、セナがワゴンを押しながら入って来た。
ワゴンには追加の料理と、ビールが入った大きなピッチャーが載っている。
元野球部の彼らは、未だに食欲旺盛だ。
そしてワインよりはビールを好む。
それを熟知しているからこその差し入れだった。

「ビールはヒル魔さんの奢り。追加料理は店からね!」
セナが声を張ると、場がドッと沸いた。
主将の花井が「あざぁっす!」と声を上げ、全員が「あざぁっす!」と声を揃えた。
セナは照れくさそうに笑いながら、空になった皿をワゴンに載せる。
そして「みんな楽しんでね!」と声をかけると、メインダイニングへと戻っていった。

「この店はほんと侠気があるなぁ。」
博識な西広の言葉に、三橋が「きょうき?」と首を傾げる。
あまり使い慣れない言葉だ。
すると浜田が「男気ってヤツだよ。ヒル魔さんの心意気なんだろうな」と笑った。

みんなヒル魔の身体のことは知っている。
おそらくここに顔を出さないのは、それほど悪いということも。
だけど敢えて口に出さない。
その代わりに田島が「ヒル魔さんに乾杯しようぜ」と叫んだ。
全員が賛成し、グラスを持った。

「ヒル魔さんに乾杯!」
「かんぱ~い!」
またしても花井の音頭で、全員が声を揃えた。
楽しい飲み会は第二ラウンドに突入だ。

「そう言えば、阿部と三橋、水谷たちまでここにいて、お店は大丈夫なの?」
今さらのようにそんなことを言い出したのは、沖だった。
今やキッチンの要の三橋と、ホールでセナの右腕である阿部。
さらに2号店の水谷夫妻も、明日の仕込みをせずにここにいる。
果たして店の戦力に、問題はないのか。
全員がそれを聞いて「そう言えばそうかも」と首を傾げたのだが。

「大丈夫。ホールは頼もしい助っ人が来てくれてるから。」
「キッチン、も、だい、じょぶ!」
阿部と三橋が質問に答え、二カッと笑う。
そして水谷が「こっちも平気だよ」とキッチンを指さした。

ホールはランチタイムのパートに来てくれた郁が、今日だけ夜もヘルプに入っている。
それにキッチンは、今は武蔵まもりとなった姉貴分が切り回していた。
さらに今、2号店で仕込みをしているのは雄大だった。
図書隊志望だった雄大は、この店で働くうちに気持ちが変化した。
元々お菓子好きだったところで2号店の様子を見て、パティシエになりたいと思い始めたのだ。
だから今は水谷について、スイーツ作りを習っている真っ最中だった。

「てなわけで、もう1度かんぱ~い!」
水谷が声を張り、グラスを掲げた。
すかさず全員が「かんぱ~い!」と声を揃える。
西浦高校野球部の懐かしく楽しい夜は、こうして笑顔と共に更けていったのだった。

*****

「ヒル魔さんって、実は甘い物好きでしょ!」
セナは子供の悪戯を見つけた親のように、そう言った。
ヒル魔は悪びれる様子もなく「病気で味覚も変わったんだ」と苦笑した。

今夜は阿部や三橋、水谷たちが2号店で飲み会を楽しんでいる。
彼らの母校、西浦高校野球部が甲子園出場を決めたお祝いだと言う。
だけどきっとそれは、単なるきっかけに過ぎない。
懐かしい面々が集まるチャンスと見たのだろう。

「阿部君たちにビールと料理、届けて来ましたよ。」
ヒル魔が居室で寝ていると、セナが入って来た。
店のエプロン姿、つまり仕事中に抜けてきたのだろう。
ヒル魔は「仕事、サボるなよ」と皮肉を言う。
だがセナは「ちょっとくらい見逃してください」と笑った。

「ヒル魔さん、一口だけでも食べられませんか?」
「何だ?」
「雄大君が新メニューの試作品を作ったんですって。」
「・・・食べる」

セナが部屋に持ち込んだのは、ピンクと白の二層になったムースだった。
透明なガラスの器に、スプーンも添えられている。
ヒル魔は動かない身体を何とか起こすと、綺麗に作られたそれを見て微笑した。
図書隊員になるのを諦め、パティシエを目指し始めた雄大の渾身の作品だ。

「今日は西浦のみんなに会えなくて、残念でしたね。」
「・・・そうだな。だけど仕方ない。」
「今日のヒル魔さんだと、みんなに気を使わせそうですからね。」
「まぁまた機会があるだろう。」

ヒル魔はフッと笑顔を見せた。
セナはそんなヒル魔を見ながら、内心は不安だった。
最近のヒル魔は、調子が良ければ常連の飲み会の席に顔を出す。
もしかしたら、もうこれで最後かもしれない。
そんな思いでいることを、セナだって気付いている。
敢えて止めることはしないが、毎回祈らずにはいられない。
どうかこれが最後になりませんように、と。

セナはノンカフェインのお茶を淹れると、ムースの横に置いた。
ヒル魔はスプーンでムースを掬い、一口で食べた。
そして目を閉じてしっかりと味わった後、微笑した。

「思ったより甘いな。」
「あ~、確かに今までの試食のスイーツは甘さ控えめでしたね。」
ヒル魔は元々甘いものが苦手で、コーヒーはブラック、ガムさえ無糖のものを好んだ。
みんなそれを知っているから、ヒル魔に出すスイーツは甘さ控えめのものばかりだったのだ。
だが今回の雄大の試作品は、普通にガッツリ甘いスイーツだった。

「これはこれで悪くない。」
「そうですか?」
「ああ。雄大にも美味かったと伝えてくれ。」
「ヒル魔さんって、実は甘い物好きでしょ!」

セナはお茶をすするヒル魔を揶揄った。
実は高校生の頃から、疑っていたのだ。
本当は甘い物好きなのに、甘い物嫌いのキャラを演じていたのではないかと。
何しろ敵をビビらすという目的のためだけに、髪を金色に染めて逆立てる男なのだ。
驕気の悪魔を演じるために、甘い物嫌いくらいは平気で嘘をつきそうだ。
実際、ヒル魔が顔をしかめながら甘いものを食べる場面をセナは何度も見ている。

「病気で味覚も変わったんだ。」
「まぁそういうことにしておきましょう。」
セナは尊大に笑うと「仕事に戻ります」と言った。
ヒル魔は「少し寝る」と再び布団に潜り込み、目を閉じた。

セナは部屋を出ようとして、振り返った。
このところ毎回、この瞬間が怖い。
部屋を出るたびに、戻ってきたときヒル魔はもう目を開けないんじゃないかと不安になるのだ。
甘いものが好きとか嫌いとか、バカ話をする時間が愛おしい。
だからこそ最愛の男が旅立つ瞬間を想像するだけで、怖かった。

「大丈夫だ。」
不意にヒル魔が目を上げて、セナを見た。
セナは驚き、一拍遅れで「何がですか?」と聞き返した。
だがセナの内心の不安など、きっとヒル魔にはお見通しだろう。

「お前がいないときに1人では逝かない。逝くときは一緒にいるときだ。」
「・・・本当に、お願いしますよ。」
セナは穏やかに微笑みながら、部屋を出る。
ヒル魔はそれを見送りながら、目を閉じた。

つらい別離はもうすぐそこまで迫っている。
だけど今はまだ「カフェ・デビルバッツ」は穏やかで優しい時間の中にあった。

【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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