アイシ×おお振り【お題:思い出15】

【寂しい思い出】

花井梓と栄口勇人が「カフェ・デビルバッツ」に現れたのは、ランチタイムの終了間際だった。
本来ならラストオーダーも終了している時間で、客は入れない。
店の扉に掛かっている札も「準備中」になっていた。
だから入口の扉が開いたとき、三橋は「すみません、ランチはもう」と言いかけた。
そして入ってきた2人の客を見て、言葉を失った。

他の客がすべて帰った後の店内。
花井と栄口はすっかり恐縮して、窓際の席に並んで座っていた。
営業時間の合間に少しだけ三橋と話をしようと思っていたのだった。
でも厨房担当だという綺麗な女性が「残り物で悪いけど」と簡単なランチを出してくれた。
三橋と同じような小柄で可愛らしい店員が「店の奢りだから、お替りしていいよ」と笑う。
どうやら賄い食のようで、三橋本人も同じものを食べるようだ。
テーブルを挟んで向かいに座った三橋の前にも、同じ料理が置かれた。
気を利かせてくれたようで、そこで他の店員たちは「Stuff Only」と書かれた扉に消えた。

空腹だった2人は、ありがたく食べた。
三橋同様にすすめられたお替りもしっかり平らげた。
そして今は空になった皿の代わりに、三橋が淹れたコーヒーが目の前に置かれている。
三橋が「これも奢りだから」と言って「フヒ」と笑った。

三橋はすっかりこの店で自分の居場所を作ったのだ。
だから三橋の友人ということだけで、ここまで歓待される。
花井と栄口は、顔を見合わせて笑い合った。
少し寂しい気がするけど、頑張っている三橋が見られるのはいいことだと思う。

*****

「今日は、三橋に謝りに来たんだ。」
コーヒーを飲みながら、まず口を開いたのは花井だった。
「この前の食事会、あれおまえがここで働いてるの知っててやったんだ」
「三橋んちのおばさんに聞いたんだよ。」
花井の説明に、栄口が言葉を添えた。
「わかってた、よ。だって。予約の、名前が『栄口様』だもん。」
三橋は少し寂し気に言った。

「三橋と阿部のこと、ずっと気にしてたんだ。俺たち。」
花井がまるで罪を告白するように、辛そうに言葉を紡ぐ。
「一方的に『気持ち悪い』とか『部活第一』とか言って。おまえらを傷つけた。」
「それは。。。」
「認めてやればよかったって、ずっと後悔してた。おめでとうって言えばよかったって」
何かを言いかけた三橋の言葉を遮って、花井は言葉を続ける。
「おまえが部を辞めたとき、正直何を意固地になってんだって思った。阿部だって待とうって言ったのに」
「おまえほどの投球中毒なら、すぐに音を上げて部に戻るってタカをくくってた部分もあったけど」
「でもそのおまえが部に戻れないほど、傷ついたんだよな。」
花井が大きくため息をついた。

「だから阿部とおまえをもう1度逢わせようと思ったんだよ。」
今度は栄口が話し出した。
「この店で食事会って名目で阿部を呼び出して、阿部とおまえが元に戻れるようにしようと思った。」
「じゃあ阿部くんは、ここに俺がいること知らなかったの?」
「うん。知ってたのは花井と俺だけ。」
「そうだったんだ」
「まさか、阿部が篠岡と付き合うことになってて、ここで発表するとは思わなかったよ」
栄口が、普段の彼には似つかわしくない皮肉っぽい顔で笑った。

*****

「花井くんと、栄口くんが、謝る必要、なんて、ない」
ずっと黙っていた三橋がついに口を開いた。
「俺も今なら、わかるんだ。皆の気持ち。」
今度は花井と栄口が、黙って三橋の話を聞いていた。

「阿部くんは、野球と、俺を、別に、見てくれてた。でも俺は、出来なかった。」
「あの時の、俺は、どうしても、野球と、阿部くんを、分けて、考えられ、なかった。」
「あのまま、何も、なかった顔で、野球する、自信が、なかったんだ。」
三橋は、ポツポツと言葉を選んで話し続けた。
ゆっくりと、だが決してドモることなく語りかけてくる。
そこに三橋の決意のようなものを感じて、花井と栄口は黙り込んだ。

「三橋はこれでいいのか?もう阿部とは。。。」
「篠岡さんがいる。」
しばらくの沈黙の後の花井の言葉は、三橋によって遮られた。
「多分、タイミング、なんだ。俺と、阿部くんは、それが、合わなかった、んだと思う。」
三橋はそう言って、ふっとため息をついた。

「なんか三橋は大人になったね。」
唐突に栄口が、口を開いた。
「そ、うかな?」
「そうだよ。何か俺らとは違う場所で、しっかり頑張っててさ」
「そうだな。俺もそう思う。雰囲気もなんか変わったし。」
栄口と花井の賛辞に、三橋は「ウヒ」と見慣れた笑顔を見せた。

*****

花井と栄口が帰った後、三橋は店内の掃除を始めた。
その物音に気がついたのだろう。
セナとヒル魔とまもりが2階のスタッフ専用の部屋から降りてきた。

「友達に、おごって、もらって、ありがとう、ございました。」
三橋は3人に頭を下げると、セナとまもりがニコリと笑った。
ヒル魔は何事もない顔で、指定席の奥のテーブルでノートパソコンを開く。
まもりが夕方の準備の為に厨房へ向かい、セナは掃除に加わった。

「レンくん、この前モン太がQBしないかって誘ったらしいけど」
セナが床にモップをかけながら、三橋に話しかけてきた。
テーブルを拭いていた三橋がセナに視線を向ける。
「僕も悪くないと思うよ。レンくん、野球だとすごくコントロールいいんだもんね。」
「あれって、モン太さんの、冗談じゃ」
「冗談じゃないって」
セナが声を立てて笑った。

「今度、アメフトのボール投げてみない?」
「いいん、ですか?」
「もちろん。もし楽しいなと思ったら、うちの大学の練習を見においでよ。」
セナの優しい申し出に、三橋は喜んで同意した。
三橋は心の中で、セナの優しさに感謝した。
花井と栄口の来訪に、どこかで少し落ち込んでいた三橋に気がついたのだ。
少しでも気分が上向くように気をつかってくれている。

「セナさん、ありがとう」
三橋の言葉に、セナはニッコリと笑った。

*****

店の営業が終わって、三橋は2階の自分に与えられている部屋に戻った。
すると携帯電話に2件のメールが届いていた。
「今日はご馳走様。楽しかった。」と花井。
「今日はありがとう。お店の皆さんによろしく。」と栄口。
三橋は「こちらこそありがとう」と2人に返信する。

別れ際「また来てね」と言ったけれど、花井も栄口も多分来ないだろうと思う。
事実2人のメールにも「また行く」とは書かれていない。
彼らは最後の夏の大会を終えた。
そして唯一やり残したことを片付けるために、ここへ来たのだ。
それは、三橋と阿部を再会させて、三橋と話をすることだ。
3年間、野球部を率いてきた頼もしい主将と副主将は今日最後の仕事を終えたのだ。

引退。卒業。それは誰にもやって来る寂しい思い出だ。
かつての仲間たちは、夏の大会を終えて引退した。
でも三橋の夏はまだ終わっていない。
きっちりと心に区切りをつけて「引退」する。
そうでなければ胸を張って「卒業」できない。

三橋は携帯電話をベットの枕元に放り投げた。
そして代わりにヒル魔に借りたアメフトの入門書を手に取る。
とりあえずできることを、精一杯やろう。
そうすれば少しずつでも、前に進めるはずだ。

【続く】
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