アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-2】
【幻想】
「はぁぁ。」
律はもう何度目かわからないため息をついた。
セナや阿部ら、店のスタッフたちは秘かにそんな律を見ながら心配していた。
小野寺律は悩んでいた。
傍から見れば、律の将来は順風満帆だ。
大手出版社の社長令息、しかもその会社の社長は代々世襲。
つまりほぼ間違いなく、次期社長なのだ。
しかも名ばかりの御曹司ではない。
丸川出版では人気少女漫画誌「エメラルド」で実績を上げ、文芸では黛千尋をヒットさせた。
さらに小野寺出版に戻り、検閲撤廃後の本の価格を下げるという流れを作った。
つまりすでに七光りではなく、律本人が有能なのだと思われているのだ。
しかもアラフォーにしてなお秀麗な美貌であり、さらに独身。
元々女性にはモテる律が、ここへ来て人生最高のモテ期を迎えていた。
律が頻繁に「カフェ・デビルバッツ」に来るようになったのは、必然だった。
1人で食事でもしていようものなら、声をかけてくる女性が後を絶たないのだ。
そういう女性たちは、概ね自分に自信がある者ばかり。
美しい青年を自分の物にするという幻想を、勝手に確信している。
もちろん律にはずっと想い続ける恋人がおり、そんな女たちに見向きもしない。
だがいちいちことわるのは、結構めんどくさいものだ。
その点「カフェ・デビルバッツ」なら、そういう客は店側でさり気なく遠ざけてくれるのだ。
だがこの夜の律はひどく憂鬱そうだった。
表情も冴えないし、ため息も多い。
何かあったことは明白だった。
「こんなときヒル魔さんがいてくれたらなぁ。」
阿部は律のテーブルを見ながら、こっそりとため息をついた。
何か悩んでいるのを聞き出して、的確にアドバイスする。
これはこの店のオーナー、ヒル魔の得意技だ。
だがこの夜、ヒル魔は「疲れた」と言って早々に部屋に引っ込んでいた。
「うってつけの人が来たようですよ。」
阿部のボヤキにすかさず答えたのは、黒子だった。
店のドアが開き、現れたのは赤の帝王。
黒子のかつてのチームメイトであり、主将であった赤司征十郎だ。
「赤司君。いらっしゃいませ。」
驚く阿部やセナを尻目に、黒子は赤司に近寄ると何やら耳打ちした。
すると赤司は「わかった」と頷き、律のテーブルに案内される。
そして「こんばんは」と軽く会釈をすると、許可も得ずに席についてしまった。
「キセキの世代って、みんな押しが強いっすね。」
「うん。律さんも拒否するどころか、普通に挨拶しちゃってるし。」
阿部とセナがヒソヒソとそんな話をする中、黒子が赤司の注文を取りキッチンに下がる。
そして律と赤司は向かい合い、サシで話をすることになった。
「俺、出版界ではいろいろ評価されたっぽくて。父がそろそろ社長を譲ることを考えるって」
「良い話のように聞こえるが」
「その代わりに父の薦める女性と結婚しろって言われちゃって」
「なるほど。よくある話だ。」
程なくして酒が進み、赤司は律から悩みを聞き出すことに成功していた。
聞くとはなしに聞いてしまったセナと阿部は、なるほどと秘かに頷く。
小野寺出版は世襲なのだから、律が社長になったら次の代も考えなくてはならない。
つまり女性と結婚しなければならないが、律には高野という同性の恋人がいる。
「俺だったらルールを変えるな。」
「ルールって、世襲の?」
「そうだ。社長になって世襲なんて廃止にする。実績を残せば誰も文句など言えないだろう。」
「ちなみに赤司君のところは」
「うちは一族の中から優秀な者が後継者に指名される。直系の子供なんて関係ない。」
「候補者、たくさんいるの?」
「愛人の子供とかを入れたら、かなりの数だ。」
赤司の言葉に律だけでなく、セナや阿部も呆然とした。
愛人の子供も含めて一族の中から後継者を指名とは、なんともスケールがデカい。
だが食事を終える頃には、律もすっきりした顔になっていた。
「あまりにも桁外れな話を聞いたら、自分の悩みがバカバカしくなっっちゃった。」
律はそう言って、笑顔で帰って行った。
黒子は涼しい顔で「赤司君でも役に立つんですね」と言い放つ。
そしてセナと阿部は「お前が相席させたんだろ」と思ったが、懸命にも何も言わなかった。
*****
「やぁ、こっちだ!」
赤司はドアを開けて入って来た男に手を振った。
その声に気付いた男はすぐに近づいてきて「遅くなりました」と頭を下げた。
まったく予定外だが、面白かった。
赤司は「カフェ・デビルバッツ」のおすすめワインを楽しみながら、ひとりごちた。
すっかり企業家となった赤司は、食事さえも仕事であることが多い。
食事をしながら商談やミーティングなどをこなすことは珍しくないからだ。
単に時間を惜しんでいるわけではない。
食事には案外、個性が出る。
食べ方を見れば性格がわかるし、そうなれば仕事も進めやすくなる。
この日も赤司は仕事関係である男を呼び出していた。
店は「カフェ・デビルバッツ」だ。
仕事半分、私的な会見半分だったので、気心が知れた店にしたのだ。
安くて美味くて、店の雰囲気も良い。
中学時代からの友人、黒子もいるし、オーナーのヒル魔も面白い。
あまり食にはこだわりを見せない赤司が、唯一気に入っている店だ。
赤司は待ち合わせ時間より、かなり前に到着した。
まぁ考え事でもしながら軽く飲み食いしていれば、すぐに時間も潰れるだろう。
だがそんな心配は杞憂だった。
店に入るなり黒子がやって来て「ちょっと話をしてみませんか?」と言った。
黒子が案内した席に座っていたのは、小野寺出版の御曹司だった。
わかりやすく落ち込んでいた彼から話を引き出すのは、赤司には簡単だ。
そして彼の悩みは赤司にも覚えがあることだった。
一族経営の会社に生まれた者は、どうしてもある幻想に囚われる。
それは親の代まで築き上げたものは、絶対に正しいと思い込んでしまうことだ。
親の言う通り伝統を守るという呪縛から逃れられず、そもそも呪縛であることに気付かない。
誰にも文句を言わせない実力をつけて、自分のやりたいようにやればいい。
そんな持論を言ってやったら、彼は「なるほど」と頷いていた。
少しでも力になれたのなら、こちらとしても幸いだ。
そして彼と入れ替わるように、待ち合わせの相手が現れた。
「呼び出して悪かったね。」
「いえ。」
礼儀正しく、赤司の前に座ったのは小牧幹久。
最近図書隊を除隊し、警備会社に加わった男だ。
図書大卒で、元図書特殊部隊のエリート。
すでに警備会社で実績を上げている堂上からも、有能な男だと聞かされている。
程なくして小牧の分の酒と料理が運ばれてきて、2人はグラスを掲げて乾杯をした。
「あの3人はどうだ?」
赤司はまずそう聞いた。
小牧を班長にして、葉山、実渕、根武谷をつけた。
その3人は赤司の高校のチームメイトであったため、彼らの評価が気になったのだ。
「優秀ですよ。さすがバスケで鍛えただけのことはある。班としての連携も上手くいってます。」
「とはいえアクが強い連中だ。苦労も多いだろう?」
「いえいえ。アクの強いメンバーは図書隊で慣れていますから。」
小牧は整った美貌で、そつがない笑顔を見せた。
もちろん赤司はそれをそのまま受け取ったりしない。
小牧が食えない男であることは見抜いていたが、だからこそあの3人を託せるのだ。
「ところで、もうすぐ初仕事を頼むことになる。ある漫画家の警護だ。」
「漫画家さん、ですか。」
「ちょっとツッコんだ作品を書いてて、良化法賛同団体から脅迫状が届いたそうだ。」
「はぁ。それは大変ですね。」
「詳細は正式な話が決まったら、資料を渡す。」
「了解しました。」
「悪いな。良化法がらみだと、元良化隊員は使いにくいんだ。」
検閲が撤廃されて、メディア良化委員会がなくなっても、賛同団体は最後のあがきをするだろう。
赤司の会社にも警護依頼が増えることが見込まれるが、やはり元良化隊員はやりにくい。
そこで当面は堂上や小牧ら、元図書隊員が忙しくなると赤司は考えていた。
「精一杯頑張ります。」
「よろしく頼む。」
赤司と小牧は2度目の乾杯をした。
新しい従業員は予想以上に有能なことがわかり、赤司としても大いに満足していた。
*****
「大丈夫!?」
親友の取り乱した様子に、郁は驚いた。
自慢の黒髪がほつれているし、すっぴんの肌は少々荒れている。
だがそんな状態でありながら、彼女はやはり美人だった。
「あの、郁さん」
コインランドリーで仕事をしていた郁の前に現れたのは、篠岡だった。
2号店を仕切る水谷の妻で、2児の母。
郁にとっては、出産についていろいろ教えてくれる頼もしい先輩でもある。
「千代ちゃん。どうしたの?」
「今、うちに柴崎さんが来てるんだけど、何か様子がおかしくて」
「え?柴崎?」
郁はその名を聞いて、驚いた。
ここ「カフェ・デビルバッツ」は、図書基地から徒歩で30分程だ。
近いと言えなくはないが、柴崎は妊婦であり、郁よりも出産も近い。
フラリと現れるような状態ではないはずなのだ。
「言って来れば?小一時間くらいなら1人でも大丈夫だから。」
黛が気を利かせて、そう言ってくれた。
郁は「ありがとう!」と頭を下げると、2号店に向かう。
すると奥のテーブルに、疲れ切った様子の柴崎が座っていた。
「ちょっと!大丈夫!?」
思わず第一声がそんな言葉になるほど、柴崎は痛々しい様子だった。
自慢の黒髪がほつれているし、すっぴんの肌は少々荒れている。
だがそんな状態でありながら、彼女はやはり美人だった。
むしろ妙な迫力があり、目が離せない。
「かさはら」
「ねぇ1人で来たの?手塚は?」
「・・・ケンカした」
「それで?まさか歩いてきたんじゃないわよね?」
郁は柴崎と話しながら、向かいに腰を下ろした。
すぐに篠岡が2人の前に、ノンカフェインのお茶を置いてくれる。
暖かい湯気に柴崎の緊張が少し解けたようだ。
一口茶を啜ると、静かに口を開いた。
「光が、図書隊を辞めるって」
「え?もしかして手塚も警備会社に」
「うん。でもあたしは図書隊に残りたい。検閲撤廃後の図書館を見届けたいの」
「・・・それで」
「そうしたら光が一緒に来てくれないなら、離婚した方がいいのかって」
あのバカ!朴念仁!
郁は心の中で、盛大に手塚を罵った。
よりによって妊娠している妻に「離婚」なんてデリカシーがなさ過ぎる。
郁は「ハァァ」とため息をつくと「ゴメン」とあやまった。
「実は手塚、この前来たんだ。自分の警備会社に移りたいって言ってた。」
「そうなの?」
「だからあたし、やりたいことをやった方が良いって言った。」
「あんたが?」
柴崎の責めるような視線に、郁は思わず目を伏せた。
だがここで嘘をついても仕方がない。
先日手塚が来て「図書隊を辞めたい」と言ったのは、事実だ。
本当は堂上に相談したかったのだろう。
だけど堂上は不在で、郁が相談に乗る形になった。
郁はしがらみなどに囚われず、好きなようにした方がいいと思うとアドバイスした。
「それであいつ、除隊とか」
「あたしは残りたいの。でも図書隊を辞めるか、別れるしかないのかしら」
途方に暮れた様子の柴崎に、郁は「何で?」と首を傾げた。
「別に柴崎は図書隊で、手塚が警備会社じゃダメなの?」
「え?」
「志が違ったって相反するものじゃないんだもの。別れる必要ないんじゃない?」
夫婦はいつも同じものを求めているなんて、幻想だ。
途中から道を分かつ可能性だってあるだろう。
だがだから別れなければならないなんて、そんなはずはないと郁は思う。
「そんなこと考え付かなかった。ずっと同じ道を歩いてきたから、離れたら終わりって思って」
「手塚もそう思って『離婚』なのかぁ。」
「うん。多分そう。」
「あんたたちって頭が良いのに、融通が利かないのね。」
柴崎が「なによ」と拗ねたところで、水谷がケーキを出してくれた。
そこで期せずしてスイーツタイムとなり、2人は美味しい時間を過ごした。
こうして手塚夫妻の最大の危機は、郁によって始まり、郁の手で幕を下ろしたのである。
*****
「ご迷惑をおかけしました。」
日和が深々と頭を下げた。
雄大が頭を掻きながら「いや、その」と口ごもる。
だがその光景を間近で見ていた男は「お前!もしかして!」と叫んだのだった。
日和と大河が「カフェ・デビルバッツ」に来店した。
2人が一緒に来るのは、かなり久しぶりだ。
セナが笑顔で「元気だった?」と声をかけると、大河は困ったように笑った。
「俺、長期出張で全然知らなくて」
大河が申し訳なさそうに切り出したのは、つい最近の騒動。
日和の元カレがストーカーと化して、日和の後を尾行していた。
それを店のアルバイトスタッフが気付き、殴りつけたのだ。
「だって。大河は東京にいなかったし。知らされても困るだけでしょ」
日和は拗ねたように、口を尖らせた。
セナはそんな日和を見ながら、ちょっと羨ましいと思った。
あんな風に口を尖らせて拗ねて見せるのか可愛く見える年齢は、もうとっくに終わっているからだ。
ちなみにセナと近しい者たちは、時折セナを「いつまでも若い」とか「可愛い」などと言う。
だが当のセナにしてみれば、それはアイシールド21の幻想の余韻だ。
未だに「アイシールド」と声をかける者はいるが、セナ自身は童顔を揶揄われている気しかしない。
「お店にご迷惑をかけたので、ヒル魔さんとあの店員さんにお詫びを」
「あ~、ヒル魔さんは今日はちょっと無理かな。雄大君はコインランドリーにいるから」
「あ、あたし呼んでくる。」
日和とセナのやりとりを聞いていた鈴音が、店を出て行く。
大河と日和は顔を見合わせた後、おずおずと口を開いた。
「ヒル魔さん、また悪いんですか?」
「いや、大丈夫。寝込んでいるわけじゃないから。」
セナが苦笑したところで、鈴音が雄大を連れて戻って来た。
日和が「ご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げた。
雄大が頭を掻きながら「いや、その」と口ごもり、大河はその顔をマジマジと見ていたのだが。
「お前!もしかして!」
「な、なんすか?」
「昔武蔵野第一図書館で、しょっちゅう放送で呼び出されてたガキだろ。」
「え、覚えてるんですか?」
「ああ。図書館内のあちこちにお菓子隠して、秘密基地作ろうとしてたってな!」
図書館常連の大河は、覚えていたのだ。
しょっちゅう問題を起こして、図書館員の手を焼かせていた幼稚園児のことを。
バツが悪そうな表情の雄大を見て、大河はゲラゲラと笑った。
「しっかしお前、本当に顔、変わんねーな!」
「ボクも覚えてますよ。図書館の前庭でロケット花火をぶっ放した中学生。」
不意に会話に割り込んだのは、ずっと黙って事の顛末を見ていた黒子だった。
黒子もまた図書館の常連であり、昔大河が起こした騒動を覚えていたのだ。
「あ、いや、その。」
「なぁに、大河。そんなことしたの~?」
今度は大河がバツが悪そうな顔になり、日和がツッコミを入れる。
そこへ雄大が逆襲とばかりに「それ、教えてください!」と身を乗り出した。
かくして日和の謝罪のための来店は、何ともしまらないものになった。
だが一気に大河と雄大の距離が縮まり、日和を含めて兄弟のように仲良くなったのだった。
*****
「Set!Hut!」
アメフト好きならお馴染みの掛け声だ。
久しぶりとは思えない張りのあるその声に、阿部と三橋は感動さえ覚えていた。
大河と日和が店を訪れ、雄大と図書館トークを繰り広げていた頃。
阿部と三橋、そしてヒル魔は実は「カフェ・デビルバッツ」の裏にいた。
客は入れないバックスペースには、店所有の小型ワゴン車が止まっている。
主に材料の仕入れなどで使う車だ。
ちなみに裏口はキッチンに繋がっており、食材は客に見えないように搬入できるようになっている。
その狭いスペースでは、最近自主トレをする者が増えている。
主に阿部と三橋とセナだ。
母校の野球部のコーチに誘われた阿部と三橋、そして再び試合をすることになったセナ。
それを期に彼らはもう一度、一から身体づくりを始めたのだ。
この日休みの阿部と三橋は、黙々と身体を動かしていた。
ストレッチに始まり、筋トレ、キャッチボール、そしてバットの素振り。
別にプレイをするわけではないのだが、やはり動けた方が良い。
だから高校や大学の野球部でやっていたメニューを引っ張り出して、トレーニングをしていたのだが。
「オレも入れてくれ」
2人の前に現れたのは、ヒル魔だった。
阿部と三橋は思わず顔を見合わせて、微妙な表情になる。
長く病を患っているヒル魔が、トレーニングなんてして大丈夫なのか。
「心配すんな。お前らと同じペースでやろうなんて思ってねぇよ。」
「そう、なんですか?」
「俺も試合に出ろって言われたからな。ちょっと今の体力を試したいだけだ。」
「・・・わかりました。でもつらかったらすぐに止めて下さいね。」
かくして3人でのトレーニングとなった。
阿部と三橋に比べて、ヒル魔はやはり動けない。
筋力も落ちているし、スピードも鈍かった。
それでも自分のペースで身体を解すヒル魔に、阿部も三橋も驚いた。
「悪かったな。そろそろ」
「ヒル魔、さん、オ、レ、スナップ」
「ああ、いいっすね。三橋はスナップやれよ。オレはキャッチな」
引き上げようとするヒル魔を、三橋が呼び止めた。
提案したのは、アメフトのワンプレーだ。
三橋がボールをスナップして、クォーターバックのヒル魔にボールを出す。
そしてヒル魔が投げたところで、レシーバーの阿部が受けるのだ。
阿部も三橋も草試合に出たことがあるので、そのくらいならできる。
「最後にワンプレー、やりましょう。」
「オレ、ボール、とって、来る!」
阿部と三橋はヒル魔の返事を待たずに、準備を始める。
ヒル魔は「マジか」と顔をしかめながら、目は笑っていた。
久しぶりのアメフトに、心は踊っているようだ。
「Set!Hut!」
やがてアメフト好きならお馴染みの掛け声が響いた。
久しぶりとは思えない張りのあるその声に、阿部と三橋は感動する。
そしてボールは綺麗な孤を描いて、阿部の手に納まった。
さすがにロングパスはむずかしいが、近距離ならば身体が間隔を覚えているのだ。
あのアイシールド21を作り上げた、悪魔のクォーターバックは決して幻想ではなかった。
病気で衰えたって、あの凄味と迫力は損なわれていない。
ちなみにこの後、阿部と三橋にそれを教えられたセナは大いに拗ねた。
久々に投げるヒル魔の姿を見られなかったことが、悔しかったのだ。
【続く】
「はぁぁ。」
律はもう何度目かわからないため息をついた。
セナや阿部ら、店のスタッフたちは秘かにそんな律を見ながら心配していた。
小野寺律は悩んでいた。
傍から見れば、律の将来は順風満帆だ。
大手出版社の社長令息、しかもその会社の社長は代々世襲。
つまりほぼ間違いなく、次期社長なのだ。
しかも名ばかりの御曹司ではない。
丸川出版では人気少女漫画誌「エメラルド」で実績を上げ、文芸では黛千尋をヒットさせた。
さらに小野寺出版に戻り、検閲撤廃後の本の価格を下げるという流れを作った。
つまりすでに七光りではなく、律本人が有能なのだと思われているのだ。
しかもアラフォーにしてなお秀麗な美貌であり、さらに独身。
元々女性にはモテる律が、ここへ来て人生最高のモテ期を迎えていた。
律が頻繁に「カフェ・デビルバッツ」に来るようになったのは、必然だった。
1人で食事でもしていようものなら、声をかけてくる女性が後を絶たないのだ。
そういう女性たちは、概ね自分に自信がある者ばかり。
美しい青年を自分の物にするという幻想を、勝手に確信している。
もちろん律にはずっと想い続ける恋人がおり、そんな女たちに見向きもしない。
だがいちいちことわるのは、結構めんどくさいものだ。
その点「カフェ・デビルバッツ」なら、そういう客は店側でさり気なく遠ざけてくれるのだ。
だがこの夜の律はひどく憂鬱そうだった。
表情も冴えないし、ため息も多い。
何かあったことは明白だった。
「こんなときヒル魔さんがいてくれたらなぁ。」
阿部は律のテーブルを見ながら、こっそりとため息をついた。
何か悩んでいるのを聞き出して、的確にアドバイスする。
これはこの店のオーナー、ヒル魔の得意技だ。
だがこの夜、ヒル魔は「疲れた」と言って早々に部屋に引っ込んでいた。
「うってつけの人が来たようですよ。」
阿部のボヤキにすかさず答えたのは、黒子だった。
店のドアが開き、現れたのは赤の帝王。
黒子のかつてのチームメイトであり、主将であった赤司征十郎だ。
「赤司君。いらっしゃいませ。」
驚く阿部やセナを尻目に、黒子は赤司に近寄ると何やら耳打ちした。
すると赤司は「わかった」と頷き、律のテーブルに案内される。
そして「こんばんは」と軽く会釈をすると、許可も得ずに席についてしまった。
「キセキの世代って、みんな押しが強いっすね。」
「うん。律さんも拒否するどころか、普通に挨拶しちゃってるし。」
阿部とセナがヒソヒソとそんな話をする中、黒子が赤司の注文を取りキッチンに下がる。
そして律と赤司は向かい合い、サシで話をすることになった。
「俺、出版界ではいろいろ評価されたっぽくて。父がそろそろ社長を譲ることを考えるって」
「良い話のように聞こえるが」
「その代わりに父の薦める女性と結婚しろって言われちゃって」
「なるほど。よくある話だ。」
程なくして酒が進み、赤司は律から悩みを聞き出すことに成功していた。
聞くとはなしに聞いてしまったセナと阿部は、なるほどと秘かに頷く。
小野寺出版は世襲なのだから、律が社長になったら次の代も考えなくてはならない。
つまり女性と結婚しなければならないが、律には高野という同性の恋人がいる。
「俺だったらルールを変えるな。」
「ルールって、世襲の?」
「そうだ。社長になって世襲なんて廃止にする。実績を残せば誰も文句など言えないだろう。」
「ちなみに赤司君のところは」
「うちは一族の中から優秀な者が後継者に指名される。直系の子供なんて関係ない。」
「候補者、たくさんいるの?」
「愛人の子供とかを入れたら、かなりの数だ。」
赤司の言葉に律だけでなく、セナや阿部も呆然とした。
愛人の子供も含めて一族の中から後継者を指名とは、なんともスケールがデカい。
だが食事を終える頃には、律もすっきりした顔になっていた。
「あまりにも桁外れな話を聞いたら、自分の悩みがバカバカしくなっっちゃった。」
律はそう言って、笑顔で帰って行った。
黒子は涼しい顔で「赤司君でも役に立つんですね」と言い放つ。
そしてセナと阿部は「お前が相席させたんだろ」と思ったが、懸命にも何も言わなかった。
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「やぁ、こっちだ!」
赤司はドアを開けて入って来た男に手を振った。
その声に気付いた男はすぐに近づいてきて「遅くなりました」と頭を下げた。
まったく予定外だが、面白かった。
赤司は「カフェ・デビルバッツ」のおすすめワインを楽しみながら、ひとりごちた。
すっかり企業家となった赤司は、食事さえも仕事であることが多い。
食事をしながら商談やミーティングなどをこなすことは珍しくないからだ。
単に時間を惜しんでいるわけではない。
食事には案外、個性が出る。
食べ方を見れば性格がわかるし、そうなれば仕事も進めやすくなる。
この日も赤司は仕事関係である男を呼び出していた。
店は「カフェ・デビルバッツ」だ。
仕事半分、私的な会見半分だったので、気心が知れた店にしたのだ。
安くて美味くて、店の雰囲気も良い。
中学時代からの友人、黒子もいるし、オーナーのヒル魔も面白い。
あまり食にはこだわりを見せない赤司が、唯一気に入っている店だ。
赤司は待ち合わせ時間より、かなり前に到着した。
まぁ考え事でもしながら軽く飲み食いしていれば、すぐに時間も潰れるだろう。
だがそんな心配は杞憂だった。
店に入るなり黒子がやって来て「ちょっと話をしてみませんか?」と言った。
黒子が案内した席に座っていたのは、小野寺出版の御曹司だった。
わかりやすく落ち込んでいた彼から話を引き出すのは、赤司には簡単だ。
そして彼の悩みは赤司にも覚えがあることだった。
一族経営の会社に生まれた者は、どうしてもある幻想に囚われる。
それは親の代まで築き上げたものは、絶対に正しいと思い込んでしまうことだ。
親の言う通り伝統を守るという呪縛から逃れられず、そもそも呪縛であることに気付かない。
誰にも文句を言わせない実力をつけて、自分のやりたいようにやればいい。
そんな持論を言ってやったら、彼は「なるほど」と頷いていた。
少しでも力になれたのなら、こちらとしても幸いだ。
そして彼と入れ替わるように、待ち合わせの相手が現れた。
「呼び出して悪かったね。」
「いえ。」
礼儀正しく、赤司の前に座ったのは小牧幹久。
最近図書隊を除隊し、警備会社に加わった男だ。
図書大卒で、元図書特殊部隊のエリート。
すでに警備会社で実績を上げている堂上からも、有能な男だと聞かされている。
程なくして小牧の分の酒と料理が運ばれてきて、2人はグラスを掲げて乾杯をした。
「あの3人はどうだ?」
赤司はまずそう聞いた。
小牧を班長にして、葉山、実渕、根武谷をつけた。
その3人は赤司の高校のチームメイトであったため、彼らの評価が気になったのだ。
「優秀ですよ。さすがバスケで鍛えただけのことはある。班としての連携も上手くいってます。」
「とはいえアクが強い連中だ。苦労も多いだろう?」
「いえいえ。アクの強いメンバーは図書隊で慣れていますから。」
小牧は整った美貌で、そつがない笑顔を見せた。
もちろん赤司はそれをそのまま受け取ったりしない。
小牧が食えない男であることは見抜いていたが、だからこそあの3人を託せるのだ。
「ところで、もうすぐ初仕事を頼むことになる。ある漫画家の警護だ。」
「漫画家さん、ですか。」
「ちょっとツッコんだ作品を書いてて、良化法賛同団体から脅迫状が届いたそうだ。」
「はぁ。それは大変ですね。」
「詳細は正式な話が決まったら、資料を渡す。」
「了解しました。」
「悪いな。良化法がらみだと、元良化隊員は使いにくいんだ。」
検閲が撤廃されて、メディア良化委員会がなくなっても、賛同団体は最後のあがきをするだろう。
赤司の会社にも警護依頼が増えることが見込まれるが、やはり元良化隊員はやりにくい。
そこで当面は堂上や小牧ら、元図書隊員が忙しくなると赤司は考えていた。
「精一杯頑張ります。」
「よろしく頼む。」
赤司と小牧は2度目の乾杯をした。
新しい従業員は予想以上に有能なことがわかり、赤司としても大いに満足していた。
*****
「大丈夫!?」
親友の取り乱した様子に、郁は驚いた。
自慢の黒髪がほつれているし、すっぴんの肌は少々荒れている。
だがそんな状態でありながら、彼女はやはり美人だった。
「あの、郁さん」
コインランドリーで仕事をしていた郁の前に現れたのは、篠岡だった。
2号店を仕切る水谷の妻で、2児の母。
郁にとっては、出産についていろいろ教えてくれる頼もしい先輩でもある。
「千代ちゃん。どうしたの?」
「今、うちに柴崎さんが来てるんだけど、何か様子がおかしくて」
「え?柴崎?」
郁はその名を聞いて、驚いた。
ここ「カフェ・デビルバッツ」は、図書基地から徒歩で30分程だ。
近いと言えなくはないが、柴崎は妊婦であり、郁よりも出産も近い。
フラリと現れるような状態ではないはずなのだ。
「言って来れば?小一時間くらいなら1人でも大丈夫だから。」
黛が気を利かせて、そう言ってくれた。
郁は「ありがとう!」と頭を下げると、2号店に向かう。
すると奥のテーブルに、疲れ切った様子の柴崎が座っていた。
「ちょっと!大丈夫!?」
思わず第一声がそんな言葉になるほど、柴崎は痛々しい様子だった。
自慢の黒髪がほつれているし、すっぴんの肌は少々荒れている。
だがそんな状態でありながら、彼女はやはり美人だった。
むしろ妙な迫力があり、目が離せない。
「かさはら」
「ねぇ1人で来たの?手塚は?」
「・・・ケンカした」
「それで?まさか歩いてきたんじゃないわよね?」
郁は柴崎と話しながら、向かいに腰を下ろした。
すぐに篠岡が2人の前に、ノンカフェインのお茶を置いてくれる。
暖かい湯気に柴崎の緊張が少し解けたようだ。
一口茶を啜ると、静かに口を開いた。
「光が、図書隊を辞めるって」
「え?もしかして手塚も警備会社に」
「うん。でもあたしは図書隊に残りたい。検閲撤廃後の図書館を見届けたいの」
「・・・それで」
「そうしたら光が一緒に来てくれないなら、離婚した方がいいのかって」
あのバカ!朴念仁!
郁は心の中で、盛大に手塚を罵った。
よりによって妊娠している妻に「離婚」なんてデリカシーがなさ過ぎる。
郁は「ハァァ」とため息をつくと「ゴメン」とあやまった。
「実は手塚、この前来たんだ。自分の警備会社に移りたいって言ってた。」
「そうなの?」
「だからあたし、やりたいことをやった方が良いって言った。」
「あんたが?」
柴崎の責めるような視線に、郁は思わず目を伏せた。
だがここで嘘をついても仕方がない。
先日手塚が来て「図書隊を辞めたい」と言ったのは、事実だ。
本当は堂上に相談したかったのだろう。
だけど堂上は不在で、郁が相談に乗る形になった。
郁はしがらみなどに囚われず、好きなようにした方がいいと思うとアドバイスした。
「それであいつ、除隊とか」
「あたしは残りたいの。でも図書隊を辞めるか、別れるしかないのかしら」
途方に暮れた様子の柴崎に、郁は「何で?」と首を傾げた。
「別に柴崎は図書隊で、手塚が警備会社じゃダメなの?」
「え?」
「志が違ったって相反するものじゃないんだもの。別れる必要ないんじゃない?」
夫婦はいつも同じものを求めているなんて、幻想だ。
途中から道を分かつ可能性だってあるだろう。
だがだから別れなければならないなんて、そんなはずはないと郁は思う。
「そんなこと考え付かなかった。ずっと同じ道を歩いてきたから、離れたら終わりって思って」
「手塚もそう思って『離婚』なのかぁ。」
「うん。多分そう。」
「あんたたちって頭が良いのに、融通が利かないのね。」
柴崎が「なによ」と拗ねたところで、水谷がケーキを出してくれた。
そこで期せずしてスイーツタイムとなり、2人は美味しい時間を過ごした。
こうして手塚夫妻の最大の危機は、郁によって始まり、郁の手で幕を下ろしたのである。
*****
「ご迷惑をおかけしました。」
日和が深々と頭を下げた。
雄大が頭を掻きながら「いや、その」と口ごもる。
だがその光景を間近で見ていた男は「お前!もしかして!」と叫んだのだった。
日和と大河が「カフェ・デビルバッツ」に来店した。
2人が一緒に来るのは、かなり久しぶりだ。
セナが笑顔で「元気だった?」と声をかけると、大河は困ったように笑った。
「俺、長期出張で全然知らなくて」
大河が申し訳なさそうに切り出したのは、つい最近の騒動。
日和の元カレがストーカーと化して、日和の後を尾行していた。
それを店のアルバイトスタッフが気付き、殴りつけたのだ。
「だって。大河は東京にいなかったし。知らされても困るだけでしょ」
日和は拗ねたように、口を尖らせた。
セナはそんな日和を見ながら、ちょっと羨ましいと思った。
あんな風に口を尖らせて拗ねて見せるのか可愛く見える年齢は、もうとっくに終わっているからだ。
ちなみにセナと近しい者たちは、時折セナを「いつまでも若い」とか「可愛い」などと言う。
だが当のセナにしてみれば、それはアイシールド21の幻想の余韻だ。
未だに「アイシールド」と声をかける者はいるが、セナ自身は童顔を揶揄われている気しかしない。
「お店にご迷惑をかけたので、ヒル魔さんとあの店員さんにお詫びを」
「あ~、ヒル魔さんは今日はちょっと無理かな。雄大君はコインランドリーにいるから」
「あ、あたし呼んでくる。」
日和とセナのやりとりを聞いていた鈴音が、店を出て行く。
大河と日和は顔を見合わせた後、おずおずと口を開いた。
「ヒル魔さん、また悪いんですか?」
「いや、大丈夫。寝込んでいるわけじゃないから。」
セナが苦笑したところで、鈴音が雄大を連れて戻って来た。
日和が「ご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げた。
雄大が頭を掻きながら「いや、その」と口ごもり、大河はその顔をマジマジと見ていたのだが。
「お前!もしかして!」
「な、なんすか?」
「昔武蔵野第一図書館で、しょっちゅう放送で呼び出されてたガキだろ。」
「え、覚えてるんですか?」
「ああ。図書館内のあちこちにお菓子隠して、秘密基地作ろうとしてたってな!」
図書館常連の大河は、覚えていたのだ。
しょっちゅう問題を起こして、図書館員の手を焼かせていた幼稚園児のことを。
バツが悪そうな表情の雄大を見て、大河はゲラゲラと笑った。
「しっかしお前、本当に顔、変わんねーな!」
「ボクも覚えてますよ。図書館の前庭でロケット花火をぶっ放した中学生。」
不意に会話に割り込んだのは、ずっと黙って事の顛末を見ていた黒子だった。
黒子もまた図書館の常連であり、昔大河が起こした騒動を覚えていたのだ。
「あ、いや、その。」
「なぁに、大河。そんなことしたの~?」
今度は大河がバツが悪そうな顔になり、日和がツッコミを入れる。
そこへ雄大が逆襲とばかりに「それ、教えてください!」と身を乗り出した。
かくして日和の謝罪のための来店は、何ともしまらないものになった。
だが一気に大河と雄大の距離が縮まり、日和を含めて兄弟のように仲良くなったのだった。
*****
「Set!Hut!」
アメフト好きならお馴染みの掛け声だ。
久しぶりとは思えない張りのあるその声に、阿部と三橋は感動さえ覚えていた。
大河と日和が店を訪れ、雄大と図書館トークを繰り広げていた頃。
阿部と三橋、そしてヒル魔は実は「カフェ・デビルバッツ」の裏にいた。
客は入れないバックスペースには、店所有の小型ワゴン車が止まっている。
主に材料の仕入れなどで使う車だ。
ちなみに裏口はキッチンに繋がっており、食材は客に見えないように搬入できるようになっている。
その狭いスペースでは、最近自主トレをする者が増えている。
主に阿部と三橋とセナだ。
母校の野球部のコーチに誘われた阿部と三橋、そして再び試合をすることになったセナ。
それを期に彼らはもう一度、一から身体づくりを始めたのだ。
この日休みの阿部と三橋は、黙々と身体を動かしていた。
ストレッチに始まり、筋トレ、キャッチボール、そしてバットの素振り。
別にプレイをするわけではないのだが、やはり動けた方が良い。
だから高校や大学の野球部でやっていたメニューを引っ張り出して、トレーニングをしていたのだが。
「オレも入れてくれ」
2人の前に現れたのは、ヒル魔だった。
阿部と三橋は思わず顔を見合わせて、微妙な表情になる。
長く病を患っているヒル魔が、トレーニングなんてして大丈夫なのか。
「心配すんな。お前らと同じペースでやろうなんて思ってねぇよ。」
「そう、なんですか?」
「俺も試合に出ろって言われたからな。ちょっと今の体力を試したいだけだ。」
「・・・わかりました。でもつらかったらすぐに止めて下さいね。」
かくして3人でのトレーニングとなった。
阿部と三橋に比べて、ヒル魔はやはり動けない。
筋力も落ちているし、スピードも鈍かった。
それでも自分のペースで身体を解すヒル魔に、阿部も三橋も驚いた。
「悪かったな。そろそろ」
「ヒル魔、さん、オ、レ、スナップ」
「ああ、いいっすね。三橋はスナップやれよ。オレはキャッチな」
引き上げようとするヒル魔を、三橋が呼び止めた。
提案したのは、アメフトのワンプレーだ。
三橋がボールをスナップして、クォーターバックのヒル魔にボールを出す。
そしてヒル魔が投げたところで、レシーバーの阿部が受けるのだ。
阿部も三橋も草試合に出たことがあるので、そのくらいならできる。
「最後にワンプレー、やりましょう。」
「オレ、ボール、とって、来る!」
阿部と三橋はヒル魔の返事を待たずに、準備を始める。
ヒル魔は「マジか」と顔をしかめながら、目は笑っていた。
久しぶりのアメフトに、心は踊っているようだ。
「Set!Hut!」
やがてアメフト好きならお馴染みの掛け声が響いた。
久しぶりとは思えない張りのあるその声に、阿部と三橋は感動する。
そしてボールは綺麗な孤を描いて、阿部の手に納まった。
さすがにロングパスはむずかしいが、近距離ならば身体が間隔を覚えているのだ。
あのアイシールド21を作り上げた、悪魔のクォーターバックは決して幻想ではなかった。
病気で衰えたって、あの凄味と迫力は損なわれていない。
ちなみにこの後、阿部と三橋にそれを教えられたセナは大いに拗ねた。
久々に投げるヒル魔の姿を見られなかったことが、悔しかったのだ。
【続く】