アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-2】

【魂】

「日和」
「ひよ、大丈夫か!?」
2人の男が「カフェ・デビルバッツ」に飛び込んできた。
奥の客席に座り込んでいた日和は、2人の顔を見るなり涙を零した。

桐嶋禅が連絡を受けたのは、深夜のことだ。
会社から帰宅し、横澤と2人、自宅で休もうとしていた最中。
電話をかけて来たのは、意外な人物だった。
控えめな声で「夜分にすみません」と言われたが、見当もつかない。
それどころか「小早川と申します」と名乗られても、誰だかわからなかった。

「『カフェ・デビルバッツ』のセナです。番号は日和さんから聞きました。」
そこまで言われて、ようやく誰だかわかった。
そして同時に緊張する。
よりによってこんな時間にわざわざ電話してくるなんて、トラブルに決まっている。
セナはそんな桐嶋の気持ちを察しているのか「今はもう大丈夫なんですけど」と前置きした。

だがその内容は衝撃的なものだった。
以前日和が交際していた男が「カフェ・デビルバッツ」の前で日和を待ち伏せしていたというのだ。
その男の名前を聞いて、桐嶋は盛大に顔をしかめた。
日和の父である桐嶋が、同性の横澤を恋人にしている。
それを知って、結婚直前に日和を振った男だった。

その男を「カフェ・デビルバッツ」のアルバイト店員が見つけて、殴ったのだという。
そこでちょっとした騒ぎとなり、深夜になってしまった。
こんな時間だし、状況が状況なので、日和を1人にしない方が良い。
そう判断したセナが、桐嶋に連絡をしてきたのだ。
本来の優先順位は日和の恋人の大河なのだろうが、今は長期出張で不在だと言う。

「日和さん、そちらにお送りしてもよろしいですか?」
「いえ、迎えに行きます!お手数をおかけして申し訳ない。」
桐嶋は電話を切ると、すばやく身支度を始めた。
すると何も説明しないのに、事情を察した横澤が「俺も行く」と言い出した。
そして2人は車を飛ばし「カフェ・デビルバッツ」に駆けつけたのだった。

「日和」
「ひよ、大丈夫か!?」
すでに閉店している「カフェ・デビルバッツ」だが、あかりはついている。
桐嶋と横澤は店に飛び込むと、鈴音に付き添われて奥の席に座っている日和を見つけた。
日和は2人を見るなり、目に涙を浮かべながら立ち上がった。

「お父さん~!横澤のお兄ちゃん~!怖かったぁぁ~!」
すっかり大人の女性に成長したはずの娘が、子供のように泣いている。
桐嶋が駆け寄ると、日和は抱き付いてきてグスンと鼻を啜った。
華奢なその身体を受け止めた桐嶋は、頭をなでてやりながら懸命に怒りを抑えていた。
日和を手ひどく振っておいて、今さら付きまとうという魂まで腐った男に。

「いろいろお世話になりました。」
桐嶋は日和を横澤に預けると、セナを見つけて頭を下げた。
そして「あいつを殴ったという店員さんは?」と聞く。
セナは「すみません。彼はまだ警察で足止めされています」と答えた。
意外な展開に、桐嶋は「は?」と声をあげてしまった。

「警察って」
「いくらお客様のためとはいえ、過剰な暴力だったので。」
「そんな。日和のせいで」
「いえ。あれは彼がやり過ぎただけで、日和さんのせいではありません。」

いつも温厚なセナの口調が、珍しく怒っている。
桐嶋はその理由が気になったが、今は敢えてツッコまないことにした。
今の最優先は日和であり、一刻も早く休ませてやるべきだろう。

「わかりました。今日のところはこのまま連れて帰ります。」
「はい。今度はごはんを食べにいらしてくださいね。」
「ええ。ぜひ」

桐嶋は短く話を畳むと「カフェ・デビルバッツ」を出た。
運転席には横澤、行きは助手席だった桐嶋は帰りは日和と共に後部座席に乗った。
日和はごく自然に桐嶋にもたれかかると「ありがとう」と漏らす。
桐嶋がそっと肩を抱き寄せると、日和は疲れていたのかすぐにウトウトと首を揺らし始めた。

横澤が黙ったまま、ミラー越しに桐嶋と視線を合わせて頷いた。
桐嶋はそっと頷き返すと、日和のぬくもりに頬を緩める。
そしてつかの間の穏やかな時間、車は静かに桐嶋家へと急いでいた。

*****

「帰るぞ。雄大」
堂上は鈍い足取りで出てきた雄大に声をかけると、先に立って歩き出した。
雄大は驚いた顔になったが、すぐに無表情に戻り、堂上の後をついてきた。

雄大が暴力沙汰を起こした。
堂上はそれを聞いたのは、会社から帰宅したときだった。
通りの向こうのメインダイニング前の異様に物々しい雰囲気に思わず立ち止まる。
するとその騒ぎの中から、見覚えのある人物が通りを渡って、こちら側にやって来た。
3号店の主であり、異様に影が薄い男。
彼も堂上に気付くと「こんばんは」と頭を下げた。

「黒子。何だ、この騒ぎ」
「メインダイニングの新人アルバイト君が、喧嘩をしたそうです。」
「喧嘩?新人アルバイトって」
「高木雄大君です。今警察で事情を聞かれています。」
「雄大が」
「ヒル魔さんに身柄を引き取りに行って来いって言われたので、ボクもこれから」
「俺が行く!」

堂上はほとんど勢いで、自分が行くと志願した。
メインダイニングは混雑している上に、バイトが1人抜けた。
だから身柄の引き取りを黒子に託したのだろう。
ならば堂上が行っても、問題ないはずだ。
もちろん他の誰かなら、そんなことをしない。
だが雄大なのだと聞いてしまえば、やり過ごすことはできなかった。

「わかりました。お願いします。ヒル魔さんに言っておきますので」
「ああ。無理を言ってすまない」
「いえ、こちらも助かります。郁さんにも伝えますか?」
「いや、一度部屋に帰るから。」
「了解しました。」

黒子はペコリと頭を下げると、コインランドリーに戻っていく。
堂上はその黒子に軽く手を振ると、一気に3階の自宅に駆け上がった。
そしてその剣幕に驚いている郁に、事情を説明する。
のんびりとテレビを見ていた郁は、外の騒ぎにはまったく気づいていなかった。
だから堂上から事の顛末を聞いて、驚いている。

「そんな。雄大が」
表情を曇らせている郁を横目に見ながら、堂上は普段着に着替えた。
そして郁の髪をなでて、落ち着かせる。
お腹に子供を宿している郁に、過度なストレスをかけたくない。
郁はそんな堂上の気持ちを察して「大丈夫」と告げた。

「もしも可能なら、雄大をここへ連れて来て。」
「大丈夫か?」
「うん。むしろちゃんと話さない方がストレスになる。」

郁らしい言葉に、堂上は苦笑した。
もう1度郁の髪をなでると「行ってくる」と笑いかけて、部屋を出る。
1階に降りると黒子が待っていて「使っていいそうです」と店の車の鍵を差し出した。
堂上はそれを受け取ると「カフェ・デビルバッツ」のワゴン車で警察署に向かった。

堂上は車を走らせながら、ずっと気になっていた少年のことを考えた。
10年前、図書館で悪戯好きの子供と思われていた雄大。
だが実は母親から虐待を受けていたことがわかった。
幼くて無垢だと思っていた彼の魂は、実は孤独で荒んでいたのだ。

あのときは図書隊員として、児童相談所に通報することしかできなかった。
1人の利用者を特別扱いなどできなかったからだ。
だが今、図書隊員でない立場で再会した。
今ならば1人の人間として、雄大と向かい合うことができる。

堂上が警察署に到着して2時間後。
廊下の長椅子でじっと待っていた堂上は、静かに立ち上がる。
ようやく雄大が姿を現したからだ。
鈍い足取りで出てきた雄大に「帰るぞ。雄大」と声をかけると、先に立って歩き出す。
雄大は驚いた顔になったが、すぐに無表情に戻り、堂上の後をついてきた。

「俺のこと、覚えてるか?」
「ああ。堂上さんだよね。」
「そうか。笠原のことは?」
「うん。覚えてる。俺が引っかいちゃった人だよね。」
「今は俺の嫁だ。」
「それも知ってる。」

図書館で姿をくらました雄大少年を、堂上と郁が見つけた。
そのとき母と同じ女性の郁に叱責されて、雄大は錯乱し、郁の腕を引っかいたのだ。
そこから雄大の母の虐待が発覚したのだ。
子供だった雄大も、それは覚えているようだ。

「とりあえず今夜はうちに泊まれ。」
「いいの?」
「かまわん。」

そんなやりとりをしているうちに、車は「カフェ・デビルバッツ」に到着した。
車を置いて、自宅に戻ってなり、郁は「雄大~!」と叫びながら飛び出してきた。
堂上は慌てて「お前、自分の身体のことを考えろ!」と怒鳴りつける。
だが郁はいかにもおざなりに「ごめん」と告げた後、雄大に向き直ってしまった。

ったく、俺は無視か。
肩を落として部屋に入った堂上は、テーブルを見て苦笑した。
並べられた料理は、三橋が作って届けてくれたものだろう。
だが堂上家が大食い夫婦であることを差し引いても量が多すぎる。
おそらくはヒル魔の指示だ。
あの聡明な男は、堂上が雄大を自宅に泊めることまで見抜いていたのだろう。

「とりあえず腹減ったな。」
堂上は素知らぬ顔で、そう言った。
その途端、雄大の腹がクゥと鳴り、郁が弾けるように笑う。
そして3人はテーブルを囲み、遅い夕食となったのだった。

*****

「黒子ちゃ~ん!」
昔馴染みの男が、オネエよろしく手を振っている。
黒子は「はい」と無表情で応じながら、彼らを席に案内した。

ここ数日、黒子はメインダイニングに戻っていた。
理由は新人アルバイト、高木雄大の事件だ。
日和に付きまとっていた元カレは、雄大に殴られたことで逆ギレして警察騒ぎになった。
結局大したケガではなかったことで、雄大は釈放されている。
だが連行されるところを、多くの客に目撃されてしまった。

だから当面、雄大は客との応対が少ないコインランドリーで働かせることになった。
そこで代わりに黒子がメインダイニング勤務となったのだ。
黒子としては、まったく問題がないというわけではない。
体力的にはメインダイニングの方が疲れるからだ。
だがもちろんそれを口に出すことはしなかった。
困ったときは助け合うのが「カフェ・デビルバッツ」の信条。
それにたまにはガッツリと客と向かい合うのも、悪くない。

そんなある日のことだった。
ディナータイムに来店したのは、ものすごく見覚えがある3人組。
黒子は思わず気配を消そうかと思った。
だが店内を見回せば、全員が接客で忙しい。
黒子は諦めて「いらっしゃいませ」と声をかけた。

「黒子ちゃ~ん!」
3人組の1人がオネエよろしく手を振っている。
黒子は「はい」と無表情で応じながら、相変わらず見事だと感心した。
オネエ言葉を操るこの男の魂は、男なのか女なのか。
知り合ってから20年近く経つが、未だにわからないのだ。
根っからのオネエにも見えるし、ビジネスオネエにも見える。
人間観察を得意技とする黒子にすれば見抜けないのは、悔しい。
だが黒子はそんな気持ちを押し隠しながら、彼らを席に案内した。

3人組は黒子の高校時代の先輩だった。
正確には友人である赤司征十郎の先輩である。
実渕玲央、葉山小太郎、根武谷永吉。
高校バスケ界でかつて「無冠の五将」と呼ばれたうちの3名。
彼らはずっと行動を共にしており、しかも赤司の下を動かない。
今も赤司とヒル魔が立ち上げた警備会社に籍を移し、働いている。

「お腹すいてるの。おまかせでいいからたくさん持ってきて~」
オネエ言葉の実渕が早速オーダーする。
葉山と根布谷も頷いたので、黒子は「かしこまりました」と一礼する。
そして「お飲み物はどうなさいますか?」と聞いた。

「とりあえずお茶かな?」
「だな。乾杯は新しいボスが来てからだな。」
「イケメンって聞いてるし、楽しみ~!」

3人のリアクションに首を傾げながらも、黒子はキッチンでオーダーを通した。
「おまかせでいいからたくさん」という大雑把なオーダーだが、三橋は「はい!」と即答だ。
いやむしろこういうオーダーの方が楽しそうに見える。
そしてあっという間に出来上がった料理を、黒子はテーブルに運んだ。

「お待たせしました。」
黒子が料理を並べると、3人はわかりやすく喜んでいる。
そして欠食児童よろしく、ガツガツと食べ始めた。
何だか見ているこっちが胸焼けしそうだ。
黒子はこっそりため息をつきながら、グラスに水を補充した。

「早く来ないかなぁ、新しいボス」
「何か前の職場の残務整理とか、忙しいらしいけど」
「あ、黒子ちゃん。もうちょっと食べたいんだけど~」

慌ただしくもマイペースな3人組に、黒子は「かしこまりました」と頭を下げる。
そして彼らの「新しいボス」とやらに、少し同情した。
赤司はなんなく彼らを使っていたように見えたが、実際は至難の業だと思う。

そこへ常連客の男が来店した。
キッチンでオーダーを通した黒子は「いらっしゃいませ」と声をかける。
すると彼は笑顔で「待ち合わせをしてるんだけど」と告げた。

彼が新しいボスなのか。
黒子は驚きを押し隠しながら「御愁傷様です」と同情の声を上げる。
常連客、小牧幹久は爽やかな笑顔で「お気遣いありがとう」と答えた。

*****

「どういうことっすか!?」
雄大が声を荒げる。
だがヒル魔は動じることなく「そのままの意味だ」と答えた。

ストーカーと化した桐嶋日和の元カレを、雄大が殴った。
相手のケガも軽かったし、雄大もそれを認めていることで逮捕まではされなかった。
だが被害者であるストーカー男が、雄大を告訴すると息巻いていたのだ。

そこでヒル魔は相手の男と交渉した。
弁護士を入れて、正式に示談を申し入れたのだ。
つまり手っ取り早く金を払うことで、なかったことにしたのである。
もちろんそれらの金は、すべてヒル魔持ちだ。

事件から2週間ほど経った夜、ヒル魔は閉店後の店内で雄大にそれを告げた。
そしてそれを聞いた雄大は「どういうことっすか!?」と声を荒げる。
雄大にしてみれば、納得がいかない事態だった。
少々やり過ぎたとはいえ、1番悪いのはあのストーカー男だと思う。
自分にだって非はあるが、その責任は自分にあるのだ。
それがどうしてヒル魔が示談金を払うなんて事態になるのか、わからない。

「そのままの意味だ。示談金を払った。これで終わりだ。」
「そんな!納得いかないです!悪いのはあいつで!」
「お前は悪くないのか?」

ヒル魔は動じることなく、雄大を見た。
かつて悪魔の申し子と呼ばれるチームを率いていた男の眼力に、雄大は怯む。
だがヒル魔は容赦なく「お前のせいで騒ぎがデカくなった」と言い放った。

あのストーカー男が日和を見張っていたことは、わかっていた。
コインランドリーにいた黒子が男を見つけて、連絡を寄越していたからだ。
だから男に警告を発して、穏便に追い返す算段を立てていたのだ。
そうすれば警察沙汰になることなく、日和を悪戯に怖がらせることもなかっただろう。

「でも、どうしてヒル魔さんが!」
「お前は俺の店のスタッフだ。つまりお前の不始末は俺の不始末になる。」
「・・・そんな」
「責任も取れないくせにケンカ騒ぎを起こして、えらそうな口を叩くな。」

ヒル魔はバッサリと切り捨て、話を畳んだ。
店の掃除をしながら話を聞いていたセナが「ヒル魔さん、言い方!」と諌める。
だがヒル魔は「知ったことか」と言い放ち、2階の居室に引き上げてしまった。

「ったく、あんな言い方しかできないんだから。」
セナは苦笑を漏らすと、雄大に「ごめんね」とあやまった。
雄大は「いや、その」と口ごもりながら、肩を落とした。
自分の行動が予想外に波紋を広げていることに、呆然としているのだ。

「ヒル魔さん、ああ見えて雄大君のことを気に入ってるんだよ。」
「とてもそうは思えないんですけど」
「気に入ってなければ、示談金の肩代わりなんかしないって!」
「・・・そう、なんですか?」
「ちなみにあの人が君くらいの年齢のときは、かなり無茶苦茶だったよ。」

セナは「ボクも君みたいに熱い人、好きだし」と雄大の肩を叩くと、片付け作業に戻っていく。
するとすかさず三橋が「雄大君も、賄い、食べる、よね~?」と声をかけた。
雄大はポカンとした表情だったが「はい」と頷く。
一連の流れを見守っていた阿部は、こっそりと笑った。

結局ここに集まる者は、みなヒル魔と魂が似ているのだ。
メチャクチャなようでいて自分なりの筋は通っており、芯の部分は熱い。
ヒル魔はそれを一目で見抜いて、採用するのだ。
それがこの店の雰囲気を作っているのだと、今さらのように思う。

「雄大、悪いけど全員分のお茶を淹れてくれ。」
阿部が雄大に声をかけると「はい!」と元気な声が返って来た。
それを聞いた「カフェ・デビルバッツ」の面々はホッと胸を撫で下ろしたのだった。

*****

「お久しぶりです。小牧教官。」
郁は笑顔で出迎え、その隣では堂上も笑っている。
小牧もまた綺麗な笑顔で「本当に久しぶり」と答えた。

ヒル魔が雄大に示談の話をしている頃、堂上宅には来客があった。
かつての堂上のバディであり、郁にとっては上官だった小牧である。
堂上とは先日、久しぶりに再会したが、郁とは本当に久しぶりだ。
そしてそこは如才ない小牧である。
手土産代わりに持参した花束を、郁に差し出したのだ。

「妊娠したって聞いたから。おめでとう!」
「うわ、ありがとうございます!綺麗~!」
「笠原さんの方が綺麗だと思うけど。」
「きゃあ。お世辞ってわかってても嬉しい!」
「お世辞じゃないって。もうすぐ母になる女性の神々しさっていうのかな。」

郁が満面の笑みで花束を受け取るのを見て、堂上の胸はチクリと痛んだ。
こういうのを見ると、小牧とは違う人種なのではないかと思ってしまう。
ニッコリ笑顔で花束を渡したり、褒めたり。
堂上には決してできないと思うことを、小牧はいとも簡単にやってのけるのだ。

やがて小牧は部屋に上がり、リビングで堂上と向かい合った。
郁は3人分のお茶を出すと、堂上の隣に腰を下ろす。
離れて久しいのに、堂上と小牧の間に流れる空気は変わらない。
暖かく頼もしい2つの魂が奏でる雰囲気に、郁は思わず目を細めた。

「来月付で俺も図書隊を辞めて、そっちに移ることが決まったんだ。」
「らしいな。小牧班ができるって通達が来た。」
「うん。まさかここへ来て班長をやるとは思わなかったよ。」
「もう班員は訓練を始めてるぞ。」
「ああ。この間『カフェ・デビルバッツ』で会った。なかなかクセが強いヤツらだった。」
「大変だな。」
「ああ。黒子君に『御愁傷様』って言われちゃったよ。」

堂上と手塚の会話を聞きながら、郁は胸がわくわくしていた。
この2人のバディが素晴らしいことを、郁はよく知っている。
少し目を合わせて頷くだけで、ピタリと息が合う。
その2人が班が違うとはいえ、また同じ職場になるなど夢のようだ。

「手塚もこっちに来たがっている。」
「そうなのか?あいつは親父さんや兄貴の関係もあるし、最後まで図書隊だと思っていたが」
「みんながそう思っているのが、嫌なんだってさ」
「そうか。まぁこちらは優秀な人間がまだまだ足りないし、来てくれるなら大歓迎だ。」

郁は懐かしいバディの名を聞き、頬を緩めた。
手塚と柴崎も来てくれたら嬉しいなぁと思う。
だけど堂上の言う通り、彼らに図書隊を最後まで見届けて欲しい気もする。

「そんなことよりさ。あの雄大君が『カフェ・デビルバッツ』にいるのが驚きなんだけど」
小牧の言葉に、郁の顔が曇った。
堂上が警察から雄大を引き取った、あの夜のことを思い出したからだ。
昔雄大が母親から暴力を受けていたことがわかり、児童相談所に通報した。
その後のことを聞かされたのだ。

わかりやすく家庭は崩壊しました。
あの事件で近所に虐待が知れて、父は母を見放しましたから。
一時的に暴力は止んだけど、すぐに復活しました。
それで結局両親は離婚です。
俺は父方に引き取られたけど、父が再婚した後は邪魔者扱いされて。
あれなら児童相談所なんて、通報されない方がよかった。

雄大が淡々と語った過去は、悲惨なものだった。
しかも他にできることはないと思った児相への通報が、当の雄大はない方がよかったと言う。
何もできなかったのではなくて、余計なことをしただけ。
それを聞いた郁は、少なからずショックを受けていたのだ。

「俺たちも驚いた。これも何かの縁だ。これからは力になれるといいんだが。」
「そうだね。」
「で、お前が知りたいのは新しい会社の話だよな。」

郁のショックを知っている堂上が、早々に話題を変えた。
それに気付いた郁は小さく笑う。
小牧との絆は取り戻せたし、雄大との絆は新しく築くことができる。
そしてもうすぐ新しい命が生まれる。

「もう少し細かいところ、いろいろ教えてくれよ。」
小牧が堂上に話題を振るのを見て、郁はそっと立ち上がった。
お茶を入れ替えて、お菓子でも出そう。
楽しい夜はまだまだ終わらないようだ。

【続く】
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