アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-2】
【無効化】
「俺、図書隊志望だったんで。」
青年は悔しそうに唇を歪めた。
セナは「そうか。それは残念だったね」と答えた。
とある午後の「カフェ・デビルバッツ」。
ランチタイムは終わり、午後のディナータイムにはまだ早い。
つまり店が比較的空いている時間帯だ。
セナは奥の客席で、1人の青年と向かい合って座っていた。
アルバイトの面接だ。
店は繁盛しており、アルバイトの募集は常時行なっている。
その面接を行なうのはセナであり、実際採用を決めるのはヒル魔だった。
採用基準ははっきり言って勘、その一言に尽きる。
だがこれが案外、重要なのだ。
「カフェ・デビルバッツ」は長い時間をかけて、ここまで来た。
美味しい料理と酒、店内の雰囲気、親しみを持ちながらも礼儀正しいスタッフ。
それらがしっかりと噛み合って、システムが確立されている。
それがたった1人のバイトによって、壊される可能性もある。
ちょっとしたことで、守られてきたシステムが無効化されることだってあり得るのだ。
「ええと。高校を卒業して、今は無職でいいのかな?」
「はい。」
「卒業後すぐに進学とか就職は考えなかったの?」
「大学に行ける環境じゃないです。それで俺、図書隊志望だったんで。」
「そうか。それは残念だったね。」
まだあどけなさが残る青年の言葉に、セナは思わず顔を曇らせた。
図書隊は検閲撤廃に伴い、人員削減が課題となっている。
ぶっちゃけ検閲がなくなれば、図書隊員たちは大量に余るのだ。
だから今年から、採用を大幅に減らしていた。
図書隊志望者にとっては、恨めしい事態なのだろう。
だが青年は明るい表情で「でも」と続けた。
「諦めてないんです。来年また受験するつもりなんで。」
「それで今年いっぱいはうちでバイトかぁ。」
「はい。よろしくお願いします!」
前向きな態度に好感を持ちながら、セナは少し離れたテーブルでパソコンを叩いているヒル魔を見た。
ここでヒル魔がここで頷けば、採用の合図なのだ。
そうなるだろうと思い、身構えていたセナは「あれ?」と思った。
ヒル魔はセナと視線を合わせたまま、動かなかったからだ。
これは採用保留の合図だ。
おそらく面接の間にパソコンで青年の情報を得たから、即断しなかったのだろう。
「じゃあ採用するかどうか、追って連絡します。」
セナはそう締めくくって、青年を送り出す。
するとヒル魔は「今夜、堂上夫婦と話をする」と告げた。
どうやらキーワードは「図書隊」彼らと因縁がある相手なのだろう。
「わかりました。連絡しておきますね。」
セナは細かいことは聞かず、笑顔でそう答えた。
そして内心では、あの明るい青年がスタッフに加わることを願っていた。
*****
「調子はどうだ?」
ヒル魔は開口一番、郁の身体を気遣った。
郁は少し目立つようになった腹をさすりながら「順調です!」と答えた。
ヒル魔がコインランドリーの3階の堂上家を訪れたのは、夜のことだった。
事前にセナから連絡を受けていた堂上夫妻は、笑顔で迎え入れる。
ヒル魔は現在の堂上夫妻の雇い主であり、大家でもある。
堂上や郁と世代はそう変わらないのに、その存在感は大きい。
それでもやはり身体が弱っているのは、隠しようがなかった。
3号店は3階建てだが、エレベーターなどついていない。
階段を登るしかないのだが、ヒル魔はひどくきつそうだった。
一歩一歩の足取りが重く、速度も遅い。
だが付き添っているセナは、手を貸そうとはしなかった。
遅い歩調に合わせ、息を切らしながら一歩一歩を踏みしめるヒル魔を見守っている。
だが堂上家のリビングに座れば、やはり異彩を放つのもヒル魔だった。
堂上の背筋も思わず伸び、郁は恐縮しながら「お茶でも」などと言う。
するとセナが「お茶とかはいいから、郁さんも座って」と苦笑した。
この雰囲気は当たり前になっているセナは、今さら動じることなどないのだろう。
「図書隊の玄田から赤司に連絡があったそうだ。やはり図書隊員を受け入れて欲しいと」
「そうですか!それはよかった!」
思いがけない吉報に、堂上の顔が綻んだ。
赤司とヒル魔が立ち上げ、現在は堂上が所属する警備会社。
一時期は退職する図書隊員、主に防衛員を受け入れるはずだった。
だが良化隊員も受け入れると聞き、暗礁に乗り上げた形になっていた。
だがここに来て、玄田が折れたらしい。
無効化されたはずの計画が、再び動き出したのだ。
それは先日、堂上と話したことも無関係ではないはずだ。
郁も「よかった~!」と無邪気に喜んでいる。
「それから。。。セナ」
ヒル魔は話題を変えると、セナに合図を送る。
セナは「はい」と頷くと、並んで座る堂上夫婦の前に1枚の紙を置いた。
それは昼間、バイトの面接にやって来た青年の履歴書だった。
「アルバイト募集に応募してきた男の子の履歴書です。誰だかわかりますか?」
「はい。昔図書館で騒ぎを起こした少年ですね。」
「彼は図書隊志望だそうです。でも採用枠が減って受からなかったから、来年また受けるそうです。」
「ではバイトはその間?」
「ええ。そう言ってました。」
堂上と郁は顔を見合わせた。
履歴書の写真は、かつて見た幼い少年の面影を残している。
あの彼が図書隊志望でここでアルバイトとは、何たる数奇な運命なのだろう。
彼は図書館内にお菓子を隠すという悪戯を繰り返していた子供だ。
だがその後、母親に虐待を受けていたことが発覚した。
お菓子を隠していたのは、母親からの避難場所を作るつもりだったのだ。
「だけど懐かしいばかりの話じゃない。」
思わず笑みを漏らした堂上夫妻に、ヒル魔はそう言った。
そしてその青年の過去をサラリと語った。
図書隊での事件の後、幸せな人生を送っていると信じていた堂上と郁には、衝撃だった。
「それでもこいつを雇っても問題ないか?」
ヒル魔は最後にそう聞いた。
もう1度彼の人生に関わることが堂上夫妻、そして郁のお腹の子供に影響があるのではないか。
ヒル魔はそれを懸念してくれているのだ。
「大丈夫です。それにあたし、今の彼に会いたいし。」
「そうだな。ヒル魔さん、ご配慮ありがとうございます。でも大丈夫です。」
「わかった。」
堂上と郁は再会を前向きに受け入れ、ヒル魔とセナもその結論に頷いた。
こうして「カフェ・デビルバッツ」のスタッフにかの青年、高木雄大が加わったのだった。
*****
「いらっしゃいませ。」
阿部は常連客を迎え入れながら、内心「あれ?」と首を傾げた。
恋人とよく来店していた彼女が1人きり、しかも表情が何だか沈んでいたからだ。
この日も「カフェ・デビルバッツ」は大繁盛だ。
キッチンでは三橋とまもりが忙しく鍋を振り、料理を盛りつけている。
そしてホールでは、阿部とセナ、鈴音とバイトたちがフル回転。
その中には新しく加わったアルバイトの高木雄大もいた。
明るくてよく気が回る雄大は、目立っていた。
若く見えるとはいえ、メインスタッフはアラフォー集団だ。
その他のバイトも気心が知れた者が多く、平均年齢は案外高い。
そんな中加わった若い雄大は、すぐに人気者になったのだった。
そこへ来店したのは、桐嶋日和。
子供の頃から、父親と一緒に来店していた常連客だ。
もっとも今はもう親元を離れているし、父ではなく恋人と来ることが多い。
だが今日の日和は1人だった。
しかも何となく表情が暗く、沈んでいる。
「いらっしゃいませ。」
阿部が声をかけ「どうぞ、こちらへ」と案内する。
日和は「ありがとうございます」と笑顔を見せた。
元気がなく見えたのは気のせいだったのか?と阿部は訝った。
「日替わりプレートをお願いします。あと今日のおすすめカクテル」
「かしこまりました。カクテルは先にお持ちしてよろしいですか?」
「お願いします。」
「かしこまりました。」
阿部はオーダーを受けると、キッチンに向かう。
気にはなったものの、この混雑ではじっくり話を聞くなど無理だ。
こんなとき、客商売の限界を思い知るのだ。
いくら心配したって、できることは限られている。
また相手はそこまで望んでいない場合だってある。
迂闊に安請け合いしたところで、簡単に無効化してしまうものなのだと思う。
「阿部、君。ひよ、ちゃんに、これ。サービス!」
キッチンの三橋は、日和のカクテルと一緒にオードブルを出した。
トマトとアボカド、エビなどを使ったサラダ仕立てで日和の好物だ。
どうやら三橋も、日和の様子が気になったようだ。
阿部は「わかった。サービスな」と頷き、カクテルと一緒に日和のテーブルに運んだ。
「日和ちゃん。これ三橋からサービスだって。」
「うわ!ありがとうございます!」
オードブルを見た日和は、目を輝かせた。
そして「廉さん、優しい!」と喜んだ後、思い出したように頬を膨らませた。
「大河とは大違い!」
「吉川君、どうかしたの?」
「長期出張でずっといないの。忙しいらしくてラインの返信も全然」
「そっか。寂しいね。」
「でも廉さんも阿部さんも優しいから、元気出た!」
阿部は「よかった。ごゆっくり」と微笑むと、日和の席を離れた。
吉川大河は日和の恋人であり、この店の常連だ。
2人はこの店で出逢い、交際することになったのだ。
そして日和は食事を終えると「ごちそうさま」と笑顔で店を出て行く。
阿部も「ありがとうございました」と応じて、その後ろ姿を見送った。
縁結びをしたなどと、うぬぼれるつもりはない。
だができればうまくいって欲しいと願わずにはいられなかった。
*****
あれは確か。
黒子は一瞬、誰だったかと首を傾げる。
だがすぐに思い出し、不機嫌に顔をしかめた。
体調が安定した郁は、仕事に復帰した。
コインランドリーで掃除をしたり、忘れ物や洗濯機の故障などがないかなどをチェックをする。
メインダイニングとは違い、積極的なサービスは必要ない。
むしろあまり目立たず、客の邪魔にならない方が良いのだ。
そういう意味で、黒子や黛は適任だった。
郁はその真逆、つまりいるだけで目立つ。
だがそれはそれでありだった。
笑顔で客と挨拶を交わすだけで、雰囲気が明るくなる。
特に子供人気は絶大で、子供たちはこぞって「いくちゃん」と寄ってくる。
この日も子供の1人が待合スペースの本棚から絵本を取り出すと、郁に「読んで」とせがんだ。
郁がチラリとこちらを見たので、黒子は頷いて上を指さした。
2階のカジノルームで読み聞かせをしてきていいという意味だ。
郁は笑顔で頷き返すと「2階に行こう!」と声をかける。
数名の子供たちがはしゃぎながら、その後に続いたのだが。
「ちょっと待ってください!」
黒子は慌てて声を上げると、2階に上がる郁に寄り添った。
過保護かもしれないが、転ばれでもしたらたまらない。
郁1人なら注意できるだろうが、子供の動きは予想できないのだ。
急に階段で纏わりついたりしたらと想像するだけで、血の気が引く。
郁は「大丈夫ですよ」と口を尖らせているが、黒子は「ダメです」と譲らなかった。
「あ~、いくちゃんと腕組んでるぅ~」
子供たちに茶化されながら、黒子は郁を2階までエスコートした。
読み聞かせが始まったのを確認すると、そっと1階に降りてくる。
そして客は少ないのを言い訳にして、深くため息をついた。
やはり子供の相手はむずかしい。
それにおそらく黒子は子供に好かれるような体質ではないのだ。
郁などは子供と一緒になって本気ではしゃいでいるが、黒子には絶対にできない。
子供はまるで魔法のように郁に吸い寄せられていくのだから、すごいと思う。
黒子はもう1度ため息をつきながら、何とはなしに窓の外を見た。
すると道向こうの1号店、メインダイニングに女性客が入っていくのが見えた。
あれは常連客の桐嶋日和だ。
ここ最近は恋人とよく来ていた気がするが、今日は1人らしい。
そこで黒子は違和感を覚えて、警戒モードになった。
自分の存在感を無効化し、完全に気配を消す。
これは郁には絶対にできない、黒子の特技だ。
そして違和感の正体を探ろうと、窓の外に目を凝らした。
少し観察するだけで、すぐにわかった。
メインダイニングから少し離れた場所に1人の男が立っており、店を凝視していたのだ。
だが問題はそれだけではない。
黒子はその男に見覚えがある気がして、誰だったかと首を傾げる。
だがすぐに思い出し、不機嫌に顔をしかめた。
あれは確か日和の前の恋人だ。
結婚直前まで行ったのに、日和の父親の恋愛を理由にドタキャンした。
その男がなぜ日和を尾行するような行動をしているのか。
どう想像を巡らせても、嫌な予感しかしない。
黒子はポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかけた。
とりあえず早急に手を打っておくべきだろう。
特に郁の身体のことを考えれば、見逃すことなどできなかった。
*****
「雄大、やめろ!」
遠くで誰かが叫んでいる声がする。
だけど雄大は手を止めることなく、男を殴り続けた。
本当は図書隊員になりたかった。
高木雄大は自分の身の不運を呪うしかなかった。
検閲撤廃が決まり、図書隊の採用枠は大幅に減ってしまった。
特に高卒の採用は激減し、雄大はその狭き門をくぐることができなかったのだ。
だがやはり図書館で働きたい。
子供の頃、家にいるのは地獄だった。
母親は意味もなく雄大を叱り、暴力を振るうからだ。
暴力の種類も陰湿だった。
殴るとかではなく、服で見えないところを刃物で切ったりタバコの火を押し付けたりする。
そんなとき、図書館に来るのは楽しかった。
図書館員はみな優しいし、何よりあそこにいれば母も暴力を振るわない。
唯一の避難場所であった図書館は、いつしか心の支えになった。
そして就職を考える年齢になった時、あの場所に戻りたいと思うようになったのだ。
残念ながら採用はされなかったけれど、やはり諦められない。
雄大はもう1度チャレンジすることを決めた。
1年間はバイトをしながら、図書隊受験を目指して勉強する。
検閲撤廃なんて、関係ない。
雄大はただ本に囲まれたあの空間が好きで、あそこで働きたいだけなのだ。
バイト先に「カフェ・デビルバッツ」を選んだのは、偶然だった。
たまたま住んでいた場所と一番近いカフェだったというだけだ。
だが店の前を通るたびに、良い雰囲気の店だと思っていた。
実際セナや阿部などスタッフたちは優しいし、仕事も楽しい。
ここでバイトができるのは、この人生の中ではまずまずの幸運だ。
だがまさかここで子供の頃、図書館で出逢った堂上夫妻に再会するとは思わなかった。
堂上は再会を喜んでくれたし、郁は涙ぐんでいた。
だが雄大はどうもピンとこなかった。
あのとき彼らは雄大が母から受けている暴力に気付き、児童相談所に通報した。
だがそれで何が変わったわけではなかったのだ。
一時的に暴力は止んだけれど、本当に一瞬だ。
半年も経てば、もう二度と暴力を振るわないという母の約束は無効化した。
家の中は地獄に戻り、結局両親は離婚したのだ。
雄大の短い人生は波乱万丈で、堂上夫妻のことを懐かしむ余裕などないのだ。
そしてようやくアルバイトに慣れてきたころ、事件は起きた。
ここ最近、時折来店する若い女性の常連客だ。
彼女には「カフェ・デビルバッツ」で知り合った恋人がいる。
その恋人は長期出張中で、2人は現在遠距離恋愛中。
セナや阿部からそんな事情は聞いていた。
その女性客、桐嶋日和が例によって1人で来店し、帰ろうとしていたときに見つけたのだ。
物陰から日和をじっと見ていた男を。
雄大は店を飛び出すと、男に「何してるんだ!?」と迫った。
その声で男に気付いたらしい日和が、息を飲んだ。
「今さら、何の用?」
「なぁ、俺たち、やり直せないか?」
そのやり取りから、男が日和の元カレだと知れた。
そして男は日和に未練があるが、日和にはまったくないことも。
案の上、日和は「無理。やり直しなんかしない」と言い放つ。
その途端、男は奇声を上げると、日和の腕を掴んで引っ張った。
その瞬間、雄大の頭の中で昔の光景がよみがえった。
男が日和に襲い掛かる光景が、母親と被ったのだ。
気付けば雄大は日和から男を引き剥がすと、勢いよく拳を振り下ろしていた。
日和が「きゃああ!」と悲鳴を上げたが、構わず殴り続けた。
「雄大、やめろ!」
「落ち着け!手を離せ!」
店の中から阿部やセナが出て来て、雄大を止めにかかる。
だが雄大はそれを振り払って、さらに男を殴った。
男は完全に母親の姿とダブっており、手を止めてしまうことが怖かったのだ。
【続く】
「俺、図書隊志望だったんで。」
青年は悔しそうに唇を歪めた。
セナは「そうか。それは残念だったね」と答えた。
とある午後の「カフェ・デビルバッツ」。
ランチタイムは終わり、午後のディナータイムにはまだ早い。
つまり店が比較的空いている時間帯だ。
セナは奥の客席で、1人の青年と向かい合って座っていた。
アルバイトの面接だ。
店は繁盛しており、アルバイトの募集は常時行なっている。
その面接を行なうのはセナであり、実際採用を決めるのはヒル魔だった。
採用基準ははっきり言って勘、その一言に尽きる。
だがこれが案外、重要なのだ。
「カフェ・デビルバッツ」は長い時間をかけて、ここまで来た。
美味しい料理と酒、店内の雰囲気、親しみを持ちながらも礼儀正しいスタッフ。
それらがしっかりと噛み合って、システムが確立されている。
それがたった1人のバイトによって、壊される可能性もある。
ちょっとしたことで、守られてきたシステムが無効化されることだってあり得るのだ。
「ええと。高校を卒業して、今は無職でいいのかな?」
「はい。」
「卒業後すぐに進学とか就職は考えなかったの?」
「大学に行ける環境じゃないです。それで俺、図書隊志望だったんで。」
「そうか。それは残念だったね。」
まだあどけなさが残る青年の言葉に、セナは思わず顔を曇らせた。
図書隊は検閲撤廃に伴い、人員削減が課題となっている。
ぶっちゃけ検閲がなくなれば、図書隊員たちは大量に余るのだ。
だから今年から、採用を大幅に減らしていた。
図書隊志望者にとっては、恨めしい事態なのだろう。
だが青年は明るい表情で「でも」と続けた。
「諦めてないんです。来年また受験するつもりなんで。」
「それで今年いっぱいはうちでバイトかぁ。」
「はい。よろしくお願いします!」
前向きな態度に好感を持ちながら、セナは少し離れたテーブルでパソコンを叩いているヒル魔を見た。
ここでヒル魔がここで頷けば、採用の合図なのだ。
そうなるだろうと思い、身構えていたセナは「あれ?」と思った。
ヒル魔はセナと視線を合わせたまま、動かなかったからだ。
これは採用保留の合図だ。
おそらく面接の間にパソコンで青年の情報を得たから、即断しなかったのだろう。
「じゃあ採用するかどうか、追って連絡します。」
セナはそう締めくくって、青年を送り出す。
するとヒル魔は「今夜、堂上夫婦と話をする」と告げた。
どうやらキーワードは「図書隊」彼らと因縁がある相手なのだろう。
「わかりました。連絡しておきますね。」
セナは細かいことは聞かず、笑顔でそう答えた。
そして内心では、あの明るい青年がスタッフに加わることを願っていた。
*****
「調子はどうだ?」
ヒル魔は開口一番、郁の身体を気遣った。
郁は少し目立つようになった腹をさすりながら「順調です!」と答えた。
ヒル魔がコインランドリーの3階の堂上家を訪れたのは、夜のことだった。
事前にセナから連絡を受けていた堂上夫妻は、笑顔で迎え入れる。
ヒル魔は現在の堂上夫妻の雇い主であり、大家でもある。
堂上や郁と世代はそう変わらないのに、その存在感は大きい。
それでもやはり身体が弱っているのは、隠しようがなかった。
3号店は3階建てだが、エレベーターなどついていない。
階段を登るしかないのだが、ヒル魔はひどくきつそうだった。
一歩一歩の足取りが重く、速度も遅い。
だが付き添っているセナは、手を貸そうとはしなかった。
遅い歩調に合わせ、息を切らしながら一歩一歩を踏みしめるヒル魔を見守っている。
だが堂上家のリビングに座れば、やはり異彩を放つのもヒル魔だった。
堂上の背筋も思わず伸び、郁は恐縮しながら「お茶でも」などと言う。
するとセナが「お茶とかはいいから、郁さんも座って」と苦笑した。
この雰囲気は当たり前になっているセナは、今さら動じることなどないのだろう。
「図書隊の玄田から赤司に連絡があったそうだ。やはり図書隊員を受け入れて欲しいと」
「そうですか!それはよかった!」
思いがけない吉報に、堂上の顔が綻んだ。
赤司とヒル魔が立ち上げ、現在は堂上が所属する警備会社。
一時期は退職する図書隊員、主に防衛員を受け入れるはずだった。
だが良化隊員も受け入れると聞き、暗礁に乗り上げた形になっていた。
だがここに来て、玄田が折れたらしい。
無効化されたはずの計画が、再び動き出したのだ。
それは先日、堂上と話したことも無関係ではないはずだ。
郁も「よかった~!」と無邪気に喜んでいる。
「それから。。。セナ」
ヒル魔は話題を変えると、セナに合図を送る。
セナは「はい」と頷くと、並んで座る堂上夫婦の前に1枚の紙を置いた。
それは昼間、バイトの面接にやって来た青年の履歴書だった。
「アルバイト募集に応募してきた男の子の履歴書です。誰だかわかりますか?」
「はい。昔図書館で騒ぎを起こした少年ですね。」
「彼は図書隊志望だそうです。でも採用枠が減って受からなかったから、来年また受けるそうです。」
「ではバイトはその間?」
「ええ。そう言ってました。」
堂上と郁は顔を見合わせた。
履歴書の写真は、かつて見た幼い少年の面影を残している。
あの彼が図書隊志望でここでアルバイトとは、何たる数奇な運命なのだろう。
彼は図書館内にお菓子を隠すという悪戯を繰り返していた子供だ。
だがその後、母親に虐待を受けていたことが発覚した。
お菓子を隠していたのは、母親からの避難場所を作るつもりだったのだ。
「だけど懐かしいばかりの話じゃない。」
思わず笑みを漏らした堂上夫妻に、ヒル魔はそう言った。
そしてその青年の過去をサラリと語った。
図書隊での事件の後、幸せな人生を送っていると信じていた堂上と郁には、衝撃だった。
「それでもこいつを雇っても問題ないか?」
ヒル魔は最後にそう聞いた。
もう1度彼の人生に関わることが堂上夫妻、そして郁のお腹の子供に影響があるのではないか。
ヒル魔はそれを懸念してくれているのだ。
「大丈夫です。それにあたし、今の彼に会いたいし。」
「そうだな。ヒル魔さん、ご配慮ありがとうございます。でも大丈夫です。」
「わかった。」
堂上と郁は再会を前向きに受け入れ、ヒル魔とセナもその結論に頷いた。
こうして「カフェ・デビルバッツ」のスタッフにかの青年、高木雄大が加わったのだった。
*****
「いらっしゃいませ。」
阿部は常連客を迎え入れながら、内心「あれ?」と首を傾げた。
恋人とよく来店していた彼女が1人きり、しかも表情が何だか沈んでいたからだ。
この日も「カフェ・デビルバッツ」は大繁盛だ。
キッチンでは三橋とまもりが忙しく鍋を振り、料理を盛りつけている。
そしてホールでは、阿部とセナ、鈴音とバイトたちがフル回転。
その中には新しく加わったアルバイトの高木雄大もいた。
明るくてよく気が回る雄大は、目立っていた。
若く見えるとはいえ、メインスタッフはアラフォー集団だ。
その他のバイトも気心が知れた者が多く、平均年齢は案外高い。
そんな中加わった若い雄大は、すぐに人気者になったのだった。
そこへ来店したのは、桐嶋日和。
子供の頃から、父親と一緒に来店していた常連客だ。
もっとも今はもう親元を離れているし、父ではなく恋人と来ることが多い。
だが今日の日和は1人だった。
しかも何となく表情が暗く、沈んでいる。
「いらっしゃいませ。」
阿部が声をかけ「どうぞ、こちらへ」と案内する。
日和は「ありがとうございます」と笑顔を見せた。
元気がなく見えたのは気のせいだったのか?と阿部は訝った。
「日替わりプレートをお願いします。あと今日のおすすめカクテル」
「かしこまりました。カクテルは先にお持ちしてよろしいですか?」
「お願いします。」
「かしこまりました。」
阿部はオーダーを受けると、キッチンに向かう。
気にはなったものの、この混雑ではじっくり話を聞くなど無理だ。
こんなとき、客商売の限界を思い知るのだ。
いくら心配したって、できることは限られている。
また相手はそこまで望んでいない場合だってある。
迂闊に安請け合いしたところで、簡単に無効化してしまうものなのだと思う。
「阿部、君。ひよ、ちゃんに、これ。サービス!」
キッチンの三橋は、日和のカクテルと一緒にオードブルを出した。
トマトとアボカド、エビなどを使ったサラダ仕立てで日和の好物だ。
どうやら三橋も、日和の様子が気になったようだ。
阿部は「わかった。サービスな」と頷き、カクテルと一緒に日和のテーブルに運んだ。
「日和ちゃん。これ三橋からサービスだって。」
「うわ!ありがとうございます!」
オードブルを見た日和は、目を輝かせた。
そして「廉さん、優しい!」と喜んだ後、思い出したように頬を膨らませた。
「大河とは大違い!」
「吉川君、どうかしたの?」
「長期出張でずっといないの。忙しいらしくてラインの返信も全然」
「そっか。寂しいね。」
「でも廉さんも阿部さんも優しいから、元気出た!」
阿部は「よかった。ごゆっくり」と微笑むと、日和の席を離れた。
吉川大河は日和の恋人であり、この店の常連だ。
2人はこの店で出逢い、交際することになったのだ。
そして日和は食事を終えると「ごちそうさま」と笑顔で店を出て行く。
阿部も「ありがとうございました」と応じて、その後ろ姿を見送った。
縁結びをしたなどと、うぬぼれるつもりはない。
だができればうまくいって欲しいと願わずにはいられなかった。
*****
あれは確か。
黒子は一瞬、誰だったかと首を傾げる。
だがすぐに思い出し、不機嫌に顔をしかめた。
体調が安定した郁は、仕事に復帰した。
コインランドリーで掃除をしたり、忘れ物や洗濯機の故障などがないかなどをチェックをする。
メインダイニングとは違い、積極的なサービスは必要ない。
むしろあまり目立たず、客の邪魔にならない方が良いのだ。
そういう意味で、黒子や黛は適任だった。
郁はその真逆、つまりいるだけで目立つ。
だがそれはそれでありだった。
笑顔で客と挨拶を交わすだけで、雰囲気が明るくなる。
特に子供人気は絶大で、子供たちはこぞって「いくちゃん」と寄ってくる。
この日も子供の1人が待合スペースの本棚から絵本を取り出すと、郁に「読んで」とせがんだ。
郁がチラリとこちらを見たので、黒子は頷いて上を指さした。
2階のカジノルームで読み聞かせをしてきていいという意味だ。
郁は笑顔で頷き返すと「2階に行こう!」と声をかける。
数名の子供たちがはしゃぎながら、その後に続いたのだが。
「ちょっと待ってください!」
黒子は慌てて声を上げると、2階に上がる郁に寄り添った。
過保護かもしれないが、転ばれでもしたらたまらない。
郁1人なら注意できるだろうが、子供の動きは予想できないのだ。
急に階段で纏わりついたりしたらと想像するだけで、血の気が引く。
郁は「大丈夫ですよ」と口を尖らせているが、黒子は「ダメです」と譲らなかった。
「あ~、いくちゃんと腕組んでるぅ~」
子供たちに茶化されながら、黒子は郁を2階までエスコートした。
読み聞かせが始まったのを確認すると、そっと1階に降りてくる。
そして客は少ないのを言い訳にして、深くため息をついた。
やはり子供の相手はむずかしい。
それにおそらく黒子は子供に好かれるような体質ではないのだ。
郁などは子供と一緒になって本気ではしゃいでいるが、黒子には絶対にできない。
子供はまるで魔法のように郁に吸い寄せられていくのだから、すごいと思う。
黒子はもう1度ため息をつきながら、何とはなしに窓の外を見た。
すると道向こうの1号店、メインダイニングに女性客が入っていくのが見えた。
あれは常連客の桐嶋日和だ。
ここ最近は恋人とよく来ていた気がするが、今日は1人らしい。
そこで黒子は違和感を覚えて、警戒モードになった。
自分の存在感を無効化し、完全に気配を消す。
これは郁には絶対にできない、黒子の特技だ。
そして違和感の正体を探ろうと、窓の外に目を凝らした。
少し観察するだけで、すぐにわかった。
メインダイニングから少し離れた場所に1人の男が立っており、店を凝視していたのだ。
だが問題はそれだけではない。
黒子はその男に見覚えがある気がして、誰だったかと首を傾げる。
だがすぐに思い出し、不機嫌に顔をしかめた。
あれは確か日和の前の恋人だ。
結婚直前まで行ったのに、日和の父親の恋愛を理由にドタキャンした。
その男がなぜ日和を尾行するような行動をしているのか。
どう想像を巡らせても、嫌な予感しかしない。
黒子はポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかけた。
とりあえず早急に手を打っておくべきだろう。
特に郁の身体のことを考えれば、見逃すことなどできなかった。
*****
「雄大、やめろ!」
遠くで誰かが叫んでいる声がする。
だけど雄大は手を止めることなく、男を殴り続けた。
本当は図書隊員になりたかった。
高木雄大は自分の身の不運を呪うしかなかった。
検閲撤廃が決まり、図書隊の採用枠は大幅に減ってしまった。
特に高卒の採用は激減し、雄大はその狭き門をくぐることができなかったのだ。
だがやはり図書館で働きたい。
子供の頃、家にいるのは地獄だった。
母親は意味もなく雄大を叱り、暴力を振るうからだ。
暴力の種類も陰湿だった。
殴るとかではなく、服で見えないところを刃物で切ったりタバコの火を押し付けたりする。
そんなとき、図書館に来るのは楽しかった。
図書館員はみな優しいし、何よりあそこにいれば母も暴力を振るわない。
唯一の避難場所であった図書館は、いつしか心の支えになった。
そして就職を考える年齢になった時、あの場所に戻りたいと思うようになったのだ。
残念ながら採用はされなかったけれど、やはり諦められない。
雄大はもう1度チャレンジすることを決めた。
1年間はバイトをしながら、図書隊受験を目指して勉強する。
検閲撤廃なんて、関係ない。
雄大はただ本に囲まれたあの空間が好きで、あそこで働きたいだけなのだ。
バイト先に「カフェ・デビルバッツ」を選んだのは、偶然だった。
たまたま住んでいた場所と一番近いカフェだったというだけだ。
だが店の前を通るたびに、良い雰囲気の店だと思っていた。
実際セナや阿部などスタッフたちは優しいし、仕事も楽しい。
ここでバイトができるのは、この人生の中ではまずまずの幸運だ。
だがまさかここで子供の頃、図書館で出逢った堂上夫妻に再会するとは思わなかった。
堂上は再会を喜んでくれたし、郁は涙ぐんでいた。
だが雄大はどうもピンとこなかった。
あのとき彼らは雄大が母から受けている暴力に気付き、児童相談所に通報した。
だがそれで何が変わったわけではなかったのだ。
一時的に暴力は止んだけれど、本当に一瞬だ。
半年も経てば、もう二度と暴力を振るわないという母の約束は無効化した。
家の中は地獄に戻り、結局両親は離婚したのだ。
雄大の短い人生は波乱万丈で、堂上夫妻のことを懐かしむ余裕などないのだ。
そしてようやくアルバイトに慣れてきたころ、事件は起きた。
ここ最近、時折来店する若い女性の常連客だ。
彼女には「カフェ・デビルバッツ」で知り合った恋人がいる。
その恋人は長期出張中で、2人は現在遠距離恋愛中。
セナや阿部からそんな事情は聞いていた。
その女性客、桐嶋日和が例によって1人で来店し、帰ろうとしていたときに見つけたのだ。
物陰から日和をじっと見ていた男を。
雄大は店を飛び出すと、男に「何してるんだ!?」と迫った。
その声で男に気付いたらしい日和が、息を飲んだ。
「今さら、何の用?」
「なぁ、俺たち、やり直せないか?」
そのやり取りから、男が日和の元カレだと知れた。
そして男は日和に未練があるが、日和にはまったくないことも。
案の上、日和は「無理。やり直しなんかしない」と言い放つ。
その途端、男は奇声を上げると、日和の腕を掴んで引っ張った。
その瞬間、雄大の頭の中で昔の光景がよみがえった。
男が日和に襲い掛かる光景が、母親と被ったのだ。
気付けば雄大は日和から男を引き剥がすと、勢いよく拳を振り下ろしていた。
日和が「きゃああ!」と悲鳴を上げたが、構わず殴り続けた。
「雄大、やめろ!」
「落ち着け!手を離せ!」
店の中から阿部やセナが出て来て、雄大を止めにかかる。
だが雄大はそれを振り払って、さらに男を殴った。
男は完全に母親の姿とダブっており、手を止めてしまうことが怖かったのだ。
【続く】