アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-2】
【生存プログラム】
「それは。。。本当か?」
玄田は間の抜けた声で、そう聞いた。
すると堂上が席を立ち「隠していて申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。
玄田は地味に傷ついていた。
堂上と郁が、図書隊を辞めてしまったことに。
しかも堂上は、玄田が手を引いた警備会社に就職した。
これは玄田にとって、裏切りに近い行為。
それっきり堂上とも郁とも音信不通状態になった。
ここで完全に堂上夫婦に腹を立て、憎み倒せればいいのかもしれない。
だが玄田にとって、いや特殊部隊にとって、彼らは可愛い秘蔵っ子なのだ。
なぜ振り切るようにして、図書隊を去ったのか。
そして新天地である警備会社、元良化隊員が多いそこでやっていけているのか。
気にならないと言えば嘘になる。
いやそれどころか、気になって仕方がないというのが本音だ。
そんなある日のこと、その堂上から連絡が来た。
折り入ってお話したいことがあると。
そこで玄田は緒形、小牧、手塚と共に「カフェ・デビルバッツ」を訪れた。
敢えてディナータイムの混雑した時間を選んだのは、堂上なりの配慮だろう。
真剣な話はこういう場所の方が、往々にして喋りやすかったりするものだ。
「新しい職場はどうなんだ?」
まずは乾杯の後、玄田はまず気になっていることを聞いた。
すると堂上はあっけなく「良好です」と答えた。
それを聞いた玄田も緒形や小牧、手塚もホッと胸を撫で下ろした。
その表情は穏やかで、本心からそう言っているのだとわかったからだ。
「転職して痛感したのは、良化隊員も俺たちと変わらない人間だということです。」
堂上は遠慮がちにそう切り出した。
小牧が「どういうこと?」と聞き返す。
手塚も興味深そうに、尊敬する元上官をじっと見ていた。
玄田と緒形は頷くだけで、堂上が話すのを待った。
俺も実は元良化隊員たちと仕事をするのは、不安でした。
もしかして図書隊の査問のときのように、陰湿な対応をされるかと。
でも彼らは俺の過去を知っても、まったく気にしていません。
いや、思うところはあるのかもしれませんが、態度には出しません。
気さくに接してくれていますよ。
俺たちと彼らの最大の違いは、図書隊は自分から志望する。
でも良化隊は自ら志望するものではなく、配属先の1つなんです。
だから本が憎くて狩ってたヤツなんて、ほぼいない。
仕事と割り切っているから、図書隊が憎いなんて発想もあまりないんです。
むしろ本好きも多くいて、狩る仕事じゃなくなって生き生きしているようです。
それに何だかんだ言っても彼らは法務省採用だし、みんな優秀で勉強になります。
堂上の言葉に、真っ先に頷いたのは緒形だった。
元々良化隊員だった彼には、思い当たることはたくさんあるのだろう。
玄田は思わず「う~ん」と唸った。
検閲撤廃は良化隊にとって死を意味するものだ。
その隊員たちにとって、この警備会社は生存プログラムなのかもしれない。
全てを捨てて、自分たちの新たな意義を見つける唯一の方法。
「ところで本題なんですが」
堂上は考える表情の面々を見回しながら、意を決した様子で切り出した。
まるで抗争の前のような緊張した雰囲気に、玄田も緒形らも身構える。
そこで堂上は「郁が妊娠しました。そろそろ6か月になります」と告げたのだった。
「それは。。。本当か?」
玄田は間の抜けた声で、そう聞いた。
すると堂上が席を立ち「隠していて申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。
一瞬の静寂の後、玄田は「でかした!堂上!」と叫ぶ。
そして下げたままの堂上の頭を鷲掴みにして、ガシガシとなでた。
「何するんですか!首がもげます!」
「めでたいんだ。細かいことは気にするな!」
「気にしますよ!っていうかあんたも気にしろ!」
そこから先はかつての特殊部隊のノリだ。
玄田が堂上をイジリ、小牧が便乗し、手塚が戸惑い、緒形が見守る。
懐かしい日々がよみがえり、誰もが笑顔で酒と食事が進んだ。
こうして堂上が絆を取り戻す楽しい宴は続いたのだった。
*****
「行かなくていいのか?」
黛は通りの向こうのメインダイニングをチラリと見ながら、そう言った。
だが郁はおっとりと笑うと「うん。いいの」と答えた。
郁はコインランドリーの受付にいた。
だいぶ体調が良くなったので、数日前から短い時間だが仕事に復帰していたのだ。
メインダイニングでなく、ここでの仕事を割り振られたのはもちろん黒子の采配だ。
時折店内を見回り、汚れている場所を掃除したり、忘れ物をチェックしたり。
後は子供たちからのリクエストがあれば、本を読んだりする。
郁からすれば物足りない運動量だが、今はこれでいいと自分に言い聞かせている。
2人分の命を抱えているのだから、無理なくやるのが重要だ。
通りを挟んだメインダイニングでは、今頃堂上が玄田たちと話をしているはずだ。
図書隊の仲間たちにはずっと隠していた。
郁が子供ができないだろうと医師に宣告されたことを。
それなのに図書隊では「子供はまだか」などとプレッシャーをかけられる。
また仲の良い毬江も子供ができたし、柴崎も当時は妊活をしていた。
子供が欲しいのにできない郁にはつらい環境だった。
だから堂上は全てを自分で背負って、図書隊を出たのだ。
だが郁は妊娠した。
これは医学的にも非常に珍しく、奇跡と言えるケースらしい。
堂上家と笠原家、双方の実家も狂喜乱舞な状況だ。
欲しいものはないか。
ベットはうちで買う、ベビーカーはうちだと意味不明な争奪戦になっている。
笠原家の母がランドセルはうちでと言い出したときには、その気の早さに呆れた。
「堂上家は初めての内孫だからわかるけど、何で笠原家がああなのかしら?」
郁は大いに首を傾げた。
堂上家は静佳も嫁いで孫はいるものの、堂上姓を名乗る孫は初めてなのだ。
だから浮かれるのも理解できる。
だが笠原家はすでに兄たちの子供が何人もいるのだし、今さらここまではしゃげるものか?
「まぁお義母さんは郁の子供だから嬉しいのかもな。女の子に思い入れがあるようだし。」
「ゲェェ。しょっちゅう押しかけて来たらどうしよう?」
「まぁそのときはそのときだ。今は喜んでくれていることを感謝しよう。」
堂上とそんな話をした。
もしかしたら実家で産めと言われるかもしれないが、それはそれでありだ。
もっともここには篠岡こと水谷の嫁の千代がいる。
頼もしい先輩がいるのだから、郁はここで産みたいと思っている。
「カフェ・デビルバッツ」の面々も喜んでくれていた。
みんな郁の体調を気遣い、世話を焼いてくれる。
三橋やまもりは身体に良い食事を差し入れしてくれるし、黒子やセナが体調を気遣ってくれた。
あのヒル魔が妊婦について調べていると聞いたときには、堂上も郁も驚いたものだ。
こうやって命が生まれるんだ。
郁は幸せを噛みしめながら、そう思った。
両親が愛し合って郁が生まれ、その郁が堂上と愛し合って、また新しい命が生まれる。
周りにも慈しんでもらい、望まれて生まれた命が、新たな命を作るのだ。
なんて幸せな生存プログラム。
精神的に不安定だった時期を乗り越えた郁は、しみじみとそんなことを考える。
「行かなくていいのか?」
物思いにふけっていた郁は、声をかけられて我に返った。
黒子によく似た感情のわかりにくい表情なのは、最近バイトに加わった黛だ。
だが郁はおっとりと笑うと「うん。いいの」と答えた。
「お酒飲めないし、気を使わせるし。何より今は人が多いところに行きたくないから。」
「まぁそうだな。大事にしないといけないもんな。」
黛は無表情のまま、そう言った。
郁は一瞬驚いた表情になったが「心配してくれてありがとう」と笑った。
無表情で心配してくれている、そのギャップがおかしかったのだ。
黛は郁のその笑顔を見て、かすかに唇を動かした。
一応黛なりの微笑なのだが、黒子なみにわかりにくい。
こうしてメインダイニングの歓喜とは対照的に、コインランドリーは静かで穏やかな時間が流れていた。
*****
「うわ、向こうのテーブル、えらく盛り上がってるな。」
「ええ、そうですね。あれ?堂上さんと、図書隊の人たちだ。」
奥のテーブルで、堂上たちが盛り上がっている。
その3つ隣の窓際の席では、井坂龍一郎と小野寺律が向かい合っていた。
井坂と律は連れ立って「カフェ・デビルバッツ」に現れた。
イケメン2人の登場に、店内の雰囲気が一気に華やかになる。
熱い視線を向ける女性客もいたが、彼らは一切スルーだ。
社長の息子として生まれ、ルックスも良い2人は見られることに慣れている。
2人は席につくなり、賑やかなテーブルがあることに気がついた。
そしてそのテーブルの面々が顔見知りであることもだ。
出版社勤務の2人は本好きであり、武蔵野第一図書館の常連でもある。
彼らの顔には見覚えがあった。
しかも律は堂上とは、この店でも時折顔を合わせている。
「それじゃこっちも乾杯するか。」
「ですね。」
2人はビールのジョッキを掲げて、ゴチンと合わせた。
最近でパーティなどが多い2人は、乾杯と言えばワインやシャンパンばかりだ。
だから今日は久しぶりにビールが飲みたい気分だった。
「うちの会社は、まぁ何とかまとまって来たぞ。」
「あ~、うちはあと一息って感じです。だけど絶対に間に合わせるので。」
乾杯の後ゴクゴクと喉を鳴らしてビールを飲みながら、2人は本日の話題を切り出した。
彼らが目指しているのは、本の価格を下げることだ。
学生が容易に買える、社会人ならまとめ買いができるくらいまで。
検閲撤廃に合わせて、それを実施したいと考えている。
「俺らって意地になり過ぎてたと思うか?」
セナが運んできた料理に箸を伸ばしながら、井坂がポツリとそう漏らす。
律は「かもしれませんね」と苦笑しながら、箸を取った。
丸川書店の現社長であり、元社長の息子である井坂。
そして小野寺出版現社長の御曹司である律。
本の値下げに反対している者たちは、律たちの動きを「お坊ちゃまの反乱」と揶揄した。
所詮親を越えられない息子たちが、意地になっているだけだと。
確かにそういう気持ちもないとは言えなかった。
彼らの父は偉大であり、何としても越えられないというジレンマもあったのだ。
だから父以上の偉業を成し遂げたいという野心は、もちろんある。
そしてそんな気持ちが周りから見透かされていることも理解していた。
「だけど誰でも気軽に本を読める時代にしたい。その気持ちは本物です。」
律はきっぱりとそう断言して、またビールを飲んだ。
検閲のせいで本の値段が高騰し、本を読まない人が増えたと言われている。
それは出版業界にとって、死活問題なのだ。
適正価格に戻すことが、出版業界に不可欠な生存プログラムだと思っている。
だから井坂も律も頑張っている。
何度も会議を開き、根回しをし、苦手なパーティや接待もした。
頭の固い者たちを地道に説得して歩き、賛同者の数も少しずつだが増えつつあった。
「だな。今さら後戻りなんかしてられねーしな。」
「そうですよ。偉業を成し遂げて、親父を超えて、出版業界に名を残すんです!」
「お前って、わかりやすくていいよな。」
「そうですか?」
「丸川にいた頃は、わかりやすく七光りコンプレックスだったし」
「ええ、ええ、あの頃はガキでしたよ。でももう大人になりました。」
「そうか?出版業界に名を残すんです!なんて恥ずかしげもなく言えちゃうのは子供だろ。」
「井坂さんだって、そういう野心あるでしょう?」
かくして同じ野心を共有するもの同士、楽しい時間を過ごした。
接待など気が進まない会食が多い2人にとって、久しぶりの気の張らない夕食だ。
この後、2人で食事をしたことがそれぞれの恋人にバレて、ちょっとしたケンカになったりする。
だが遠からぬ将来、夢を叶える2人にとってはそれさえも良い思い出になるのだった。
*****
「ど、どう、です、か?」
三橋は恐る恐るそう聞いた。
いつもより吃音がひどいのは、自身のなさの表れだった。
田島の曾祖父の葬儀に出席した後、阿部も三橋も元気がなかった。
特に三橋の落ち込み方はかなりのものだ。
田島の曾祖父はすでに100歳を超えていたわけだし、いつ亡くなってもおかしくはなかった。
だがやはり実際にその時が来てしまうと、寂しくて仕方がない。
「カフェ・デビルバッツ」の面々はもちろん気付いてはいた。
だがこればかりは静観するしかなかったのだ。
要は気持ちの問題であり、周りがどうこうできる話ではない。
それにたまたま別の問題とかぶったということもある。
郁が体調を崩し、程なくして妊娠が発覚した。
同時に精神的にも不安定になり、部屋で寝込むことが増えた。
だからみんなの注意は、郁の方に向いてしまったのだ。
だが郁の件は、結果的に三橋にとっても良い方に働いた。
三橋もまた郁のことを心配したことで、気がまぎれたのだ。
妊婦に良いメニューや、食べてはいけないものなどを色々研究した。
栄養価の高い料理、身体を冷やさない料理、体調が悪くても食べやすい料理。
いろいろと頭を悩ませることが、気分転換になった。
「廉君、こんなに毎日いろいろ差し入れてもらっちゃっていいの?」
郁は申し訳なさそうにそう言った。
三橋は一日三食、食事を郁に差し入れていたからだ。
だが三橋は「だい、じょぶ!」と、力強く胸を叩いた。
「そのかわり。感想、教えて。」
「感想?どれも美味しいよ!」
「それだけ、じゃなくて。どんな風に、美味しいとか、どれが特に好き、とか」
「それはいいけど。なんで?」
「新メニューの、参考にするから!」
それは三橋にとって、新たな試みだった。
「カフェ・デビルバッツ」のメニューは、量が多いのも売りの1つだった。
三橋自身が大食いだったし、常連客もよく食べる者が多かったからだ。
だがここ最近の郁のように食欲がなくても食べたくなる料理はできないだろうか?
それを突き詰めると、亡くなった田島家の曾祖父を思い出す。
三橋のことも田島と同じように可愛がってくれたひぃじぃちゃん。
たまに田島家に夕食に呼ばれた時も、ひぃじぃちゃんはあまり食べていなかったイメージだ。
歳を取れば、若い時ほど食べなくても大丈夫。
そんなことを言われた気がするが、三橋は本当に大丈夫なのかと不安になった。
今も大食い、当時は桁外れの大食いだった三橋にすれば、飢え死にしそうなほど少量だった。
そんなひぃじぃちゃんが好んで食べていたのは、ばぁちゃんの煮物や味噌汁。
あとは自家製野菜の浅漬けとかだったか?
三橋はそんなことを思いながら、日々レシピを考えた。
「カフェ・デビルバッツ」は、基本的に野菜は歯ごたえを残し、素材の味を大事にする。
結局スピード勝負の料理が多く、スープ以外の煮込み料理は少ない。
だがそれを敢えて、チャレンジしてみた。
ベースは田島家のばぁちゃんの料理、そして郁の意見も入れて、デビルバッツ風にアレンジを重ねた。
こうして三橋の中でひぃじぃちゃんは生き続ける、祈りを込めた生存プログラムだ。
かくして今までとは毛色が違う、新メニューが完成したのだった。
そしてこの夜、ついに三橋はそれを賄いに出した。
スタッフによる新メニューの試食だ。
三橋はドキドキしながら、料理を並べる。
スタッフたちはいつもと違う賄いに驚きながらも箸をつける。
三橋は恐る恐る「ど、どう、です、か?」と聞いた。
「廉君、これ美味しい!」
「すごく美味しいです。」
「田島のひぃじぃ、喜びそうだな。」
第一声はセナ、次は黒子、そして三橋の気持ちを誰よりも理解する阿部が褒めた。
そして全員の視線が、オーナーであるヒル魔に注がれる。
ヒル魔は一口一口を丁寧に噛みしめるように味わうと「美味いな」と唸った。
「店でも出してみろ。きっと人気メニューになるぞ」
ヒル魔にしては最上級の褒め言葉に、三橋は「ウヒ」と笑った。
こうして三橋はつらい別離を乗り越えたのだった。
*****
「美味かったな。今日の賄い」
ヒル魔はベットに入りながら、そう言った。
セナは「優しい味でしたね」と笑顔で答えた。
三橋が賄いで新メニューを発表した夜。
ヒル魔とセナは居室で眠りにつこうとしていた。
いつもと変わらない穏やかな夜。
2人は一緒にベットに入ると、少しだけ会話を楽しむのが日課だった。
「気に入ったんですね。廉君の新メニュー」
「そうだな。まぁまぁだ。」
「何が『まぁまぁ』ですか。いつもより食べてたじゃないですか。」
「そうか?」
「はい。ボクもホッとしました。」
ヒル魔はいつもより機嫌が良いし、セナは良く笑った。
このところますます食が細くなったヒル魔だが、この日はいつもよりよく食べた。
三橋の新メニューが食べやすかったからだ。
田島の亡き曾祖父を思い、妊婦の郁の意見を入れて作ったと言う。
三橋も最近元気がないと心配していたが、しっかりと気持ちの整理はできたのだろう。
「郁さんも落ち着いたし、廉君も乗り越えたみたいだし」
「お前、意外と過保護だな。大人なんだし、ほっとけば立ち直るだろ。」
「またそんな。心配していたくせに。」
「どうだかな」
ヒル魔は年齢を重ね、身体も弱り、表情は穏やかになった。
それでも素直じゃないのは、変わらない。
セナは「ホントにもう」と苦笑しながらも、内心は嬉しかった。
まだヒル魔には虚勢を張る元気が残っているのだから。
「堂上家の子供、まだ性別はわかんねーのか?」
「ええ。生まれてからのお楽しみにするそうです。」
「わかってた方が準備は楽だろうに。」
「ええ。でもサプライズ感は楽しめるんじゃないですか?」
「名前は2通り考えてるらしい。堂上嫁が俺の名前から一文字欲しいとか言ってたが。」
「ええ~!?『一』しか取れないじゃないですか!」
セナは郁の顔を思い浮かべながら、何を血迷ったかと本気で思った。
今さらだが、ヒル魔の名前は「蛭魔妖一」。
子供の名前に使うには、適さない文字ばかりだと思うのだが。
「ヒル魔さん、まさか堂上さんのところの子供は自分の生まれ変わりなんて思ってないですよね。」
セナはずっと思っていることを、意を決して切り出した。
ここ最近のヒル魔を見ていて、感じることだ。
もうすぐ自分が死に、堂上家の子供として生まれ変わる。
そうすることで、自分が再び生きられると考えてるのではないかと。
まったくバカバカしい、あり得ない生存プログラム。
だが長く闘病を続けるヒル魔に、そんな考えが芽生えたとしても不思議はない。
「そんなわけないですよね。悪魔がそんなこと、考えないですよね。」
セナはヒル魔の答えを待たずに否定した。
かつてのチーム名、そして今は店の名前になっているデビルバッツ。
自分たちは悪魔だと名乗ることを決めたのは、他ならぬヒル魔だ。
それを引き合いに出して、そんな愚かな考えは捨てて欲しいと願った。
堂上家の子供を自分の代わりに見立てて、逃げるなんて許さない。
「んなわけ、ねーだろ。俺は俺だ。」
ヒル魔は素っ気なくそう答えた。
セナは「ですよね」とお道化て、全てを冗談に変えた。
ヒル魔はそんな弱気を認めない。それでいい。
どんなときでも強くあろうとするのが、ヒル魔なのだ。
「そろそろ寝ましょう。」
セナはそう声をかけると、明かりを消した。
そしてヒル魔の身体を抱きしめて、眠る。
セナの命を分け与えて、少しでも長く生きて欲しいと願う。
こうして穏やかで切ない夜は更けていくのだった。
【続く】
「それは。。。本当か?」
玄田は間の抜けた声で、そう聞いた。
すると堂上が席を立ち「隠していて申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。
玄田は地味に傷ついていた。
堂上と郁が、図書隊を辞めてしまったことに。
しかも堂上は、玄田が手を引いた警備会社に就職した。
これは玄田にとって、裏切りに近い行為。
それっきり堂上とも郁とも音信不通状態になった。
ここで完全に堂上夫婦に腹を立て、憎み倒せればいいのかもしれない。
だが玄田にとって、いや特殊部隊にとって、彼らは可愛い秘蔵っ子なのだ。
なぜ振り切るようにして、図書隊を去ったのか。
そして新天地である警備会社、元良化隊員が多いそこでやっていけているのか。
気にならないと言えば嘘になる。
いやそれどころか、気になって仕方がないというのが本音だ。
そんなある日のこと、その堂上から連絡が来た。
折り入ってお話したいことがあると。
そこで玄田は緒形、小牧、手塚と共に「カフェ・デビルバッツ」を訪れた。
敢えてディナータイムの混雑した時間を選んだのは、堂上なりの配慮だろう。
真剣な話はこういう場所の方が、往々にして喋りやすかったりするものだ。
「新しい職場はどうなんだ?」
まずは乾杯の後、玄田はまず気になっていることを聞いた。
すると堂上はあっけなく「良好です」と答えた。
それを聞いた玄田も緒形や小牧、手塚もホッと胸を撫で下ろした。
その表情は穏やかで、本心からそう言っているのだとわかったからだ。
「転職して痛感したのは、良化隊員も俺たちと変わらない人間だということです。」
堂上は遠慮がちにそう切り出した。
小牧が「どういうこと?」と聞き返す。
手塚も興味深そうに、尊敬する元上官をじっと見ていた。
玄田と緒形は頷くだけで、堂上が話すのを待った。
俺も実は元良化隊員たちと仕事をするのは、不安でした。
もしかして図書隊の査問のときのように、陰湿な対応をされるかと。
でも彼らは俺の過去を知っても、まったく気にしていません。
いや、思うところはあるのかもしれませんが、態度には出しません。
気さくに接してくれていますよ。
俺たちと彼らの最大の違いは、図書隊は自分から志望する。
でも良化隊は自ら志望するものではなく、配属先の1つなんです。
だから本が憎くて狩ってたヤツなんて、ほぼいない。
仕事と割り切っているから、図書隊が憎いなんて発想もあまりないんです。
むしろ本好きも多くいて、狩る仕事じゃなくなって生き生きしているようです。
それに何だかんだ言っても彼らは法務省採用だし、みんな優秀で勉強になります。
堂上の言葉に、真っ先に頷いたのは緒形だった。
元々良化隊員だった彼には、思い当たることはたくさんあるのだろう。
玄田は思わず「う~ん」と唸った。
検閲撤廃は良化隊にとって死を意味するものだ。
その隊員たちにとって、この警備会社は生存プログラムなのかもしれない。
全てを捨てて、自分たちの新たな意義を見つける唯一の方法。
「ところで本題なんですが」
堂上は考える表情の面々を見回しながら、意を決した様子で切り出した。
まるで抗争の前のような緊張した雰囲気に、玄田も緒形らも身構える。
そこで堂上は「郁が妊娠しました。そろそろ6か月になります」と告げたのだった。
「それは。。。本当か?」
玄田は間の抜けた声で、そう聞いた。
すると堂上が席を立ち「隠していて申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。
一瞬の静寂の後、玄田は「でかした!堂上!」と叫ぶ。
そして下げたままの堂上の頭を鷲掴みにして、ガシガシとなでた。
「何するんですか!首がもげます!」
「めでたいんだ。細かいことは気にするな!」
「気にしますよ!っていうかあんたも気にしろ!」
そこから先はかつての特殊部隊のノリだ。
玄田が堂上をイジリ、小牧が便乗し、手塚が戸惑い、緒形が見守る。
懐かしい日々がよみがえり、誰もが笑顔で酒と食事が進んだ。
こうして堂上が絆を取り戻す楽しい宴は続いたのだった。
*****
「行かなくていいのか?」
黛は通りの向こうのメインダイニングをチラリと見ながら、そう言った。
だが郁はおっとりと笑うと「うん。いいの」と答えた。
郁はコインランドリーの受付にいた。
だいぶ体調が良くなったので、数日前から短い時間だが仕事に復帰していたのだ。
メインダイニングでなく、ここでの仕事を割り振られたのはもちろん黒子の采配だ。
時折店内を見回り、汚れている場所を掃除したり、忘れ物をチェックしたり。
後は子供たちからのリクエストがあれば、本を読んだりする。
郁からすれば物足りない運動量だが、今はこれでいいと自分に言い聞かせている。
2人分の命を抱えているのだから、無理なくやるのが重要だ。
通りを挟んだメインダイニングでは、今頃堂上が玄田たちと話をしているはずだ。
図書隊の仲間たちにはずっと隠していた。
郁が子供ができないだろうと医師に宣告されたことを。
それなのに図書隊では「子供はまだか」などとプレッシャーをかけられる。
また仲の良い毬江も子供ができたし、柴崎も当時は妊活をしていた。
子供が欲しいのにできない郁にはつらい環境だった。
だから堂上は全てを自分で背負って、図書隊を出たのだ。
だが郁は妊娠した。
これは医学的にも非常に珍しく、奇跡と言えるケースらしい。
堂上家と笠原家、双方の実家も狂喜乱舞な状況だ。
欲しいものはないか。
ベットはうちで買う、ベビーカーはうちだと意味不明な争奪戦になっている。
笠原家の母がランドセルはうちでと言い出したときには、その気の早さに呆れた。
「堂上家は初めての内孫だからわかるけど、何で笠原家がああなのかしら?」
郁は大いに首を傾げた。
堂上家は静佳も嫁いで孫はいるものの、堂上姓を名乗る孫は初めてなのだ。
だから浮かれるのも理解できる。
だが笠原家はすでに兄たちの子供が何人もいるのだし、今さらここまではしゃげるものか?
「まぁお義母さんは郁の子供だから嬉しいのかもな。女の子に思い入れがあるようだし。」
「ゲェェ。しょっちゅう押しかけて来たらどうしよう?」
「まぁそのときはそのときだ。今は喜んでくれていることを感謝しよう。」
堂上とそんな話をした。
もしかしたら実家で産めと言われるかもしれないが、それはそれでありだ。
もっともここには篠岡こと水谷の嫁の千代がいる。
頼もしい先輩がいるのだから、郁はここで産みたいと思っている。
「カフェ・デビルバッツ」の面々も喜んでくれていた。
みんな郁の体調を気遣い、世話を焼いてくれる。
三橋やまもりは身体に良い食事を差し入れしてくれるし、黒子やセナが体調を気遣ってくれた。
あのヒル魔が妊婦について調べていると聞いたときには、堂上も郁も驚いたものだ。
こうやって命が生まれるんだ。
郁は幸せを噛みしめながら、そう思った。
両親が愛し合って郁が生まれ、その郁が堂上と愛し合って、また新しい命が生まれる。
周りにも慈しんでもらい、望まれて生まれた命が、新たな命を作るのだ。
なんて幸せな生存プログラム。
精神的に不安定だった時期を乗り越えた郁は、しみじみとそんなことを考える。
「行かなくていいのか?」
物思いにふけっていた郁は、声をかけられて我に返った。
黒子によく似た感情のわかりにくい表情なのは、最近バイトに加わった黛だ。
だが郁はおっとりと笑うと「うん。いいの」と答えた。
「お酒飲めないし、気を使わせるし。何より今は人が多いところに行きたくないから。」
「まぁそうだな。大事にしないといけないもんな。」
黛は無表情のまま、そう言った。
郁は一瞬驚いた表情になったが「心配してくれてありがとう」と笑った。
無表情で心配してくれている、そのギャップがおかしかったのだ。
黛は郁のその笑顔を見て、かすかに唇を動かした。
一応黛なりの微笑なのだが、黒子なみにわかりにくい。
こうしてメインダイニングの歓喜とは対照的に、コインランドリーは静かで穏やかな時間が流れていた。
*****
「うわ、向こうのテーブル、えらく盛り上がってるな。」
「ええ、そうですね。あれ?堂上さんと、図書隊の人たちだ。」
奥のテーブルで、堂上たちが盛り上がっている。
その3つ隣の窓際の席では、井坂龍一郎と小野寺律が向かい合っていた。
井坂と律は連れ立って「カフェ・デビルバッツ」に現れた。
イケメン2人の登場に、店内の雰囲気が一気に華やかになる。
熱い視線を向ける女性客もいたが、彼らは一切スルーだ。
社長の息子として生まれ、ルックスも良い2人は見られることに慣れている。
2人は席につくなり、賑やかなテーブルがあることに気がついた。
そしてそのテーブルの面々が顔見知りであることもだ。
出版社勤務の2人は本好きであり、武蔵野第一図書館の常連でもある。
彼らの顔には見覚えがあった。
しかも律は堂上とは、この店でも時折顔を合わせている。
「それじゃこっちも乾杯するか。」
「ですね。」
2人はビールのジョッキを掲げて、ゴチンと合わせた。
最近でパーティなどが多い2人は、乾杯と言えばワインやシャンパンばかりだ。
だから今日は久しぶりにビールが飲みたい気分だった。
「うちの会社は、まぁ何とかまとまって来たぞ。」
「あ~、うちはあと一息って感じです。だけど絶対に間に合わせるので。」
乾杯の後ゴクゴクと喉を鳴らしてビールを飲みながら、2人は本日の話題を切り出した。
彼らが目指しているのは、本の価格を下げることだ。
学生が容易に買える、社会人ならまとめ買いができるくらいまで。
検閲撤廃に合わせて、それを実施したいと考えている。
「俺らって意地になり過ぎてたと思うか?」
セナが運んできた料理に箸を伸ばしながら、井坂がポツリとそう漏らす。
律は「かもしれませんね」と苦笑しながら、箸を取った。
丸川書店の現社長であり、元社長の息子である井坂。
そして小野寺出版現社長の御曹司である律。
本の値下げに反対している者たちは、律たちの動きを「お坊ちゃまの反乱」と揶揄した。
所詮親を越えられない息子たちが、意地になっているだけだと。
確かにそういう気持ちもないとは言えなかった。
彼らの父は偉大であり、何としても越えられないというジレンマもあったのだ。
だから父以上の偉業を成し遂げたいという野心は、もちろんある。
そしてそんな気持ちが周りから見透かされていることも理解していた。
「だけど誰でも気軽に本を読める時代にしたい。その気持ちは本物です。」
律はきっぱりとそう断言して、またビールを飲んだ。
検閲のせいで本の値段が高騰し、本を読まない人が増えたと言われている。
それは出版業界にとって、死活問題なのだ。
適正価格に戻すことが、出版業界に不可欠な生存プログラムだと思っている。
だから井坂も律も頑張っている。
何度も会議を開き、根回しをし、苦手なパーティや接待もした。
頭の固い者たちを地道に説得して歩き、賛同者の数も少しずつだが増えつつあった。
「だな。今さら後戻りなんかしてられねーしな。」
「そうですよ。偉業を成し遂げて、親父を超えて、出版業界に名を残すんです!」
「お前って、わかりやすくていいよな。」
「そうですか?」
「丸川にいた頃は、わかりやすく七光りコンプレックスだったし」
「ええ、ええ、あの頃はガキでしたよ。でももう大人になりました。」
「そうか?出版業界に名を残すんです!なんて恥ずかしげもなく言えちゃうのは子供だろ。」
「井坂さんだって、そういう野心あるでしょう?」
かくして同じ野心を共有するもの同士、楽しい時間を過ごした。
接待など気が進まない会食が多い2人にとって、久しぶりの気の張らない夕食だ。
この後、2人で食事をしたことがそれぞれの恋人にバレて、ちょっとしたケンカになったりする。
だが遠からぬ将来、夢を叶える2人にとってはそれさえも良い思い出になるのだった。
*****
「ど、どう、です、か?」
三橋は恐る恐るそう聞いた。
いつもより吃音がひどいのは、自身のなさの表れだった。
田島の曾祖父の葬儀に出席した後、阿部も三橋も元気がなかった。
特に三橋の落ち込み方はかなりのものだ。
田島の曾祖父はすでに100歳を超えていたわけだし、いつ亡くなってもおかしくはなかった。
だがやはり実際にその時が来てしまうと、寂しくて仕方がない。
「カフェ・デビルバッツ」の面々はもちろん気付いてはいた。
だがこればかりは静観するしかなかったのだ。
要は気持ちの問題であり、周りがどうこうできる話ではない。
それにたまたま別の問題とかぶったということもある。
郁が体調を崩し、程なくして妊娠が発覚した。
同時に精神的にも不安定になり、部屋で寝込むことが増えた。
だからみんなの注意は、郁の方に向いてしまったのだ。
だが郁の件は、結果的に三橋にとっても良い方に働いた。
三橋もまた郁のことを心配したことで、気がまぎれたのだ。
妊婦に良いメニューや、食べてはいけないものなどを色々研究した。
栄養価の高い料理、身体を冷やさない料理、体調が悪くても食べやすい料理。
いろいろと頭を悩ませることが、気分転換になった。
「廉君、こんなに毎日いろいろ差し入れてもらっちゃっていいの?」
郁は申し訳なさそうにそう言った。
三橋は一日三食、食事を郁に差し入れていたからだ。
だが三橋は「だい、じょぶ!」と、力強く胸を叩いた。
「そのかわり。感想、教えて。」
「感想?どれも美味しいよ!」
「それだけ、じゃなくて。どんな風に、美味しいとか、どれが特に好き、とか」
「それはいいけど。なんで?」
「新メニューの、参考にするから!」
それは三橋にとって、新たな試みだった。
「カフェ・デビルバッツ」のメニューは、量が多いのも売りの1つだった。
三橋自身が大食いだったし、常連客もよく食べる者が多かったからだ。
だがここ最近の郁のように食欲がなくても食べたくなる料理はできないだろうか?
それを突き詰めると、亡くなった田島家の曾祖父を思い出す。
三橋のことも田島と同じように可愛がってくれたひぃじぃちゃん。
たまに田島家に夕食に呼ばれた時も、ひぃじぃちゃんはあまり食べていなかったイメージだ。
歳を取れば、若い時ほど食べなくても大丈夫。
そんなことを言われた気がするが、三橋は本当に大丈夫なのかと不安になった。
今も大食い、当時は桁外れの大食いだった三橋にすれば、飢え死にしそうなほど少量だった。
そんなひぃじぃちゃんが好んで食べていたのは、ばぁちゃんの煮物や味噌汁。
あとは自家製野菜の浅漬けとかだったか?
三橋はそんなことを思いながら、日々レシピを考えた。
「カフェ・デビルバッツ」は、基本的に野菜は歯ごたえを残し、素材の味を大事にする。
結局スピード勝負の料理が多く、スープ以外の煮込み料理は少ない。
だがそれを敢えて、チャレンジしてみた。
ベースは田島家のばぁちゃんの料理、そして郁の意見も入れて、デビルバッツ風にアレンジを重ねた。
こうして三橋の中でひぃじぃちゃんは生き続ける、祈りを込めた生存プログラムだ。
かくして今までとは毛色が違う、新メニューが完成したのだった。
そしてこの夜、ついに三橋はそれを賄いに出した。
スタッフによる新メニューの試食だ。
三橋はドキドキしながら、料理を並べる。
スタッフたちはいつもと違う賄いに驚きながらも箸をつける。
三橋は恐る恐る「ど、どう、です、か?」と聞いた。
「廉君、これ美味しい!」
「すごく美味しいです。」
「田島のひぃじぃ、喜びそうだな。」
第一声はセナ、次は黒子、そして三橋の気持ちを誰よりも理解する阿部が褒めた。
そして全員の視線が、オーナーであるヒル魔に注がれる。
ヒル魔は一口一口を丁寧に噛みしめるように味わうと「美味いな」と唸った。
「店でも出してみろ。きっと人気メニューになるぞ」
ヒル魔にしては最上級の褒め言葉に、三橋は「ウヒ」と笑った。
こうして三橋はつらい別離を乗り越えたのだった。
*****
「美味かったな。今日の賄い」
ヒル魔はベットに入りながら、そう言った。
セナは「優しい味でしたね」と笑顔で答えた。
三橋が賄いで新メニューを発表した夜。
ヒル魔とセナは居室で眠りにつこうとしていた。
いつもと変わらない穏やかな夜。
2人は一緒にベットに入ると、少しだけ会話を楽しむのが日課だった。
「気に入ったんですね。廉君の新メニュー」
「そうだな。まぁまぁだ。」
「何が『まぁまぁ』ですか。いつもより食べてたじゃないですか。」
「そうか?」
「はい。ボクもホッとしました。」
ヒル魔はいつもより機嫌が良いし、セナは良く笑った。
このところますます食が細くなったヒル魔だが、この日はいつもよりよく食べた。
三橋の新メニューが食べやすかったからだ。
田島の亡き曾祖父を思い、妊婦の郁の意見を入れて作ったと言う。
三橋も最近元気がないと心配していたが、しっかりと気持ちの整理はできたのだろう。
「郁さんも落ち着いたし、廉君も乗り越えたみたいだし」
「お前、意外と過保護だな。大人なんだし、ほっとけば立ち直るだろ。」
「またそんな。心配していたくせに。」
「どうだかな」
ヒル魔は年齢を重ね、身体も弱り、表情は穏やかになった。
それでも素直じゃないのは、変わらない。
セナは「ホントにもう」と苦笑しながらも、内心は嬉しかった。
まだヒル魔には虚勢を張る元気が残っているのだから。
「堂上家の子供、まだ性別はわかんねーのか?」
「ええ。生まれてからのお楽しみにするそうです。」
「わかってた方が準備は楽だろうに。」
「ええ。でもサプライズ感は楽しめるんじゃないですか?」
「名前は2通り考えてるらしい。堂上嫁が俺の名前から一文字欲しいとか言ってたが。」
「ええ~!?『一』しか取れないじゃないですか!」
セナは郁の顔を思い浮かべながら、何を血迷ったかと本気で思った。
今さらだが、ヒル魔の名前は「蛭魔妖一」。
子供の名前に使うには、適さない文字ばかりだと思うのだが。
「ヒル魔さん、まさか堂上さんのところの子供は自分の生まれ変わりなんて思ってないですよね。」
セナはずっと思っていることを、意を決して切り出した。
ここ最近のヒル魔を見ていて、感じることだ。
もうすぐ自分が死に、堂上家の子供として生まれ変わる。
そうすることで、自分が再び生きられると考えてるのではないかと。
まったくバカバカしい、あり得ない生存プログラム。
だが長く闘病を続けるヒル魔に、そんな考えが芽生えたとしても不思議はない。
「そんなわけないですよね。悪魔がそんなこと、考えないですよね。」
セナはヒル魔の答えを待たずに否定した。
かつてのチーム名、そして今は店の名前になっているデビルバッツ。
自分たちは悪魔だと名乗ることを決めたのは、他ならぬヒル魔だ。
それを引き合いに出して、そんな愚かな考えは捨てて欲しいと願った。
堂上家の子供を自分の代わりに見立てて、逃げるなんて許さない。
「んなわけ、ねーだろ。俺は俺だ。」
ヒル魔は素っ気なくそう答えた。
セナは「ですよね」とお道化て、全てを冗談に変えた。
ヒル魔はそんな弱気を認めない。それでいい。
どんなときでも強くあろうとするのが、ヒル魔なのだ。
「そろそろ寝ましょう。」
セナはそう声をかけると、明かりを消した。
そしてヒル魔の身体を抱きしめて、眠る。
セナの命を分け与えて、少しでも長く生きて欲しいと願う。
こうして穏やかで切ない夜は更けていくのだった。
【続く】