アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-2】

【見返り】

「郁さん、今日はもう休んで下さい。」
黒子は心配になって、声をかけた。
郁は「全然、平気です!」と笑顔で答える。
だが鍛えられた黒子の観察眼には、とても平気には見えなかった。

黒子は数日前から郁の調子が悪いことには気づいていた。
どことなく動きが緩慢で、表情から気だるさを感じる。
おそらくセナや阿部でも見抜けないほど、些細な異変だ。
もちろんすぐに「今日は休んでいいですよ」と声をかけた。
頑張り屋で負けず嫌いの郁は、絶対に自分から休むとは言わないからだ。

「大丈夫です。ちょっと調子悪いけどこのくらいなら。」
郁はそう言って、休むことを拒否した。
確かにいかにもおかしいという感じではなく、ちょっと違和感がある程度。
黒子は迷ったけれど、郁の判断を優先した。

ただヒル魔とセナには報告し、郁は終日コインランドリー勤務にした。
ランチやディナータイムの忙しい時間、郁はメインダイニングに入ることが多い。
だがあちらは常に動き回らなければならず、身体的にはなかなかハードなのだ。
その点コインランドリーならマイペース、座って休みながらの仕事が可能だ。
そして勤務時間も短くして、郁の回復を待った。

もしかして精神的なものなのだろうか?
黒子は秘かにそう思った。
郁も夫である堂上も、図書隊ではかなり目立つ存在だったのだろう。
しかも図書隊では事実と違う噂が立っているらしく、時折妙な輩がやって来る。
おそらく2人のどちらかに想いを寄せていた者、もしくはやっかんでいた者だ。

彼らはここで働く郁を見つけては、見当違いの意見をぶつけて帰る。
黒子としては、理解不能だ。
あのバカップル夫婦を別れさせるなど、無謀もいいところ。
もしかして郁を傷つけるのが目的なのかもしれないが、郁だって今さら揺らぐほどヤワではない。
何の見返りもないのにわざわざやって来るとは、図書隊とは余程ヒマなのか。

だが郁は揺らぎこそしないものの、ストレスが溜まるのは間違いない。
それが微妙な体調不良につながっているのかもしれない。
店内の防犯カメラを駆使して、不穏な輩を見つけては手塚夫妻に知らせてはいる。
だからいずれはいなくなると思うし、そのときまでには元に戻っているといいのだが。

なのにこの日、郁はさらに具合が悪そうに見えた。
よくよく見れば微熱がありそうだし、食欲もないという。
食べる量は三橋と良い勝負の郁が食欲がないとは!
これは余程のことだと思わざるを得ない。

「郁さん、今日はもう休んで下さい。」
「全然、平気です!」
「平気には見えません。むしろ病院に行ってほしいくらいの顔色です。」
「本当に大丈夫ですって」
「ダメです。このまま休まないなら堂上さんに連絡しますよ?」

ついに黒子は最終手段、伝家の宝刀を抜いた。
堂上は今、仕事で多忙にしている。
昨晩も郁が就寝後に帰宅して、起きる前に出かけてしまったそうだ。
よりによって郁がここ数日で、一番体調が悪いときに!
まったく朴念仁のくせに間が悪いと、黒子はここにいない郁の夫に心の中で悪態をついた。

「篤さんには言わないで。心配かけたくないの。」
「だったら約束してください。」
「何を?」
「今日これから休んで体調が戻らなければ、明日は病院に行ってください。」
「・・・黒子君にはかなわない。わかった。今日は部屋に戻ります。」

郁はようやく諦めて、すごすごと自分の部屋へ戻っていく。
黒子はその後ろ姿を見送りながら、こっそりとため息をついた。

*****

「かんぱ~い!」
4人の男たちは、テーブルでグラスを掲げた。
3つはビール、1つは烏龍茶のいささかちぐはぐな乾杯だった。

「カフェ・デビルバッツ」の2号店を仕切っていた十文字は、先日ここを去った。
後は水谷夫妻にしっかり引き継いだし、そちらの心配はまったくない。
むしろ水谷たちが自分たちのカラーを出して、新しい2号店に育てて欲しいと思っている。
セナや阿部たちスタッフは残念がってくれたが、新しい門出を祝ってくれた。
こんな風に送り出してもらえる自分は、かなり幸せなのだと思う。

新しい職場にも恵まれていた。
ヒル魔と赤司が立ち上げた警備会社だ。
ここでかつて合わせて「3兄弟」と呼ばれた仲間、黒木と戸叶と合流した。
そして4人目はつい先日まで図書特殊部隊で活躍していた男、堂上だ。
その堂上が3兄妹を従える形で、新しい「堂上班」を仕切ることになった。

入社してからは来る日も来る日も訓練だった。
十文字もかつては全国制覇を成し遂げたアスリート、やめてからもトレーニングはしていた。
それにアメフトを始める前は地元でそこそこ名が知れた不良、ケンカの場数も踏んでいる。
だから警備会社に入ったって、そこそこやれると思っていた。
それは黒木や戸叶も同じだったようだ。
つまり平たく言うと、3人は自分でも気付かないうちにナメていたのである。

だが堂上班長のスパルタで、そんな驕りは打ち砕かれた。
さすが図書特殊部隊、身のこなしも動きもまるで違う。
十文字たちは一から叩き直され、徹底的に鍛えられた。
さらに2人でのコンビネーションや、4人での連携などもみっちりと教え込まれた。
堂上もかつての鬼教官(!)の血が騒いだそうで、訓練施設には日々怒声が飛び交った。

その甲斐あって、どうにか使えると評価された。
そしてついに初任務、雪名皇の個展の警備も決まった。
そこでこの夜はその祝いにと、4人で「カフェ・デビルバッツ」に繰り出した。
十文字が客として来店するのは、退職して初めてのことだ。
いつでも来ることができたが、なんとなく足が遠のいていたのは小さなプライド。
訓練でヘトヘトになった余裕がない姿を、ヒル魔やセナに見られたくなかった。

「いらっしゃい!堂上班の皆さん!」
セナは十文字たちの顔を見るなり、笑顔で歓待してくれた。
それを見た十文字の心は未だに小さく疼く。
まだ高校生だった頃から、ずっとセナが好きだった。
だからセナとヒル魔が惹かれ合い、恋人同士になってもずっとセナを見つめ続けた。
見返りなんか何もない、ただただひたむきで一方的な恋心。
それを捨ててここを出て行ったつもりなのに、未だにセナを見れば心がときめく。

「サービスするね。いっぱい飲んで楽しんで!」
セナは十文字の気持ちなど知らず、ニコニコと4人を席に案内する。
阿部もやってきて「ワインでもお出ししましょうか?」と言い出した。
だが堂上は申し訳なさそうに「今日は俺は飲まないので」と答える。
彼の妻である郁が体調を崩して、家で寝ているのだそうだ。
十文字は郁には申し訳ないが、堂上がそう言ったことにホッとしていた。
今日はヒル魔もまだ店にいる。
2人がいる空間で酒宴を楽しむほど、十文字はまだ割り切れていなかった。

「じゃあ堂上さんは烏龍茶でも。他のみなさんはビールっすか?」
阿部がすかさず気を利かせて、そう言ってくれた。
飲み物を運んできたのは、鈴音だ。
3兄弟を見回して「みんな、何か逞しくなったね~」と笑う。
そして堂上に「郁さんには昼と夕方、食事を差し入れしました。今は寝てると思います」と告げた。
どうやら女性である鈴音が、何度か郁の様子を見に行っていたようだ。

「申し訳ない。ありがとう。」
堂上が鈴音に頭を下げている間に、もう料理が運ばれてきた。
最近ますます手際がよくなった三橋の料理は、もはや天才の域だと十文字は思っている。

俺もそろそろ前に進まないと。
十文字は堂上の左手薬指に煌めく結婚指輪を見ながら、そう思った。
「カフェ・デビルバッツ」は変わることなく、温かく迎え入れてくれる。
だがそれに甘えてはいられない。
この店の出身であることを恥じない生き方をしなければならないのだ。

*****

「あんな小さな店にいるより、充分な見返りがあると思いますよ?」
男はしたり顔で、滔々と語る。
阿部と三橋は内心怒りながらも、平気な顔をよそおった。
こんな男に感情を見せることさえ、不愉快だったのだ。

新生「堂上班」が「カフェ・デビルバッツ」で食事をした翌日。
阿部と三橋は休日であり、出かけていた。
久しぶりに大学時代の友人と会うことになったのだ。
しかも会う場所は、最近話題になっている都内のカフェだ。
阿部も三橋もこれは勉強になると、興味津々だ。
まもりがキッチンに入ってくれたし、ホールはバイトを増やした。
2人は久しぶりに心置きなく楽しもうと思い、出かけたのだった。

「お帰りなさい。なんかヒル魔さんが2人に話があるって。」
夜、店に戻るなり、セナが声をかけてきた。
阿部と三橋は思わず顔を見合わせる。
まだ「カフェ・デビルバッツ」は営業中なので、手伝おうと思っていたのだ。

「部屋で待ってるから。今日は君たちは休みなんだし、手伝わなくていいよ。」
セナも何もかも心得た顔で、ダメ押ししてきた。
阿部が「お見通しっぽいな」と苦笑すると、三橋がコクコクと頷く。
そして2人は店の2階である、ヒル魔とセナの部屋に向かった。

「ヒル魔さん、阿部です。入っていいっすか?」
「ああ。入れ」
ドアをノックして声をかけると、2人はヒル魔の部屋に入った。
ベットに横たわっていたヒル魔はゆっくりと身体を起こす。
阿部は慌てて「寝たままでいいっすよ」と言ったが、ヒル魔は「大丈夫だ」と首を振る。
そして上半身だけ起こした状態で、2人と向かい合った。

「引き抜きの誘いだったんだろ?」
ヒル魔は単刀直入にそう切り出した。
やはりお見通しだったと、阿部も三橋も苦笑する。
そう、2人は大学時代の友人の誘いで食事をした。
するとその店のオーナーなる男性が現れて「うちの店に来ませんか?」と言ったのだ。
三橋をシェフ、阿部をギャルソンとして、引き抜きたいと言うのだ。

「ことわりましたよ。オレら」
「向こうは納得してくれたか?」
「・・・いえ。考えて欲しいって食い下がられました。」
「つまりまだ可能性はあるんだな。」
「ないっすよ!オレたちは『カフェ・デビルバッツ』を動きません。」
「決めてかかるな。よく考えろ。お前たちの将来のことだ。」

阿部と三橋はブンブンと首を振った。
実は今日会った店のオーナーにも言われたのだ。
小さなカフェにいるよりうちに来た方がいい。
移籍したら、それに見合う見返りも約束すると。

阿部も三橋も顔だけは笑顔だったが、内心は憤っていた。
見返りって何だ?高い給料?それとも待遇?
だけど阿部と三橋には、それ以上に大事なものがある。

「もしかして、ヒル魔、さん、オレ、もう、いらない?」
ずっと黙っていた三橋が、不意に情けない声を上げた。
ヒル魔は穏やかな声で「そうじゃねぇよ」と答える。
そう、ヒル魔は阿部と三橋の将来まで考えてくれている。
だから「カフェ・デビルバッツ」に義理立てせずに考えろと言ってくれているのだ。

「相手の人、感じ悪かったんです。あんなオーナーの下では働きたくないです。」
阿部は素直に思っていることを口にした。
三橋もすかさずコクコクと何度も頷く。
ヒル魔は珍しく驚いたような顔になったが、すぐに「わかった」と答えた。

「だけどもう1度よく考えろ。俺もセナもお前らの希望を尊重する。」
ヒル魔はそれだけ告げると、また横になった。
阿部はその身体に布団をかけてやると「おやすみなさい」と告げる。
そして2人は一礼すると、ヒル魔たちの部屋を出た。

「何度考えたって、変わらねーよな。」
阿部の言葉に、三橋が「うん!」と力強く頷いた。
十文字のように、ここから旅立つ者もいる。
だけど阿部も三橋もそんな彼らの故郷たるこの場所を守りたいと願っていた。

*****

「まったく素直じゃないんだから。」
セナは思いっきりヒル魔を茶化した。
ヒル魔は拗ねたような顔で「うるせぇ」と答える。
世界広しといえど、ヒル魔からこんな表情を引き出せるのはセナしかいない。

今日は本当に忙しかった。
三橋と阿部が休みだったのだ。
キッチンはまもりが引き受けてくれたが、ホールは大変だ。
しかも郁も体調が悪くて休み、だから黒子もコインランドリーから出て来られない。

やっぱり阿部君がいると、楽だよなぁ。
セナは阿部が休むたびに、それを痛感する。
今日はその代わりにバイトを2人補充したが、阿部の代わりにはならない。
店の隅々まで気を配れる人材は、そうそういないのだ。

ヒル魔は体調が悪いくせに、ずっと部屋でパソコンを叩いていた。
どんなときでも情報収集に余念がない。
最近キャッチした情報は、主に阿部と三橋に関するものだ。

毎日一生懸命働いてくれる2人の周辺は、最近にわかに忙しい。
先日は某レストランガイドの覆面調査員が来店していた。
どうやら「カフェ・デビルバッツ」を本に掲載したかったらしい。
そのためにメニューの固定化などを薦めてきたのは、その方が書きやすいからだろう。
だが、三橋はそんな思惑ごとあっさりスルーだ。
まぁどのみちこの店はレストランガイドに載せるつもりはないし、関係ないのだが。

そして今日は彼らを引き抜きたいというレストランオーナーに呼び出されていた。
もっとも阿部と三橋は単に大学時代の友人と食事に行くつもりで出かけただけだ。
その友人がレストランオーナーと知り合いで、その伝手を利用されたのだ。
セナは事前にその情報を掴んだヒル魔に、苦笑した。
当の2人さえ知らされていない事実を、しっかりと事前に調べていたのだから。

「止めないんですね。」
「たりめーだろ。」
阿部と三橋が出ていった後、セナはベットでもパソコンを叩くヒル魔に声をかけた。
彼ら自身は自覚はないが、2人とも才能があるのだ。
美味しいものが大好きな三橋の味覚は優れているし、料理の素質もある。
また阿部は客の表情や態度から、気持ちを読むことに長けている。
その素質が「カフェ・デビルバッツ」でさらに磨かれ、成長したのだ。
彼らが次のステージに行くというなら、応援するべきだろう。

「セナ、お前だって自由だ。」
「何ですか?いきなり」
「十文字でも鈴音でも、乗り換えは自由ってことだ。」
「本気ですか?」
「俺はお前に見返りをやれないからな。」
「見返りって何です?」
「未来ってやつだ。」

ヒル魔は軽口をよそおっているが、真剣だ。
別離の足音は確実に近づいている。
だからこそ後に残る者たちのことを心配しているのだ。

「ボクは最後までヒル魔さんの隣にいますよ。」
「そうか。」
「阿部君と廉君もきっとそうだと思いますけど。」
「かもな。」
「嬉し泣きしてくれてもいいですよ?」
「誰がするか」
「まったく素直じゃないんだから。」
「うるせぇ。」

拗ねた表情のヒル魔が可愛い。
そしてこんな顔のヒル魔を見られるのは、自分だけの特権だ。
セナは秘かに優越感に浸りながら「ちゃんと休んでくださいね」と声をかけて、部屋を出た。

*****

「すみません。よろしくお願いします。」
郁の意思とは関係なく、堂上は頭を下げる。
リコは「まかせておいて!」と胸を叩き「郁さん!行くよ!」と声を張った。

郁の体調は相変わらず悪かった。
毎朝出勤はするのだが、黒子のチェックは厳しい。
郁の顔色を見て、容赦なく「帰ってください」と言う。
おかげでここ数日間、ずっと部屋でゴロゴロと過ごしている。

「病院に行って、診てもらえ!」
「いいかげん諦めて、病院に行ってください。」
堂上からも黒子からも、再三通院を促されている。
だが郁はどうしても行く気になれなかった。
郁としては微熱と食欲不振、そして妙に気だるいだけなのだ。
どこかが痛いわけでもないし、多分風邪の類だと思っている。

それに一抹の不安もあった。
万が一にも何か病気が発覚したら。
年齢はアラフォー、もう若くはない。
若い頃と比べて、どうしても身体は衰えていく。
そろそろ大きな病気が見つかったって、おかしくないのだ。

だがついにというべきか。
堂上家に1人の女が現れた。
黒子の高校時代の先輩の旧姓、相田リコ。
今は結婚して日向リコとなっている。

「黒子君に頼まれました。何が何でも郁さんを病院に連れて行けって」
リコは玄関口で高らかにそう宣言した。
堂上がすかさず「すみません。よろしくお願いします」と頭を下げる。
本来なら自分で付き添いたいのだろうが、堂上は今仕事で超多忙なのだ。

「まかせておいて!郁さん!行くよ!」
「え、あの」
「車で来てるから。さぁ急いで!」

考える間も与えず、リコは郁を急き立てた。
郁は言われるままにスッピンにジャージ姿というラフな姿で、リコが運転する車に乗り込む。
そして堂上に見送られ、病院に向かうことになった。

「何かすみません。リコさん。」
「気にしないで。お宅のコインランドリーには充分な見返りを貰ってるからね。」
リコはハンドルを握りながら、カラカラと笑った。
3号店のコインランドリーでは、客に優待サービスを行なっている。
「カフェ・デビルバッツ」で使えるチケットやその他提携している店の割引券。
その中にはリコの夫日向の理髪店や、リコの実家のジムのチケットもある。
衣類を洗濯している間にどうぞご利用くださいというわけだ。
理髪店もジムもこのチケットを持った客足が伸びており、いわゆるウィンウィンの関係だ。

「さっさと診てもらってさ。悪いところあったらサクッと治しちゃおう!」
リコは明るい口調でそう言ってくれる。
郁はその心遣いに感謝している間に、車は病院に到着した。

よし行くぞ、女は度胸!
覚悟を決めた郁は、車を降りた。
ここはリコの言う通り、さっさと終わらせてしまうに限る。
郁は堂上の笑顔を思い出しながら、勇気を振り絞ったのだった。

【続く】
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