アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-1】

【終焉】

「休みをもらいたいんですが。」
阿部と三橋は、2人並んで頭を下げた。
ヒル魔は「何だ、改まって」とパソコンを叩いていた手を止めた。

この「カフェ・デビルバッツ」で長く働いたのは、実は阿部と三橋である。
学生の頃からバイトを始め、卒業後はすぐに正式な従業員となった。
セナがプロのアメフトプレイヤーとして活躍しているときも、ここにいた。
そして全力で、ヒル魔とセナの居場所を守り続けたのだ。

そこから約20年。
2人が自分から休みを自分たちから切り出したのは、実は初めてだったりする。
あまりにレアな出来事に、セナが「へぇぇ」と声を上げたほどだ。
ちなみに閉店後のことであり、郁はすでに帰宅していた。
黒子はキッチンで、みんなが食べた賄い飯の食器を洗っている。

「久しぶりに実家に帰ろうと思いまして。」
「オ、オレ、も、です。」
阿部と三橋は、休む理由をそう伝えた。
2人は10代の頃からの恋人同士で、そのせいで実家とは不仲だった。
同性の恋人を持つことを反対されたのだ。
そこからはこの店が実家なのだと思い、親兄弟とは疎遠になっていた。

だが先日、阿部の弟の旬が、その少し前には三橋の従姉妹の瑠里が店にやって来た。
そして最近の阿部家や三橋家の様子を教えてくれたのだ。
穏やかなその様子に、長い間抱えて来たわだかまりが解けていく。
時が経ったことで、怒りや憎しみは終焉を迎えたのだ。

「いいぞ。2人仲良く骨休めして来い。」
「え?店に迷惑掛かるし、別々に休むつもりなんですが」
「何を言ってる。お前らはそもそも働き過ぎだ。ここらでしっかり休んどけ。」

ヒル魔はそう言いながら、またパソコンに視線を戻した。
阿部と三橋は顔を見合わせる。
だがその瞬間、ガタンと大きな音がした。
驚いた阿部と三橋が視線を戻すと、ヒル魔が床に突っ伏していた。
その拍子に椅子も倒れて、大きな音を立てたのである。

「ヒル魔さん、どうしたんです!?大丈夫ですか!!」
「ヒ、ヒル、魔、さん!」
阿部と三橋は驚き、声を上げる。
身体に爆弾を抱えたヒル魔は、今までに何度かこんな風に倒れたことがある。
その都度、阿部と三橋は混乱し、動揺した。
セナはヒル魔に駆け寄ったものの、声さえ上げられずに呆然と立ち尽くしていた。

「救急車、呼びます!」
いち早く冷静に反応したのは、黒子だった。
店の電話に駆け寄ると、素早く119番をコールする。
そして「誘導しますから」と言い捨て、店前に出た。

程なくして、救急車が駆け付けてきた。
黒子は「こちらです」と、店内に救急隊員を招き入れる。
ヒル魔は意識がないまま、ストレッチャーに乗せられた。
直ちに病院に搬送されることになり、セナが付き添うことになった。

「だい、じょぶ、だよね?」
救急車を見送りながら、三橋がそう言った。
だが今のヒル魔のことを思えば、安易なことは言えない。
阿部は黙ったまま三橋の手を握り、黒子が「祈りましょう」と呟いた。

*****

「何があったんだ?」
救急車が到着する頃には、2階にいた火神も騒ぎを聞きつけて降りて来た。
そして搬送されるヒル魔を見て、ギョッとしている。
その後もただオロオロする火神に、黒子は「病院に行ってきます」と告げた。

深夜に倒れたヒル魔は、救急車で搬送された。
セナも付き添いで、同行した。
そして黒子が入院の荷物をまとめ、病院に行くことになった。
阿部と三橋はそのまま仮眠し、通常通りに店を開ける。
眠れる自信はないが、例え徹夜明けだろうが店を休まない。
それは2人の心意気であり、祈りのようなものだった。

「火神君、いいかな。黒子には話したんだけどさ。」
阿部は黒子を送り出した後、火神に声をかけた。
すぐに三橋がノンカフェインのコーヒーの準備にかかる。
明日のことを思えばさっさと眠るべきだが、今夜はきっと眠れないだろう。
店の奥の席に、阿部と火神が向かい合って座る。
三橋はコーヒーを淹れると、3つのカップをテーブルに置く。
そして阿部の隣に腰を下ろすと、阿部が話を切り出すのを待った。

「ヒル魔さんは治らない病気でね。余命宣告までされてるんだ。」
「ヨメイセンコク?」
「もう長くは生きられないってこと。」

そして阿部はありのままの事実を告げた。
ヒル魔は20代前半で病に倒れ、その時点でもってあと数年と宣告されたこと。
その後、約20年近く生きているが、病気は静かに進行していること。
そしてセナも阿部や三橋も、いつかくるであろう終焉の時のために心の準備をしていることも。

「黒子は何も教えてくれなくて。」
全てを聞き終えた火神は、そう言った。
三橋が「プライベート、だから」とフォローするように取り成した。
阿部も「だな」と頷いた。

「ヒル魔さんがね。火神君には今度発作が起きた時に言えって。」
「何でだよ!?ですか?」
「次の発作が最後かもしれないからって。余計な心配をかけたくなかったんだよ。」

野生の獣のような風貌のくせに涙もろい火神が、ズズッと鼻を啜った。
三橋がそんな火神に「黒子、君、と、仲良く!」と告げる。
いきなりそんなことを言われて、火神はキョトンとした顔になる。
だが三橋の気持ちがわかる阿部は「そうだな」と頷いた。

「黒子と上手くいってないように見えるけど。」
「あ~、まぁ。いろいろあって。」
「オレと三橋もケンカすることあるよ。だけどヒル魔さんたちを見てすぐに止めるんだ。」
「時間、もったいない、から!」

限りある命の中で、精一杯の時間を重ねるヒル魔とセナ。
その2人を前では、ケンカなどしていることがもったいなくなるのだ。
明日会えなくなるかもしれない恋人との時間は、とても大事なものだ。
火神はそれを理解して「そうっすね」と頷いた。

「ヒル魔さん、意識が戻ったそうです。」
黒子は店に戻るなり、待っていた阿部と三橋にそう告げた。
2人ともホッと胸を撫で下ろすと、開店準備に取り掛かる。
黒子もすぐにその準備に加わろうとしたが、ふと手を止めて一緒に待っていた火神を見た。

「ボクたち、もう少し話した方がいいかもしれませんね。」
いつもの通り平坦な言葉には、黒子の想いが詰まっている。
ヒル魔が倒れるところを目の当たりにして、黒子も感じるところがあったのだろう。
火神は「だな」と頷きながら、黒子の顔を見つめた。
そしてこの2人の関係は、この夜から変わり始めることになった。

*****

「ヒル魔さん、まだ退院できないんですか?」
律は心配そうな声で滲ませながら、そう聞いた。
阿部は「最悪な状態は脱したんですけどね」と答えたが、その口調は深刻だった。

ヒル魔が倒れてから、2ヶ月が過ぎた。
常連客の中にも、ヒル魔の入院を知る者が増えてくる。
理由は簡単、セナがずっと付き添っているからだ。
元々いたりいなかったりのヒル魔は、長期不在でもそんなに違和感はない。
だがいつも店にいるセナがいないことで、常連客が「セナ君は?」と聞いてくるのだ。

店は阿部と三橋、そして黒子中心で回していた。
黒木と戸叶がずっとパートに入ってくれている。
無事出産した篠岡も復帰し、夫婦共々頑張っている。
だからセナが抜けたところで、人手不足にはならない。

「でもヒル魔さんとセナ君がいないと寂しいよぉ~!」
程良く酒が回って来た律は、すっかりおなじみのからみ酒を展開し始めた。
今夜は、元エメラルド編集部が集まっている。
高野と律、羽鳥と木佐、美濃。
ここに吉野と雪名、横澤と桐嶋が加わった。
律が小野寺出版に戻る日が決まり、内々の送別会だった。

律が担当した黛千尋の本は、文芸作品としては久しぶりのヒット作となった。
内容もさることながら、あの木島ジンが本名で出した小説というのが話題となったのだ。
良化法を挑発するような物語を書きながら、その素性は一切不明。
その黛が硬派な文体で重厚な物語を綴ったことは、出版界に衝撃を与えた。

「俺も小野寺出版に移る~!」
同じく酔いが回って、とんでもないことを言いだしたのは吉野だった。
羽鳥が抜けた後、律はずっと吉川千春こと吉野の担当だったのだ。
律は慌てて「それはダメです!」と声を上げた。
一千万部を売り上げる漫画家を連れて退社したら、井坂が黙っていないはずだ。
羽鳥が「わがままを言うな!」と諭すが、吉野は「でも~!」と愚図った。

「でも律っちゃん、見事に売り上げたよねぇ。」
「文芸の連中、度肝を抜かれたんじゃない?」
木佐と美濃が顔を見合わせて、そう言った。
すると高野が「そのせいでこいつ、絶賛イジメられ中」と暴露する。
律が「高野さん!」と抗議するが、実際はその通りだった。

いきなり異動した律に、保守的な文芸部員たちは冷ややかだった。
口調こそ丁寧だが、慇懃無礼にあしらわれたという感じだ。
だが黛千尋の本が売れたことで、一変した。
露骨に敵視し、嫌みを言ったり、無視をするようになったのだ。
何もできないと思っていた律が、短期間で実績を上げたことへの嫉妬だろう。

「まぁ仕方ないです。これで凱旋の手土産ができたし、俺としては良しですよ。」
律は笑顔を作り、そう言った。
こんな形で、丸川書店の編集者として終焉を迎える。
それは寂しいことではあるが、律が成し遂げた実績がなくなるわけではない。

「あれ?お父さんと横澤のお兄ちゃん!?」
何となくしんみりした空気になったところに、若い女性の声が割り込んできた。
ちょうど来店した桐嶋の娘、日和が桐嶋と横澤を見つけて、やって来たのだ。

「お父さんたちも飲み会?」
「ああ、お前は食事か。」
「うん。あ、ちょうどよかった。」
日和は笑顔で連れの男性に「ちょっといい?」と声をかけた。
そしてその男に「あたしのお父さんと、恋人の横澤さん」と告げる。
あまりにもぶっちゃけた紹介に驚く桐嶋と横澤に、男は「吉川大河です」と頭を下げた。

「じゃあまたね。みなさん、お邪魔しました!」
日和は頭を下げると、大河と共に離れたテーブルに収まり、楽しそうに何やら喋っている。
それを見つめる桐嶋と横澤は微妙な表情だ。

「な~んか、俺の送別会とかどうでもよくなっちゃってません?」
「まぁ、パパとママとしてはすんなり受け入れられないってとこだな。」
「誰がママだ、誰が!」
律と高野が茶化すと、横澤がわかりやすく文句を言う。
こうしてかつての仲間が集った編集者たちの飲み会は、楽しく過ぎていった。
そしてこの2週間後、小野寺律は丸川書店を退社し、小野寺出版に戻ったのだった。

*****

「あ~、ヒル魔さん!やっと会えた~!」
郁は店に入ってくるなり、ヒル魔の姿を見つけて駆け寄った。
そして「よかったです~!」と涙ぐみ、夫を大いに嫉妬させることになった。

ヒル魔が退院したのは、倒れてから3か月後のことだった。
そして退院後も、しばらくは部屋で寝てばかりだ。
郁は大いに心配した。
その間にも、堂上の転職話は進んでいた。

郁が除隊届を出したときには、緒形は迷いながらも受け取った。
年齢と共に体力は低下した郁は、特殊部隊隊員としては通用しなくなっている。
それでも図書隊に残って欲しいとは思ったが、郁にしてもいろいろ思うところがあるだろう。
図書隊の外に新しい人生を見つけるのもありと思ったのだ。

だが堂上は違った。
メディア良化法が撤廃され、特殊部隊が解体されても、その後の図書隊を支える人材。
玄田や緒形のみならず、上層部の誰もがそう思っていた。
だが堂上は除隊届を出し、次の就職先を決めてしまった。
しかもその先は、ヒル魔と赤司が立ち上げる警備会社だ。
堂上は「カフェ・デビルバッツ」で働きたいと申し出たが、ヒル魔は警備会社を勧めたのだ。

堂上はその申し出を受けた。
正直なところ、仕事はどちらでもよかった。
メディア良化法の終焉が見え始めた今、もう図書隊に未練はない。
それより早く官舎を出たかった。
子供が出来ないと宣告されたことで、郁は苦しんでいる。
妊娠中の毬江や妊活中の柴崎、そして「子供は?」とプレッシャーをかける隊員たち。
そんな場所から、早く郁を連れ出したかったのだ。
警備会社の仕事を選んだのは、そちらの方が給料がいいからだ。

だがそのせいで、玄田たちとは距離ができてしまった。
良化隊員も受け入れるということで、新会社に難色を示していた玄田。
そこへあっさりと堂上が入ったことが面白くなかったようだ。
今はまだ図書隊に籍があり、引継ぎや除隊の手続きの最中だ。
だが他の隊員たちの目が冷やかであることは否めない。

そんな中、堂上と郁は「カフェ・デビルバッツ」に食事に来た。
堂上の公休日に合わせて郁も休みを取り、久しぶりに客としての来店だ。
そこで郁は久しぶりにヒル魔と再会したのだ。
郁は「やっと会えた~!よかったです~!」と涙ぐむ。
堂上はあからさまに嫉妬の表情になったが、当の郁だけはまるで気付いていないようだ。

「図書隊はどうだ?無事に辞められそうか?」
ヒル魔は堂上にそう聞いた。
堂上は「まぁ、何とか」と答える。
これからの人生は本ではなく、郁を守ることに専念する。
未だに何だかんだで図書隊から残留への説得が続いているが、堂上の決意は固かった。

「あれ?ヒル魔さんが戻って来たら、今度は阿部君と廉君がいない?」
セナに案内されながら、郁が首を傾げた。
するとセナは「2人は今、実家に帰ってます」と笑いながら、答える。
彼らは今、ヒル魔の入院のせいで延び延びになっていた里帰り中だ。
3日でいいと言い張る2人に、半ば強引に一週間の休暇を取らせた。
ヒル魔の入院中、店を支えてくれた阿部と三橋へのせめてもの礼だ。

「そんなときに休んじゃってすみません。」
郁は申し訳なさそうにそう言った。
堂上が警備会社で働くことになったとき、郁もどうかという話は出た。
だが郁は「カフェ・デビルバッツ」を選んだ。
理由は単純明快「こっちの方が楽しそうだから」ということだ。

「大丈夫。サービスするから食事を楽しんで下さいね。」
セナは笑顔で、2人を窓際の席に案内した。
せっかくの夫婦水入らずのデート、少しでも楽しくなるように全力を尽くすのだ。

*****

「ついにオープンですね。コインランドリーカジノ。」
セナは窓越しに、道向こうの3号店を見た。
いよいよ開店する店内には、黒子と火神の姿が見えた。

黒子が発案した3号店のコインランドリーカジノ。
店内にはルーレットテーブルやスロットマシン、ピンボールなどが並んでいる。
元々はこのメインダイニングに置かれていたものだ。
店が繁盛したので客席を広くしようということになり、撤去された。
そして長いこと埃をかぶっていたのだが、今回3号店で活用されることになった。

「火神君も手伝ってくれることになったんですね。」
「ああ。それもいいだろ。」
閉店後の店内、ヒル魔とセナは並んで座り、道向こうを見ていた。
里帰りから戻った阿部と三橋は、片づけをしている。
ヒル魔とセナのいい雰囲気を壊さないように、それとなく気を使いながら。

ヒル魔が倒れた後から、黒子と火神の雰囲気は変わった。
何となくツンケンしていたのが角が取れ、今では微妙に甘い。
黒子などは相変わらずの無表情なのに、デレているのがわかるのだ。
ある意味、器用だと感心してしまうほどだ。

「食後のお茶だよ~!」
2人の前にノンカフェインの茶を置いたのは、鈴音だ。
十文字はすでに退職し、警備会社の立ち上げに動いている。
そして2号店のティルームは水谷夫妻に引き継がれ、鈴音はメインダイニングで働いている。

「残念だったな。俺がまた死ななくて。」
ヒル魔は鈴音にそう言ってやる。
だが言葉とは裏腹に優しい口調だ。
セナは「何てこと、言うんですか!」と怒る。
鈴音も「答えに困ること、言わないでよ!」と文句を言った。

十文字と鈴音がこの店で働いていた理由は、ヒル魔とセナを見届けることだった。
そしてヒル魔が最期を迎えた後のセナと恋に堕ちたいと、真剣に願っていたのだ。
だが十文字はそれを待たずに、ここを去った。
つまりセナのことを諦めたのだ。

だが鈴音はまだここにいる。
ヒル魔がいなくなっても、セナはヒル魔を愛し続ける。
そのことはわかり過ぎるほどわかっており、分のない勝負だ。
でもそれでも諦めない。諦めきれない。

「でもやっぱり妖ー兄には生きていてほしいと思うよ。」
鈴音は真面目な表情で、自分の気持ちを伝えた。
セナは「そうだね」と頷き、ヒル魔は「ケッ」と声を上げた。
いつになくヒル魔が照れている。
だが鈴音は茶化すことなく、そっとテーブルを離れた。

「まだ死ねねーな。見届けたいモンもあるし。」
ヒル魔は茶を啜りながら、そう言った。
堂上や十文字たちが働く警備会社や、黒子が始める3号店
小野寺出版に移った律のことだって、気にかかる。
関わる人々の未来を、もう少し見ていたい。

「そうですね。まだまだですね。」
セナも茶を一口啜ると、ヒル魔の肩にそっと頭を乗せた。
2人の恋物語の終焉は、もう少し先のようだ。

【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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