アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-1】
【終焉】
「休みをもらいたいんですが。」
阿部と三橋は、2人並んで頭を下げた。
ヒル魔は「何だ、改まって」とパソコンを叩いていた手を止めた。
この「カフェ・デビルバッツ」で長く働いたのは、実は阿部と三橋である。
学生の頃からバイトを始め、卒業後はすぐに正式な従業員となった。
セナがプロのアメフトプレイヤーとして活躍しているときも、ここにいた。
そして全力で、ヒル魔とセナの居場所を守り続けたのだ。
そこから約20年。
2人が自分から休みを自分たちから切り出したのは、実は初めてだったりする。
あまりにレアな出来事に、セナが「へぇぇ」と声を上げたほどだ。
ちなみに閉店後のことであり、郁はすでに帰宅していた。
黒子はキッチンで、みんなが食べた賄い飯の食器を洗っている。
「久しぶりに実家に帰ろうと思いまして。」
「オ、オレ、も、です。」
阿部と三橋は、休む理由をそう伝えた。
2人は10代の頃からの恋人同士で、そのせいで実家とは不仲だった。
同性の恋人を持つことを反対されたのだ。
そこからはこの店が実家なのだと思い、親兄弟とは疎遠になっていた。
だが先日、阿部の弟の旬が、その少し前には三橋の従姉妹の瑠里が店にやって来た。
そして最近の阿部家や三橋家の様子を教えてくれたのだ。
穏やかなその様子に、長い間抱えて来たわだかまりが解けていく。
時が経ったことで、怒りや憎しみは終焉を迎えたのだ。
「いいぞ。2人仲良く骨休めして来い。」
「え?店に迷惑掛かるし、別々に休むつもりなんですが」
「何を言ってる。お前らはそもそも働き過ぎだ。ここらでしっかり休んどけ。」
ヒル魔はそう言いながら、またパソコンに視線を戻した。
阿部と三橋は顔を見合わせる。
だがその瞬間、ガタンと大きな音がした。
驚いた阿部と三橋が視線を戻すと、ヒル魔が床に突っ伏していた。
その拍子に椅子も倒れて、大きな音を立てたのである。
「ヒル魔さん、どうしたんです!?大丈夫ですか!!」
「ヒ、ヒル、魔、さん!」
阿部と三橋は驚き、声を上げる。
身体に爆弾を抱えたヒル魔は、今までに何度かこんな風に倒れたことがある。
その都度、阿部と三橋は混乱し、動揺した。
セナはヒル魔に駆け寄ったものの、声さえ上げられずに呆然と立ち尽くしていた。
「救急車、呼びます!」
いち早く冷静に反応したのは、黒子だった。
店の電話に駆け寄ると、素早く119番をコールする。
そして「誘導しますから」と言い捨て、店前に出た。
程なくして、救急車が駆け付けてきた。
黒子は「こちらです」と、店内に救急隊員を招き入れる。
ヒル魔は意識がないまま、ストレッチャーに乗せられた。
直ちに病院に搬送されることになり、セナが付き添うことになった。
「だい、じょぶ、だよね?」
救急車を見送りながら、三橋がそう言った。
だが今のヒル魔のことを思えば、安易なことは言えない。
阿部は黙ったまま三橋の手を握り、黒子が「祈りましょう」と呟いた。
*****
「何があったんだ?」
救急車が到着する頃には、2階にいた火神も騒ぎを聞きつけて降りて来た。
そして搬送されるヒル魔を見て、ギョッとしている。
その後もただオロオロする火神に、黒子は「病院に行ってきます」と告げた。
深夜に倒れたヒル魔は、救急車で搬送された。
セナも付き添いで、同行した。
そして黒子が入院の荷物をまとめ、病院に行くことになった。
阿部と三橋はそのまま仮眠し、通常通りに店を開ける。
眠れる自信はないが、例え徹夜明けだろうが店を休まない。
それは2人の心意気であり、祈りのようなものだった。
「火神君、いいかな。黒子には話したんだけどさ。」
阿部は黒子を送り出した後、火神に声をかけた。
すぐに三橋がノンカフェインのコーヒーの準備にかかる。
明日のことを思えばさっさと眠るべきだが、今夜はきっと眠れないだろう。
店の奥の席に、阿部と火神が向かい合って座る。
三橋はコーヒーを淹れると、3つのカップをテーブルに置く。
そして阿部の隣に腰を下ろすと、阿部が話を切り出すのを待った。
「ヒル魔さんは治らない病気でね。余命宣告までされてるんだ。」
「ヨメイセンコク?」
「もう長くは生きられないってこと。」
そして阿部はありのままの事実を告げた。
ヒル魔は20代前半で病に倒れ、その時点でもってあと数年と宣告されたこと。
その後、約20年近く生きているが、病気は静かに進行していること。
そしてセナも阿部や三橋も、いつかくるであろう終焉の時のために心の準備をしていることも。
「黒子は何も教えてくれなくて。」
全てを聞き終えた火神は、そう言った。
三橋が「プライベート、だから」とフォローするように取り成した。
阿部も「だな」と頷いた。
「ヒル魔さんがね。火神君には今度発作が起きた時に言えって。」
「何でだよ!?ですか?」
「次の発作が最後かもしれないからって。余計な心配をかけたくなかったんだよ。」
野生の獣のような風貌のくせに涙もろい火神が、ズズッと鼻を啜った。
三橋がそんな火神に「黒子、君、と、仲良く!」と告げる。
いきなりそんなことを言われて、火神はキョトンとした顔になる。
だが三橋の気持ちがわかる阿部は「そうだな」と頷いた。
「黒子と上手くいってないように見えるけど。」
「あ~、まぁ。いろいろあって。」
「オレと三橋もケンカすることあるよ。だけどヒル魔さんたちを見てすぐに止めるんだ。」
「時間、もったいない、から!」
限りある命の中で、精一杯の時間を重ねるヒル魔とセナ。
その2人を前では、ケンカなどしていることがもったいなくなるのだ。
明日会えなくなるかもしれない恋人との時間は、とても大事なものだ。
火神はそれを理解して「そうっすね」と頷いた。
「ヒル魔さん、意識が戻ったそうです。」
黒子は店に戻るなり、待っていた阿部と三橋にそう告げた。
2人ともホッと胸を撫で下ろすと、開店準備に取り掛かる。
黒子もすぐにその準備に加わろうとしたが、ふと手を止めて一緒に待っていた火神を見た。
「ボクたち、もう少し話した方がいいかもしれませんね。」
いつもの通り平坦な言葉には、黒子の想いが詰まっている。
ヒル魔が倒れるところを目の当たりにして、黒子も感じるところがあったのだろう。
火神は「だな」と頷きながら、黒子の顔を見つめた。
そしてこの2人の関係は、この夜から変わり始めることになった。
*****
「ヒル魔さん、まだ退院できないんですか?」
律は心配そうな声で滲ませながら、そう聞いた。
阿部は「最悪な状態は脱したんですけどね」と答えたが、その口調は深刻だった。
ヒル魔が倒れてから、2ヶ月が過ぎた。
常連客の中にも、ヒル魔の入院を知る者が増えてくる。
理由は簡単、セナがずっと付き添っているからだ。
元々いたりいなかったりのヒル魔は、長期不在でもそんなに違和感はない。
だがいつも店にいるセナがいないことで、常連客が「セナ君は?」と聞いてくるのだ。
店は阿部と三橋、そして黒子中心で回していた。
黒木と戸叶がずっとパートに入ってくれている。
無事出産した篠岡も復帰し、夫婦共々頑張っている。
だからセナが抜けたところで、人手不足にはならない。
「でもヒル魔さんとセナ君がいないと寂しいよぉ~!」
程良く酒が回って来た律は、すっかりおなじみのからみ酒を展開し始めた。
今夜は、元エメラルド編集部が集まっている。
高野と律、羽鳥と木佐、美濃。
ここに吉野と雪名、横澤と桐嶋が加わった。
律が小野寺出版に戻る日が決まり、内々の送別会だった。
律が担当した黛千尋の本は、文芸作品としては久しぶりのヒット作となった。
内容もさることながら、あの木島ジンが本名で出した小説というのが話題となったのだ。
良化法を挑発するような物語を書きながら、その素性は一切不明。
その黛が硬派な文体で重厚な物語を綴ったことは、出版界に衝撃を与えた。
「俺も小野寺出版に移る~!」
同じく酔いが回って、とんでもないことを言いだしたのは吉野だった。
羽鳥が抜けた後、律はずっと吉川千春こと吉野の担当だったのだ。
律は慌てて「それはダメです!」と声を上げた。
一千万部を売り上げる漫画家を連れて退社したら、井坂が黙っていないはずだ。
羽鳥が「わがままを言うな!」と諭すが、吉野は「でも~!」と愚図った。
「でも律っちゃん、見事に売り上げたよねぇ。」
「文芸の連中、度肝を抜かれたんじゃない?」
木佐と美濃が顔を見合わせて、そう言った。
すると高野が「そのせいでこいつ、絶賛イジメられ中」と暴露する。
律が「高野さん!」と抗議するが、実際はその通りだった。
いきなり異動した律に、保守的な文芸部員たちは冷ややかだった。
口調こそ丁寧だが、慇懃無礼にあしらわれたという感じだ。
だが黛千尋の本が売れたことで、一変した。
露骨に敵視し、嫌みを言ったり、無視をするようになったのだ。
何もできないと思っていた律が、短期間で実績を上げたことへの嫉妬だろう。
「まぁ仕方ないです。これで凱旋の手土産ができたし、俺としては良しですよ。」
律は笑顔を作り、そう言った。
こんな形で、丸川書店の編集者として終焉を迎える。
それは寂しいことではあるが、律が成し遂げた実績がなくなるわけではない。
「あれ?お父さんと横澤のお兄ちゃん!?」
何となくしんみりした空気になったところに、若い女性の声が割り込んできた。
ちょうど来店した桐嶋の娘、日和が桐嶋と横澤を見つけて、やって来たのだ。
「お父さんたちも飲み会?」
「ああ、お前は食事か。」
「うん。あ、ちょうどよかった。」
日和は笑顔で連れの男性に「ちょっといい?」と声をかけた。
そしてその男に「あたしのお父さんと、恋人の横澤さん」と告げる。
あまりにもぶっちゃけた紹介に驚く桐嶋と横澤に、男は「吉川大河です」と頭を下げた。
「じゃあまたね。みなさん、お邪魔しました!」
日和は頭を下げると、大河と共に離れたテーブルに収まり、楽しそうに何やら喋っている。
それを見つめる桐嶋と横澤は微妙な表情だ。
「な~んか、俺の送別会とかどうでもよくなっちゃってません?」
「まぁ、パパとママとしてはすんなり受け入れられないってとこだな。」
「誰がママだ、誰が!」
律と高野が茶化すと、横澤がわかりやすく文句を言う。
こうしてかつての仲間が集った編集者たちの飲み会は、楽しく過ぎていった。
そしてこの2週間後、小野寺律は丸川書店を退社し、小野寺出版に戻ったのだった。
*****
「あ~、ヒル魔さん!やっと会えた~!」
郁は店に入ってくるなり、ヒル魔の姿を見つけて駆け寄った。
そして「よかったです~!」と涙ぐみ、夫を大いに嫉妬させることになった。
ヒル魔が退院したのは、倒れてから3か月後のことだった。
そして退院後も、しばらくは部屋で寝てばかりだ。
郁は大いに心配した。
その間にも、堂上の転職話は進んでいた。
郁が除隊届を出したときには、緒形は迷いながらも受け取った。
年齢と共に体力は低下した郁は、特殊部隊隊員としては通用しなくなっている。
それでも図書隊に残って欲しいとは思ったが、郁にしてもいろいろ思うところがあるだろう。
図書隊の外に新しい人生を見つけるのもありと思ったのだ。
だが堂上は違った。
メディア良化法が撤廃され、特殊部隊が解体されても、その後の図書隊を支える人材。
玄田や緒形のみならず、上層部の誰もがそう思っていた。
だが堂上は除隊届を出し、次の就職先を決めてしまった。
しかもその先は、ヒル魔と赤司が立ち上げる警備会社だ。
堂上は「カフェ・デビルバッツ」で働きたいと申し出たが、ヒル魔は警備会社を勧めたのだ。
堂上はその申し出を受けた。
正直なところ、仕事はどちらでもよかった。
メディア良化法の終焉が見え始めた今、もう図書隊に未練はない。
それより早く官舎を出たかった。
子供が出来ないと宣告されたことで、郁は苦しんでいる。
妊娠中の毬江や妊活中の柴崎、そして「子供は?」とプレッシャーをかける隊員たち。
そんな場所から、早く郁を連れ出したかったのだ。
警備会社の仕事を選んだのは、そちらの方が給料がいいからだ。
だがそのせいで、玄田たちとは距離ができてしまった。
良化隊員も受け入れるということで、新会社に難色を示していた玄田。
そこへあっさりと堂上が入ったことが面白くなかったようだ。
今はまだ図書隊に籍があり、引継ぎや除隊の手続きの最中だ。
だが他の隊員たちの目が冷やかであることは否めない。
そんな中、堂上と郁は「カフェ・デビルバッツ」に食事に来た。
堂上の公休日に合わせて郁も休みを取り、久しぶりに客としての来店だ。
そこで郁は久しぶりにヒル魔と再会したのだ。
郁は「やっと会えた~!よかったです~!」と涙ぐむ。
堂上はあからさまに嫉妬の表情になったが、当の郁だけはまるで気付いていないようだ。
「図書隊はどうだ?無事に辞められそうか?」
ヒル魔は堂上にそう聞いた。
堂上は「まぁ、何とか」と答える。
これからの人生は本ではなく、郁を守ることに専念する。
未だに何だかんだで図書隊から残留への説得が続いているが、堂上の決意は固かった。
「あれ?ヒル魔さんが戻って来たら、今度は阿部君と廉君がいない?」
セナに案内されながら、郁が首を傾げた。
するとセナは「2人は今、実家に帰ってます」と笑いながら、答える。
彼らは今、ヒル魔の入院のせいで延び延びになっていた里帰り中だ。
3日でいいと言い張る2人に、半ば強引に一週間の休暇を取らせた。
ヒル魔の入院中、店を支えてくれた阿部と三橋へのせめてもの礼だ。
「そんなときに休んじゃってすみません。」
郁は申し訳なさそうにそう言った。
堂上が警備会社で働くことになったとき、郁もどうかという話は出た。
だが郁は「カフェ・デビルバッツ」を選んだ。
理由は単純明快「こっちの方が楽しそうだから」ということだ。
「大丈夫。サービスするから食事を楽しんで下さいね。」
セナは笑顔で、2人を窓際の席に案内した。
せっかくの夫婦水入らずのデート、少しでも楽しくなるように全力を尽くすのだ。
*****
「ついにオープンですね。コインランドリーカジノ。」
セナは窓越しに、道向こうの3号店を見た。
いよいよ開店する店内には、黒子と火神の姿が見えた。
黒子が発案した3号店のコインランドリーカジノ。
店内にはルーレットテーブルやスロットマシン、ピンボールなどが並んでいる。
元々はこのメインダイニングに置かれていたものだ。
店が繁盛したので客席を広くしようということになり、撤去された。
そして長いこと埃をかぶっていたのだが、今回3号店で活用されることになった。
「火神君も手伝ってくれることになったんですね。」
「ああ。それもいいだろ。」
閉店後の店内、ヒル魔とセナは並んで座り、道向こうを見ていた。
里帰りから戻った阿部と三橋は、片づけをしている。
ヒル魔とセナのいい雰囲気を壊さないように、それとなく気を使いながら。
ヒル魔が倒れた後から、黒子と火神の雰囲気は変わった。
何となくツンケンしていたのが角が取れ、今では微妙に甘い。
黒子などは相変わらずの無表情なのに、デレているのがわかるのだ。
ある意味、器用だと感心してしまうほどだ。
「食後のお茶だよ~!」
2人の前にノンカフェインの茶を置いたのは、鈴音だ。
十文字はすでに退職し、警備会社の立ち上げに動いている。
そして2号店のティルームは水谷夫妻に引き継がれ、鈴音はメインダイニングで働いている。
「残念だったな。俺がまた死ななくて。」
ヒル魔は鈴音にそう言ってやる。
だが言葉とは裏腹に優しい口調だ。
セナは「何てこと、言うんですか!」と怒る。
鈴音も「答えに困ること、言わないでよ!」と文句を言った。
十文字と鈴音がこの店で働いていた理由は、ヒル魔とセナを見届けることだった。
そしてヒル魔が最期を迎えた後のセナと恋に堕ちたいと、真剣に願っていたのだ。
だが十文字はそれを待たずに、ここを去った。
つまりセナのことを諦めたのだ。
だが鈴音はまだここにいる。
ヒル魔がいなくなっても、セナはヒル魔を愛し続ける。
そのことはわかり過ぎるほどわかっており、分のない勝負だ。
でもそれでも諦めない。諦めきれない。
「でもやっぱり妖ー兄には生きていてほしいと思うよ。」
鈴音は真面目な表情で、自分の気持ちを伝えた。
セナは「そうだね」と頷き、ヒル魔は「ケッ」と声を上げた。
いつになくヒル魔が照れている。
だが鈴音は茶化すことなく、そっとテーブルを離れた。
「まだ死ねねーな。見届けたいモンもあるし。」
ヒル魔は茶を啜りながら、そう言った。
堂上や十文字たちが働く警備会社や、黒子が始める3号店
小野寺出版に移った律のことだって、気にかかる。
関わる人々の未来を、もう少し見ていたい。
「そうですね。まだまだですね。」
セナも茶を一口啜ると、ヒル魔の肩にそっと頭を乗せた。
2人の恋物語の終焉は、もう少し先のようだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
「休みをもらいたいんですが。」
阿部と三橋は、2人並んで頭を下げた。
ヒル魔は「何だ、改まって」とパソコンを叩いていた手を止めた。
この「カフェ・デビルバッツ」で長く働いたのは、実は阿部と三橋である。
学生の頃からバイトを始め、卒業後はすぐに正式な従業員となった。
セナがプロのアメフトプレイヤーとして活躍しているときも、ここにいた。
そして全力で、ヒル魔とセナの居場所を守り続けたのだ。
そこから約20年。
2人が自分から休みを自分たちから切り出したのは、実は初めてだったりする。
あまりにレアな出来事に、セナが「へぇぇ」と声を上げたほどだ。
ちなみに閉店後のことであり、郁はすでに帰宅していた。
黒子はキッチンで、みんなが食べた賄い飯の食器を洗っている。
「久しぶりに実家に帰ろうと思いまして。」
「オ、オレ、も、です。」
阿部と三橋は、休む理由をそう伝えた。
2人は10代の頃からの恋人同士で、そのせいで実家とは不仲だった。
同性の恋人を持つことを反対されたのだ。
そこからはこの店が実家なのだと思い、親兄弟とは疎遠になっていた。
だが先日、阿部の弟の旬が、その少し前には三橋の従姉妹の瑠里が店にやって来た。
そして最近の阿部家や三橋家の様子を教えてくれたのだ。
穏やかなその様子に、長い間抱えて来たわだかまりが解けていく。
時が経ったことで、怒りや憎しみは終焉を迎えたのだ。
「いいぞ。2人仲良く骨休めして来い。」
「え?店に迷惑掛かるし、別々に休むつもりなんですが」
「何を言ってる。お前らはそもそも働き過ぎだ。ここらでしっかり休んどけ。」
ヒル魔はそう言いながら、またパソコンに視線を戻した。
阿部と三橋は顔を見合わせる。
だがその瞬間、ガタンと大きな音がした。
驚いた阿部と三橋が視線を戻すと、ヒル魔が床に突っ伏していた。
その拍子に椅子も倒れて、大きな音を立てたのである。
「ヒル魔さん、どうしたんです!?大丈夫ですか!!」
「ヒ、ヒル、魔、さん!」
阿部と三橋は驚き、声を上げる。
身体に爆弾を抱えたヒル魔は、今までに何度かこんな風に倒れたことがある。
その都度、阿部と三橋は混乱し、動揺した。
セナはヒル魔に駆け寄ったものの、声さえ上げられずに呆然と立ち尽くしていた。
「救急車、呼びます!」
いち早く冷静に反応したのは、黒子だった。
店の電話に駆け寄ると、素早く119番をコールする。
そして「誘導しますから」と言い捨て、店前に出た。
程なくして、救急車が駆け付けてきた。
黒子は「こちらです」と、店内に救急隊員を招き入れる。
ヒル魔は意識がないまま、ストレッチャーに乗せられた。
直ちに病院に搬送されることになり、セナが付き添うことになった。
「だい、じょぶ、だよね?」
救急車を見送りながら、三橋がそう言った。
だが今のヒル魔のことを思えば、安易なことは言えない。
阿部は黙ったまま三橋の手を握り、黒子が「祈りましょう」と呟いた。
*****
「何があったんだ?」
救急車が到着する頃には、2階にいた火神も騒ぎを聞きつけて降りて来た。
そして搬送されるヒル魔を見て、ギョッとしている。
その後もただオロオロする火神に、黒子は「病院に行ってきます」と告げた。
深夜に倒れたヒル魔は、救急車で搬送された。
セナも付き添いで、同行した。
そして黒子が入院の荷物をまとめ、病院に行くことになった。
阿部と三橋はそのまま仮眠し、通常通りに店を開ける。
眠れる自信はないが、例え徹夜明けだろうが店を休まない。
それは2人の心意気であり、祈りのようなものだった。
「火神君、いいかな。黒子には話したんだけどさ。」
阿部は黒子を送り出した後、火神に声をかけた。
すぐに三橋がノンカフェインのコーヒーの準備にかかる。
明日のことを思えばさっさと眠るべきだが、今夜はきっと眠れないだろう。
店の奥の席に、阿部と火神が向かい合って座る。
三橋はコーヒーを淹れると、3つのカップをテーブルに置く。
そして阿部の隣に腰を下ろすと、阿部が話を切り出すのを待った。
「ヒル魔さんは治らない病気でね。余命宣告までされてるんだ。」
「ヨメイセンコク?」
「もう長くは生きられないってこと。」
そして阿部はありのままの事実を告げた。
ヒル魔は20代前半で病に倒れ、その時点でもってあと数年と宣告されたこと。
その後、約20年近く生きているが、病気は静かに進行していること。
そしてセナも阿部や三橋も、いつかくるであろう終焉の時のために心の準備をしていることも。
「黒子は何も教えてくれなくて。」
全てを聞き終えた火神は、そう言った。
三橋が「プライベート、だから」とフォローするように取り成した。
阿部も「だな」と頷いた。
「ヒル魔さんがね。火神君には今度発作が起きた時に言えって。」
「何でだよ!?ですか?」
「次の発作が最後かもしれないからって。余計な心配をかけたくなかったんだよ。」
野生の獣のような風貌のくせに涙もろい火神が、ズズッと鼻を啜った。
三橋がそんな火神に「黒子、君、と、仲良く!」と告げる。
いきなりそんなことを言われて、火神はキョトンとした顔になる。
だが三橋の気持ちがわかる阿部は「そうだな」と頷いた。
「黒子と上手くいってないように見えるけど。」
「あ~、まぁ。いろいろあって。」
「オレと三橋もケンカすることあるよ。だけどヒル魔さんたちを見てすぐに止めるんだ。」
「時間、もったいない、から!」
限りある命の中で、精一杯の時間を重ねるヒル魔とセナ。
その2人を前では、ケンカなどしていることがもったいなくなるのだ。
明日会えなくなるかもしれない恋人との時間は、とても大事なものだ。
火神はそれを理解して「そうっすね」と頷いた。
「ヒル魔さん、意識が戻ったそうです。」
黒子は店に戻るなり、待っていた阿部と三橋にそう告げた。
2人ともホッと胸を撫で下ろすと、開店準備に取り掛かる。
黒子もすぐにその準備に加わろうとしたが、ふと手を止めて一緒に待っていた火神を見た。
「ボクたち、もう少し話した方がいいかもしれませんね。」
いつもの通り平坦な言葉には、黒子の想いが詰まっている。
ヒル魔が倒れるところを目の当たりにして、黒子も感じるところがあったのだろう。
火神は「だな」と頷きながら、黒子の顔を見つめた。
そしてこの2人の関係は、この夜から変わり始めることになった。
*****
「ヒル魔さん、まだ退院できないんですか?」
律は心配そうな声で滲ませながら、そう聞いた。
阿部は「最悪な状態は脱したんですけどね」と答えたが、その口調は深刻だった。
ヒル魔が倒れてから、2ヶ月が過ぎた。
常連客の中にも、ヒル魔の入院を知る者が増えてくる。
理由は簡単、セナがずっと付き添っているからだ。
元々いたりいなかったりのヒル魔は、長期不在でもそんなに違和感はない。
だがいつも店にいるセナがいないことで、常連客が「セナ君は?」と聞いてくるのだ。
店は阿部と三橋、そして黒子中心で回していた。
黒木と戸叶がずっとパートに入ってくれている。
無事出産した篠岡も復帰し、夫婦共々頑張っている。
だからセナが抜けたところで、人手不足にはならない。
「でもヒル魔さんとセナ君がいないと寂しいよぉ~!」
程良く酒が回って来た律は、すっかりおなじみのからみ酒を展開し始めた。
今夜は、元エメラルド編集部が集まっている。
高野と律、羽鳥と木佐、美濃。
ここに吉野と雪名、横澤と桐嶋が加わった。
律が小野寺出版に戻る日が決まり、内々の送別会だった。
律が担当した黛千尋の本は、文芸作品としては久しぶりのヒット作となった。
内容もさることながら、あの木島ジンが本名で出した小説というのが話題となったのだ。
良化法を挑発するような物語を書きながら、その素性は一切不明。
その黛が硬派な文体で重厚な物語を綴ったことは、出版界に衝撃を与えた。
「俺も小野寺出版に移る~!」
同じく酔いが回って、とんでもないことを言いだしたのは吉野だった。
羽鳥が抜けた後、律はずっと吉川千春こと吉野の担当だったのだ。
律は慌てて「それはダメです!」と声を上げた。
一千万部を売り上げる漫画家を連れて退社したら、井坂が黙っていないはずだ。
羽鳥が「わがままを言うな!」と諭すが、吉野は「でも~!」と愚図った。
「でも律っちゃん、見事に売り上げたよねぇ。」
「文芸の連中、度肝を抜かれたんじゃない?」
木佐と美濃が顔を見合わせて、そう言った。
すると高野が「そのせいでこいつ、絶賛イジメられ中」と暴露する。
律が「高野さん!」と抗議するが、実際はその通りだった。
いきなり異動した律に、保守的な文芸部員たちは冷ややかだった。
口調こそ丁寧だが、慇懃無礼にあしらわれたという感じだ。
だが黛千尋の本が売れたことで、一変した。
露骨に敵視し、嫌みを言ったり、無視をするようになったのだ。
何もできないと思っていた律が、短期間で実績を上げたことへの嫉妬だろう。
「まぁ仕方ないです。これで凱旋の手土産ができたし、俺としては良しですよ。」
律は笑顔を作り、そう言った。
こんな形で、丸川書店の編集者として終焉を迎える。
それは寂しいことではあるが、律が成し遂げた実績がなくなるわけではない。
「あれ?お父さんと横澤のお兄ちゃん!?」
何となくしんみりした空気になったところに、若い女性の声が割り込んできた。
ちょうど来店した桐嶋の娘、日和が桐嶋と横澤を見つけて、やって来たのだ。
「お父さんたちも飲み会?」
「ああ、お前は食事か。」
「うん。あ、ちょうどよかった。」
日和は笑顔で連れの男性に「ちょっといい?」と声をかけた。
そしてその男に「あたしのお父さんと、恋人の横澤さん」と告げる。
あまりにもぶっちゃけた紹介に驚く桐嶋と横澤に、男は「吉川大河です」と頭を下げた。
「じゃあまたね。みなさん、お邪魔しました!」
日和は頭を下げると、大河と共に離れたテーブルに収まり、楽しそうに何やら喋っている。
それを見つめる桐嶋と横澤は微妙な表情だ。
「な~んか、俺の送別会とかどうでもよくなっちゃってません?」
「まぁ、パパとママとしてはすんなり受け入れられないってとこだな。」
「誰がママだ、誰が!」
律と高野が茶化すと、横澤がわかりやすく文句を言う。
こうしてかつての仲間が集った編集者たちの飲み会は、楽しく過ぎていった。
そしてこの2週間後、小野寺律は丸川書店を退社し、小野寺出版に戻ったのだった。
*****
「あ~、ヒル魔さん!やっと会えた~!」
郁は店に入ってくるなり、ヒル魔の姿を見つけて駆け寄った。
そして「よかったです~!」と涙ぐみ、夫を大いに嫉妬させることになった。
ヒル魔が退院したのは、倒れてから3か月後のことだった。
そして退院後も、しばらくは部屋で寝てばかりだ。
郁は大いに心配した。
その間にも、堂上の転職話は進んでいた。
郁が除隊届を出したときには、緒形は迷いながらも受け取った。
年齢と共に体力は低下した郁は、特殊部隊隊員としては通用しなくなっている。
それでも図書隊に残って欲しいとは思ったが、郁にしてもいろいろ思うところがあるだろう。
図書隊の外に新しい人生を見つけるのもありと思ったのだ。
だが堂上は違った。
メディア良化法が撤廃され、特殊部隊が解体されても、その後の図書隊を支える人材。
玄田や緒形のみならず、上層部の誰もがそう思っていた。
だが堂上は除隊届を出し、次の就職先を決めてしまった。
しかもその先は、ヒル魔と赤司が立ち上げる警備会社だ。
堂上は「カフェ・デビルバッツ」で働きたいと申し出たが、ヒル魔は警備会社を勧めたのだ。
堂上はその申し出を受けた。
正直なところ、仕事はどちらでもよかった。
メディア良化法の終焉が見え始めた今、もう図書隊に未練はない。
それより早く官舎を出たかった。
子供が出来ないと宣告されたことで、郁は苦しんでいる。
妊娠中の毬江や妊活中の柴崎、そして「子供は?」とプレッシャーをかける隊員たち。
そんな場所から、早く郁を連れ出したかったのだ。
警備会社の仕事を選んだのは、そちらの方が給料がいいからだ。
だがそのせいで、玄田たちとは距離ができてしまった。
良化隊員も受け入れるということで、新会社に難色を示していた玄田。
そこへあっさりと堂上が入ったことが面白くなかったようだ。
今はまだ図書隊に籍があり、引継ぎや除隊の手続きの最中だ。
だが他の隊員たちの目が冷やかであることは否めない。
そんな中、堂上と郁は「カフェ・デビルバッツ」に食事に来た。
堂上の公休日に合わせて郁も休みを取り、久しぶりに客としての来店だ。
そこで郁は久しぶりにヒル魔と再会したのだ。
郁は「やっと会えた~!よかったです~!」と涙ぐむ。
堂上はあからさまに嫉妬の表情になったが、当の郁だけはまるで気付いていないようだ。
「図書隊はどうだ?無事に辞められそうか?」
ヒル魔は堂上にそう聞いた。
堂上は「まぁ、何とか」と答える。
これからの人生は本ではなく、郁を守ることに専念する。
未だに何だかんだで図書隊から残留への説得が続いているが、堂上の決意は固かった。
「あれ?ヒル魔さんが戻って来たら、今度は阿部君と廉君がいない?」
セナに案内されながら、郁が首を傾げた。
するとセナは「2人は今、実家に帰ってます」と笑いながら、答える。
彼らは今、ヒル魔の入院のせいで延び延びになっていた里帰り中だ。
3日でいいと言い張る2人に、半ば強引に一週間の休暇を取らせた。
ヒル魔の入院中、店を支えてくれた阿部と三橋へのせめてもの礼だ。
「そんなときに休んじゃってすみません。」
郁は申し訳なさそうにそう言った。
堂上が警備会社で働くことになったとき、郁もどうかという話は出た。
だが郁は「カフェ・デビルバッツ」を選んだ。
理由は単純明快「こっちの方が楽しそうだから」ということだ。
「大丈夫。サービスするから食事を楽しんで下さいね。」
セナは笑顔で、2人を窓際の席に案内した。
せっかくの夫婦水入らずのデート、少しでも楽しくなるように全力を尽くすのだ。
*****
「ついにオープンですね。コインランドリーカジノ。」
セナは窓越しに、道向こうの3号店を見た。
いよいよ開店する店内には、黒子と火神の姿が見えた。
黒子が発案した3号店のコインランドリーカジノ。
店内にはルーレットテーブルやスロットマシン、ピンボールなどが並んでいる。
元々はこのメインダイニングに置かれていたものだ。
店が繁盛したので客席を広くしようということになり、撤去された。
そして長いこと埃をかぶっていたのだが、今回3号店で活用されることになった。
「火神君も手伝ってくれることになったんですね。」
「ああ。それもいいだろ。」
閉店後の店内、ヒル魔とセナは並んで座り、道向こうを見ていた。
里帰りから戻った阿部と三橋は、片づけをしている。
ヒル魔とセナのいい雰囲気を壊さないように、それとなく気を使いながら。
ヒル魔が倒れた後から、黒子と火神の雰囲気は変わった。
何となくツンケンしていたのが角が取れ、今では微妙に甘い。
黒子などは相変わらずの無表情なのに、デレているのがわかるのだ。
ある意味、器用だと感心してしまうほどだ。
「食後のお茶だよ~!」
2人の前にノンカフェインの茶を置いたのは、鈴音だ。
十文字はすでに退職し、警備会社の立ち上げに動いている。
そして2号店のティルームは水谷夫妻に引き継がれ、鈴音はメインダイニングで働いている。
「残念だったな。俺がまた死ななくて。」
ヒル魔は鈴音にそう言ってやる。
だが言葉とは裏腹に優しい口調だ。
セナは「何てこと、言うんですか!」と怒る。
鈴音も「答えに困ること、言わないでよ!」と文句を言った。
十文字と鈴音がこの店で働いていた理由は、ヒル魔とセナを見届けることだった。
そしてヒル魔が最期を迎えた後のセナと恋に堕ちたいと、真剣に願っていたのだ。
だが十文字はそれを待たずに、ここを去った。
つまりセナのことを諦めたのだ。
だが鈴音はまだここにいる。
ヒル魔がいなくなっても、セナはヒル魔を愛し続ける。
そのことはわかり過ぎるほどわかっており、分のない勝負だ。
でもそれでも諦めない。諦めきれない。
「でもやっぱり妖ー兄には生きていてほしいと思うよ。」
鈴音は真面目な表情で、自分の気持ちを伝えた。
セナは「そうだね」と頷き、ヒル魔は「ケッ」と声を上げた。
いつになくヒル魔が照れている。
だが鈴音は茶化すことなく、そっとテーブルを離れた。
「まだ死ねねーな。見届けたいモンもあるし。」
ヒル魔は茶を啜りながら、そう言った。
堂上や十文字たちが働く警備会社や、黒子が始める3号店
小野寺出版に移った律のことだって、気にかかる。
関わる人々の未来を、もう少し見ていたい。
「そうですね。まだまだですね。」
セナも茶を一口啜ると、ヒル魔の肩にそっと頭を乗せた。
2人の恋物語の終焉は、もう少し先のようだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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