アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-1】

【固定観念】

「いい店だな。」
すっかり社長の貫録が板についた男が、店内を見回しながらそう言った。
高野は「よかったです。気に入っていただけて」とホッと胸を撫で下ろす。
食にはうるさい男なので、店のチョイスも大変なのだ。

とある夜の「カフェ・デビルバッツ」。
常連客の高野政宗が、2人の連れを伴って現れた。
丸川書店の社長、井坂龍一郎とその秘書の朝比奈薫である。
久しぶりにサシで話したい。できれば気の張らない場所で。
井坂にそんな誘いを受けた高野が選んだのが、この店だった。

もちろん「カフェ・デビルバッツ」のスタッフたちは心得ている。
同伴者が誰とわからなくても、入店した時点で理解した。
高野がそこそこ気を使う相手であり、かつ友好的な関係を築きたい相手。
それならば店としても、誠心誠意サービスさせていただくまでだ。
その甲斐もあり、同伴者は店を気に入ってくれたようである。

「美味いな。何でこんないい店、早く教えないんだよ?」
「すみません。」
「野菜が多くてボリュームがあるのがいいな。最近脂っぽいのが多くてさ。」
「よかったです。実は井坂さんには庶民的過ぎるかと少し心配でした。」
「そりゃ固定観念ってヤツだ。俺は美味ければどんな店でも行くよ?」
「そうですか。」

井坂は自分の言葉を証明するように、健啖な食欲を示した。
接待が多いせいで、どうしても井坂の食事は偏りがちになる。
だから「カフェ・デビルバッツ」の野菜たっぷりな料理は気に入ったようだ。
影のように隣に控える朝比奈も、控え目な笑顔を見せている。
美味い酒と料理のおかげで、話は思いのほか弾んだ。

「小野寺、頑張ってるな。」
「新しい作家の発掘の件、ですか。」
程良く腹が膨れてきたところで、井坂が律の話を切り出した。
文芸に異動した律が短期間で成果を上げるため、新しい作家の発掘を始めた。
それを聞いた高野は、かなり難しいと思っていた。
井坂も同じような感想を抱いているようだ。

「しかもラノベ作家だって話だ。そいつに文芸作品を書かせるって」
「常識ではありえませんね。」
「もしかして手柄を焦って、無茶してるんじゃないのか?」
「それはないとは言えませんが、その作家なら傑作が書けると信じているんでしょう。」
「それはお前の惚れた欲目抜きのセリフか?」
「もちろんです。編集者としてのあいつもよく知っていますから。」
「そうか。わかった。」

井坂は笑顔のまま「お前の方はどうだ?」と話題を変えた。
高野は「こっちは順調ですよ」と答えた。
そして内心、井坂の度量の深さに感謝した。

おそらく文芸部から、井坂に何らかの注進があったのだろう。
保守的な部署である文芸部員からすれば、律は闖入者なのだ。
だが律の父である小野寺出版社長は、井坂と懇意でもある。
だから露骨に排除することもできず、その井坂に律の悪評を吹き込んだとでもいうところか。

「ちなみにエメラルド、編集長が変わった後、ちょっと落ちてるんだよな。」
「まさか戻れとは言いませんよね。」
「さすがに言わねーよ。だけどお前が編集長の頃のメンバーが一番面白かったな。」
「お褒めの言葉と受け取っておきます。」

かくしてこの夜、高野と井坂、朝比奈は大いに楽しんだ。
そして「カフェ・デビルバッツ」は、新たな常連客を増やしたのであった。

*****

「まったくどうしたらいいの?」
柴崎は悲し気な表情のまま、ぐいっとグラスを傾ける。
そして夫の手塚は、そんな妻を見ながら途方に暮れていた。

今夜は手塚夫妻が「カフェ・デビルバッツ」に来店していた。
2人とも最近、この店の常連に名を連ねた。
だが2人きりで来店することは、案外少ない。
柴崎は郁や毬江と共に来たり、手塚は堂上や小牧と来たり。
たまに2人揃ったときでも、それ以外に同伴者がいたりする。

「いらっしゃいませ。今日はお二人ですか?」
セナは入店した2人に声をかけた。
手塚と柴崎は「はい」と答えたものの、その笑顔は硬い。
セナはその重苦しい雰囲気に気付き、店の奥の会話が聞き取りにくい席へと案内した。
こういう空気を敏感に察してくれるのも、この店の良さである。

2人は赤ワインを頼んだ。
料理を頼み、それに合う赤ワインというざっくりしたオーダーである。
この店は高いビンテージワインは置いていない。
一番安いもので2000円程度、高くても1万円以内だ。
どうしても高い銘柄のワインをという客がいれば、スタッフが近所の酒店に走ることになる。
だからおまかせにしても、驚くような値段にはならない。
この日にセナが薦めたワインも店での販売価格は4000円程度。
だが日本ではあまり手に入らない珍しいものだし、スッキリとした飲み口が料理に合う。

「こんなときでも美味しいんだなぁ」
柴崎はワインを満たしたグラスを口に運びながら、そう言った。
手塚も「そうだな」と頷いた。
それでも重苦しい雰囲気が明るくなることはなかった。

「あたし、もう子供ができないみたい。」
郁が柴崎にそう打ち明けたのは、数日前のことだった。
生理不順に悩んでいたが、ついに来なくなった。
いわゆる閉経ってやつ?
郁は明るくそう言ったけれど、年齢を考えると早すぎる。
学生時代はアスリートとして、その後は戦闘職種として身体を常に苛めるように鍛えてきたせいか。
それとも常に危険な戦いの最前線に出る者として、緊張状態にあったからか。
とにかく最近、郁に感じていた違和感の理由も、なんとなくわかった。

「問題は図書基地って場所よね。」
「・・・だな。」
妻の言葉に、手塚も頷いた。
朴念仁と呼ばれた手塚にだって、わかる。
なぜなら今まで散々、あちこちから言われたのだ。
早く子供を作れ。なぜ作らないんだと。
夫婦になれば子供を作るのが当たり前、作らないのは人として未完成。
そういう固定観念を持っている者たちは意外に多く、平然と子供子供と口にする。
あの折口や加代子でさえ「堂上君と郁ちゃんの子供が見たいわ」などと言うのだ。

基地内、特に官舎に住んでいれば、隊員の子供を見かけることは多くある。
子供が欲しいのにできない者にとって、子供の笑顔は凶器なのだ。
まして今は毬江は妊娠中であり、柴崎も子作りを解禁したばかり。
子供ネタがますます多くなるのに、郁はどんな気持ちを抱くのだろう。

「堂上三監は、御存知だよな?」
「もちろんよ。あたしより先に打ち明けたって言ってたわ!」
そう、これは郁だけではなく堂上にも深くかかわる問題だ。
郁を誰よりも愛し、子供も熱望していたあの男は、どう思っているのか。
そう考えた柴崎は、グイっとワインを飲み干した。
口当たりの良いワインは、どんどん進む。

「こんなときに何だが、妊活中の深酒はいいのか?」
「うるさいわね!今日だけは見逃してよ!」
手塚は「わかった。今日だけな」と答えると、自分もワイングラスを傾けた。
瓶が空になる絶妙のタイミングでセナが現れ「お代わりをお持ちしますか?」と笑う。
まったく重苦しい話の時は寄り付かなかったのに、商売上手なことだ。

「おまかせでもう1本。今度は白ワインをお願いします。」
手塚がそう告げると、セナが「かしこまりました」と一礼して下がっていく。
まったく酒豪夫婦の飲み会は、酒代がかさむ。
手塚はこっそりため息をつきながら、グラスに残っていたワインを飲みほした。

*****

「ここを引き継ぐつもりはないか?」
十文字の申し出は唐突だった。
水谷は思わず「へ?」と間抜けな声を上げてしまった。

「今日はティールームの手伝いをしてくれる?」
セナからそう言い渡された水谷は、メインダイニングではなくティールームにいた。
ケーキなどのスイーツ類と、コーヒーや紅茶がメインの2号店。
もちろん水谷も手伝うのが初めてではない。
だから特に考えることもなく「はい」と頷き、指示に従った。

それにしても見事なものだ。
水谷は十文字がケーキを仕上げるのを見ると、いつも感心する。
元アメフト選手、しかも学生時代は素行があまりよくなかったという十文字。
よく見れば整った顔立ちなのだが、短い金髪や頬の傷もあり、雰囲気は強面。
そんな男の武骨な指先が繊細なケーキを作り出すのだ。

「俺みたいな男がケーキ作ってるのが、そんなに変か?」
水谷が十文字を凝視してしまったせいだろう。
十文字が苦笑しながら、そう聞いてきた。
水谷は思わず「いえ!そんな!」と声を上げたが、すぐに「実はちょっとだけ」と言い直した。

「そりゃ固定観念ってやつだ。」
「そうすか?」
「いや。正直言うと俺自身が一番意外なんだ。まさかケーキ屋になるとはな。」
「ケーキ屋って。パティシエって言いましょうよ。」
「そんな立派なモンじゃねーよ。」

妙に照れたような十文字に、水谷は「充分、パティシエっすよ」と茶化した。
最初はどこかヤンキー風の外見が怖かった。
だが実際は兄貴肌の気の良い男だと、もうわかっている。

「俺、そろそろメインダイニングを手伝った方がいいっすかね?」
夕方、ディナータイムに突入する時間帯、水谷は十文字に声をかけた。
ティールームはピークの時間帯を過ぎており、もう人手はそんなにいらないはずだ。

「いやいい。向こうは鈴音が行ってるし。」
「わかりました。」
水谷は首を傾げながらも、頷いていた。
いつもティールームにいる鈴音がメインダイニングで、水谷が1日ティールーム。
なんでこんな「トレード」が行なわれたのだろう?

だがそれは夜になって判明した。
作った分のケーキは全て売り切り、明日の仕込みも終わり。
そして片づけをしながら、十文字は水谷に「話がある」と言い出したのだ。

「ここを引き継ぐつもりはないか?」
「へ?」
「実はここを辞めるつもりなんだ。ヒル魔にはもう言ってある。」
「・・・そうなんですか。残念です。」
「ありがとな。で、ヒル魔に後任にお前はどうかって言われてな。」
「後任。」
「そう。だから1日、仕事振りを見させてもらったんだ。」
「そうだったんですか。それで。」
「一応合格だ。2号店の責任者。店出したいんだったよな?良い修行になるぜ?」

意外な展開に、水谷は驚いた。
だが物凄く良い話だった。
今よりも責任ある立場になるし、何より妻と一緒に働ける。

おそらくヒル魔は、いやスタッフ全員お見通しだったのだろう。
水谷が「カフェ・デビルバッツ」でもっと高いポジションを求めていたこと。
そして3号店をまかされる黒子に嫉妬していたことを。
全てを見越したうえで、ヒル魔は水谷を十文字の後任にと考えてくれているのだ。

「給料も上げてもらえ。っていうか、ヒル魔からふんだくってやれ。」
十文字の言葉に、水谷は「ありがとうございます!」と頭を下げた。
床にポタポタと水滴が落ちるのを見て、水谷はようやく自分が泣いているのだとわかった。

*****

「黒子ぉ~!」
店の扉が勢いよく開き、大きな声が店内に響き渡った。
食事を楽しんでいた客も、サービスをしていたスタッフもピタリと動きを止める。
そんな中、黒子は持っていたツカツカと男に近寄ると、持っていたトレイで男の頭を強打した。

事件に巻き込まれ、ケガをした黒子もようやく包帯が取れた。
まだ絆創膏は貼っているが、前髪で隠せる。
そこでホール復帰となり、3号店の完成を待ちながら日々仕事をこなしていた頃。
新たな嵐が訪れた。
ディナータイムの盛況の最中、いきなり現れた客が黒子の名を絶叫したのだ。
そして誰もが固まる中、当の黒子が男の頭に銀のトレイを振り下ろしたのである。

「何してるんですか!営業中、しかも書き入れ時の飲食店で!」
「そっちこそ!黙って出て行きやがって、心配するだろうが!」
「今はその話じゃありません!店の迷惑だって言ってるんです!」
「それどころじゃないだろ!ケガまでしたって聞いたぞ!」

不意に始まった口喧嘩。
だが割り込むように「ケケケケケ」と高笑いが響いた。
この店のオーナー、ヒル魔である。
奥の指定席に座っていたヒル魔は、2人に歩み寄ると「そこまでだ」と告げた。

「俺の店で痴話ゲンカはやめてもらおうか。」
「痴話ゲンカではないつもりなんですが。」
ヒル魔の制止に、冷静さを取り戻した黒子が言い返した。
すかさずセナと阿部が「お騒がせしました!」と店内に向かって声を張る。
そこで客たちはようやく平静を取り戻し、食事を再開した。

「申し訳ありませんでした。」
黒子はヒル魔に頭を下げる。
そして男に向かって「話があるなら閉店まで待っててください!」と言い放った。
身長2メートル近い、どこかトラを思わせるような野性味あふれる男。
そんな相手に命令を下すのが、身長170センチそこそこの小柄な黒子。
それは何ともシュールな画だ。

「店は混んでいますから、2階のボクの部屋で」
「いや、俺のテーブルに来い。セナ、何か食うもの出してやれ。俺の奢りだ。」
黒子の言葉を遮って、ヒル魔が仕切り始めた。
それを見た阿部とセナは顔を見合わせた。
どうやらヒル魔はこの男を気に入ってしまったらしい。

「あの人が黒子君が同棲してたっていう恋人さんかな?」
「っぽいですね。それにしてもうちの従業員ってBL率高すぎますね。」
「ここでは同性愛はダメだって世間の固定観念、吹っ飛んでるしね。」
「まったくその通りですね。」

セナと阿部がヒソヒソと短い会話を交わすと、また動き出す。
だがキッチンでオーダーを裁いていた三橋が、料理を出しながら「火神選手だよね」と聞いてきた。
それを聞いた阿部とセナは「あ!」と声を上げた。
かつてはNBAでもプレイしていた火神大我。
バスケ界のスーパースターであり、超有名人だ。

「うわ。黒子君、すごい人と恋人なんだ。」
「アイシールド21が言うセリフじゃないっすよ。」
セナの言葉に阿部がツッコミを入れた。
それから閉店までは客足が途切れず、店のスタッフたちがこの話題をする余裕はなかった。

*****

「有名バスケ選手が、こんなところに来ていていいのか?」
「別にいいんじゃないすか?・・・つかメシ、美味いっすね。」
火神は出された食事をガツガツと平らげていく。
その食べっぷりは見ていて気持ちが良くなるほど、豪快だった。

突然店に現れた大男は、バスケ界のスーパースターだった。
一世を風靡し、バスケを良く知らない者でさえその名は知っているだろう。
その男、火神大我は今、ヒル魔の正面にどっかりと座り、食事をしていた。

「あいつ、ケガしたそうですね?」
「ああ。暴漢に襲われたんだ。」
「犯人、捕まったっす。元俺のファンで」
「今はストーカーか?」

ヒル魔はもちろんその情報を知っている。
黒子が襲われたあの事件の犯人の女は、火神の熱狂的なファンだった。
日本のBリーグ、そしてNBAまで観戦に来た筋金入りのファンだ。
火神としては、試合で応援してくれるのはありがたかった。
選手を引退した時には心から「ありがとうございました」と言えた。

だがそれからおかしくなったのだ。
選手を引退したのだから、あたしと結婚して。
女は訳がわからない論法で、火神をつけ回すようになったのだ。
そしてどこをどう調べたのか、一緒に暮らす黒子に目を付けた。
黒子がいる限り、火神は自分のものにならない。
女がそんな風に思い込んだのは、2人の関係の濃さを見たから。
そして黒子を襲うという凶行に出たというわけだ。

「ったく、俺に用があるなら俺に言えってんだ。何で黒子を」
「カッコつけて言ってますけど、君の迂闊さでボクはいつも大変な目に合ってるんですよ。」
「ハァァ!?何で!?」
「背後を警戒しないからすぐ家を突き止められるんですよ。有名人の自覚あります?」

水のお代わりを持って来た黒子がすかさずツッコミを入れる。
ヒル魔は「わかった、わかった」と宥めた。
いきなり営業中の店で大声を出したり、火神という男は考えて行動するタイプではないのだろう。
何も考えず、直感で動く。
黒子はおそらくそんな火神に振り回されることも多かったと推測できる。

そして閉店後。
客がいなくなったホール、窓際の特等席で火神と黒子は向き合っていた。
他のスタッフは後片付け中だ。
黒子は恐縮したが、スタッフたちは笑顔だ。
むしろ謎に包まれた黒子のことがわかると興味津々である。

「なぁ黒子、いろいろ悪かった。あのストーカー以外にもお前に嫌がらせ仕掛けた女がいたんだろ?」
「ええ。マンションに押しかけて来て、火神さんは私が面倒みるので出て行ってくれと言われました。」
「それで出て行ったのか?」
「彼女はなぜマンションの場所を知ってたんですか?」
「2人で飲みに行ったんだ。その時タクシーに一緒に乗って、俺が先にマンション前で降りて。」
「そういうのが迂闊なんです。そもそも2人で飲みに行くってなんですか?」

ははぁ。なるほど。
聞き耳を立てていたスタッフたちは、納得していた。
火神という男はモテるけれど、自分が女に狙われるということに無頓着のようだ。
そこで黒子の堪忍袋の緒が切れたということなのだろう。

「とりあえずボクは帰りませんよ。ここでの仕事は楽しいですし。」
「じゃあ俺もここに住むわ。」
火神は事もなげにそう言った。
それを聞いたスタッフたちは盛大にズッコケた。
そこは「そんなこと言わずに帰って来い」って続くところじゃないのかと。
だが火神という男はそういう固定観念には囚われない男のようだ。

「ここって住み込みスタッフの同棲相手も住めるんすか?」
火神がヒル魔を見ながら、そう聞いてきた。
ヒル魔は「ケケケ」と笑うと「いいぞ。住んでも」と答える。
完全にこの展開を面白がっているようだ。

「ちょっと待ってください!」
「じゃあ、明日にでも引っ越すわ」
黒子の抗議はサクっと無視され、火神は引っ越す気満々のようだ。
ヒル魔がいいと言えば、この店では何でもありなのだ。

【続く】
12/15ページ