アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-1】

【刹那】

「「「大丈夫なの!?」」」
セナと阿部、三橋の声が重なった。
黒子が「大丈夫じゃありませんよ」と答える声はいつものように平坦で、深刻さが今1つ伝わらなかった。

閉店後、店の前をチェックしに行った黒子がなかなか戻って来ない。
怪訝に思い、阿部が様子を見に行くと、頭から血を流した黒子が倒れていたのだ。
どう見ても誰かに襲われたという雰囲気だ。
そこで慌てて救急車を呼び、セナが付き添った。

黒子が戻ったのは、その翌日の朝だった。
襲われて、救急車で搬送されたのは未明だったので、まるまる30時間ほどだ。
頭には包帯を巻いており、湿布の匂いもする。
どうやら服に隠れている部分もあちこち殴られたようである。

「テメーは店に出るな。湿布くせぇ」
早々に店に出ようとした黒子だったが、ヒル魔に一刀両断された。
セナは「大したことなくてよかったよ」と喜んだ。
一応頭部の負傷だったので、大事を取って一晩検査入院した。
だが実際は裂傷と打撲だけで、深刻なケガではなかったと診断されたのだ。

「で?テメーは犯人の顔、見たのか?」
ヒル魔は自分の居室に黒子を呼び、そう聞いた。
黒子はあっさり「見ましたよ」と答える。
細い鉄パイプのような凶器が振り下ろされた刹那。
黒子の目はしっかりと犯人の顔を捕えていた。

「一応念のために言っておきますが、水谷さんではありませんでしたよ。」
「そうか。」
黒子の懸念は的確だった。
ヒル魔は黒子が倒れているのを見つけた時、真っ先に水谷を疑ったのだ。
水谷が黒子に対して思うところがあるらしいことは、とうに見抜いていたからだ。
だから真っ先に確認し、その時刻に水谷が自宅にいたことがわかって、ホッとしたのだった。

「心当たりはあるのか。」
「いいえ。初めて見る顔でした。若い女性でしたよ。」
「じゃあうちの店関係じゃなさそうだな。」
「そう思います。一応警察で似顔絵書きに協力してきました。」
「じゃあ犯人はいずれ捕まるだろうな。」

一通りの報告を終えたところで、黒子は「では失礼します」と部屋を出ようとする。
ヒル魔はその背中に「いいのか?」と声をかけた。
その意味がわからず、黒子は首を傾げた。
するとヒル魔はもう一度、問いかけてきた。

「お前の恋人に知らせなくていいのか?」
「・・・いいんです。」
黒子は一瞬だけ迷ったものの、そう答えた。
今はまだ素直になれない。それが黒子の本音なのだ。
だがヒル魔は追い打ちをかけるように続けた。

「今回は軽傷でよかった。だがもう二度と会えなくなる可能性だってあったんだ。」
黒子は、いつになく真剣なヒル魔の表情に息を飲んだ。
死を見つめて生きているヒル魔だからこその重い言葉だ。

「ありがとうございます。真剣に考えます。」
黒子はそう告げると、頭を下げた。
そして今度こそヒル魔の部屋を出ると、自分の部屋へ向かったのだった。

*****

「律、さん、ちょっと、痩せた、ですか?」
律はスタッフの声に「うん。ちょっと」と答えながら、そちらを見る。
そして声の主が予想外の人物だったことに「あれ?」と声を上げた。

上手くいかない。
ここ最近の律を表すなら、その一言に尽きる。
月刊エメラルドの編集長から、一介の文芸部員に異動した。
通常ならば、編集長からヒラの部員になることは降格人事である。
だが律のたっての希望だった。
ついに小野寺出版に戻ることを決意した律は、最後にわがままを通したのである。

これは律の意地でもあった。
エメラルドでもまずまずの実績があり、これだけでも充分凱旋の手土産にはなる。
だが律にしてみれば、エメラルドを立て直したのは高野だという思いがある。
それを引き継いだものであり、所詮安定したレールが敷かれていたのだと。
ならば自分だけの実績を作りたいと、敢えて文芸に移ったのである。

そう簡単に、上手くいかないのはわかっていた。
漫画雑誌は、ある意味刹那的だ。
若い感性が問われるし、何よりも締め切り前の修羅場で身体を壊す者も少なくない。
だから何だかんだでちょこちょこと人が変わることはある。
それに比べると、文芸はほとんど異動がない。
ずっと1人の作家を1人の編集者が何十年も担当するなど、ざらにある。
そんな中、いきなり入り込んで成果を出すのはむずかしい。
そんなことは覚悟していた律だったが、それだけではなかった。
文芸の人間は排他的で、律という闖入者を認めなかったのである。

さすがにあからさまに無視するようなことはない。
だが慇懃無礼というか、まさにお客様対応なのだ。
どうせ短い期間しかいないなら何もせず、さっさと出て行ってくれ。
そんな文芸部員たちの心のうちが見えた。
丸川書店に入った当初「文芸においでよ」などと言っていた長谷川ですら同様だった。

もちろん、ここでくじける律ではない。
悩んだ末の起死回生の策は、たった1つ。
まだ丸川書店の文芸で目を付けていない作家を発掘することだ。
その作家からヒット小説を出せれば、さらにいい。
とにかく七光りが通用しない場所で、最後に確かな実績を作りたい。

だが実際、簡単ではなかった。
素晴らしい才能を持ち、だが世の中には認知されていない作家。
そんなのはそうそう転がっていない。
今もそんな作家を捜して、武蔵野第一図書館に行ってきた。
たまたま堂上夫妻が館内にいたので相談してみたが、芳しい答えは得られなかった。

それではとやって来たのが「カフェ・デビルバッツ」だ。
ヒル魔は実は読書家だという話を聞いていたので、そういう作家を知らないかと思ったのだ。
だが律は本題に入る前に「あれ?」と声を上げることになった。
テーブルに水のグラスを置き「律、さん、ちょっと、痩せた、ですか?」と声をかけてきたのは三橋だったからだ。
三橋はいつもキッチンで、客に美味しい料理を振る舞っているという印象だ。
こうしてホールでサービスをする姿は、十年来の常連の律でもほんの数回しか見たことがない。

「廉君、今日はホールなんだ。」
「実は、ちょっと。訳、ありで。」
「そうなんだ。」
「でも料理は、いつも通り、美味しいから!」

三橋が「ウヒ」と笑うのを見て、律もつられるように笑顔になった。
仕事で行き詰っていても、ここに来れば元気になれる。
それこそ「カフェ・デビルバッツ」の真骨頂なのだ。

*****

「呼びました?」
いきなり声が聞こえて、律だけでなくセナも阿部も三橋も「うおお!」と声を上げる。
キッチンにいたはずの黒子が、いつの間にかセナの背後に立っていたのだ。

「それはヒル魔さんじゃ役に立たないかなぁ。」
律の話を聞いたセナは、率直な感想を口にした。
才能がある、だけどまだ知名度の低い作家を捜している。
律はそう前置きすると「ヒル魔さんなら知ってるかなと思って」とぶっちゃけた。

セナは内心ため息をついていた。
残念ながらヒル魔は体調が悪く、部屋で休んでいる。
だが聞くまでもない。
ヒル魔は確かに読書家だが、その内容は恐ろしく偏っている。
読む本は日本語より英語の方が多いし、内容も金融やら政治やらITやら。
セナだったらタイトルで挫折しそうな本が多い。
そもそも作りものの安っぽいドラマは嫌いだと豪語している辺り、文芸作品の助言は無理だろう。

「セナ君たちは?好きだけど、あまり有名じゃない作家さんっている?」
律は若干肩を落としながらも、さらに聞いてきた。
残念ながらセナも阿部も三橋も、あまり本を読まない。
だが3人とも、思い浮かぶ人物がいる。

「黒子君なら、何かあると思うけど」
「呼びました?」
いきなり声が聞こえて、律だけでなくセナも阿部も三橋も「うおお!」と声を上げる。
キッチンにいたはずの黒子が、いつの間にかセナの背後に立っていたのだ。
この気配のなさには忘れた頃に驚かされ、いつまでたっても慣れない。

「うわ、黒子君!どうしたの!?」
黒子の負傷を知らない律が、盛大に声を上げた。
それもそのはず、黒子の額には包帯が巻かれているのだ。
ちなみに三橋がホールに出て、黒子がキッチンにいたのはそのせいだ。
ケガは大したことはないのだが、無駄に派手で目立つ。
やはりホールに出れば客は引くだろう。
そこでキッチンの三橋と交代となったのだ。

「ちょっとしたトラブルです。」
「そうなの?何かすごく痛そうだけど。」
「大したことありません。ところでその作家の件、心当たりがあります。」
「ホントに!?」

阿部が小さく「ナイス、黒子!」と呟き、セナと三橋も頷いた。
どんな客にも対応し、満足してお帰りいただくのが「カフェ・デビルバッツ」のモットーだ。
だからこんなニーズにも何とか応えられてよかったと思う。

「ボクの高校時代の先輩が作家なんです。昔ヒット作を出したんですけど、今は売れてなくて」
「なんていう作家さん?」
「今は本名で活動してますが、昔は木島ジンっていう名前で書いていました。」
「木島ジンって、あの検閲を挑発するような小説を書いてた人だよね!?」
「はい。今は本名の黛千尋で、普通のライトノベルを書いてますけど」
「ありがとう。早速読んでみる!」

律と黒子の会話が弾むのを見て、セナも阿部も三橋もホッとしていた。
客にはそれぞれの人生がある。
こうして「カフェ・デビルバッツ」のスタッフと触れ合う時間は、一瞬の刹那に過ぎない。
それでもその出逢いに感謝し、何かできることがあるなら嬉しいのだ。

*****

「何かあったのか?」
トボトボと歩いていた郁は、思わず足を止めた。
目の前には「カフェ・デビルバッツ」のオーナー、ヒル魔が立っていた。

郁は途方に暮れていた。
今日、隊長室に呼ばれて、異動を言い渡されたのだ。
わかっていたことだった。
検閲時に銃火器の規制がなされてから、郁の活躍の場は減った。
抗争は銃撃戦から肉弾戦に代わり、スピードよりパワーが重要になったからだ。
つまりスピードが最大の武器であり、女であるゆえに力では劣る郁の出番は減った。

何とか検閲の撤廃まで、最前線でいたかった。
郁は未練がましくそんなことを思う。
だけど今まで特殊部隊にい続けさせてくれたことに、感謝するべきだろう。
残念ではあるけど、悔いはない。

「武蔵野第二の防衛部の班長職に空きがあるんだが。。。」
緒形は珍しく言いよどんだ。
そして「子供を作るつもりなら、業務部も選択できる」と言った。
覚悟はしていても、どこかで信じられない気持ちだった。
自分が特殊部隊から去るなんて、ありえない。
だが具体的な異動先を提示されると、急に現実味が増す。
終わってしまったのだと、リアルにそう思えた。

「異動は了解です。行き先については少し考えさせてください。」
郁はそう答えると、緒形は「わかった」と了承してくれた。
そして「今日はこのまま早退していい」と言い渡され、郁はそのまま図書基地を出たのだった。

「何かあったのか?」
フラフラと歩いていたところで声をかけられ、郁は「あれ?」と声を上げた。
考え込みながら歩いていて、いつの間にか「カフェ・デビルバッツ」の前まで来ていたのだ。
オーナーのヒル魔がかすかに目を眇めながら、郁を見ていた。

「コーヒーでも飲んでいくか?特別の貸し切りにしてやる。」
ヒル魔が指さしたのは、いつも郁が食事をする店はない。
通りを挟んで向かい側、現在改装中の3号店だ。
郁は店内を覗き込むと「カジノ?」と首を傾げた。
店の中にはルーレットやらスロットマシンやら、カジノを思わせるものが並んでいたのだ。

「お邪魔します。できればミルクティーをお願いします。」
郁がそう告げると、ヒル魔が「わかった」と答え、3号店へと招き入れてくれた。
どうせ行く当てもないのだ。
そして郁がカジノ仕様の店内を見学している間に、ヒル魔がスマホを使う。
程なくしてセナがミルクティーとケーキを持ってきてくれた。
そしてヒル魔用にはコーヒーを置き「ごゆっくり」と笑うと、出て行った。

「あの。聞いてもらっていいですか?」
湯気が立つミルクティーは香りが良いのに芳醇で、ケーキも優しい味だ。
異動を宣告されて呆然としている今、刹那の優しさが身に染みた。
誰にも言えない悩みを、聞いてほしくなったのだ。
ヒル魔が「別にかまわないが」と答えたのを聞き、思い切って切り出した。

「あたし、どうやら子供ができない身体みたいなんです。」
郁はついに夫にも親友にも言えない悩みを、口にした。
元々生理不順ではあったが、ここ最近は何か月に1度であること。
そして診察を受けた結果、医師にそう宣告されたのだ。
そんな中で異動を言い渡され、途方に暮れている状態であることを。

郁自身も考えがまとまっていないので、何度も同じことを言ったり、脈絡もない。
だがヒル魔は表情1つ変えずに、コーヒーを飲みながら黙って郁の話を聞いていた。
そして郁が話し終わったのを見ると、コーヒーのカップを置いて、静かに口を開いた。

「悪いが、少しも同情する気にはならない。」
ヒル魔はきっぱりとそう言った。
予想外の強い口調に、郁は驚き、表情を強張らせた。

*****

「悪いが、少しも同情する気にはならない。」
水谷が3号店に足を踏み入れるなり、ヒル魔の声が聞こえた。
立ち聞きは悪いとは思いつつ、水谷はその場を動けなかった。

水谷は悶々とした日々を過ごしていた。
会社を辞めた後「カフェ・デビルバッツ」でアルバイトをしている。
その心の中には甘えがあった。
もっと責任ある仕事、できれば3号店の店長をまかせて欲しかった。
そうすれば給料だってもっと上がるし、アルバイトより店長の方が世間体もいい。
だが黒子が現れたことで、その目論見が外れた。
このままアルバイトの給料では、妻と子供を養っていくのはつらい。

不満を溜めながらも、今日も仕事だ。
いつも通りの「カフェ・デビルバッツ」だが、今日はいつもと違うことがあった。
向かいの3号店で、ヒル魔と常連客の堂上郁が話し込んでいるのだ。
まだ営業していない店で、一体何を話しているのか。
飲み物を運んだセナは「何かお悩み相談みたいだよ」と笑っていた。

「そろそろお代わり、持って行った方がいいすか?」
2人が話し込んでしばらく経った頃、阿部がセナにお伺いを立てていた。
するとセナが「水谷君、頼んでいいかな?」と聞いてくる。
水谷は「了解です」と答えると、お代わりの飲み物をトレイに乗せて3号店に向かった。

「悪いが、少しも同情する気にはならない。」
水谷が3号店に足を踏み入れるなり、ヒル魔の声が聞こえた。
どうやら深刻な雰囲気のようだ。
水谷は思わずその場に足を止めると、会話に耳を傾けてしまった。

「オレとセナが恋人同士なのは知ってるか?」
「はい。あと阿部君と三橋君も。」
「そうだ。それに黒子の恋人も男だ。」
「そうなんですか!?」

ヒル魔と郁の会話が聞こえてくる。
思いのほかハードな内容に、困惑してしまった。
とてもお代わりなんて雰囲気ではない。
かと言って、このままではただの立ち聞きになってしまう。

「同性の恋人ってのは夫婦にはなれないんだ。法的にな。」
「そう、ですね。」
「だから惚れたヤツと結婚できるのが羨ましいんだ。だからその上での悩みに同情しない。」
「あ!」

惚れたヤツと結婚できるのが、羨ましい。
ヒル魔の意外な本音を聞いた水谷は、頭をガツンと殴られたような気がした。
自分が不遇であると、不満ばかりだった。
だけど彼らにしてみれば、惚れた相手と夫婦になれることが特別。
恋人同士というあやふやで刹那的な関係から、進めないのだ。
そういう意味で自分の方が妬まれる存在であるなんて、考えたことがなかった。

「水谷、お代わり持ってきてくれたのか?」
不意にヒル魔から声がかかり、水谷が「はい!」と答える声が裏返った。
さすがヒル魔、お見通しだったらしい。
郁が「わざわざすみません」と水谷に頭を下げた。
その顔がどこか呆然としているように見えるのは、郁もまたヒル魔の言葉に衝撃を受けているのだろう。

「失礼しました。」
新しいミルクティーとコーヒーを置き、空のカップを下げた水谷はそっと3号店を出た。
郁の悩みはわからないが、良い方に向かえばいい。
水谷は心からそう思いながら、仕事に戻っていった。

【続く】
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