アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-1】
【まやかし】
「こんなん、あり!?」
思わず飛び出した三橋の呟きは、そのまま「カフェ・デビルバッツ」スタッフ一同の心の声だ。
そして彼らの先には、真っ赤な顔で程よく酔っ払った郁がいた。
金曜の夜の「カフェ・デビルバッツ」は、盛況を見せていた。
店内は満席状態であり、店の前には入店を待つ客もいる。
中には相席をする客も多い。
リピーターが多い店なので、常連客の中には顔馴染みになっている者たちもいる。
だから相席を頼んでも、笑顔で了承してくれるのだ。
そんな中、店内奥の2人用テーブルには、やはり相席の2人が食事をしていた。
丸川出版の小野寺律と、図書隊員の堂上郁だ。
この店で知り合った2人は、仲が良い。
先に会社帰りの律が来店していた。
その後に今日は夫が出張中だという郁が来たのだが、その時にはすでに満席。
そこで律が快く相席を了承したのだった。
「本日のおすすめプレートの大と、何か色が綺麗なカクテルを下さい!薄めで!」
「今日は桃が入っているので、生の桃を絞ったカクテルはいかがですか?」
「きゃあ、美味しそう!それお願いします!」
「あ、俺もそのカクテル、下さい。」
「かしこまりました。では少しお待ちください。」
阿部が郁と律のオーダーを受けた。
ちなみに郁が注文したおすすめプレートは、夜の一番人気のメニューだ。
日替わりでその日のおすすめ料理数品が盛られている。
肉、魚、野菜など、彩りも栄養バランスが良い。
ちなみにサイズは大中小があるが、通常女性なら小でも充分、お腹が膨れる量だ。
「おすすめプレート大1つと、桃のカクテル2つ。カクテルの1つは郁さんだからな。」
「おすすめ大、1と、桃カクテル、2、1つは郁さん、だね!」
阿部はオーダーを通すと、三橋が復唱する。
この店のスタッフたちは常連の酒量は、だいたい把握している。
郁が恐ろしいほど弱いこともわかっているので、郁に出す酒はとにかく薄い。
いやもっというなら、ジュースにリキュールを2、3滴垂らす程度にしている。
カクテルだなんて、とんだまかやし。
普通の客なら「これ、アルコール入ってます?」とクレームが来そうな代物なのだが。
「ったく、やってらんないっての!」
「そうだ、そうだ!」
桃のカクテルを出し、律と郁が乾杯をしてから10分程。
2人のテーブルは盛り上がっていた。
だがその様子をキッチンから覗き見た三橋は「こんなん、あり!?」と呟いた。
店のスタッフたちも、思わず深く頷く。
すでに何杯か飲んでおり、さらに桃カクテルを飲んだ律が酔うのは納得できる。
だが郁はジュースと言っても過言ではないまやかしカクテルで、見事に酔っ払っている!
「燃費がいいって言うか、経済的って言うか」
「ここまで来ると、見事としか言いようがないね。」
ホール担当の阿部とセナは、思わず苦笑する。
もしこの場にヒル魔がいれば「お前が言うな」とツッコミが入っただろう。
セナもどちらかと言えば弱い上に酒乱で、酒にまつわる笑い話はたくさんあるのだ。
「お2人とも悩みが尽きないんですね。」
黒子がぼそりとそう告げると、阿部もセナも「確かに」と頷いた。
酔っ払っているせいで噛み合っていないが、2人とも盛大に文句を言っているからだ。
「ところで郁さん、大丈夫ですかね?堂上さんが出張中なら迎えに来られないですよね?」
黒子がふと現実的な問題を口にしたので、セナも阿部も固まった。
確かにあの様子で1人で帰れるのか、かなり不安だ。
だが店が混んでいることを言い訳に、この問題は一時棚上げとなったのだった。
*****
「鉄平ってさ、あたしのこと好きだった?」
「そんなの、今さら聞いてどうするんだよ?」
律と郁が桃のカクテルで乾杯をしていた、隣のテーブルで。
1組のカップル、正確に言うなら元カップルが、不穏な会話をしていた。
「黒子く~ん、ビール大ジョッキ、もう1杯!」
「わざわざボクを指名しなくても、手近にスタッフがいるでしょう。」
金曜の夜の込み合う店内で、黒子は文句を言った。
この忙しいときに来店した1組の男女は、高校時代のバスケ部の先輩。
監督を務めていた相田リコと「鉄心」の異名を持つ木吉鉄平だ。
ちなみにリコは結婚して、今は日向リコになっている。
「はい。ビール大ジョッキです。」
黒子はリコの前にジョッキを置いた。
すると木吉が「悪いなぁ、黒子」と済まなそうな顔になる。
だがリコは「別に悪くない!」と宣言すると、運ばれてきたビールをゴクゴクと飲んだ。
「で、何なんだ、一体。」
「それがさ。順平のバカがさぁ~」
木吉に促されたリコが、前のめりになった。
順平とは、彼女の夫であり、バスケ部の初代主将だった日向順平のことだ。
どうやらリコはダンナの悪口が言いたくて、木吉を呼び出したようだ。
「お2人は恋人?御夫婦?」
セナが黒子にリサーチをかけてきた。
興味本位というよりは、初めて来店した客の情報収集だ。
友人なのか、恋人なのか、夫婦なのかで、サービスが変わることもある。
黒子は「元恋人同士です。今では2人とも別の人と結婚していますから」と答えた。
「そうなんだ。」
セナも阿部も三橋も、驚いている。
ここが客がいる店内でなかったら「え~!?」と叫んでいたところだろう。
リコと木吉が醸し出す雰囲気は、完全にカップルのそれだからだ。
「俺、男女間の友情はまやかしって思ってたんすけど。」
「ボクも。まぁ言えた筋合いじゃないけどね。」
阿部とセナはそんなことを言いながら、三橋が作った料理を客席に運んでいく。
確かに同性を恋人に持つ阿部やセナ、そして黒子もそんなことを語れるほどの経験値がない。
ぶっちゃけノーマルな男と女の恋愛には、疎いのだ。
「それで順平がさ、店を畳んで、うちのジムに養子に入るって言いだしてさ」
「床屋、経営が苦しいのか?」
「床屋じゃなくて、ビューティーサロン」
「どう違うんだ?」
リコと木吉が話しているのが、ホールを回る黒子の耳にも入って来た。
そして「なるほど」と納得する。
リコの実家はスポーツジムを経営している。
そして夫の日向の実家は床屋、もといビューティーサロンだ。
2人は現在、それぞれの実家を切り盛りしており、超多忙な夫婦なのだ。
床屋とスポーツジム。
黒子はその瞬間、まるで天啓のように1つのアイディアを思いついた。
ヒル魔にもっと磨けと言われている3号店の経営プラン。
目新しいとは言えないかもしれないが、この辺りの客層には喜ばれるであろうサービスだ。
黒子は微かに唇を緩めて、微笑した。
だが幸か不幸か、誰にも気付かれることなく、忙しい夜は過ぎていった。
*****
「さすが郁ちゃんのおすすめの店。美味しいわぁ。」
折口が笑顔でそう告げると、かよ子が「ええ、ホントに」と笑う。
2人は「カフェ・デビルバッツ」のティルームで、ケーキとお茶を楽しんでいた。
金曜日の夜「カフェ・デビルバッツ」のティールームも、忙しい。
土産にとテイクアウトのケーキを買いにくる酔客も多いのだ。
また土日は客足が増えるので、仕込みの量もかなり増える。
だからここからの作業は明日の仕込みメインとなり、今日の販売はドリンクと残ったケーキ類に絞る。
「鈴音。こっちはもういいから」
十文字が声を書けると、鈴音は「了解」と答えて、メインダイニングに向かった。
向こうはこの時間帯、満席状態になっている。
鈴音がヘルプに向かうのも、金曜恒例のことだ。
閑散とした客席には、2人組の客だけが残っていた。
2人とも中年女性であり、お互いに「折口さん」「かよ子さん」と呼び合っている。
常連客に評判を聞いて、やって来たのだという。
単に食べに来たのではなく仕事の打ち合わせらしきことをしており、もう3時間ほどここにいる。
時折「ヒロイン」とか「ストーリー」とか「キャラ」などという単語が聞こえる。
どうやら作家と編集者らしい。
十文字はそんなことを思ったが、もちろん口を挟むようなことはしなかった。
ひょっとしたら、機密事項なんてこともあるかもしれない。
何を聞いても、知らない顔をしているのが正解だ。
「すみませんね。長居して」
「いえ、構いませんよ。どうせ俺は仕込みでここにいるし、客席を使う分には問題ないです。」
恐縮する折口という女性客に、十文字はそう答えた。
そして「サービスです」と、紅茶のお代わりとケーキを出す。
すると2人は「ありがとうございます」と笑顔になった。
ある程度年齢を重ねた女性特有の、穏やかで深みのある笑顔だ。
「今日はこれくらいにしましょうか」
やがて折口がそう告げると、かよ子が「そうね。少し疲れたし」と頷いた。
そして十文字がサービスしたケーキと紅茶を堪能する。
「毬江ちゃんは随分、お腹が目立って来たわよね。」
「そうね。生まれるのが楽しみね。」
「柴崎さんも妊活始めたらしいけど。」
「そうかぁ。若いって羨ましいわぁ。あたしたちはもう子供を持つのはつらいものね。」
「昔、結婚して子供を持つまでは一人前じゃないって親に言われたんだけど。」
「そんなのまやかしよ。独身でも子供がいなくても立派な人はいるわ。」
折口とかよ子はそんなことを話しながら、顔を見合わせてため息をついた。
運命の相手と出逢いながら、なかなか結婚できなかった2人。
もちろん十文字はそんなことを知る由もないが、年齢に負けずに輝いている女性は美しいと思った。
「そう言えば、堂上君と郁ちゃんのところは?」
「何か郁ちゃん、子供関係の話になると、表情が曇る気がするんだけど。」
「あ、あたしもそう思ったわ。聞いちゃいけないような雰囲気で。」
2人の女性の会話を聞くとはなしに聞いてしまった十文字だが、もちろんスルーだ。
ちなみに偶然にも「郁ちゃん」こと堂上郁は、今メインダイニングで桃のジュースで酔っ払っている。
だが十文字も折口もかよ子もそんなことなど知らず、静かな時間を過ごしていた。
*****
「うちの姫さんは、どこだぁ~!?」
男は閉店したばかりの店に入ってくるなり、そう叫んだ。
スタッフたちはその剣幕に驚き、一瞬静まり返る。
だが三橋が絶妙な間で「なまはげ?」と呟くと、ほぼ全員が吹き出した。
金曜日の夜は忙しい。
ただでさえ客が多いのに、やはり休日前のせいかハメを外す者もいる。
今日も閉店時には、2人の客が寝込んでいた。
小野寺律と、堂上郁である。
律の場合は問題ない。
何度も車で送ったことがあるので、自宅も知っている。
何より彼の恋人に連絡すれば、ちゃんと引き取りに来る。
だがこの夜は郁が問題だった。
夫である堂上篤は、現在出張中と言っていた。
郁の知り合いは何名も来店しているが、連絡先を知っている者はいないのだ。
「どうしよう。図書基地に連絡すればいいかな?」
「それはちょっと大げさになり過ぎないすか?」
「確かにね。お宅の隊員が酔っ払ってますってわけにも」
セナと阿部、そしてティールームからの助っ人の鈴音が顔を見合わせた。
するとそこへ「迎えは呼んだから、心配無用だ」と声がかかった。
営業中は2階の自室に引っ込んでいたヒル魔が、フラリと店に現れたのだ。
「ヒル魔さん、大丈夫ですか?」
セナがすかさずそう聞いた。
ヒル魔は「心配すんな」と頷いて見せる。
金曜の夜、だいたい引っ込んでいる。
人が多いので、身体にはきついらしい。
そのまま降りてこないことも多いが、今日は違うようだ。
「ところで迎えを呼んだって、どういう」
「うちの姫さんは、どこだぁ~!?」
ヒル魔に聞き返す阿部の声に、店に入って来た男の声が重なった。
全員がギョッとして、入口を見る。
すると大柄で肉食獣のような雰囲気を持つ中年男が、立っていた。
「なまはげ?」
思わず呟いた三橋の声に、その場にいた者たちが吹き出した。
だが中年男は物ともせずに「ヒル魔ってあんたか?」と聞いてきた。
ヒル魔は「玄田竜助特等図書監だな」とニヤリと笑った。
「ちょうどよかった。あんたの顔を拝んでおきたくてな。」
「そりゃこっちのセリフだ。」
視線を交わす2人の男の迫力に、スタッフたちは圧倒されていた。
かつて高校アメフトの頂点に立った男と、かつて特殊部隊を束ねていた男。
やはりそのオーラは半端ない。
「じゃあうちの姫さんは回収していく。小牧。手塚!」
玄田がそう呼ばわると、小牧と手塚が店内に入って来て、2人がかりで客席で眠っている郁を立たせた。
そして両側から支えるようにして、郁を店から連れ出していった。
「じゃあな。またいつか会おう!」
玄田は「ガハハ」と笑うと、店を出て行った。
わずか1、2分しか店にいなかった、嵐のような早業だ。
ちなみにこの少し前まで、玄田の妻の折口マキは、隣のティールームにいた。
だが玄田も店のスタッフたちも、そんなまやかしのような偶然を知ることはなかった。
*****
「今日も慌ただしい一日だったね!」
セナが一同を代表して、感想を述べた。
全員が心の底から同意し、頷く。
ヒル魔が締めくくるように「それも面白ぇだろ」と笑い飛ばした。
金曜日の夜は、長かった。
夕方過ぎから閉店まで、ほぼ満席状態だ。
全員が疲労困憊、特にずっと料理を作っていた三橋の消耗はハンパない。
「郁さん、大丈夫ですかね?」
輪になって賄い飯を食べながら、阿部は気になっていたことを口にする。
するとセナが「うん、気になるね」と答える。
本日、寝落ちした酔っ払いは2名。律と郁だ。
2人とも悩みがあるらしく、グチっぽい酒だった。
だが律の場合は、いつも通りというかお馴染みの反応だった。
元々彼の恋人曰く「からみ酒グチ派」である。
それに最近、部署が変わって苦労しているという話も聞いた。
飲んで騒いでグチって、翌朝にはまた頑張る。
ある意味、健全な酒だった。
だが郁の場合は、違った。
愚痴っぽいフレーズは出てくるものの、具体的な内容がまったく出ない。
それでいて、顔だけは無理矢理笑っているような強張った笑顔なのだ。
人に言えない、おそらく夫の堂上にさえ言っていない悩みを抱えている。
そんな風に見えた。
「だいたい見当はつくけどな」
そう言いだしたのは、もちろんヒル魔だった。
情報収集に長けた男は、独自の情報網やハッキングなどでいろいろなネタを持っているのだが。
「ヒル魔さん、郁さんのネタも持ってるんですか!?」
セナが驚きの声を上げると、ヒル魔が「ケケケ」と笑った。
だがすぐに真面目な顔になると「あんまり詮索しないでやれ」と言った。
セナは「確かにそうですね」と答える。
客の悩みを何でも癒せるなんて、まやかしだ。
食事と酒を楽しみ、寛いでもらうのが、第一。
必要なときに手を差し伸べることは厭わないが、過度な干渉は余計なお世話となる。
そのさじ加減がむずかしい。
「表を確認してきます。」
賄い飯を食べ終えた黒子が、席を立った。
閉店前に店前に異常がないか確認し、何もなければ戸締りをする。
賄いを最初に食べ終わった者がやる流れになっているが、それはもっぱら黒子だった。
元アスリートのくせに小食な黒子は、食べる量が少ないのですぐいち早く終わる。
その後、一同は郁を回収に来た玄田の話になった。
先日、ヒル魔が赤司征十郎と密会し、まとまったビジネス。
この話には図書隊防衛部の協力も不可欠であり、赤司が玄田と接触した。
そして話に乗った玄田を、ヒル魔が郁を口実に呼び出したのだ。
ここから先は赤司が主導して進めていくのだが、顔くらいは見ておきたいと思ったからだ。
「あれ?黒子君、遅いね。」
話し込んでいるうちに、セナは表を確認に行った黒子が戻ってないことに気付いた。
阿部が「見てきます」と立ち上がり、店を出る。
だがすぐに「黒子!!どうした!?」と声を上げた。
その声に三橋やセナも表に飛び出したのだが。
店の前には黒子が倒れていた。
阿部が「まさか寝てるとか」と言いながら、黒子の横に屈みこんで「うわ!」と声を上げた。
黒子が倒れている辺りの地面に、赤黒いシミができていたのだ。
どう見ても誰かに襲われたとしか思えない状況に、全員が言葉を失う。
「救急車を呼ぶ。誰か付き添え」
いち早く冷静になったヒル魔が、スマホを取り出して通報する。
サイレンの音が聞こえてくるまで、セナも阿部も三橋も黒子の名を呼び続けた。
【続く】
「こんなん、あり!?」
思わず飛び出した三橋の呟きは、そのまま「カフェ・デビルバッツ」スタッフ一同の心の声だ。
そして彼らの先には、真っ赤な顔で程よく酔っ払った郁がいた。
金曜の夜の「カフェ・デビルバッツ」は、盛況を見せていた。
店内は満席状態であり、店の前には入店を待つ客もいる。
中には相席をする客も多い。
リピーターが多い店なので、常連客の中には顔馴染みになっている者たちもいる。
だから相席を頼んでも、笑顔で了承してくれるのだ。
そんな中、店内奥の2人用テーブルには、やはり相席の2人が食事をしていた。
丸川出版の小野寺律と、図書隊員の堂上郁だ。
この店で知り合った2人は、仲が良い。
先に会社帰りの律が来店していた。
その後に今日は夫が出張中だという郁が来たのだが、その時にはすでに満席。
そこで律が快く相席を了承したのだった。
「本日のおすすめプレートの大と、何か色が綺麗なカクテルを下さい!薄めで!」
「今日は桃が入っているので、生の桃を絞ったカクテルはいかがですか?」
「きゃあ、美味しそう!それお願いします!」
「あ、俺もそのカクテル、下さい。」
「かしこまりました。では少しお待ちください。」
阿部が郁と律のオーダーを受けた。
ちなみに郁が注文したおすすめプレートは、夜の一番人気のメニューだ。
日替わりでその日のおすすめ料理数品が盛られている。
肉、魚、野菜など、彩りも栄養バランスが良い。
ちなみにサイズは大中小があるが、通常女性なら小でも充分、お腹が膨れる量だ。
「おすすめプレート大1つと、桃のカクテル2つ。カクテルの1つは郁さんだからな。」
「おすすめ大、1と、桃カクテル、2、1つは郁さん、だね!」
阿部はオーダーを通すと、三橋が復唱する。
この店のスタッフたちは常連の酒量は、だいたい把握している。
郁が恐ろしいほど弱いこともわかっているので、郁に出す酒はとにかく薄い。
いやもっというなら、ジュースにリキュールを2、3滴垂らす程度にしている。
カクテルだなんて、とんだまかやし。
普通の客なら「これ、アルコール入ってます?」とクレームが来そうな代物なのだが。
「ったく、やってらんないっての!」
「そうだ、そうだ!」
桃のカクテルを出し、律と郁が乾杯をしてから10分程。
2人のテーブルは盛り上がっていた。
だがその様子をキッチンから覗き見た三橋は「こんなん、あり!?」と呟いた。
店のスタッフたちも、思わず深く頷く。
すでに何杯か飲んでおり、さらに桃カクテルを飲んだ律が酔うのは納得できる。
だが郁はジュースと言っても過言ではないまやかしカクテルで、見事に酔っ払っている!
「燃費がいいって言うか、経済的って言うか」
「ここまで来ると、見事としか言いようがないね。」
ホール担当の阿部とセナは、思わず苦笑する。
もしこの場にヒル魔がいれば「お前が言うな」とツッコミが入っただろう。
セナもどちらかと言えば弱い上に酒乱で、酒にまつわる笑い話はたくさんあるのだ。
「お2人とも悩みが尽きないんですね。」
黒子がぼそりとそう告げると、阿部もセナも「確かに」と頷いた。
酔っ払っているせいで噛み合っていないが、2人とも盛大に文句を言っているからだ。
「ところで郁さん、大丈夫ですかね?堂上さんが出張中なら迎えに来られないですよね?」
黒子がふと現実的な問題を口にしたので、セナも阿部も固まった。
確かにあの様子で1人で帰れるのか、かなり不安だ。
だが店が混んでいることを言い訳に、この問題は一時棚上げとなったのだった。
*****
「鉄平ってさ、あたしのこと好きだった?」
「そんなの、今さら聞いてどうするんだよ?」
律と郁が桃のカクテルで乾杯をしていた、隣のテーブルで。
1組のカップル、正確に言うなら元カップルが、不穏な会話をしていた。
「黒子く~ん、ビール大ジョッキ、もう1杯!」
「わざわざボクを指名しなくても、手近にスタッフがいるでしょう。」
金曜の夜の込み合う店内で、黒子は文句を言った。
この忙しいときに来店した1組の男女は、高校時代のバスケ部の先輩。
監督を務めていた相田リコと「鉄心」の異名を持つ木吉鉄平だ。
ちなみにリコは結婚して、今は日向リコになっている。
「はい。ビール大ジョッキです。」
黒子はリコの前にジョッキを置いた。
すると木吉が「悪いなぁ、黒子」と済まなそうな顔になる。
だがリコは「別に悪くない!」と宣言すると、運ばれてきたビールをゴクゴクと飲んだ。
「で、何なんだ、一体。」
「それがさ。順平のバカがさぁ~」
木吉に促されたリコが、前のめりになった。
順平とは、彼女の夫であり、バスケ部の初代主将だった日向順平のことだ。
どうやらリコはダンナの悪口が言いたくて、木吉を呼び出したようだ。
「お2人は恋人?御夫婦?」
セナが黒子にリサーチをかけてきた。
興味本位というよりは、初めて来店した客の情報収集だ。
友人なのか、恋人なのか、夫婦なのかで、サービスが変わることもある。
黒子は「元恋人同士です。今では2人とも別の人と結婚していますから」と答えた。
「そうなんだ。」
セナも阿部も三橋も、驚いている。
ここが客がいる店内でなかったら「え~!?」と叫んでいたところだろう。
リコと木吉が醸し出す雰囲気は、完全にカップルのそれだからだ。
「俺、男女間の友情はまやかしって思ってたんすけど。」
「ボクも。まぁ言えた筋合いじゃないけどね。」
阿部とセナはそんなことを言いながら、三橋が作った料理を客席に運んでいく。
確かに同性を恋人に持つ阿部やセナ、そして黒子もそんなことを語れるほどの経験値がない。
ぶっちゃけノーマルな男と女の恋愛には、疎いのだ。
「それで順平がさ、店を畳んで、うちのジムに養子に入るって言いだしてさ」
「床屋、経営が苦しいのか?」
「床屋じゃなくて、ビューティーサロン」
「どう違うんだ?」
リコと木吉が話しているのが、ホールを回る黒子の耳にも入って来た。
そして「なるほど」と納得する。
リコの実家はスポーツジムを経営している。
そして夫の日向の実家は床屋、もといビューティーサロンだ。
2人は現在、それぞれの実家を切り盛りしており、超多忙な夫婦なのだ。
床屋とスポーツジム。
黒子はその瞬間、まるで天啓のように1つのアイディアを思いついた。
ヒル魔にもっと磨けと言われている3号店の経営プラン。
目新しいとは言えないかもしれないが、この辺りの客層には喜ばれるであろうサービスだ。
黒子は微かに唇を緩めて、微笑した。
だが幸か不幸か、誰にも気付かれることなく、忙しい夜は過ぎていった。
*****
「さすが郁ちゃんのおすすめの店。美味しいわぁ。」
折口が笑顔でそう告げると、かよ子が「ええ、ホントに」と笑う。
2人は「カフェ・デビルバッツ」のティルームで、ケーキとお茶を楽しんでいた。
金曜日の夜「カフェ・デビルバッツ」のティールームも、忙しい。
土産にとテイクアウトのケーキを買いにくる酔客も多いのだ。
また土日は客足が増えるので、仕込みの量もかなり増える。
だからここからの作業は明日の仕込みメインとなり、今日の販売はドリンクと残ったケーキ類に絞る。
「鈴音。こっちはもういいから」
十文字が声を書けると、鈴音は「了解」と答えて、メインダイニングに向かった。
向こうはこの時間帯、満席状態になっている。
鈴音がヘルプに向かうのも、金曜恒例のことだ。
閑散とした客席には、2人組の客だけが残っていた。
2人とも中年女性であり、お互いに「折口さん」「かよ子さん」と呼び合っている。
常連客に評判を聞いて、やって来たのだという。
単に食べに来たのではなく仕事の打ち合わせらしきことをしており、もう3時間ほどここにいる。
時折「ヒロイン」とか「ストーリー」とか「キャラ」などという単語が聞こえる。
どうやら作家と編集者らしい。
十文字はそんなことを思ったが、もちろん口を挟むようなことはしなかった。
ひょっとしたら、機密事項なんてこともあるかもしれない。
何を聞いても、知らない顔をしているのが正解だ。
「すみませんね。長居して」
「いえ、構いませんよ。どうせ俺は仕込みでここにいるし、客席を使う分には問題ないです。」
恐縮する折口という女性客に、十文字はそう答えた。
そして「サービスです」と、紅茶のお代わりとケーキを出す。
すると2人は「ありがとうございます」と笑顔になった。
ある程度年齢を重ねた女性特有の、穏やかで深みのある笑顔だ。
「今日はこれくらいにしましょうか」
やがて折口がそう告げると、かよ子が「そうね。少し疲れたし」と頷いた。
そして十文字がサービスしたケーキと紅茶を堪能する。
「毬江ちゃんは随分、お腹が目立って来たわよね。」
「そうね。生まれるのが楽しみね。」
「柴崎さんも妊活始めたらしいけど。」
「そうかぁ。若いって羨ましいわぁ。あたしたちはもう子供を持つのはつらいものね。」
「昔、結婚して子供を持つまでは一人前じゃないって親に言われたんだけど。」
「そんなのまやかしよ。独身でも子供がいなくても立派な人はいるわ。」
折口とかよ子はそんなことを話しながら、顔を見合わせてため息をついた。
運命の相手と出逢いながら、なかなか結婚できなかった2人。
もちろん十文字はそんなことを知る由もないが、年齢に負けずに輝いている女性は美しいと思った。
「そう言えば、堂上君と郁ちゃんのところは?」
「何か郁ちゃん、子供関係の話になると、表情が曇る気がするんだけど。」
「あ、あたしもそう思ったわ。聞いちゃいけないような雰囲気で。」
2人の女性の会話を聞くとはなしに聞いてしまった十文字だが、もちろんスルーだ。
ちなみに偶然にも「郁ちゃん」こと堂上郁は、今メインダイニングで桃のジュースで酔っ払っている。
だが十文字も折口もかよ子もそんなことなど知らず、静かな時間を過ごしていた。
*****
「うちの姫さんは、どこだぁ~!?」
男は閉店したばかりの店に入ってくるなり、そう叫んだ。
スタッフたちはその剣幕に驚き、一瞬静まり返る。
だが三橋が絶妙な間で「なまはげ?」と呟くと、ほぼ全員が吹き出した。
金曜日の夜は忙しい。
ただでさえ客が多いのに、やはり休日前のせいかハメを外す者もいる。
今日も閉店時には、2人の客が寝込んでいた。
小野寺律と、堂上郁である。
律の場合は問題ない。
何度も車で送ったことがあるので、自宅も知っている。
何より彼の恋人に連絡すれば、ちゃんと引き取りに来る。
だがこの夜は郁が問題だった。
夫である堂上篤は、現在出張中と言っていた。
郁の知り合いは何名も来店しているが、連絡先を知っている者はいないのだ。
「どうしよう。図書基地に連絡すればいいかな?」
「それはちょっと大げさになり過ぎないすか?」
「確かにね。お宅の隊員が酔っ払ってますってわけにも」
セナと阿部、そしてティールームからの助っ人の鈴音が顔を見合わせた。
するとそこへ「迎えは呼んだから、心配無用だ」と声がかかった。
営業中は2階の自室に引っ込んでいたヒル魔が、フラリと店に現れたのだ。
「ヒル魔さん、大丈夫ですか?」
セナがすかさずそう聞いた。
ヒル魔は「心配すんな」と頷いて見せる。
金曜の夜、だいたい引っ込んでいる。
人が多いので、身体にはきついらしい。
そのまま降りてこないことも多いが、今日は違うようだ。
「ところで迎えを呼んだって、どういう」
「うちの姫さんは、どこだぁ~!?」
ヒル魔に聞き返す阿部の声に、店に入って来た男の声が重なった。
全員がギョッとして、入口を見る。
すると大柄で肉食獣のような雰囲気を持つ中年男が、立っていた。
「なまはげ?」
思わず呟いた三橋の声に、その場にいた者たちが吹き出した。
だが中年男は物ともせずに「ヒル魔ってあんたか?」と聞いてきた。
ヒル魔は「玄田竜助特等図書監だな」とニヤリと笑った。
「ちょうどよかった。あんたの顔を拝んでおきたくてな。」
「そりゃこっちのセリフだ。」
視線を交わす2人の男の迫力に、スタッフたちは圧倒されていた。
かつて高校アメフトの頂点に立った男と、かつて特殊部隊を束ねていた男。
やはりそのオーラは半端ない。
「じゃあうちの姫さんは回収していく。小牧。手塚!」
玄田がそう呼ばわると、小牧と手塚が店内に入って来て、2人がかりで客席で眠っている郁を立たせた。
そして両側から支えるようにして、郁を店から連れ出していった。
「じゃあな。またいつか会おう!」
玄田は「ガハハ」と笑うと、店を出て行った。
わずか1、2分しか店にいなかった、嵐のような早業だ。
ちなみにこの少し前まで、玄田の妻の折口マキは、隣のティールームにいた。
だが玄田も店のスタッフたちも、そんなまやかしのような偶然を知ることはなかった。
*****
「今日も慌ただしい一日だったね!」
セナが一同を代表して、感想を述べた。
全員が心の底から同意し、頷く。
ヒル魔が締めくくるように「それも面白ぇだろ」と笑い飛ばした。
金曜日の夜は、長かった。
夕方過ぎから閉店まで、ほぼ満席状態だ。
全員が疲労困憊、特にずっと料理を作っていた三橋の消耗はハンパない。
「郁さん、大丈夫ですかね?」
輪になって賄い飯を食べながら、阿部は気になっていたことを口にする。
するとセナが「うん、気になるね」と答える。
本日、寝落ちした酔っ払いは2名。律と郁だ。
2人とも悩みがあるらしく、グチっぽい酒だった。
だが律の場合は、いつも通りというかお馴染みの反応だった。
元々彼の恋人曰く「からみ酒グチ派」である。
それに最近、部署が変わって苦労しているという話も聞いた。
飲んで騒いでグチって、翌朝にはまた頑張る。
ある意味、健全な酒だった。
だが郁の場合は、違った。
愚痴っぽいフレーズは出てくるものの、具体的な内容がまったく出ない。
それでいて、顔だけは無理矢理笑っているような強張った笑顔なのだ。
人に言えない、おそらく夫の堂上にさえ言っていない悩みを抱えている。
そんな風に見えた。
「だいたい見当はつくけどな」
そう言いだしたのは、もちろんヒル魔だった。
情報収集に長けた男は、独自の情報網やハッキングなどでいろいろなネタを持っているのだが。
「ヒル魔さん、郁さんのネタも持ってるんですか!?」
セナが驚きの声を上げると、ヒル魔が「ケケケ」と笑った。
だがすぐに真面目な顔になると「あんまり詮索しないでやれ」と言った。
セナは「確かにそうですね」と答える。
客の悩みを何でも癒せるなんて、まやかしだ。
食事と酒を楽しみ、寛いでもらうのが、第一。
必要なときに手を差し伸べることは厭わないが、過度な干渉は余計なお世話となる。
そのさじ加減がむずかしい。
「表を確認してきます。」
賄い飯を食べ終えた黒子が、席を立った。
閉店前に店前に異常がないか確認し、何もなければ戸締りをする。
賄いを最初に食べ終わった者がやる流れになっているが、それはもっぱら黒子だった。
元アスリートのくせに小食な黒子は、食べる量が少ないのですぐいち早く終わる。
その後、一同は郁を回収に来た玄田の話になった。
先日、ヒル魔が赤司征十郎と密会し、まとまったビジネス。
この話には図書隊防衛部の協力も不可欠であり、赤司が玄田と接触した。
そして話に乗った玄田を、ヒル魔が郁を口実に呼び出したのだ。
ここから先は赤司が主導して進めていくのだが、顔くらいは見ておきたいと思ったからだ。
「あれ?黒子君、遅いね。」
話し込んでいるうちに、セナは表を確認に行った黒子が戻ってないことに気付いた。
阿部が「見てきます」と立ち上がり、店を出る。
だがすぐに「黒子!!どうした!?」と声を上げた。
その声に三橋やセナも表に飛び出したのだが。
店の前には黒子が倒れていた。
阿部が「まさか寝てるとか」と言いながら、黒子の横に屈みこんで「うわ!」と声を上げた。
黒子が倒れている辺りの地面に、赤黒いシミができていたのだ。
どう見ても誰かに襲われたとしか思えない状況に、全員が言葉を失う。
「救急車を呼ぶ。誰か付き添え」
いち早く冷静になったヒル魔が、スマホを取り出して通報する。
サイレンの音が聞こえてくるまで、セナも阿部も三橋も黒子の名を呼び続けた。
【続く】