アイシ×おお振り【お題:思い出15】

【辛い思い出】

ムサシこと武蔵厳は今朝も「カフェ・デビルバッツ」の扉を開けた。
実家の工務店を切り盛りするこの男は、ほぼ毎朝「カフェ・デビルバッツ」に顔を出す。
まもりが豆から厳選した「カフェ・デビルバッツ」の名物ブレンドコーヒー。
コーヒー好きなムサシは、それがとても気に入っている。
だから余程のことがない限りは、朝ここでコーヒーを飲むのだった。

もちろんそれは営業時間外ではあるが、誰もそれを咎めたりなどしない。
ムサシに限らず、ヒル魔やセナの知り合いは営業時間などお構いなしにやって来るからだ。
むしろ決まった時間に現れるムサシはありがたい客だった。

だから「カフェ・デビルバッツ」の朝一番のコーヒーはヒル魔とムサシが飲む。
セナと三橋は「よくブラックで飲める」とヒル魔とムサシに感心する。
そしてサイフォンに残ったコーヒーに牛乳をたっぷりと入れたカフェオレをセナと三橋が飲む。
ヒル魔とムサシは「そんな甘いモンよく飲める」とセナと三橋に感心する。

そんな感じで4人で囲む穏やかなコーヒータイム。
「カフェ・デビルバッツ」の朝はそうやって始まるのが、すっかり定着していた。

*****

「そういえばセナ、どうなったんだ?」
「あ、来週末に渡米します。」
ムサシの言葉に、セナが答えた。
セナの言葉に三橋が驚いたように、目をパチパチと瞬かせた。

「ごめん。さっきメールきたばっかりでレンくんにまだ言ってなかった。」
「俺も聞いてねぇぞ。」
相変わらずノートパソコンを叩きながら、ヒル魔が言う。
「どうせヒル魔さんは、もう調べて知ってると思って」
セナは悪戯っぽく笑った。

ヒル魔はあのパソコンと恐ろしく豊富な人脈で何でも調べ上げてしまう。
いつも自分は無関係とばかりにパソコンを叩いているが、実は来店する客の素性まで細かく知っている。
信じられないような空恐ろしい事実に、三橋も最近ようやく慣れてきた。

「NFLってわかる?」
セナは三橋がアメフトのことを全然知らないことがわかっているので、丁寧に説明する。
「アメリカのアメフトの。。。」
「プロリーグだよ」
三橋の言葉を受けて、ムサシが捕捉してくれた。
「そこのね、テストを受けに行くんだ。」
セナがまた笑顔でカフェオレを飲みながら、三橋に説明する。

*****

「す、す、すごい。。。」
三橋は感激したように目をキラキラさせた。
「受けるだけなら、テメーでもできるぜ」
ヒル魔がケケケと声を上げて、三橋をからかう。
セナが困ったように笑った。

アメフトなど全然知らない三橋でも「アイシールド21」というアメフト選手がいるのは知っていた。
多分スポーツニュースか何かで見たのだろう。
いつも優しく三橋に接してくれるセナがその「アイシールド21」だと知ったのは最近だ。
日本の大学アメフト界を代表する選手なのだと聞いて、本当に驚いた。

「でもセナさん、お店は。。。」
三橋はすこしがっかりしたような口調で聞いた。
せっかく仲良くなれたセナと別れてしまうのは悲しい。
「今はシーズンオフだし、テストの結果はどうでも帰国するよ。だからいないのはちょっとの間だけ」
セナの言葉に三橋が「ウヒ」と小さな声で笑った。

「セナがいない間は、レン大変だろ?」
「その間は、十文字くんかモン太に来てもらおうかなって。後で聞いてみますよ。」
ムサシの言葉に、セナがまた答えていた。

三橋はゆっくりとカップに残ったカフェオレを啜りながら、幸せな気分になっていた。
セナもムサシもヒル魔も優しい、と思う。
そして夢に向かって進んでいくセナはすごい。

ヒル魔とセナは、なにか話があるからと2階に引っ込んだ。
何かプロテストに向けての相談事らしい。
後を頼むといわれた三橋は、ムサシと2人で2杯目のコーヒーを飲むことにした。

*****

「レン、ヒル魔もアメフト選手だったって知ってる?」
ムサシはコーヒーを啜りながら、三橋に聞いてきた。
三橋は首を振った。
そういえば来店するヒル魔とセナの知り合いはアメフトをやっている人ばかり。
でもヒル魔本人のことは、全然話に出てこない。

「あいつな、QBだったんだ」
「こーたー、ばっく?」
「あ~、ボールを投げるヤツ。簡単に言えば投手だな」
三橋はそう言われてドキリとした。投手。自分と同じだ。
「相手チームの選手からブリッツを受けて」
「ぶりっ、つ??」
「ああ、QBにタックルすることだ。」
何も知らない自分に説明するのはストレスではないか?と三橋はヒヤヒヤした。
でもムサシは気にする風でもなく、丁寧に説明してくれる。

「とにかく相手チームから攻撃を受けて、左足やっちゃってな」
「あ、し」
「そう、足。それで選手生命が終わったんだよ」
三橋は驚きに目を見張った。
覚悟を決めて退部したときだって悲しかったと、辛い思い出を振り返る。
いきなりこれで終りだとわかったとき、ヒル魔はどう思ったんだろう。

「で、アメフトが出来なくなったヒル魔は、もっぱらパソコン使って稼いでる。」
「え?」
終りだと思っていた三橋は、まだ続いていた話に間抜けな反応をしてしまった。
「いつかNFLでチームを持つんだって。その資金稼ぎ。株やら為替やらやってるよ。」
ムサシは、そういうとまたコーヒーを啜った。

*****

「でも、それなら、この店は?」
「この店は、まぁ趣味じゃねぇかな。」
「しゅみ」
「そう。俺とか昔なじみが顔出すだろ。今は多分この店がヒル魔とアメフトとの絆。」
「すごい」
三橋は心の底からそう思った。
選手生命を絶たれて、ならチームを持とうなんて。
三橋の脳裏に一瞬、高校の野球部の監督の顔が頭に浮かぶ。
バイタリティや行動力なら、ヒル魔と彼女はいい勝負かもしれない。

「セナはヒル魔が立ち上げるチームの初代RBになるために、今必死なんだ。」
「ランニング、バック。。。」
「そう。NFLで活躍できるRBになって、ヒル魔のチームに貢献したいんだろう。」
「セナさんもすごい。。。」
三橋はセナとヒル魔が目指す世界の大きさに、圧倒されていた。
それでもあの2人なら。できるかもしれない。

「セナにしてみりゃ、罪滅ぼしもあるのかもしれん」
「え?」
「ヒル魔の左足、潰したのはセナなんだよ」
「・・・・・・」
「ヒル魔にブリッツを仕掛けたのは、対戦チームのセナだった。」
「それ、は」
不意にムサシは立ち上がった。
そして言葉が出ない三橋に手を伸ばして、くしゃくしゃと髪を撫でる。

「悪かったな。喋りすぎた。また来る」
それだけ言うと、ムサシは店から出て行った。

*****

セナのプレーで、ヒル魔の選手生命が絶たれた。
ムサシが話してくれたヒル魔とセナの辛い思い出。
残された4人分のカップを見ながら、三橋はポロポロと涙を零していた。

自分に置き換えて考えてみる。
ワイルドピッチで阿部にデットボールを当てて、阿部が野球のできない身体になる。
そんなところだろうか。
想像するだけで、心が千切り取られるように切なくなった。

それでも2人で1つの夢に向かうヒル魔とセナ。
阿部と心を通じ合わせることさえできなかった三橋とは大違いだ。
そこまで考えて、三橋はもう関係ないのだと思い出した。
今の阿部には篠岡がいる。もう三橋はいない人間なのだ。
阿部にとっても。野球部にとっても。

「俺も、前に進まなきゃ。。。」
三橋の呟きが誰もいなくなった店内でポツリと響いた。
セナやヒル魔やムサシの前でも。
阿部や篠岡やかつての野球部の仲間の前でも。
決して恥じない人間にならなくてはいけない。
そうでなければ、野球部にいたことも「カフェ・デビルバッツ」に来たことも無駄になる。

まずはこの涙を止めよう。
一番辛いセナとヒル魔の前で、泣いたりなんかしてはいけない。
三橋はグイっと手のひらで涙を拭うと、唇を噛みしめた。

【続く】
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