アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-1】
【弁解】
「熱心だねぇ」
セナは感心を通り越し、すでに感動の域だ。
だが当の黒子は相変わらずの無表情で「そうですか?」と首を傾げた。
来月、セナたちはアメフトの試合をする。
とはいえ高校時代の仲間が集まって行なう趣味のものだ。
言うなれば、日曜日の草野球のようなノリである。
セナやヒル魔の母校は、現役当時から人数がギリギリだった。
つまりこういうとき、なかなか人数が揃わないのである。
三橋や阿部もセナたちに感化されて、たまにアメフトを楽しむようになっており、今回の人数に入っている。
だがそれでも足りず、今回は黒子まで加わることになった。
黒子はバスケでは全国制覇を成し遂げた選手であるが、もちろんアメフト経験はない。
それどころかルールさえ、満足に知らない。
だがセナは特に気にしていなかった。
勝ったところでどうなるものでもなく、むしろ同窓会的な意味合いの方が強いからだ。
黒子には人数合わせでいてくれればいいくらいの気持ちだった。
だが当の黒子はと言えば、実に生真面目だった。
最初は頑なに「アメフトはわからないので」とことわり続けた。
セナと十文字が「それでもいいから」と説得したところ、ようやく了承してもらったのだが。
一度やると決めた後は、セナも引くほどの熱心さだったのだ。
セナが貸したアメフトの入門書を読んで、まずはルールを勉強した。
それにヒル魔からは試合の映像を借りて見ている。
さらに「最近、体力が落ちてますから」とジョギングも始めた。
しかも店で働く以外の時間には、常にアメフトのボールを持ち歩いている。
楕円のボールに慣れようということらしい。
「熱心だねぇ」
「そうですか?」
「うん、そこまで気合い入れてくれてるなんて、ちょっと驚き」
セナはもう感心を通り越して、感動すらしていた。
閉店後、スタッフで賄い飯を食べている間も、黒子はボールを小脇に抱えていた。
しかもテーブルにはアメフトのプレーブックを開いている。
「オレら、そんなに一生懸命じゃないよな。」
「オ、オレ、ルール、よくわからない。」
阿部と三橋が、セナと黒子の会話に割って入ってきた。
するとセナが「廉君、それはちょっと」と苦笑すると、笑いが巻き起こった。
阿部はワイドレシーバー、三橋はクォーターバックの助っ人である。
クォーターバックはチームの司令塔的な役割であり、ルールがわからないのはさすがに少々問題がある。
「やるからには負けなくないだけですよ。助っ人なんでとか弁解もしたくないですし。」
黒子はそう答えると、またルールブックに目を落とした。
それを見た阿部と三橋が「オレたちも自主トレするか」などと話している。
セナは慌てて「無理しなくていいから!」と諌める。
だが黒子は「勝手にやってます」と答え、阿部も「勝手にやります!」と笑った。
何だかいつもよりちょっと楽しいかも。
セナは助っ人たちの意外なテンションの高さにワクワクしながら、ヒル魔を想った。
ここ最近体調を崩し、もう寝てしまっている。
観戦するかどうかも、当日の体調次第。
だけど面白い試合になりそうな気配だし、ぜひ見て欲しいと思ったのだった。
*****
「いらっしゃいませ~!」
スタッフたちの暖かい声に出迎えられて、緒形と進藤は「カフェ・デビルバッツ」に来店した。
図書基地からさほど遠くない場所にこんな店があったとは、今さらながらに驚きだ。
現在の図書特殊部隊隊長を務めるのは、緒形明也である。
数年前、当時の隊長である玄田が昇任と共に防衛部のトップに上がり、その際に引き継いだ。
その際、緒形が勤めていた副隊長の後任となったのが進藤誠。
つまり現在の関東図書特殊部隊のツートップである。
とは言え、私服に着替えて差し向かいで飲んでいる姿は普通にオジサンだ。
何も予備知識がなければ、勤め人に見えただろう。
だがそこは「カフェ・デビルバッツ」である。
隅の指定席でパソコンを叩いているオーナーは、阿部に目で合図する。
阿部はウォーターポットを手に取り、ヒル魔のグラスに水を注ぎながら、パソコンの画面を覗く。
画面に開いたテキストエディタの中には「図書特殊部隊の隊長と副隊長」と文字が表示されていた。
すかさずその情報は、スタッフ一同に広まった。
戦闘職種なら、それに見合った食事とお酒。
オーナーからもたらされた情報は、サービスに直結する。
だがもちろん客が黙っている限り、スタッフたちも何も口にすることはない。
来店した全ての客を満足させるべく、人知れず頑張るだけだ。
だがこのオジサン2人はあっさりと素性を白状した。
席に座るなり、メニューを持って来たセナに「俺たち、堂上夫妻の上官なんだ」と明かしたのだ。
美味い店だと聞いていたので、常連になる気まんまんなのである。
セナは笑顔で「ご来店ありがとうございます」と頭を下げた。
程なくしてビールと突き出し代わりの小鉢が運ばれてくる。
普通の店では突き出しも有料だが「カフェ・デビルバッツ」では、1杯目の酒と一緒に無料サービスの小鉢がつくのだ。
「乾杯」
緒形と進藤はグラスを掲げると、ゴクゴクとビールを飲んだ。
どちらからともなく「お疲れ」と労いの言葉が出る。
玄田が去った後、特殊部隊を支えてきたツートップ。
日々の激務に今更のように玄田の偉大さを思い知り、ため息が出る。
今日の2人もそんな事態に直面していた。
この日、関東図書基地では定例の幹部会議が行われた。
特殊部隊からは毎回、緒形と進藤が出席している。
今日の話題は、防衛部の縮小化についてだった。
世論は完全にメディア良化法の廃止という流れに向かっている。
検閲の数も激減しており、防衛部もそう遠くない未来になくなるだろう。
それに向けてそろそろ縮小し、その分図書館業務のさらなる充実に向けようという流れは悪くない。
だがその第一段階として提案されたのが、女性防衛員の削減だった。
業務部等への異動を推奨し、また早期除隊希望者は退職金を増やす。
そして特殊部隊では、その対象者は郁だった。
そもそも銃火器使用が規制されてから、検閲は腕力勝負の肉弾戦が主になり、郁の出番は減った。
体力的にもそろそろ陰りが見える郁は、充分に「リストラ」第一候補だった。
「笠原は検閲撤廃まで、特殊部隊に置いてやりたかったんだがな。」
「まったくだ。あいつは充分な功績を残してるのに、その程度のわがままも許されないのかよ。」
「堂上夫妻に伝えることを思うと、気が滅入る。」
「笠原より堂上の方が噛みついてきそうだな。」
「まったく責められれば、弁解の余地もないな。」
2人の中年男は、憂鬱な話題を肴に一気にビールを飲みほした。
今度はシングルモルトのウィスキーをボトルで注文した。
緒形と進藤は、静かにグラスを傾けながら、箸を勧めた。
こんなときなのに、さすがに堂上夫妻推薦の店には大満足だ。
料理も酒もとても美味であり、スタッフは暖かかった。
*****
「うわ、黒子君、すごい!」
セナは思わず驚嘆の声を上げた。
三橋が投じたボールは、まるで見当違いの方向に立っていた阿部の手にすっぽりと収まったからだ。
早朝の「カフェ・デビルバッツ」の店前の駐車スペース。
最初にここで練習していたのは、黒子だった。
空中に投げ上げたボールを、壁のある一点を狙ってタップするのだ。
黒子はバスケでのタップパスは得意だ。
味方のパスルートを変えたり、敵のパスをカットしたりする。
アメフトでもそのプレイスタイルで出来ればと思うが、1つ大きな問題がある。
それはアメフトのボールは楕円であることだ。
丸いバスケのボールとはボールの重心が違う。
バスケのようにただパスをするだけでは、真っ直ぐに飛ばないのだ。
そこで約1週間は、徹底的にボールに慣れることにした。
仕事中以外は、とにかくボールに触っていた。
楕円のボールを、手足のように扱えるようにしたかった。
1週間でどこまでできたかわからないが、だいぶマシにはなったと思う。
楕円のボールはタップしにくいが、やっているうちにかなり慣れてきた。
だがそこへ三橋と阿部、セナもやってきたのである。
どうやら目敏く、黒子の自主練を見つけたらしい。
セナが「一緒にやろっか」とニッコリ笑う。
黒子がふと視線に気づいて見上げると、2階の窓からヒル魔がこちらを見下ろしていた。
まずは軽くキャッチボールを始めた。
三橋がボールを投げる。
セナとヒル魔にアメフトを習った三橋は、楕円のボールを正確に投げることができる。
綺麗なスパイラルがかかっており、初心者でも取りやすい。
黒子は目の前に飛んできたボールをタップした。
ほんの一瞬ボールに触れ、手のひらで押しただけだ。
うっかり瞬きでもしようものなら、見逃してしまうほどの動きだ。
そしてボールは見事に方向を変え、少し離れた阿部の手に収まったのだった。
「うわ、黒子君、すごい!」
セナは思わず驚嘆の声を上げた。
ボールを受けた阿部は呆然とし、三橋も「う、わわ」と意味不明な声を上げる。
こんなプレイ、アメフトでは見たことがない。
「これなら少しは、試合で役に立ちますか?」
黒子は事もなげにそう聞いてきた。
セナは「もちろん」と答えながら、わだかまりがとけていくのを感じた。
ヒル魔は店に現れた黒子を一目で気に入り、3号店をまかせようとまでしている。
そのことに少なからず嫉妬していたのだ。
だけどようやくわかった気がした。
たかが遊びの試合に、ここまで真剣になっているのだ。
しかもいきなり見たこともないようなプレイを会得して。
こんな一生懸命で型破りな男、ヒル魔が気に入るのは当たり前だ。
そしてそれ以上に、セナも黒子のことをもっと知りたくなっていた。
「これじゃ素人がいたから負けたとか、弁解できないよ。」
セナが軽く文句を言うと、黒子は微かに口元に笑みを浮かべた。
どうやらドヤ顔らしいとわかるくらいには、黒子のことがわかり始めていた。
*****
「どうした?」
ヒル魔は店の前にたたずむ女性に声をかけた。
振り向いた彼女の瞳はは涙で濡れており、ヒル魔と視線を合わせるとそのまま胸に飛び込んで号泣した。
ヒル魔は「カフェ・デビルバッツ」の2階の居室にいた。
店に出るほど体調は良くないが、昼間寝ていたので今はかなりマシだ。
そして窓際に座り、夜の街を見ながら時間を過ごしていた。
本当は俺も投げたかった。
ヒル魔はそんなことを思い、寂しい気持ちをやり過ごす。
もうすぐアメフトの試合があり、セナたちが早朝練習をしているのは知っている。
三橋のパスは相変わらず綺麗だし、阿部のキャッチも上達した。
黒子のタップパスを見た時には、声を上げて笑ったほどだ。
あんなプレイは見たことがない。
それをいきなりやってのける黒子が、愉快だった。
やはりヒル魔が見込んだ男は、面白い。
彼らとアメフトができればと思うが、今のヒル魔は観戦さえ覚束ないほどだ。
自由がきかない身体が恨めしく、寂しい。
そんなことを思いながら窓の外を見ていたヒル魔は、店の前で佇む人影を見つけた。
店の常連で、顔見知りの女性だ。
店に入るでもなく、立ち去るでもなく、ただ呆然と立っているようだ。
どうしたんだと目を凝らしたヒル魔は、彼女が泣いていることに気付いた。
そして慌てて部屋を飛び出し、驚くセナや阿部の制止も聞かずに店の外に出た。
「日和」
ヒル魔は彼女に声をかけた。
幼い頃から知っており、かれこれ十年来の常連の女性、桐嶋日和だ。
ついこの間「カフェ・デビルバッツ」で恋人にプロポーズされ、幸せ絶頂のはずなのに。
振り向いたその顔は、涙で濡れていた。
「どうした?」
ヒル魔と視線を合わせた日和は、そのままヒル魔の胸に飛び込んで号泣した。
騒ぎを聞きつけたセナと阿部が店を飛び出してくる。
そしてヒル魔の胸に縋りついて泣く日和を見たセナは、怒りの表情になった。
「何、女の子を泣かせてるんですか!?」
「・・・ちがう。」
「弁解、無用です!」
「だから違うって!」
ヒル魔とセナのケンカにシフトしかけた時、日和が「ごめんなさい!」と涙で濡れた顔のまま叫んだ。
するといつの間にか現れた黒子が「どうぞ」と日和にタオルを差し出す。
日和が「ありがとうございます」とタオルを受け取ると、涙を拭いた。
「とりあえず日和ちゃん、何か食べていきなよ。」
「そうそう。今日はヒル魔さんの奢り!」
阿部とセナが口々にそう言いながら、日和を店内に招き入れた。
日和は泣き笑いの表情のまま、誘いに従った。
そして他の客からは見えにくい奥のテーブルで、ヒル魔と向かい合った。
「とりあえず食え。それから話したいことがあるなら、聞いてやる。」
尊大なヒル魔の物言いに、日和が「はい」と頷く。
そして運ばれてきた料理を食べ始めながら、おもむろに口を開いた。
「婚約を解消されたんです。」
日和はそう告げると、まだ涙を零した。
そしてその涙をぬぐうこともせず、静かに箸を動かし続けたのだった。
*****
「婚約を解消されたんです。」
そんな風に始まった日和の打ち明け話を、ヒル魔はただ聞いていた。
それはセナや阿部たちにも聞こえていたが、みな素知らぬ顔で仕事をしていた。
婚約を解消されたんです。
プロポーズの後、しばらくは幸せでした。
だけどある日、彼の実家に行くことになって。
あたしは結婚の挨拶だと思って、喜んで行ったんですよ。
だけどその場で、このお話はなかったことにって言われたんです。
プロポーズの後、あたしのことを調べたんだそうです。
それで・・・ダメだって。
泣きながら、食事をしながら、悲しい出来事を語る日和には鬼気迫るものがあった。
そこまで黙って聞いていたヒル魔は「ダメな理由は、オヤジか?」と聞く。
すると日和はこくんと頷くと、まだ涙を零した。
「男同士で恋愛するような男の娘と、息子は結婚させられないって言われて。」
日和はそう告げると、グラスワインをグイッとイッキ飲みだ。
本来は褒められた飲み方ではないが、今日はいいだろう。
ヒル魔はセナにこっそりと目配せをする。
するとセナはボトルのワインを持ってきて、空いたグラスにワインを注いだ。
「相手の男は?親の言いなりか?」
「うん。ゲイの娘なんて嫌だって。うちの父は母と結婚もしたんだからゲイじゃなくてバイだっての!」
「問題はそこじゃないだろ。」
「うん。そんなことであたしへの愛情がなくなっちゃうことがショックだった。」
日和は愚痴をこぼしながら、大いに食べて飲んだ。
ヤケ酒、ヤケ食いの様相だが、それで気が晴れるならいいだろう。
ヒル魔は適度に合いの手を入れながら、日和に酒を勧めた。
そして日和が眠り込んだのを見て、彼女の父である桐嶋に連絡を入れたのだった。
「まったく知りませんでした。婚約を解消されたことなんて。」
駆け付けてきた桐嶋は、悲痛な声でそう言った。
そして客席でスヤスヤと寝息を立てている日和を見る。
だが日和の頬が涙で濡れているのを見て、顔を歪めた。
「俺のせいだ。弁解の余地もない。」
思わずそう呻いた桐嶋に、ヒル魔は間髪入れずに「違う」と言った。
驚いた桐嶋に、ヒル魔は「あんたのせいじゃない」と言い募った。
「そんなことで破談にする男の方が問題だろ」
「しかし」
「むしろここでそんな男と縁を切れたことを喜んだ方がいい。」
「日和にそんなこと、言えた義理じゃない」
「心配するな。俺が言っておいた。」
ヒル魔の言葉に、桐嶋が「は?」と声を上げる。
そんな桐嶋に、ヒル魔はさらに続けた。
「絶対にもっといい相手が見つかる。これを糧に女を上げろって」
「それも言ったのか。」
「ああ、言った。」
「・・・あんた、いいヤツだな。」
桐嶋はニヤリと笑うと、ヒル魔に頭を下げた。
店のスタッフたちにも「娘が世話になった」と告げる。
そして阿部が車で、酔い潰れた日和と桐嶋を送っていくことになった。
「まったくあんないい子を振るなんて!」
「相手、の、男、バカ、だ。」
「まぁひよちゃんにはまた恋人が見つかるから、そのとき悔しがってるのを見て笑ってやろうよ!」
桐嶋と日和が出て行った後、セナと三橋、そしてティールームにいた鈴音まで加わり、息巻いた。
そしてヒル魔は日和を傷つけた男にちょっとした制裁をくわえてやろうと、秘かにパソコンを立ち上げたのだった。
【続く】
「熱心だねぇ」
セナは感心を通り越し、すでに感動の域だ。
だが当の黒子は相変わらずの無表情で「そうですか?」と首を傾げた。
来月、セナたちはアメフトの試合をする。
とはいえ高校時代の仲間が集まって行なう趣味のものだ。
言うなれば、日曜日の草野球のようなノリである。
セナやヒル魔の母校は、現役当時から人数がギリギリだった。
つまりこういうとき、なかなか人数が揃わないのである。
三橋や阿部もセナたちに感化されて、たまにアメフトを楽しむようになっており、今回の人数に入っている。
だがそれでも足りず、今回は黒子まで加わることになった。
黒子はバスケでは全国制覇を成し遂げた選手であるが、もちろんアメフト経験はない。
それどころかルールさえ、満足に知らない。
だがセナは特に気にしていなかった。
勝ったところでどうなるものでもなく、むしろ同窓会的な意味合いの方が強いからだ。
黒子には人数合わせでいてくれればいいくらいの気持ちだった。
だが当の黒子はと言えば、実に生真面目だった。
最初は頑なに「アメフトはわからないので」とことわり続けた。
セナと十文字が「それでもいいから」と説得したところ、ようやく了承してもらったのだが。
一度やると決めた後は、セナも引くほどの熱心さだったのだ。
セナが貸したアメフトの入門書を読んで、まずはルールを勉強した。
それにヒル魔からは試合の映像を借りて見ている。
さらに「最近、体力が落ちてますから」とジョギングも始めた。
しかも店で働く以外の時間には、常にアメフトのボールを持ち歩いている。
楕円のボールに慣れようということらしい。
「熱心だねぇ」
「そうですか?」
「うん、そこまで気合い入れてくれてるなんて、ちょっと驚き」
セナはもう感心を通り越して、感動すらしていた。
閉店後、スタッフで賄い飯を食べている間も、黒子はボールを小脇に抱えていた。
しかもテーブルにはアメフトのプレーブックを開いている。
「オレら、そんなに一生懸命じゃないよな。」
「オ、オレ、ルール、よくわからない。」
阿部と三橋が、セナと黒子の会話に割って入ってきた。
するとセナが「廉君、それはちょっと」と苦笑すると、笑いが巻き起こった。
阿部はワイドレシーバー、三橋はクォーターバックの助っ人である。
クォーターバックはチームの司令塔的な役割であり、ルールがわからないのはさすがに少々問題がある。
「やるからには負けなくないだけですよ。助っ人なんでとか弁解もしたくないですし。」
黒子はそう答えると、またルールブックに目を落とした。
それを見た阿部と三橋が「オレたちも自主トレするか」などと話している。
セナは慌てて「無理しなくていいから!」と諌める。
だが黒子は「勝手にやってます」と答え、阿部も「勝手にやります!」と笑った。
何だかいつもよりちょっと楽しいかも。
セナは助っ人たちの意外なテンションの高さにワクワクしながら、ヒル魔を想った。
ここ最近体調を崩し、もう寝てしまっている。
観戦するかどうかも、当日の体調次第。
だけど面白い試合になりそうな気配だし、ぜひ見て欲しいと思ったのだった。
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「いらっしゃいませ~!」
スタッフたちの暖かい声に出迎えられて、緒形と進藤は「カフェ・デビルバッツ」に来店した。
図書基地からさほど遠くない場所にこんな店があったとは、今さらながらに驚きだ。
現在の図書特殊部隊隊長を務めるのは、緒形明也である。
数年前、当時の隊長である玄田が昇任と共に防衛部のトップに上がり、その際に引き継いだ。
その際、緒形が勤めていた副隊長の後任となったのが進藤誠。
つまり現在の関東図書特殊部隊のツートップである。
とは言え、私服に着替えて差し向かいで飲んでいる姿は普通にオジサンだ。
何も予備知識がなければ、勤め人に見えただろう。
だがそこは「カフェ・デビルバッツ」である。
隅の指定席でパソコンを叩いているオーナーは、阿部に目で合図する。
阿部はウォーターポットを手に取り、ヒル魔のグラスに水を注ぎながら、パソコンの画面を覗く。
画面に開いたテキストエディタの中には「図書特殊部隊の隊長と副隊長」と文字が表示されていた。
すかさずその情報は、スタッフ一同に広まった。
戦闘職種なら、それに見合った食事とお酒。
オーナーからもたらされた情報は、サービスに直結する。
だがもちろん客が黙っている限り、スタッフたちも何も口にすることはない。
来店した全ての客を満足させるべく、人知れず頑張るだけだ。
だがこのオジサン2人はあっさりと素性を白状した。
席に座るなり、メニューを持って来たセナに「俺たち、堂上夫妻の上官なんだ」と明かしたのだ。
美味い店だと聞いていたので、常連になる気まんまんなのである。
セナは笑顔で「ご来店ありがとうございます」と頭を下げた。
程なくしてビールと突き出し代わりの小鉢が運ばれてくる。
普通の店では突き出しも有料だが「カフェ・デビルバッツ」では、1杯目の酒と一緒に無料サービスの小鉢がつくのだ。
「乾杯」
緒形と進藤はグラスを掲げると、ゴクゴクとビールを飲んだ。
どちらからともなく「お疲れ」と労いの言葉が出る。
玄田が去った後、特殊部隊を支えてきたツートップ。
日々の激務に今更のように玄田の偉大さを思い知り、ため息が出る。
今日の2人もそんな事態に直面していた。
この日、関東図書基地では定例の幹部会議が行われた。
特殊部隊からは毎回、緒形と進藤が出席している。
今日の話題は、防衛部の縮小化についてだった。
世論は完全にメディア良化法の廃止という流れに向かっている。
検閲の数も激減しており、防衛部もそう遠くない未来になくなるだろう。
それに向けてそろそろ縮小し、その分図書館業務のさらなる充実に向けようという流れは悪くない。
だがその第一段階として提案されたのが、女性防衛員の削減だった。
業務部等への異動を推奨し、また早期除隊希望者は退職金を増やす。
そして特殊部隊では、その対象者は郁だった。
そもそも銃火器使用が規制されてから、検閲は腕力勝負の肉弾戦が主になり、郁の出番は減った。
体力的にもそろそろ陰りが見える郁は、充分に「リストラ」第一候補だった。
「笠原は検閲撤廃まで、特殊部隊に置いてやりたかったんだがな。」
「まったくだ。あいつは充分な功績を残してるのに、その程度のわがままも許されないのかよ。」
「堂上夫妻に伝えることを思うと、気が滅入る。」
「笠原より堂上の方が噛みついてきそうだな。」
「まったく責められれば、弁解の余地もないな。」
2人の中年男は、憂鬱な話題を肴に一気にビールを飲みほした。
今度はシングルモルトのウィスキーをボトルで注文した。
緒形と進藤は、静かにグラスを傾けながら、箸を勧めた。
こんなときなのに、さすがに堂上夫妻推薦の店には大満足だ。
料理も酒もとても美味であり、スタッフは暖かかった。
*****
「うわ、黒子君、すごい!」
セナは思わず驚嘆の声を上げた。
三橋が投じたボールは、まるで見当違いの方向に立っていた阿部の手にすっぽりと収まったからだ。
早朝の「カフェ・デビルバッツ」の店前の駐車スペース。
最初にここで練習していたのは、黒子だった。
空中に投げ上げたボールを、壁のある一点を狙ってタップするのだ。
黒子はバスケでのタップパスは得意だ。
味方のパスルートを変えたり、敵のパスをカットしたりする。
アメフトでもそのプレイスタイルで出来ればと思うが、1つ大きな問題がある。
それはアメフトのボールは楕円であることだ。
丸いバスケのボールとはボールの重心が違う。
バスケのようにただパスをするだけでは、真っ直ぐに飛ばないのだ。
そこで約1週間は、徹底的にボールに慣れることにした。
仕事中以外は、とにかくボールに触っていた。
楕円のボールを、手足のように扱えるようにしたかった。
1週間でどこまでできたかわからないが、だいぶマシにはなったと思う。
楕円のボールはタップしにくいが、やっているうちにかなり慣れてきた。
だがそこへ三橋と阿部、セナもやってきたのである。
どうやら目敏く、黒子の自主練を見つけたらしい。
セナが「一緒にやろっか」とニッコリ笑う。
黒子がふと視線に気づいて見上げると、2階の窓からヒル魔がこちらを見下ろしていた。
まずは軽くキャッチボールを始めた。
三橋がボールを投げる。
セナとヒル魔にアメフトを習った三橋は、楕円のボールを正確に投げることができる。
綺麗なスパイラルがかかっており、初心者でも取りやすい。
黒子は目の前に飛んできたボールをタップした。
ほんの一瞬ボールに触れ、手のひらで押しただけだ。
うっかり瞬きでもしようものなら、見逃してしまうほどの動きだ。
そしてボールは見事に方向を変え、少し離れた阿部の手に収まったのだった。
「うわ、黒子君、すごい!」
セナは思わず驚嘆の声を上げた。
ボールを受けた阿部は呆然とし、三橋も「う、わわ」と意味不明な声を上げる。
こんなプレイ、アメフトでは見たことがない。
「これなら少しは、試合で役に立ちますか?」
黒子は事もなげにそう聞いてきた。
セナは「もちろん」と答えながら、わだかまりがとけていくのを感じた。
ヒル魔は店に現れた黒子を一目で気に入り、3号店をまかせようとまでしている。
そのことに少なからず嫉妬していたのだ。
だけどようやくわかった気がした。
たかが遊びの試合に、ここまで真剣になっているのだ。
しかもいきなり見たこともないようなプレイを会得して。
こんな一生懸命で型破りな男、ヒル魔が気に入るのは当たり前だ。
そしてそれ以上に、セナも黒子のことをもっと知りたくなっていた。
「これじゃ素人がいたから負けたとか、弁解できないよ。」
セナが軽く文句を言うと、黒子は微かに口元に笑みを浮かべた。
どうやらドヤ顔らしいとわかるくらいには、黒子のことがわかり始めていた。
*****
「どうした?」
ヒル魔は店の前にたたずむ女性に声をかけた。
振り向いた彼女の瞳はは涙で濡れており、ヒル魔と視線を合わせるとそのまま胸に飛び込んで号泣した。
ヒル魔は「カフェ・デビルバッツ」の2階の居室にいた。
店に出るほど体調は良くないが、昼間寝ていたので今はかなりマシだ。
そして窓際に座り、夜の街を見ながら時間を過ごしていた。
本当は俺も投げたかった。
ヒル魔はそんなことを思い、寂しい気持ちをやり過ごす。
もうすぐアメフトの試合があり、セナたちが早朝練習をしているのは知っている。
三橋のパスは相変わらず綺麗だし、阿部のキャッチも上達した。
黒子のタップパスを見た時には、声を上げて笑ったほどだ。
あんなプレイは見たことがない。
それをいきなりやってのける黒子が、愉快だった。
やはりヒル魔が見込んだ男は、面白い。
彼らとアメフトができればと思うが、今のヒル魔は観戦さえ覚束ないほどだ。
自由がきかない身体が恨めしく、寂しい。
そんなことを思いながら窓の外を見ていたヒル魔は、店の前で佇む人影を見つけた。
店の常連で、顔見知りの女性だ。
店に入るでもなく、立ち去るでもなく、ただ呆然と立っているようだ。
どうしたんだと目を凝らしたヒル魔は、彼女が泣いていることに気付いた。
そして慌てて部屋を飛び出し、驚くセナや阿部の制止も聞かずに店の外に出た。
「日和」
ヒル魔は彼女に声をかけた。
幼い頃から知っており、かれこれ十年来の常連の女性、桐嶋日和だ。
ついこの間「カフェ・デビルバッツ」で恋人にプロポーズされ、幸せ絶頂のはずなのに。
振り向いたその顔は、涙で濡れていた。
「どうした?」
ヒル魔と視線を合わせた日和は、そのままヒル魔の胸に飛び込んで号泣した。
騒ぎを聞きつけたセナと阿部が店を飛び出してくる。
そしてヒル魔の胸に縋りついて泣く日和を見たセナは、怒りの表情になった。
「何、女の子を泣かせてるんですか!?」
「・・・ちがう。」
「弁解、無用です!」
「だから違うって!」
ヒル魔とセナのケンカにシフトしかけた時、日和が「ごめんなさい!」と涙で濡れた顔のまま叫んだ。
するといつの間にか現れた黒子が「どうぞ」と日和にタオルを差し出す。
日和が「ありがとうございます」とタオルを受け取ると、涙を拭いた。
「とりあえず日和ちゃん、何か食べていきなよ。」
「そうそう。今日はヒル魔さんの奢り!」
阿部とセナが口々にそう言いながら、日和を店内に招き入れた。
日和は泣き笑いの表情のまま、誘いに従った。
そして他の客からは見えにくい奥のテーブルで、ヒル魔と向かい合った。
「とりあえず食え。それから話したいことがあるなら、聞いてやる。」
尊大なヒル魔の物言いに、日和が「はい」と頷く。
そして運ばれてきた料理を食べ始めながら、おもむろに口を開いた。
「婚約を解消されたんです。」
日和はそう告げると、まだ涙を零した。
そしてその涙をぬぐうこともせず、静かに箸を動かし続けたのだった。
*****
「婚約を解消されたんです。」
そんな風に始まった日和の打ち明け話を、ヒル魔はただ聞いていた。
それはセナや阿部たちにも聞こえていたが、みな素知らぬ顔で仕事をしていた。
婚約を解消されたんです。
プロポーズの後、しばらくは幸せでした。
だけどある日、彼の実家に行くことになって。
あたしは結婚の挨拶だと思って、喜んで行ったんですよ。
だけどその場で、このお話はなかったことにって言われたんです。
プロポーズの後、あたしのことを調べたんだそうです。
それで・・・ダメだって。
泣きながら、食事をしながら、悲しい出来事を語る日和には鬼気迫るものがあった。
そこまで黙って聞いていたヒル魔は「ダメな理由は、オヤジか?」と聞く。
すると日和はこくんと頷くと、まだ涙を零した。
「男同士で恋愛するような男の娘と、息子は結婚させられないって言われて。」
日和はそう告げると、グラスワインをグイッとイッキ飲みだ。
本来は褒められた飲み方ではないが、今日はいいだろう。
ヒル魔はセナにこっそりと目配せをする。
するとセナはボトルのワインを持ってきて、空いたグラスにワインを注いだ。
「相手の男は?親の言いなりか?」
「うん。ゲイの娘なんて嫌だって。うちの父は母と結婚もしたんだからゲイじゃなくてバイだっての!」
「問題はそこじゃないだろ。」
「うん。そんなことであたしへの愛情がなくなっちゃうことがショックだった。」
日和は愚痴をこぼしながら、大いに食べて飲んだ。
ヤケ酒、ヤケ食いの様相だが、それで気が晴れるならいいだろう。
ヒル魔は適度に合いの手を入れながら、日和に酒を勧めた。
そして日和が眠り込んだのを見て、彼女の父である桐嶋に連絡を入れたのだった。
「まったく知りませんでした。婚約を解消されたことなんて。」
駆け付けてきた桐嶋は、悲痛な声でそう言った。
そして客席でスヤスヤと寝息を立てている日和を見る。
だが日和の頬が涙で濡れているのを見て、顔を歪めた。
「俺のせいだ。弁解の余地もない。」
思わずそう呻いた桐嶋に、ヒル魔は間髪入れずに「違う」と言った。
驚いた桐嶋に、ヒル魔は「あんたのせいじゃない」と言い募った。
「そんなことで破談にする男の方が問題だろ」
「しかし」
「むしろここでそんな男と縁を切れたことを喜んだ方がいい。」
「日和にそんなこと、言えた義理じゃない」
「心配するな。俺が言っておいた。」
ヒル魔の言葉に、桐嶋が「は?」と声を上げる。
そんな桐嶋に、ヒル魔はさらに続けた。
「絶対にもっといい相手が見つかる。これを糧に女を上げろって」
「それも言ったのか。」
「ああ、言った。」
「・・・あんた、いいヤツだな。」
桐嶋はニヤリと笑うと、ヒル魔に頭を下げた。
店のスタッフたちにも「娘が世話になった」と告げる。
そして阿部が車で、酔い潰れた日和と桐嶋を送っていくことになった。
「まったくあんないい子を振るなんて!」
「相手、の、男、バカ、だ。」
「まぁひよちゃんにはまた恋人が見つかるから、そのとき悔しがってるのを見て笑ってやろうよ!」
桐嶋と日和が出て行った後、セナと三橋、そしてティールームにいた鈴音まで加わり、息巻いた。
そしてヒル魔は日和を傷つけた男にちょっとした制裁をくわえてやろうと、秘かにパソコンを立ち上げたのだった。
【続く】