アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-1】

【永遠】

「え、ボクですか!?」
セナは困惑しながら、聞き返した。
かつての恩師は「お前が一番適任だ」と断言した。

開店前の「カフェ・デビルバッツ」。
キッチンでは三橋と黒子が、仕込みを始めている。
基本的に営業時間になっていないが、仕込みの最中もドアは空いている。
時々常連客が「何か食わせて」とか「コーヒー飲ませて」とやってくるからだ。
ちゃんとしたモーニングメニューはないが、そういう客にはできる範囲で対応するようにしている。

そんな時間帯に、セナは客席でかつての恩師と向かい合っていた。
彼の名は酒奇溝六。
ヒル魔やセナの母校である泥門高校アメフト部の監督を務めている男だ。
セナたちが在学中は監督ではなく、トレーナーだった。
作戦立案や指導などはヒル魔がやっていたから、溝六は選手の健康面やメンタルのケアを担当していたのだ。
だがヒル魔やセナが卒業後は正式に泥門高校の職員となり、監督としてアメフト部をまとめている。

窓の外には出勤していくサラリーマンの姿が見える。
だが客席に座る作務衣姿の溝六は、小脇に大徳利を抱えていた。
酒の匂いも漂わせてるし、おそらく夜通し飲んで寝ないままにここに来たのだろう。

「何か食べますか?」
「食べる物はいい。酒あるか?」
この人は変わらないなと、セナは苦笑した。
昔から大酒飲みで、いくら飲んでも酔い潰れることはなかった。
風貌も驚くほど変わっていない。
頭髪が少々寂しいことになっている以外は、昔のままの溝六だ。

そこへ仕込み中の三橋が出て来て、溝六の前に丼を置いた。
湯気が立つその中身は、お茶漬けだ。
焼いた鮭のほぐし身がトッピングされている。

「朝から、お酒、ダメです!」
三橋はそう言って、キッチンへ戻っていく。
セナはクスリと笑うと「彼が言う通りですよ」と笑った。
溝六はやや不満そうな表情を見せたが、すぐに箸を取りお茶漬けを啜った。
結構な勢いで食べているところを見ると、どうやら口に合わないことはなさそうだ。

「ヒル魔は元気かい?」
「相変わらずですよ。」
溝六もヒル魔の身体のことは知っており、心配しているようだ。
だがセナは「大丈夫」などと気休めは言えない。
昔病気が発覚し、余命宣言をされたが、ヒル魔はその何倍も長く生きている。
それはすごいことだが、いつ旅立ってもおかしくない状況なのだ。

「早速だが本題だ。今年いっぱいで泥門を辞めようと思ってる。」
「え、そうなんですか?」
予想外の退職宣言に、セナは驚いた。
溝六はいつまでも泥門高校アメフト部の要であり、それは永遠に変わらないと思い込んでいたのだ。
だが溝六だって世間的には「高齢者」とくくられる年齢だ。
そろそろ監督を退いたところで、不思議ではない。

「で、その後任なんだが。セナ、やる気はないか?」
「え、ボクですか!?」
「お前が一番適任だ。」
予想外のことに、セナはまたしても驚いた。
泥門高校アメフト部の監督。
再びアメフトと触れ合えることは嬉しいが、今はダメだ。

「すみません。無理です。」
セナは一瞬の逡巡の後、そう答えた。
今のセナの一番はアメフトではない。
ヒル魔と少しでも長く、一緒に過ごすことなのだ。

*****

「乾杯!」
窓側の特等席に向かい合って座るカップルが、ワイングラスを合わせた。
阿部はその様子を横目に見ながら「月日が経つのは早いっすね」と呟く。
セナもしみじみとした口調で「そうだねぇ」と答えたのだった。

その夜「カフェ・デビルバッツ」のスタッフ一同は、心浮き立っていた。
この日は彼女の誕生日なんです。
予約をするとき、カップルの片割れの男は照れくさそうにそう言った。
そして予算や料理の内容以外にもリクエストがあった。
メインディッシュの後、デザートのときに一緒に持ってきてください。
そんな言葉と共に渡された小さな正方形の箱。
そこそこ鈍いヤツだって、わかる。
箱の中身は指輪であり、彼は彼女にプロポーズするつもりなのだ。

三橋は張り切って、コースメニューを考えた。
2人は常連客だから、食べ物の好みもわかっている。
ボリュームよりもしっかり手をかけて、見た目も美しい料理にしたい。
そこでこの日のキッチンは、三橋と黒子、2人体制でやることにした。
三橋がカップルのコース料理に専念し、黒子が他の客の料理を作る。
とにかく2人の思い出のために、渾身の料理を作るつもりだ。

そしてついにその日が来た。
夜になり、予約時間きっかりに2人は現れた。
阿部とセナが「いらっしゃいませ」と席に案内する。
そして何とこの日はヒル魔がホールスタッフを務めることになった。
2人のテーブル専任で、給仕をすると言い出したのだ。
それには当の2人よりも、スタッフたちの方が驚いていたが。

「これはひよが生まれた年のワインだ。店から誕生祝いに贈らせてもらう。」
ヒル魔が華麗な手つきでワインのラベルを見せると、若い2人は恐縮した。
だがヒル魔は「親の代からの御贔屓さんだからな」と笑う。
彼女の名は桐嶋日和。
常連の高野や律と同じ会社に勤務する父親、桐嶋禅と共に小学生の頃からよく来ていた。
彼氏の方はその日和と付き合い始めてから、連れられて来るようになった新顔の常連だ。

「ありがとうございます。」
「ありがとう!ヒル魔さん!」
幸せな若いカップルは、満面の意味で礼を言う。
ヒル魔は「おめでとう」と告げながら、阿部に合図を送る。
すると阿部が「おめでとうございます」と恭しく近寄り、ワインのコルクを抜いた。
こうしているとわからないが、体力が落ちているヒル魔にとってワインを抜くのはしんどい作業なのだ。
だが若い2人は気付くことなく「乾杯!」とグラスを合わせた。

「月日が経つのは早いっすね。」
「そうだねぇ。」
テーブルを離れた阿部とセナはしみじみとそんなことを言い合った。
あの小さかった日和が、ワインを飲める年齢になった。
そして結婚を望まれるほど、愛らしい女性に成長したのだ。

そして彼らがコース料理を堪能したところで、ヒル魔がデザートを持って行く。
小さなケーキの真ん中にあしらわれた指輪を見た瞬間、日和は目を潤ませた。
そして「俺と結婚してください」と告げられ、力強く「はい」と頷いたのだった。

プロポーズ成功だ!
この瞬間、デビルバッツのスタッフたちは、大声で快哉を叫びたい衝動に堪えていた。
この店で、若い2人が永遠の愛を誓った。
こんなに嬉しいことは早々ない。

「幸せになれよ。」
ヒル魔は最後に、彼らに祝福の言葉を贈った。
すると店中から、拍手が沸き起こる。
スタッフだけでなく、たまたま居合わせた客たちも、若い2人の新たな人生を祝福しているのだ。
日和は「ありがとう」と感極まり、彼が差し出したハンカチでそっと涙を拭いたのだった。

*****

「あなたも他人のために拍手するんですね!」
柴崎は心底驚いたと言わんばかりの表情だ。
義理の兄は「随分だな」と苦笑し、夫は何とも微妙な表情で固まっていた。

柴崎こと手塚麻子は、夫とその兄と共に「カフェ・デビルバッツ」に来ていた。
表向きは家族の団らん。
もちろんそれは嘘ではないが、別の目的もあった。
未来企画の会長と今や図書隊の情報部門のトップに登りつめた柴崎。
2人は検閲撤廃に向けて、情報交換に余念がない。

「それにしても、いい店だね。」
夫である手塚光の兄、慧は店内を見回しながらそう言った。
すると柴崎は「あら、庶民的過ぎると文句を言うかと思いました」と笑う。
手塚はそんな2人を見ながら、ため息をつく。
どことなく棘がある会話は、昔も今も変わらない。
だがもはや以前のバチバチとした関係ではなく、2人は雰囲気を楽しんでいるのである。
手塚にしてみれば、どうして普通にできないのかと思わないではないのだが。

「こういう店、嫌いじゃないよ。周りが勝手に私は高級店にしか行かないと思い込んでいるだけだ。」
「そうですか。でもその先入観のおかげでこうして密会できますわ。」
柴崎は長い黒髪を揺らしながら、艶やかに笑う。
今まではこういう情報交換を兼ねた食事会は、もっぱら高級レストランで行われた。
だが手塚慧は有名人であり、高級店だとこぞってサービスをしたがるのだ。
これでは密談どころではないと思い始めた矢先に、柴崎はこの店を知った。
庶民的な価格でありながら料理も美味い。
客席の距離が密集していないので会話も聞かれにくいし、何より有名人を特別扱いしない。
それに他の客が手塚慧に気付いても、まさかこんな店にいるわけない、見間違いだと思ってくれる。

「検閲撤廃にはあとどのくらいかかると思いますか?」
柴崎と手塚慧は、一通りお互いが持っている情報を交換した。
その間、弟の方の手塚はただただ無言で食べている。
そして締めくくりとばかりに、柴崎が問いかけたのだ。

「あと3年、いや2年以内には何とかしたいところだ。」
「・・・やっぱりそうなりますか。」
柴崎は内心こっそりとため息をついた。
検閲撤廃に向かって、進んでいる実感はある。
だが実際、いつになるかまでの目途は立っていない。
手塚慧の明晰な頭脳を持ってしても、時期が断言できないほどに。

「君たちは検閲撤廃まで、子供は作らないんだったか?」
「いや。もう待たないことにした。」
兄の問いに、弟が答えた。
柴崎と郁は結婚当初、自分たちの子供は検閲のない世界で作りたいと語り合っていた。
だが実際アラフォーと呼ばれる年代になると、迷う。
来年かもしれないし、もしかしたら永遠に来ないかもしれない世界。
待っているうちに子供を持てない年齢になってしまうことだけは避けたい。
そこで柴崎は夫と話し合い、ついに検閲撤廃を待たずに子作りを解禁したのだ。

「そう。まぁそれもありだね。」
どこか皮肉っぽい義兄の口調に、柴崎はカチンときた。
その程度の覚悟なのかと言われたような気がしたのだ。
どうやら手塚もそう思ったらしく「独身の兄貴にはわかんないだろうけど」と言う。
だが義兄はニッコリと余裕たっぷりな笑顔を見せた。

「俺は検閲撤廃まで結婚しないよ。」
どこか冗談めかした口調だが、彼の本気度が感じられて手塚夫妻は黙り込んだ。
未だに独身であることの負け惜しみではないだろう。
彼ほどの容姿と頭脳、そして社会的地位があるなら寄って来る女は後を絶たないのだから。
つまり私生活を全て犠牲にしても、検閲撤廃を優先する覚悟なのだ。

その時3つほど離れたテーブルの青年が意を決したように「俺と結婚してください」と宣言した。
そして彼の向かいに座る女性が「はい」と頷く。
どうやら今この瞬間、プロポーズが成功したようだ。
その瞬間、店のスタッフや他の客から拍手が沸き起こる。
手塚兄弟も柴崎も、名前も知らない若いカップルに笑顔で拍手を送った。

「あなたも他人のために拍手するんですね!」
柴崎は腹いせとばかりに、心底驚いたと言わんばかりの表情を作ってそう言ってやった。
義理の兄は「随分だな」と苦笑し、夫は何とも微妙な表情で固まっていた。

*****

「うっそぉ!」
三橋は思わず声を上げ、阿部も言葉を失う。
店内でプロポーズが成功した劇的な夜、2人は衝撃のニュースを知ることになった。

その夜、店を閉めた後のこと。
キッチンで黒子が賄い飯の準備をし、他の者が掃除などをしているときだ。
珍しくこの時間まで店でパソコンを操作していたヒル魔が「阿部。廉も来い」と声をかけた。
阿部と三橋は首を傾げながらも、ヒル魔のそばまで行く。
するとヒル魔がパソコンの画面を2人に向けた。

画面を覗き込んだ三橋は「うっそぉ!」と声を上げた。
阿部も驚くが、言葉が出てこない。
ヒル魔が見せたのは、スポーツニュース。
プロ野球選手、田島悠一郎が今シーズン限りで引退と報じられていた。

田島は阿部や三橋が高校球児だった頃のチームメイトだった。
さらに三橋は同じクラスだったし、互いの家によく遊びに行った仲だ。
その関係で「カフェ・デビルバッツ」も世話になっている。
田島の実家は埼玉で農業を営んでおり、店で使う野菜を格安で分けてもらっている。
規格外で通常は出荷できないものまで買い取るので、田島家でもありがたがってくれていた。

「田島君、引退するんだ。。。」
2人の後ろから画面を覗き込んだセナも驚いている。
シーズンオフにはよく来店してくれる常連の1人なのだ。
数年前にはアメリカのメジャーリーグでも活躍しており、壮行会も帰国歓迎会もこの店でやった。
そして帰国後も、しばらくは日本の球団でプレイしていた。

「賄い、できました。」
田島と面識のない黒子が、冷静に声をかけた。
何となくしんみりした雰囲気のまま、全員がテーブルにつく。
そして三橋は器用に、食事をしながらスマホを操作していた。
メッセージ通話アプリで、田島にメッセージを送ったのだ。
引退報道が出ているけれど、本当?と。
すると程なくして、田島からメッセージが返ってきた。

「い、引退。本当、だって。」
三橋が田島の返信を読み上げると、阿部が「そっか」と短く答える。
そして三橋の髪をガシガシとなでた。
2人に、いや西浦高校野球部OBにとって、田島はヒーローだった。
プロに進んでも、メジャーに行っても、常に一軍で試合に出続けたからだ。
あの頃の夢を引き継ぎ、大好きだった野球を続ける田島に、みんなが自分たちの思いを重ねた。

「仕方ないな。永遠に野球選手でいるなんてできないんだから。」
阿部はそう言いながら、三橋の頬に指を滑らせた。
零れ落ちた涙を拭われたことで、三橋はようやく自分が泣いていることに気付いた。
ヒル魔もセナも黒子も、何も言わない。
彼らもまたアメフトで、またはバスケで頂点を極めた者たちであり、引退の寂しさは嫌と言うほどわかっている。

「今は楽しい話をしましょう。日和ちゃん、綺麗でしたね。」
阿部はもう1度三橋の頭をガシガシとなでると、話題を変えた。
三橋は「そ、だね」と頷きながら、ズズッと鼻をすする。
セナがフォローするように「ボク、ちょっと父親の気持ちだったよ」と笑った。
嬉しさと、ちょっとした嫉妬。そして本当に彼で大丈夫かという少しの不安。
小さい頃から可愛がってきた娘を、嫁がせる親の気持ちがちょっとわかったような気がしたのだ。

「結婚式の二次会とか、うちでやってもらえれば稼げるな。」
ヒル魔が身も蓋もないことを言い出した。
セナは「ヒル魔さん、せっかくいい話だったのに」と文句を言う。
そして笑いが起こり「カフェ・デビルバッツ」の夜は静かに更けていった。

*****

「コインランドリー、カジノ?」
耳慣れない言葉に、全員が首を傾げる。
だがヒル魔だけはニンマリと笑うと「面白ぇな」と言った。

ヒル魔は「カフェ・デビルバッツ」の向かい側に売りに出ていた店舗を買った。
メインダイニングの1号店、そしてその隣のティールームの2号店。
そして向かいは3号店として、ヒル魔は黒子に仕切らせようとしていた。
ヒル魔はそのテスト代わりに、黒子に3号店のアイディアを出すようにと言い渡していたのだ。

そんなとある夜の閉店後。
例によって、賄い飯を食べながら、黒子のアイディア発表会となった。
黒子は開口一番「コインランドリーカジノです」と告げたのだった。

「コインランドリー、カジノ?」
耳慣れない言葉に、全員が首を傾げる。
誰もが3号店も飲食店になると信じて、疑わなかったのだ。
全員が驚いたことに満足げな黒子は「では詳細を」と口火を切った。

黒子がまず考えたのは、飲食店以外の可能性だった。
1号店、2号店があるのに、飲食店を開いたところで客を食い合うだけだ。
それなら違う可能性を考えた方がいい。
そして行き着いた結論が、コインランドリーだ。
しかも昔からの洗濯機と乾燥機が並ぶだけのものではない。
布団も洗える大きな物や、クローゼット型のスーツの匂いやシワを取るタイプの物も置く。
この辺りは元々古い住宅街なのだが、ここ最近はそういう家が取り壊されてマンションが増えている。
つまり若い世代が増えているのだ。
絶対に需要はあるはずだ。

さらに普通のコインランドリーにないサービスを考えたときに、1つの可能性を思いついた。
今は倉庫となっている部屋には、ルーレットテーブルやスロットマシーン、ピンボールなどが置いてある。
元々「カフェ・デビルバッツ」開店当初、店にインテリア代わりに置いていたものだ。
だが客が増えたために、客席数を増やす目的で倉庫にしまわれてしまった。
それらを3号店に配置し、洗濯を待つ間に遊べるようにする。
普通のカジノでは当たれば換金できるが、3号店では1号店や2号店で食事できるチケットなどを渡してはどうか?

「まぁ大まかな部分はそんな感じです。細かいところはまだまだ可能性が広がりそうですけど。」
黒子がそう締めくくると、ヒル魔が「面白ぇ」と感想を漏らした。
それを聞いたセナも阿部も三橋も「ああ、決まりだ」とわかった。
ヒル魔は「儲け」という言葉をよく口にするが、実はまったく気にしていない。
面白いか、面白くないか。
それが基準のすべてであり、ヒル魔が「面白い」と言うのは「採用」という意味なのだ。

「基本コンセプトはそれでいい。」
「わかりました。」
「ただカジノをやらない客も取り込め。」
「それはカジノ以外でも、待ち時間に楽しめるコンテンツを用意しろって意味ですか?」
「正解だ」

こうして「カフェ・デビルバッツ」3号店計画はスタートした。
黒子はヒル魔から言われた新たな課題に取り組み、新たな案を考え始めた。
阿部も三橋も興味津々だし、時折黒子と「こんなのはどうかな?」などと話している。

そしてセナは楽しそうなヒル魔を見て、ホッとしていた。
3号店という新たな転換点に向かって、ヒル魔に新たな楽しみがもたらされる。
それを活力にして、もっともっと生きてほしい。
できればそんな時間が永遠に続いてほしいと、願わずにはいられなかった。

【続く】
6/15ページ