アイシ×おお振り×セカコイ×黒バス×図書戦【お題:仄かに暗い15題-1】

【喪失】

「ハァァ」
窓際の席に座った郁は、盛大にため息をついた。
黒子が「もう23回目ですよ」と冷静にツッコミを入れる。
すると郁は「だって」と答えながら、24回目のため息をついたのだった。

「これ、オーナーからです。」
黒子が郁の前に、ケーキと紅茶を置いた。
郁は思わず「え?」と声を上げて、隅のテーブルに陣取るヒル魔を見た。
いつも三橋がサービスしてくれるのは、野菜を使ったシフォンケーキが多い。
料理に使った野菜の残りを使うので、原価はほとんどタダなのだそうだ。

だが今回は、違った。
綺麗なデコレーションのチョコレートケーキだ。
しかも通常、ケーキ店で売られる1ピースと比べると倍くらいデカい。
ちなみにティルームの人気商品で、十文字渾身の一品だ。
さすがの郁も驚き「お金、払います!」と叫んだ。

ヒル魔は郁に向かって、めんどくさそうに手を振った。
黒子が平坦な声で「つべこべ言わずに食え!と言ってます。」と告げる。
口調と内容の落差に、郁は思わずクスリと笑った。
そして「ありがとうございます。ヒル魔さん!」と手を振ると、フォークを取った。

昨日、武蔵野第一図書館では良化隊の襲撃があった。
検閲対象になったのは、昭和の時代に出版された古い小説だ。
すでに絶版になっており、おそらくもう手に入らない。
絶対に守ると気合いを入れて臨んだのだが。
残念ながら陣形の隙を突かれ、本は見事に奪われてしまった。

郁がため息製造機と化している理由は、それだけではない。
銃火器が規制された最近の抗争は、肉弾戦だ。
つまり腕力と体力が勝負であり、郁の武器である瞬足は使いどころが少ない。
しかも年齢を重ねた今、郁並みの瞬足の若手もいる。
今は何とか経験値でやれているが、多分そろそろ出番はなくなるのだろう。
抗争の度に自分の特殊部隊隊員としての終わりが近づいているのを感じた。

大事な本、そして自分の存在価値。
2つの喪失が心に暗い影を差しているのだ。
せっかくの公休日なのに、気が晴れなかったが。

「甘~い!美味しい!」
チョコレートケーキを口に運んだ郁は、破顔した。
ちなみに「カフェ・デビルバッツ」のケーキは2種類用意している。
甘めあっさりの軽いタイプと、がっつり甘いタイプだ。
郁の目の前にあるのは後者、ダイエット女子を嘲笑うようなハイカロリーのものだった。

「ああ、幸せ~♪」
郁が満面の笑みでケーキを平らげるのを見て、ヒル魔は笑っている。
かつての不敵な悪魔の高笑いではなく、穏やかな微笑だった。

*****

「こんにちは~!」
元気よく「カフェ・デビルバッツ」のドアを開けた律は、まずお気に入りの席を見た。
すると顔見知りの女性図書隊員が、大きな口を開けてチョコレートケーキを食べているのが目に入った。

「あ、こんにちは。よかったらどうぞ。」
「いいんですか。」
「はい。あたしはもうすぐ食べ終わって、帰りますから。」
「それじゃお言葉に甘えて」

図書隊員、堂上郁がニコニコと笑いながら、自分の向かいの席を勧めてくれる。
律は遠慮なくその前に腰を下ろした。
大きな窓に面したその席は、この店の特等席なのだ。
店もそれを良く知っているから、ここが空いていればまずこの席を勧める。
つまり座れれば、ラッキーな席なのだ。

「そういえば俺、昨日図書館に行ったんですよ。」
「そうなんですか?」
「ええ。資料を捜しに。だけど良化隊の検閲で入れませんでした。だから今日また来たんです。」
「・・・それはすみませんでした。」
「いえ。図書館の方のせいではないですから。」

律は会話のとっかかりのつもりだったが、郁は気にしてしまったらしい。
チョコレートケーキを切ろうとしていたフォークが止まってしまった。
律は「全然気にしてないですから」と告げた後、オーダーを取りに来た黒子に「日替わりランチ」と告げた。

「実は検閲で本を奪われちゃって、落ち込んでまして」
「あ~そうなんですか。編集者としては自分のことのように悔しいです。」
「すみません。守り切れなくて」
「いえ、図書隊の方だって一生懸命やってくださった結果ですから。」
「そう言っていただけると。でも絶版でもう手に入らない本なので残念です。」
「ちなみになんて本です?」
「はい。角遼一先生の」

郁が本のタイトルを告げると、律は「へ?」と声を上げた。
それは律も良く知っている本だったからだ。
郁が不思議そうに「御存知ですか?」と聞いてきたので「父が編集担当だった本です」と答えた。
それは現在小野寺出版の社長である父が、若手編集者時代に担当した本だった。
律も何度も読んでいて大好きだったあの本が、図書館にないなんて。
その喪失感は意外なほど律の心を締め付け、次の瞬間には「あの」と声を上げていた。

「よかったら俺の家にありますけど。寄贈しましょうか?」
「え!本当ですか~?」
郁はその鍛えられた腹筋から、店中に響き渡る声を上げた。
律はその剣幕にやや引き気味になりながらも「確か実家に何冊かあったはずなので」と答えた。
律の実家、つまり小野寺出版社長宅には巨大な書庫がある。
そこにはかつて父が担当した作家の本は、すべて数冊ずつ保管されている。

「ありがとうございます!」
郁は律の手を取ると、ギュッと握りしめながらブンブンと振った。
律はその剣幕に驚きながらも「喜んで」と答えた。
どうせ書庫に眠っているなら、図書館で多くの人に読んでもらった方がいい。

「じゃあまた連絡します。」
スマホで連絡先を交換した後、律はそう言った。
まずは実家で本を確認してから、その後の手続きを確認することになったのだ。
そしてチョコレートケーキを食べ終えた郁は、ウキウキとスキップで出て行ったのだが。

郁と入れ替わるように、新たに男性客が1人入ってきた。
阿部とセナが「いらっしゃいませ」と声をかけるが、男は見向きもしない。
怒りを全身で表しながら、まだ郁が食べたチョコレートケーキの皿が残っている席に座った。
そして律を鋭い目で見据えながら「お話があります」と告げたのだった。

*****

「お話があります。」
その男は鋭い目で律を見ながら、そう言った。
なにやら不穏な雰囲気に、阿部とセナは顔を見合わせた。

常連客の郁は、何だか元気がなかった。
元々何か悩みを抱えている風ではあったが、この日はわかりやすかった。
裏表がなく、隠し事ができない性格なのだろう。

だがチョコレートケーキ1つで、意外とあっさりと元気になった。
その上、やはり常連客である律と話しているうちに、満面の笑みに変わったのだ。
基本的には客のプライバシーには関わらない。
だけど聞くとはなしにある程度、会話は聞こえてしまうものだ。
しかも郁のようによく通る大きな声なら、なおのことだ。

検閲。奪われた本。絶版。
そんな言葉が切れ切れに聞こえて、阿部は「なるほど」と思った。
この国に存在するメディア良化法。
悪法だの何だのと言われるが、実は阿部はあまり実感がない。

だがヒル魔にとっては、結構な問題らしい。
様々な情報収集を行なうヒル魔は「糞良化法」などと毒づいている。
NFLプレイヤーとして長く海外を経験したセナは「良化法は日本の恥」と思っているようだ。
新入りの黒子も案外読書家で「検閲なんてなくなればいいんですけど」と言っていた。
メディア良化法のせいで、日本は大事な文化を喪失した。
阿部が小学校の頃、授業でそんなことを言った教師がいつの間にか転勤していたこともあった。

阿部と三橋はのほほんと「そんなものかな」と思うだけだ。
本を読むという習慣がないからだ。
ドラマや映画も興味がないし、テレビで見るのはニュースくらいだ。
そんな生活をしていれば、良化法を意識するようなことはほぼない。

ふと見ると郁が身を乗り出して「ありがとうございます!」と律の手を握っている。
検閲対象本は律の実家にあり、寄贈するということで話がまとまったらしい。
やがて律と郁はスマホを取り出して、連絡先を交換している。
そして先に食べ終わった郁が、店を出て行ったのだが。

入れ替わるようにして現れたのは、初めて来店する男性客だ。
背は低いが、何か格闘技でもしているのかガタイがいい。
阿部とセナが声をかけても答えることなく、先程まで郁が座っていた席に座った。
律は驚き、目を丸くしている。
そして男が「お話があります」と告げたその口調には、隠し切れない怒りが滲んでいた。

阿部とセナは顔を見合わせると、テーブルに向かおうとする。
だが後ろからヒル魔に「俺が行く」と制止された。
阿部は思わず「大丈夫ですか?」と聞いた。
だがヒル魔は「たまにはオーナーっぽいことをさせやがれ」と言いながら、窓際のテーブルに近づいた。

「俺の店で騒ぎを起こすのは、やめてもらおうか」
ヒル魔は後から現れた男に、そう言った。
男は「別に騒ぎを起こすつもりはない」と言い放つ。
それを見た阿部は、単純にすごいと思った。
ヒル魔のあの威圧感にまったく動じない男は、きっとタダ者ではない。

「話をするだけだ。」
「だったらその気配をどうにかしろ。戦闘職種が殺気を放つのは営業妨害だ。」
ヒル魔はそう言い放つと、自分の席へと戻っていく。
男は呆然とヒル魔の後ろ姿を見ていたが、完全に毒気を抜かれたようだった。

*****

「大変失礼しました。」
堂上は目の前の綺麗な青年に頭を下げた。
青年は「いえ、そんな」と、優雅に首を振った。

郁の夫である堂上篤は、怪しんでいた。
妻は公休日の度に、1人で出かけるようになっていたからだ。
原因が自分にあることはよくわかっている。
このところ仕事が忙しく、公休日も出勤ばかりだったのだ。
妻に寂しい思いをさせているという自覚はあった。
実際妻は「すまん。まだ休日出勤だ」と告げるたびに、力ない笑顔で頷いていた。

だがあるときから、そんな表情を見せなくなったのだ。
休日出勤を告げると「無理しないでね」といたわってはくれる。
だが普通に普段の笑顔のままだ。
帰宅した後「何してた?」と聞いても「ちょっと出かけてた」と笑うだけだ。

まさか、浮気?
堂上はそんなことを考え、いやいや郁はそんなことはしないと首を振るのだが。
よくも悪くも、そこらの男よりは漢前の妻である。
だが年齢を重ねてなお、少女のような愛らしさを持っている。
どこぞの悪い男に目をつけられたりしてはいないか?
この手の妄想は一度囚われると、なかなか消えないものなのだ。
もしも郁の心が自分から離れれば、堂上はその喪失に耐えられる自信がない。

そして今日、例によって休日出勤した堂上だが、すぐに帰宅した。
他部署と会議をするはずが、先方の都合で中止になったのだ。
今日はようやく郁と過ごせる。
いそいそと官舎に戻ろうとしたその前を、妻が通り過ぎた。
堂上には気づかず、どうやら外出するところらしい。

そこで堂上は、誘惑に負けた。
妻の後を尾行し、行き着いた先は飲食店だった。
その名は「カフェ・デビルバッツ」。
幸いなことに妻は窓際の席に座ってくれたので、外からでもよく見えた。
そして勢いよく食事を平らげる姿を見て、苦笑する。
歳を重ねても、妻の食欲は健在であり、見ているだけで気持ちがいい。

だが笑っていられるのは、そこまでだった。
妻の正面に、秀麗な美青年が座ったのだ。
2人は和やかに談笑していた。
そして妻は唐突に美青年の手を握り、ブンブンと振り回す。
さらに満面の笑みを浮かべて、スマホで連絡先を交換していたのだ。

やがて妻は先に店を出て行った。
堂上は矢も楯もたまらず店に入ると、件の美青年の前に座ったのだ。
郁と何を話したのか、いったいどういう関係なのか。
問い詰めようとした矢先、店のオーナーと思しき男に機先を制された。
戦闘職種が殺気を放つのは営業妨害と言われて、頭が冷えた。

「堂上さんですよね?こんにちは」
何とか冷静になった堂上に、美青年が笑顔で挨拶をしてきた。
ここでようやく、この美青年は図書館の利用者であることに気付いた。
さらに「ついさっきまで奥様と、本の寄贈のお話をしてたんですよ」と告げられる。
そして本のタイトルを告げられ、堂上は自分がとんでもない誤解をしていたことを悟ったのだった。

「大変失礼しました。」
堂上は美青年に頭を下げた。
美青年こと小野寺律は「いえ、そんな」と、優雅に首を振った。
そしてデビルバッツの面々は秘かにホッと胸を撫で下ろしたのだった。

*****

「郁さんの御主人、イケメンでしたね。」
「うん。お似合いだったよね。」
阿部とセナがそんなことを言い合いながら、笑っている。
ずっとキッチンにいたので、騒ぎにまったく気づけなかった三橋はむくれた。
そして黒子とヒル魔はいつものポーカーフェイスで、黙々と食べていた。

閉店後の「カフェ・デビルバッツ」で、従業員たちは賄いを食べていた。
ここでその日あったことなどを話し合うのが、日課となっている。
主に来店した客の話だ。
ここで情報共有しておけば、接客に役に立つこともある。

今日の話題はもっぱら堂上夫婦に終始した。
特に初登場の夫の方だ。
鍛えられた身体と、整った顔立ち。
一見とっつきにくそうだが、妻を溺愛しているのがわかった。

「いいなぁ。優しい御主人。」
「羨ましいですね。」
阿部とセナはまた顔を見合わせて笑う。
結局堂上はティルームの方で、ケーキを買って帰った。
尾行してしまったことを白状して、詫びるのだそうだ。
律も阿部たちも「秘密にしておきたいなら守りますよ」と申し出たが、それは必要ないと言われた。
疑ったことはあやまる。隠し事はしない。
それはきっと堂上のポリシーなのだろう。

「ところでヒル魔さん、どうして堂上さんの御主人が戦闘職種ってわかったんですか?」
ヒル魔にそう聞いたのは、セナだった。
ヒル魔は堂上に「戦闘職種の殺気は営業妨害」と言い放った。
あの時点ではまだ、あの男が堂上だとわかっていなかった。
いやそもそも郁の夫が戦闘職種だとも知らなかったのだ。

「見ればわかるだろ。あんな殺気は普通の男には出せない。」
「その男を怯ませたんだから、ヒル魔さんもすごいですね。」
ずっと黙っていた黒子が、唐突にそう告げた。
するとヒル魔が「テメーもなかなか言うな」と笑う。
だが黒子は「どうも」と答えると、また黙々と食べ始めた。

「黒子。お前に提案がある。」
ヒル魔は黙り込んでしまった黒子に、声をかけた。
黒子は「はい」と答えながら、ヒル魔を見た。
これは何か大きな発表の予感。
阿部も三橋もセナも息を飲みながら、ヒル魔の言葉を待った。

「向かいの3号店。お前が仕切るつもりはないか?」
それを聞いて阿部と三橋は顔を見合わせ、セナも「え?」と声を上げた。
1号店であるダイニングは阿部と三橋、2号店のティルームは十文字と鈴音が管理している。
そして先日、ヒル魔は道を挟んだ向かいの空き店舗を買ったのだ。
近日中に旧友の工務店に頼んで、改装を始める予定になっていた。

「ボクが仕切るんですか?」
いつも無表情の男も、さすがに驚いたらしい。
じっとヒル魔を見てから「ドッキリとか言いませんよね」とらしからぬことを言う。
ヒル魔は「テメーなんぞをドッキリにかけて、何の得があるんだ?」と言い放った。

セナも阿部も三橋も、思いは同じだった。
なにかを喪失したような、まるで気配や感情が読めない黒子。
そんな彼が仕切ると、いったいどんな店になるのか想像もつかない。
だがヒル魔が言うことには、口を挟まない。
勝算があるのだろうし、それが外れることはまずないのだ。

この数日後、小野寺律が武蔵野第一図書館に本を寄贈した。
そして「カフェ・デビルバッツ」3号店の計画が動き始めたのだった。

【続く】
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