アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】
【冬/二人だけの銀世界】
「『瀬那』もいいけど。『律』もいいわね!」
弾むような声に、店のスタッフ一同は笑顔になる。
だが当の律は驚きに目を白黒させていた。
阿部や三橋の旧知の友人である水谷文貴とその妻千代が来店したのは1月半ばのことだ。
篠岡こと水谷千代は、カフェ「デビルバッツ」の頼もしいスタッフだが、現在産休中。
今日は夫婦で客モードだ。
ふっくらとしたお腹が目立つ篠岡は、本日定期健診。
2人はその帰りに食事をしに来たのだった。
「千代、健診で疲れただろうから、今日は楽させてあげようかと思って。」
「だったらお前が料理しろよ。外食より家の方が寛げるだろ。」
デレデレと顔が緩んでいる水谷に、阿部がツッコミを入れる。
だが幸せいっぱいの水谷の耳には、届いていないようだ。
水谷は「検査の結果も順調だって~」と、今にもスキップしそうな勢いだ。
しっかり者の千代はその間に、奥のテーブルのヒル魔や厨房の三橋に挨拶している。
「男の子?女の子?もうわかってるんでしょ?」
セナが窓側の落ち着ける席に千代を案内しながら、そう聞いた。
千代は小さく首を振ると「聞かないことにしたんです」と答える。
どうやら産んでからのお楽しみということらしい。
「だから男でも女でもいい名前にしようって、考えてて」
阿部相手にノロケを展開していた水谷が、唐突にこちらの会話に入ってきた。
千代は「少し落ち着いてよ」と苦笑している。
確かに実際に子供を産むのは千代なのに、水谷の方が浮かれていた。
「最初はヒル魔さんの名前を一文字貰おうかと思ったけど」
千代は遠慮がちにそう言いながら、奥のテーブルでパソコンを叩くヒル魔を見た。
ヒル魔は驚いたように顔を上げたが、すぐに首を振った。
セナもテーブルに水を置きながら「無理でしょ」と苦笑する。
ヒル魔の名は蛭魔妖一。
よくもここまでと言いたくなるほど、名前に不向きな字ばかりだ。
「だからセナさんの名前を貰おうかって言ってて」
「でもセナさんはすっかり有名人で、最近『瀬那』って子供が増えてるって言うし。」
「私は『廉』でもいいと思うんですが。」
「やだよ。何か三橋の親になったみたいじゃん!」
千代と水谷が口々にそう言うと、阿部とセナが顔を見合わせる。
確かに最近、セナは日本人初のNFLプレイヤーとして大人気なのだ。
子供の名前に「瀬那」とつける人が増えたという話も聞いたことがある。
かくいうセナも、実は往年のF1ドライバーから名付けられている。
その時、入口の扉が開き、高野と律が姿を現した。
律がすぐに千代に気付き「篠岡さん、久しぶりです!」と挨拶しながら、近寄ってきた。
篠岡が「こんにちは。律君」と小さく会釈をした後「あ」と声を上げた。
「『瀬那』もいいけど。『律』もいいわね!」
弾むような千代の声に、店のスタッフ一同は笑顔になる。
だが当の律は驚きに目を白黒させていた。
何だかわからないが、妙に視線を集めてしまっていたからだ。
*****
「こんなに降るなんて!そもそも予報で雪って言ってましたっけ?」
「予報じゃ雨だった。っていうか俺につかまるな!」
高野と律は大声を張り上げながら、雪の中を進んでいた。
東京のこの冬、初の大雪。
これはもう雪嵐と言っていいだろう。
休日、買い物デートを楽しんだ2人はカフェ「デビルバッツ」に寄った。
その頃には雲行きが怪しかったが、まだ雨も雪も降ってはいなかった。
まさかこんなわずかな間にこんなことになるとは。
「車で送りますよ。どうせ水谷たちも送るし、ついでだから。」
阿部はそう言ってくれたし、高野もありがたくその申し出を受けるつもりだった。
だが律が雪の中を歩きたいと言い出したのだ。
高野は「寒い」とか「服が濡れる」と文句を言ったが、律は頑として折れなかった。
「おかしいな。ロマンチックだと思ったのに。二人だけの銀世界。」
「はぁぁ?お前、そんなためにこの雪ん中を歩いてるのか?
「当たり前です。俺たち、乙女部なんだから。ロマンチック要素はやっておくべきです。」
丸川書店に入社したばかりの頃、「乙女部」という通り名を律は嫌がっていた。
だが今の発言はそれを受け入れ、むしろ楽しんでいるようだ。
最近の律はいつもこんな風だ。
仕事だけでなく何にでも積極的で、生き生きしているように見える。
「俺、もう後悔しないことにしたんです。」
「え?」
「高野さんとのことも。いつまで続くかわからないでしょ?結婚もできないし子供も持てないんだから。」
「そうだけど」
「たとえ別れても、ちゃんと恋愛したって言えるようにしたいんです。」
確かにその通りだった。
高野は律を一生愛していくと心に決めているが、先のことはわからない。
事実10年前、些細な行き違いで別れた後、高野も律もちゃんと生活していた。
別の相手と恋もしたし、セックスもした。
学校を卒業して、就職して、たくましく生きていたのだ。
あなたなしでは生きられないなんて、2人の間ではわざとらしいだけだ。
「仕事も同じです。まずは編集長の座を乗っ取って、最終的には丸川書店も乗っ取るとか。」
「小野寺出版はどうするんだ。御曹司。」
「合併なんてどうです?それで日本最大の出版社にしちゃいましょう。」
律は軽い口調で野望を語る律には、どこか凄みがあった。
雪に足を取られないようにと必死な表情のせいか、それとも雪まみれのせいなのか。
いやきっと律が真剣にそれを目指すつもりだからだ。
さすがに合併なんて突拍子もない夢だが、それに向かって突き進むつもりなのだろう。
「大社長になったら俺の待遇もよくしてくれ。仕事面も恋愛面も」
「考えてあげてもいいですよ。」
冗談めかして言ったのに、真面目に答えを返す律がかわいい。
とりあえず寒い寒い雪の夜。
恋人としての「前向き」を発揮してもらいたいものだ。
*****
「明日、早起き!」
「そうだな。雪かきしないと。」
阿部と三橋は店の窓から、外を見ている。
夕方から降り出した雪が積もり、一面の銀世界。
まるで二人だけで閉じ込められているような気分だった。
天気予報では雨と言っていたが、雪になった。
しかもかなりの雪で、積もりそうだ。
食事に来ていた水谷夫妻は、車で家まで送った。
水谷はともかく、妊娠している千代を雪の中、歩かせるわけにはいかない。
客たちもさほど長居せずに引き上げた。
今日はもう客も来ないだろう。
バイトたちは早々に帰らせた。
ヒル魔とセナには、自室に下がってもらった。
セナはもうすぐ渡米だし、ヒル魔の身体だって冷やさない方がいい。
それでも閉店時間まで店を開けておくのは、阿部と三橋の意地のようなものだ。
万が一にもこの悪天候で来店した客がいたら、きっと凍えてしまう。
カフェ「デビルバッツ」の客をそんな目に合わせるわけにはいかない。
「やっぱり、お客さん、来ない、ね。」
「まぁ来られても、逆に心配だもんな。帰りとか。」
阿部と三橋は窓際の席で向かい合うと、のんびりとハーブティを飲んでいた。
以前は2人ともクセの強いハーブティは苦手だったが、今では大好物だ。
特に三橋はすっかりハマってしまい、料理のメニューごとに合うブレンドを作る徹底振りだった。
「お前は揺れないな。」
阿部はそう言いながら、熱いハーブティを啜る。
三橋は阿部の方を向くと、コテンと小首を傾げた。
高校のときから変わらない、三橋が考える時のクセだ。
「セナさんや律君、この前悩んでただろ。でも三橋はそういうのがないから。」
「俺も、不安に、なるよ。」
「全然そうは見えないけど」
「強がってる、だけ。それに、店、あれば、大丈夫。みんなとつながってる。」
「そういうものか?」
「もし、阿部君が、気持ち、離れても。一緒に店、やる。バッテリーみたいに。」
三橋もセナや律のように、悩んで迷う。
それを飲み込んでいられるのは、このカフェ「デビルバッツ」を心の拠り所にしているからだ。
客に食事を楽しんでもらうのは、今や三橋の生きがいだ。
そうして親しい仲間が増えていくことで元気になれる。
それに阿部と三橋は話し合って、ずっと店を続けていくことを決めている。
たとえ2人が別れても、だ。
恋愛関係がなくなっても、バッテリーのような信頼関係は続く。
その事実が三橋を支え、強くしているのだ。
もちろん今はお互い一生別れるつもりではないが。
「俺たちは、いつも元気で。お客、さんを、元気にする!」
「そうだな。悩んでる暇なんかないな。でも」
「な、何?」
「俺は三橋と別れるつもり、ないから」
阿部と三橋は小さく微笑むと、また窓の外に視線を向けた。
積もった雪は、見慣れた風景をまるで違う新鮮なものにしている。
まだ誰も足跡をつけていない二人だけの銀世界だ。
*****
「すごい雪ですね。」
ソファでアメフト雑誌を読んでいたセナは、顔を上げて窓の外を見ながらそう言った。
ベットで上体を起こしてノートパソコンを叩いていたヒル魔も顔を上げて「そうだな」と頷いた。
東京は10何年ぶりかの大雪らしい。
さすがに客も帰ってしまったし、阿部はバイトも全員帰らせた。
そしてセナとヒル魔も2階に追い立てられてしまったのだ。
ヒル魔はともかく、セナは閉店まで手伝うつもりだった。
だが阿部に「どうせ客はこないし、久しぶりに三橋と2人にしてください」と言われてしまったのだ。
わかっている。
阿部も三橋もヒル魔とセナのためにそんな風に言ったのだ。
こんな寒い日はヒル魔はさっさと暖かい部屋に引っ込んだ方がいい。
セナだってまた試合ですぐに渡米するから、コンディションを崩してはいけない。
だからさりげなく先に部屋へ下がらせてくれたのだ。
2人はカフェ「デビルバッツ」の2階の、ヒル魔の居室にいた。
エアコンを強くして、室内は春のように暖かい。
電気代が少々もったいないかもしれない。
だがこうして暖かい室内で雪の風景を見るのは、贅沢な気分だ。
「もしヒル魔さんがいなくなっても、幸せでいていいですか?」
セナは窓の外に視線を向けたまま、そう言った。
ヒル魔はそんなセナの横顔に「当たり前だ」と答えた。
むしろヒル魔としては、望むところだ。
ヒル魔がいなくなっても、いつもセナには笑っていて欲しい。
「恋をするかもしれませんよ。」
「しろ、しろ。で、あの世でまた俺に恋しろ。」
「新しい恋人も来てますよ?」
「関係ない。ブッ殺す。」
「また物騒なこと言って。それにあの世ってことはもう死んでるんです。ブッ殺しようがないでしょう?」
春のような室内で語られる話は、少々寒い。
でもセナもヒル魔も淡々としていた。
運命を呪ったこともあったし、絶望したこともあった。
だが今は心穏やかに、流れに身をまかせている。
「そもそも俺はあの世でも今と変わらねーけど、お前も恋人とやらもジジイだろ?俺が有利だ。」
「うわ!そのルール酷いですね!一番いい年齢の姿じゃダメですか?」
「ダメ。俺がルール」
「それに僕、次の恋も男の人なんですか?」
ヒル魔の脳裏には2人の人物の顔が浮かぶ。
顔に十字の傷がある金髪の男。そして未だに元気いっぱいの元チアの女。
もしセナに次の恋があるなら、できれば2人のどちらかがいい。
ライバルとして相手にとって不足がないことがわかっているからだ。
「っていうかまずはスーパーボウルのMVP獲れ。」
「ええ?MVPですか?せめてスーパーボウルでの勝利にしてくれません?」
「出来ねーのかよ?」
「MVPは普通QBとかでしょ。ランニングバックは難しいんですよ!」
ヒル魔はベットから降りると、窓際に立った。
セナも椅子から立ち上がり、寄り添うようにその横に立つ。
窓ガラスに2人の顔が映って、まるで自分たちが雪の中に浮かんでいるように見える。
「いいですね。二人だけの銀世界って感じで」
「そうだな」
ヒル魔がセナの肩を抱き寄せると、セナがそっとヒル魔の肩に頭を乗せた。
穏やかな夜を見守るように、しんしんと雪が降る。
*****
「雪ダルマですよね?」
「雪ダルマだな。」
高野と律は、呆然とその物体を見ていた。
大雪の日から数日後。
仕事帰りの高野と律はカフェ「デビルバッツ」に来ていた。
律の担当のコミックスの重版が決まったからだ。
ささやかだが美味いものでも食べようと、会社帰りに来店したのだった。
だが店の前の駐車スペースで、2人は思わず足を止めた。
春には綺麗な花を咲かせる桜の樹の下。
高野の身長よりも高い雪の塊が、そびえ立っていた。
それは世間一般的には雪ダルマの形をしている。
大きな2つの雪玉が上下に連なっているし、バケツの帽子や石ころの目も付いていた。
だがとにかくサイズがデカい。
高さは2メートルを超えているし、横幅もしっかりしている。
雪から何日も経っているのに、全然溶けていない。
「いらっしゃいませ!」
2人が店内に入ると、阿部が元気のいい声で迎えてくれた。
そして「先日、雪は大丈夫でしたか?」と聞いてくれる。
高野が「何とか帰りましたよ」と答え、席に案内してもらう。
「表の雪ダルマ、すごいですね!」
「ああ。三橋とセナさんの力作ですよ。子供みたいでしょ?」
オーダーを済ませた後、律が雪のオブジェへの賛辞を述べると、阿部は苦笑する。
高野と律は「え?」と声を上げて、窓の外を見た。
やはりデカい雪ダルマ。
四捨五入すれば30歳になる男2人が作ったと思うと、どこか滑稽だ。
「三橋曰く、雪ダルマは恋に似てるそうです。」
「恋に?」
「丁寧にしないと崩れるし、マメに雪を足さないとやせ細る。」
「はぁ。。。」
「それでいずれは溶けてなくなるって。変でしょ?」
阿部はまた苦笑すると「ごゆっくり」と一礼して、去っていく。
変でしょ?などと言うが、きっと三橋の言いたいことは理解しているのだろう。
高野にも律にもわかった。
三橋が恋を雪ダルマに例えた理由が。
丁寧に雪を集めて、形を作り上げる。
それに野ざらしにしていたら、すぐに溶けるから雪を足す。
そうまでしても決して永遠ではない。
気持ちが離れなくても、どちらかが死ねば消えてしまうものだ。
それでも少しでも長くもつように、雪を足し続ける。
泥で汚れたり、歪になったり、形を変えていくのだ。
「ここに来ると本当にいつも何かを教えられますね。」
「まったくだな。」
高野と律はカチンとジョッキを合わせて、乾杯した。
仕事の後のビールはやはり美味い。
窓の外では雪ダルマが、食事を楽しむ恋人たちを見守っている。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
「『瀬那』もいいけど。『律』もいいわね!」
弾むような声に、店のスタッフ一同は笑顔になる。
だが当の律は驚きに目を白黒させていた。
阿部や三橋の旧知の友人である水谷文貴とその妻千代が来店したのは1月半ばのことだ。
篠岡こと水谷千代は、カフェ「デビルバッツ」の頼もしいスタッフだが、現在産休中。
今日は夫婦で客モードだ。
ふっくらとしたお腹が目立つ篠岡は、本日定期健診。
2人はその帰りに食事をしに来たのだった。
「千代、健診で疲れただろうから、今日は楽させてあげようかと思って。」
「だったらお前が料理しろよ。外食より家の方が寛げるだろ。」
デレデレと顔が緩んでいる水谷に、阿部がツッコミを入れる。
だが幸せいっぱいの水谷の耳には、届いていないようだ。
水谷は「検査の結果も順調だって~」と、今にもスキップしそうな勢いだ。
しっかり者の千代はその間に、奥のテーブルのヒル魔や厨房の三橋に挨拶している。
「男の子?女の子?もうわかってるんでしょ?」
セナが窓側の落ち着ける席に千代を案内しながら、そう聞いた。
千代は小さく首を振ると「聞かないことにしたんです」と答える。
どうやら産んでからのお楽しみということらしい。
「だから男でも女でもいい名前にしようって、考えてて」
阿部相手にノロケを展開していた水谷が、唐突にこちらの会話に入ってきた。
千代は「少し落ち着いてよ」と苦笑している。
確かに実際に子供を産むのは千代なのに、水谷の方が浮かれていた。
「最初はヒル魔さんの名前を一文字貰おうかと思ったけど」
千代は遠慮がちにそう言いながら、奥のテーブルでパソコンを叩くヒル魔を見た。
ヒル魔は驚いたように顔を上げたが、すぐに首を振った。
セナもテーブルに水を置きながら「無理でしょ」と苦笑する。
ヒル魔の名は蛭魔妖一。
よくもここまでと言いたくなるほど、名前に不向きな字ばかりだ。
「だからセナさんの名前を貰おうかって言ってて」
「でもセナさんはすっかり有名人で、最近『瀬那』って子供が増えてるって言うし。」
「私は『廉』でもいいと思うんですが。」
「やだよ。何か三橋の親になったみたいじゃん!」
千代と水谷が口々にそう言うと、阿部とセナが顔を見合わせる。
確かに最近、セナは日本人初のNFLプレイヤーとして大人気なのだ。
子供の名前に「瀬那」とつける人が増えたという話も聞いたことがある。
かくいうセナも、実は往年のF1ドライバーから名付けられている。
その時、入口の扉が開き、高野と律が姿を現した。
律がすぐに千代に気付き「篠岡さん、久しぶりです!」と挨拶しながら、近寄ってきた。
篠岡が「こんにちは。律君」と小さく会釈をした後「あ」と声を上げた。
「『瀬那』もいいけど。『律』もいいわね!」
弾むような千代の声に、店のスタッフ一同は笑顔になる。
だが当の律は驚きに目を白黒させていた。
何だかわからないが、妙に視線を集めてしまっていたからだ。
*****
「こんなに降るなんて!そもそも予報で雪って言ってましたっけ?」
「予報じゃ雨だった。っていうか俺につかまるな!」
高野と律は大声を張り上げながら、雪の中を進んでいた。
東京のこの冬、初の大雪。
これはもう雪嵐と言っていいだろう。
休日、買い物デートを楽しんだ2人はカフェ「デビルバッツ」に寄った。
その頃には雲行きが怪しかったが、まだ雨も雪も降ってはいなかった。
まさかこんなわずかな間にこんなことになるとは。
「車で送りますよ。どうせ水谷たちも送るし、ついでだから。」
阿部はそう言ってくれたし、高野もありがたくその申し出を受けるつもりだった。
だが律が雪の中を歩きたいと言い出したのだ。
高野は「寒い」とか「服が濡れる」と文句を言ったが、律は頑として折れなかった。
「おかしいな。ロマンチックだと思ったのに。二人だけの銀世界。」
「はぁぁ?お前、そんなためにこの雪ん中を歩いてるのか?
「当たり前です。俺たち、乙女部なんだから。ロマンチック要素はやっておくべきです。」
丸川書店に入社したばかりの頃、「乙女部」という通り名を律は嫌がっていた。
だが今の発言はそれを受け入れ、むしろ楽しんでいるようだ。
最近の律はいつもこんな風だ。
仕事だけでなく何にでも積極的で、生き生きしているように見える。
「俺、もう後悔しないことにしたんです。」
「え?」
「高野さんとのことも。いつまで続くかわからないでしょ?結婚もできないし子供も持てないんだから。」
「そうだけど」
「たとえ別れても、ちゃんと恋愛したって言えるようにしたいんです。」
確かにその通りだった。
高野は律を一生愛していくと心に決めているが、先のことはわからない。
事実10年前、些細な行き違いで別れた後、高野も律もちゃんと生活していた。
別の相手と恋もしたし、セックスもした。
学校を卒業して、就職して、たくましく生きていたのだ。
あなたなしでは生きられないなんて、2人の間ではわざとらしいだけだ。
「仕事も同じです。まずは編集長の座を乗っ取って、最終的には丸川書店も乗っ取るとか。」
「小野寺出版はどうするんだ。御曹司。」
「合併なんてどうです?それで日本最大の出版社にしちゃいましょう。」
律は軽い口調で野望を語る律には、どこか凄みがあった。
雪に足を取られないようにと必死な表情のせいか、それとも雪まみれのせいなのか。
いやきっと律が真剣にそれを目指すつもりだからだ。
さすがに合併なんて突拍子もない夢だが、それに向かって突き進むつもりなのだろう。
「大社長になったら俺の待遇もよくしてくれ。仕事面も恋愛面も」
「考えてあげてもいいですよ。」
冗談めかして言ったのに、真面目に答えを返す律がかわいい。
とりあえず寒い寒い雪の夜。
恋人としての「前向き」を発揮してもらいたいものだ。
*****
「明日、早起き!」
「そうだな。雪かきしないと。」
阿部と三橋は店の窓から、外を見ている。
夕方から降り出した雪が積もり、一面の銀世界。
まるで二人だけで閉じ込められているような気分だった。
天気予報では雨と言っていたが、雪になった。
しかもかなりの雪で、積もりそうだ。
食事に来ていた水谷夫妻は、車で家まで送った。
水谷はともかく、妊娠している千代を雪の中、歩かせるわけにはいかない。
客たちもさほど長居せずに引き上げた。
今日はもう客も来ないだろう。
バイトたちは早々に帰らせた。
ヒル魔とセナには、自室に下がってもらった。
セナはもうすぐ渡米だし、ヒル魔の身体だって冷やさない方がいい。
それでも閉店時間まで店を開けておくのは、阿部と三橋の意地のようなものだ。
万が一にもこの悪天候で来店した客がいたら、きっと凍えてしまう。
カフェ「デビルバッツ」の客をそんな目に合わせるわけにはいかない。
「やっぱり、お客さん、来ない、ね。」
「まぁ来られても、逆に心配だもんな。帰りとか。」
阿部と三橋は窓際の席で向かい合うと、のんびりとハーブティを飲んでいた。
以前は2人ともクセの強いハーブティは苦手だったが、今では大好物だ。
特に三橋はすっかりハマってしまい、料理のメニューごとに合うブレンドを作る徹底振りだった。
「お前は揺れないな。」
阿部はそう言いながら、熱いハーブティを啜る。
三橋は阿部の方を向くと、コテンと小首を傾げた。
高校のときから変わらない、三橋が考える時のクセだ。
「セナさんや律君、この前悩んでただろ。でも三橋はそういうのがないから。」
「俺も、不安に、なるよ。」
「全然そうは見えないけど」
「強がってる、だけ。それに、店、あれば、大丈夫。みんなとつながってる。」
「そういうものか?」
「もし、阿部君が、気持ち、離れても。一緒に店、やる。バッテリーみたいに。」
三橋もセナや律のように、悩んで迷う。
それを飲み込んでいられるのは、このカフェ「デビルバッツ」を心の拠り所にしているからだ。
客に食事を楽しんでもらうのは、今や三橋の生きがいだ。
そうして親しい仲間が増えていくことで元気になれる。
それに阿部と三橋は話し合って、ずっと店を続けていくことを決めている。
たとえ2人が別れても、だ。
恋愛関係がなくなっても、バッテリーのような信頼関係は続く。
その事実が三橋を支え、強くしているのだ。
もちろん今はお互い一生別れるつもりではないが。
「俺たちは、いつも元気で。お客、さんを、元気にする!」
「そうだな。悩んでる暇なんかないな。でも」
「な、何?」
「俺は三橋と別れるつもり、ないから」
阿部と三橋は小さく微笑むと、また窓の外に視線を向けた。
積もった雪は、見慣れた風景をまるで違う新鮮なものにしている。
まだ誰も足跡をつけていない二人だけの銀世界だ。
*****
「すごい雪ですね。」
ソファでアメフト雑誌を読んでいたセナは、顔を上げて窓の外を見ながらそう言った。
ベットで上体を起こしてノートパソコンを叩いていたヒル魔も顔を上げて「そうだな」と頷いた。
東京は10何年ぶりかの大雪らしい。
さすがに客も帰ってしまったし、阿部はバイトも全員帰らせた。
そしてセナとヒル魔も2階に追い立てられてしまったのだ。
ヒル魔はともかく、セナは閉店まで手伝うつもりだった。
だが阿部に「どうせ客はこないし、久しぶりに三橋と2人にしてください」と言われてしまったのだ。
わかっている。
阿部も三橋もヒル魔とセナのためにそんな風に言ったのだ。
こんな寒い日はヒル魔はさっさと暖かい部屋に引っ込んだ方がいい。
セナだってまた試合ですぐに渡米するから、コンディションを崩してはいけない。
だからさりげなく先に部屋へ下がらせてくれたのだ。
2人はカフェ「デビルバッツ」の2階の、ヒル魔の居室にいた。
エアコンを強くして、室内は春のように暖かい。
電気代が少々もったいないかもしれない。
だがこうして暖かい室内で雪の風景を見るのは、贅沢な気分だ。
「もしヒル魔さんがいなくなっても、幸せでいていいですか?」
セナは窓の外に視線を向けたまま、そう言った。
ヒル魔はそんなセナの横顔に「当たり前だ」と答えた。
むしろヒル魔としては、望むところだ。
ヒル魔がいなくなっても、いつもセナには笑っていて欲しい。
「恋をするかもしれませんよ。」
「しろ、しろ。で、あの世でまた俺に恋しろ。」
「新しい恋人も来てますよ?」
「関係ない。ブッ殺す。」
「また物騒なこと言って。それにあの世ってことはもう死んでるんです。ブッ殺しようがないでしょう?」
春のような室内で語られる話は、少々寒い。
でもセナもヒル魔も淡々としていた。
運命を呪ったこともあったし、絶望したこともあった。
だが今は心穏やかに、流れに身をまかせている。
「そもそも俺はあの世でも今と変わらねーけど、お前も恋人とやらもジジイだろ?俺が有利だ。」
「うわ!そのルール酷いですね!一番いい年齢の姿じゃダメですか?」
「ダメ。俺がルール」
「それに僕、次の恋も男の人なんですか?」
ヒル魔の脳裏には2人の人物の顔が浮かぶ。
顔に十字の傷がある金髪の男。そして未だに元気いっぱいの元チアの女。
もしセナに次の恋があるなら、できれば2人のどちらかがいい。
ライバルとして相手にとって不足がないことがわかっているからだ。
「っていうかまずはスーパーボウルのMVP獲れ。」
「ええ?MVPですか?せめてスーパーボウルでの勝利にしてくれません?」
「出来ねーのかよ?」
「MVPは普通QBとかでしょ。ランニングバックは難しいんですよ!」
ヒル魔はベットから降りると、窓際に立った。
セナも椅子から立ち上がり、寄り添うようにその横に立つ。
窓ガラスに2人の顔が映って、まるで自分たちが雪の中に浮かんでいるように見える。
「いいですね。二人だけの銀世界って感じで」
「そうだな」
ヒル魔がセナの肩を抱き寄せると、セナがそっとヒル魔の肩に頭を乗せた。
穏やかな夜を見守るように、しんしんと雪が降る。
*****
「雪ダルマですよね?」
「雪ダルマだな。」
高野と律は、呆然とその物体を見ていた。
大雪の日から数日後。
仕事帰りの高野と律はカフェ「デビルバッツ」に来ていた。
律の担当のコミックスの重版が決まったからだ。
ささやかだが美味いものでも食べようと、会社帰りに来店したのだった。
だが店の前の駐車スペースで、2人は思わず足を止めた。
春には綺麗な花を咲かせる桜の樹の下。
高野の身長よりも高い雪の塊が、そびえ立っていた。
それは世間一般的には雪ダルマの形をしている。
大きな2つの雪玉が上下に連なっているし、バケツの帽子や石ころの目も付いていた。
だがとにかくサイズがデカい。
高さは2メートルを超えているし、横幅もしっかりしている。
雪から何日も経っているのに、全然溶けていない。
「いらっしゃいませ!」
2人が店内に入ると、阿部が元気のいい声で迎えてくれた。
そして「先日、雪は大丈夫でしたか?」と聞いてくれる。
高野が「何とか帰りましたよ」と答え、席に案内してもらう。
「表の雪ダルマ、すごいですね!」
「ああ。三橋とセナさんの力作ですよ。子供みたいでしょ?」
オーダーを済ませた後、律が雪のオブジェへの賛辞を述べると、阿部は苦笑する。
高野と律は「え?」と声を上げて、窓の外を見た。
やはりデカい雪ダルマ。
四捨五入すれば30歳になる男2人が作ったと思うと、どこか滑稽だ。
「三橋曰く、雪ダルマは恋に似てるそうです。」
「恋に?」
「丁寧にしないと崩れるし、マメに雪を足さないとやせ細る。」
「はぁ。。。」
「それでいずれは溶けてなくなるって。変でしょ?」
阿部はまた苦笑すると「ごゆっくり」と一礼して、去っていく。
変でしょ?などと言うが、きっと三橋の言いたいことは理解しているのだろう。
高野にも律にもわかった。
三橋が恋を雪ダルマに例えた理由が。
丁寧に雪を集めて、形を作り上げる。
それに野ざらしにしていたら、すぐに溶けるから雪を足す。
そうまでしても決して永遠ではない。
気持ちが離れなくても、どちらかが死ねば消えてしまうものだ。
それでも少しでも長くもつように、雪を足し続ける。
泥で汚れたり、歪になったり、形を変えていくのだ。
「ここに来ると本当にいつも何かを教えられますね。」
「まったくだな。」
高野と律はカチンとジョッキを合わせて、乾杯した。
仕事の後のビールはやはり美味い。
窓の外では雪ダルマが、食事を楽しむ恋人たちを見守っている。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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