アイシ×おお振り【お題:思い出15】

【楽しい思い出】

阿部隆也は、待ち合わせの相手を待っていた。
彼女から告白されたのは、ほんの数日前。
西浦高校野球部は、夏の大会の予選2回戦で敗退し、阿部たち3年生は引退した。
部室で引退式なるものをして、部室にあった私物を撤去し、すべてが終わったと実感した直後。
3年間、野球部に尽くしてくれた篠岡千代から「ずっと好きだった」と言われたのだった。

ずっと好きだった。
2人きりの部室でそういわれたのは、2回目だった。
1回目は約1年前。
バッテリーの相方であり、大事にしていた投手の三橋からだ。
もたもたと帰り支度をしている三橋を待っていたときに、言われたのだ。

言われたときには有頂天になった。
阿部もまたずっと三橋が好きだった。
でも同じ男同士で恋など、気持ち悪がられるだけだろう。
だからずっと三橋への想いを隠してきたのだ。

今にして思えば、甲子園出場で無駄にテンションが上がっていた。
抱きしめて、キスをして、身体を重ねようと三橋を半裸に剥いた。
もつれるように絡み合ったちょうどその時。
誰かが忘れ物をしたと、同じ学年のメンバーが全員戻ってきたのだった。
言い逃れられる状況ではない。一気にその場でミーティングとなった。

皆が反対した。
嫌悪を示すもの。部の規律を言う者。周りへの影響を心配する者。
阿部も、もっともなことだと思った。だから。
引退するまで待とう、と阿部は三橋に告げた。
部員の全員がそれに頷いた。それでこの件は終り。

三橋が退部届を出した、と監督の百枝に告げられたのはその翌日だった。

*****

甲子園出場を果たした昨年とは違い、今年は早い時点で敗退した。
理由は簡単だ。甲子園を目指すこの3年。
三橋を超える投手が、ついに西浦には現れなかったのだ。
夏休みをすべて甲子園という予定で埋めていたメンバーは時間を持て余した。
そして今日は、阿部たちの学年で「残念会」なる食事会が催されることになっていた。

会場は「栄口が見つけた美味しい店」と聞いていたが、場所が遠い。
電車で1時間以上かかる場所だ。
皆で待ち合わせて行くらしいが、阿部は後から行くと伝えてあった。

阿部は、篠岡の告白を受け入れて交際することにした。
そして今日の食事会で、それを皆に発表したいという篠岡の希望を聞き入れた。
だから他のメンバーとは別に篠岡と2人で行くことに決めたのだった。
そうでなければ、わざわざこんな「残念会」になんか出席しなかっただろう。

阿部は篠岡が自分に想いを寄せていることに気がついていなかった。
それを知ったのは、去年の夏。
つかの間心を通わせた三橋から聞いたのだ。
篠岡さん、俺と同じ目で阿部くんを見てる。
そう言った三橋があっけなく野球部を去ったことで。
また告白されるまで、篠岡の気持ちなど忘れていた。

「腕を組んでいい?」
待ち合わせ場所にようやく現れた篠岡が阿部に聞く。
ほとんど投げやりにOKしてしまった篠岡の告白。
三橋が部を去った理由を篠岡は知らない。
知っていたら多分、阿部に告白などしなかっただろう。
申し訳ないような気持ちを飲み込んで、阿部は篠岡が絡ませてくる腕を受け入れた。

*****

「いらっしゃいませ」
出迎えられた声、懐かしい姿に阿部はギョッとした。
事前に告げられた開始時間から遅れる事10分。
篠岡と一緒に店の扉をくぐった瞬間、出迎えたのは三橋その人だった。

「俺、夏休み、ここでバイトしてるんだ。」
久しぶりにその姿を見た三橋は、生き生きと動いていた。
細身の小さな身体。動くたびに揺れるフワフワした髪。大きな瞳。
阿部が愛したエースは、野球をしているときと同じに凛とした姿で働いている。

「まさか、三橋がバイトしてる店だなんてなぁ!」
田島が大きな声でそう言いながら、破顔する。
他の部員たちも最初は困惑したようだが、今ではすっかり元気にはしゃいでいる。
美味でボリュームのある料理がどんどんと運ばれ、部員たちのテンションも上がっていった。

「なぁ三橋、ちょっとくらい座れない?」
「久しぶりに話、しようよ」
花井と栄口が三橋に声をかけた。
三橋が困ったような顔で、厨房の方へ目を向ける。
すると三橋と同じくらい小柄な可愛らしい店員が、三橋に声をかけてきた。
「レンくん、どんどん運んで-!」
「は~い、セナさん!」
三橋はそう答えると、申し訳なさそうな顔の前で手を合わせる。
「ごめんね。他にもお客様いらっしゃるし、無理みたい。」
そう言って厨房の方へ消えていく。
今日は貸切ではないので、他にも客がいる。
部員たちは三橋を引き止めることを諦めた。

*****

部員たちが楽しそうに盛り上がっているのに、阿部の心はどんどん冷えていった。
お客様がいらっしゃる。
阿部が知っている三橋はそんな敬語を使いこなせるヤツではなかった。
顔の前で手を合わせるなんて技術もなかったはずだ。
弱気で卑屈で、自分がいなければ何も出来ない人間だったはずだ。

阿部はずっと店内を動き続ける三橋を見ていた。
金髪の店員に「レン、あっちのテーブルのオーダー」と言われている。
三橋が「ヒル魔さんも働いてくださいよ」と笑顔で返している。
野球を辞めた三橋は不幸でいるはずだと、阿部はずっと思っていた。
阿部のことも野球のことも忘れられずに、毎日泣いていると。
でも現実は違った。
三橋を失って、さっさと夏の大会を終えた自分たち。
なのに三橋は、楽しそうに働いている。
阿部はなんだか突き放されたような気持ちを持て余していた。

「阿部くん、そろそろいい?」
不意に阿部の隣に座っていた篠岡がそっと阿部の腕に触れてきた。
そうだ。今日篠岡と付き合うことを皆に言うんだった。
阿部は篠岡の視線を受け止めて、我に返った。
こうして三橋を見ると改めて思う。
本当に好きなのはただ1人だ。篠岡ではない。
目の前で働いている可愛い少年。

「篠岡と付き合っている」
それでも阿部は、会の終盤にぽつりとそう告げた。
部員たちは一瞬黙り込んだが、次の瞬間には大歓声となった。
花井が「他にもお客さんがいるんだぞ!」と叫んだが、誰も聞く耳を持たない。
ヒューヒューと囃し立てる声を、阿部はどこかむなしい思いで聞いていた。

*****

「これで今日の料理は終りです」
そう言って三橋が運んできたのは、大皿に乗せられた大量のおにぎりだった。
本当はシメはピラフとかパスタなんだけどね、と前置きしながら、三橋が照れくさそうに笑う。

「ねぇもしかして、三橋が作ったの?」
「うん。まもりさん。。。厨房の人がおにぎりなら俺でもいいって。だから作らせてもらった。」
水谷の問いに、三橋が答えた。
練習の合間の復活のおにぎりは、部員たちの楽しい思い出。
当然それを意識してのことだろう。

そして大皿とは別に、2つのおにぎりを乗せた小さな皿を運んでくる。
「トップのおにぎりは、一番いい具だから」
そう言って、その小さな皿を阿部と篠岡の前に置いた。
「おめでとう。阿部くん、篠岡さん」

「ありがと、な」
阿部は表面上は至って普段とかわらない口調で答えた。
でも内心は、平静を装うのに必死だった。
1年前、阿部と三橋はそれほどはっきりと別れを交わしたわけではなかった。
引退するまで待とうと言った阿部。なにも言わずに部を去った三橋。
実際に引退の時を迎えた今、何とでも出来たはずだった。
でももう終りなのだと、阿部は懸命に自分に言い聞かせていた。

「最後に楽しい思い出が出来てよかったよ」
店を出るとき、阿部はそう言って三橋と握手をした。
「俺も」
三橋は幾度となく握ったその手を握り返した。
これで今、はっきりと阿部と三橋は別れたのだ。
同時に西浦高校野球部の創設メンバーは別々の道を進みはじめる。

*****

もう一度、阿部に逢いに行くつもりだった。気持ちを伝えるつもりだった。
かつての仲間たちが店を出て行った後、三橋はその場に泣き崩れた。
西浦のメンバーがこんなところで食事会なんて、偶然のはずがない。
三橋がここでバイトしていることを知ってて来たのだろう。
わざわざ終りなのだと告げるつもりに違いない。

「レンくん」
いつのまにか柔らかい笑みを浮かべたセナが三橋の前に立っていた。
座り込んでしまった三橋の両肩に、そっと手を置いて立たせる。
「セナ、さん」
三橋はそのままセナに縋りついた。
「レンくんは立派だったよ。お客様がいる間はちゃんとしてたもん。」
セナが三橋をそっと抱きしめて、ポンポンと落ち着かせるように背中を叩く。

「あの阿部くんて人が、レンくんの好きな人なんだね。」
「オ、レは。。。」
もう言葉にならなかった。
三橋はそのままセナの肩に顔を埋めて、泣き続ける。
セナは優しく三橋の背中を叩きながら、三橋の涙を受け止めてくれた。

「大丈夫だよ。その時その時に正しいって信じた道をいけばいい。」
しばらく泣いて三橋の涙がおさまると、セナは三橋にそう言った。
「そうすればきっと全部、楽しい思い出になるから」
呪文のようなその言葉は、多分今までのセナの経験から来た言葉なのだろう。

「レン、テメーは今日はもう休んでいいぞ」
ヒル魔の言葉に、三橋は首を振った。
後片付けまできちんとしたい。楽しい思い出のために。

「ありがとう、ございます。大丈夫です。」
三橋は涙で脹れた瞳でヒル魔とセナを交互に見て笑う。
そして、部員たちが帰ったテーブル席の片づけを始めた。

【続く】
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