アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】

【冬/ポケットの中、互いの手】

「そりゃ律っちゃんが正解!セナやレンレンが異常なのよ!」
目の前の女性は少々怪しい呂律でそう言うと、半分ほど残っていたジョッキのビールを一気に飲み干した。
律は彼女の豪快な口調と飲みっぷりにすっかり圧倒されてしまった。

会社帰りにカフェ「デビルバッツ」に立ち寄った律だったが、店は混雑していた。
座れるかなと不安になりながら空席を捜していると、顔見知りの常連が手招きしてくれた。
セナやヒル魔の昔からの友人、瀧鈴音だ。
鈴音は1人でテーブル席で食事をしているようだ。
律はありがたく鈴音の向かいに腰を下ろした。

そこからどうしてこうなったのかはわからない。
律がこの店に通い始めた頃、鈴音はホールでアルバイトしていた。
大学卒業後は就職してバイトも辞めてしまったが、客としてよく来店していた。
気さくで物怖じせず、律にもよく話しかけてくるから、最初は少々引いていた。
だが次第に裏表がなくていつも明るい鈴音と話すのが楽しくなった。
特に落ち込んでるときなどは、元気をわけてもらったような気になるのだ。

「律っちゃんも飲みなよ!」
いつもの元気な鈴音に誘われて、律は本当は食事だけのつもりだったがビールを頼んだ。
聞き上手な鈴音に「最近どうなの?」と話題を振られて、ついつい話してしまったのだ。
高野との関係がこのまま続けられるのか、不安であること。
結婚できないし、歳を取って容貌が衰えても好きでいてもらえる自信もないし、親にも言えない。
なのに同じ境遇で迷いがない三橋に、すっかり落ち込んでしまったこと。

鈴音は「うんうん」と身を乗り出して、真剣な面持ちで聞いてくれる。
そしてひと通りすべて聞き終わった後に「それはね」と、口を開いた。
律は判決を待つ被告人の気分で、鈴音の言葉を待つ。

「そりゃ律っちゃんが正解!セナやレンレンが異常なのよ!」
鈴音は少々怪しい呂律でそう言うと、半分ほど残っていたジョッキのビールを一気に飲み干した。
律は話の内容よりも、鈴音の豪快な口調と飲みっぷりにすっかり圧倒されてしまった。

*****

「そりゃ律っちゃんが正解!セナやレンレンが異常なのよ!」
賑やかなホールで、鈴音の声が微かに聞き取れた。
ホールで接客をしていた阿部は、聞いていない素振りでそっと聞き耳を立てる。
普段は客の会話など聞き流しているが、三橋の名が出れば話は別だ。

「だいたいセナもレンレンも初恋でそのままゴールインでしょ?そんなのあり得ない!」
「俺も一応、初恋なんですが。。。」
「でも1度別れて、再会してもう1度恋に堕ちたわけでしょ?」
「ええ。まぁ。。。それってそんなに違うことですか?」
「全然違うわよ!」

阿部は2人の隣のテーブルの空いた皿を片付けながら、2人の会話を聞いていた。
律はともかくチアで鍛えた鈴音の声はよく響く。
酔ってこれ以上声が大きくなるようなら、注意しなくてはならないだろう。
単に他の客に迷惑というだけでない。
店中に響き渡る声で自分の恋愛の話をされるのは恥ずかしい。

「別れてる間に他の人と付き合ったりしたでしょ?」
「ええ、まぁ。」
「それよ!他の人と比べて結局、高野さんがいいってことでしょ!」
「は、はぁ。。。」

律が真っ赤になっているのは、酒のせいではない。
恥ずかしくなったのだろう。
阿部は少々気の毒になりながら、テーブルを拭いていた。

「一途にずっと思い続けるって、言うのはカッコいいけど難しいよ。」
「そう、ですか?」
「そうよ。どんなに肉が好きでも、たまには野菜や魚だって食べたいし。」
「その例えはどうなんでしょう。。。」
「この店の連中ってさ、結局1回しか恋愛してないくせに偉そうに恋愛相談に乗ったりしてるじゃない!」

鈴音はいよいよ調子が上がって来たようで、やや腰が引けている律に話し続けている。
阿部は苦笑しながら、2人の隣のテーブルでパソコンを叩いているヒル魔を見た。
どうやら聞こえているのだろう。
ヒル魔もパソコンに視線を向けたまま、口元が緩んでいた。

*****

「だから努力するんじゃない!」
自主トレを終えて、手伝うためにホールに出たセナはビクっと身体を震わせた。
すっかりほろ酔いになった鈴音の大きな声に驚いたせいだ。

「努力ですか?」
「そ。努力。女の子はカレに飽きられないように頑張るの!エステにメイク、ダイエット!」
「綺麗でいるためにかぁ。女の子は大変ですね。」
「女の子に限定する必要、ないじゃない。」
「でも男がメイクって」
「この間、木佐っちに新発売の美容液の情報、教えたよ。アンチエイジングにいいってヤツ。」
「アンチエイジング??木佐さんに~~~!?」

鈴音のペースに、律は完全に乗せられてしまっているようだ。
止めた方がいいのだろうか。
セナは一瞬迷ったが、必要ないと思い直した。
阿部もヒル魔も素知らぬ顔をしながら、笑いを噛み殺していたからだ。

「恋愛には努力もいるのよ。受身じゃダメ。それに失敗してもくじけちゃダメ。」
「失敗って、失恋?」
「そう。努力してもダメだったら、お酒飲んで一晩だけ泣いて。朝になったら次の恋を捜す。」
「そんな簡単に。。。」
「大丈夫。私も初恋が実らなかった時、もう生きてても仕方ないって思った。でも今も元気に楽しく生きてる!」
「その後、いっぱい恋したんですか?」
「いっぱいってほどじゃないけど。初恋しか知らない時よりは成長してるよ!」

あくまでも陽気に、だが確実に鈴音も律も酔っているようだ。
阿部が厨房の三橋に「鈴音さんを車で送ってくる」と声をかけている。
ヒル魔は携帯電話を取り出すと「律を迎えに来い」と言っている。
多分電話の相手は高野だろう。

セナは少しだけ何かが見えたような気がした。
そう遠からずヒル魔がいなくなってしまうことを考えて怯えていた。
でもいなくなった後、元気で楽しく生きても許されるだろうか?
新しい恋をするなど今は考えもつかないが、幸せになることはできるかもしれない。

セナはヒル魔の横顔を見た。
通話を終えたヒル魔は、そんなセナの心など見通しているような穏やかな笑顔だった。

*****

ったく。このパターンは何度目だ。
高野は心の底から深い深いため息をつく。
カフェ「デビルバッツ」の客席では、律がスゥスゥと寝息を立てていた。

「鈴音しゃん、凄いでしょ。木佐しゃんのこと『木佐っち』って呼んでるんです。」
「声がデカい」
「でね、アンチエイジングの美容液が。。。」
「黙れ、酔っ払い!」

高野は店を出ると、律の手を引いて歩き出した。
阿部が「車で送ります」と言ってくれたが、ことわった。
どうすると律に聞いたら「吐きますがいいですか?」と怖いことを言い出したからだ。
結局この寒空に歩いて帰る羽目になったのだ。

「肉が好きでも、野菜や魚も食べたいそうです。」
「ああ?」
「それでエステとメイクとダイエットで!」
「お前にダイエットはいらないだろ」
「だからアンチエイジングで」
「うるせーよ!」

これだから酔っ払いは嫌だ。
もう支離滅裂で意味がわからない。
それでもここ最近ふさぎこんでいた律が楽しそうなのはホッとしている。
鈴音と飲んでいたというが、何かいい話を聞いたのか、それとも単にストレス解消しただけか。
とにかくカラ元気でもなく、律は心の底から笑っているようだ。

「お前、手袋は?」
高野は握った律の手の指先が冷たいのが気になって、そう聞いた。
だが律は「わかりましぇん」と笑っている。
どうやらまともな会話は無理のようだ。
仕方がない。
高野は律の手を握ったまま、ポケットに手を突っ込んだ。

ポケットの中、互いの手がゆっくりと温まっていく。
律の指は同じ男とは思えないほど細い。
少女漫画編集としては、いささかベタなシーンだ。
だがやはり定番のよさがあり、愛おしいと思う。

「高野しゃん。別れて再会してもう1度恋に堕ちたのはすごいらしいです。」
すごいらしいです、がほとんど「しゅごいらしいでしゅ」に聞こえる。
高野は「わかったから」と曖昧に答えると、少しだけ歩調を速めた。

寒い夜は、さっさと帰るに限る。
恋人をしっかりお持ち帰りしたのだから、夜はきっと暖かい。
明日の朝、律が高野のベットで目を覚まして驚く、までが鉄板の定番だ。

*****

「鈴音さん、だいじょぶ、だった?」
酔っ払った鈴音を送って戻ってきた阿部に、三橋は声をかける。
阿部は「ああ」と短く答えて、厨房に入ってきた。
夜も更けて、客も少なくなってきた。
ホールはセナに任せて、阿部は厨房に入ってきた。
バイトが帰宅して三橋1人になった厨房を手伝ってくれるようだ。

「鈴音さんの話、聞こえてたか?」
「ちょっと、だけ。」
阿部が使用済みの皿の食べかすを落として、食器洗い機にセットしていく。
三橋はオーダーされたカクテルを作りながら、首を縦に振った。

「初恋しか知らないって、楽しみが少ないもんなのかな」
「阿部、くん。もしかして、気にしてる?」
「ちょっと、な。三橋をずっと縛ってきたかなと思って」
「そんなこと、ないよ!」

思いがけず大きな声になってしまい、三橋は思わずホールを見た。
だがちょうど阿部がスイッチを入れた食器洗い機の音にかき消されたようだ。
客たちが特に気に留めたようすがないのを見て、ホッと胸を撫で下ろす。

「たくさん、恋をしてないけど。1つだけ、長くて、深い恋。」
「長くて深い恋、か。」
「そう。短い恋しか、してない人には、わからない、温かさ」
その時ちょうどカクテルが出来上がった。
セナが「そうだよね。長くて深い恋もいいよね」と言いながら、それを受け取る。

「セ、セナさん!聞いてた?」
「聞いたよ。レンくんの名言。」
セナはニッコリと笑顔でカクテルをトレイに乗せ、運んで行った。

「な、なんか、は、恥ずかしい。」
「いいじゃん。確かに名言なんだから。」
阿部は三橋の右手をそっと握ると、自分のエプロンのポケットに突っ込んだ。
カクテルを作って、冷たくなった三橋の手がゆっくりと温められる。

「厨房やるようになって、指先いつも冷たいよな。」
「仕方、ないよ!食材、扱う、から。」
ポケットの中、互いの手が重ねる。
手を合わせるのは高校時代から続く2人のコミュニケーションだ。
それでも未だにドキドキする。
初恋だって悪くないよと、鈴音や他のみんなに自慢したくなるほどに。

「次のオーダー入るまで、こうしてようぜ。」
阿部が悪戯っぽく笑う。
三橋は笑顔で「うん!」と答えて、ホールを見た。
視線の先で、セナがヒル魔に何かを話しかけながら笑っている。

【続く】
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