アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】
【冬/六花の空】
「悪いんですが、奥のテーブルに移動してもらえませんか?」
阿部はノートパソコンを叩くヒル魔に、そう言った。
カフェ「デビルバッツ」は、1月の1日から3日までは正月営業となる。
それはかなり風変わりな営業スタイルだ。
一応店は開けているが、営業中の札は出さない。
照明も落としておくので、通りすがりにチラリと見ただけでは休業に見えるだろう。
だが実はいつもと同じ時間に営業しているのだ。
阿部と三橋以外の従業員には全員正月休みを取らせ、出せるメニューも少なくなる。
それでも店の扉は開いており、常連客もそれを知っている。
だから普段よりはかなり少ないが、それなりに客は来る。
それは阿部と三橋の心意気を示していた。
未だ2人の関係は双方の家族に完全に許されたわけではなく、実家とは疎遠のままだ。
だからこそ客には、店に来るより家族と暖かい時間を過ごしてほしい。
それでも行き場のない客のために、店は開けておく。
正月、他に行くところのない客たちの時間を少しでも有意義にできればいい。
ちなみにここ何年か、正月に必ず来店する常連がいる。
古くからの常連、小野寺律の上司にして恋人の高野政宗だ。
高野は両親が離婚して、それぞれ別の相手と再婚したせいで、実家というものがないという。
そして恋人の律は、年末年始必ず実家に帰ることになっているらしい。
高野は「ヒマなもんで」と言いながら来店し、三橋の料理を食べ、ヒル魔と世間話をして帰っていく。
阿部は高野のような客が、少しでも楽しんでくれていると嬉しいと思っている。
「悪いんですが、奥のテーブルに移動してもらえませんか?」
阿部は正月も変わらず、ノートパソコンを叩くヒル魔にそう言った。
ちなみにヒル魔の指定席は一番奥だ。
だが今日は窓側の席に移動している。
照明を落としているので、奥の席では暗くて画面が見にくいのだ。
「ただでさえ目立つんですよ。それにそろそろ高野さんがいらっしゃると思うし。」
不満そうなヒル魔に、阿部は畳み掛けるようにそう言った。
容姿端麗なヒル魔が窓際にいるだけで、通行人、特に女性の目を引くのだ。
その上高野まで並んだら、客が増えてしまう。
今日はセナがおらず三橋と2人きりの営業なので、客を増やしたくない。
ちょうどその時入口の扉が開いた。
まさに奇跡のようなタイミングで入ってきたのは、高野だった。
ヒル魔は苦笑しながらも、パソコンを持って奥の席に移動する。
阿部は「いらっしゃいませ」と営業スマイルで、高野を席へと案内した。
*****
まったく詐欺だよな。
高野はヒル魔の秀麗な美貌を見ながら、そう思った。
高野政宗がカフェ「デビルバッツ」に来店するきっかけになったのは、もちろん恋人の律だ。
律は高校生の頃からの常連で、この店のファンと言っても過言ではない。
高野も出入りするようになって、すぐにこの店が気に入った。
ボリュームがあるのに健康によさそうな野菜主体のメニューは安い。
しかも店員たちの態度にも好感を持っていた。
親密だが礼儀正しく、馴れ馴れし過ぎない適度な距離を保ってくれる。
高野は概ね律と来店するが、正月だけは別だ。
律は実家に帰ってしまうが、高野には帰る実家がない。
こうして気心の知れたカフェで料理やスタッフとの会話を楽しむ。
それを寂しいと思ったことはない。
1人きりの正月の贅沢な時間の過ごし方だ。
それに店のスタッフたちは、常連である律とは10年来の付き合いだ。
高野の知らない昔の律の話を聞かせてくれたりもする。
素知らぬ顔で聞いているが、興味津々だ。
おそらくそんな内心もバレているような気もするが。
「今年もセナくんはアメフト観戦?」
高野は案内されたヒル魔の向かいの席に腰を下ろすと、前置きもなくそう言った。
ヒル魔はパソコンから顔を上げると「律も実家だろ」と応じる。
特にかしこまった挨拶などしない。
そう言えば昨年も同じ言葉から会話が始まったような気がする。
「この前律が何か相談に来たよな?」
「そりゃ俺じゃなくて、レンが話を聞いてた。」
「それ以来、何か元気がないようなんだが。」
「そう言えばレンも話してるうちに元気がなくなったって心配してたな。」
まったく詐欺だよな。
高野はヒル魔の秀麗な美貌を見ながら、そう思った。
以前に律にヒル魔の年齢を聞いたことがある。
すると律は「俺より3つ年上です」と答えたのだ。
この落ち着いた雰囲気の男が高野と1歳しか違わず、しかも木佐よりも年下だとは。
「レンを呼ぶか?」
ヒル魔が気を聞かせて、そう言ってくれる。
だが高野は黙って首を振った。
さすがに律本人が喋らないことをそこまで聞き回るのは、気が引ける。
いくら恋人でもプライバシーというものがあるだろう。
*****
自分の試合よりも緊張したな。
セナは試合の余韻に浸りながら、そう思った。
ライスボウルはアメフト日本一のチームを決定する試合だ。
毎年1月3日に社会人代表と学生代表が戦う。
セナはその観戦のために、スタジアムに来ていた。
ここ何年か圧倒的に強いのは、ヒル魔の親友である武蔵が率いる「武蔵工バベルズ」だ。
社会人チームとして、群を抜いて強い。
しかもライスボウルではほとんど負けなしだ。
元々ライスボウルでは社会人の方が有利とは言われているが、それを差し引いても強い。
セナも毎年、観戦を楽しみにしている。
単に日本の最高峰の試合を見て、刺激を受けるだけではない。
武蔵工バベルズには、かつてのチームメイトやライバルたちが多く所属している。
また惜しくも破れたチームにも顔見知りが多くいる。
スタジアムに足を運ぶだけで、懐かしい顔に多く出会えるのだ。
だが残念ながら、ヒル魔と一緒に観戦することはもうない。
病気を抱えるヒル魔は長時間の外出は、もう体力的にきついのだ。
それに人が多いスタジアムで万が一にも発作が起きたら一大事だ。
多くの人に迷惑や心配をかける。
そもそもヒル魔の病気の件は、ごく一部の人間しか知らない秘密なのだ。
「ヒル魔さんは来ないの?」
「ヒル魔くん、元気?」
「ヒル魔とは随分長いこと、スタジアムでは会ってないな。」
セナがスタジアムを歩いてるだけで、そんな風に声をかけられる。
ヒル魔とセナの恋愛を知らなくても、2人をセットで考える者は多いらしい。
そのたびにセナは曖昧な笑いで誤魔化した。
そして憂鬱な気分を無理矢理頭から振り払う。
せっかく年に1度の大試合、集中して見なければ損だし、試合に出る選手に失礼だ。
自分の試合よりも緊張したな。
帰り道、セナは試合の余韻に浸りながらそう思った。
試合は順当に武蔵工バベルズの勝利だった。
だが相手チームの最京大学も強く、最後までどちらが勝ってもおかしくない接戦だった。
ヒル魔の母校は、着実にレベルが上がっているようだ。
年末から何となく落ち込んでいたが、久しぶりに楽しんだ。
セナは充実した気分で、カフェ「デビルバッツ」に戻った。
帰りに雪がチラつき始めたが、それさえも心躍るものに見えた。
*****
「律っちゃんもマリッジブルー?」
思いもかけない言葉に、律は思わず口に含んでいた茶を吐き出しそうになった。
律は大晦日から正月にかけて、実家に戻っていた。
年末は高いところのものを取れとか電球を変えろとか、とにかく母親に雑用をさせられる。
年が明ければ、訪ねてくる来客の相手だ。
人使いが荒いと文句を言いながら、それでも変にお客様待遇をされるよりは気が楽だと思う。
高野さん、今頃どうしてるかな。
律はそんなことを思いながら、毎年そう思う回数が減っていることにショックを受けていた。
ようやく想いが通じたばかりの新年には、高野と離れることが嫌だった。
もう実家に戻るのを止めようかとさえ思ったのだ。
逆に高野に諭されて、実家に戻った。
何度も時計を見ながら、早く帰って高野の顔が見たいと思ったのだ。
それが今では。
高野に早く会いたいのは間違いないのだが、あの強烈に喉が渇くような渇望はない。
1人にして申し訳ないという気持ちも、どんどん薄くなっていくような気がする。
だがそういうものだと思っていた。
ずっと一緒にいるのに、いつもドキドキしていたら身体が持たない。
激しい恋情は、穏やかな愛情に変化するものだと思っていた。
律の悩みはもっぱら親との関係とか実家の後継問題とか、そういう事務的なものだった。
だから先日三橋が「阿部がいれば他に何もいらない」と言い切ったのはショックだった。
自分の恋心はひどく汚れているような気がした。
律は浮かない気分のまま年始の客をもてなし、恒例の餅つきでは餅をついた。
「律っちゃん、元気ないね。」
新年会の終盤で話しかけてきたのは、かつての婚約者、小日向杏だ。
律は「そんなことないよ」と言葉を濁す。
だが小さい頃から一緒に過ごした幼馴染の目は誤魔化せなかったようだ。
「お友達でもうすぐ結婚する子がいるんだけど。律っちゃんの表情、その子に似てる」
「はぁぁ?」
「律っちゃんもマリッジブルー?」
思いもかけない言葉に、律は思わず口に含んでいた茶を吐き出しそうになった。
どうやら杏は律の表情と高野とのことを結びつけて、そういう推理に至ったようだ。
つまり精彩を欠いた表情に見えるのだろう。
「そ、そんな。マリッジブルーって。」
律はしどろもどろになりながら、女性の勘の鋭さに狼狽していた。
救いを求めるように窓の外を見ると、雪がチラつき始めている。
「六花だね」
「六花?」
「雪の結晶のこと。六角形に見えるからそう言うんだ。」
「さすが律っちゃん。物知り!」
雪にかこつけて、何とか誤魔化せただろうか。
律はホッと胸を撫で下ろしながら、六花の空を見上げた。
*****
「ヒル魔さんと高野さん。綺麗だった!」
三橋はテンション高く、元気にそう言い放った。
正月営業を終えた夜、三橋は阿部の部屋にいた。
特別なことではない。
三橋にも部屋はあるが、夜は阿部の部屋で眠る。
理由は簡単、阿部の部屋は一番端にあり、三橋の部屋よりヒル魔やセナの部屋から遠い。
少しでも「夜の声」が聞こえないようにというささやかな配慮からだ。
「ヒル魔さんと高野さん。綺麗だった!」
三橋はテンション高く、元気にそう言い放った。
昼の営業時間、奥のテーブルで話し込んでいたヒル魔と高野を思い出したのだ。
2人とも美人で、スラリとした長身のイケメン。
単体でいても充分目立つが、2人並んだときの破壊力はすごい。
「ったくだよな。最初窓際に座ってたから、奥に移ってもらったんだぜ?」
「そう、なの?」
「ああ。正月営業なのに客を増やしたら、回らねぇもん。」
阿部が文句を言うのを聞いて、三橋は苦笑した。
律たち丸川書店の関係者は、まるでモデルかホストと言いたくなるような美形が多い。
そして阿部は彼らを可能な限り、窓際の一番外から目立つ席に案内する。
その目的は客寄せと店のイメージアップだ。
綺麗な青年たちがいれば見栄えもいいし、彼ら目当ての客も現れる。
そんな風に客を利用しておいて、こういう時には文句を言う阿部が可笑しい。
「律くんと高野さん、大丈夫、だよね?」
三橋は阿部にそう聞いた。
先日、ヒル魔に言われて、律の話を聞いた。
だが正直なところ、三橋には律の言いたいことがよくわからなかったのだ。
阿部との恋愛に迷いはないかと聞かれた。
ないと答えたら、律はひどく驚き、元気がなくなったように見えた。
「大丈夫だろ。10年越しの恋だっていうし。そう簡単に壊れないさ。」
「そ、だよね?」
「仮に壊れたとしても、三橋のせいじゃねーよ。」
阿部は三橋の不安を読んで、安心させるようにそう言ってくれた。
「雪が積もったら、仕込み、減らした方が、いいかな」
三橋はポツリとそう呟いた。
その視線の先、窓の外では空から六花が舞い降りている。
【続く】
「悪いんですが、奥のテーブルに移動してもらえませんか?」
阿部はノートパソコンを叩くヒル魔に、そう言った。
カフェ「デビルバッツ」は、1月の1日から3日までは正月営業となる。
それはかなり風変わりな営業スタイルだ。
一応店は開けているが、営業中の札は出さない。
照明も落としておくので、通りすがりにチラリと見ただけでは休業に見えるだろう。
だが実はいつもと同じ時間に営業しているのだ。
阿部と三橋以外の従業員には全員正月休みを取らせ、出せるメニューも少なくなる。
それでも店の扉は開いており、常連客もそれを知っている。
だから普段よりはかなり少ないが、それなりに客は来る。
それは阿部と三橋の心意気を示していた。
未だ2人の関係は双方の家族に完全に許されたわけではなく、実家とは疎遠のままだ。
だからこそ客には、店に来るより家族と暖かい時間を過ごしてほしい。
それでも行き場のない客のために、店は開けておく。
正月、他に行くところのない客たちの時間を少しでも有意義にできればいい。
ちなみにここ何年か、正月に必ず来店する常連がいる。
古くからの常連、小野寺律の上司にして恋人の高野政宗だ。
高野は両親が離婚して、それぞれ別の相手と再婚したせいで、実家というものがないという。
そして恋人の律は、年末年始必ず実家に帰ることになっているらしい。
高野は「ヒマなもんで」と言いながら来店し、三橋の料理を食べ、ヒル魔と世間話をして帰っていく。
阿部は高野のような客が、少しでも楽しんでくれていると嬉しいと思っている。
「悪いんですが、奥のテーブルに移動してもらえませんか?」
阿部は正月も変わらず、ノートパソコンを叩くヒル魔にそう言った。
ちなみにヒル魔の指定席は一番奥だ。
だが今日は窓側の席に移動している。
照明を落としているので、奥の席では暗くて画面が見にくいのだ。
「ただでさえ目立つんですよ。それにそろそろ高野さんがいらっしゃると思うし。」
不満そうなヒル魔に、阿部は畳み掛けるようにそう言った。
容姿端麗なヒル魔が窓際にいるだけで、通行人、特に女性の目を引くのだ。
その上高野まで並んだら、客が増えてしまう。
今日はセナがおらず三橋と2人きりの営業なので、客を増やしたくない。
ちょうどその時入口の扉が開いた。
まさに奇跡のようなタイミングで入ってきたのは、高野だった。
ヒル魔は苦笑しながらも、パソコンを持って奥の席に移動する。
阿部は「いらっしゃいませ」と営業スマイルで、高野を席へと案内した。
*****
まったく詐欺だよな。
高野はヒル魔の秀麗な美貌を見ながら、そう思った。
高野政宗がカフェ「デビルバッツ」に来店するきっかけになったのは、もちろん恋人の律だ。
律は高校生の頃からの常連で、この店のファンと言っても過言ではない。
高野も出入りするようになって、すぐにこの店が気に入った。
ボリュームがあるのに健康によさそうな野菜主体のメニューは安い。
しかも店員たちの態度にも好感を持っていた。
親密だが礼儀正しく、馴れ馴れし過ぎない適度な距離を保ってくれる。
高野は概ね律と来店するが、正月だけは別だ。
律は実家に帰ってしまうが、高野には帰る実家がない。
こうして気心の知れたカフェで料理やスタッフとの会話を楽しむ。
それを寂しいと思ったことはない。
1人きりの正月の贅沢な時間の過ごし方だ。
それに店のスタッフたちは、常連である律とは10年来の付き合いだ。
高野の知らない昔の律の話を聞かせてくれたりもする。
素知らぬ顔で聞いているが、興味津々だ。
おそらくそんな内心もバレているような気もするが。
「今年もセナくんはアメフト観戦?」
高野は案内されたヒル魔の向かいの席に腰を下ろすと、前置きもなくそう言った。
ヒル魔はパソコンから顔を上げると「律も実家だろ」と応じる。
特にかしこまった挨拶などしない。
そう言えば昨年も同じ言葉から会話が始まったような気がする。
「この前律が何か相談に来たよな?」
「そりゃ俺じゃなくて、レンが話を聞いてた。」
「それ以来、何か元気がないようなんだが。」
「そう言えばレンも話してるうちに元気がなくなったって心配してたな。」
まったく詐欺だよな。
高野はヒル魔の秀麗な美貌を見ながら、そう思った。
以前に律にヒル魔の年齢を聞いたことがある。
すると律は「俺より3つ年上です」と答えたのだ。
この落ち着いた雰囲気の男が高野と1歳しか違わず、しかも木佐よりも年下だとは。
「レンを呼ぶか?」
ヒル魔が気を聞かせて、そう言ってくれる。
だが高野は黙って首を振った。
さすがに律本人が喋らないことをそこまで聞き回るのは、気が引ける。
いくら恋人でもプライバシーというものがあるだろう。
*****
自分の試合よりも緊張したな。
セナは試合の余韻に浸りながら、そう思った。
ライスボウルはアメフト日本一のチームを決定する試合だ。
毎年1月3日に社会人代表と学生代表が戦う。
セナはその観戦のために、スタジアムに来ていた。
ここ何年か圧倒的に強いのは、ヒル魔の親友である武蔵が率いる「武蔵工バベルズ」だ。
社会人チームとして、群を抜いて強い。
しかもライスボウルではほとんど負けなしだ。
元々ライスボウルでは社会人の方が有利とは言われているが、それを差し引いても強い。
セナも毎年、観戦を楽しみにしている。
単に日本の最高峰の試合を見て、刺激を受けるだけではない。
武蔵工バベルズには、かつてのチームメイトやライバルたちが多く所属している。
また惜しくも破れたチームにも顔見知りが多くいる。
スタジアムに足を運ぶだけで、懐かしい顔に多く出会えるのだ。
だが残念ながら、ヒル魔と一緒に観戦することはもうない。
病気を抱えるヒル魔は長時間の外出は、もう体力的にきついのだ。
それに人が多いスタジアムで万が一にも発作が起きたら一大事だ。
多くの人に迷惑や心配をかける。
そもそもヒル魔の病気の件は、ごく一部の人間しか知らない秘密なのだ。
「ヒル魔さんは来ないの?」
「ヒル魔くん、元気?」
「ヒル魔とは随分長いこと、スタジアムでは会ってないな。」
セナがスタジアムを歩いてるだけで、そんな風に声をかけられる。
ヒル魔とセナの恋愛を知らなくても、2人をセットで考える者は多いらしい。
そのたびにセナは曖昧な笑いで誤魔化した。
そして憂鬱な気分を無理矢理頭から振り払う。
せっかく年に1度の大試合、集中して見なければ損だし、試合に出る選手に失礼だ。
自分の試合よりも緊張したな。
帰り道、セナは試合の余韻に浸りながらそう思った。
試合は順当に武蔵工バベルズの勝利だった。
だが相手チームの最京大学も強く、最後までどちらが勝ってもおかしくない接戦だった。
ヒル魔の母校は、着実にレベルが上がっているようだ。
年末から何となく落ち込んでいたが、久しぶりに楽しんだ。
セナは充実した気分で、カフェ「デビルバッツ」に戻った。
帰りに雪がチラつき始めたが、それさえも心躍るものに見えた。
*****
「律っちゃんもマリッジブルー?」
思いもかけない言葉に、律は思わず口に含んでいた茶を吐き出しそうになった。
律は大晦日から正月にかけて、実家に戻っていた。
年末は高いところのものを取れとか電球を変えろとか、とにかく母親に雑用をさせられる。
年が明ければ、訪ねてくる来客の相手だ。
人使いが荒いと文句を言いながら、それでも変にお客様待遇をされるよりは気が楽だと思う。
高野さん、今頃どうしてるかな。
律はそんなことを思いながら、毎年そう思う回数が減っていることにショックを受けていた。
ようやく想いが通じたばかりの新年には、高野と離れることが嫌だった。
もう実家に戻るのを止めようかとさえ思ったのだ。
逆に高野に諭されて、実家に戻った。
何度も時計を見ながら、早く帰って高野の顔が見たいと思ったのだ。
それが今では。
高野に早く会いたいのは間違いないのだが、あの強烈に喉が渇くような渇望はない。
1人にして申し訳ないという気持ちも、どんどん薄くなっていくような気がする。
だがそういうものだと思っていた。
ずっと一緒にいるのに、いつもドキドキしていたら身体が持たない。
激しい恋情は、穏やかな愛情に変化するものだと思っていた。
律の悩みはもっぱら親との関係とか実家の後継問題とか、そういう事務的なものだった。
だから先日三橋が「阿部がいれば他に何もいらない」と言い切ったのはショックだった。
自分の恋心はひどく汚れているような気がした。
律は浮かない気分のまま年始の客をもてなし、恒例の餅つきでは餅をついた。
「律っちゃん、元気ないね。」
新年会の終盤で話しかけてきたのは、かつての婚約者、小日向杏だ。
律は「そんなことないよ」と言葉を濁す。
だが小さい頃から一緒に過ごした幼馴染の目は誤魔化せなかったようだ。
「お友達でもうすぐ結婚する子がいるんだけど。律っちゃんの表情、その子に似てる」
「はぁぁ?」
「律っちゃんもマリッジブルー?」
思いもかけない言葉に、律は思わず口に含んでいた茶を吐き出しそうになった。
どうやら杏は律の表情と高野とのことを結びつけて、そういう推理に至ったようだ。
つまり精彩を欠いた表情に見えるのだろう。
「そ、そんな。マリッジブルーって。」
律はしどろもどろになりながら、女性の勘の鋭さに狼狽していた。
救いを求めるように窓の外を見ると、雪がチラつき始めている。
「六花だね」
「六花?」
「雪の結晶のこと。六角形に見えるからそう言うんだ。」
「さすが律っちゃん。物知り!」
雪にかこつけて、何とか誤魔化せただろうか。
律はホッと胸を撫で下ろしながら、六花の空を見上げた。
*****
「ヒル魔さんと高野さん。綺麗だった!」
三橋はテンション高く、元気にそう言い放った。
正月営業を終えた夜、三橋は阿部の部屋にいた。
特別なことではない。
三橋にも部屋はあるが、夜は阿部の部屋で眠る。
理由は簡単、阿部の部屋は一番端にあり、三橋の部屋よりヒル魔やセナの部屋から遠い。
少しでも「夜の声」が聞こえないようにというささやかな配慮からだ。
「ヒル魔さんと高野さん。綺麗だった!」
三橋はテンション高く、元気にそう言い放った。
昼の営業時間、奥のテーブルで話し込んでいたヒル魔と高野を思い出したのだ。
2人とも美人で、スラリとした長身のイケメン。
単体でいても充分目立つが、2人並んだときの破壊力はすごい。
「ったくだよな。最初窓際に座ってたから、奥に移ってもらったんだぜ?」
「そう、なの?」
「ああ。正月営業なのに客を増やしたら、回らねぇもん。」
阿部が文句を言うのを聞いて、三橋は苦笑した。
律たち丸川書店の関係者は、まるでモデルかホストと言いたくなるような美形が多い。
そして阿部は彼らを可能な限り、窓際の一番外から目立つ席に案内する。
その目的は客寄せと店のイメージアップだ。
綺麗な青年たちがいれば見栄えもいいし、彼ら目当ての客も現れる。
そんな風に客を利用しておいて、こういう時には文句を言う阿部が可笑しい。
「律くんと高野さん、大丈夫、だよね?」
三橋は阿部にそう聞いた。
先日、ヒル魔に言われて、律の話を聞いた。
だが正直なところ、三橋には律の言いたいことがよくわからなかったのだ。
阿部との恋愛に迷いはないかと聞かれた。
ないと答えたら、律はひどく驚き、元気がなくなったように見えた。
「大丈夫だろ。10年越しの恋だっていうし。そう簡単に壊れないさ。」
「そ、だよね?」
「仮に壊れたとしても、三橋のせいじゃねーよ。」
阿部は三橋の不安を読んで、安心させるようにそう言ってくれた。
「雪が積もったら、仕込み、減らした方が、いいかな」
三橋はポツリとそう呟いた。
その視線の先、窓の外では空から六花が舞い降りている。
【続く】