アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】
【冬/誘惑フリージア】
「どうなると思います?」
青年は真剣な表情で身を乗り出している。
だがヒル魔は一瞬何を言っているのかよくわからなかった。
年末の慌しい時期に来店したのは、常連客の小野寺律だった。
律はヒル魔にとっては、親戚の子供のようなものだ。
何しろ知り合ったのは、三橋や阿部が働き始めるよりも前なのだ。
母親と共に時折来店していた可愛らしい少年は、美青年に成長した。
最近では律を紹介してほしいと頼んでくる女性客がいたりする。
もちろん丁寧にお断りしているが。
律が仕事仲間を連れて来たりするせいで、カフェ「デビルバッツ」はますます繁盛している。
編集部の人間から作家、その友人や家族たち。
ホストだったらマージンが出るくらい、律がきっかけで常連になった客は多い。
だが同時に持ち込まれる恋愛話も多かった。
ヒル魔は必要とあれば話を聞き、問われれば意見も言った。
意外と自分は恋愛相談に向いているのかもしれない。
そんなことを考え始めた矢先、今回の相談者(?)は律本人だった。
「BLのエンディングの後って、どうなると思います?」
律は真剣な表情で身を乗り出している。
だがヒル魔は一瞬何を言っているのかよくわからなかった。
「いつも思うんです。BL漫画とか小説ってだいたいハッピーエンドでしょ?」
でしょ?と聞かれても、ヒル魔はその手のものを読まない。
だがBLが何たるかは知っていた。
どうやら律はその結末に不満を持っているらしい。
「王様とか社長とかが身分違いの恋を成就させた後、絶対に跡継ぎ問題って避けて通れないでしょ?」
あまりにも端的な質問だが、何となく言いたいことはわかった。
BLという男同士の恋愛では、成就したところで子供を持つことができない。
会社社長とか国王など世襲の職業につく者は、その後どうなるのか。
何となく律の悩みも見えてきたような気がした。
おそらく大手出版社社長の息子である律は、高野との恋愛で迷っている。
「そういうことなら、俺よりレンや阿部の方が参考になるかもな。」
ヒル魔は正直にそう答えた。
幼少の頃から親とほとんど音信不通状態のヒル魔は、そういうしがらみを真剣に考えたことはない。
だが三橋は祖父が学校を経営するという家の出だし、阿部の父も会社経営だ。
しかも2人とも、親や友人に知られて反対されるという苦悩も知っている。
「ヒル魔さんってやっぱりすごく勘がいいですね。」
律ははっきりと言わないのに、今の自分の気持ちが伝わったことに感心しているようだ。
ヒル魔は昔と変わらない不敵な表情で「たりめーだろ?」と笑った。
*****
「はぁぁ、しんどい。」
セナの口から思わず本音が漏れた。
ヒル魔がカフェ「デビルバッツ」で、律と向かい合っていた頃。
セナはかつての仲間が多く所属するアメフトチーム「武蔵工バベルズ」の練習に参加していた。
NFLのレギュラーシーズンが終わり、もうチームはこれで敗退。
だがセナはプロボウルのメンバーに選出されている。
プロボウルはオールスターのことだ。
AFCとNFC、2つのカンファレンスからそれぞれ選ばれた選手たちが戦う。
レギュラーシーズンよりは、お祭り的な要素が大きい。
だが選ばれること自体は名誉なことだ。
年末にセナは一度帰国していた。
レギュラーシーズンは12月末で終わったが、プロボウルは1月下旬。
慣れた日本の方が調整が楽、なんていうのは苦しい言い訳だ。
秋からずっと離れていたヒル魔に会いたかった。
本当にもうヒル魔の顔を見ないでいることが耐えられなかったのだ。
だがヒル魔には、プロボウル前の帰国を反対されていた。
初のプロボウル出場なのだから、アメリカで念入りに調整するべきだと言う。
セナにもわかっている。
ヒル魔の言う方が正解なのだ。
だがセナはヒル魔と離れている時間が不安で仕方がなかった。
「はぁぁ、しんどい。」
ランニングを終えたセナの口から思わず本音が漏れた。
帰国して初の練習は、まだ身体が慣れていない分きつい。
だがそれ以上にヒル魔のことを思うと、しんどくてならない。
「ヒル魔とはまだ気まずいのか?」
セナにタオルを渡してくれながら、武蔵がそう聞いてきた。
ヒル魔の体調のことを知り、アメフトのこともよく知る武蔵はセナのよき理解者だ。
セナは「いえ、まぁ」と言葉を濁した。
「プロボウルで活躍してやれ。そうすればアイツだって文句も言えないだろ。」
武蔵の言葉に、セナは曖昧に「すみません」とあやまった。
帰国したセナとヒル魔は、その件で少し口論になった。
だがさすがに何日も気まずさを残るほど、子供ではない。
阿部や三橋や常連客には「熟年夫婦の域」とからかわれるほどの仲なのだ。
セナの心を憂鬱にするのは、自分の心の弱さだ。
ヒル魔と少し会えないだけでも、寂しさで心が悲鳴を上げそうなのだ。
そう遠くない将来、ヒル魔は永遠に戻らない旅に出る。
そのとき自分はヒル魔のいない世界を1人で生きていけるだろうか。
覚悟はもうとっくに決めていたはずなのに。
今回の渡米でセナはすっかり不安になってしまっていた。
*****
「律っちゃんさんの恋人って、高野さんですよね?」
三橋はそう聞かれて、言葉に詰まった。
カフェ「デビルバッツ」の厨房で、三橋は今日も元気に働いている。
ふと客席の方に目をやると、古くからの常連である小野寺律とヒル魔が向かい合っていた。
話している内容は聞こえない。
だがどうやら真剣な話をしているように見える。
ヒル魔がズブの素人集団であった泥門デビルバッツをクリスマスボウル優勝まで導いたのは10年以上前。
その頃のヒル魔を知る者たちはみな口を揃えて「ヒル魔は温和になった」と言う。
だが三橋は、今のヒル魔にもそういう雰囲気は残っているのだと思う。
こうしてヒル魔に相談事を持ちかける客は、後を絶たないのだから。
そんなことを考えていると「レンさん」と声をかけられた。
厨房で並んで作業をしているのは、アルバイトの雪名皇だ。
これから包丁を使うから、考え事は禁物だ。
三橋がそう気を引き締めた途端、雪名がまた「レンさん」と呼ぶ。
「律っちゃんさんの恋人って、高野さんですよね?」
三橋はそう聞かれて、言葉に詰まった。
雪名は律のことを「律っちゃんさん」とおかしな呼び名で呼ぶ。
恋人の木佐が「律っちゃん」と呼ぶからだろう。
だが三橋が言葉に詰まった理由は、そこではない。
律の恋人は確かに高野で、カフェ「デビルバッツ」では周知の事実。
だが律の職場では、そうではないらしい。
横澤は知っているようだし、羽鳥は察しているようだ。
だが羽鳥の恋人である吉野千秋は知らないように見える。
逆に羽鳥と吉野が付き合っていることは、高野は察しているが律は知らないように見える。
そんな感じで、彼らの間では付き合っていることを誰が知っているという認知度に偏りがあるのだ。
だから彼らの前では、三橋も阿部もそういう話題は避けていた。
自分たちの口から彼らの恋愛がバレるなどということになったら申し訳ないし、後味が悪い。
雪名はバイトとはいえ、木佐の恋人。
一応丸川書店の関係者と言えなくもない。
だから「恋人って、高野さんですよね?」などと聞かれても、簡単に頷けないのだ。
「レン、手が空いたら、律の話を聞いてやれよ」
三橋がヒル魔にそう声をかけられたときにホッとしたのは、そんな理由だった。
誤魔化すことが苦手な三橋は「ちょっと、頼むね」と雪名に声をかけて、厨房を出た。
*****
「フリージア、綺麗だろ?」
そんな話題になったことで、阿部は苦笑した。
まさか高校時代に甲子園を目指した仲間と、花の美しさを語る日が来るとは思わなかった。
「久しぶりだな~!」
カフェで使う野菜を仕入れに来た阿部は、元気な声に出迎えられた。
仕入先の農家の息子で、阿部や三橋のかつてのチームメイト。
現在はプロ野球選手として活躍する田島悠一郎だ。
「よぉ。今日はジイちゃんは?」
「コタツで居眠り中。寒くなってきて、腰がいたいってさ。」
今やすっかり有名人となった田島だが、決して驕るところはない。
昔と変わらない気さくで人懐っこい笑顔だ。
こうしてシーズンオフで家にいるときには家業を手伝ったりもする。
「今日は白菜とカブ、あと小松菜がいいってさ。」
田島は阿部の答えも待たず、慣れた様子で阿部が乗ってきたバンに野菜を積み込んでいく。
阿部も三橋もいつも品目を選ぶようなことはせず、田島家のおすすめ野菜を引き取っているからだ。
だが阿部はふと手を止めて「これは?」と聞いた。
積み込む品物の中に、野菜だけでなくこの時期に見慣れない花が混じっていたからだ。
「フリージア、綺麗だろ?」
「こんな寒い時期に咲く花だったか?」
「ビニールハウスの空いたスペースに植えてみたんだって。」
そんな話題になったことで、阿部は苦笑した。
まさか高校時代に甲子園を目指した仲間と、花の美しさを語る日が来るとは思わなかった。
「シュンのとこ、嫁さんが妊娠したってよ。来年の夏にはお前も伯父ちゃんだ。」
「そうか。」
いきなりの話題転換に、阿部は真顔になった。
三橋との恋愛がバレたことで、阿部は実家とは疎遠になっている。
だが阿部家の様子はこんな風に伝わってくる。
野菜を仕入れに定期的に阿部が田島家に来るのは、阿部の両親も弟も知っている。
だから近況をさりげなく田島経由で耳に入れたりするのだ。
「いつも悪いな。伝言係みたいなことをさせて」
「気にすんな。俺もシュンのトコに子供が生まれるのは嬉しいしな。」
高校時代からリトルリーグですでに名を馳せていた田島は、阿部の弟シュンの憧れの人だ。
シュンは阿部がチームメイトになることで田島と知り合えて、大いに喜んでいた。
今ではそれははるか昔のことのように思える。
「フリージアの花言葉って無邪気とかあどけなさだって。三橋っぽくねぇ?」
またしても田島らしからぬ言葉に、阿部は苦笑した。
夜の三橋の艶っぽく誘惑する姿を知っていれば、田島だってそんなことは言えないだろう。
*****
「他に何もいらないって思ってる。」
フワフワした印象の青年の、思いもかけない強い言葉。
律は思わず息を飲んで、三橋の顔を見た。
小野寺律が三橋廉と知り合ったのは、高校3年の夏のことだ。
夏休みに自分と同じ年齢の少年が住み込みでバイトをしていることに驚いた。
その少年がその前の年に甲子園に出場した投手だと聞いて、さらに驚いた。
ひょっとしたらプロ野球に行けるかもと言われたのに断念したのは、阿部との恋愛がバレたせいだ。
当時世間はかなりバッシングムードだったと思う。
そして三橋はこのカフェの厨房を切り盛りするシェフになった。
同じ歳なのにあまりにも苦労の人生を送る三橋を、律は尊敬している。
律の悩みは実にシンプルだ。
いろいろあって結ばれた恋人、高野政宗の事は好きだ。
だがこの恋愛を貫くことで、家族を悲しませることになる。
早く結婚して家を継ぎ、孫の顔を見たいという親の期待には添えない。
それに自信がないのだ。
このままずっと高野は自分を想い続けてくれるのだろうか?
律は人からよく綺麗だとかかわいいと言われる。
きっと容姿は人より恵まれているのだろう。
だが歳を取れば、どうしたって肌もたるむし、シワや白髪も増える。
結婚という契約もできないのに、高野はずっと一緒にいてくれるのか?
「レンくんは迷うことない?阿部くんとずっと一緒にいられることに」
律はヒル魔と入れ替わるように向かい合って座る三橋にそう聞いた。
三橋は少しだけ小首を傾げると「ない、よ!」と、元気よく答えた。
「高校の頃は、悩んだけど。お互い好き、て、わかったあとは、迷ってない。」
「そっか。じゃあもう10年以上も、レンくんは阿部くん一筋なんだ。」
律が感心すると、三橋が「ウヒ」と笑う。
以前は三橋のこの笑い方に驚いたものだが、今はもう慣れっこだ。
律は少し茶化してやろうかと思ったが、先に三橋が口を開いた。
「阿部くん、いれば。他に何もいらないって思ってる。」
フワフワした印象の青年の、思いもかけない強い言葉。
律は思わず息を飲んで、三橋の顔を見た。
同じ歳で、同じように同性の恋人を持つ身なのに。
何だか恋愛のスタンスで負けている気がする。
「俺、もしかして恋愛に向いてないのかな。」
律の弱気な呟きは、三橋の耳には届くことなく消えた。
【続く】
「どうなると思います?」
青年は真剣な表情で身を乗り出している。
だがヒル魔は一瞬何を言っているのかよくわからなかった。
年末の慌しい時期に来店したのは、常連客の小野寺律だった。
律はヒル魔にとっては、親戚の子供のようなものだ。
何しろ知り合ったのは、三橋や阿部が働き始めるよりも前なのだ。
母親と共に時折来店していた可愛らしい少年は、美青年に成長した。
最近では律を紹介してほしいと頼んでくる女性客がいたりする。
もちろん丁寧にお断りしているが。
律が仕事仲間を連れて来たりするせいで、カフェ「デビルバッツ」はますます繁盛している。
編集部の人間から作家、その友人や家族たち。
ホストだったらマージンが出るくらい、律がきっかけで常連になった客は多い。
だが同時に持ち込まれる恋愛話も多かった。
ヒル魔は必要とあれば話を聞き、問われれば意見も言った。
意外と自分は恋愛相談に向いているのかもしれない。
そんなことを考え始めた矢先、今回の相談者(?)は律本人だった。
「BLのエンディングの後って、どうなると思います?」
律は真剣な表情で身を乗り出している。
だがヒル魔は一瞬何を言っているのかよくわからなかった。
「いつも思うんです。BL漫画とか小説ってだいたいハッピーエンドでしょ?」
でしょ?と聞かれても、ヒル魔はその手のものを読まない。
だがBLが何たるかは知っていた。
どうやら律はその結末に不満を持っているらしい。
「王様とか社長とかが身分違いの恋を成就させた後、絶対に跡継ぎ問題って避けて通れないでしょ?」
あまりにも端的な質問だが、何となく言いたいことはわかった。
BLという男同士の恋愛では、成就したところで子供を持つことができない。
会社社長とか国王など世襲の職業につく者は、その後どうなるのか。
何となく律の悩みも見えてきたような気がした。
おそらく大手出版社社長の息子である律は、高野との恋愛で迷っている。
「そういうことなら、俺よりレンや阿部の方が参考になるかもな。」
ヒル魔は正直にそう答えた。
幼少の頃から親とほとんど音信不通状態のヒル魔は、そういうしがらみを真剣に考えたことはない。
だが三橋は祖父が学校を経営するという家の出だし、阿部の父も会社経営だ。
しかも2人とも、親や友人に知られて反対されるという苦悩も知っている。
「ヒル魔さんってやっぱりすごく勘がいいですね。」
律ははっきりと言わないのに、今の自分の気持ちが伝わったことに感心しているようだ。
ヒル魔は昔と変わらない不敵な表情で「たりめーだろ?」と笑った。
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「はぁぁ、しんどい。」
セナの口から思わず本音が漏れた。
ヒル魔がカフェ「デビルバッツ」で、律と向かい合っていた頃。
セナはかつての仲間が多く所属するアメフトチーム「武蔵工バベルズ」の練習に参加していた。
NFLのレギュラーシーズンが終わり、もうチームはこれで敗退。
だがセナはプロボウルのメンバーに選出されている。
プロボウルはオールスターのことだ。
AFCとNFC、2つのカンファレンスからそれぞれ選ばれた選手たちが戦う。
レギュラーシーズンよりは、お祭り的な要素が大きい。
だが選ばれること自体は名誉なことだ。
年末にセナは一度帰国していた。
レギュラーシーズンは12月末で終わったが、プロボウルは1月下旬。
慣れた日本の方が調整が楽、なんていうのは苦しい言い訳だ。
秋からずっと離れていたヒル魔に会いたかった。
本当にもうヒル魔の顔を見ないでいることが耐えられなかったのだ。
だがヒル魔には、プロボウル前の帰国を反対されていた。
初のプロボウル出場なのだから、アメリカで念入りに調整するべきだと言う。
セナにもわかっている。
ヒル魔の言う方が正解なのだ。
だがセナはヒル魔と離れている時間が不安で仕方がなかった。
「はぁぁ、しんどい。」
ランニングを終えたセナの口から思わず本音が漏れた。
帰国して初の練習は、まだ身体が慣れていない分きつい。
だがそれ以上にヒル魔のことを思うと、しんどくてならない。
「ヒル魔とはまだ気まずいのか?」
セナにタオルを渡してくれながら、武蔵がそう聞いてきた。
ヒル魔の体調のことを知り、アメフトのこともよく知る武蔵はセナのよき理解者だ。
セナは「いえ、まぁ」と言葉を濁した。
「プロボウルで活躍してやれ。そうすればアイツだって文句も言えないだろ。」
武蔵の言葉に、セナは曖昧に「すみません」とあやまった。
帰国したセナとヒル魔は、その件で少し口論になった。
だがさすがに何日も気まずさを残るほど、子供ではない。
阿部や三橋や常連客には「熟年夫婦の域」とからかわれるほどの仲なのだ。
セナの心を憂鬱にするのは、自分の心の弱さだ。
ヒル魔と少し会えないだけでも、寂しさで心が悲鳴を上げそうなのだ。
そう遠くない将来、ヒル魔は永遠に戻らない旅に出る。
そのとき自分はヒル魔のいない世界を1人で生きていけるだろうか。
覚悟はもうとっくに決めていたはずなのに。
今回の渡米でセナはすっかり不安になってしまっていた。
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「律っちゃんさんの恋人って、高野さんですよね?」
三橋はそう聞かれて、言葉に詰まった。
カフェ「デビルバッツ」の厨房で、三橋は今日も元気に働いている。
ふと客席の方に目をやると、古くからの常連である小野寺律とヒル魔が向かい合っていた。
話している内容は聞こえない。
だがどうやら真剣な話をしているように見える。
ヒル魔がズブの素人集団であった泥門デビルバッツをクリスマスボウル優勝まで導いたのは10年以上前。
その頃のヒル魔を知る者たちはみな口を揃えて「ヒル魔は温和になった」と言う。
だが三橋は、今のヒル魔にもそういう雰囲気は残っているのだと思う。
こうしてヒル魔に相談事を持ちかける客は、後を絶たないのだから。
そんなことを考えていると「レンさん」と声をかけられた。
厨房で並んで作業をしているのは、アルバイトの雪名皇だ。
これから包丁を使うから、考え事は禁物だ。
三橋がそう気を引き締めた途端、雪名がまた「レンさん」と呼ぶ。
「律っちゃんさんの恋人って、高野さんですよね?」
三橋はそう聞かれて、言葉に詰まった。
雪名は律のことを「律っちゃんさん」とおかしな呼び名で呼ぶ。
恋人の木佐が「律っちゃん」と呼ぶからだろう。
だが三橋が言葉に詰まった理由は、そこではない。
律の恋人は確かに高野で、カフェ「デビルバッツ」では周知の事実。
だが律の職場では、そうではないらしい。
横澤は知っているようだし、羽鳥は察しているようだ。
だが羽鳥の恋人である吉野千秋は知らないように見える。
逆に羽鳥と吉野が付き合っていることは、高野は察しているが律は知らないように見える。
そんな感じで、彼らの間では付き合っていることを誰が知っているという認知度に偏りがあるのだ。
だから彼らの前では、三橋も阿部もそういう話題は避けていた。
自分たちの口から彼らの恋愛がバレるなどということになったら申し訳ないし、後味が悪い。
雪名はバイトとはいえ、木佐の恋人。
一応丸川書店の関係者と言えなくもない。
だから「恋人って、高野さんですよね?」などと聞かれても、簡単に頷けないのだ。
「レン、手が空いたら、律の話を聞いてやれよ」
三橋がヒル魔にそう声をかけられたときにホッとしたのは、そんな理由だった。
誤魔化すことが苦手な三橋は「ちょっと、頼むね」と雪名に声をかけて、厨房を出た。
*****
「フリージア、綺麗だろ?」
そんな話題になったことで、阿部は苦笑した。
まさか高校時代に甲子園を目指した仲間と、花の美しさを語る日が来るとは思わなかった。
「久しぶりだな~!」
カフェで使う野菜を仕入れに来た阿部は、元気な声に出迎えられた。
仕入先の農家の息子で、阿部や三橋のかつてのチームメイト。
現在はプロ野球選手として活躍する田島悠一郎だ。
「よぉ。今日はジイちゃんは?」
「コタツで居眠り中。寒くなってきて、腰がいたいってさ。」
今やすっかり有名人となった田島だが、決して驕るところはない。
昔と変わらない気さくで人懐っこい笑顔だ。
こうしてシーズンオフで家にいるときには家業を手伝ったりもする。
「今日は白菜とカブ、あと小松菜がいいってさ。」
田島は阿部の答えも待たず、慣れた様子で阿部が乗ってきたバンに野菜を積み込んでいく。
阿部も三橋もいつも品目を選ぶようなことはせず、田島家のおすすめ野菜を引き取っているからだ。
だが阿部はふと手を止めて「これは?」と聞いた。
積み込む品物の中に、野菜だけでなくこの時期に見慣れない花が混じっていたからだ。
「フリージア、綺麗だろ?」
「こんな寒い時期に咲く花だったか?」
「ビニールハウスの空いたスペースに植えてみたんだって。」
そんな話題になったことで、阿部は苦笑した。
まさか高校時代に甲子園を目指した仲間と、花の美しさを語る日が来るとは思わなかった。
「シュンのとこ、嫁さんが妊娠したってよ。来年の夏にはお前も伯父ちゃんだ。」
「そうか。」
いきなりの話題転換に、阿部は真顔になった。
三橋との恋愛がバレたことで、阿部は実家とは疎遠になっている。
だが阿部家の様子はこんな風に伝わってくる。
野菜を仕入れに定期的に阿部が田島家に来るのは、阿部の両親も弟も知っている。
だから近況をさりげなく田島経由で耳に入れたりするのだ。
「いつも悪いな。伝言係みたいなことをさせて」
「気にすんな。俺もシュンのトコに子供が生まれるのは嬉しいしな。」
高校時代からリトルリーグですでに名を馳せていた田島は、阿部の弟シュンの憧れの人だ。
シュンは阿部がチームメイトになることで田島と知り合えて、大いに喜んでいた。
今ではそれははるか昔のことのように思える。
「フリージアの花言葉って無邪気とかあどけなさだって。三橋っぽくねぇ?」
またしても田島らしからぬ言葉に、阿部は苦笑した。
夜の三橋の艶っぽく誘惑する姿を知っていれば、田島だってそんなことは言えないだろう。
*****
「他に何もいらないって思ってる。」
フワフワした印象の青年の、思いもかけない強い言葉。
律は思わず息を飲んで、三橋の顔を見た。
小野寺律が三橋廉と知り合ったのは、高校3年の夏のことだ。
夏休みに自分と同じ年齢の少年が住み込みでバイトをしていることに驚いた。
その少年がその前の年に甲子園に出場した投手だと聞いて、さらに驚いた。
ひょっとしたらプロ野球に行けるかもと言われたのに断念したのは、阿部との恋愛がバレたせいだ。
当時世間はかなりバッシングムードだったと思う。
そして三橋はこのカフェの厨房を切り盛りするシェフになった。
同じ歳なのにあまりにも苦労の人生を送る三橋を、律は尊敬している。
律の悩みは実にシンプルだ。
いろいろあって結ばれた恋人、高野政宗の事は好きだ。
だがこの恋愛を貫くことで、家族を悲しませることになる。
早く結婚して家を継ぎ、孫の顔を見たいという親の期待には添えない。
それに自信がないのだ。
このままずっと高野は自分を想い続けてくれるのだろうか?
律は人からよく綺麗だとかかわいいと言われる。
きっと容姿は人より恵まれているのだろう。
だが歳を取れば、どうしたって肌もたるむし、シワや白髪も増える。
結婚という契約もできないのに、高野はずっと一緒にいてくれるのか?
「レンくんは迷うことない?阿部くんとずっと一緒にいられることに」
律はヒル魔と入れ替わるように向かい合って座る三橋にそう聞いた。
三橋は少しだけ小首を傾げると「ない、よ!」と、元気よく答えた。
「高校の頃は、悩んだけど。お互い好き、て、わかったあとは、迷ってない。」
「そっか。じゃあもう10年以上も、レンくんは阿部くん一筋なんだ。」
律が感心すると、三橋が「ウヒ」と笑う。
以前は三橋のこの笑い方に驚いたものだが、今はもう慣れっこだ。
律は少し茶化してやろうかと思ったが、先に三橋が口を開いた。
「阿部くん、いれば。他に何もいらないって思ってる。」
フワフワした印象の青年の、思いもかけない強い言葉。
律は思わず息を飲んで、三橋の顔を見た。
同じ歳で、同じように同性の恋人を持つ身なのに。
何だか恋愛のスタンスで負けている気がする。
「俺、もしかして恋愛に向いてないのかな。」
律の弱気な呟きは、三橋の耳には届くことなく消えた。
【続く】