アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】

【秋/切なさ郷愁】

「あ!」
セナは慌てて手を伸ばしたが、もう遅い。
うっかり取り損なってしまったマグカップは床に落ち、派手な音を立てて砕けた。

NFLのレギュラーシーズンは、終盤に差し掛かっていた。
まだ試合は残っているが、セナたちのチームがポストシーズンに残れる可能性はなくなった。
つまりもう今年のスーパーボウルに出られる可能性はない。
試合はまだ残っているが、もう消化試合だ。

チーム内には停滞したムードが漂っている。
ポストシーズンに残れない以上、選手たちはもう次の契約のことを考える。
とにかく少しでも個人記録の数字を上げて、来年へのアピールをするのだ。
つまり勝利より自分が目立つことを優先してプレイする。
最後まで勝利を目指す質の高い試合がしたいが、どうしようもない。
来年の居場所を確保しようと焦る気持ちはセナだってよくわかる。

それより気になるのは、ヒル魔のことだ。
毎日欠かさず電話をくれていたのに、最近はメールばかりだ。
風邪をこじらせてしまい、話すのがつらいのだと言う。
しかもそのメールの内容も素っ気ない。
阿部からも連絡があり、ヒル魔は喉を痛めたがそれ以外は大したことはないという。
そのことにはホッとしているが、やはり気になる。
消化試合など放り出してさっさと日本に帰りたいが、それをしたらヒル魔は怒るだろう。

そんな気持ちのせいか、最近はうっかりミスが多い。
今もコーヒーを飲もうとして、マグカップを割ってしまった。
カフェ「デビルバッツ」のロゴが入ったお気に入りのカップだったのに。

切なさや郷愁は、今は忘れなくてはいけない。
とにかく試合でミスをしないように、残り全て勝つつもりで戦う。
セナは割れたマグカップの破片を片付けながら、そう誓った。

*****

「いろいろ悪かったな。」
「それは阿部とレンに言え。特に阿部はセナに嘘ついたって落ち込んでたぞ。」
病室のベットで上体を起こしたヒル魔はいつもの不敵な表情で「ああ」と頷いた。
だが内心は昔なじみで老け顔の悪友に感謝している。
もちろん阿部や三橋にもだ。

ヒル魔はカフェ「デビルバッツ」のホールで、木佐と話している最中に倒れた。
そして意識を取り戻した時には、すでに数日が経過していた。
どうやら一時はかなり危険な状態にもなったようだ。
意識を取り戻したとき、枕元にいたのはこの武蔵だった。
ヒル魔が思わず「テメーかよ」と悪態をついたが、武蔵は言い返す元気もなく憔悴していた。
意識が戻ったと聞いて駆けつけてきた阿部と三橋も、青白い顔に涙を浮かべていた。

それからさらに数日、ヒル魔は入院生活を送っている。
病室には入れ替わり立ち替わり、かつてのアメフト仲間たちが顔を出す。
みな一様に口はよくないが、心配してくれているのがわかる。
ヒル魔もまた素直に礼など言わないが、感謝していたのは伝わっているだろう。

セナが渡米している間にこういうことになったときのことを、ヒル魔はすでに準備していた。
パソコンは毎日セナに当たり障りのないメールを送るように設定している。
阿部には風邪を引いて声が出ないと、口裏を合わせるように頼んである。
これは絶対に三橋には頼めない。
おそらく一発でセナにバレてしまうだろう。
全てはセナに心置きなくフィールドで走っていて欲しいからだ。

「今年もセナ、スーパーボウルには届かなかったな。」
武蔵は残念そうにそう言った。
ヒル魔にはそれだけでわかった。
セナがスーパーボウルという最高峰のステージに立つ瞬間を、生きて自分の目で見届けろ。
武蔵はそう言いたいのだ。

「まぁじっくり見届けるさ。」
ヒル魔は尊大にそう答えると、ベットサイドに置いてあったパソコンを開いた。
まだこの世には未練もあるし、やるべきことも残っている。

*****

「ヒル魔さん、もうすぐ退院されるそうですよ。」
「そうか。よかった。」
木佐がホッとしたように笑顔を見せる。
雪名もそのことには安堵していたし、木佐が笑顔を見せてくれたのがまた嬉しかった。

雪名と木佐は、久しぶりにのんびりした休日を過ごしていた。
バイトを2つ掛け持ちする雪名は休みが不規則だし、木佐は相変わらず忙しい。
だが本当に奇跡的に連休がバッチリ合った。
そこで2人は木佐の部屋のベットでずっとダラダラと抱き合っている。

ヒル魔が倒れたとき、その場にいたのは木佐だった。
それを知った雪名は、ヒル魔のこととは別に木佐のことも心配した。
木佐はヒル魔に特別な感情を抱いている。
憧れのようなもので、恋ではない。
木佐本人はそう言うが、やはりショックを受けているのではないだろうか。
だがヒル魔が快方に向かっていることを聞いて喜ぶ木佐はまったく普通に見える。
さすがに目の前で倒れたときには驚いたようだが、それだってごく当たり前の反応だった。

「ヒル魔さん、倒れる前に言ったんだ。自分は王子様でもアイドルでもない。ただの男だって。」
「ヒル魔さんが。そんなことを?」
「多分雪名だけ見てろって言いたかったんだと思う。そんなんじゃないのに。」
「俺と三橋さんだって、そんなんじゃないですよ。」

行為の合間のピロートークは、おだやかだった。
雪名も木佐も思い悩んでいた話題だったはずだ。
だけど今はすごく些細なことに思える。
ヒル魔が倒れるなどというとんでもない事態に、小さな嫉妬など吹き飛んでしまったようだ。
ちなみに2人はヒル魔が倒れた原因を、風邪と過労が重なったものとだけ聞かされている。

「ヒル魔さんのお見舞いに絵を描いてるんですが。退院の方が先かもしれません。」
「それなら退院祝いでいいんじゃねーの?」
「そっか。そうですよね。」
雪名は笑顔で頷くと、木佐の身体を抱き寄せる。
木佐が熱情で潤んだ目で雪名を見つめれば、また愛の営みの始まりだ。

*****

「うぉぉ!」
病室のドアを開けた三橋は、思わず声を上げた。
ベットの上で上半身だけ起こしてノートパソコンを叩いていたヒル魔が手を止める。
そして三橋の方に顔を向けると「レン、うるせーぞ」と苦笑した。

倒れたのが嘘のように、ヒル魔はいつもと変わらない。
とにかく凄まじいスピードでキーを打ちながら、画面を睨んでいる。
辛辣な口調も健在で、見舞いに来る人間に愛想良くすることもない。

1番困っているのは、どうも病院の食事は口に合わないようなのだ。
出された食事にほとんど箸をつけない。
心配した三橋と阿部は、毎日交代でヒル魔の好物を差し入れに来ている。

今日は三橋がヒル魔の好物を抱えて来た。
3食分を運んでくるので、かなりの量だ。
それでもヒル魔に少しでも食べて欲しいので、それを負担だとは思わない。
そしていつもの通り、ヒル魔の病室に現れた三橋は声を上げた。
室内には油絵の具のにおい、そして壁には大きな油絵が飾られていたのだ。

「雪名が描いたんだそうだ。」
ヒル魔はまるで自分の手柄のように得意気だ。
描かれていたのはボールを小脇に抱えてフィールドを走るアメフト選手の絵だ。
背番号は21番。
ヘルメットに緑のシールドを装着しているので、顔はわからない。
だが身体つきや雰囲気だけでセナを描いたものだとわかる。

「カッコいい!すごい!ステキ、です!」
「そうだな。よく描けてるな。」
ヒル魔は目を細めながら、絵の中のセナ-アイシールド21を見た。
三橋はそんなヒル魔の目の中に切なさと郷愁を見た。

本当はヒル魔だって同じフィールドに立ちたいだろう。
せめてスタジアムで見守りたいはずだ。
ヒル魔の居場所は、こんな病室の中ではない。

「本物のセナさん、帰るまでには。元気に、ならないと。」
三橋は子供に言い聞かせるようにそう言うと、持参した食事を広げ始めた。
タッパーの蓋を取り、保温容器に入れたスープをカップに注ぐ。
せめて早くカフェ「デビルバッツ」に戻ってもらわなくては。
そのためにはまずは食事をさせて、体力を回復させることだ。

*****

「あの絵を買いたいって人がいるんだ。」
阿部はホールの壁にかけられている絵を指差して、そう言った。

秋の終わりにヒル魔は退院し、カフェ「デビルバッツ」も平穏を取り戻した。
ヒル魔はすっかり元に戻り、相変わらずいつもパソコンと向かい合っている。
阿部と三橋はヒル魔の体調には、注意深く気を配っていた。
暖房や加湿をし、食事も栄養のあるものを並べ、表情や顔色などもさり気なく見ている。

そして東京がこの秋1番の冷え込みを記録したこの日。
バイト後の雪名と客として来ていた木佐が、カフェ「デビルバッツ」の客席に並んで座っていた。
深夜であり、病み上がりのヒル魔はもう自室で休んでいる。
三橋はキッチンで後片付けをしていた。
阿部は帰宅しようとしていた雪名と木佐を呼び止めて、その向かいに腰を下ろした。

「あの絵を買いたいって人がいるんだ。」
阿部はホールの壁にかけられている絵を指差して、そう言った。
雪名がセナを描いて、ヒル魔に贈ったあの絵だ。

「え?あの絵を?」
雪名と木佐は顔を見合わせている。
阿部はそんな2人を交互に見ながら、また口を開いた。

「もちろんヒル魔さんはあの絵を気に入ってて、手離したくないと思う。」
「ならばことわって、このまま飾っておけばいいんじゃない?なぁ雪名。」
「そうです。俺が描いた絵ですが、もうヒル魔さんのものですし。」
雪名と木佐は質問の意味がわからないようだ。
納得いかないような表情で、阿部をじっと見ている。

「申し出てくれた人は有名な画商だそうだ。あの絵を自分用じゃなくて売り物として欲しいって」
「ええ?」
「つまり雪名君にあの絵で画家デビューしないかって話なんだよ。」
阿部の話に雪名より木佐の方が興奮している。
雪名はにわかに実感がわかないようだ。
阿部はそんな2人を見ながら、無理もないことだと思う。

「ヒル魔さんは雪名君の希望を尊重するって。絵を渡してもいいって言ってる。」
「阿部さん」
「俺と三橋も同じ意見。あの絵がなくなるのは悲しいけど雪名君のチャンスには変えられない。」
店内に重い沈黙が落ちる。
それを破るように三橋が3人の前に、温かいハーブティーのカップを置いた。

【続く】
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